厳選生活宣言

いいものはいい。そんなモノたちにかこまれて生活したい

 自民党が憲法改正の必要を進化論に結びつけ(こじつけ?)、説明する4コマ漫画が話題となった。

変化できるものだけが生き残る?

 自民党によると、生き残るのは強い者でも賢い者でもなく、変化できる者だ、とダーウィンは言っているらしい。それにつづいて「これからの日本をより発展させるためにいま憲法改正が必要と考える」という。

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 ダーウィンの進化論の前に、ラマルク、アイメルらの進化論があった。

 ラマルクの進化論は、「用不用説」などとも言われ、キリンの首が長くなったのは、高い枝の歯を食べようとして伸ばしているうちに、だんだん長くなったのだ、という話で有名だ。つまり、本人が努力して変化しようとし、それによって獲得された性質が世代を超えて受け継がれ、だんだんに進化が起こったというものだ。

 また、アイメルの進化論では、種は生まれたときから一定の方向性を持って進化を続け、原始的な生物もだんだんに、うまくできているなあ、と感嘆するような生物へと変化していく。だから、完成度の高い人類などは、最古の生物で、長期間経たからこそこの完成度になった。逆に、いま原始的に見える生物は、誕生後間もないから、まだ原始的なままで発展途上にあることになる。

 だが、ダーウィンの進化論はそれらを否定し、変化しようとしたからでもなく、変化に方向性があるからでもなく、偶然発生した変化がこれも偶然その環境に適合したから生き残ったというのである。

 自民党の「進化論」は、賢いから、強いから生き残ったのではない、という点ではダーウィンに矛盾しないが、変化しようとしたから生き残ったという点は、ダーウィンの見解に真っ向から衝突し、むしろラマルクの「用不用説」の方に近いと言える。

 ただ、ラマルクの見解は、近年部分的にではあるものの再評価の動きもあり、だとすれば、二階幹事長は記者会見で、「学識のあるところを披瀝したのではないか、ダーウィンも喜んでいるでしょう」と語ったという(6月24日東京新聞)のもわからないでもない。ただ、ダーウィンは喜ばないと思われるが。

憲法改正についてはむしろ逆

 世界の情勢は常に動いており、変化が必要だ、ということに反対する人はいないだろう。だが、自民党のいう憲法改正というのは、進化ではなく退化と見ることもできる。

 日本は、第二次世界大戦を経て、憲法的に見れば生まれ変わったと言えるほどの変化をした。だがその変化についていけない自民党は、戦前への回帰を願っている。教育勅語の礼賛に始まって、特攻隊は美しい、はては戦争のない今の若い人はかわいそうだ、などしきりに戦前に戻りたがっている。実際、尖閣列島に関して、アメリカは、中国は尖閣についてそっとしておこうと思っているが日本はコトを荒立てたがっている(ウィキリークスで暴露された)、とか日本は朝鮮半島の平和への動きに反対しているなどの最近のボルトンの発言からも、日本は戦争の時代への回帰を希求していることがわかる。

 たしかに、20世紀のはじめ頃は、各国が軍備を拡張し、互いに集団的自衛権の網を張りめぐらせ、もし一度どこかで戦端が開けば、取り返しのつかない規模の戦争が起こるかもしれない、だから簡単には手を出せない、それによって結果として戦争が抑止される、という考えもあった。それによって、ヨーロッパが大規模戦争を免れた時代を「ベル・エポック」などという人もいた。

 だが、その考えは平和をもたらさないことが証明されてしまった。

 それらの反省の上に立った憲法が日本国憲法である。自民党の大日本帝国的思考は100年遅れた考えということになるだろう。つまり、憲法改正という名の戦前回帰は、進化ではなく退化であり、最も変化についていけない人たちの思い違い、ということになるのかもしれない。

 ムッソリーニは”ローマ帝国の復活”を宣言し(1922年)、ナチスが全権を掌握した1933年、”ドイツ第三帝国”などと言われたものだが、政治には、というより政権維持には、さらに国家という形の維持には、多かれ少なかれこういう”神話”が伴う。ローマ帝国の復活など、何ら合理的根拠があっていっているわけではないし、冷静に考えたら騙されるやつがアホ、というただの感情、精神的なものだが、一定の力を持つこともある。こういう神話は、あるときは表舞台で、あるときは影で寄り添っている。

myth 今ある神話として、少しスケールは小さいが、私は”野党がだらしない”という、お決まりのフレーズがあるように思う。この神話を維持するために、マスコミに登場するコメンテーターは、「与党も○○だけれど、なんといっても野党がだらしない」と決まり文句のように、それも何十年も刷り込み続けている。そのおかげで、与党が信じられない、とほとんどの国民が思うときでも、「でも野党がだらしない」として、積極的に支持しているわけではないが、自民党を選ぶ、となる。

 だが、例えばイラク自衛隊派遣問題で、現地の日誌を隠していた問題では、自民党はのらりくらりと時間稼ぎをして、野党側は追及しきれない。見ていて歯がゆいばかりだが、そのいらいらを「野党がだらしない」で片付ける。だが、イラクが日本の安全の驚異になったことはなく、そこへ軍隊を送ることは、平和憲法以前に”侵略戦争”である。その場所で、日本兵が殺されている証拠かもしれない日誌を隠蔽する(現地新聞で、”日本侵略軍”が攻撃されて、中で火災が発生している、という日と、隠蔽されている日誌と日付が合致する)。つまり、日本は侵略戦争をして、しかも自国の兵士が殺されているのを見殺しにし続けている、というより不作為の殺人を行っている。その自民党と追及しきれない野党、そこで「与党も悪いが、なんと言っても野党がだらしない、仕方ないから、次回も自民党に投票するか」という不気味とすら言える意思決定が行われる。

 これほどまでに”野党がだらしない”という神話は、成功を収めている。

対案(代案)を出せ!

 例えば、憲法改正という論点が提出され、それに反対だ、と言ったとしよう。どうして反対ばかりで対案を出さないんだ、建設的でない、という”対案病”もまた、”野党はだらしない”を支えるイデオロギーのひとつだ。実は、憲法改正に反対する、ということは、”現行憲法のほうがよい”という対案がすでにあるということだ。

 これは屁理屈でもないでもない。一般的に政治的意思決定は、多くのメニューの中から選択されるのではなく、”EUを離脱する”、”しない”という二択でなされる。そして一番多い二択は、現状か変更か、の二択である(政治学ではこれをよく”インクリメンタリズム”という)。

 対案を求めるのは、「ミサイルを買おう」「反対」「建設的じゃないなあ。対案を出せよ、例えばミサイルでなく戦車とか」として、こちらの土俵に乗せようとするただの論争術(詭弁術)に過ぎない。この言葉が出た時点で、そいつは詐欺師だ、と思ったほうがよい。

その詐欺師の例

 以前、あるコメンテーターが、安倍さんを批判し

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て辞任すべきだというと、司会者が”じゃあ対案が必要ですよ、対案がないなら無責任”というようなことを言った。視聴者は、確かに、首相はとにかくいなきゃならないんだから、やめさせておいて、次は誰を言わないのは無責任、と思ったかもしれない。詐欺師に騙されたのである。

 内閣不信任だって、ただやめさせるだけである。他の誰々がよい、という不信任案なんて出たことはない。世界中にある、不信任や弾劾の制度は全て無責任なのか。ちょっと考えればわかることなのだが、対案病にかかっている人は簡単に騙されてしまう。

野党は足を引っ張ることしか考えていない

 マスクの発注先がどうこうとかより、支援策の方を考えろ、”揚げ足取り”ばかりやっていては何も進まない。”揚げ足取り”というのも野党無責任論を支えるキーワードである。

 だが、この間、与党が何を進めようとしていたのか。むしろオリンピックをやるんだという掛け声ばかりで、危機に立ち向かわないどころか、危機自体がないかのように振る舞おうとしてきたのではないか。何もしていないのに、野党がどんな妨害をしたということになるのだろうか。

 その上、休業の補償はしない、というのを、なんとか財布の口をこじ開けさせたのは野党側であろう。全く逆である。

 マスク問題は、危機を利用した火事場泥棒かもしれず、医者が救急で運ばれてきた患者のポケットから財布をすりとったかもしれない、そんな疑惑である。それでも野党が騒いだから、466億の予算が210億ほどに減額された。その差額はどうするつもりだったのか。

そもそも野党って何?

 野党は、揚げ足取りも審議の妨害もしていないし、対案も提出している。特に消費税を停止せよ、などの対案に国民が盛り上がれば実現も可能(しかも即効性が高い)なのに、反応しなかったのは国民の側で、だらしないのは国民である。

 そもそも、今の混乱は誰かというより、我々国民自身を反映している、その結果に過ぎない。

 だが、もう一歩引いて考えてみると、野党の役割、とは何なのだろうか。

 伝統的に、野党は、反対するのがその役割、と言ってよかった。特に多党制における野党は世界的に見てそういう役割を果たしてきた。少し前は、日本でもそういうあり方を当然と見ている人がいて、与党が図に乗るのを抑え、権力バランスを保っていたほうが健全だから、という話がよくあった。

 たしかに、以前の社会党はそもそも、過半数取れる候補者を立てることなく、万年野党の地位に甘んじている、というふうにも見えた。加えて、社会党時代は労働者の党、として階級政党であることを明らかにしていたが、多くの国民は選挙で体制自体変えようとまで思っていなかったので、社会党はイデオロギーの党として、反対勢力でいてくれるだけで、”万年野党”であったとしても存在意義があったのかもしれない。

 どこまで本当かわからないが、与党もそれを利用して、アメリカの要求に対して「野党がうるさいんでそれはちょっとむり」とやんわりとはねつけ、たしかに日本が社会主義国になられちゃ元も子もない、というアメリカも、ある程度の妥協をせざるを得なかった。実際、国会の3分の2を取れない与党では、憲法改正など日程に出ることすらなかった。つまり、実は反対勢力としての野党のほうが役割を果たしうる、何ら対案を出さず、”建設的”でなかったとしても、である。

 二大政党制、などという政治に失敗した国の制度を猿真似し、マニフェストなどと迎合したようなことを言い始め、詐欺師の詭弁に過ぎない”対案病”にのせられて、いつの間にか戦争に反対するどころか、ミサイルじゃなくて我が党の対案は戦車の購入、という政党ばかりになりつつある。

 それもまた、国民が選んでいる。今も、検事長の定年延長が話し合われているが、自民党(のコロナ対策)に批判的な勢力を選んでいるつもりで、その勢力はちゃっかり自民党に乗っかって審議に応じている。

 手品師や詐欺師は、観客が騙されると面白くてやめられないものであろう、なんとなく気持ちはわかる。

 ニコニコ動画で、インターネットを通じた質問募集をし、上位の質問3項目(医療分野、社会経済分野それぞれで計6問)に対して安倍さんが答え、それを受けて、山中伸弥博士(京大IPS研究所所長)がコメントし、フリーアナウンサーの馬場典子さんが、国民の間にある素朴な疑問なども織り込みながら全体をまとめる、という1時間番組が持たれた(4月6日20時より生放送)。

 確かに緊急事態宣言の延長については、当初からわれわれの間では、理解というより諦めムードがあったのではないかと思う。つまり、最初の発令の段階から、「どうせオリンピックが延期になったから慌ててやったんだろ。感染を拡大してからいきなりそんなことやったって、1ヶ月じゃ済まないよ」のようなムードである。だから延長そのものについては、それほどの驚きはない。だが、期間が長期になってくると、休業補償の問題を始めとして、ちゃんとやってんのかよ、という声も噴出するだろう。

 また山中伸弥さんは、直接のご専門ではないものの、できるだけ正確で客観的な情報を集約しようとサイトを立ち上げて努力してこられた実績もあるし、今回ほど科学研究と社会の関係が問われたのは原爆開発以来(大げさ?)とも言えるし、何と言っても医学者である。ぜひ意見を聞きたいと思う人が多いだろう。

 この時期にこういう企画はとても時宜にかなったものだし、見たあとでも、とてもいい番組だったとおもう。一応生放送ということで行われたのだがあとからでも見られると思う。

第一問 行動制限一部解除と特定警戒都道府県を作ると、かえってリスクが高まるのではないか?

 まあもっともな意見であり、現に県境を超えてパチンコ点に集中するという問題は発生している。そういう事態にどう対応するのか、という質問である。

安倍さん

 緊急事態宣言を1ヶ月間やってきて、ご協力を頂いた。感謝申し上げる。不便もかけたが成果も出てきている。ただ、現状は医療現場もまだ厳しい。退院者>新規感染者という傾向も出てきている。収束の方向に向かっているので博物館などもいっていただけるようになった。他の分野では、イベントなどは控えていただき、なんとか収束を目指していきたい。

 山中博士 私も、他県への移動は控えている。だが、やむを得ず、大都市から、病気の両親の元へ行く人も当然いるだろう。そういうときに求められるのは、やさしさ、ではないか。みんな同じような気持ちを持っているはず。

第二問 PCR検査の少なさ。検査の拡大はしているが、数値目標をかかげることはないのか。唾液を使ったPCR検査の活用は考えているか

 PCRについては、能力を1.5万まであげている。2万くらいまで行くだろう。ただ、現実の検査をするために保健所の体制など、他の問題もあるので強化していきたい。付言すると、日本は陽性率が高いわけではない(アメリカ、イギリスなどと比較)。抗原検査も実用化は近い。総力をあげて感染の実態を把握していきたい。

山中博士

 今後感染防止を図りつつ経済のことも考えながら制限を緩和していくには、PCRの拡充は必要で、10倍から100倍くらいいるかもしれない。

 京大IPS研究所だけでも30代の検査機、何十人もの技術者がいる。そういう人たちは、自粛要請の中で自宅待機になってしまっているが、全国のそういう眠った資源を活かせば10万くらい行くのではないか。

 

第三問 医療現場への援助、マスク、防護服の不足など

山中博士

 医療崩壊が感染者の増加によって発生する国と異なり、日本では医療従事者への負担で、スタッフが疲弊し、崩壊につながる恐れすらある。自分の身の回りでは、無休の若い医師、妊娠中の女医さんなど、本当はできる状態ではないのに、皆が頑張っている中で、気持ちだけで頑張っている人たちもたくさんいる。手当がなかったり、数百円から数千円までの手当で、長期間というのは極めて厳しい。

安倍さん

 頑張っていただいている。処遇については、重傷者への対応の診療報酬を倍にあげるなどの仕組みを作った。更に進めていきたい。物資が不足する中で3月には、国が調達してマスクなどを届けるようにしている。滞るのは都道府県レベルのこともある。国から書く病院に渡せる体制を作る

全体として思うこと

 実はこのあと社会経済問題についての受け答えもあるのだが、長くなるので中断する。

 一言で言うと、「答えてない」、ということだ。

 最初の”かえってリスクが高まるのではないか”、については県を挟んでの移動は極力、という従来どおりの話以外には何もない。

 次の”PCR拡充の数値目標”についても何もなし。「ない」と答えることすらしない。”医療現場への援助”については、重傷者対応の診療報酬を二倍にあげたの部分は一応答えになっているが、もし五円が一〇円になりました、というのなら答えにはなっていないし、なんの重傷者なのかもよくわからない(いや、コロナに決まってるだろ、となりそうだが、この人結構関係ない話を入れ込んでくるので)。

 そして、実績強調。検査の能力をあげたとか、この間成果が出ているなどの自画自賛はいいのだが本当にうまく行っていれば、宣言延長も含めて”こうはなってなかったはずだ”とみな思っている。

 何もするつもりなし。検査について総力をあげて、など言うのだが具体的には何もない。インターネットとはいえ、かなり国民の生の声にふれ、山中博士という医学のプロのアドバイスも受けて、”じゃ、それやります”とことがなかった。貴重なご意見、持ち帰って上司と相談、みたいな下っ端が来ているのと同じ。

 こういう対話は孫正義さんがよくやって、「やりましょう」などとTwitterで約束し、すぐに実行に移して、海外パケット放題、電波改善(いつ、どのあたりのどのような改善かのプロセスまで公開するなど)次々に実現してきた。ワンマンかもしれないが、日本企業にないリーダーの姿を見たものだった。

 山中先生の話を参考程度に聞くような態度は、相手をバカにしているのか、実は”安倍一強”と言われながら、殿にはなんの実権もないのか、校舎だとすれば、彼に”リーダーシップ”を求めるのは無理だ、彼はリーダーじゃないのだから。そのあたりはよくわからない。

 岡村さん(お笑いコンビナインティナイン)が女性差別だとして、子供に人気の番組「チコちゃんに叱られる」から岡村を外せという署名運動があるらしい。

 実はこの問題はご本人も謝罪していることだし、もう終わったものかと思っていたが、ちゃんと続いていた、ということか。

テレビ局に圧力をかけるのは・・・

 署名や電話で放送局や出版社に圧力をかけることに対しては、岡村発言を許さない側からも疑問が投げかけられている。これではネット右翼と同じではないかということである。表現の自由という観点から教科書的な答えを探せば、岡村さんが出演する番組は、この発言を知っている人なら、見たくないし見ない。視聴者はとても賢明だから、きちんとした答えを導いてくれるはずだ、となる。表現の自由市場において淘汰されるはずだ、ということになるだろう。NHKも岡村さんを出す限り、番組イメージが悪いままだと思えば、岡村さんを切るしかなくなる。

 ただし、は視聴率や、国民の意見によって番組がコントロールされにくく、唯一受信料の不払いのみがNHKに国民の意見を届ける方法になっている(宮台真司さんなどもそういう)。

 これを機に受信料の不払いが増えたなら、NHKも動かされることになる。もし岡村さんの発言が許せず、反省もしていないと判断するのであれば自分がその番組を見ないだけでなく、そういう手段で対抗するしかなく、岡村さんの発言を絶対に許さない態度を訴え続けることになるだろう。

 相手の業務を妨害する意図でコールセンターを機能不全にしようとしたり、仕事をさせないつもりで大音量のスピーカーを使うとなれば、これこそ本当のネット右翼だ。

本当にNHKの意向?

 あるサイトによると、あるNHK関係者が、岡村さんの意見の問題性を指摘しつつも、「特に考えもなく、憂さ晴らしで岡村を叩いているだけではないかとの声も、決して少なくないような気がします。ネット上でこうした『イジメ』のような事態が起こっていることも、局内で問題視されていますよ。この流れで、番組を打ち切りにしたり、岡村を降板させることは、そのイジメに『加担する行為』と受け止められかねません。番組や局としては、そうあってはならないと、視聴者の意見も参考にしつつ、今後の岡村を見守っていくというモードになっています」

これが本当なのか、NHK全体の移行を代表するほどの関係者なのか、多少の疑問を感じる。

 いつものNHKは

1 こんなに早く意思決定しない

2 どちらかの勢力に立つことも避ける

3 こんな稚拙な発言はしないのでは

はずだからだ。

 1,2については、一言でいえば「のらりくらり」。どこからもできるだけ批判されないように振る舞う。これはいい加減なようで、良く言えば柔軟でもある。結構現場の裁量権も尊重するので、いい番組ができることもある。だが、政治からの横槍が入ると、圧力に弱くてすぐに番組を改変させたり、報道を歪めたりする。政治が横槍さえ入れなければ結構現状でもいい放送局である。

 ということは、今回のことが本当なら、誰かが横槍を入れた、ということになるかもしれない。そうなるととたんに強気になる、と言うより自己保身の鬼になる。

3 の内容の稚拙さだが。尻馬に乗って騒いでいる輩がいる、と言うけれど、それはどんな話に関しても普通そうであり、問題の理解度が深い意見と、浅い意見どころか、何も理解していない意見というものが常に発生する。では100人が真剣に訴え、調子乗り数人が付和雷同していたら、オセロの駒のように色がすべて正反対になる、とでもいうのだろうか。

 ”NHK関係者”がそんなに知能が低いというのもちょっと考えにくい話だ。

ホントの岡村発言は

 ちゃんと一次ソースにあたってから批判すべきだ、と古谷経衡さんが言っているから、ネット上の音声だが聞いてみた。何だ、別に、誰かが引用したために趣旨が変わってしまっている、ということはないじゃないか、何が一次ソースだ、と思ったが、むしろ差別発言を裏付けるだけでなく、半笑いになりながら楽しそうに語るご本人より、スタッフの馬鹿笑いのほうが耳についた。男同士で配偶者やその他の女性にも聞かせられないような下品な会話、というのは、巷の飲み会にもよくあるが、公の電波でなされるとやはり迫力である。

 あるタレントは、岡村さんを擁護して「困っている人に対して喜ぶような人ではない」というのだが、まさに喜んでいる発言をしてしまっている。

 一次ソースに当たれ、というのは、ホントの発言のヒドさ、だけでなく、あの発言をを生んだ番組スタッフ含むその場の雰囲気を感じたほうがよい、という意味なのかもしれない。

最近の問題発言とされるものを3つほどあげて考えてみたい。

一つは蓮舫さん

彼女の言ったことは、次のとおり

このままでは新型コロナで大学を辞めないといけない学生が出る。学校を辞めたら高卒になる!就職はどうなる!

 これは差別なのか。高卒か大卒か、本人の選択について誰にもどうこう言えるものではない。もちろんどちらかをバカにする、という話ではない。ただ、途中まで、特に3年次4年次まで来た学生が、ここで辞めると、そこまで積んだ積み木が一気に崩れる。大学4年次なら、大学の3年以上と、高校時代の何年かが無駄になる。それがかわいそうだと言っているだけで、そこに差別的意図は一切感じられない。もちろん不祥事で退学など本人に責任があれば別だが本人に責任のない場合に、本人が望まない時点に戻る、しかも、もはや高卒で就職するひとたちが、新卒なのに対して、その人は違う。

 だからそういう事態に陥ってはならない、と言っているだけで、「しれっと高卒を馬鹿にする蓮舫」などの批判をする人は的はずれないちゃもんをつけたことになる。

 蓮舫さんも、謝罪する必要すらない。謝罪したら、多少は高卒をバカにしたかのようになってしまうからだ。

岡村と公開説教

 オールナイトニッポンの番組中で、金に困ったかわいい子が風俗で働かざるを得なくなり、それが楽しみだ、と岡村さんが言ったらしい。

 それに対して、「事実を言ってるだけ」という擁護論もあるが、例えば戦争で多くの幼い子供の命が失われている、という事実をいうのと、その子達の臓器が移植でき、私にも回ってくるのが楽しみだ、と言うことは別である。そんなことを望んでいるのか、どこまで腐った人間なのだ、となるのは当然だ。

 だが、その後の展開もある。岡村とコンビを組んでいる矢部が、「風俗ネタをやめて、結婚したら」と「説教」してしまったらしい。ネットでは、「心に響く」とか「世の男性はこれを聞くべきだ」などという言葉もあるらしい。絶賛する。

 矢部の「説教」は、そっちの処理は結婚して奥さんにやってもらえ、とでも言うかのような彼の結婚観があらわれた、一層女性を不快にさせるもので、このコンビはこんなもの、ということなのだろう。感激した人は何を勘違いしたのだろう。

山口発言と見当はずれの批判

法政大学の山口二郎さんが、自民党の政治家がまともな知性と誠実さを持っているなら、安倍首相を座敷牢に押し込めて、緊急事態に対応した臨時連合政権を作るべき局面まで来ている。今まで日本人は平和ボケとか言ってきた政治家は、こんな政府に危機を任せるほど平和ボケなのか

という発言をしたのに対し、「座敷牢などという精神障害者に対する差別用語をよくリベラルを称しながら使えるな」や民主主義を否定しているのか、という批判もあるらしい。

 かつて、医療設備の整っていない時代の、「治療」とは、とにかく家の恥だから表に出すな、というものだっただろう。安倍さんがそのレベルに達している、という話をしているのだが自民党、つまり自由と民主主義を信奉する政党ならば、エイプリルフールカビノマスク、クルーズ船「ウイルスのゆりかご号」、検査せず数をごまかすことなど、全世界から嘲笑の的になっている彼を表に出すようなことはしない、と言うことだろう。座敷牢という単語については多少時代がかかっているとも言えるが、それ自体は差別用語ではない。

 民主主義にもとるる、という方はかなり問題である。大統領制なら直接選ばれたのであるから、側近が気に食わないと言って引きずり下ろすことはできない。もちろん弾劾などの仕組みはあるが。議院内閣制では、国会議員たちが指名することによって首相の地位が生ずるのであり、その議員たちは「全国民の代表」だから、理性を持って、国全体のために何をすべきか、を一応選挙民の意志そのものとは独立して意志決定する。その人たちの判断で、安倍さんを引きずり降ろさないのはおかしい、と言っているのであって、日本の代表民主制に則った決定をせよ、と言っているのだ。流石に彼が民主主義を否定することはない。

 以上、直近の問題発言を取り上げたが、むしろ批判する人たちのリテラシーが問われる問題、ということなのだろう。

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