厳選生活宣言

いいものはいい。そんなモノたちにかこまれて生活したい

ETV「隠されたトラウマ〜精神障害兵士8000人の記録」(NHKを見た。

 イラク戦争などで有名になった、戦争による米軍兵士のPTSD(心的外傷後遺障害)だが、日本でも太平洋戦争時に多くの兵士が精神障害を追っていた、その記録。

どんな症状なのか

 当時、臓躁病(ぞうそうびょう)と言われたこの精神障害だが、軽いものでも悪夢にうなされ、「死ね」という声が聞こえる幻聴、自分が殺した犠牲者が出てくるような幻覚、さらに身体症状では、コップをまともに持てないほどの震え、さらに手足が痙攣してまるで死ぬ間際の昆虫のようになってしまう発作が起きたり、手足がガクガクして歩くこともできない人もいる。

 人によってはある程度回復することもあるようだが、そんな人でも何十年もして、敵が攻めてきたと真夜中に起き上がって叫んだりすることもあるという。

どうして明らかにならなかったのか

 こういう症状については、第一次世界大戦のシェルショック(砲弾病)としてすでにある程度わかっていることだった。だが、日本でも同様の症状があることを認識していながら、「皇軍兵士には皆無」であるとしていたために、言ってしまったことに合わせようとするあまり、完全に抹殺しようとしたのだろう。実際、治療に当たっていた病院では、終戦後カルテを全部償却するように命令されたという。だが、心ある医師たちがカルテを密かに持ち出し、ドラム缶に入れて地中に隠し、やがて日の目を見ることになったという。

犠牲者の多くは中国大陸で

 日本の戦域は広範囲に及んだが、8000人のカルテのうち、4000人以上が中国でしかも比較的北の戦線に多いという。だが、ニューギニアなどでは兵士の多くが戦死したり餓死したり自殺したりと、救出して病院に収容するなどということ自体ができない環境にあったという。つまり、中国の北部という比較的日本に運びやすい地域での患者が収容されたのは当たり前で、現実には南方の戦線では、この何百倍もいたかもしれない。実際、中国の戦線では、日本軍の支配地域は点と線を結ぶようにではあるが、一応本土から繋がっており、その細い線を通ってなんとか輸送が可能だった。その細い戦場を移動するときですら、いきなり物陰から銃声が聞こえてきて、敵の銃弾が、鉄製の水筒に当たって命拾いした、という恐怖の中で、やがて発症することがあったという。しかし、南方ではおそらく点と点でしかなかったから、補給も援軍も来ない恐怖の中で雨あられのように降ってくる敵の艦砲射撃を受けて発祥が少なかったとは思えない。

こっちは攻めていくだけ

 中国大陸では、中国人側は自分たちの家族を、故郷を守るために、彼らなりに大義を持って戦っていたが、ある元日本兵は「こっちは攻めていくだけ」。一体何をしているのか、なんのためにやっているのかもわからないまま、毎日恐怖の中を過ごす。昨日まで田舎でのんびり畑仕事をしていた人がある日そんな環境におかれ、自分の子と同年代の子どもまで殺す。そのことが頭にこびりついて離れない。

 そんな人が無情な殺人鬼になれる理由は、理不尽で絶え間ない軍隊内でのリンチだろう。アメリカ軍兵士に関して言えば、人を見て引き金を引ける兵士は20%しかいなかったというが、それがまともな人間だろう。それを狂った殺人鬼に仕立て上げなければならないのが戦争だとすれば、日本軍兵士は、リンチによる絶え間ない暴力で人間性を変えられ、その結果自分の子供くらいの小さい子を殺して、戦後も何十年も苦しみ続ける。その上、戦争になんの大義もないとなれば、苦しみは何倍にも膨れ上がる。

戦後はどんなふうに扱われたか

 そこまでの犠牲を出してしまった戦争。国がしたことに対して国がなんとか責任を取ろうとしたのか。実際には、全く人格の変わってしまった元兵士をケアする人もいなければ制度もなく、家族が引き取ることもできず、結局病院に収容されて何十年も入院したまま。実際に病院で世話した人によると、この国だからこんなことが起こるのではないか、という。そういうことは隠され、なかったことにしてしまう。誰にも知らせないままひっそりと闇に葬りたい、そんな人たちの生き残りは早く一人残らず消えてほしい、というあたりが本音なのかもしれない。

戦争は総力戦というより総被害戦

 戦争と言えば兵士たちの戦いをイメージするが、近代以降は、国民生活を完全に巻き込んで、何もかも総動員される総力戦となった。さらに第二次世界大戦では、空襲など市民が直接被害者になる場面が出てきた。兵士たちとその家族だけが犠牲になるのではなく、市民も国土も何もかも奪われる。

 特に、自分たちの国土に攻め込まれた側の市民の被害は目を覆いたくなるほどだが、一方で攻め込んだ側の兵士、そして生き残った、その意味では勝ったはずの兵士たちにすらこのようなことが起こっている。20年ほど田舎で穏やかに育った少年が、たった数年の従軍体験から、どこを撃たれるでもなく帰ってきて、戦後60年間を病院で、日常生活すらままならない日々を過ごす。家族は、この子は一体なんのために生まれてきたのか、と思う。

戦争を語り継ぐというけれど

 戦争に至るプロセスから学ぶこと、実際の戦争で戦死よりも餓死のほうが多かったこと、太平洋上では軍人よりも民間人のほうが犠牲が多かったこと、空襲のこと、原爆のこと。唯一本土で行われた陸上戦である沖縄戦。

 戦争は怖い、忘れてはいけない、語り継ぐ必要がある、とはわかっていても、一体どれだけの局面があるのか、一体何科目を履修すれば語り継いだといえるのか。だいたいのことを知っていたつもりでも、また何か戦争の新しい局面を知るたびに、戦争のことを何も知らなかったな、とすら思う。

 いつまで反省、謝罪を続ければいいのか、などというけれど、その前提として知ることすらできていないのに、どうしてそんなに、「はい、これでおしまい」と言いたがるのか。残念ながら、学ぶべきこと、語り継ぐべきことは無限にありそうで、ただありがたいことに、それを続け、二度と同じことが怒らないようにしようと思い続けていれば、もう誰も反省しろ謝罪しろなどと言い続けないような気もする。

「自由はこうして奪われた〜治安維持法 10万人の記録〜」という番組(ETV特集(NHK))をみた。治安維持法の運用状況について調べた一時間番組。

 実際にどういう人が検挙され、どういうふうに有罪になっていったのか、その細かい資料に当たって一つ一つ明らかにしていくものだった。

 番組を見て思うことは、治安維持法=無茶苦茶な弾圧、天下の悪法、と当時に過去の法律というようなイメージしかなかったのだが、今の法制度、人の心への影響、おそらく警察組織のあり方など、いろいろな形で現在も生き続けている、ということだ。

"アメとムチ"の政策ではない

 1925年に出来た治安維持法、当初は国体を変革し、私有財産制度を否定するような団体を取り締まる法律だった。1917年のロシア革命を受け日本共産党が設立されるなどの流れの中で、このままでは普通選挙などできない、として制定されたものだと番組はいう。よく普通選挙法(但し男子のみ)の導入とセットで、"アメとムチの政策"などと言われるが、別にアメをちらつかせておいてムチの方を実行しようとしたというわけではなく、先に普通選挙が決まっていて、その実施前になんとか共産党勢力を抑える、という当初は防御的な意味合いがあったのかもしれない。

運用後に性格を変えていく

 当初、共産党を一網打尽にしようと、大弾圧を開始するのだが、実際に検挙してみても、その7割ほどは無関係な人たちだったという。普通に考えれば、間違って逮捕してごめんなさいという話になるはずだが、警察や検察の思考回路にかかると、「なんでこいつらを釈放しなければならないのか」ということだったらしい。現在でも問題になる多くの冤罪事件は、こういう思い込みに基づく捜査、明らかに間違いとわかっても修正できない不思議な警察・検察力学で発生するのだろうが、この行動パターンのルーツはここにあるのかもしれない。

 1928年には、逆にその声に応える形で法律が改正され、共産党だということでなくても、その「目的遂行の罪」であればよい、とされてしまう。要するに、共産党の目的達成を助け、助長するような行為であればよい、ということになるため、誤認逮捕が正当な逮捕だったことになり、警察・検察の夢がかなった形になる。実際、特高(思想犯摘発を仕事とする特別の警察)では、まさに「いたれりつくせり」の条文ができたと喜んでいたという。

 問題が噴出しているのにそれを反省するどころか、むしろ既成事実の方に合わせて法律を変えてしまう。番組では淡々と語るばかりだったが、過去の話として聞いていいのかどうか、考え込んでしまった。

転向政策

 28年の改正では、曖昧さがいっそう拡大するだけでなく、刑罰として死刑まで加わり、当初より遥かに凶暴化したのだが、逆に1933年頃から有罪件数が下降し始める。流石に適用側も抑制的になったのか、と希望的に受け取りたいのだが、その頃から単なる弾圧ではなく、取り調べにおいて「転向」を指向するようになったという。「転向」とは、私は教団主義の考え方を捨てました、とすることによって、釈放され、場合によっては社会復帰も可能とするものらしい。

 ある長野県の教師は、女子生徒が人買いに売られていく現実を憂い、教育費の国費負担を求めるなど運動が起こるがその読書会に参加するようになる。本を読む行為も、目的遂行につながるというのだろうか、それに目をつけられて、検挙される。何らの組織にも属していないことがわかって釈放されるが、検挙されたというだけで教師を首になる。

 その後、転向を理由に復職してからは、国策に協力し、生徒に満州"開拓"事業に積極的に送り出すようになる。満州のその後は多くの人の知るところだが、送り出した生徒の何人もが向こうで命を落とす。戦後も自分のしたことの罪に苛まれ、決して一度捕まった経験がある、などという生易しい体験では済まない。

 結局、単に人を弾圧するだけでなく、人の心に踏み込み、人の人生を奪い、戦争に協力する人間を作り出していく、そんな側面を持った法律だったことになる。

生き続ける治安維持法

 もちろん共謀罪など、現在も問題になる法律が、治安維持法の経験を活かすことなくどんどんでき、これからもできていくこと、これがまさに治安維持法が生きている証であるということもある。

 また、治安維持法も制定当初はできたことを忘れさせるかのように、ほとんど運用されることがなかったのに、4年目あたりからいきなり牙を剥いた。さらに、制定そのものよりもその後の改正で死刑が加えられたりするなど、「小さく産んで大きく育てる」ということだろうか。  たった3%だからいいじゃない、と始まった消費税や、いわゆる「盗聴法」も同じ。ちゃんと治安維持法精神が現代に生きている。

 それ以上に、治安維持法の改正の中で、取り調べでの自白が証拠になるという規定が入れられることになり(1941年の改正。第26条)、取り調べのとき多少無理をしても自白調書をとってしまえばこっちのもの、とばかりに拷問が行われるようになった。ある美術学校の学生は、若者が集まってレコードを鑑賞する作品や、子どもたちが雪の道を歩く作品を描いたとして、共産主義の啓蒙につながるとして検挙される。そして、共産主義を信奉していた旨を自白させられるのだが、彼は美術学校の生徒ということもあって、共産主義については何も知らない。そこで特高はマルクス主義の本を見せて、これを見て書け、とまでいう。そうしてできた尋問調書が証拠となる。それが自白偏重の現代日本の刑事訴訟法として、現在もなお大手を振ってまかり通っている(もちろん、条文上拷問は禁止されているが)。

 だから、治安維持法は悪法だ、ああいうものを復活させてはならない、と反対するのはもちろん正しいのだが、日本の日常生活がすでに治安維持法の影響下にあることも番組は暗に教えてくれている。

 杉田水脈という自民党の議員(51歳。中国ブロック比例)が、

「子育て支援や子供ができないカップルへの不妊治療に税金を使うというのであれば、少子化対策のためにお金を使うという大義名分があります。しかし、 LGBTのカップルのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。彼ら彼女らは子供を作らない、つまり『生産性』がないのです」

と、「新潮45」(2018年7月18日発売)という月刊誌の中で語ったことが問題とされている。

LGBTとは

 性的少数者のことを意味し、同性愛、性同一性の不一致(生物学的には男だが、自分の心は女である、もしくはその逆)などが代表的なものであり、8%ほど存在すると言われる。そのような愛情や意識を他人がどうこう言うことではない。これは大前提で、最近では学校などでいじめの対象になったりしないように、教員向けの啓発を行ったり、理解をすすめるための教育がなされるようになってきている。

 さらに進んで、西欧先進諸国(一部日本でも地方自治体単位で)では同性愛のカップルを夫婦と同じように扱う動きがある。日本では伝統的な家族制度を破壊するものであるとして同性愛をタブー視し、ヘイトの対象とする人たちもいるようだが、世界的な流れに逆らうことはできず、政府としても本音は別として、表向きは、差別はいけませんよ、というしかない状態である。

 そのせいか、杉田水脈さんも自分は差別感情を持っていない、というようなことを言っている。

LGBTに税金を使うな、とは?

 そのうえで、杉田さんの言いたいことは、差別はしないとしても、生産性のない人たちに税金を使うのは理解がえられないのではないか、という主張らしい。

 その前に、「LGBTに税金を使う」という事実が本当にあるのだろうか。具体的に何を指しているのか。

 教育現場での活動をあげたが、もし性的少数者に対するいじめ防止の啓発をする活動に税金を使うな、というのであれば、おそらく認識違いだろう。教育現場ではLGBTだけを取り上げてどうこうと言っているのでなく、自分とちょっと異なる人、例えば国籍、肌の色、障害などいろいろなものがあり、それら、「ちょっと違う人」も人それぞれに個性があるだけでみな同じ人間だ、と教えているだけである。その一環として、LGBTも同じですよ、として何が問題なのか。その追加によって、いくら税金が多く使われることになるのか。さらにそれだけで杉田氏の言う「保護されすぎ」になるのだろうか。

 もしそのプログラムにLGBTを入れてはいけないというのであれば、LGBTに関しては、いじめやヘイトを放置せよ、と主張していることになり、上に挙げた、自分は差別していない、と言ったことがウソになってしまう。実は本音はそこにあるのかもしれない。

少子化対策としての差別

 1898年(明治31年)に家制度が創設され、女は生まれた家から、嫁ぎ先の家へ、家から家へと受け渡しされるモノのような立場におかれた。どこかの家にいかなければ居場所のない、かたみの狭い思いを感じさせたせいもあって、婚姻率は95%といわれ、おそらくその中には性的少数者もかなりいただろう。否が応でも、身の毛もよだつ行為を強制され、その涙の犠牲があって、数十年で三倍にも達する驚異の人口増加と無尽蔵ともいえる兵隊さんの供給につながってきた。今からでもこうすれば少子化対策になる、これが自民党の本音だろう。だから、杉田水脈さんも

22日、自身のツイッターで、先輩議員から「間違ったこと言ってないんだから、胸張ってればいいよ」などと声をかけられたとし、「自民党の懐の深さを感じます」と投稿(削除済みらしい)した。(asahi.comより)

これは本当だろう。自民党の多くの議員の胸中には、よくぞ言ってくれた、という気持ちもあったと思われる。LGBTを差別したい、これが本音である。そんな変な奴らが差別され、かたみの狭い思いをしている姿を見せしめにすれば、自分の本当の感情を抑え、「正常な結婚」にいやでも向かい、少子化対策になる。

 西欧先進諸国では、結婚制度に縛られず、意外にサラリと"非婚の母"になる。子どもの過半数は、両親が結婚していない、という国もあるらしい。その変わり、働く女性の地位を上げ、母子家庭への援助をしなければならないが、そういうやり方で少子化問題に取り組んでいるスウェーデンのような国もある。移民を受け入れない点では右翼とも言えるが、女性への手厚さは左翼的でもある。女性の地位の向上や母子家庭への援助など、自民党が絶対にやりたくないことだろう。だから、「正常な結婚」、伝統的な家族こそ他大事だと洗脳すれば安く少子化対策ができる。

 だが、おそらくもう無理だろう。そういう洗脳は力の限りやっているのだろうが、女性たちは結婚しようとしない。家族!伝統的な家族!と、時代錯誤でおよそ政策とも言えないような、道徳的なお題目を虚しく唱えるのがせいぜいで、このままでは少子化はさらに進む。

むしろLGBTの生産性を認めるべき

 少子化問題だけについていえば、例えば同性愛カップルを夫婦と同等の扱いにする。もちろん、子どもはできない。しかし、そういうカップルが夫婦として、社会的に認知されるようになると、堂々と子どもを育てたい、とその希望を表明するようになるだろう。現に外国ではそういうカップルが養子を迎えて立派に家族生活(自民党はそれを家族生活と認めないだろうけれど)を送っている。
 日本では、昔から若すぎる未婚の母が出産し、産婆さんの計らいで子どものいない裕福な夫婦の実子として届ける「藁の上からの養子」が公然の秘密として行われてきた。現在では特別養子縁組という制度のもと、一定の手続があるものの、承認された手段として活用されている。同性愛が夫婦とされれば、この制度(夫婦でないと利用できない)が利用できる。そう考えれば、じつはLGBTの人たちは、極めて生産性が高いのである。

 それはなぜか。同性愛の人ほど、自分たちを夫婦として認めてほしい、家庭を築きたいと思うものらしい。だから、その人たちを夫婦として認め、制度の活用を計れば、経済的に恵まれない子の福祉につながり、若すぎる未婚の母の再出発にもつながる。杉田水脈議員から見れば、じつは皮肉なほどの「生産性」を発揮するのが彼らである。もちろん、国の都合だけで人を秤にかけ、少子化対策につながるから生産性あり、などと評価しようとすること自体おこがましい。アップルのティム・クックCEOが同性愛者だからといって、誰が彼に「生産性が低い」などといえようか。その点で、杉田水脈さんの言っていることはハナからおかしいのだが、あえて彼女の議論の乗っかったとしても、生産性が低いなどと簡単にはいえない。

 だから、本当に国を憂うのであれば、時代錯誤の虚しい絶叫を繰り返すよりも、少しでも少子化対策に繋がるような提案をすること、これが議員としての「生産性」ではないかと思うのだが。もし、この程度の生産性を持たない議員がいるなら、これに税金を使うことは国民の同意を得られないのではないか。

 カジノ法が成立した。観光客誘致の起爆剤になることが期待される一方で、ギャンブル依存対策は大丈夫か、そもそも景気対策として邪道ではないか、というような批判もある。

 だが、最も心配すべき問題は、資金洗浄という声もある。

資金洗浄(マネーロンダリング)とは

 犯罪や賄賂など、出所の明らかでないお金で不動産でも買おうものなら、税務署が調査に来てその出所を問題にされる。どうしたらまともな、きれいなカネにできるか、それが資金洗浄の問題である。
 例えば、価値の定まらない絵画を政治家に贈る、政治家は画商のところに行って多額のカネに交換する、という方法で賄賂を贈る方法もある。このカネは正当な売買契約によるカネである、ということになる。ワンクッション置いただけでは簡単にバレる。甘利大臣が、画商を通してではないものの、不相当な金額で絵画を売り、正当な売買契約と称したことは有名な話である(リテラより)。通常の法治国家ならシャバにはいられない。

カジノで資金洗浄

 そこで、やばいカネをある人にあげてしまう。だが、心配しなくていい。そのあとカジノに行けば何故か、勝ちに勝ちまくって、元のカネとほとんど同額になる。カジノ側からは、このカネはカジノで勝ったカネですという書類も出る。
 もっと手っ取り早い方法は、収賄側と贈賄側がカジノに行って、贈賄側は不自然に負け続け、収賄側は不自然に勝ち続ければよい。カジノ側ももちろんグルで、プロだから、この操作は簡単にはわからないようにやってくれる。終わったあと、換金するときに書類が出る点も同じ。

 一部新聞報道では、現金をチップに変えて、現金に戻すという資金洗浄がある、などと脳天気なことを書いているが、そんなものは簡単にバレる。カジノはそんなに甘いものではない。

マカオが現実にそう

 メカニズムとしてはわかるが、そんなこと本当にあるのか、ということだが、20世紀末に中国に返還されたマカオが実例としてあげられる。香港・マカオは、返還されても中国は50年間それらの自治を保障するようなことを言った。どうしてそんな特区を認めるのかというと、マカオで現に上のようなことが行われていたからだ。
 中国による香港やマカオへの介入に対してよく、民主化運動を弾圧するのか、などと西側のマスコミで報道されるが、マカオで何が行われているのかを多少でも知っていれば、そんな報道が誰によって作られているかもわかる。

 最近、習近平さんが皇帝になった、などとその強権的なやり口が批判されるが、実際マカオに対して統制を始めた結果、カジノの本場ラスベガスの二倍とも言われた賑わいが、ゴーストタウン化を心配するほど下火になったという。(宮崎正弘の国際ニュースより)

そこに日本が現れた

 新たな、特区という名の無法地帯がほしい人たちが目をつけたのが日本である。マカオにも進出していたラスベガスのカジノ業者は、日本の政治家のパーティー券を購入していた。早くマカオに代わる犯罪地帯を日本に作れ、ということかもしれない。西日本が豪雨に見まわれ、補正予算や対策が一番の問題になるときに、カジノ法をどうしてこんなに慌てて成立させようとするのか、多くの人が不思議に思うかもしれないが、よく考えればわかる話である。

もう何もかも腐る

 日本にカジノが出来た場合、怖いのは日本の一般市民がギャンブル依存になることでも何でもない。特区の壁に守られた犯罪都市が出現するということである。カジノは景気対策などにはならない。外国人は、カジノにだけやってきて、"仕事"が終わったらさっさと帰っていく。マカオでは丸一日もいないらしい。外国人観光客など来ない。世界最悪の客筋がその場所に集まるだけである。

 それだけではない。最近相続税が高くなっている。金持ちがふんだくられるのはいい気味だ、と思う人もいるかもしれないが、政権中枢にいる人なら、カジノに行けばよい。父親が不自然に負け、息子が不自然に勝つ。24時間で仕事は終わりだ。勝った息子から、儲けに対する税金を取ればいいではないか、とも思えるが、そこは特区である。税率をいくらにするか自由だし、場合によっては何年かはゼロにする方法もありうる。


 マズイのは、それを知っている奴がいるということである。カジノのディーラーは、誰がどの方法で資金洗浄をどれだけ行ったか、何もかも知っている。マカオの場合、大体がアメリカの業者である。日本の政治家に対して、アメリカが「オマエ、あれをバラされてもいいのか」とでも言えばどうなるか、誰にでもわかる。

 もう日本の未来は見えたようなものである。

 7月17日、日本とEUでEPA(経済連携協定)の合意が行われた。世界経済の3割を占める市場が、自由貿易(関税撤廃)に踏み出したということになる。

日本の消費者にとってのメリットは?

 例えば、フランス産のワイン一本(750ml)は、100円ほど安くなる。他にも、チーズやチョコレートなど10年位かかるとしても、10%ほどの関税が撤廃されていくという。

 小麦などの農産物も同様。

日本企業にとってのメリットは?

 自動車関税10%が即時撤廃され、他にもテレビなど、日本企業にとっては追い風となる。

日本の農業を含めてメリットはあるのか

 ツール・ド・フランスを見ていたら、沿道の景色が美しい。もちろんある程度はきれいなところを選んで放送しているだろうけれど。だが、人口などはごまかせない。地方であってもちゃんと地域社会が崩壊せずに、バランスよく国土が美しく保たれている。シャッター街など無縁に見える。

 どうしてそうなのかは明らかで、西欧先進諸国では農業に対する保護が徹底していて、農家の収入が1000万円だとすると、政府からの補助金が500万円から800万円くらいある。特にスイスは、平らな耕地など少ないから、その保護は桁外れに大きいらしい。それに対して日本は、160万円ほどらしい。

 その補助金は、それぞれの国が国土を美しく保つためだけなら別にいいのだが、農産物が輸出に回ることになると貿易相手国の農業を破壊する。アフリカや南アメリカはそれで国土が荒廃している。そういう国々も補助金を入れればいいではないか、とも思えるが、貧困な国(日本もそのひとつ、と考えるしかないだろう)では、そんな余裕はない。だから、自国農業の保護のために高率の関税をかける。インドなどでは100%以上の関税をかけて自国の農業を守っているという。さらにEUは補助金で保護すると同時に、平均18%の関税で自国産業を守る。日本は補助金が少ない上に、関税は平均して12%と、どの面から見ても保護されていない。だから、日本の地方都市はシャッター街ばかりになって、美しい国土などは夢のまた夢、その上森林や水田が手入れされないと、雨が降ったらとたんに災害が起こる。それを防ぐためにダムを作るが、ダムをつくること自体が本末転倒ともいえるし、災害時に放水するのであれば、一体なんのためにあるのか、という疑問もわく。

輸出で儲かるからいいじゃない?

 と思っていたら、必ずしもそうでもないかもしれない。日本車が売れる、と期待するのはいいが、すでに現地に工場はたくさんある(ポルトガル、スペイン、フランスなど)。すでに日本車が手に入りやすい環境があるとすれば、期待できるほどのメリットがあるのかどうか。その上、ヨーロッパでは、ディーゼルから電気への移行が図られており、どちらかというと現在も、そして今後も日本車の出番は少ない。

 テレビなども、液晶でもそうだし、今後伸びると期待される有機ELにしても、韓国どころか中国にも負けつつある。

 結局、今回の合意は、EUにとってのメリットは大きいが、日本にとっては、国土の荒廃を招くだけの、とんでもない合意となってしまうおそれがある。

自由貿易は常に善といえるのか

 ニュースをみていると、自由貿易が正しく、それを妨害するのは一時代前の重商主義であるかのように攻撃を加えることが多い。だが、自由貿易をそれ自体として目的化しても、もしそれが国土の荒廃や災害をもたらすのであれば、政治の役割は、まず何よりも国民と国土を守ることでなければならない。

 EUだけでなく、北朝鮮も、韓国も、アメリカも、政治家たちは本当に賢い。優秀なスタッフを揃えて外交をしている。

 日本は、自由貿易で一致した、などと手放しで喜んでいたら、ひどい目に会うかもしれない。

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