「時代の証言者」

 4月もあっという間に最終週。県政活動報告を出したので、有権者の方々から色んな反応をいただきます。今週は政策提案、陳情、警察関係に関するご相談、県の工事の進め方に関するクレーム、応援のメッセージ・・・。日頃は忙しさにかまけてしまって、現場の声を聴くことが疎かになってしまいますが、いい機会をいただいたと喜んでいます。

 

さて、読売新聞で各界の著名人が自らの人生や時代背景を語る「時代の証言者」という連載がなされています。先月の20日からは二階俊博先生の連載。

 

ちょうど先週くらいから今週にかけては、私が大学に入って政治に傾注していった頃から政党の職員、二階先生の秘書になり、辞職し、町議に、その後浪人を経て町長になるまでの15年くらいのことが書かれていたので、当時のことを懐かしく思い返し、時の流れの早いことや自分が描いた以上に政治が進まなかった現実を噛みしめています。

 

この連載を読み進む中で、連載の一回目にポイントが書かれているように思います。【私は、田中(角栄)先生を師だと思っています。「政治は一人ではできない」と教えてくれました。どんなに優れた人でも一人の力には限界がある。大勢の人の協力がなければ政治を動かせない。「以和為貴(和を以て貴しとなす)」という言葉に政治の基本が示されています。】

 

またこんなことも書かれています。

 

【生成AISNSの影響で社会の分断、民主主義の危機ともいわれていますが、選挙とはよく考えられたものです。衆議院なら小選挙区と比例区で一票ずつ。どなたでも平等に一つの選挙で一票を投じて結果が決まる。だから後輩たちには、「現場に解あり」と伝えたい。有権者と直接ふれあい、声を聴くことを繰り返す。偽情報、フェイクニュースがあっても、真実を有権者に判断してもらうことになり、政治家もすべきことが見えてくる。民主主義、選挙の基本を大事にしてもらいたい。】

 

昨年に放送されたNHKスペシャルではこんなことも話されていました。「自民党というか、政治というか、いずれにしても古い政治だよね、置いていかれちゃうよね。根性改めてね、時代の流れに負けないようにしていかなきゃいけない」

 

 先週の岸本知事の言葉や先輩議員の言葉も上記の言葉と重なってきます。自民党がこれだけ叩かれてもなお支持率でトップであることの要因も、一方で下がってきている原因もこのあたりにあるように思います。

 文化がマイナーチェンジを繰り返しながら生き残っていくように、政治も自民党も前に進むためにも、古きを温めながらも変わらなければならないところは変わることの必要性を感じつつ、読み続けています。

 4月第3週。52回目の誕生日を迎えました。SNSなどを通じて多くのお祝いのメッセージをいただきましたこと、心より御礼申し上げます。ただ、一方で悲しいこともありました。ちょうど誕生日である17日に岸本知事をお送りすることになるとは・・・。

 

 知事との出会いは約20年前。トヨタにおられる時。地元のビジネスクラブに講演に来られたのが最初でした。トヨタの「カイゼン(改善)」についての話であったと思います。非常に理路整然と話をされている、というのが第一印象でした。

 

 その後もご縁をいただき、町長選挙に落選した後、マカオと日本との直行便を飛ばすべく奔走していた時や税務関係で私の支持者がトラブルを抱えていた時には、親身になって対応していただきました。

 

 そんなこともあって知事選の候補者選定の際には、党内の大半が他党出身の岸本さんではダメだという雰囲気の中にあっても、岸本さんを知事にすることの必要性を先輩・同僚に訴えてきました。

 

 知事になられてからも、余り知事与党の風は吹かせたくないし、議員が首長の部屋に度々出入りするのは経験上良くないと思い、知事室に行くことは極力控えましたが、伺った際には、特に選挙のことを中心に多方面にわたり、「岸本節」をご高説いただきました。

 

 また、飲み会の席においては、普段よりさらに砕け人間味を出してくれるところも、多くの方から「周平さん」と言われた所以だと思っています。

 

 議場における意見の相違については、同じ県政を思う者として議論することもありましたが、今思い返すと微笑んでしまいます。それだけ、私自身知事に対して敬意を持っていたのだと思いますし、知事も同じ土壌で接してくれていたのではと感じています。

 

 今回の出来事は、誰もが想像し得なかったことでしょうが、政治に停滞は許されません。知事の想いを遂げるためにも、次の知事候補は誰がいいのか?今は党内で調整を急いでいるところです。

 

 世は無常。でも、周平さんが県政に残してくれた足跡は永遠だと思います。しっかり、遺志を継いで、和歌山県を前に進めていかなければならない。そんな思いを強くしています。

 

岸本知事、ありがとうございました。どうか安らかにお眠りください。

4月第2週。入学の時期。警察学校や看護学校の入学式に出席、あと党のオンライン会議などに参加しています。

 

さて、息子も新生活をスタートさせました。大学に入る前にも相当な出捐をしましたが、入ってからも大変。一応FPなので頭では収支イメージできていても、現実となると大変なことだと痛感させられます。

 

また、自分の学生の頃を思い返しました。毎月20万の仕送りを4年間。両親は大変だっただろうなと、同じ境遇になって認識するとともに、さらに教科書代とか研修に行くとか屁理屈を言って追加で仕送りを貰ったことを思い返すと、申し訳ないというか苦笑するというか・・・。

 

多分(そうではない)、と両親もわかったうえで、せっせと仕送りしてくれたんだと、今の息子の「お金送って」コールを受けると感じます(笑)

 

 ところで、息子の受験前、塾の先生に受験する大学の数について「都会の子供たちは大学・学部を分けると平均10~20程度受験します。それは、合格確率が上がるからです」と言われたことを思い出しました。

 

確かにそうだと思います。勿論、事前の対策は必要なものの、問題の相性なんかもあるので、数を受けるのは悪いことではないと思います。ただ、これには受験料がかかります。また、和歌山から県外に遠征となると交通費や滞在費も必要になります。でも、都会の家庭では、自宅から通えますからそこまでの出費はありません。

 

そういった傾向は大学に入ってからも続きます。都会の家庭では授業料を支払えば、月/約20万円下宿のための費用を出す必要もありません。20万円×12か月×4年=960万円。さらに大学院などになるとさらにその経費は嵩みます。4年間の移動にかかる費用も結構掛かります。これを、この時期に資産運用できたなら、老後はそんなに心配いらないように思えますし、ライフプランも積極的に描けるとも思えます。一方で下宿など必要のない都会ではそれが可能です。

 

で、結果はどうかというと田舎出身の勉強した子供たちは都会の賃金のいい企業などに就職したりします。そこで税を納め消費に貢献します。このループが続いている間は、地方は疲弊していくのは誰の目から見ても明らかです。

 

なので、地方には「地方交付税」が配分されているのですが、大学や高校授業料の実質無償化、保育料の無償化の拡充、修学旅行への過度な公費支出など最近の東京や大阪の動きを見ていると、勿論、努力もされているんだろうけど、うーん?と首を傾げたくなります。

 

 現状、交付税の不交付団体は都道府県では東京都、その他にも都会やその周辺の市区町村を合わせると83団体あるようです。

 

国が使う以上のお金を一旦国が税という形で吸い上げて、地方に配るという、補助金や地方交付税の考え方には違和感を覚えるのですが、地方間で格差が偏在している中で、現実問題として是正する必要はあります。

 

偏在を埋めるようにふるさと納税で頑張っているようなところのやる気なんかは削がないように、不交付団体のところからはマイナス調整があってもいいんじゃないか?複雑な交付税の算定の再調整も必要じゃないか?勿論、交付税があるからと頑張らない、頑張れない自治体は合併させていく必要もあるよなあ。

 

息子の仕送り用に使っている通帳を見ながら、そんなことを考えています。

 

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