三津ヶ浜のげんたろう (その2)

ぷうと云って汽船がとまると、艀が岸を離れて、漕ぎ寄せてきた。船頭は真っ裸に赤ふんどしをしめてゐる。野蛮な所だ。

カテゴリ:今治(陸地部) > 大西

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 今日、今治から帰りがけに見た夕日です。
旧大西町の星の浦海浜公園の近くで写しました。
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 来島海峡大橋を見に行っていたのですよね。
我が家から来島海峡大橋まで約1時間。
思いついたら、すぐに行けますよね!(^^)!。
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 今日は、このバイク(FTR223)で行ってきました。
ポンコツですが、乗りやすいバイクですね!(^^)!。

 今年の春(3月29日)に写してきたものである。
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 旧大西町(現今治市)の星浦にある。
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 駐車場である。この日は、このバイク(125cc)で・・・。
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 公園内には、このようなものも・・・。
コンセプトは、星が空から降ってきた、だそうである。
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 その脇には新来島どっくから寄贈されたプロペラ2基も・・・。
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 浜のほうへ降りてみた。目の前には斎灘。そう、瀬戸内海である。
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 南~西~北の順に目の前の海を見たものである。
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 北のほうには新来島ドックが・・・。
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 砂浜である。・・・。
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 ふれあいの海辺。そう、みんな砂浜である。大切にしたいものである。

 今年の春(3月29日)に撮影したものである。
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 旧大西町にある星の浦海浜公園前にある。2つのバス停が並ぶ。
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 せとうちバスのバス停である。今治と菊間を結ぶ路線の停留所である。
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 こちら、いずみ観光バスが運行する空港リムジンバスのバス停である。
今治市内と松山空港を結ぶリムジンバスである。
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 停留所の前の道路である。この道路は国道196号線である。
松山方面を見たものである。
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 同じく、今治方面を見たものである。

 10月30日撮影。
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 旧大西町にある旧庄屋井出家の敷地にある。
大きなクスノキである。
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 樹齢350年以上のクスノキだそうだ。
江戸時代から、ずっと、ここで、この町の様子を見てきているのであろう。
この町は、どのように変化してきたのであろうか。
このクスノキに尋ねてみたいものである。

 10月30日撮影。
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 旧大西町の大西駅近くにある旧大庄屋井出家である。
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 表の道路から見たものである。
門の脇には大西町市段階による説明板が設置されていた。
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 屋根の上にある天水瓶である。説明板によれば防火用だったそうだ。
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 無断であるが、敷地左側から入れるようになっていたので・・・。
建物全体は、こういう感じであった。
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 旧大庄屋井出家の前の道路である。県道である。
今治方面を見たものである。
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 同じく、星浦方面を見たものである。

 10月30日撮影。
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 大西駅の駅舎である。旧大西町(現今治市)にある。
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 駅舎の中に入ってみた。この駅は無人駅である。
この駅に特急列車は停車しない。停車するのは普通列車のみである。
先日、私は、この駅から乗車した。三津浜駅までの運賃は660円だった。
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 ホームへ出てみた。
今治方面で隣の駅は波方駅、松山方面で隣の駅は伊予亀岡駅である。
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 駅には歩道橋(跨線橋)が設置されている。
向かいのホームだけでなく線路の向こう側にも行けるようになっていた。
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 歩道橋の上から、今治方面を見たものである。
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 同じく、松山方面を見たものである。
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 同じく歩道橋の上から海側を見たものである。
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 海側には新来島ドック関係の施設が目立つ。
鉄筋コンクリートの集合住宅も、新来島ドックも社宅や寮のようである。
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 同じく、山側を見たものである。この写真ではわからないが、
大西駅あたり(山側)が昔からの町場であったようだ。
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 歩道橋上で写真を撮って、歩道橋を下りる時に気が付いたものである。
タクシーの案内板が建てられていた。
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 駅舎の前から正面を写したものである。
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 駐輪場のところには、大西町の案内地図が建てられていた。
こういう地図は、他所から来た人にとってはありがたいものだ、と思う。
 
 ところで、先日、大西町の広域農道のループのところで、
私の原付バイクが動かなくなった。ここ大西駅まで歩いて押してきて、
この駐輪場にバイクを置かせてもらって、電車で家へ帰った。
バイクは、翌日に義兄が車を出してくれて、我が家まで運んでもらった。
そう、大西駅は私にとっては忘れられない駅の一つになったようにも思う。
    関連記事    兄ちゃん、ありがとう!!

 10月25日撮影。
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 大西から波方・波止浜へ向かう県道沿いにある。
金比羅神社と本龍院が並んで建っている。
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 こちら、金毘羅神社である。
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 そして、本龍院である。
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 前の道路である。県道である。波方・波止浜方面を見たものである。
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 向かいの田んぼを見たものである。
電線が見えているが、この下には線路が走っている。JR予讃線である。
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 大西駅・星浦方面を見たものである。

 10月25日撮影。
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 大西町を流れる品部川の河口部分である。
左岸側に黄色いポールが建っていた。これは、いったい何???
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 右岸側を見たものである。
沖には小さな島(岩礁)が・・・。
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 河口部左岸側は砂浜になっている。
砂浜の向こうには造船所(新来島ドック)が・・・。
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 河口の砂浜の内側には漁船が係留されていた。
昔ながらの漁港という感じである。
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 砂浜の上(浜提)から、品部川上流を見たものである。
左岸側が造船所(新来島ドック)である。

 10月25日撮影。
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 新来島ドックの前を通ったので、ちょこっと道路から写真を写してきました。
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 海のほうからドック入りしている船も写してきました。
(旧)大西町と聞けば、私は、この造船所がパッと頭に浮かびますね~。
 
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 以下、追加である。
昨日(10月30日)、星の浦海浜公園から写したものである。
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 10月25日撮影。
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 旧大西町にあるサークルKです。国道196号線から
玉川のほうへ向かう県道の分岐点の角のところになります。
この日、私は、ここでコーヒーを飲んで一服しました!(^^)!。
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 お店のまわりの景色です。稲刈りに終わった田んぼが広がっていました。
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 お店の前に設置されているベンチに腰掛けて写したものです。
国道196号線の向こうにはクレーンがいっぱい。
このクレーンのあるところが、新来島ドックになりますね~。

 10月25日撮影。
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 旧大西町にある星浦公民館である。
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 敷地には建物が2棟建っている。手前側の建物が公民館である。
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 奥にある建物は、お寺さんである。僧都山成道寺である。
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 成道寺は野間郡八十八ヶ所の札所の一つになっているそうである。
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 公民館(お寺)の敷地から道路のほうを見たものである。

 10月25日撮影。
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 旧大西町(現今治市)の星浦にある。
越智岩太郎は、江戸時代末期に有木池を建設した人だそうである。
 ところで、有木池は、どこにあるのだろうか?
一度、見に行ってみたいものである。
    関連記事   菅金助君碑
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 碑の前の道路である。山のほうを見たものである。
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 同じく、海のほうを見たものである。

 10月24日撮影。
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 碇掛天満宮の入口である。
大きな鳥居の脇には説明板が建てられていた。
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 石段を上がって行くと、碇掛天満宮の社殿である。
けっこう距離はあると思う。
私は車道のほうを原付バイクで上がっていった。
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 拝殿及び本殿である。拝殿の扁額には碇掛天満宮と書かれていた。
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 境内には牛の像が・・・。台の部分に説明も書かれていた。
頭を撫でると撫でた人に知恵がつくとか・・・。
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 境内に置かれてある錨である。
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 このような碇も・・・。この錨の横には社が・・・。
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錨の横の社は保志﨑神社と御先神社が合祀されているようであった。

 10月24日撮影。
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 碇掛天満宮の下の鳥居のところにある。
菅金助氏は、有木池の復旧などに尽力した人だそうだ。
ここ星浦地区にとっては、いつまでも忘れてはならない人なのであろう。
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 この碑のところから見たものである。
稲刈りの終わった田んぼが・・・。
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 この碑の下のところにJRの踏切がある。
ちょうど列車が走ってきたので写しておいた。

 10月24日撮影。
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 国道196号線沿いにある。碇掛天満宮への入口のところである。
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 簡単な説明板が設置されていた。
もしかしたら、あまり詳しいことはわからないのかも・・・。
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 五郎兵衛大師の前から、国道196号線今治方面を見たものである。
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 同じく、松山方面を見たものである。

 10月24日撮影。
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 国道196号線を松山から今治方面へ向かっていて、
旧菊間町から旧大西町に入ってすぐのところ、左手にある。
神社の社殿は小高い山(丘)の上に建てられている。
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 上り口のところの鳥居である。
この鳥居の脇(右)に説明板も設置されていた。ありたいことである。
 鳥居をくぐり、歩いて石段を上がって行くのが普通だと思うが、
私は脚(足)に不安がある。したがって、石段の左にある車道を
バイクで上がって行った。もし、車道がなければ、社殿まで私は
上がって行かなかったのではないかとも思う。脚の悪い人やお年寄り
にとって車道があるということは、助かるというかありがたいことだと思う。
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 拝殿である。扁額には大山八幡大神と書かれていた。
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 社殿の後ろにある本殿である。
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 拝殿の手前、拝殿に向かって右手にある境内社である。
天照皇大神と大国主大神が祀られているそうだ。
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 拝殿の左手にある境内社(?)である。
ここには、いったい何が祀られているのだろうか?
私には、わからなかった。

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 JRの普通列車の車内で撮ったものです。ヘルメットの上で移しました。
昨日は、バイクのエンジンが突然止まっちゃって・・・。
バイクを大西駅の駐輪場に止めて、電車(JR)で帰ってきました。
その時に電車の車内で車掌さんから購入した切符です。
 
 大西駅から三津浜駅まで660円でした。
乗車時間は1時間弱くらいだったと思います。
JRも普段乗りませんので、たまには良いものですよね。
ただ日が暮れていましたので景色は楽しめませんでしたけどね~。
そうそう、バイクで走るよりかは電車のほうが断然楽だ、と思いましたね(笑)。

 昨日撮影したものです。
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 大西から玉川へ向かう県道沿い近くにあります。
坂になる手前あたりの左手ですね。
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 パッと見た目、普通のお地蔵さんなのですが、御堂の名前が・・・。
なるほど・・・!(@_@)!
 
 ところで、このお地蔵さんがここにあることを、私は知りませんでした。
昨日は原付バイクが走行中に突然エンジンが止まっちゃって・・・。
仕方なく、バイクを押して歩いていて、このお地蔵さま(十天堂)に
出会いました。もしかして神様に導かれたのかもぅ~!(^^)!。
 
 バイクですかぁ?エンジンが掛からないので大西駅の駐輪場に
置いて、電車(JR)で帰宅しました。今日、修理道具を持って、
大西駅へ行き、バイクを整備したいと思っています。
はてさて、直りますかね~???
 
 そうそう、バイクが止まったのが広域農道のループのところでした。
ですので、バイクを押して、けっこうな距離を歩きましたね~(笑)。

 昨年の11月8日に撮影したものです。
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 旧大西町(現今治市)の海岸公園です。
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 水上スキーというのでしょうか?
マリンスポーツを楽しんでいる人がいましたね~。
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 砂浜の背後は公園として整備されていました。
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 瀬戸内海・・・。そう、国立公園・・・。

 8月10日撮影。

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 大西から玉川へ抜ける道の峠のてっぺんである。
この峠が平成の大合併以前の大西町と玉川町の町境になる。
大西町・玉川町、今は共に今治市である。
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 峠の頂部から旧玉川町のほうを見たものである。
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 同じく、旧大西町のほうを見たものである。
 
 この道路は県道である。
正式には県道163号線(鈍川伊予大井線)というそうだ。

 ところで、この峠には名前はないのであろうか???

 8月10日撮影。
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 大西から玉川へ抜ける県道での峠(旧町境)のところである。
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 峠の大西側には、このような道しるべが・・・。
ここから歩いて重茂城跡へ行けるのだと思う。
今回、私は歩いていない。またの機会である。
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 峠の玉川側には、このような立札が・・・。
車両は入れないが、歩いてなら、こちらからも行けるのだと思う。
 
 重茂城は築城年代はわかっていないようであるが、
天正年間(1573~1598)に河野家の家臣の岡部十郎国道が
居城していた、とのことである。城は秀吉の四国征伐の際に、
小早川隆景に攻め落とされたとか・・・。

 一昨日に撮影したものです。

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 大西から玉川に抜ける道を原付バイクで走っていたら・・・。
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 峠への上り道のところで、このようなものが目に入ったので・・・。
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 バイクを止めて、このような坂道を降りてみました。
 
 小屋のところを左に曲がると(道なりです。)・・・。
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 道は石段となり、そのまま上がってゆくと・・・。
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 お堂がありました。はい。「明堂さん」です。
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 お堂には額が2つ掲げられていました。
どちらも明堂菩薩と書かれていました。 
 
 このお堂は、1338年に亡くなられた尊真親王の冥福を祈って
建立されたものとのことです。1338年は後醍醐天皇による
建武の新政が倒れて、足利尊氏による室町幕府が開かれた年
だったのではなかったでしょうか。この後、南北朝の動乱が
しばらく続きました。当時の伊予国、特に河野氏の治めていた
高縄半島一帯は、どのような状況だったのでしょうかね???
 
 お堂を見ながら私は、そんなことも思い起こさせてもらっていました。
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 境内には、その他、小さなお堂もありました。
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 お百度石には温泉郡睦野村の文字がありました。
 
 睦野村とは忽那諸島の睦月島・野忽那島にあたるのでしょうか?
忽那諸島を治めていた忽那水軍も南朝方として知られています。
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 境内及び、その近くから玉川へ抜ける峠道(県道)を見たものです。
この道を上がっていったところ、峠の頂上付近に重茂山城跡があります。

 昨日撮影。
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 菊間から今治へ向かう広域農道である。この先急カーブ。
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 急カーブだけでなく急な下り坂でもある。
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 道路は左へ曲がり、そして・・・。
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 道路の下をトンネルでくぐり・・・。
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 そして真っ直ぐに・・・。
 
 ここでは急に高度を下げる地形に対してループで対応したのであろう。
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 下り坂(今治方面に向かっている)でのトンメル入口である。
トンネルの上は道路である。
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 トンネルの出口である。
トンネルには何も書かれていなかった。
ということは、トンネルの扱いではないのではなかろうか。
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 近くにはユリの花が咲いていた。

 本日撮影。
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 菊間から今治へ向かって、広域農道を原付バイクで走っていると、
こんなものが目に入ったので・・・。せっかくだから、登ってみた。
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 この案内看板のところから今治方面を見たものである。
この道が広域農道である。
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 同じく菊間方面を見たものである。
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 案内看板通りに、広域農道の脇の坂道を・・・。
広域農道から600mだそうである。私は原付バイクで登ったが、
歩いても、それほどかからない、と思う。
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 坂を少し上がったところから見たものである。
広域農道、今治方面である。
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 同じく、菊間方面である。
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 途中分かれ道のところには、このような道しるべが・・・。
道に迷うことはまずない、と思う。
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 道しるべの近くから山のほうを見たものである。
ここは高縄半島である。花崗岩質の山である。
山の削られているところでは「真砂土」を採取しているのであろう。
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 同じく道しるべの近くから海のほうを見たものである。
私も良くはわからないが遠くに浮かんでいる島々は、広島県呉沖の
蒲刈諸島ではないかと思う(違っていたらごめんなさい。)。
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 山頂手前の駐車場である。トイレも設置されているので安心。
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 話は逸れるが、止めたバイクのすぐ後ろにキノコが生えていた。
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 駐車場から山頂までは、すぐである。
登り口には、このような説明板が設置されていた。
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 てこてこ歩いて行くと・・・。あっという間に山頂である。
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 標高は127.6m。三角点のある山である。
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 展望所として、すっきり整備されていた。
登ってきて良かった。そんなことを思いながら・・・。
 
 360℃の展望がきく。以下、西から北~東~南の順に・・・。
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 けっして高い山ではないが展望は素晴らしいではないか!!
 
 ところで、昔の若いものは、こういう場所に集いて遊んで語って・・・。
昔は、村のしきたりや付き合いの仕方など、また仕事や人生のこと
などを、こういう形で学んでいたのであろう。それに比べ今の世は・・・。

 10月11日撮影。
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 今治から菊間に至る広域農道沿いに広域農道の案内看板があった。
「で愛、ふれ愛ロード」というのは、この広域農道の愛称だそうである。
この看板簿場所、私も良くはわからないのであるが、
ここは旧大西町の山之内というところではなかろうか。
ここから菊間方面へ行くと、すぐにループの坂を上がるようになる。
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 看板の前から今治方面を見たものである。
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 同じく菊間方面を見たものである。
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 看板のすぐそばに石碑も建てられていた。
この道路は平成15年度に完成したようである。
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 ところで、この広域農道沿いには真砂土採取場が多いみたいである。
何となく松山市の伊台や五明あたりのような感じがした。

 旧大西町(現今治市大西町)の新町にあります。

大西駅の近くです。

「火よけのお地蔵さん」とか「古寺のお地蔵さん」とか

呼ばれているそうです。

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 藩政期にはこのお地蔵さんのところは、

松山藩の処刑場だったそうです。

貞享年間(1684~1688年)に、

凶作にあえぐ農民の生活を思い、

年貢の軽減を直訴した、この地区の庄屋さんも、

ここで斬首・さらし首に処されたそうです。

 今とは違います。江戸時代のこと、

お上の言うことには、逆らえない時代だったのでしょう。

しかし農民たちは、命を懸けて直訴したこの庄屋さんを称え、

ひそかにお地蔵さんを祀り、弔ったそうです。

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 お地蔵さんは今日まで残り、

お話も今日まで語り継がれています。

この庄屋さんの行動が、正しかったから

なのではないでしょうか。

           

 時の権力の法律は、守らねばならないものでしょう。

しかし、時と場合です。

人としての正しい生き方、というものもあるでしょう。

 権力の法律というものには、

時代的制約のあるものがあります。

ここのお話とて今の時代で考えれば、

とても残酷なことでしょう。

人としての正しい生き方というものは、

一つの時代だけでなく、

時を越えて通ずるものなのではないのでしょうか。

                

 では、どのようなものが、人としての正しい生き方なのか。

     基礎的なことから考え、やってゆくこと、

     共に働き、働くものの立場で、ものを考え生きること、

このあたりが、基本的なことではないのでしょうか。

     自分以外の人やものを思いやる、

ということなども、この中に入ってくるのではないでしょうか。


 大西の九王にある地蔵堂である。

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 1721年(享保6)に建立されたようである。

享保の大飢饉が1732年(享保17)なので、

それより10年ほど前になる。

 当時、お地蔵さまのお堂を建てる、では

藩の許可が下りなかったようである。

そこで、お葬式の焼香場で申請、知恵である。

                         

 説明板によれば、ここ旧大西町九王は、

今治藩領ではなく、松山藩領だったようである。

私は、大西町は平成の大合併まで越智郡だったので、

今治藩領だと思っていた。いままで知らなかった。

                    

 なお、九王の龍神社などで行われている継獅子は、

松山地方では見られないものである。

県内では、今治地方独特の伝統芸能である。

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 入り口のところの塀の上に、座っていた。

菊間瓦で、できているのであろうか。


 旧大西町の九王の海岸にある。

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 龍神社の立看板にさそわれて入ってみると、

そこは海岸。弓状の砂浜。

海上の鳥居に導かれ、左に進路をとった。

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 海岸沿いの狭い道の行き止まりに、龍神社があった。

1991年(平成3)9月の台風にて、

神社の建物が流されたそうである。

再建されたのは、1993年(平成5)のようである。

                 

 岬の先端などに多い龍神社などの海の神様が、

嵐のときに流されてしまうのは、

ある意味、宿命なのかもしれない。

 ふるさとの海に帰る。ふるさとの海で眠りたい。

                      

 海の族の血、安住の地は、いったいどこになるのだろうか。

瀬戸内の海の族、ふるさとは、いったいどこだったのだろうか。

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