三津ヶ浜のげんたろう (その2)

ぷうと云って汽船がとまると、艀が岸を離れて、漕ぎ寄せてきた。船頭は真っ裸に赤ふんどしをしめてゐる。野蛮な所だ。

カテゴリ:本と雑誌 > 学ぶ心(本)

 注文していた本が届いたので・・・。

左が日本語版、右が英語版。内容は同じ。91f46be1.jpg

   「地球の歴史(地球微膨張説による)」

   星野通平 著  2014年6月30日

   発行所  「地球の歴史」刊行会

   発行所  イー・ジー・サービス
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 購入前に新刊案内として届いたものである。

本文からの抜粋と目次である。

 

 さて、専門用語が多く読みづらいのであるが、

ボチボチと読んでみようか。・・・。

英語版は・・・。私は英語は読めないのだが、

まあ・・・、困った。積読(つんどく)だな!(笑)!




 井尻正二 編 「詩人吉田一穂の世界」



築地書館1975年 より抜粋



   (P140~141)



 海 というテーマでの対談である。



井尻正二氏と星野通平氏と吉田一穂氏の3人でである。



そのうちの、吉田一穂氏が話している部分である。



   ~~~~~~~~~~



    (前略)



 芸術は、俺からいわせると、--何かといわせると、構成だっていうんだ。構成というものはどういうもんだ、ということは、幾通りにも説明できるけれど、・・・・・・ものを思想的にこさえて、作りかえることだ。作りかえることが、むずかしいって言うんだナ。だから必要なのは、思想だって言うんだ。日本人は、思想がないですよ。だから、構成など何だ、と言うバカな奴も出てくる。その時その時の思いつきだとかでやっているものは、断片的なもので駄目だ。奴等は俺から見れば、子供みたいなものだよ。めずらしいものだって言われると、子供同士のなかで、--それが面白いなんていわれると、いい気になっているかもしれないけど、冗談じゃない。高度なものじゃない。



 俺も長い間、童話を書いたり童謡を書いたりしてきたけれど、日本の今までのような当たり前のことをいっている、北原白秋のようなあんなバカバカしい、つまり情緒的なことじゃ、駄目だって言うんだ。どこに弁証法的構造が、あるかって言うんだ。日本人の書いたものは、阿呆だっていうんですよ。日本の童話だとかそういうものはみんな、ごく初歩の因果律も書けないでいる。いわんや弁証法なんてものは、わかるどころじゃない。「弁証法ってなんですか」なんて聞かれる。頼まれたから、俺のお伽噺の例を言ってやった。それを井尻君がうまく書いてくれた。



     (中略)



 山の中に、一本の杉の木があった。だんだん成長したら、枝に鳥がきて、海の話をした。杉の木は、海って何だろう、見たいな、と思った。そのうちだんだん大きくなったら、遂に海が見えるようになった。あれが海だな、と思った。--日本の童話では、色々情緒的な修飾がついてて、ここで終わるんだ。俺のお伽噺では、--ある日、樵が来て、その杉の木を切った。杉の木はマストとなり、船になった。そして海に出ていくとなるんだ。杉の木は切られて死んだんだよって。否定されたんだ。それがマストになって、海の中に出てったってことはどういうことなんだ。全然違った生活がでてくるじゃないか。こういう弁証法を使った童話が日本にあるか、なかったじゃないか、と言うんだ。



     (後略)



  ~~~~~~~~~



 本文中の井尻君(井尻正二氏)がうまく書いたという文章は、



井尻正二「化石のつぶやき」



共立出版1972年に載っている。(P231~P233)



「  」の中に吉田一穂氏が話しているかたちで書いている。



以下、抜粋。



   ~~~~~~~~~



 近ごろ「お山の杉の木」(架空の題)とかなんとかいう童話が評判になっているが、読んでみたらまったく素人の作品であった。



 その話は、ある山に一本の杉の苗木がはえていた。杉の木はやさしい日の光にはぐくまれ、風や小鳥と対話をしながら、だんだん大きくなっていった。そしてある日、杉の木は遠くに青い海を見ることができた。杉の木は丈夫で大きくなったおかげで、海を見ることができた、といってよろこんだ、とかなんとかいう話だが、そんなことはどうでもいい。



 だから素人(の芸術)は困るっていうんだ。



 俺が童話を書くなら、こうはしない。前段はどうでもいい。ちょっとロマンチックでさえあれば、あんなことは誰にでも書けるからな。



 いいか、ある日、杉の木に渡り鳥がきてとまって、杉の木に海の話をしてきかせた、というところからはじまるんだ。



 海の話を聞いた杉の木は、海ってどんなところだろう、海へ行ってみたいな、と思ったが、この希望は永遠の夢におわるよりほかはなかった。



 ところがある日、山の麓から一人の木こりがやってきて、杉の木を根元からぶった切ってしまった。



 どうだ、杉の木はぶった切られたんだぞ。これでは海は見られなくなるし、なんて残酷な筋だろう、と思うだろう。そうじゃないんだ。



 ぶった切られた杉の木は、枝をはらわれ、皮をはがれ、やがて山から町へおろされて、船のマストにされたんだ。



 どうだ、船のマストだぞ。こうして杉の木はあこがれの海へ行き、世界中の海を見てまわることができました、とするんだ。



 杉の木は死ぬことによって生きるんだ。こうした否定のない芸術は、やはり素人の作品で、芸術などといえたしろものではない。芸術とはこういうもんだ。



 どうだ。わかったか。



   ~~~~~~~~~



星野通平著「反プレートテクトニクス論」 



イー・ジー・サービス出版部 2010年8月 より抜粋。



Ⅳプレート説流行の背景 4否定的精神 4-ⅰ10年の遅れ



   (P188 ~ P189)



    ~~~~~~~~~~~



 わが国のプレート説の受け入れは、米国あるいはヨーロッパの国ぐににくらべて、10年おくれた、と上田誠也は述べている。そしてこのおくれは、第二次世界大戦後設立された、“地学団体研究会”の存在が影響し、とくにその指導者の井尻正二のカリスマ性が色濃く影をおとしている、と指摘している。



 地学団体研究会は、戦前の日本地質学の非民主的な運営をあらため、創造的な研究、科学の普及、研究条件の向上を旗じるしに、多くの地質研究者の力をあわせた団体研究によって、研究の発展を志した人たちの集まりである。



 このような大学の枠をこえた若い研究者の集まりは、第二次世界大戦後の民主化の世相の中で、急速に会員をふやしていった。しかし一方では、年代の古い人たちには、とかく敬遠されがちな存在だった。



 1960年代のプレート誕生の時代は、わが国の各大学では、安保闘争から学園紛争の激動の時代だった。1970年代はじめ学園紛争は終わりをつげ、文部省の大学諸制度に対する規制はしだいに強まっていった。文部省の意向をそのまま受け入れた大学がつくられたり、大学自治を旗じるしにした教授会の権限は、しだいに縮小されていった。都道府県の教育委員会の多くは、上の指示を下に伝えるだけの組織になっていった。文部省の検定を必要とする教科書に、プレート説が採用されるようになった。



 このような時代の流れのもとに、機を見るに敏な人は、すすんでこの流れにのって、泳いでいった。多くの人は、流れに身をまかせて流されていった。流れにさからった人は溺れていった。このようなことは、地球科学の研究者だけではなかった。政界でも経済界でも、安保闘争・学園紛争の波をかぶった人たちが、多くはこの流れにのっていった。その流れはわが国をおおう米国主導の方向をもっていた。



 わが国のプレート説の流行が、地質学の世界で立ちおくれたのは、地学団体研究会のためではない、と私は思っている。それは、1970年代の流れの先頭をきっていた人たちが、権力をにぎるまでに要した時間だったのではなかろうか。



 いまや、この世の中はプレート説花ざかりで、教員公募に名のりをあげた研究者が、プレート説にあわない論文を発表している、として選考からもれた話をきいた。私は現役時代、考えの違う人、分野が異なる人たちの研究集会を何回か主催し、その成果を出版して、お互いの切磋琢磨をはかってきた。たぶん、魔女狩りのような異端追放の風潮に、明るい未来はないだろう。



  ~~~~~~~~~~~



 「反プレートテクトニクス論」といっしょに

注文した本である。

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  『星野学説』に学ぶ~地球の微膨張説~

佐藤久夫 偏著  イー・ジー・サービス出版部

        2009年8月

            

 以下、あとがきより抜粋  P222

  ~~~~~~~~~~~~~   

 私は、”プレートという着想を実証段階をへずに

法則・真理としている”現在の風潮に疑問を

投げかけるものである。「科学の方法は、ひとつひとつの

素材を分析し、その結論を組み立てていくことである。

・・・・地球の自然に密着し、先人の業績を土台にして、

素材の分析から法則の樹立まで、地道な努力を

続けることが、輝かしい地質学の未来を約束する」

(『膨らむ地球』)という著者の方法論を支持する。

”仮説”は科学者の命であり、仮説にこそ、新たな

定説の可能性を含んでいる。自分の仮説をもたずに、

プレートという仮説を鵜呑みにしている現況に対し、

多くの地質家がそれぞれの仮説をもって討論し、

”地球の真実”に迫る研究・仕事が少しでも

進展することを願うものである。

  ~~~~~~~~~~~~~

               

 このブログを書いている私は、研究者でも

何でもないが、同じような思いを持っている。

 地質の世界だけでなく、同じような風潮は、

他の学問分野でもあるのではないのだろうか。

そんなふうにも、私は思ったりするのであるが。


 先日、注文した本が届いた。

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反プレートテクトニクス論  星野通平 著 2010年8月

発行者 「反プレートテクトニクス論」刊行会(代表 佐藤武)

発行所 イー・ジー・サービス出版部(佐藤久夫)

        

 まだ読んでいないどころか、開けてもいない。

だから、帯の裏に書かれていることを紹介しておく。


     ~~~~~~~~~~

      

 海嶺は、プレートの湧き出し口でなく、原生代末期の

造山帯である。

     

 海溝は潜り込みの場でなく、大陸と縁辺海膨の隆起から

とり残された溝であり、不動の場である。

   

 生物地理を最も合理的に説明できるのは、

大陸標移説でなく、陸橋説である。

      

     ~~~~~~~~~~


 新刊案内が、郵便で送られてきました。

2010年8月8日刊 となっています。

怪しいものではないので、私は注文しますよ!

           

    書籍名   反プレートテクトニクス論

    著者     星野通平 

    発行者   「反プレートテクトニクス」刊行会

                  代表 佐藤 武

    発行所   イー・ジー・サービス出版部

                

 目次の案内の右下の「かこみ」の中には、

次のように書かれています。

    ~~~~~~~~~~

「私が本書で主張したかったことは、プレート説一辺倒の

地球科学の世界に、若い人たちがおのおのの仮説をもって、

もっと自由闊達に討論をまきおこしてもらいたいことである。

そして、科学の世界だけでなく、政治。経済・教育など、

あらゆる分野にはびこっている、閉塞感あふれた世の中の

風潮を、少しでも打ち破ってもらいたい、というねがいを、

本書にこめたつもりである。」(「まえがき」より

           

「大洋底が大陸にくらべて新しい、というのは事実ではない。

地球の歴史上、大洋底をつくる玄武岩活動が、大陸を

特徴づける花崗岩層の形成時代にくらべて、ごく新しい

中生代・新生代のものであった、というのが真相である。・・・

大洋底は新しい、というプレート説のスローガンは、物質は

消滅した、という古語にも似て、たいへん空しいものである。

大陸域ではおもに、先カンブリア時代の岩層の下にある

玄武岩層が、大洋底では、先カンブリア時代の大地層の

上にある、ということであり、新しいのは玄武岩層の時代の

ことである。(「本文より」)

    ~~~~~~~~~~~~~

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 昨日の愛媛新聞に訃報が載っていた。

                            

 斉藤公子さん(さいとう・きみこ)=保育実践家

16日午前8時虚血性心疾患のため

埼玉県深谷市大谷2268の3の自宅で死去、88歳。

島根県出身。

      (中略)

 子供に絵を描かせて発達の様子を見たり、ピアノ伴奏に

合わせて体を動かすリズム遊びをさせたりする手法が共感を

呼び「斉藤保育」として各地の保育園で実践されている。

                                 

 地方の愛媛新聞に掲載されたことに少し驚いた。

当然の如く、斉藤公子さん本人には会ったことはないが、

本は何冊か読んだことがある。斉藤公子さんは、

実践に基づいてものを言う人であったようである。

本がおもしろかったから、ついつい何冊か、

私は読まされてしまった。

 斉藤公子さんが亡くなられたという新聞記事を見たとき、

骨のある人がまた一人減ってしまった。そんな気がした。

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 みんなの保育大学   築地書館

1.ひとの先祖と子どものおいたち  1979年

     井尻正二 著   斉藤公子 序+跋  

2.こどもの発達とヒトの進化     1980年

     井尻正二 著   斉藤公子 付言 

4.足のはたらきと子どもの成長   1981年

     近藤四郎 著   斉藤公子 付言

5.脳の発達と子どものからだ     1981年

     久保田競 著   斉藤公子 序+付言

6.内臓のはたらきと子どものこころ  1982年

     三木成夫 著   斉藤公子 序+付言

7.進化とはなにか            1982年

     井尻正二 著   斉藤公子 付言

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斉藤公子の保育論  築地書館    1985年 

    斉藤公子 著    井尻正二 きき手

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保育の未来を考える  築地書館    1985年

    井尻正二 著    斉藤公子 付言

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さくら・さくらんぼの子どもたち 労働旬報社 1985年

    斉藤公子・山崎定人   著  

                             

* みんなの保育大学 3 は、

     手のうごきと脳のはたらき

       香原志勢 著   斉藤公子 付言

                             です。

  私は読んでいませんので、あしからず。


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 星野通平 著

 「海水準と地殻の発達」

 イー・ジー・サービス出版部

             2008年7月                

 先日注文した本である。今日届いた。

これから読む。読んでないけど、

読む前から、推薦したい本である。

そんじゃそこらの本とは違う、と思う。


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 野尻湖発掘調査団 作  伊東章夫 絵

 「掘って掘って また掘って」

 まんが野尻湖発掘ものがたり

             講談社 1983年

                        

       巻末 注より抜粋 (P127)

     自前の精神

 発掘の必要な費用や参加者の交通費・宿泊費は

自分たちで出しあうのが、野尻湖の発掘です。

これは、スポンサーにお金をだしてもらうと、どうしても

その人のいうことをきかなくてはならなくなるので、

それをさけるためです。

 これを「自前の精神」とよんで、野尻湖の発掘を

ささえる、たいせつな考え方となっています。

                                                               

                                                                  

 この野尻湖発掘は、「ひとりの英雄(スター)もつくらない」

という方針で運営されているそうです。

そして、成果は「みんなのもの」だそうです。

 また、急がないのも、ここの発掘の特徴だそうです。

100年かけて掘るんだ、というのを私は耳にしたことがあります。


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  地団研ブックレットシリーズ 6

 柴崎達雄 著 「公害・地球環境問題と地質学」

 地学団体研究会   1993年7月

                                       

        本文より抜粋 (P9~10)

                          

    公害・環境破壊問題の経験が生かされていない

                                  

 そのころから、激しくなった反動化の波は、各地に誕生した

革新自治体の凋落をまねくとともに、きびしく加害者の責任を

追求した「公害問題」から、それを住民をふくめた不特定多数

の責任にあるという「環境問題」へと、責任の転嫁をはかる

傾向がでてきました。国や自治体の「公害課」や「公害研究所」

が、「環境課」や「環境科学研究所」にあらためられたのも、

このような事態を背景にしたものです。

 最近の「地球環境問題」も、この路線上にあるものであって、

自動車産業やエネルギー産業などの独占企業が生み出してきた、

ボーダレスの環境破壊の原因追求を、事前にそらそうとして、

「地球環境問題」にすりかえた、とみることもできましょう。

自分たちでまきちらした種で、新しい地球環境ビジネスを生み出そう

としている、独占企業のしたたかさは、たいへんなものであり、

そのしぶとさには、われわれも学ばなければいけないと思います。

 現在の「地球環境ブーム」は、そのような事態を背景にして、

故意につくられたブームであり、四半世紀前の公害・環境破壊に

たいする、はげしい怒りから発生した運動とは、基本的にちがった

ものであることを忘れてはなりません。

 このちがいは、学問・研究の分野にもあらわれており、四半世紀前

の公害・環境破壊問題へのとりくみのなかからは、公害を生みだす

社会的なしくみをあばきだした労作が、いくつも生まれ、学問的・

思想的にみても貴重な収穫があったと思います。それにくらべ、

現在の「環境ブーム」のなかからは、いくつかの例外をのぞいて、

あまりみのりのある成果が出てきていないような気がしてなりません。

 それは、専門家としての職分というより、それ以前の問題として、

人間としての正義感や怒りが希薄だ、ということになりましょう。

言葉をかえていえば、この25年ほどのあいだに、多くの専門家たちが

体制側にとりこまれ、かいならされてしまった、といったほうがよいの

かも知れません。ある意味では、体制側の対応が、きわめて巧妙に

なったともいえましょう。

                                         

                                           

 15年前の、今は亡き柴崎達雄博士の文章である。

現在の状況は15年前とくらべてどうなのだろうか。

本質的には何もかわってない、いや、もっと悪くなっている

のではなかろうか。

 「人間としての正義感や怒り」、死語にしてはならないと思う。

 


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 井尻正二 湊正雄 著

  「地球と生物の対話」

  築地書館

  1982年11月

            

     本文より抜粋 (P100~101)

   星野   ただ、もう一つこういうことを考えるのです。どうして

      これほどプレートの考え方がはやるのかという根拠を、

      反省したほうがいいのではないかと。

 湊     それはきわめて単純だと思います。というのは、

      日本人がアメリカに行くのに、ああいうことを言うのが

      一番いいのです。

 井尻    ヒトラー伍長が出たのと同じ時代ですよ(笑)。

      そういうことです。

 湊     バスにのりおくれまいとあわててプレートに入った

      人たちは全部そういう性質をもっているわけです。

 星野   中国でもこの頃は、石油から唐山の地震まで、

      みんなプレートだと言っているそうです。

 井尻   プレートに乗って行くと、アメリカに行きやすい《笑)。

      乗っていれば、動いていくのだから。

 湊     乗ってみたけれど、とても楽だというのが実感

      なのでしょうね。

 井尻   あれほど科学的でない考え方もないと思います。

      突然変異説とよく似ています。

 湊     会う人、会う人。

 井尻    突然変異はまだ見えますからね。変異した分子が。

      プレートは何も見えないから困ってしまいます。        


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 井尻正二 著

  「進化とはなにか」

    築地書館

  1982年12月

                          

      本文より抜粋 (P114)

  それから最後に、さきほどお話したように、進化論という学説は、

イギリスの資本主義が勃興期で、だれもが、封建制をやっつけて、

資本主義を盛んにしようとという、そういう時代にうまれてきたわけ

です。そこでやっつけようという人はだれかというと、資本家がそれ

で、貴族がやっつけられる側でした。ですから、資本主義の勃興期

という時代に資本家は進化論を買って出たし、なんとなくわかった

ような気分になったのでしょう。また、事実わかったわけです。

 この関係はいまでもそのとおりで、進化を欲する階級の人には、

進化論がわかるはずです。とくにダーウィンのいっているような

進化論が。みなさんが安月給で、世の中が変わっていくことと、

世の中が進化することを欲する階級の人だったら、進化論はきっと

わかると思います。

 ただ、今の時代は反動期ですから、とかく、進化を欲しないような

議論とか、進化をよそおって、じつは進化に刃向かうような説が、

ときどきでてくるわけです。そういうものも、ほんとうに進化を欲する

階級にあるみなさんだったら、きっと見破れる、と私は信じます。

進化は、進化を欲する階級と時代によって理解できるものだという

ことに、確信をもっていただきたいと思います。


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   井尻正二 真野勝友 堀田進 著

  「[新]文明の中の未開」 

                              築地書館     1998年3月

                本文より抜粋 (P237~238)                      

 なかでも、原始社会に源を発するシャーマニズム(精霊信仰)は、

頑迷固陋であり、しかも他の宗教や思想をずぶとく吸収して生きつ

づけてゆく、という特色をもっていることもみてきた。また、現世に

レリックとなって生き残っているシャーマニズムは、その性格が陰湿

であり、退行的である点も見逃せない。

 わけても、日本人の心の中に強いレリックそして残存している日本的

シャーマニズム、すなわち皇室崇拝や神社神道という意識形態は、

戦前・戦中はいうにおよばず、戦後50年がたった今でも、日本人の

心のなかに深い病巣となってうずまいている。

 また、親孝行によって代表される日本の封建道徳のレリックも見逃す

ことはできない。しかし、この日本の封建道徳の側面は、以前から

批判にさらされて人口に膾炙している。だがその反面、日本の封建

道徳が強調されるあまり、諸悪の根源・日本的シャーマニズムに

たいする批判や闘いが忘れられたり、ないがしろにされている点は、

改めて反省する必要があろう。

 このような心のレリックは、社会の土台が変革されれば、自然に

消滅する、といった公式的、機械的存在ではない。心のレリックの清算

には、社会の土台の変革とともに、意識的に、目的的に、長期の

忍耐強い手当てが不可欠だと考えられる。さもないと、心のレリックは

社会から独立した体系として、「文化」の仮面をかぶって独走(自己発展)

する恐れがあるからである。

 最後に、生物や社会のレリックとちがって心のレリックの大半は、

原則的に残存させる必要はなく、その記録や資料を博物館にとどめて

おけば十分だ、と思われるがどうだろうか。

 そして、心のレリックの問題の解決には、社会科学者だけでなく、

自然科学者の協力が必要だと考えられる。しかし、この点に関しては、

今回はこれ以上深入りしないでおく。




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 星野通平 著

 「毒蛇の来た道」

 東海大学出版会

 1992年11月

           

   本文より抜粋   (P 140)

 諸現象を、物理・化学の法則に従った実験結果によって

解釈しようとするのは、1920年以降の、米国を中心とした

科学研究の強い潮流である。しかし、実用主義・実験主義的

な学風の欠点は、自然と社会の長い歴史の間の、条件(環境)

の変化を無視することであろう。つまり、これらの人は、現在の

時点の条件(環境)をもとにした実験で、歴史的な意味をもつ

すべての事象を、解釈しようとしているのである。


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 小松田精吉 著

  「土質調査の基礎知識」

  鹿島出版会

  1984年1月

                

          本文より抜粋   (P 10)

 調査報告書の内容は、土質調査技術者の本来の業務との関係から、

改めてその意味を考えてみる必要に迫られている。

 調査費に比べて、その報告書が薄いというので不評を買うことがある。

このため、調査技術者は、調査結果を大事にするのではなく、既往の

文献や教科書を抜粋して、報告書の頁数を水増ししているという現実に

直面する。これで、有益な土質調査の結果報告が行われたとは、

当然いえない。

  土質調査は、たとえ1本のボーリングであっても、そのデータが最も

価値の高いデータであって、それに替わるものはない。そして、その結果

から、新しく何が発見されたか、何が判ったのか、普通では見えなかった

こと、気がつかなかったことを、顕微鏡で事実、実像を拡大して見るような

報告書こそ、依頼者が求めている価値ある報告書なのである。著者は、

こういう技術態度を土質調査における工学的リアリズムと呼んでいる。

(調査報告書を評価する際の注意点)

 1. 調査報告書は既存文献の編集であってはならない。

    (調査結果そのものから、問題の回答を得る態度が必要)

 2. 調査報告書の価値は、厚さや頁数では計り得ない。


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 柴崎達雄 著 

 「地盤沈下  しのびよる災害」

 三省堂新書94

 昭和46年2月

       

    本文より抜粋  (P 205)

 公害問題の基本は、やはり住民の立場で解決されなければならない。

そのためにも、いろいろな科学の分野の知識が集結されなくてはならない

ことを述べた。また、その集結のしかたが、形式的な学者の集合であって

はならないことも述べたつもりである。

 すでに科学は一部の人たちの専売ではなく、教師や技術者、さらに一般

の人たちのものとなってきている。この力をどのように結集するかが、今後

の公害問題の解決にあたっての一つのきめてになるものと思われる。

 この場合にも、活動の中心になるものは、正しい科学の創造と、その

普及、さらにそのための条件づくりの三位一体の方針であることは

まちがいなかろう。


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  午来正夫  著

  「大陸地殻進化論序説」

  共立出版  1990年12月

      序 より抜粋 (Pⅲ ⅳ)

 また、大陸地殻の進化(発生・発展)という問題については、

上記諸分野や関連する地球科学諸分野での諸知見をとりいれ

ながら、あたらしい地球発生説やテクトニクス説(おもにプレート

説)の枠組みの中でこれをとらえようという、いろいろな試みが

なされるようになっている。しかし著者のみるところでは、いまは

「百家争鳴」の時代であって、「一件落着」するのは、まだかなり

遠いさきのことではないかと思っている。

                                    

 また、著者は「地球膨張説」にたっているので、本書で述べられ

ている諸考察の基礎は、そのような立場でつらぬかれている。そう

いう意味でも、本書はいわゆる「独断」と「偏見」に満ちたものである

ことを、前もってお断りしておきたい。

 なお、本書には、「進化」とか「発展」とかの語をもちいているが、

これは一般的な慣用にしたがったもので、とくにふかい哲学的考察

にもとづくものではない。


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  藤田至行則  著 

  「日本列島の成立 新版」

  築地書館  1990年7月

    まえがきより抜粋  (Pⅶ)

 著者は、プレートテクトニクスの仮説については、終始、否定的

見解を主著してきたが、プレートテクトニクスに限らず、仮説という

ものは、それが廃棄されるまでは、学会に大きな貢献をし続ける

という現実を無視したことはない。たとえば、今では完全に廃棄

された地球収縮説という仮説は、19世紀後半から20世紀初頭

にかけて、世界の学会に大きな貢献をしたのである。

 プレートテクトニクスも、現在の学会に巨大な貢献をなしつつある

ことはここに強調するまでもない。日本の学会にプレートテクトニクス

がまだ広く受け入れられなかった1972年に、九州大学で開かれた

日本地質学会総会の折、プレートテクトニクスについての講演会

がもたれ、賛成の立場で上田誠也氏、批判の立場で著者が講演

した。著者は、「プレートテクトニクスの仮説にくみこまれているあれ

これの諸現象、諸論理には、私たち地質学徒が、学び、吸収すべき

ものが多い・・・・・・」と述べたが、こうした筆者の立場は今に至るも

変わることはない。

 それはそれとして、最近における地球深部や大洋底の地下構造の

解析法の急速な進歩によって、プレートテクトニクスを含む、地球の

変動に関する諸仮説は、早晩、大きな変革をこうむり、新しい地球観 

へと発展していくきざしが現れはじめたと見るのは、著者だけではない

と思う。


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泊 次郎著

「プレートテクトニクスの拒絶と受容」

東京大学出版会  2008年6月


       

たのつぼ壁新聞」の「本の紹介」のコーナーで紹介した

「プレートテクトニクスの拒絶と受容」が今日届いた。

その本の副題が「戦後日本の地球科学史」である。

                                                                            

      終章の「残された課題」より抜粋p(241)

 本書がPTの受容という側面から地団研に焦点をあてにすぎない

とはいえ、戦後の地質学界を支配した地団研が、なぜ多数の会員

を結集することができたかについての説明も不十分である、と考えて

いる。地団研が研究費の配分や大学の人事をどの程度左右していた

のか、あるいは地団研の運動が地質学会以外の当時の社会の動き

(たとえば、日本共産党の運動《20》)とどのように結びついていたの

かなどについても十分明らかにできなかった。

  もう一つ残された課題は、旧ソ連と中国でPTがどのように受容され

たかである。第2章でその受容の時期について概略は紹介したが、

両国ともPTの受容に際しては日本と同じように固有の歴史状況が存在

した。そのような状況との関係で、PTがどのように受容されていったかに

ついては十分な調査・検討ができなかった。こうした点を明らかにして

日本のケースと比較すれば、日本でのPTの受容の過程をより一層

鮮明なものにすることができただろう、と考えている。

注)《20》地団研がプレートテクトニクスに批判的に対応したのに対し、

    日本共産党は1970年代に入ると、プレートテクトニクスには

    柔軟に対応した。なぜこのような見解の違いが生じたかについ

    ても、未解明であることを断っておく。


                                        

 さて、地団研関係者はどう思うだろうか。私はそうとう誤解されてい

と思う。地団研は政治団体ではない。ましてや共産党の下部組織

ではない。なぜこのような見方をされるのであろうか。私は、自然科学

の問題ではなく社会科学の問題である、と思う。

 またプレートテクトニクスについては、論理(科学)段階ではなく、

理論(哲学)段階に大きな問題がある、と私は思っている。


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  井尻正二 湊正雄 著

  「地球の歴史」

  岩波文庫  昭和32年8月

                 

    本文より抜粋 (P216)

                        

 こうして「考える人」を乗せた地球は、

地球の歴史の「現代」・現世の空間を、

その軌道にそって前へ、前へとまわっている。

   どこかで、火山が溶岩をひき上げている。

   どこかで、こんこんと泉がわいている。

   人間も、かれらの道を黙々と進んでいくであろう。


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  井尻正二 著

  「弁証法の始元の分析」

  大月書店  1998年4月

                 

      本文より抜粋 (P99)

                          

 最後に、

 きたるべき21世紀には、20世紀を風びした因子遺伝学小児病も

おさまり、真の獲得性遺伝学が進化論で市民権を得るであろうこと、

 そしてヘーゲルならびにヘーゲル亜流の展開的弁証法にかわって、

真の発展的弁証法がヘゲモニーを握るであろうこと、

 さらに、これまでの弁証法至上主義にかわる、新しい哲学の体系が

産声をあげるであろうこと、

 これらを夢見て小著を終える。


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    井尻正二 著

  「 胎児化の話 」 

  築地書館  1990年12月                                 

                                          

      6. まとめ より全文掲載 (P106~P107)                                          

                                        

  ⅰ 最近では、人間を生物学、あるいは医学の立場から、

科学的に理解する傾向が定着したように思われます。

 ⅱ しかし、生物学や医学の立場からだけで把握するのは

不十分で、それにつけくわえて、生物進化の立場から理解する

必要があります。このことは、人間を歴史的に、古生物学的に

理解する必要がある、ということで、まえにもお話ししたことが

あります。

 ⅲ しかし、以上の立場では、人間をまだヒトとして~動物

分類学上の一員としてのヒトとして~理解するのとどまる結果

になります。

 その結果は、本書の主題となった「胎児化説」のような、

生物学主義が誕生することのなります。

 ⅳ この生物学主義におちいることなく、人間を正しく人間として

理解するためには、ヒトを人間に仕上げた、「社会」という存在に

関心をよせなくてはならない、と思います。

 すなわち、社会経済の仕組み・政治のあり方・文化の問題・

宗教・風俗習慣・道徳・民俗行事などに注目し、社会の進化

について考えてゆかねばならない、と思います。

 ⅴ 21世紀の科学は、20世紀までの科学がそうであった

ように、自然科学は自然科学、社会科学は社会科学と、おたがいに

無関心であったり、分離されていてはならない、と思います。

21世紀の科学は、自然科学と社会科学の有機的統一のうえに、

花を開き、実を結ぶもの、と信じられます。

 ⅵ 最後に、いささか図式化しすぎているきらいはありますが、

  人間の進化=生物の進化+ヒトの進化+社会の進化

という公式を思いうかべていただいて、筆をおきます。


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   東海大学海洋学部第一鹿島海山調査団 編

  「 第一鹿島海山 」

 東海大学出版会  1985年1月

                    

                 

      要旨より抜粋 Pⅷ (文:柴崎達雄)

8.以上の諸資料を総合的に解釈することによって得られた第一鹿島海山

  の実態は、Fig.Ⅷ-2に示される。海山の形成はプレート運動による

  「崩落」で説明されるものではなく、白亜紀初頭からの大規模な海水準

  上昇の過程で、何段もの平坦面や礁が形成されて、そして沈水したもの

  と考える。この過程は、Fig.Ⅷ-3に示されるような海水準変動を

  ともなったと結論することができる。

9.今回の第一鹿島海山調査の結論は、星野(1962;1975;1983)らに

  よって提唱されてきた大規模海水準上昇説を裏付ける証拠の一つ

  であるともに、海水の起源、海水準上昇のメカニズムについて

  新たな問題を提起するものである。

                                        

       あとがきより抜粋 P132 (文:柴崎達雄)

 科学は、求められた資料を既成の学説で解釈するだけのものではない。

苦労してデータを生み出し、そのデータで既成の学説を検証し、また新しい

仮説をたてるという無限の連続でもある。ただ教科書を読み、人の生み出し

たデータを解釈することであってはならない。

                                   

       まえがきより抜粋 Pⅴ (文:杉山隆二)

 思い出深い鹿島海山よ!!

 いつまでも、海溝・鞍部から聳え立って残っているであろう!!




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福井県大野の水を考える会 編著

 「よみがえれ生命の水」

築地書館  2000年8月

                                

        あとがきより抜粋 P356 (文:柴崎達雄)

                                     

 環境科学の本質は、地球環境問題に代表されるような、

はなばなしい花形科学にあるにではない。身近な問題を

解決できるような地道なものでなくてはならない。そのため

には、「大野の水を考える会」が経験してきたように、旧来

の政治・経済システムとの戦いを避けてとおることができな

い。とくに、福井県大野のように、地縁・血縁に縛られた土地

では、とても尋常なものではない。その閉ざされた環境の

なかで、25年にもわたる活動を続けてこられたのは、野田

佳江さんというリーダーの存在と、それを支えてきた市民

の協力があったからだ、と断言できる。



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   野尻湖発掘調査団著

 「一万人の野尻湖発掘」

 築地書館  1986年12月

     本文より抜粋 P183 (文:井尻正二)

                                 

   ここに一本のビールがあるとしよう。

  しかも、たった一本しかないとしよう。

  この一本のビールを、みんなで分けて飲むのか、

  自分ひとりでこっそり飲むのが楽しいか。

  これがすべての分かれめである。


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   星野通平著   「太平洋の科学」

    日本放送出版協会 NHKブックス96

    昭和44年9月

    本文より抜粋P16~P17

 本州=四国の橋かけのための調査で、瀬戸内海の坂出の沖の海底を

しらべにいったことがある。そのある日、私たちが乗った調査船の近くで、

夫婦づれの漁船が釣糸をたれているのに出会った。半てんをきて、舟べり

にもたれてたわむれている幼子の顔には、「板子一枚下は地獄」という

暗さは、まったくみられなかった。(P16)

            

 内海で出あった、水軍の血もうけついでいるかもしれないあの子たちが、

明るいすんだまなこのままで、くったくのない笑顔のままで成長できるよう

になったら、海国日本の花ざかりは、きっと遠くない将来のことであろう。

 その日のために、私はこれから、未来の人びとの働き場所~太平洋~の

自然をのべることにする。(P17)




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  本田節子著

  「キャプテン孫七航海記」

  東海大学出版会

  1993年10月

 今年の2月にネットで注文して買った。

2年前に亡くなった佐藤孫七元東海大学教授

について書いてある、高校生向け(?)の本である。

 懐かしく読ませてもらった。私の記憶では、

「孫七さん」は、とにかくズーズー弁のすごい人で、

名詞以外は何を言っているのか、ほとんどわからなかった。

 でも、直接に聞いた言葉で、

    私は漁船の船長です

    海は母です

 これだけは、頭に残っている。

特に

    海は母です

            この言葉は頭から離れない。 


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ぼくらの天文・気象・地球6

伊東正喜著「海・ふしぎな世界」

岩崎書店 1986年4月

      

               あとがきより抜粋

 遠く天王星のようすまでしらべられている今日でも、

海については、まだわからないことがおおいのです。

 陸にすむ人間にとって、ふしぎやロマンを感ずる

のは、なにかわからないところがあるからだとおも

います。それは、また、海のもつ美しさにもつながっ

ているとおもいます。

 海をよごさずに、いつまでも美しい海のままで

ありたいものです。

                  伊東正喜      



 1926年生まれで、井尻正二さん・杉山隆二さんの

大学の地質学科の後輩です。

 地質学の道を断たれるも、経済学にて研究者として生きている人です。

 地質学の「ものの見方・考え方」が他の学問でも通用することを

実証した人ではないか、と私は思っています。
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地団研ブックレットシリーズ3

   工藤晃著「日本経済の現状と将来」

   地学団体研究会 1992年9月

            -~著者紹介より~




 工藤晃です。地質調査と構造地質学研究~経済調査と経済学研究~

衆議院議員4期とテレビの政治討論会というのが私の略歴です。

 学習会のおりに、私を紹介してくださった新堀さんは私と同学の志です。

40年以上前に、私は愛媛県の宇和島地域で白亜紀層と四万十層群の

調査をしていました。今も手元にある、当時書いたメモには、

「この花崗岩や結晶片岩が一体どこから運ばれてきたのか判らない。

もしかすると、土佐の南か、豊後水道の真中に古い陸地があって、

今は陥没したのかも知れない」といった発想もありました。

 また、地殻変動をつうじて、ある地層から分離したブロックが他の地層の

中にはいりこんでいく モザイク構造 を考えたことも覚えています。

若さにまかせてフィールドを歩いていると、新しい発想に

とりつかれることを、この頃経験しました。

 その後経済学へ移行しましたが、研究方法は自然科学と

同じ思いであったことは、井尻正二さんとの共著

「社会科学と自然科学の方法」でのべたところです。


 そくほう6月号の本あんないに載っていた。



 「エコノミスト歴史を読み解く」  工藤晃  著



新日本出版社 B6判 160ページ  本体1400円



      



半分は「地学教育と科学運動」に掲載されたものらしいが、



残り半分が楽しみ、さっそく注文だな。





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星野通平著「地球の半径」P169~P170

東海大学出版会 1995年4月 より抜粋

          

海のこころ、それは狩猟民のこころである、と私は思っている。

狩人の生活は、農耕の民とちがって、ただ勤勉だけではなりたたない。

かれらはみずからの勘をたよりに、星と風にみちびかれて

獲物をおわなければならない。

 狩人はまた漁人でもある。・・・・・・・・・・

      

狩猟のこころ、それに続く海のこころの主流は、

自我の精神、独創のこころであり、

これは農耕の民のこころの対極にあるものである。

      

縄文時代が終わり、弥生時代の農作民の生活がはじまった。

海国日本というのは、自然地理学上のことで、

弥生時代から今日まで、日本人のこころの主流は、

海に背を向けた農耕の民のものであった。

それは、上に服従し、近隣の輪を尊び、勤勉を徳とするこころであり、

その手本は戦時中、全国のいたるところに銅像がたっていた、

二宮尊徳である。

      

北の国の漁師の子、詩人吉田一穂は、

地球が廻っても一緒に廻ってはいけない、とさとしている。

そのこころは、自我の確立である。


 




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 湊正雄著「アイヌ民族誌と知里真志保さんの思い出」

P193~P194 築地書館 1982年12月 

あとがきより抜粋

    

民族学や人類学には、それぞれの方法も目的もあるのでしょうが、

その基礎には、すべての人々がたがいに兄弟であり、同じ仲間であり、

したがって、たがいに幸福に生き続けなければならないという

共通の理念がなければなるまいと思います。

人に関する科学は終局において深い人類愛を信条とするもの

でなければ無意味であるとも思われます。

このことを私は強調したいと思うのです。

さらに狭く日本国民というわくをはずし、広い視野から、

世界のいかなる土地に住む人々も、われわれの兄弟である、

という自覚に到達するような人類学こそが

発展させられるべきものでありましょう。

したがって、戦争がいかに罪ぶかい行為であるかということを

確信させるようなものが人についての科学から当然なこととして

浮びあがらなければならないものだと私は信じます。


井尻正二著「弁証法をどう学ぶか」 P170~P172

大月書店 1991年6月 より

       

 マルクスがダーウィンに「資本論」を献本したさいの、

ダーウィンの礼状をかかげて筆をおきたいと思う。

      

拝啓 貴下の資本についての大著を

お送りいただきありがとうございました。

心から感謝して受領いたしました。

私は、社会経済学上の意味深く重要な課題について、

十分な理解をうけることはできません。

私たちの研究分野はかなりかけはなれています。

しかし私は、私たちが共に人類の知識の向上を真剣に希求し、

しかも、この大作が人類の幸福を必ずや増進するもの

であることを信じています。

1873年10月1日              敬具



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