カテゴリ:近畿・山陰 > 兵庫県
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第二神明道路
10月5日に大阪へ行ってきた。
その往復に第二神明道路を利用した。
第二神明道路の「神明」は、神戸の「神」と
明石の「明」から名付けられたのであろう。
第二神明道路は、国道二号線のバイパスで、
有料の高規格道路道路である。阪神高速道路に
直結しているので、高速道路とあまり変わらない
ように感じる。平野部は全線高架で信号機もなく
渋滞さえなければ、走りやすい道路だと思う。
都市部においては、交通量が地方とは比べ物に
ならない。このような道路は必要不可欠なのだと思う。
行きしなである。神戸方面へ向かう料金所のところ
である。料金所のずっと手前から渋滞していた。
ラジオでは事故渋滞10kmと言っていた。都市部
では距離の長い渋滞も珍しくはないのだと思う。
どこまで行くのかにもよろうが、渋滞していても、
下道(国道2号線)を走るより、このまま第二神明道路
を走る方が、はやいのではなかろうか。私は第二神明
道路からそのまま、阪神高速3号線に入っていった。
帰りしなである。少し雨が降っていた。そして、
やはり渋滞である。ラジオでは故障車による渋滞
とのことであった(3km)。
私が車の運転免許を取ったのは千葉市、
12~13年ほど東京・千葉で生活していた。
こういう渋滞も懐かしい。そんなことを思い
ながら、私は運転していたように思う。
三和本通(尼崎)
姫路サービスエリア
昨日、大阪へ車で行ってきた。
このサービスエリアは、国道2号線姫路バイパスにある。
この道を通る時、私は、たいてい、ここに寄っている。
宇野(岡山県)にフェリーで上がってから、ここまで
約2時間である。大阪までの中間点という感じである。
私は大阪方面へ行く場合、宇野から県道45号線
(岡山県道)で国道2号線岡山バイパスへ出て、そこから
国道2号線~姫路バイパス~加古川バイパス~
第二神明道路~阪神高速高速3号線を走っている。
昨日も、そのコースであった。
このサービスエリアに私が初めて寄ったのは、
20年ほど前だった。その頃、私は千葉に住んでいた。
千葉と松山を行き来するときに、トイレ休憩で寄った
のが最初だったと思う。
当時、立ち食い(だったと思う)のうどん屋さんが、
ここにはあった。天かすがサービスであった。
私は天かすをうどんにたくさん入れ、唐辛子を
目いっぱいふりかけて食べた。長距離の運転で
腹を空かせていたのか、おいしかったことを
記憶している。
駐車場とトイレの雰囲気は当時と同じであるが、
お店は全く変わってしまった。6~7年前に2度
大阪を往復した時、お店が変わってしまっていた。
そして今回、その6~7年前と、また全く変わって
しまっていた。数年単位でしか寄らなくなったので、
突然の変化に感じてしまうのであろうが・・・。
まるで、回り舞台のようである。
さて、行きがけである。ここを出て少し走ったら、
事故渋滞に巻き込まれてしまった。10kmほど
渋滞していた。長い渋滞に出会うのも久しぶり
であった。渋滞も都会の味わいの一つだと思う。
東京・千葉にいたころを想いだしたりしながら、
ノロノロ運転を楽しんできた。・・・。
写真の場所は、加古川バイパスの高砂市あたり
だと思う。写真正面の山が大きく削られていた。
御影石か何かを採掘しているのであろうか???
ごま昆布
阪神大震災の雑誌
神戸チョコレート職人のおもてなし
春よ恋
やはり姉は持つものである。実の姉である。
おみやげを買って来てくれた。
昨日、バスツアーで明石のほうへ、
遊びに行ってきたそうである。
そして帰りがけに、淡路島で買ってくれたのだそうだ。
ありがたいものである。
これが、そのおみやげのお菓子である。
春よ恋、なかなかのネーミングではないか。
さくらクレープクッキーというものだそうだ。
食べてもみたのだが、なかなかいける。
さて、どこで作られたお菓子だろう、
と思ったらなんと・・・・。
松山の亀井製菓のお菓子でした。
このお菓子は、作られてから私の口に入るまで、
もしかして長い旅をしてきたのであろうか。
まっすぐ来れば、それほど遠くないと思うのだが(笑)。
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なお、このお菓子の箱に張ってあるのは、
販売者としてのものである。製造元とは書いていない。
したがって製造は、別なところであるのかもしれない。
映像記録 阪神大震災
震災モニュメント
神戸の街に、こんなものがあった。震災の跡である。
天災は忘れた頃にやってくる。
寺田寅彦の言葉ではなかったかと思う。
兵庫県南部地震は1995年(平成7)に起こった。
マグニチュード7.2の都市直下型地震で大きな被害を
出した。約6500人の命が奪われた。
地震というものは、無くすることはできないものである。
地球は生きている。地球自身にとっては普通のことである。
人間との関係において災害と呼ばれるようになる。
地球の中身のことは、よくわかっていないというのが
本当のところである。われわれの直接知る得る情報は
地表のごく浅い所に限られている。地下のことは、
まだまだわからないことが多すぎる。
現状では地震を予知することは、まず無理である。
しかし、いざ地震が起こった場合、被害を最小限にとどめる
ことはできる。構造物の耐震設計・避難場所の周知・災害用
物資の備蓄・迅速な救援活動や速やかな災害復旧などである。
避難訓練なども役に立つと思う。
住民側・行政側、共に考えておかねばならないことだと思う。
なにも神戸だけではない。日本列島は地震と火山の巣である。
いつ、どこで、大きな地震が起きてもおかしくないのである。
そして神戸
明石海峡大橋
先週の土曜日に大阪へ行ってきた。叔母が入院しているので
お見舞いである。高松で車を置き、フェリーで神戸へ渡った。
フェリーには高松東港から神戸三宮まで約4時間乗った。
高松を朝の5時45分出航の船である。明石海峡は9時頃に
通過したと思う。その時に撮った写真である。
左の写真は淡路島、右の写真は明石の街である。明石海峡
通過後、後部甲板で撮影したものである。工事中に明石から
淡路島へ向うフェリーから見たことはあったが完成してから
間近で見るのは初めてであった。来島海峡大橋を何度も
見ているからか、それほどの感動はなかったように思う。
この明石海峡大橋は鋼製の吊り橋で3911mあるそうだ。
中央支間長が1991mで世界一だそうだ。石鎚山の標高が
1982mであるので、この橋の中央支間長とほぼ同じである。
そうすると、石鎚山はそんなに高くはないように思う。
下の写真が、フェリーから見た明石の街である。
日本離れしている、と思った。砂漠の中の街の様な感じがした。