
自分は、学生時代にダグ・サームの『Doug Sahm and Band』を中古盤で入手し、彼の音楽が大好きになりました。この盤にはフラーコも参加しており、トルネイドズの3/4が揃っていたわけですね。それから、1988年だったか、89年だったかに出た、ダグ・サーム、エイモス・ギャレット、ジーン・テイラーによるフォーマリー・ブラザーズのアルバムが大好きで当時よく聴きました。90年の来日の時は福岡に移住していたので涙をのんだのを覚えています。もちろん、フレディ・フェンダーとフラーコ・ヒメネスはライ・クーダー経由でよく聴いていました。オルガンのオーギー・メイヤーズのことはよく知らなかったけど、ダグ・サームの『Doug Sahm and Band』に参加していて、サー・ダグラス・クインテットの時代からダグとは盟友だったようです。テキサスのテックス・メックス系のこの偉人4人がグループを組むなんて、ちょっと信じられませんでした。もちろんCDが出たらすぐ買ってよく聴きました。それぞれのメンバーのレパートリーを持ち寄った感じで、聴きやすかったですが、リプリーズが出しているんだから、もう少し凝ったつくりにできなかったかなぁとも思いました。
そんな彼らの1996年の4作目がこの『4 Aces』です。アルバムにはダグが書いたライナーが掲載されているので、拙い訳ですが、掲載してみます。
「ある日、フラーコと私はショーのバックステージで話していた。私は、”フラーコ、俺たちは何者なんだろうね”と言った。彼は少し考え遠くを見て答えた。”俺たちは4人のエースだよ。なぁ” そうだとも。
それで、私はその考えにフィットした曲を作り始めた。物語は、テキサスでしか起こりえないファンタジーや国境の逸話となった。そしてウィリー(・ネルソン、偉大な野球選手のメイズではない)の相棒や、チィミー(我が友ボブ)とともに、テキサス州のロトゲームで一山当てるというオチをつけた。私はオレゴン、カリフォルニアの海岸、ニューメキシコの山々、そしてもちろんテキサスといったで様々な場所で長い時を過ごした。
そして今、私たちはみんなレコード会社が必要だった。私たちはナッシュビルのリプリーズ(ロッキン爺さんの歌うバンドを組んでくれたジム・エド・ノーマンとペイジ・レヴィに感謝する)で活動した後、私たちには休息が必要だった。3枚のアルバムと4年に及ぶ休みないツアーは犠牲者を出した。私たちは少しばかり過去を省みて、テキサス・トルネイドズのビジョンがどこに繋がるか確認する必要があった。
幸運なことに、私たちはリプリーズに戻ることができた。しかし、今回はバーバングで、私たちのテキサスの兄弟ビル・ベントレーがレーベルの広報担当の役員だった。彼はA&R担当のデヴィッド・キャッツネルソンを起用した。彼はテキサス州ロックハートのクルーズ・マーケットで行われたバーベキューの間とても盛り上がっていた。彼らはリプリーズの社長ハウイー・クラインとの面会をセッティングした。私は彼がサンフランシスコの415レコードにいたことを聞いていた。私たちは話し、ハウイーは”君たちはどんなものを持っているんだい?”と聞いたので、私は彼に”Little Bit Is Better Than Nada”のサビを歌って聞かせた。彼はそれを気に入り、私たちは再びレースに戻ったのだ。
それはここにある、じっくり聴いてほしい。
愛を込めて ダグ」
このライナーにあるように、テキサス・トルネイドズは90年から92年まで毎年アルバムをリリースし、休みないツアーを続けていたようです。そして、メンバーのうち誰かが身体を壊し、一時活動を休止していましたが、1996年に復活、リリースしたのがこのアルバムです。プロデューサーは、メンフィスのジム・ディッキンソンが抜擢されました。ナッシュビルで制作された前3作に比べ、ゲスト・ミュージシャンも交え、ディッキンソンらしいプロデュース・ワークが冴えています。
ライ・クーダーが参加しているのは8曲目の「The Garden」です。「Across The Borderline」系のバラードで、リード・ヴォーカルはフレディ・フェンダー。優しく美しい歌ですが、曲の内容は、銃弾が飛び交う物騒な国境の街を描いたもので、抗争があれば、もう一晩窓を締め切って過ごし、息子を亡くした母は泣き叫ぶだろうと歌われています。曲を書いたのは、のちにハシエンダ・ブラザーズを結成するクリス・ギャフニー。アレンジはダグとフレディが手がけています。ライは最初のサビからオブリガードで絡んできます。美しいボトルネックのフレーズを聴かせたと思ったら、2番からはノンスライドで彼らしいフレーズを紡いでいきます。ソロはフラーコのアコーディオンで、ライのソロはなく、あくまでも脇役に徹しています。この曲でも味のあるピアノが聞こえてきますが、ディッキンソンではなく、オーギーが弾いています。ライを起用しながらオブリガードのみで、あえてソロを収録しなかったディッキンソンの手腕あっぱれと思います。
アルバム収録曲は、4人それぞれが主導している曲が散りばめられているのですが、フラーコは単独ではリード・ヴォーカルはとらず、おおむねオーギーとのデュオで伝統的なコンフント・スタイルの曲を歌っています。そのかわり全曲で印象的なアコーディオンを弾きトルネイドズのカラーを決定づけています。ダグは少しロックやR&B寄り、フレディはカントリー寄りですが、全員がスペイン語を自在に操り、国境の音楽文化を体現しています。
ライナーでダグが言及している1曲目の「A Little Bit Is Better Than Nada」はコメディ映画「Tin Cup」の挿入歌となりました。ダグらしい軽快な曲で、フラーコのアコーディオンがいい味を出しています。他にダグが主導しているのは4曲目、7曲目、10曲目の4曲です。4曲目ナイロン弦のギターのリズムで始まるタイトル・トラックはマイナーキーのかっこいいナンバー。ダグのオリジナルです。サビはメジャーになるご機嫌なナンバーです。7曲目「Ta Bueno Compadre」はダグの昔からのレパートリーを彷彿とさせますが、このアルバムのために書き下ろしたものです。バックビートが効いたご機嫌なロックナンバーで、この曲が演奏されるとライブ会場はダンスフロアになるでしょう。10曲目「Clinging To You」も実にダグらしい軽快なロック・ナンバーです。
フレディが主導するのは、上の8曲目「The Garden」のほか、3曲目、6曲目、12曲目の4曲です。3曲目「In My Mind」はフレディのオリジナル。ロッカバラードですがとってもいい曲で、フレディの熱唱を味わうことができます。6曲目「Tell Me」はテックス・メックス界では高名なギタリスト、ジョー・キング・カラスコの曲で、やはりロッカバラード。フレディとダグが歌い分けています。こちらも実に素晴らしいナンバーです。ラストに配されているのは、カントリーのソングライター、ボブ・モリソンが後2人と一緒に書いたバラード「The One I Love The Most」です。フレディは自身でもとてもいい曲を書くのですが、選曲眼も素晴らしいものがあります。ストリングスやペダル・スティールに加えディッキンソンのピアノ、そしてフラーコのアコが過不足のないバランスで曲を盛り上げ、豊かな気持ちでアルバムを聴き終えることができます。
オーギーが単独でフィーチャーされているのは9曲目「Rosalita」。クリス・ウォリッシュという人が書いています。彼は兄弟とみられるニック・ウォリッシュとともにデュオ・アルバムを出していますが、どんな人かよくわかりませんでした。この曲ではオーギーが単独で渋い喉を聴かせます。ボレロのリズムが心地よく、フラーコのアコと並んでルイ・オルテガによるガット・ギターのオブリもいい味を出しています。ディッキンソンのピアノも入っていますが、本当に隠し味程度。でも最後のヴァースでトレモロ奏法的フレーズで存在感を見せています。
フラーコが主導するナンバー3曲はいずれも伝統的なコンフント・スタイルを基調視するものです。2曲目「Amor De Mi Vida」はフラーコとオーギーが歌うランチェラ、5曲目「My Cruel Pain」はゆったりしたボレロで、メジャーですが哀愁漂う曲です。間奏にはトランペットも登場します。タイトルは重いテーマですけどね。11曲目「Mi Morenita」は、このアルバムでも活躍しているギタリストのルイ・オルテガがフラーコ、マックス・ベカと共作したナンバーです。典型的なスペイン語のランチェラで、歌はフラーコとオルテガによるデュオのようです。
テキサス・トルネイドスのアルバムはどれもいいですが、このアルバムは程よくプロデュースされ、かなり聴きやすいものになっています。アメリカン・ルーツ・ミュージックに少しでも興味のある方にはぜひ耳にして欲しいアルバムです。このアルバムをリリースした3年後の1999年ダグ・サームが58歳で急逝、バンドは活動を休止しました。さらに2006年にはフレディ・フェンダーも鬼籍に入ってしまいました。しかし、2010年ダグの息子ショーンは、フラーコとオーギーとともにテキサス・トルネイドズを再結成。2012年にはニューオーリンズ・ジャズ&ヘリテイジ・フェスに出演した彼らを目にすることができました。オリジナル・メンバーでは来日公演もありましたが、そのときは見に行けなかったので、彼らの姿を一度でも目にすることができたのはラッキーだったと思っています。