レシーブ二郎の音楽日記

レシーブ二郎の音楽ブログにようこそ。マイペースでぼつぼつ更新していきます。

Laura Allan / Laura Allan

lauraallanローラ・アランを知っているという人はどれくらいいらっしゃるのでしょうか。同姓同名の女優さんも活躍しているようですが、彼女とは全く別人。56年という短い生涯で残したアルバムは、おそらく4枚。決して順調ではなかっただろう、彼女の音楽生活の全貌は知り得ないのですが、1978年にリリースされた彼女のファースト・アルバムは、本当に大好きで、何度聞き返して飽きのこない名盤です。

彼女のプロフィールについては、以前も少し書いたことがあるのですが、少々詳しく触れてみたいと思います。

ローラは1952年、ロサンゼルスの生まれ、父親はジャズのトランペッターだそうで、幼少期から音楽に親しむ環境は整っていたようですね。7歳の頃からギターを演奏していたようです。それから、ピアノ、フルート、チター、ダルシマーなどの楽器を次々と習得していきます。一方でスケードボードにも熱中し、大会で優勝するなどかなりの腕前だったようですね。15歳の時ドイツのハイデルベルグに留学。そこでは1年ほどR&Bバンドに加入してモータウンなどソウルを歌っていたそうです。帰国したころ、ローラはバークレーに住み、その地域の高校を卒業後、ロサンゼルスのオレンジ・カウンティに移住します。

1970年、デヴィッド・クロズビーの弟のイーサンと友達だったことから、彼女の手製のチターが、デヴィッドのファースト・ソロ・アルバム『If I Could Only Remember My Name』に収録された「Traction On The Rain」に使われることになりました。もちろん弾いているのは彼女。アルバムの内ジャケットにもしっかり彼女の写真が掲載されていますが、この時ローラはまだ18歳でした。

このあたりから音楽業界への足がかりを掴んだ彼女ですが、それから6年後の1976年再びクロズビー&ナッシュのアルバム『Whistling Down The Wire』に参加することになりました。このアルバムでは、やはりクロズビーの「Time After Time」でチターを弾いています。この頃、C&Nが所属していたABCから、ローラのデビュー・アルバムを出す計画があり、その頃のデモが2002年に再発された日本盤CDに収録されており、そこににデヴィッド・リンドレーが参加していますが、その部分については詳しく後述します。結局、ABCからのデビューはお流れとなり、新たにエレクトラと契約し、チャック・プロトキンのプロデュースにより1978年にリリースされたのがこのアルバムです。

2年後の1980年、彼女はセカンドの『Reflections』をリリースします。このアルバムは、ボーカルはあるもののスキャット中心。彼女の操る様々な弦楽器に焦点を当てたニューエイジ・ミュージック的なアルバムで、前作から大きく路線を変更しています。次にアルバムを発表するのは1996年。『Hold on to Your Dreams』で、再びポップ・ミュージックの世界に戻ってきました。1999年には『Telegragh』をリリースするも、このアルバムが彼女の最後の作品となってしまいました。2008年、彼女は癌のためこの世を去ってしまいます。

このデビュー・アルバムは、リリース時に十分なプロモーションがなされず、その内容の素晴らしさに反して、ほとんど売れず「幻の名盤」扱いされ、日本では「名盤探検隊」シリーズでもリイッシューされたりしています。

アルバムはローラの軽快なダルシマーのストロークで幕を開けます。そこにジェイ・ワインディングの小粋なエレピが重なりバンドが走り出します。曲は「Openin Up To You」私はあなたに心を開いていると呼びかける魅力的なラブソングからスタートです。ダルシマーといえば個人的にはジョニ・ミッチェルを思い浮かべますが、彼女より人懐っこい感じの歌声、技巧も申し分ありませんし、曲の雰囲気も素晴らしいです。間奏はアルト・サックスがソロを奏でます。#2は彼女の代表曲とも言える「Slip And Slide」です。彼女が爪弾くカリンバ(オヤユビピアノ)から始まる美しいナンバー。やはり、少しばかりオシャレなアレンジで、声質も似ているヴァレリー・カーターのバック・ボーカルも聞くことができます。3曲目は「Come As You Are」。おそらく不倫関係であろうつらい恋心を歌った切ないバラードで、ワディ・ワクテルのオブリガードも効果的です。4曲目「Hole In My Bucket」も忘れられない恋人を思うラブソングです。5曲目はゴスペル・タッチのピアノにオルガンがかぶるイントロ。2曲シリアスな曲が続いたので、明るい曲調になります。このアルバムは次の「So Fine」を除いて全曲ローラのオリジナルですが、この「One Way Ticket」のみ、プロデューサーのチャック・プロトキンとの共作になっています。6曲目、ジョニー・オーティスの「So Fine」のカバーは、ワディのエレトクリック・ボトルネックで幕開け。この頃は、リンダのバディ・ホリー・カバーとか、翌年のカーラ・ボノフのジャッキー・デシャノン・カバーとか、オールディーズ・ナンバーを取り上げるのがちょっとした流行になっていたみたいですね。

7曲目は「Love Can Be」。落ち着いた雰囲気のラブ・ソングですが、なんとなくすれ違った愛を修復しようとするメッセージに聞こえます。間奏はストリングスが粋なメロディを奏でます。
8曲目「Promises」は、アクースティック・ギターで始まり、トミー・モーガンのハーモニカも入る静かでフォーキーなナンバーですが、ビル・ペインのエレピがオシャレな雰囲気を醸し出しています。この曲の控えめなドラムスはハル・ブレイン、マンドリンやマンドラでデヴィッド・グリスマンも参加しています。
9曲目、「Yes I Do」は、ローラのダルシマーの弾き語りに様々な楽器をかぶせた構成ですが、曲調は明るくコード進行も結構オシャレだったりします。後半にはビル・ペインによるセンスのいいシンセ・ソロもありますし、この曲のコーラスにはウェンディ・ウォルドマンに加えペニー・ニコルズも参加しています。
10曲目「Sunny Day」は、写真家でもあるジョエル・バーンスタインが、普通のギターとハイ・ストリングスの2本のギターを重ね、達者な伴奏を披露する短いナンバー。歌とギターのメロディがリンクしますが、二人の息もピッタリ合っています。アルバムのラストを飾るのは「Stairway」。悲しげなこの曲は人生をテーマにしています。こんな歌詞も出てきます。「どうして疑問を持ち続けるの。私はすでにその答えを知っている。どうして鍵を探し続けるの。開かれたドアのそばに立つ時、時に私は感じる。私は前に何度もこの階段を上った。そしてエンディングがまた繰り返す。」ピアノはビル・エリオット。ストリングスのアレンジと指揮はデヴィッド・キャンベルです。

リズム・セクションも超豪華。ドラムがジム・ケルトナー#1、#7、リック・マロッタ、#2、”6、ハル・プレイン#8、ベースがリー・スクラー#2、#7、#8、ボブ・グロウブ#6、エブライム・ラボリエル#1、ドラムがジェフ・ポーカロ、ベースがチャック・レイニーのコンビものが#3、#4、#5、#9となっており、それにギターでワディ・ワクテル、キーボードでジェイ・ワインディングやビル・ペイン、クレイグ・ダーギらが名を連ねています。コーラスは上記の3人に加え、アーノルド・マッカラー、デヴィッド・ラズリーというジェームズ・テイラーのバックバンドから二人が参加しています。まさに、西海岸のトップ・ミュージシャン名鑑。サウンドは悪かろうはずはありません。その中に、ローラ自身の弾くダルシマーやカリンバが違和感なく溶け込んでいます。

さて、ここからが問題のボーナス・トラックです。

全10曲中、7曲が、ドラム、ジム・ケルトナーあるいはデヴィッド・ケンパー、ベース、リー・スクラー、ギターとラップスティール、デヴィッド・リンドレー、ピアノとエレピ、クレイグ・ダーギ、サックス、チャーリー・ケンデルといった豪華メンバーをバックに従え、ABCと契約していた1976年7月に録音されながらもオクラ入りとなっていた曲なのです。他の3曲はドラムレス、ベースレスのアクースティックな作品です。

まず、そのアクースティックな作品から見ていきましょう。1975年3月、カリフォルニア州ミル・バレーの33 ウォルナット・スタジオで録音された#15「Radio」は、当時ABCのA&R担当だったジョージ・デイリーと、ジョー・リッシオの2本のアコギのみの伴奏で歌われています。これが本当にいい曲なんです。すれ違ってしまった恋人ミュージシャンとの思い出の曲をラジオで聴くという切ない内容ですが、すでにローラの歌声も曲づくりの才能も十分に開花しています。この曲がずっと未発表だったとはなんとももったいない話です。#19の「Slip And Slide」は、本編にも収録されていますが、ここではカリンバ1本だけをバックに歌われます。歌詞はサビ以外はスキャットですが、出だしの失敗してやり直すことろまでも含めて、なんとも愛らしい演奏。極めてシンプルな構成ながら曲として十分成立しています。ずっと後のアルバムでも再演しているし、彼女にとっても自信作なんでしょう。ライナーノートでは「(1975年に)ヘイト・アシュベリーにあったグレアム・ナッシュのプライベート・スタジオ、ルディで録られています。」とあります。ローラから届いた手記にしたがっての記述だそうですが、クレジットの方では、1976年7月にハリウッドのクローバー・スタジオで録音されたことになっていてライナーとの齟齬があります。いずれにせよ、「Slip And Slide」はローラのごく初期からのレパートリーで何度かレコーディングが繰り返されたのでしょう。「Stairway」はおそらくローラ自身のピアノ弾き語りのスタイルのシンプルなバージョンが収録されています。

スティーヴン・ビショップから提供され、本人も後にセカンド・アルバムに収録する「Looking For The Right One」は、#12と#20の2バージョンが収録されています。いずれも、デヴィッド・リンドレーのエレクトリック・ラップ・スティールによるオブリガードが曲のカラーを決定づけています。とっても穏やかで繊細なバラード、猛者たちの伴奏もバッチリ決まっています。#12の方ではリンドレーがフェイザーのかかったエレクトリック・ギターでバッキングを弾いていて、ダーギのエレピがなかなか出て来ないのですが、#20の方ではリンドレーのリズム・ギターが無く、最初からダーギのエレピが聴こえてきます。

#13の「Looking at You」は、ローラのオリジナル。アップテンポの心地よく軽快なナンバーで、最初の間奏でリンドレーがトレードマークのラップ・スティール・ソロを奏でます。次の間奏では前半サックス、中盤からリンドレーのラップスティールが絡んできて、後半はリンドレーのソロになります。リンドレーがサックスと競演するというのも珍しいのですが、見事といか言いようのないフレーズの交歓を楽しむことができます。クレイグのエレピも実にいい感じ、一旦曲が終わったと思わせておいて、後奏が始まるというあたりもニクい演出です。

#14の「Sweet Lovemaker」もローラのオリジナル。ダルシマーで幕をあけ、エレピが絡んできます。ここでリンドレーは通常のエレクトリック・ギターによるバッキングに徹していますが、特に前半で低音弦を生かした伴奏が目立ちます。

#16の「Back Door」は、ローラとABC時代のA&R担当ジョージ・デイリーの共作です。アコピの高音部のアルペジオで静かに始まり、早速リンドレーのエレクトリック・ラップ・スティールがオブリを奏ではじめます。サビではボーカルに寄り添ったリンドレーのオブリはとっても心地よいですし、1-2番のつなぎではごく短いソロも聴けます。

#17の「Gather Together」はローラ単独のオリジナル。ダルシマーとエレキ・ギターで始まるアップ・テンポのナンバーです。リンドレーは全編バッキングに徹しています。クレイグのアコピは美しいのですが、ソロをとるわけでもなく、エレクトリック・ラップ・スティールが入るわけでもなく、「糊代」を残しているように感じます。

#18の「Love Can Be」は本編にも収録されたナンバー。ダルシマーで幕を開け、すぐエレピやサックスが入って、少々気だるい都会的な雰囲気を演出します。本編では間奏はストリングスですが、こちらではローラのスキャットにサックスが薄く被っているようです。このトラックにはどうやらリンドレーは不参加みたいです。

以上のように、オクラ入りにするにはもったいない楽曲と演奏が並んでいますが、このボーナス・トラック入りの再発は自分のようなリンドレー・ファンにとってはとってもありがたいものです。ローラも、1996年の『Hold on to Your Dreams』で「Back Door」と本編にも収録の「Stairway」を、2000年の『Telegraph』では「Sweet Lovemaker」を本編にも収録の「Slip and Slide」と共に再演しています。クレジットでは、#15以外の9曲は1976年7月にクローバー・スタジオで録音され、うち#13、#14、#18、#20は同年9月にサンフランシスコのヒズ・マスターズ・ウィールズでミックスがなされたとなっています。ボーナス・トラックは全て2002年まで未発表だったバージョンばかり。ABCとの契約がお流れになったことによりオクラ入りとなったものや、もともと発表予定でなかったプリプロダクションの楽曲です。上記のように「糊代」を残した未完成のものもありますが、ボーナス・トラックだけでも十分に独立した「作品」としてアルバムになりそうだと感じます。しかし、音楽業界の大きな変革期であったこの時代、ABCの関係者はこの録音がヒットするとは考えられなかったのでしょうね。結局、作品を一つも発表しないままエレクトラに移籍した彼女は、この盤の1〜11曲目からなるデビュー作をものにするわけです。ABCから発表するはずだったトラックの録音メンバーのうち、ケルトナー、ダーギ、スクラーは本編の録音に呼ばれましたが、どういうわけか、リンドレーにはお呼びがかかりませんでした。いや、お呼びがかかったのかもしれないけど、スケジュールが合わなかったのかも知れませんね。リンドレーがエレクトラ盤に参加していれば、アルバムの雰囲気がまた少し違っていたことでしょう。

1978年というと、ニコレット・ラーソンやリッキー・リー・ジョーンズがデビューした年です。前年にはカーラ・ボノフやヴァレリー・カーターがデビューしています。ほぼ同世代の彼女のたちのデビュー作に比べると、ローラのアルバムは全然売れませんでした。しかし、その内容は本当に素晴らしく、ジャケットも含めたプロモーションの失敗としか考えられません。シンガー・ソングライターからAORへの過渡期であるこの時代、その両方の「良さ」を見事にブレンドした作品だと思うのです。バックのメンバーも本当に豪華だしね。リッキー・リーのような強烈な個性や洗練は、彼女にはないかも知れませんし、歌声や楽曲の個性はさほどでもないかも知れません。けれども、このアルバムの完成度の高さはトータルで見たとき、上記のミュージシャンやリンダ・ロンシュタットやジョニ・ミッチェル、カーリー・サイモンら上の世代と比べても何ら遜色がないと思うのです。もちろん好みの問題もあるでしょうけど、私はこのアルバムの2002年再発盤を聴いてローラの大ファンになりました。しかし、2008年には 彼女の逝去のニュースがひっそりと流れました。一度くらい彼女の生の演奏に接してみたかったものです。

五十嵐正著/ ライ・クーダー アルバム・ガイド&アーカイブス

rybook画期的な本です。8月21日だったかの発売日直後には入手して、すぐに全部読み上げていたのですが、レビューは今頃になりました。

楽譜集を除けば、日本で初めての100%ライ・クーダーに関する単著です。これを快挙と言わずしてなんと言いましょう。五十嵐正さん、シンコーさんありがとうございます。
過去に、いろいろな雑誌でライ・クーダーの特集が組まれてきました。1982年のベア・バックNo.18、1986年のミュージック・マガジン7月号、1988年のスイッチ4月号、1990年のレコード・コレクターズ6〜8月号(3号連続)、同年のギター・マガジン8・9月号(2号連続)。他にも1995年のプレイヤーの楽器紹介や、1999年のリットー・ミュージックのムック本ロスト&ファウンドを始め、来日時のインタビュー、器材紹介、ライブ・レポートなどを目を皿のようにして読み、ライに関する知識を吸収してきたのですが、ようやくこういう本が出版される時代になったのですね。もちろんターゲットの中心は、私たちのような50代以上の長年のファンでしょう。そうそう、ライ・クーダーの楽譜集は1978〜9年に2冊出てますね。音楽之友社とミュージック・セールス社からの刊行でした。

章立ても素晴らしく、ライ・クーダーの長い音楽人生をわかりやすく俯瞰することができます。冒頭の第1章に、最近リリースされたタジ・マハールとの『Get On Board』と、ライとタジの「出発点」であるライジング・サンズをまとめて取り上げるというニクい演出です。

第1章 Get On Board タジ・マハールとの共演作、「Get On Board」が生まれるまで/ アルバム解説 ライジング・サンズ
第2章 Biography 誕生〜若き日々/ソロ・デビューから現在まで
第3章 1967-1970 Session Works セッション・ワーク概説/アルバム解説/ローリング・ストーンズとのセッション
第4章 Solo Albums 1970s インタビュー(1971年)/アルバム解説
第5章 Solo Albums 1980-90s アルバム解説/インタビュー(リトル・ヴィレッジ、1992年)
第6章 Film Music 映画音楽について語ったインタビュー(1995年)/アルバム解説
第7章 Collaborations Across The Globe アルバム解説/「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」とライ
第8章 Solo Albums 2000-2010s アルバム解説/インタビュー(2008年、2009年、2013年)
第9章 Productions & Sessions etc. アルバム解説/セッション参加作30選
第10章 Cooder Family ワキーム・クーダー/アルバム解説

章立ては、すっきりとまとまっています。もちろん、映画音楽は1980年代から2000年代に及ぶし、ワールド・ミュージック的な活動も70年代から始めてはいるのですが、おおむねライが辿ってきた足跡を追うように見事に編集されています。テックス・メックスやハワイアンについては、後のコラボも含めて第4章で紹介し、第7章では、沖縄、インド、アフリカそして、キューバのミュージシャン達とのコラボに大きく紙数が割かれています。

特筆されるのは、やはり蔵出しインタビューでしょう。その時々のライの生の「言葉」をまとめて読めるのは幸せです。ここまでするなら、各時期のツアーのセットリストやバンド・メンバーなどにも言及が欲しいところです。あと、残念なのはせっかく第3章を設けているのに、ポール・リヴィア&ザ・レイダーズの『Revolution!』、マーク・リヴァインの『Pilgrims Progress』、ジェントル・ソウルとフュージョンのデビュー作といった重要セッションのアルバム紹介がないことです。第9章の選盤は妥当と思いますが、1ページに6枚で解説文が短すぎる気がします。あと、ライが取り上げた古いマテリアルのオリジナル音源との比較もやや少ないです。このあたりは1990年のレコード・コレクターズの方が充実しています。けれど、出版社側にも採算の問題があるでしょう。五十嵐さんも泣く泣く削った箇所も多々あるのでは、と思います。

それほどじっくりチェックしたわけではありませんが、事実誤認もほとんどありません。気づいたのは1992年のパヒヌイ・ブラザーズのアルバムが、「本土のバーバンクのスタジオでの録音」となっていることくらい。実際にはハワイ録音の部分とロサンゼルスで録音した部分とがあります。それと、1988年の来日公演に体調を崩し戦列から外れたジム・ディッキンソンに代わりヴァン・ダイク・パークスが客演したのは、「たまたま自身の来日公演で日本に来ていたから」とありましたが、そうではなく、ヴァン・ダイクはライとの日本公演を終えて一旦帰国し、再び自身のコンサートのために来日したと記憶しています。何れにしても、瑣末な問題ですね。かくいう私のblogにも間違えはたくさんあります。

あと、ライの歌や演奏を聴くことができるコンピについても「ライが参加した企画盤をおさらい」として1ページを割いているのに、1曲だけとはいえ本人の自作ブルーズの弾き語りを聴くことができる2015年ベア・ファミリーの4枚組ボックスセット『40!!!Years Bear Family Records』への言及がないのも、ちょっと残念でした。

この本を読んでの新たな発見はたくさんありました。ライの両親の出自も初めて詳しく知ることができました。クーダーという珍しい名字から、父方がイタリア系だと思っていましたが、父はカナダ生まれのアメリカ人で、母がイタリアからの移民で幼少期はとても貧しかったそうです。続いて、ライが1970年代にキューバに旅行したことがあるということは、彼のインタビューで知っていましたが、1977年当時のカーター大統領とカストロ議長の間で、対立関係の緩和が話し合われ、その一環としてディジー・ガレスピーらジャズの大物ミュージシャンがハバナでの文化交流コンサートに招待された時、その話を聞きつけたライがツテを頼って同行させてもらい、ニコ・サキートらの演奏を体験したという話は初耳でした。

著者の五十嵐さんは英語が堪能な方なので、古いブルーズの曲などに隠された真の意味を学ぶことができたのは大きな収穫です。あと、本人も「熱心なファンにも知られていないかも」と書いていた1987年のウォルター・ヒル監督の映画『ダブルボーダー』(『Extreme Prejudice』)のうち、メキシコ系の音楽のプロデュースをライが担当していたことは確かに知りませんでした。早速DVDを買って見ました。結構メキシコ系の曲はたくさん使われているのに、ジェリー・ゴールドスミスによるサントラ盤には収録されていないようです。いずれ、この映画についてもレビューしなければいけませんね。フラーコらしいアコーディオンの音を聴くことができます。

そんなわけで、読み応え十分、情報満載の単著。カラーページも多く貴重な写真もたくさん使われています。おそらくこのブログを見てくれているライ・ファンの方々は入手されていることと思います。リットーさんも、負けじとライの各時代の機材紹介や、ライ・クーダー奏法の楽譜を満載した一冊を出してほしいものです。

Leo Sayer / Leo Sayer

leosayerイギリス出身のシンガー・ソングライター、レオ・セイヤーの6枚目のアルバムはセルフ・タイトル。1978年リリースです。リチャード・ペリーのプロデュースのもとロサンゼルスの腕利きミュージシャンを集めて録音されました。もちろんロス録音です。このアルバムにリンドレーが3曲参加しています。彼が全米ナンバー1ヒットを出した1976年以降の作品ですから、こういう豪華な顔ぶれが揃うのも当然のことですよね。この時代のエンターテイナーの中では、レオはどちらかというとルーツ寄りの資質を持っているようです。ハーモニカも演奏するし、カントリー系の楽曲もあるし。しかし、この時代の売れ線サウンドはAOR寄り、しかも、TOTOのメンバーもがっつり入っていて、その移行期の音楽層を見事に表したアルバムになっています。

リンドレーの参加曲は、3曲。冒頭の軽快なミディアム曲「Stormy Weather」では、ラップ・スティールを弾いています。左のスピーカーからボリューム奏法で聞こえてくるスティールっぽい演奏がリンドレーかな、と思っていたら、これはどうやらスティーヴ・ルカサーが弾いているようです。後半になって右スピーカーから、リンドレーのオブリが少し聴こえてきますが、少しだけ彼らしいリックが出てくる以外ほとんど目立たないですね。ちなみに間奏のリードはレオのハーモニカです。ドラムはジェフ・ポーカロ、ベースはギタリストのディーン・パークスが弾いています。トム・スノウとレオの共作で、エレピはそのトム・スノウです。

2曲目、少しばかりカントリー調の「Dancing The Night Away」はアメイジング・リズム・エイセスのカバー。では間奏のフィドル・ソロはリンドレーにしか出せない印象的なサウンドです。エンディングでもその個性を存分に発揮しています。また、この曲でもエレクトリック・ラップ・スティールも重ねています。2コーラス目から彼らしい、かっこいいオブリが出てきますが、ソロはありません。ドラムはジェフ、イントロの印象的なピアノはジェームス・ニュートン・ハワード、ウーリッツァーはデヴィッド・ペイチ、アコギはディーン・パークスとフレッド・タケットです。いい曲ですよね。

8曲目「Frankie Lee」はレオとレイ・パーカー・ジュニアが共作したAOR的な軽快なナンバー。リンドレーのマンドリンはハイトーンリズムを刻んでいます。面白い試みですが、リンドレーのソロはありません。この曲もポーカロ、ルカサー、ペイチといったTOTO勢にレイ・パーカー・ジュニア、ジェイムス・ニュートン・ハワードらが参加しています。

上記のように、大半のセッションがTOTOのメンバーを中心とした布陣で録音されていますが、ベースはレオの前作には参加していたTOTOのデヴィッド・ハンゲイトではなく、スコッティ・エドワーズが多くを弾いており、「Running To My Freedom」にはチャック・レイニーが客演しています。バンド編成の曲のうち2曲は、ラス・カンケルとリー・スクラーのリズム隊が参加しています。うち1曲はビリー・ニコルズがホワイト・ホース時代に書いた名曲「I Can’t Stop Loving (Though I Try)」で、後にフィル・コリンズもヒットさせたナンバー、ワディ・ワクテル、グレッグ・フィリンゲインズらが脇を固めます。

このアルバムでレオは、リンドレーの盟友ジャクソン・ブラウンの名曲「Something Fine」もカバーしています。リンジー・バッキンガムが達者なアコギで伴奏し、コーラスも歌っています。ギターだけをバックにしたシンプルな演奏です。アルバムのラストを飾る「No Looking Back」も静かなバラードで、共作者のトム・スノウのピアノとストリングスだけをバックに歌われます。

自分が購入したCDは前作『Thunder In My Hearts』との2枚組ですが、ラストに2曲ボーナス・トラックが入っています。この2曲にはミュージシャン・クレジットがありません。うち1曲の「New Orleans」は、「いかにも」という感じのホーンズが入っています。初期のニューオーリンズ・ジャズ・バンドにはバンジョーがつきものですが、ここでも素敵なバンジョーが入っています。確証は全くありませんが、リンドレーが弾いている可能性も少しはあると思うのですが、どうでしょう。

この時期に結構人気のあったレオ・セイヤー、これぞMORというサウンドですね。リンドレーも見事に溶け込む職人技を見せていますが、後にTOTOのアルバムに客演する布石にもなったことと思います。卓越したラップ・スティールとフィドルの技は、多くのミュージシャンやプロデューサーから渇望されていて、ジャクソン・バンドの合間を縫って、こうしたセッションに駆けつけていたのでしょう。

The Tractors / The Tractors

The Tractors_1994年リリースです。あくまで無骨な南部風アメリカン・ロック・バンドです。ジャケットはご覧の通り、ライトアップされているとはいえ、農作業のためのトラクター。想像に難くないレッドネック系の音で、カントリー・ロックもたくさん入っていますが、「爽やか系」の音は一つもなく、よくもまぁ、こんなものを大手のアリスタがリリースしたもんだと感心しました。もう一つ、この頃、ワールド系か仲間内のアルバムでないと、なかなかセッションに参加しなかったライが、この、何の変哲も無いロックバンドのアルバムに1曲だけとはいえ参加した理由がしばらくわかりませんでしたが、その謎は解けました。このバンドのリーダー格で、ギター&ボーカルがスティーヴ・リプレイだからです。

スティーヴ・リプレイというと、ロサンゼルスではよく知られたギター・ビルダーです。1950年生まれでライより3歳年下になります。彼は生まれこそアイダホですが、幼少期よりオクラホマで育ち同州立大学を卒業しています。彼はスタジオ・ミュージシャンやレコーディング・エンジニアとして腕を磨く一方、1982年にはリプレイ・ギターズをバーバンクに設立。ライ・クーダー、ジョン・ハイアット、スティーヴ・ルカサー、J.J.ケイル、ジミー・バフェット、エドワード・ヴァン・ヘイレンらにギターを提供しました。1987年にはオクラホマ州タルサにチャーチ・スタジオを設立、94年にはトラクターズでメジャー・デビューしています。リプレイのギターで有名なのはクレイマーが配給したステレオ・ギターですが、ライ・クーダーも複数所有していました。ヴァン・ヘイレンもリプレイのギターを愛用していたようで、彼が使ったことにより、クレイマーのギターはその販路を大幅に拡大したようです。リプレイは、他にもラジオのホストなどもこなす才人だったようです。

ライが、このアルバムに参加したのは、ハンドメイドのギターを提供してくれたリプレイのたっての願いだったからでしょう。彼以外にも、ボニー・レイット、J.J.ケイルといったスターが参加し、アルバムを盛り立てています。リプレイがトラクターズを結成したのは1988年、メンバーの多くはオクラホマ出身で、みんなバッキング・ミュージシャンの経験がありました。ドラマーのジェイミー・オールディガーはエリック・クラプトン・バンドのメンバーとして活動しており、1985年の『Bihind The Sun』ツアーの来日公演では彼のプレイを目の当たりにしました。

リプレイは70年代からスタジオの仕事を始め、J.J.ケイル、レオン・ラッセル、クラレンス・ゲイトマウス・ブラウンらのアルバムにエンジニアやプロデューサーとして参加する一方で、ボブ・ディランの『Shot of Love』にはギタリストとして参加。1981年のツアーではフレッド・タケットとともにディランをバックアップしました。その頃のことを回想してジム・ケルトナーは次のように語っています。「スティーブは実に様々な才能を持っていた。ライ・クーダーは彼にとてもユニークな機材をカスタマイズさせ、それが最終的に彼のサウンドのとてもクールな一部となったんだ。スティーブは1981年にボブ・ディランの素晴らしいゴスペル・バンドに参加し、最後の2つのツアーを一緒に回ったんだ。ボブとのツアーではみんなとても楽しい時間を過ごしたよ。彼と偉大なフレッド・タケット、それに僕の相棒のティム・ドラモンドが一緒になって、ボブの音楽を彼の後ろで演奏したことは、一生忘れられないものになったよ!”」(The Tractorsのオフィシャル・ホームページより)。そう言えば、リプレイはディランのアウトテイク「Need A Woman」でも弾いていますが、この曲は若干歌詞を変え、ライが『The Slide Area』に収録したことでも知られていますよね。

さて、このアルバムに収録されているライ参加曲は、「The Blue Collar Rock」です。心地よいサビからスタート、最初のヴァースは「ガキの頃、エルヴィスはキングだった。」という言葉から始まります。ライ自身もエルヴィスのナンバーを2曲カバーしていますし、リトル・ヴィレッジの面々など、ライと気心の通じる人々は、1950年代のロックンロール・ブームに強い影響を受けてきた人々です。リプレイもその例に漏れないわけです。曲は、各楽器が少し音出しをするところから収録されていますが、この時に響くライのエレクトリック・ボトルネックの音色だけで痺れてしまいます。曲はゆったりしたホンキートンク調。でもビートはビシッと決まっています。ライは間奏で、スライドの妙技をあますところなく披露。エンディングのソロはメンバーのロン・ゲットマンによるスティール・ギターが奏でます。また、この曲のドラムにはジム・ケルトナーが参加しています。ケルトナーとオールディカー、オクラホマが産んだ2大ドラマーの共演が聴けるのです。リプレイおおそらく低音弦で渋いリフを決めています。この曲のサンクス・クレジットにオーシャン・ウェイ・スタジオのアレン・サイズの名前があるので、ライはソロの差し替えか、何らかの修正をやったのかも知れません。ブックレットにはケルトナーとJ.J.ケイルに挟まれたライの写真もあるし、出だしのサウンドから考えて、とりあえずはチャーチ・スタジオで一発録りで収録したんだとは思うのですが。

そのほかのナンバーも、ご機嫌なものが多いです。冒頭に収められた「The Tulsa Shuffle」には、ボニー・レイットがエレクトリック・ボトルネックで、J.J.ケイルがギターで、レオン・ラッセルがシンセで、そしてジム・ケルトナーがドラムで参加しています。ホーンも入ったサザン・ロック・サウンド。悪かろうはずはありません。3番の歌詞には「俺はビートルズ、ザ・フー、ローリング・ストーンズが大好きだ。俺はナッシュビル・カントリー、テキサスのテックス・メックス、ケイジャン、モータウン・ソウルが大好きだ。」なんてフレーズも出てきます。2曲目の「Fallin’ Apart」は、打って変わって田舎風カントリー・ロック・サウンドです。人懐っこい曲調に頬も緩みます。この曲ではロンの弾いているリゾネーターのスライド・ソロが光っています。3曲目はチャック・ベリーの「Thirty Days」。もちろんノリノリのロックンロールですが、カントリー的な側面を強調したプレイになっています。ここでもロンはエレクトリック・ボトルネックのソロを披露。スライドの支配率の高いアルバムとなっています。4曲目「I’ve Had Enough」はミディアム・ナンバーですが、ここではロンはスティール・ギターの雰囲気のある演奏で曲を盛り立てています。間奏ではフィドルも少し顔を出します。

5曲目「The Little Man」は、転がるブルーズ・ピアノで心地よく始まるナンバー。再びボニー・レイットがエレクトリック・ボトルネックで参加し、味わいのあるプレイを聞かせています。6曲目「Baby likes to Rock it」ご機嫌なブギウギ・ナンバー。こちらもピアノのローリングがたまりません。全米のカントリー・チャートでは11位まで登るヒットを記録しました。7曲目「Badly Bent」は、思いっきり田舎っぽいカントリー・ロック・ナンバー。この曲でもリゾネーター・ギターが活躍しています。続く9曲目「Doreen」は、ブルージーなウェスタン・スウィング調のナンバー。エレキ・ギターのソロは名手エルドン・シャンブリンの速弾きを楽しむことができます。カントリー・ロッキンな心地よい演奏が続きます。10曲目の「Sittin’ The Woods On Fire」1950年代のハンク・ウィリアムズのカバーです。11曲目「Tryin’ to Get to New Orleans」、ザディコ風のアコーディオンで始まるご機嫌なナンバー。ニューオーリンズへの憧れがテーマのようです。12曲目、再び冒頭のThe Tulsa Shuffle」のリプライズです。歌詞や構成も少し違っていて尺も短いですが、かっこいいことこの上なしです。こちらは、「エルヴィスやビートルズの時代に戻ろう」なんてフレーズから始まります。

このアルバムを聴いていると、田舎のオヤジたちが実に楽しそうにプレイしている姿が目に浮かびます。現実が辛いからこそ、音楽をやるときくらいは明るく笑って明るく過ごし、また明日からの日常に戻っていく、そんな場末の「週末」ミュージシャンの香りが漂ってきます。けれど、今まで見てきたように、メンバー各人は卓越した演奏力を持っています。アルバムは全米のカントリー・チャートでは2位、カナダの同チャートでは2位という大ヒットを記録。1990年代後半という時代に、こういう作品をリリースして、そこそこのヒットを記録するなんて天晴れですね。しかし、高名なバイプレイヤー達の集団なので、パーマネントな活動はできず、メンバーの活動の基盤はあくまで、スタジオやツアーミュージシャンだったようです。それでもトラクターズはアリスタに3枚のアルバムを残し、2002年にリプレイが起こしたボーイ・ロッキン・レコードから4枚をリリースしています。このレーベルからはレオン・ラッセルやレッド・ダート・レンジャーズも作品を発表しています。ripleyblack


オクラホマといえば、古くはウッディ・ガスリーの出身地だし、1960年代から70年代にはレオン・ラッセル、ジェシ・エド・デイヴィス、J.J.ケイル、カール・レイドル、ジム・ケルトナーといった出身のミュージシャンがロサンゼルスで大活躍しました。リプレイも彼らよりちょっと若いけど、オクラホマ人脈の一人として親交があったのでしょう。ラッセル、ケイル、ケルトナーはみんなこのアルバムに参加しています。
90年代から00年代まで断続的に活動を続けたトラクターズですが、ここ数年オリジナル・メンバーが相次いで鬼籍に入っています。まず、リーダーのリプレイが2019年1月に69歳で癌のため他界、2020年7月にはジェイミーが同じく癌のため、68歳で逝去しています。2021年の1月にはギタリストのロンも病のため71歳で亡くなっています。

ところで、スティーブ・リプレイが製作し、ライ・クーダーに提供したエレキ・ギターは3本知られています。まず、1990年の『ヤング・ギター』誌6月号に「Ry Cooder and David Lindley Guitar Collection」という記事があって、ライのギター14本が紹介されています。ripleynatural4ページの短い記事なので、ギターの写真が小さいのが玉に瑕ですが、この号もザック・ワイルドやポール・ギルバートといったハード系が特集されている中にあって、カラーページに掲載されただけでも、よしとしなければならないのかも知れません。そこに出てるリプレイのギターは2本。まず黒いステレオ・ギターは、最近売りに出した奴ですね。トップの上部についている6個のノブは弦を1本1本パンニングできる機能です。裏にはトレモロ用のスプリングも装着されているとのこと。ヤング・ギターの記事には「ヘックス・ディストーション(PUのことか?)」とあります。写真で見る限りピックアップはリアにハムが搭載されているだけのようです。1985年頃の作品とのことです。もう1本はナチュラルの3ピックアップ仕様。これもステレオ・ストラトキャスターと書かれていますが、こちらはにパンニングのようのノブはトップには付いていないみたいです。レコードコレクターズ誌の1990年ライ特集号は、このギターを抱えたライの写真が表紙でした。1995年の『プレイヤー』誌12月号は、大々的なライ・クーダーの楽器特集が掲載されています。ripleyredこちらに、1995年8月の来日時に持ってきていたリプレイの赤いステレオ・ギター2ピックアップ仕様が掲載されています。こちらの解説では「ボディの左側には6つのツマミが並んでいるが、これはかくげんの出力用ボリューム、バルトリーニのヘキサホニックP.U.は中が6つの小さなP.U.に分かれており、それぞれ独立して出力することができるという優れモノ。下の6つのミニ・スイッチは、各弦の出力を左右にセレクトするためのもの。」と記されています。黒いギターもピックアップの数などを除き同様の仕様と思うのですが、実際のところはどうなんでしょうか。

Eddie Money / Life for the Talking

eddiemoney2019年というと、ドクター・ジョン、デイヴ・バーソロミュー、アート・ネヴィルといったニューオーリンズの巨匠達が立て続けに亡くなった年であり、リトル・フィートのポール・バレールが亡くなった年としても記憶に新しいのですが、この年の9月に、この方も70歳という若さでお亡くなりになっていたんですね。知りませんでした。バレールより1歳年下でブルース・スプリングスティーンは同い年だったんだ。死因は5月に受けた心臓弁置換手術の合併症なんだそうです。遅ればせながら、ご冥福をお祈りしたいと思います。

エディ・マネーはニューヨークのブルックリン出身。祖父や父は警官だったそうで、18歳には警察の訓練生になりますが、その道には進まず、サンフランシスコに移住、クラブで演奏するようになり、ビル・グレアムに見出されて1977年にファースト・アルバムをリリースします。この頃にはすでに28歳になっていました。ミュージック・ライフの東郷かおる子さんのインタビューに「俺は最初からロックンローラー以外にはなりたくなかった。警察学校に入ったのも、親父のためでなく、警官上がりのロックンローラーなんて絶対面白いと思ったからだ。」と応えています。当時の人気者だったブルース・スプリングスティーン同様、労働者階級の人々の思いを代弁するような歌詞が注目を集めたようです。このアルバムは、それに続く2作目。

リンドレーが参加している曲は「Gimme Some Water」1曲のみ。フェイザーがやや強めにかかったエレクトリック・ラップスティール・ギターでほぼ全編で弾いています。間奏もリンドレーならではの味のあるリードを。前曲「Nightmare」にもジミー・ライオンが弾いているボトルネック・ギターが登場しますが、全くアプローチが異なりリンドレーの存在感が際立っています。曲はアルバムの中では異色のストーリー仕立てになっていて、西部開拓時代に殺人を犯してしまった無法者の独白調の歌詞が印象的です。

アルバムには、ゲイリー・マラバー、トム・スコット、ニッキー・ホプキンス、グレッグ・フィリンゲインズといった猛者達が参加していて、心地よい演奏を楽しむことができます。AOR全盛のこの時代に、ストレートなロックンロールで押す姿勢は爽やかですが、個人的にはさして心惹かれません。日本盤のオビの裏側には「ストリート・ロックンローラー・ディスコグラフィ」と題され、エディ・マネーのファースト、スプリングスティーンの『Darkness on the Edge of the Town』、デヴィッド・ヨハンセン、ジュールズ&ザ・ポーラー・ベアーズ、スティーヴ・フォーバート、エリオット・マーフィのアルバムが紹介されています。いずれもコロムビア系列のアーティストでしょうけど、オシャレな音楽が流行していた時代に、ストレートなロックンロールを信条としいた奴らがたくさんいたんだな、と思いつつ、市井の米国白人が求める音楽って、ずーっとこういうサウンドが基調にあるんだろうなぁとか考えたりしています。そんなことを思いながら、このアルバムを流しながら聴いていると、ラスト前の「Nobody」というナンバーがなんだかちょっと気に入ってしまいました。

Pops Staples / father father

popsstaplesfatherボブ・ディランのドキュメンタリー映像だったと思うのですが、メイヴィス・ステイプルスが「最初にこの曲を聞いたとき、どうして、この白人の若者が、黒人のことがわかるの、と思ったのよ。”どれだけ道を歩いたら人として認められるのだろう” それは、まさに私の父の人生だったわ。」という意味のことを話しているのを見たことがあります。そのメイヴィスの父、ポップス・ステイプルスが、このアルバムの主人公です。黒人差別が激しい時代に生まれ、中年、壮年になってもずっと年下の白人から「Boy」と呼ばれ、一人前扱いされないのは当たり前、公民権運動の時代にはKKKに狙われながら、解放運動の旗を振ってきた方です。

ポップスは1914年生まれ。伝説的なロバート・ジョンソンとはほぼ同世代、チャーリー・パットンやサン・ハウスのブルーズを聴いていたようです。ミシシッピのプランテーションで生まれ育ち、少年の頃から奴隷的な労働に明け暮れていた一方、音楽と出会い学校をドロップアウトしてゴスペル・グループで歌っていたそうです。1935年、北部の工業化と戦争の激化に伴う黒人の大移動の波に乗って、シカゴに移住します。シカゴでもゴスペル・グループに所属し黒人教会で演奏していましたが、1948年頃に娘や息子とファミリー・バンドのステイプル・シンガーズを結成します。彼らは中西部の教会で活動をしていましたが、次第に実力が認められ1953年にレコード・デビューをします。ポップスはすでに39歳でしたが、メイヴィスはまだ14歳でした。彼らは1950年代から80年代まで、ゴスペル界をリードし、マーティン・ルーサー・キング牧師はじめ多くの著名人と交流があったことは、つとに有名です。

このアルバムは、そのポップス・ステイプルスが放った、ポイントブランクからの第2弾アルバム。彼のソロ作としては3枚目で前作から2年を置いた1994年のリリースです。前作は著名なミュージシャンを複数参加させてのトリビュート的な意味合いが強かったのですが、今回は自身の娘たちとライ・クーダーを除いては著名なミュージシャンは参加しておらず、やや地味な印象を受けますが、内容については文句のつけようがありません。

ライ・クーダーのプロデュースおよび参加曲は2曲。ギターはポップスとライ、コーラスはテリー・エヴァンズのアルバムに参加していたベテランのゴスペル・コーラス・グループ、パラマウント・シンガーズです。この布陣だけでも内容は保障されています。ポップスは娘達と長くステイプル・シンガーズとして活動していましたが、あえて男声コーラスをぶつけてきたのは前作と同じです。ところで、ドラムにジム・ケルトナーのクレジットがあるのですが、耳を凝らして聴いても全くドラムとパーカッションも聴こえてこないのです。エンジニアはウォーター・リリー・レーベルのカヴィ・アレキサンダーが担当しています。

2曲のうち1曲目「Jesus is Going to Make up( My Dying Bed)」は、ブラインド・ウィリー・ジョンソンのレパートリー。ライはジョンソンに敬意を表してイントロからおもいっきり不気味なアクースティック・ボトルネック・ギターを弾いています。ひとしきりライがソロを弾くと、ポップスが「イエイ」と掛け声をかけ、トレモロのかかったエレキ・ギターを爪弾いて歌い始めます。ほかに、さらにもう1本のアクースティック・ギターの音色が聞こえてきます。このギターはノンスライドで時折オブリガードを弾いており、ライによるダビングを思われます。

この曲の歌詞は強烈です。「私が死ぬときには、誰にも悲しみで嗚咽して欲しくない。死ぬのは簡単だ。ジーザスが死の床を整えてくれるだろう。ジーザス、会いにきてくれ、宙空で会ってくれないか。もし私の羽で飛べないなら、別の羽をつけて会いにきてくれ。ジーザスが死の床を整えてくれるだろう。河を下ろう。刃を砂に突き立てよう、私のトラブルは終わったと叫ぼう。約束の地で。河を渡ろう。ジーザスが死の床を整えてくれるだろう。イエスを知ってから、片時も彼と離れなかった。彼は私の手のひらにレシーバーを置いた。私の心に真実の教えを授けた。ジーザスを呼び出すことができるのさ。ジーザスが死の床を整えてくれるだろう。」当時85歳だったポップスが自身の「死」を身近に感じながら歌った渾身の一曲です。それを支えるライ・クーダーやパラマウント・シンガーズの演奏にも鬼気迫るものがあります。実際、ポップスはこのアルバムをリリースした1年後に、転倒した際脳震盪を起こし帰らぬ人となってしまいました。

もう1曲「Downward Road」は、オリジナルは1960年にリリースされたステイプル・シンガーズのレパートリーのセルフ・カバーです。原曲はポップス本人のエレキ・ギターによる裏打ちのリズムが強調されたバンド・サウンドで、メイヴィスの割れるようなシャウトが印象的でしたが、ここではドラム・ベースを入れず、複数のギターだけをバックに、パラマウント・シンガーズのサポートを受けての演奏です。こちらの曲では、原曲同様、2拍4拍を強調したポプッスの静かなリズム・ギターに、ライのボトルネック・ギターが曲の途中からオブリガードで絡んできます。こちらの曲は宗教を顧みない人生がいかに悲惨かを語っているナンバーで、メイヴィスものちにソロ・アルバムでカバーしています。「Jesus is Going to Make up( My Dying Bed)」と「Downward Road」は続けて収録されており、ギターの音色なども同じで、味わい深いゴスペルの世界を堪能させてくれます。

以上2曲に似た雰囲気のナンバーは、「Simple Man」です。この曲を含むアルバムの大半の曲は、ポップス・ステイプルスと、ポイント・ブランク・レーベルのオーナー、ジョン・ウーラーによってプロデュースされています。この曲以外はバンド付きですが、この「Simple Man」だけは2本のギターをバックに、ポップスがトーキング・ブルーズ調に歌います。使われているギターはアコギとエレキ。トレモロのかかったエレキはポップスのプレイで間違えありませんが、アコギを弾いているのは、バンドのギタリスト、マイケル・トールズでしょうか。あるいはポップス自身のダビングの可能性もあります。

他の曲は、現代的な香りも漂うバンドサウンドです。ポップスとウーラーによるプロデュースは全部で8曲。「Why Am I Treated So Bad」は、ポップスの自作曲。ブルージーでファンキーなリズムに乗せて、やはりトーキング・ブルーズ調に歌われますが、サビはメロディアスです。どうやら自伝的な内容のナンバーのよう。冒頭のメイヴィスの話ともつながってきますね。「Getting Too Big For Your Britches」は、かなりカッコいいファンク・ナンバーです。6曲目に配されているのが、インプレッションズのカバー「People Get Ready」。この曲はまさにゴスペルですよね。ここでのアレンジもオーソドックスですが美しく聞きごたえがあります。8曲目はボブ・ディランのゴスペル期の傑作「Gotta Serve Somebody」のカバーです。こちらもファンキーに決めています。この曲は、彼の死後リリースされた『Don’t Lose This』にも収録されています。「Waiting For My Child」は、ポップスの自作曲で味わい深いワルツです。アルバムのラストにおさめられた「Glory Glory」は、古くからのステイプルスのレパートリーであり、ゴスペル・スタンダード・ナンバー。「With The Circle will be Unbroken」とほぼ同じメロディを持っており、軽快な感じで演奏されています。

1曲目と7曲目のみ、”R B and Bubbles”のプロデュースです。下に訳をのせているメイヴィスのライナーの署名から、「バブルス」は、メイヴィスであることがわかりますが、「R B」というのは誰でしょう。おそらく、プログラミングとパーカッションでクレジットのあるリック・ブラウンのことではないかと思われます。アルバムの中ではこのチームによるサウンドが最もモダンです。先に7曲目から解説すると、「Hope In A Hopless World」、つまりは「希望のない世界での希望」という逆説的なタイトル。メイヴィスも所々カウンター・ボーカルを受け持っています。1曲目アルバム・タイトル曲の「Father Father」は、本人も曲作りに参加していますが、キリスト曲でいう「父なるもの」を歌いながら、ステイプル・シンガーズの「父」であるポップス本人のことをテーマにしていることは疑いありません。後半にメイヴィスのボーカルが少しフィーチャーされますが、「My Master, My Jesus, My Lord」と呼んでいるのは彼女の父ポップスのことなのです。この2曲には、メイヴィス、イヴォンヌ、クレオサのステイプルズ三姉妹が揃ってコーラスで参加し、往年の「ステイプルズ・サウンド」を再現しています。

それではアルバムに寄せられたメイヴィスのライナーで締めくくることにしましょう。

「私は、私のメンターであり、ヒーローであり、父であるローバック・”ポップス”・ステイプルスと呼ばれるこの男性との仕事を終えたところです。その仕事とは彼が70代になってからの2枚目のソロCDで、長い時間の中で私が目撃した最も楽しかった16ヶ月でした。
その素材は彼が注意深く選び出したもので、刺激的でメッセージ性がある「グッド・ニューズ」ばかりでした。そして、彼の愛した旧友、カーティ・メイフィールド、ボブ・ディラン、ホマー・バンクスの70年代の曲のリメイクと、スタックス時代のステイプル・シンガーズの曲を含んでいました。それは私たちの人生の最良の音楽の底流あるものです。彼の今回の作品にはファンクがぎっしりつまっています。「Father Father」「Hope In A Hopeless World」バーケイズ、レスター・スネル、そしてウィリアム・ブラウン、古き良きメンフィス・サウンドに出会えるステイプルズの再結成 、シカゴ・タウンのグルーヴはムンタナ、リック・ブラウン、ビリー・ベック、そしてグレン・ラップによるマジックです。
ありがとうポップス。また一つ、健全で実りある経験をさせてもらいました。この経験を大切にし、リフトアップが必要な時にはいつでも再体験させてもらいたいと思います。
私にとって、世界最年長のティーンエイジャーを父に持つことは、とても幸運であり、誇りです。
愛を込めて あなたの娘 メイヴィス (バブルズ)」

このアルバムは、1995年のグラミー賞、ベスト・コンテンポラリー・ブルーズ・アルバムを受賞しました。

Jackson Browne / Running On Empty

running onジャクソン・ブラウンの1977年作『Running On Empty』は、間違えなく彼の代表作の一枚です。もちろん、他にも素晴らしいアルバムはたくさんあるのですが、冒頭の「Running On Empty」がいまだに彼のライブの本編を締めくくるナンバーとして多くのファンの支持を得ていることを考えれば、そのような評価も無理からぬことと思います。そして、このアルバムのラストを飾る「Load Out〜Stay」がコンサートのアンコールで歌われたとき、どれほど多くのファンが胸を熱くしたことでしょう。この2曲(うち1曲はメドレーですが)が収録されていることからしても、ファンにとってこのアルバムの重要性は計り知れないものがあると思います。

ジャクソンは前年に妻フィリスを失った失意の中、『The Pretender』という重要作をものにしました。そのプロモーション・ツアーにはベースにブライアン・ガロファロ、ドラムにジョン・モーセリ、キーボードにマーク・ジョーダンといったメンバーを伴っていましたが、大幅にバンドメンバーを入れ替え、翌1977年の8月以降、ドラムにラス・カンケル、ベースにリー・スクラー、キーボードにクレイグ・ダーギ、ギターにダニー・コーチマーというセクションのメンバーをまるまると、従来のメンバー、ラップ・スティールやフィドルなどマルチ弦楽器奏者のデヴィッド・リンドレー、コーラスのダグ・ヘイウッドとローズマリー・バトラーの計7人をバックにツアーを始め、そのツアーの記録をライブ・アルバムとしてリリースすることにしていました。当初の計画では、アルバムは2枚組で、すでに発表された曲もライブ・レコーディングで収録する予定だったようですし、他にも候補曲があったみたいですが、アルバムの構成に頭を痛めていたジャクソンにドラマーのラス・カンケルがアドバイスし、シングル・アルバムでいくことになったようです。

アルバムは、会場でのライブはもちろん、ホテルの部屋、バックステージのリハーサル・ルームなどツアーにまつわる様々な場所で録音され、きわめつけは移動中のバスの中でも録音されました。ライブの曲は「Running On Empty」、「The Road」の後半、「You Love The Thunder」、「Love Needs A Heart」、「Load Out〜Stay」です。曲はほとんどが旅やコンサート・ツアーにちなんだものになっており、ライブを中心としたアルバムでありながらコンセプト・アルバムになっているという誰もやったことのない斬新なアイディアの作品です。ジョエル・バーンスタインがツアーに同行し、ライブ・フォトやレコーディング風景はもちろんオフ・ステージの彼らの素顔に迫る写真もたくさん撮影しており、10ページのカラー・ブックレットにまとめ、「旅の記録」を補完しています。

何と言っても、冒頭の「Running On Empty」の疾走感。これに尽きます。70年代のサーフ・ミュージックの代表作。ビーチ・ボーイズの正統な後継者であり、後のジャック・ジョンソンらの先輩格。ジャクソン自身もサーファーなのですが、特に具体的にサーフィンを連想させる曲はありませんよね。でも、この頃のサーファー達はこぞって彼のアルバムをカセットにダビングし、カーステレオで鳴らしながらサーフィンに出かけていたことと思います。曲の内容は、「燃料タンクが空っぽになっても走り続ける」というポジティブなもの。この歌詞はジャクソンがレコーディング中、自宅からスタジオまでの短い距離を車で通っていたら、知らないうちに燃料メーターが”Empty”を指していたことからヒントを得て作った曲だそうです。この曲の間奏で見事なソロをとるのはデヴィッド・リンドレーのエレクトリック・ラップ・スティール。6弦からAEAC#EAのハイトーンにチューニングされたリッケンバッカーのB6で、空を駆けるような心地よいメロディを奏でています。エンディングではダニーのギターとの掛け合いになります。ライブ・レコーディングでこの完成度の高さは特筆ものですね。この曲の主題は「走り続けること」ですが、愛する人への思いもまた、大切なテーマです。その対象については後述します。

2曲目はダニー・オキーフのカバー、「The Road」が登場します。リンドレーの独特の音色のフィドルと自身のアクースティック・ギターだけをバックに淡々と旅の歌を歌います。この部分はツアー中のホテルの部屋で録音されています。そして、2コーラス目のサビで突然バンド入りのライブ・バージョンに切り替わります。最初聴いたときはちょっと戸惑ったものですが、ジャクソンならではの凝った演出に納得です。ここからはドラム、ベースはもちろんクレイグのエレピの音色も印象的です。アルバムのコンセプトは、ミュージシャンのツアーの記録ですが、この曲は一人で旅を回るシンガー・ソングライターが主人公のよう。オキーフが自らのことを歌った歌のように思えますが、ジャクソンも自分のことのように情感を込めて歌っています。

3曲目「Rosie」は、ドラマーに目当ての女の子を取られてしまったローディが主人公。コンサート会場のリハーサル・ルームで録音されました。ダグ・ヘイウッドと写真担当のジョエル・バーンスタインがハーモニーを歌っています。いかにもジャクソンらしいメロディが素敵ですが、曲のテーマはローディの「マスターベーション」。「Cocaine」と並んで、結構身も蓋もない内容ですが、過酷なコンサート・ツアーの一端を物語るものでしょう。ジャクソンのマネージャーであり、ローディ達の仕切り役でもあるドナルド・ブッダ・ミラーとの共作です。

4曲目は、「You Love The Thunder」。「Running On Empty」同様キャッチーなメロディを持った疾走感のあるロック・ナンバーです。旅のアルバムといっても、ラブ・ソングは不可欠ですね。このアルバムに2曲入っているラブ・ソングのうちの一曲。激しい感情のぶつかりを雷や雨にたとえているようです。おそらく、もう1曲の「Love Needs A Heart」とともに、旅先のオーストラリアで出会ったリン・スゥイニーとのロマンスがテーマではないか思われます。そして、表題曲で歌われる”愛する人”もリンのことだろうと思われます。ここでも、リンドレーのラップ・スティールがいい感じのソロを奏でています。ダニーも目立ちませんが、エレクトリック・ギターのカッティングを決めリズムを引き締めています。こちらはコンサート会場のライブ・レコーディングです。

5曲目は、やはりリンドレーのフィドルと自身のアコギ、そしてダニーのリゾネーター・ギターをバックに歌われるレヴァランド・ゲイリー・デイヴィスのナンバー。ジャクソンとグレン・フライが歌詞を付け加え身近な人物を歌い込んでいるようです。間奏はリンドレーのフィドルに続いてクーチのリゾネーターが味のあるフレーズで決めています。ジャクソンが弾くアコギのバッキングもなかなかいい感じです。曲が終わった後、ジャクソンとリンドレーの短い会話とジャクソンの笑い声も入っています。

ここからがLP時代のB面になります。
6曲目は、ダニー・コーチマーの書いたナンバー「Shaky Town」です。少しカントリーっぽい雰囲気を漂わせています。曲の主人公はトラック・ドライバー。毎日長距離を移動し、夜はバーに入ってワン・ナイト・スタンドのバンドの演奏を聴くという生活をしている彼らに、自分たちを重ね合わせているようです。ジャクソンは2015年のジャパン・ツアーでこの曲を披露しましたが、その時「トラック・ドライバーたちはロサンゼルスのことをShaky Townと呼ぶんだ。」と語っていました。間奏リンドレーのエレクトリック・ラップがいい感じでソロをとりますが、ダニー自身はアクースティック・ギターで参加しているようです。クレイグのエレピ、カンケルのドラム、スクラーのベース、いずれも出しゃばらない的確なプレイです。

7曲目は名曲「Love Needs A Heart」、ライブ録音です。ジャクソン・ブラウン、ヴァレリー・カーター、ローウェル・ジョージの共作ですが、歌詞の内容はラブソング。この時期に恋愛関係にあったリン・スゥイニーにあてたジャクソンの思いが綴られているように感じます。ジャクソン自身が生ピアノで伴奏。ダニーのエレキ・ギターによるオブリガードがとってもいい味を出していますが、間奏はクレイグによるシンセ・ソロで、こちらも見事なプレイです。クレイグはソロ以外の箇所ではエレピを弾いています。一方、リンドレーの弾く楽器の音は注意深く聴いてもわかりませんでした。この曲、1996年のツアーではゲストのヴァレリー・カーターがリード・ヴォーカルをとっていたことを思い出します。美しかった彼女も今や鬼籍に入ってしまいました。

8曲目は「Nothing But Time」。ツアーバスの中で、フル・バンド編成で録音されるアコースティックなロックンロール・ナンバーで、ジェシ・デイヴィスが歌った「White Line Fever」と同じようにどこまでも続くハイウェイの白線も歌いこまれており、バスの走行音も入っていて臨場感抜群です。ダニーのアコギがリードをとりもう一本がサポート、それに絡むクレイグのエレピは抜群の効果を醸し出しています。特徴的なリンドレーのサウンドは聞こえてこないようですが、ジャクソンがギターを弾いていないとすれば、リンドレーはアコギのリズム・ギターを担当しているのでしょう。ローズマリーとダグのコーラスも決まっています。

9〜10曲目は稀代の名曲「Load Out〜Stay」。この曲はジャクソン・ブラウン・ファンの間できわめて人気の高い1曲です。曲はジャクソンと少し前までジャクソン・バンドでベースを弾いていたブライアン・ギャロファロとの共作です。設定は大きなホールでのコンサートが終わった後、会場の片付けが行われている中、ジャクソンがステージ上に残されたピアノに座って一人静かに歌い出すというものです。ジャクソンは最低賃金にも関わらず、最初に会場に来て準備を始め、最後まで舞台で片付けをするローディたちスタッフに対する敬意と愛情を歌います。そして、今夜の客のマナーの良さを称えた後「ピアノを片付ける前にもう少し歌わせてくれ」と語りかけます。ここで、ジャクソンのピアノだけをバックにしたリンドレーのラップ・スティール・ソロ。これがなんとも染みるプレイなのです。続く歌の内容は、あまりにもたくさんの街へ行ったので、どの街も同じように思える、と自身の心情を吐露しているのですが、いざコンサートが始まるときの聴衆のざわめきとステージのライトで、「なぜ自分がここへ来たのか思い出すんだ。」と語りラス・カンケルのドラムのクレッシェンドでバンドが一体となって走り出し、クレイグの印象的なシンセ・ソロになります。続く歌詞は、アメリカ大陸をくまなく回るツアー・バスの内容に移ります。ステレオでカントリー、R&B、ディスコも聴けるし、ビデオで当時人気のあったコメディアンのリチャード・プライヤーも見れるけれど、一番時間が短く感じられるのはステージで演奏している時だと語り、明日になれば1000マイルも離れたところでショーをやるのだから、せめて、もう一曲くらい一緒に歌おうと呼びかけ、モーリス・ウィリアムス&ザ・ゾディアックスのロックンロール・ナンバー「Stay」へと繋げるという心憎い演出になっています。

「Stay」は、観客にもうしばらく、そこにいて、もう一曲演奏するから、という内容で、「パパもママも気にしない」というところを「プロモーターもユニオンも気にしない」と変えて、コンサート・ツアーの歌に作り変えています。ジャクソンが一節歌った後、ローズマリー・バトラーが割れるようなシャウトで主旋律をオクターブ上のキーで歌うと、ダニーによるいかしたギター・ソロが入ります。そして、デヴィッド・リンドレーがラップ・スティールを置いてマイクの前に進み、裏声でリード・ヴォーカルを披露しています。その後、クレイグのシンセ・ソロ、リンドレーのラップ・スティールが入り曲がフェードアウトしていきます。バンドのクォリティの高さ、一体感は格別です。

このメドレーは、まさに、このアルバムのハイライトであり「コンサート・ツアー」という旅をテーマにした核心部分です。上記のように手にしたスターダムには「旅に明け暮れる」という側面がありました。10代の頃に思い描いていた旅への憧れと、大人になり、スターになってからの現実との乖離、辛いこともたくさんあるけれども、聴衆の笑顔に会えることを励みに、毎晩ステージをこなしていくミュージシャンの心情を正直に語っています。このアルバムが発売された時期は、ロックがどんどんソフィスティケイトされ、カントリー・ロックやスワンプ系のサウンドは、徐々に敬遠されていくようになっていました。しかし、ジャクソンのこのアルバムは、逆に『For Everyman』以来、大きくフィーチャーされてこなかったアコギのサウンドが多くの曲で復活し、リンドレーのフィドルも大活躍しています。ジャクソンはシンガー・ソングライターの代表選手ですが、1970年代という「シンガー・ソングライターの時代」にあって、その集大成とも言えるアルバムがこの一枚だと感じます。「Load Out〜Stay」が象徴的ですが、ファンにとっては嘘偽りのない正直な気持ちを語りかけてくれるシンガーやその作品にこそ、強い思い入れが生まれるものでしょう。コンサート・ツアーをテーマにしたこのコンセプト・アルバムは、”素顔のジャクソン”を感じさせる素敵な贈り物なのです。

ジャクソンは前年に妻フィリスを失っていますが、1977年2月ツアー先のオースラリアで新しい恋人、リン・スゥイニーと出会い、彼女はそのままツアーに同行してアメリカでジャクソンと暮らすようになります。彼女はまだ18歳でした。同年8月に始まる『Running On Empty』レコーディングのためのツアーにも、もちろん彼女は同行。カメラマンによって撮影された二人の様子はブックレットにも収められています。しかし、『Running On Empty』ツアーの後リンは一旦ジャクソンの元を離れオーストラリアに帰国しています。ジャクソンは次作『Hold Out』をリンに捧げ、二人は1981年1月正式に結ばれます。

このアルバムは、1977年にビージーズの『Saturday Night Fever』、ビリー・ジョエルの『Stranger』につぐ全米第3位のヒット作となりました。上記のように、当時台頭していたオシャレ系のサウンドではなく、むしろ土臭いサウンド。クレイグ・ダーギのシンセをフィーチャーした曲があるものの、その使い方もアンサンブルに馴染んだもので違和感はありません。こういう時代に”ルーツ系”の底力を見せてくれたように思います。

2003年には、ライノからリマスター版CDとDVDオーディオをセットした2枚組みがリリースされています。そのDVDオーディオには2曲の未発表曲が収められています。

1曲目、「Cocaine Again」は「Cocaine」の別バージョンで、よりラフに演奏されています。前半は語りというか会話調だったりします。「クーチ、君に言いたいことがある。俺は子供の頃からコカインをやっていたような気がするんだ。リンドレーがそれをプレイするのを除けばね。奴は決してコカインをやらなかった。頭の中をぐるぐる回ってる。」なんて感じの歌詞ですね。リンドレーのフィドルはよりワイルドですが、ダニーのギターは逆に原曲ほど目立っていません。

2曲目、「Edwardsville Room 124」は、ツアー先で泊まって録音が行われたホテルのルーム・ナンバーでしょうか。クレイグ・ダーギが書いたインスト・ナンバーです。ダーギのエレピで始まる穏やかな曲で、終始リンドレーのラップ・スティールがいい感じで絡んできます。もしかしたら、ダーギはコンピューター・リズムを使っているのかもしれません。スクラーのベースが複弦で主旋律を歌っているみたいに聞こえる所もあります。2本目のギターの音色は聞こえてこないので、もしかしたらクーチは参加していないのかもしれません。このアルバムはジャクソンのアルバムですが、ジャクソン本人もこの曲には不参加だと思います。

スター・アーティストの過去のヒットアルバムのアウトテイクを大量に収めたり、未発表ライブをまるまる収めたりするボックスセットが昨今よくリリースされています。ジャクソンほどの熱狂的なファンを持つミュージシャンであれば、こういうボックスセットを出したら十分商売になると思うんだけど、完璧主義者なんでしょうね。彼のアウトテイクって、ほとんど面に出てきません。そういう意味でも、この2曲は貴重です。

それから、このDVDオーディオには、ジョエル・バースタインが撮影した写真も大量に収められています。ライブで熱狂する観客、ホテルの部屋でトランクス1枚のラフな格好、リンとの仲睦まじいツーショット、昼寝をするメンバー、おどけるリンドレー等々。ジャクソンの伝記本にリンドレーが日本刀マニアであることが触れられていましたが、ホテルの部屋でリンドレーがジャクソンに刀の鍔のカタログを見せている写真があって、本当だったんだと驚きました。そういえば、ジャクソン自身も日本の武道に興味を持っていたというような情報をどこかで見たような気がします。

そのリンドレーのギターを撮影した写真もありました。ラップ・スティールはリッケンバッカーが2本、ギブソンが1本、茶色っぽいトップのドレッドノートタイプのアコギ、フェンダーのテレキャス、ストラトが写っています。あと別の写真でホテルの録音シーンでは10弦のペダルスティールっぽい楽器を弾いています。彼のトレードマークのナショナルのスティールは、1970年代前半にテリー・リードのバックで弾いている映像がありますが、このツアーには持ってきていなかったみたいですね。

いつものように長くなってしまいました。今回はこの辺で。

Ry Cooder / River Rescue

cooderriverライ・クーダーの白人カバーといえば、まずもって、ウッディ・ガスリーが挙げられますね。「Vigilante Man」「Do Re Mi」を取り上げています。そして、ブラインド・アルフレッド・リード、「How Can A Poor Man Stand Such Time And Live」「Always Lift Him Up」「You Must Unload」、戦後ものではロックンロール系でエルヴィス・プレスリーの「Little Sister」「All Shook Up」、ジョニー・キャッシュ「Hey Porter」「Get Rhythm」「Don’t Take Your Guns To Town」などが挙げられますね。ライ・クーダーはフォーク・リバイバル全盛期に10代を過ごしており、フォークブルーズなどともに、その時代に活躍したランブリン・ジャック・エリオット、フレッド・ニール、デイヴ・ヴァン・ロンク、エリック・フォーン・シュミットなどグリニッジ・ヴィレッジ系のフォーク・シンガーも浴びるように聴いていたに違いありません。その一端を物語るのが、1994年のこのベスト盤の冒頭に収められたデイヴ・ヴァン・ロンクの「River Come Down」です。1961年にリリースされた作品で、デイヴが一人で弾き語っており、美しいアルペジオをバックに歌い上げています。

ライ・クーダーのバージョンは、ドラム、ベースを加え、デイヴの弾くアルペジオの雰囲気そのままにアクースティック・ギターでなぞり、エモーショナルなエレクトリック・ボトルネック・ギターを加えドラマティックに仕上げています。曲の構成はイントロからすぐ歌が始まり、1stヴァース、コーラス、2ndヴァース、コーラス、間奏、コーラス、エンディング。間奏とエンディングでは、ライのボトルネック・ソロをたっぷりと味わえます。ミュージシャン・クレジットはありませんが、ドラムはジム・ケルトナーが叩いていると判断してよいでしょう。他の楽器は全てライによる多重録音かもしれません。コーラスでは複数のボーカルが聞こえてきますが、いつものゴスペル・コーラス隊ではなくライ自身の声による多重録音のように聞こえます。レコーディング・エンジニアは名手ラリー・ハーシュです。「歌詞の意味は竹の棒を持って行って河に差し出す」なんてフレーズが出てくるし、アルバム・タイトルが『River Rescue』なので、河での遭難に備えた救助隊を歌ったものなんでしょうか。なんでも、ヨーロッパで放送されているリーヴァイスのジーンズのCMソングなんだそうで、それもあって、このベスト盤のジャケットはジーンズになっているようです。背景が青色だったり、お尻のところにロープが巻かれたりしてるのも、河川救助隊をイメージしたものかもしれませんね。

ライさん自国より、ヨーロッパや日本での方が人気が高いようで、このベスト盤もヨーロッパ編集とのこと。1stから0、『Into The Purple Valley』から1曲、『Boomer’s Story』から1曲、『Pradise & Lunch』から1曲、『Chicken Skin Music』から2曲、『Showtime』から0、『Jazz』から1曲、『Bop Till You Drop』から4曲、『Borderline』から2曲、『The Slide Area』から2曲、『Get Rhythm』から3曲、サントラから1曲という選曲になっています。ライのキャリアの前半からの選曲が少なく、79年から80年代にかけての曲が多く選ばれいますね。

アルバムの冒頭は「River Come Down」続いてファンキーな「The UFO Has Landed In the Ghetto」と続きます。この盤にはインストが6曲も入っていますが、うち4曲を中盤に固めているのも意図的なものでしょうね。このあたりも聴いていてとても心地よいものがあります。また、「Get Rhythm」「Little Sister」の2曲でアルバムを締めるのも、彼の自信作として選ばれたもののように思えます。

さて、ライ・クーダーの公式なコンピレーションは4種類あります。うち1組は翌1995年にリリースされる「Music By Ry Cooder」で映画音楽に特化しています。そのほかの3種が「歌もの」中心のベスト盤で、最初は1986年にヨーロッパのみでリリースされた『Why Don’t You Try Me Tonight』、次がこの『River Rescue』、そして、2008年のアンソロジー『The UFO Has Landed』の4作です。『The UFO Has Landed』がでたときに、このブログで取り上げたのですが、そのときに「この3組のコンピレーションに共通して選ばれているのは「Dark End of The Street」、「Tattler」、「Little Sister」、「Down In Hollywood」、「Crazy' bout An Automobile」、「Why Don't You Try Me」の6曲。86年と94年の2枚のベストの選曲にライがどれだけ関与したかわかりませんが、やはりこれらは代表作ということなんでしょう。」と書いていました。どの曲もライのライブのレパートリーとして後々まで演奏されている曲ですよね。

ちなみに、86年の『Why Don’t You Try Me Tonight』と、94年のこの『River Rescue』では8曲がダブリます。上記6曲以外のあと2曲は「Smack Dub In The Middle」と「I Think It’s Gonna Work Out Fine」の2曲。前者では、あえて当時の最新作『The Slide Area』収録曲を外した上で全13曲を収録していますが、後者では『Get Rhythm』までの全てのアルバムから選曲しています。また、前者がまだCD普及過程でLP盤としてもリリースされたのに対し、後者ではCDでリリースされ、全19曲と曲数も多くなっています。なお、『Why Don’t You Try Me Tonight』のジャケ写は、『Bop Till You Drop』のもののアウトテイクが使われています。

ソロ活動では大ヒットのない彼ですが、やはりベスト盤にはそれなりの自信作が並んでいるようです。自分のような”フリーク”は、どんな選曲であっても、嬉しがって聴くでしょうけど、1994年という時期のベスト盤としては、一応納得の選曲、曲順でしょう。流して聴いていて心地よい作品集です。

Herb Pedersen / Sandman

herbsandmanハーブ・ペダーセンが1976年、77年に続けてリリースした2枚のアルバムは、「これぞカントリー・ロック」という見本のような作品で聴いていて実に気持ちがいいです。こちらは、1977年リリースの『Sandman』。前作に引き続いてマイク・ポストがプロデュースを担当、エピックからリリースされています。バンド・サウンドの要は、リー・スクラーのベースとマイク・ベアードのドラムス、アクースティックの2曲を除き、この二人による鉄壁のリズムに支えられ、多彩な楽曲を楽しむことができます。その他のメンバーもロサンゼルスの超一流のプレイヤーばかり。親しみやすい曲も多くもっと知られてもいい作品のように思いますが、発売当時はディスコ・ブームやAORの台頭に押され、さほどの成果は出せなかったようですね。このあと、ハーブはしばらくソロ作の発表を見合わせているようです。

では、内容を見ていきましょう。
1曲目は、タイトルトラックの「Sandman」。「Take It Easy」タイプのキャッチーな自作曲です。リンダ・ロッシュタットが歌うハーモニーと、ラリー・カールトンのリード・ギターが耳を惹きます。カールトン、この時期はおしゃれなプレイが多くなってくるのですが、ここでは音色を歪ませてワイルドに迫ります。
2 曲目は、ペダーセンとソングライター/ギタリストのスティーヴン・ゲイヤーの共作「When She Makes Love To Me」。今聞くと時代を感じさせるシンセ・ドラムが少し出てきて、ポップ寄りなアレンジになっています。少しばかり「L.A.レゲエ」の香りも感じる心地よいナンバーです。間奏では共作者のゲイヤーがカンドリー・テイスト溢れるリード・ギターを決めています。
3曲目は、1950年代のカントリーワルツをさわやかにロック・アレンジした「Cora Is Gone」。ドリー・パートンのハイトーン・コーラスが実に効果的に響きます。ここでも、カールトンがいい感じでリフを決め、ドブロやフィドルも入って賑やかな演奏になっています。カントリーと70年後半の成熟したウェスト・コースト・ロックが合体した見事な演奏だと思います。曲が一旦終わるとブルーグラス的な器楽演奏になり、ペダーセンも得意のバンジョーをかき鳴らしています。
4曲目はペターセンの自作曲の「Is That Any Way To Love You」。美しいバラードでマイク・ポストがアレンジしたストリングスが効果的です。また、イントロと間奏はイングリッシュ・ホーンによる優しい音色が響き渡っています。
5曲目はジャクソン・ブラウンもステージでカバーしていたメイベル・カーターが書いたカーター・ファミリーの名曲「Fair And Tender ladies」です。ドラムレス、ベースレスですが、クリス・スミスによるペダル・スティールとやはりマイク・ポストのペンによるストリングスが入っています。ペダーセンの多重録音による”一人”コーラスも実に美しいです。

ここまでがLP時代のA面です。A面・B面、どちらの面も起承転結のある素敵な構成ですよね。

6曲目、B面の幕開けは、ノリノリのカントリーロック、ペダーセンの自作曲「Tennessee Sal」です。ここでデヴィッド・リンドレーが登場しますが、彼のクレジットは「David”The Street Killer”Lindley」となっています。演奏するのはフィドル。間奏のファースト・ソロを担当します。カントリーマナーで短いソロですが、リンドレーらしい個性的な音色です。続いてジョッシュ・グレイヴスがドブロでバッチリとソロを決めます。ドブロはエンディングでもキメのフレーズを弾いています。この曲にもシンセドラムが登場。出た当初は結構あちこちで使われていましたが、すぐ飽きられたのか、80年代後半になるとほとんど耳にしなくなるような気がします。
7曲目「About Love Again」もペターセンの自作曲です。さわやかなカントリー・ロックで、クリス・スミスによるペダル・スティールもいい味を出しています。
8曲目「Bring Back The Smile」自作のバラードです。ラリー・マホベラックによるエレピで始まって、少しだけAOR調な雰囲気をかもし出します。エレキはカールトンが弾いています。けれど、サビやブリッジは、やっぱりカントリー・ロックだなぁというフレーズなんです。
9曲目「My Little Man」ペダーセンのアコギ弾き語りを基本とするフォーク調の作品です。達者なスリーフィンガーを弾きながら、フットボール仲間の小柄で俊敏で心優しい友達のことを思いやる歌を切々と歌います。この曲にも美しいストリングスが効果的に使われています。
10曲目「If I Lose」は、ブルーグラスの創始者の一人でもあるスタンレー・ブラザーズのラルフ・スタンレーの作品です。ペダーセンは、この曲をブルーグラス調の原曲の面影をほとんど残さないゴスペル調のミィディアム・ナンバーにアレンジしています。出だしはピアノだけをバックにハーブが歌い出しますが、1番が終わるとローウェル・ジョージの独特なエレクトリック・ボトルネックが登場。2番でオブリを効果的に弾き、間奏でエモーショナルにソロを決めています。。エンディングもローウェルのギターが締めています。ゴスペル風のコーラスにはジョニー・リヴァース、リンダ・ロンシュタット、ドリー・パートン、マイケル・マギニス、デニス・ブルックス、ジル・ゴードンらが参加しています。本当に素晴らしいアレンジですよね。

そんなわけで、リンドレーさんの出番は少ないけれど、ローウェル・ジョージの素敵なボトルネックも聴けるし、上記のようにロサンゼルスの職人集団が作り上げた見事なカントリー・ロック名盤です。このあと、ペダーセンさんは80年代に1枚、90年代以降に2枚のソロアルバムを残し、2010年にはクリス・ヒルマンとのデュオ・アルバムもリリースしています。知名度はさほど高くないですが、ハーブ・ペダーセンの名前は、カントリー・ロック史上に燦然と輝き続けることでしょう。

NENES / コザdabsa

nenesライ・クーダーの沖縄音楽好きは、1979年の来日の際、自ら喜納昌吉と面会し、翌年彼らのアルバム『Bloodline』に参加するだけでなく、自らの楽曲にも沖縄音階を取り入れるなど、よく知られています。それはデヴィッド・リンドレーも同じで、ファースト・アルバムに沖縄音階の曲を入れたり、ライブ・アルバムでは楽曲の間奏に「ハイサイおじさん」のフレーズを挟み込んだりしています。

1994年5月、奈良東大寺でユネスコが主催するGME’94「あおによし」という大きなコンサートが開催されました。このコンサートにはライ・クーダーも出演。ボブ・ディランやジョニ・ミッチェルの演奏に各1曲セッションで参加した以外に喜納昌吉&チャンプルーズのステージに全面参加。彼も1曲「Goin’ Back To Okinawa」でリード・ボーカルをとり、チーフタンズやジム・ケルトナーとともに彼らをバックアップしました。そして、喜納昌吉&チャンプルーズはその年の7月、ワシントン、ニューヨーク、トロント、ロサンゼルスの4箇所でコンサートを行い、ライとケルトナーも参加し、そこそこ大きなニュースになりました。

同じ7月、ネーネーズの4枚目のアルバム「コザdabasa」がリリースされました。ネーネーズはデビュー・アルバムからずっと追いかけていたのですが、このアルバムはなんと半数がロサンゼルス録音ということで驚かされたものです。そして参加メンバーの豪華さに目を見はりました。ロスでのレコーディングは東大寺のコンサートの前、3月にすでに行われていました。大好きなライ・クーダーやデヴィッド・リンドレーが参加しているという理由もありますが、アルバムの内容がとても素晴らしく、当時も本当によく聴いたアルバムで、最近でもことあるごとに耳にしている愛聴盤です。

まず、ネーネーズのことを書かねばなりません。オキナワン・ポップスの草分けの一人、知名定男がプロデューサーとなり、幼い頃から歌っていたプロの女性民謡歌手、宮里康子、宮里奈美子、古謝美佐子、比屋根幸乃の4人で結成したグループです。1990年結成、1991年CDデビュー、おそらく最初の頃はコザにあった知名氏の民謡酒場「島唄」で歌っていました。それまで、沖縄音楽といえば喜納昌吉しか知らなかったのですが、この頃出てきたネーネーズとりんけんバンドは、とっても爽やかな印象がありました。ネーネーズはボブ・マーリィの「No Woman No Cry」などの洋楽をウチナーグチ・カバーするという試みも興味深く、よくCDを聴いていました。

そんな中リリースされたのが『コザdabasa』です。「コザ」というのは、「そんなの知ってるよ」という人も多いかもしれませんが、沖縄市の中心部のことで、かつては「コザ市」でした。駐留している米軍の差別的な言動に業を煮やした住民が起こした1970年の「コザ暴動」で知られる町ですが、嘉手納基地に近く米兵相手の店も建ち並び、ライブハウスなども多く音楽も盛んです。「ダバサ」というのは、CDの解説では「沖縄の若者が使うウチナーヤマトグチのひとつで”そういうことさ”といった意」とあります。

このアルバムは、知名定男自身がライナーで書いている通り、本土の作詞家、岡本おさみによる「ヤマトグチ」の曲が数曲あります。沖縄を深く理解する彼の美しい「ヤマトグチ」をそのまま伝えたいという思いがあったようです。そして、タイトル曲にある「コザ」の町が基地との深いかかわりの中で発展した歴史を踏まえ、沖縄に関心を持つアメリカのミュージシャンとのセッションを企画したということは、知名定男が、オキナワ、ヤマト、アメリカの関係性を意識して、このアルバムを制作したに違いありません。彼はそのライナーの中で「様々なルーツを持った人間が、根こぎにされることなく、かつ仲良く生きていけたら、そんな<唄>を岡本さんはじめ、上原直彦さん、ビゼ・カツさんの言葉はすくいあげてくれています。」と書いています。

ライ・クーダーが参加しているのは、冒頭の「トゥネー」と、ラストの「島々清しゃ」の2曲のみですが、この2曲とも素晴らしいプレイです。「トゥネー」は、(組踊り調)とあるように、沖縄の伝統芸能「組踊り」の口上を真似て、ネーネーズのこのアルバムの紹介としたものです。作詞は知名定男、歌っているのはネーネーズのメンバーとばかり思っていましたが、琉球舞踊宮城流の宮城能葵さんです。CDにある訳詞は「すべての人たちが 心安らかにいられますよう 願いを込めて このCDをつくりました 沖縄の人も 大和の人も 言葉の違う国の人も さあネーネーズと一緒に声を合わせ 心晴れ晴れと唄って遊びましょ」とあります。この曲でライ・クーダーには、「スラック・キー・アンド・メキシカン・ギター」のクレジットがあります。スラック・キー・ギターはハワイアンの独特なチューニングのアクースティック・ギターですがメキシカン・ギターはバホ・セストではなく別のタイプのものでしょう。オブリガードが冴える鉄弦のアコギの響きはライに違いありませんが、デヴィッド・リンドレーもアコギで、石田雄一は12弦ギターでバックアップしています。また佐原一哉もキーボードとプログラミングで参加。クーダー、リンドレーとともに実に美しいサウンドを生み出しています。

「島々清しゃ」も実に美しいアレンジです。佐原のプログラミングによるベーシック・トラックに乗せて、知名の三線とライのエレクトリック・ボドルネック・ギターが見事な演奏を繰りひろげます。ライはボトルネックと通常の2本のエレキをダビング。DDGEGGチューニングで、コードを弾いた時独特の響きを聞かせますが、ソロはいつもの「ライ節」。これが沖縄サウンドに見事にマッチしています。曲の冒頭からライはアルペジオを弾き始め、ネーネーズのユニゾンによる主旋律の歌声に、知名が返し唄を挟み、間奏でライが素晴らしいソロを聴かせます。3コーラス目が終わった後転調、そして再びライがロングトーンで美しいフレーズを紡ぎます。三線の猛者でもある長間孝雄による味わい深いエンディングの歌がオフ気味に聞こえ始めてもライのボトルネック・ギターのフレーズは控えめに続いていきます。どれもが素晴らしいプレイ、最後はライのエレキ・ギターのフレーズで締めくくり、静かな波を音が重なります。沖縄の美しい情景を歌い込んだ静かな民謡。 ネーネーズの伸びやかな歌声とライのギターの見事なコラボを堪能することができます。

リンドレーの参加曲は、「トゥネー」、「ジェラシー」、「遠い道」、「コザdabasa」、「真夜中のドライバー」の5曲。特に、「ジェラシー」、「遠い道」、「コザdabasa」の3曲で印象的なプレイを聴かせてくれます。「ジェラシー」では、フラット・マンドリンとブズーキの2本の弦楽器で、見事な一人アンサンブルを奏でています。間奏でこの2本の楽器が交互にリードをとるのですが、フレーズや音色の素晴らしさはもちろん、2本の間合いが素晴らしいです。おそらく、少ないテイクでこの完成度の高い演奏を吹き込んだのでしょうけど、彼の持つ天性の音感の素晴らしさのなせる技でしょう。

「遠い道」では、リンドレーお得意のアクースティック・ラップ・スティール・ギターが活躍し、知名定男による琉琴と三線の音色と溶け合っています。ジム・ケルトナーによるカホンとドラム、ボブ・グロウブのベースも入って、リズムはタイトに決まっています。そこに、古謝美佐子による三板の波のように揺れるリズムが重なっていきます。 佐原一哉のキーボードは割と控えめですが、東洋的な弦楽器風のサウンドも奏でたりして、しっかりした存在感を放っています。

アルバムのタイトル・トラック「コザdabasa」は惚れ惚れするような素晴らしい演奏です。 ウォズ・ノット・ウォズのアトキンソン&ボウンズと、ネーネーズの面々によるアカペラ・コーラスで曲が幕を開けた後、ドラムのフィルイン。このサウンドに痺れます。リンドレーのコードカッティングと、ボブ・グロウブのベースが加わり、これぞロサンゼルス・サウンドと呼びたくなるような見事がグルーヴが、曲を推し進めます。佐原一哉のキーボードもオルガンはじめホーンやマリンバ風のサウンドを奏で彼らの演奏と溶け合って見事な効果を発揮しています。曲はエイト・ビートですが、リンドレーが絶妙なタイミングでレゲエ・タッチのカッティングを決め、加えてもう1本のギターをダビングしていますが、ミュートをうまく使った彼ならではの河内音頭風単音リード・プレイで南洋ムードが全開となります。間奏はしばしキーボードがリードを取った後、リンドレーのリードになりますが、これ見よがしなところは全くない自然なプレイに心が和みます。

「真夜中のドライバー」は、佐原一哉がプログラミングしたバック・トラックに乗せて、ロス・ロボスのデヴィッド・イダルゴのアコーディオンと8弦のハラナと呼ばれる小型のメキシカン・ギター、そしてリンドレーのアクースティック・ギターが溶け合っています。二人のギターはほとんど自己主張をすることなく静かにアルペジオでリズムを刻み、アコーディオンがオブリガードを奏でています。

「あめりか通り」は、嘉手納基地の門前、コザゲート通りを歌ったキャッチーなナンバーです。演奏の方は日本勢で完結していますが、アトキンソン&ボウンズのコーラスやラップがフューチャーされ、異国情緒を漂わせています。2年半前、沖縄旅行をした時、この歌に歌われているゲート通りを訪ねました。本当に英語の看板が並び、インド人の洋服屋「Indian Tailor」もありました。車社会になって、かつての賑わいは去りましたが、様々な問題を抱えながら基地と共存してきた町の姿をポジティブにとらえた歌だと理解しています。 

ミュージック・マガジン1994年8月号に、大須賀猛氏による記事「ネーネーズ in L.A.随行リポート」が掲載され、レコーディングの詳細が記録されています。
1994年3月9日、一行はロサンゼルスに到着。翌3月10日、ジム・ケルトナー、デヴィッド・リンドレー、ボブ・グロウブが参加した「コザdabasa」、「遠い道」をレコーディング。他ののメンバーが帰った後、リンドレーは「コザdabasa」のリード・ギターを録音。3月11日は、デヴィッド・イダルゴとリンドレーを加えた「真夜中のドライバー」を録音。続いて沖縄から来たメンバーのみによる「黒島口説」、3月12日の夜は、リンドレー参加の「ジェラシー」、3月13日はアトキンソン&ボウンズによる「あめりか通り」などコーラス録音とライ・クーダーを加えての「島々美しゃ」、3月14日、ライ・クーダーとリンドレー参加による「トゥネー」を録音し、予定の5日間が滞りなく終了したようです。

3月9日、コーディネーターの麻田浩氏は「ライ・クーダーは来ないかも知れない。」とメンバーに告げます。V.M.バットとの『Meeting By The River』がグラミーの候補になったことでナーバスになっているらしいとのこと。しかし、ケルトナーが3月12日の日中は、中休みで古謝美佐子を除くネーネーズのメンバーが買い物ツアーに行っている間に、ライ・クーダーがスタジオを訪問。残っていた古謝美佐子と「ハイサイおじさん」を演奏したりして遊んでいたそうです。なんでもジム・ケルトナーが「楽しいセッションだから、家なんかにいないで行ってみな」とライに電話をかけてくれたそうです。この電話がなければ、「島々美しゃ」「トゥネー」の名演はなかったかも。ケルトナーさんに感謝しないといけないですね。

この記事は、クーダー、リンドレー、イダルゴのミニ・インタビューも掲載されているし、クーダー、リンドレーの素顔に迫るリポートとなっていて読み応え十分です。リンドレーは5日間のレコーディングにフル参加し、自身が参加しないレコーディングも興味深く見学して、最終日には娘さんまで連れてきたそうです。しかも、持ち前のサービス精神でネーネーズ のメンバーを楽しませていたとのこと。一方、ライさんは、「島々美しゃ」のリードを頭から何度も録音し直すという完璧主義者ぶりを発揮。妥協を許さない姿勢を貫きながらも、知名定男らと親しく交流する姿もとらえられています。こういう記事が読めるのは眼福ですね。

「黒島口説」は、沖縄民謡で、ロスのミュージシャンは誰も参加していませんが、サンセット・スタジオで録音されたものです。三線とボーカルを知名定男と松田末吉、太鼓を長間孝雄が担当、他の楽器は使わず正調の民謡スタイルです。冒頭の2行を男性二人が歌うと、それに応えてネーネーズが歌い返す構成で5番まであります。これこそが「島唄」ですね。ゆったりしていて素敵な曲。沖縄ではスタンダード・ナンバーのようですね。

他の3曲は、「ネーネーズ in L.A.随行リポート」にも掲載されていませんし、ロスのミュージシャンも不参加なので、日本で録音されたものかも知れません。
「黄金の花」は、岡本おさみ作詞、知名定男作曲のヤマトグチの歌で、古謝美佐子がソロを歌います。「ニュース23」のエンディング・テーマとなり、ネーネーズのナンバーで、最も知られている曲だと思います。現在のネーネーズ・メンバーは6代目くらいと思いますが、ずっと歌い継がれている、彼女たちにとっても大切な曲です。コンピューター・リズムとキーボードは佐原一哉、アコギは石田雄一、三線と琉琴は知名定男というシンプルな編成です。

「片便り」は、個人的にはアルバムの中でもハイライトと思われる素晴らしい曲、上原直彦作詞、知名定男作曲でウチナーグチで歌われます。この歌は4番までありますが、ネーネーズのメンバーが1番ずつソロで歌うので各人の個性がよくわかります。しかも切ない歌詞を美しいハイトーンで聴かされると心にぐっと響きます。知名定男の三線、佐原一哉のキーボード、石田雄一のエレキ、福原みのるのドラムがサポートしますが、実に抑制の効いた演奏で歌の素晴らしさを引き立てています。間奏では三線が止んでキーボード・ソロになります。

「チン トゥン テン」は、賑やかなナンバー。三線も3本、エイサー太鼓やお囃子も入って、沖縄民謡調なのですが、佐原一哉がプログラミングしたコンビューター・リズムと合体し、質の高いワールドミュージックに昇華しています。間奏のエイサー太鼓の響きは、アフリカのトーキング・ドラムを彷彿とさせます。

ビセ・カツが詞を書いた「あめりか通り」岡本おさみが作詞した3曲の計4曲がヤマトグチで歌われます。他の曲はウチナー・グチですが、上原直彦が書いた「コザdabasa」は、結構意味がわかりやすいです。そんなわけで、ヤマトンチュにも聴きやすいアルバムだし、沖縄音楽の入門編としては最適だと思います。解説で知名定男が書いているように、沖縄に深い理解を示す岡本おさみの「詞」との出会いが、このアルバムの核となっています。「黄金の花」と「真夜中のドライバー」は、どちらも”ヤマト”に働きにきている沖縄出身者を描いたものです。前者はヤマトンチュの視線で描かれていますが、慣れない都会で悪戦苦闘する彼らに対する暖かい視線にあふれていますが、「神が与えた宝物 それはお金じゃ ないはずよ」という普遍的なテーマに誰もが心を打たれるのでしょう。後者は、沖縄に住む女性が”ヤマト”でタクシードライバーとして働く恋人に宛てて歌ったものです。主人公の素朴なキャラクターを見事に表現していて心に残ります。それに対し「遠い道」は歌詞が抽象的で、何かを成し遂げようと孤軍奮闘する人を大海原を一人サバニ(小舟)で進む様子に例えて歌っています。自分への応援ソングにしたいナンバーです。

結果的に、このアルバムはネーネーズの知名度を大きく押し上げました。個人的には彼女たちの代表アルバムに推したい作品です。けれども、彼女たちの本領はやはり「島唄」、民謡そのものにあります。翌年にリリースされた『なーらび』では、新作も数曲挟みながら、民謡を大きく取り上げ、佐原一哉のキーボードも使わず、本来の「島唄」スタイルでの演奏がアルバムにまとめられていました。このアルバムの方が、本来の彼女達の姿を映し出しているように思います。この時代、すでにブームの「島唄」はヒットしており、おおたか静流が歌った「花」もCMソングとして取り上げられていましたが、「涙そうそう」も「しまんちゅぬ宝」もリリースされるずっと前のことです。「花」は喜納昌吉による”ヤマドグチ”の歌ですが、「黄金の花」のヒットが続いたことで、沖縄人による、”ヤマトグチ”のオキナワン・ポップスが市民権を得る一つの足がかりができたように思います。しかし、もっと大きな視野で見れば、アフリカ音楽やアジア音楽などがかなり市民権を得てきた時代でもありました。このアルバムにライ・クーダーらをレコーディングに招聘したことからわかるように、明らかに知名定男や佐原一哉は、あわよくばネーネーズをワールド・ミュージックとして世界のマーケットに売り出すことを考えていたように思うのです。しかし、1995年、古謝美紗子はネーネーズを脱退。佐原一哉とともに活動するようになります。後任に當眞江里子が加入し、1999年まで活動を続けます。同年、第2期ネーネーズがスタート、現在は第6期となり、那覇市の国際通りに移転した「島唄」を中心にライブ活動を続けています。

Crosby & Nash / Live

C&NLIVEクロズビー&ナッシュの唯一のライブ盤が、ABCから1977年にリリースされたこのアルバムです。もっとも2012年には二人のライブDVDが出ているので「唯一」ではないのかも知れませんけどね。この時期、二人はセクションのうち、リー・スクラーを除く3人と、リンドレー、ベースにティム・ドラモンドを加え、マイティ・ジッターズというバックバンドを結成し、『Wind On The Water』と『Whistling Down The Wire』という2枚の充実したアルバムをリリースしていることはすでに述べた通りです。その余勢を駆ってこのライブ盤もリリースされ、そこそこのヒットを記録したようです。1975年と76年のUSツアーの音源から選曲されており、当初LP9曲入りでリリースされ、2000年のCD化の際には、2曲を加え11曲のアルバムとなりました。当初はナッシュの曲5曲、クロズビーの曲4曲という構成だったのですが、追加された2曲がいずれもクロズビーのナンバーで彼の方が優勢になってしまいましたが、アルバムの素晴らしさに変わりはありません。この時期の二人のコンビネーションが非常に充実していたことを如実に示す良盤です。

1曲目「Immigration Man」は、キャッチーなツイン・ギターのイントロで始まります。片やリンドレーのスライド、片やクーチのエレキです。原曲とは大きく異なるイントロ。この素敵なフレーズだけで持っていかれてしまいます。ライブ盤では、よりタイトなロック・ナンバーに生まれ変わって聴く者を魅了します。クロズビーのエレクトリック12弦によるフィンガー・ピッキングの伴奏、ダーギによるバウンシーなアコピのサウンドも素晴らしいです。

2曲目「Lee Shore」です。出だしは、クロズビーのエレキ・ギターとカンケルのパーカッションのみで始まりますが、曲が進むにつれバンドが入ってきます。クーチが左チャンネルでカッティングを始め、ベースが入り、リンドレーのスライドがオブリを弾き始めるのは3コーラス目くらいからでしょうか。CSNYの『4Way Street』に入っていたC&N二人だけのアクースティック・バージョンに親しんでいた自分には、このアレンジは印象的でした。曲の終わりぎわになって、リンドレーのエモーショナルなスライド・ソロが入り、”ディディディ”コーラスの後に再びスライド・ソロが入ってエンディングとなります。素敵なアレンジですよね。

3曲目「I Used To Be A King」。ナッシュのファースト・アルバムから三拍子の壮大な感じの曲です。リンドレーはエレクトリック・ヴァイオリンで参加。イントロから存在感を発揮しますが、クレイグ・ダーギによるシンセが間奏でジャジーなソロを奏でます。

4曲目「King of The Mountain」。オリジナル盤には未収録でしたが、CD化に際して追加されたナンバーです。クレイグ・ダーギによるピアノとクロズビーの素晴らしい歌唱力を堪能できます。ナッシュは参加しておらず、上記の二人によるアクースティックな演奏です。クロズビーは少しだけアコギも弾いていますが、大半は歌に徹しています。冒頭、少しクロズビーが感じの良いアコギを奏でるものの、前半の大半はダーギによるピアノ・ソロ。これがまた心地よいのです。長らく未発表だったナンバーです。

5曲目「Page 43」。アトランティックから1972年に出た二人の最初のデュオ・アルバムに収録されていたナンバーです。間奏ではその盤には参加していなかったリンドレーのスライド・ソロが耳を惹きます。ここでもダーギはエレピを弾き、少々おしゃれ感を漂わせ、クーチはスタジオ盤同様のツボを抑えた歌伴のギターが冴えています。実に味わい深い演奏です。

6曲目「Fieldworker」 は『Wind On The Water』収録のナッシュによる三拍子のマイナー・ロック。原曲では、リヴォン・ヘルムがドラムを叩いていましたが、ここではラス・カンケルが彼の雰囲気を残しながらも熱い演奏を繰り広げています。スタジオ版同様リンドレーのエレクトリック・ラップ・スティールが全編で活躍、もちろんソロも決めています。

7曲目「Simple Man」 ナッシュのファーストに収められていたこのナンバーは、ナッシュとリンドレーの二人だけで演奏されています。スタジオ版ではピアノの弾き語りでしたが、ここではアコギの弾き語り。ナッシュはハーモニカ・ホルダーも使って、独特なハーモニカも奏でます。リンドレーはスタジオ版でも弾いていたアクースティック・フィドルで曲を盛り上げます。ナッシュの優しさ溢れる歌声を堪能することができます。

8曲目「Foolish Man」『Whistling Down The Wire』収録曲。ダーギの洒落たエレピで始まるバラードです。多くの曲でリンドレーのソロがフューチャーされているのですが、この曲ではクーチのジャジーなエレキ・ギター・ソロをじっくり楽しむことができます。サビではクロズビーの感情がほとばしる絶唱になります。リンドレーはエレクトリック・ラップ・スティールでオブリガードを弾いて、曲を引き締めます。

9曲目「Bittersweet」は、「King of The Mountain」同様オリジナル盤には未収録だった曲です。『Wind On The Water』に入っていますが、ここではクロズビーがピアノ、ナッシュがアコギを担当し、二人だけで演奏されています。二人だけでも完成された演奏ですよね。

10曲目「Mama Lion」は、「Fieldworker」同様『Wind On The Water』収録のナッシュによる三拍子のマイナー・ロック。こちらでもリンドレーのエレクトリック・ラップ・スティールが縦横無尽に活躍しています。『Wind On The Water』から、あえて同系統の2曲を選んでいるということは、ナッシュにとってもこの2曲に相当自信を持っていたことの表れでしょうね。

11曲目「Deja Vu」は、言わずと知れたCSNYによる1970年の代表作のタイトル曲です。9分にも及ぶ熱演です。再発CDのライナーでも、マイルズ・デイヴィスやウェザー・リポートを想起させるというイントロ。原曲にはないものです。ダーギはシンセサイザーを駆使しフリーで近未来的なサウンドを聴かせます。そこにリンドレーやクーチも切り込んでインプロの応酬がひとしきり続いた後、クロズビーが、エレキ・ギターであのイントロのフレーズを奏で始めます。リンドレーはエレクトリック・ラップスティール、クーチはエレキ・ギターですが、間奏は、リンドレーのエレクトリック・バイオリン、クーチのリゾネーター・ギター、そして、ダーギはピアニカでソロを回していきます。ダーギのソロの時、クーチはジャズっぽいコードでバックアップ。マイティ・ジッターズの演奏力の高さを見せつける素晴らしいアンサンブルです。

以上、各曲をざっと見ていきました。マイティ・ジッターズの演奏は本当に素晴らしいのですが、この盤の主役は、言うまでもなくクロズビーとナッシュの歌声です。クロズビーの「King of The Mountain」とナッシュの「Simple Man」はそれぞれがソロで歌っていますが、それ以外の曲では、二人のハーモニーが見事に溶け合って、曲の良さを何倍にも増幅させています。ロックはもちろん、カントリー調の曲からジャジーなものまで、様々なタイプの曲にマッチした見事なハーモニーなのです。もちろん単純な3度のコーラスもたくさんあるのですが、曲によってはテンション・ノートを歌う複雑なものもあり、さすがはトップ・プレイヤーたる二人の技だな、と感心させられます。強烈なエゴの集団であったCSNYの中にあって、クロズビーとナッシュは、よりお互いを必要とし合い、深い友情と見事な協力関係を築き上げてきました。この後、二人の関係はクロズビーの麻薬依存が悪化したことにより、危機を迎えますが、クロズビーは服役、医療プログラムも受けて二人の関係は復活します。CSNやCSNYの再結成もありましたが、2004年には久々に二人のアルバムもリリースしました。しかし、2015年のCSNによるワールド・ツアーの最中、二人の友情にヒビが入り、その後現在に至るまで関係は修復されていないようです。デヴィッド・クロズビーは持病を抱えながらも、アルバム・リリースを続け、コロナ禍前まではツアーを続けていました。ナッシュは近年、ファーストとセカンドのソロ・アルバムを丸々演奏するコンサートを実施、そのライブ盤をリリース。80歳となった今年もツアーを続けています。近い将来、二人がまた一緒にステージに立つ日が来ることを祈りたいです。

Geronimo : An American Legend / Music By Ry Cooder

geronimo自分が子供の頃テレビで見た西部劇というと、保安官が無法者と戦ったり、騎兵隊がインディアンを駆逐したり、といったストーリーの1940年代後半から1960年頃までに作られたアメリカ映画が、「○○名画劇場」とかで放映されたものでした。その中に登場するインディアンは大抵悪役だっり、主人公の引き立て役だったりしたのですが、それがあくまでも「侵略した白人に都合の良いように描かれている」とは全く知らないままでした。しかし、自分が成長するとともに何万年もアメリカの大地で生きてきたインディアンを駆逐した白人こそが「悪役」ではないのかという疑念が沸き起こってきました。アメリカ映画界の方でも1960年代の後半には、単純な「勧善懲悪」映画に取って代わって、何が正義で何が悪かわからないタイプの西部劇がではじめ、1970年には、インディアン側からの視線で白人による虐殺を描いた『Solider Blue』が撮影されるなど、風向きが変わってきました。また、「インディアン」という呼び名もふさわしくないとの理由で、「ネイティヴ・アメリカン」と呼ばれるようになっていきます。

ライ・クーダーが音楽監督として最初に手がけた映画音楽は、西部劇『The Long Riders』でした。この映画でライは大仰なオーケストレーションを用いず、弦楽器など当時用いられていたであろう楽器を中心に、19世紀後半のカントリー・ミュージックを再現しました。同じウォルター・ヒル監督のこの映画で、ライはあえてオーケストレーションを用いています。同じ西部劇でありながら、『The Long Riders』は無法者ジェシー・ジェイムズが主人公、一方『Geronimo』はネイティヴ・アメリカンが主人公です。後者では「ネイティブ・アメリカンの音楽」を再現するとともに、彼らを追い詰めていく騎兵隊のシーンでは、軍楽隊のサウンドを彷彿とさせる音楽をオーケストラで制作し、それを対比させるというユニークな手法を用いています。

日本盤CDでは北中正和氏がライナーノーツを担当しています。そこに記されているウォルター・ヒル監督の言葉を引用しましょう。「この映画のテーマが、もしひとつだとすれば、それは戦士の名誉である。」「ふたつの文化をめぐる劇にどんな音楽をつければいいのか、両者に目配りできるサウンドをどうやってみつけるのか、その答えは簡単だった。ライ・クーダーに電話したのだ。」

「ネイティブ・アメリカンの音楽」を再現するためにライが起用したミュージシャンの一人は、レイモンド・カルロス・ナカイです。彼は1946年アリゾナ生まれのネイティヴ・アメリカンで、ナバホ族とウテ族の遺産であるネイティブアメリカンの杉フルート奏者です。彼は高校や大学で金管楽器を演奏し、アメリカ海軍で2年間過ごした後、陸軍音楽学校でオーディションを受けました。しかし事故でトランペットを演奏できなくなった後、彼は伝統的なネイティブアメリカンの杉のフルートを演奏し始め、1983年にアルバム・デビューしています。フルートというと、西洋の横笛を思い起こしますが、彼の杉フルートは縦笛のよう。このサウンド・トラックでも随所に用いられています。もう1組はフンフルトゥです。彼らはロシア連邦トゥバ共和国のグループですが、この国にはモンゴルの北側に隣接しており、蒙古族の伝統音楽を今に伝えています。彼らはホーメイと呼ばれる「喉歌」を伝承しており、このサウンドトラックでもかなり重要な役割を担っています。他にドシプルール (撥弦楽器)、イギル (弓奏楽器)、ブザーンチゥ(四胡)、ケンギルゲ(大太鼓)といった楽器でアンンブルを形成していて、ネイティブアメリカンの音楽も、こんな風だったのではないかと思わせます。19世紀後半にはアパッチ・フィドルを弾くネイティブ・アメリカンの写真が残されていますが、現在まで継承されていないため、ライはわざわざ共通の祖先を持つトゥバ族の彼らをレコーディングに招聘したわけです。これは、白人による迫害の結果、わずか百数十年のうちに、アメリカ国内にネイティブ・アメリカンの音楽がほとんど継承されなくなっていることを表しています。ただし、ネイティヴ・アメリカンであるジョーンズ・ベナリーという人物のチャントが数曲用いられています。

オーケストラを担当しているのは、1曲をアレンジしたヴァン・ダイク・パークスを除き、ジョージ・スタンレー・クリントンです。彼はライと同じ1947年生まれで、1980年以降、様々な映画やテレビのサウンドトラックを手がけています。

では、各曲を見ていきましょう。

1.「Geronimo: Main Title」 ホーメイで始まり、杉フルートや擦弦楽器が被ってきます。失われたネイティブ・アメリカンの音楽を再現しているかのようです。ライは、I-beam とクレジットされたフロア・スライドで不気味味わいを加えています。途中から、壮大なオーケストラになり、軍楽隊のようなスネアのサウンドも入ってきます。勇ましいけれど、どことなく哀感をたたえた音楽で、ネイティブ・アメリカンの大地が白人によって奪われていく様を1曲で表現しているかのようです。

2 .「Restoration」 前半、主旋律を奏でるのは、『The Long Riders』でも多用されていたハンマー・ダルシマーか、あるいは『JAZZ』で用いられたツィンバロンなのですが、クレジットにあるのはライのギターとリンドレーのブズーキだけで、あとはオーケストラとなっています。おそらく、ハンガリーのツィンバロン奏者マイケル・マスリーが演奏しているものと思われます。後半でオーケストラがテーマを奏でた後、ライのアクースティック・ギターがテーマを静かに奏で、バイオリンが重なり、杉フルートがさらに重なり、再びオーケストラの演奏となります。最後はライのギターとリンドレーのブズーキがテーマを合奏。アコーディオン、ホーン、杉フルート、で曲が終わったかと思いきや、スネアドラムと大太鼓が鳴り響き曲を締めます。

3. 「Goyakla Is Coming」 素朴な弦楽器の即興の後、ホーメイが入り、カルロス・ナカイの杉フルートが実に雰囲気を出しています。ゴヤクラというのはジェロニモの本名で、メキシコ兵達が彼を「ジェロニモ」と呼び始めたと映画の中で語られています。ジェロニモ登場のシーンで用いられます。

4. 「Bound for Canan (The 6th Cavalry)」騎兵隊のシーンで用いられるオーケストラの演奏です。 テーマより少し明るい感じの曲で途中からライのバンジョーソロを少し聞くことができます。

5. 「Cibecue」 ライのI -beamとナカイのフルートがおどろおどろしい雰囲気を醸し出しています。保留地における不穏な雰囲気を演出するナンバーです。

6. 「The Governor’s Ball: Get Off The Track/Danza/ Battle Cry of Freedom」 クルック准将が参加している舞踏会にジェロニモ逃走の報告が入るシーンで使われます。どこかで耳にしたことのあるクラシック曲のように思えますが、「Battle Cry of Freedom」を除いてヴァン・ダイク・パークスが作曲しているようです。そのヴァン・ダイク本人、演奏に参加しているだけでなく、映画にもピアニストとして少しだけ出演しています。この曲でもアクースティック・ギターやバンジョーが伴奏で少し入っていますが、ライが弾いているのでしょう。「Battle Cry of Freedom」は「Rally ‘ Round The Flag」として、ライが『Boomer’s Story』で取り上げ、『The Long Riders』でも再演したナンバー。南北戦争頃の古い曲なので、ここでも取り上げているのでしょう。ヴァン・ダイク作曲の優雅な2曲の間にメドレーで挟み込まれています。

7. 「Wayfaring Stranger」 ジョニー・キャッシュも歌った古い曲で、19世紀頃のゴスペルを起源としているとされています。「見知らぬ旅人」との邦題がついていますが、「貧しき彷徨えるよそ者」の方が適訳でしょう。この大地に何万年も暮らしてきたネイティヴ・アメリカンが騎兵隊によって追われ「彷徨えるよそ者」となってしまった理不尽さを表しているかのようです。
曲はチェロのソロで静かに始まり、サビを杉フルートが印象的なメロディを奏で、ライはギターで伴奏し途中からストリングスも入ってきます。クレジットにあるリンドレーのブズーキとマンドリンははっきり聞き取ることができません。もしかしたら、リンドレーが弾いている別バージョンがあるのかもしれませんね。

8. 「Judgment Day」前半勇ましいオーケストラですが、途中からバンジョーのソロになります。ライのクレジットはギターのみですが、このバンジョーも彼がプレイしているのでしょう。最後の方になってようやくギターが登場します。クレジットにあるチェロのソロははっきりわかりません。前曲とともにクレジットの不備があるものと思われます。

9. 「Bound for Canan (Sieber&Davis)」 4と同じ曲だが、2台のアコーディオンだけで演奏されます。片方はフランク・マロッコ、片方はスージー・カタヤマが弾いています。スージーはロサンゼルス在住のチェロ奏者なんですが、アコーディオンでの参加です。

10. 「Embudos」 カルロス・ナカイの杉フルートのソロでスピリチュアルなナンバー。無伴奏ながら説得力のあるプレイです。

11. 「Sand Fight」 フンフルトゥがホーメイで参加し、ライのi-beam、カルロス・ナカイの杉フルートが絡みます。オドロオドロしい戦闘シーンで使われる劇的な演奏です。吐息が印象的 に使われていて、ツィンバロン奏者、マイケル・マスリーもウォーター・パイプなる楽器で参加しています。

12. 「Army Brass Band: The Young Recruit/ The Girl I left Behind Me/ Come Come Away」 騎兵隊が隊列を組んでいるシーンで使われる軍楽隊の演奏です。Americus Brass Bandによる演奏ですが、バンジョーも入っていたりするので、その部分はライが弾いているのかもしれません。アメリカズ・ブラス・バンドは40年以上前に結成され、トラディショナルなブラス・ミュージックを追求しているグループのようです。

13. 「Yaqui Village」 賞金稼ぎによってヤキ族の村が皆殺しにされているのを発見するシーンで使われているおどろおどろしいナンバー。フンフルトゥのホーメイ、カルロス・ナカイの杉フルート、ジョーンズ・ベナリーのチャントそして、マイケル・マスリーのウォーター・パイプとラコタ・フルートによって演奏され、ライはi-beamともにRudra Veenaという楽器も弾いています。インドの擦弦楽器で、シタールより小ぶりですが、同じように瓢箪の共鳴胴がついています。

14.「I Have Seen My Power」ジェロニモの立場で語られる言葉のBGMで使われます。フンフルトゥのホーメイソロで始まり、ナカイのフルート、ネイティブ・アメリカン・チャントも入り、最後の方のライi-beamがホーメイと絡んで、今後の不吉な展開を示している かのようです。

15.「La Visita」 ライによるソロ・ギター・ナンバー。『The Border』のサントラ以来久々にガットで弾いています。この曲は後に『Last Man Standing』のサントラで、「Ranger Tom Pickett」として再演されますが、この時は鉄弦のギターで演奏されていました。メキシコ国境に近い酒場で、白人の男が独白するシーンのBGMで使われています。なんとなく、メキシカンなイメージのある素敵な曲ですよね。この頃、ライが弾いていたガット・ギターってどこのメーカーのギターなんでしょうね。

16. 「Davis」 この映画の語り部であるデイヴィス少尉用につくられた素敵なメロディのオーケストラ曲です。年若い将校のテーマらしい楽曲ですが、彼が軍隊を去るシーンで用いられます。この時点まで自身のアルバムでは自作曲がほとんどなかったライですが、サントラでは、なかなか素晴らしいコンポージングを披露していますね。この曲にはツィンバロンでマイケル・マスリーがクレジットされていますから、2曲目「Restoration」でのツィンバロンも、おそらく彼が弾いているのでしょう。

17. 「Train To Florida」 映画のエンディングで使われる曲です。美しいユーフォニウムのソロで始まるナンバーですが、すぐにホーメイになり、擦弦楽器が入ってきます。この曲でもフンフルトゥの歌声が素晴らしく、聴きながらしばし余韻に浸っています。後半、ホーメイ、擦弦楽器、ナカイの杉フルートが絡んで、独特な音楽世界を形成しています。最後は、吐息のチャントになって曲が終わっていきます。フンフルトゥによるホーメイは、ネイティヴ・アメリカンの音楽ではありませんが、おそらく彼らの音楽はこんな風であったろうと思わせるアジア系民族独特の節回しです。

ここから後は、映画のシーンに沿って解説していきますので、ネタバレをご覧になりたくない方は、ここまでにしておいてください。続きを読む

Various / Rolling Coconut Review Japan Concert 1977

rolling1977年4月8〜10日の3日間、東京の晴海の国際見本市会場のドームでローリング・ココナツ・レビュー77というイベントがありました。日本で最初の海外ミュージシャンを中心としたベネフィット・コンサートで、カリフォルニア勢力を中心に当時のアメリカの主要ミュージシャンが大勢来日し、日本のミュージシャンも交えてフェスティバル方式のライブが行われたのです。この時、自分は小学6年生になったばかりで、ロックやフォークなどに対する興味もまだ持っていなかった時期で、もちろんこのコンサートのことなど知る由もありませんて出した。

出演ミュージシャンの豪華さといったらありません。ジャクソン・ブラウン、ウォーレン・ジヴォン、J.D.サウザー、ダニー・オキーフ、テリー・リード、カントリー・ジョー・マクドナルド、ステイーヴ・ジレット等々のカリフォルニア勢から、ジョン・セバスチャン、フレッド・ニール、オデッタ、リッチー・ヘイヴンズらのフォーク系ミュージシャン、ピーター・ローワンらカントリー勢、スタッフ、ロニー・マック、ルイジアナ・レッドら、R&B、ブルーズ系のミュージシャンまで実に多彩な出演者で彩られ、久保田麻琴と夕焼け楽団、上田正樹、岡林信康、泉谷しげるら、日本のミュージシャンも多く出演しました。自分はこの時小学6年生、ジャクソン・ブラウンのこともリンドレーのことも全く知りませんでした。2年後にはフォーク・ギターを持ち、ギター雑誌を読み始め、なにやら数年前に日本で捕鯨反対コンサートがあったことを知ることになるのです。高校生の頃から洋楽に夢中になり、浪人生、大学生時代はよく中古盤屋に通ったものでした。ミュージック・マガジンなどの音楽雑誌も読み始め、ジャクソン・ブラウンやデヴィッド・リンドレーが大好きになって、彼らの来日回数なども知るようになりました。その中に、ローリング・ココナツ・レビューが出てきます。

奥付に1995年の日付のあるシンコー・ミュージック刊『ライブ・イン・ジャパン』というムック本が出版され、宇田和弘さんが書いた記事で、そのコンサートのことを知ることができました。そして、その豪華さ、内容の濃さにびっくりし、こんなコンサートは是非自分の目で見たかったなと感じました。宇田さんも「これ以上のものは、まだ見たことはない。」と記していましたっけ。一方、ミュージック・マガジンの増刊で、1996年に77〜79年の記事のダイジェスト版が出ました。そこにこのコンサートの特集がほぼまるまる掲載されていて、ますます興味をかきたてられたものです。特に北中正和さんによる詳細なレポートによって、コンサートの進行状況を詳しく知ることができましたし、主催者の一人、浜野サトル氏の記事や中村とうよう氏の問題提起など読み応えのある内容だったことを覚えています。

今から4年前の2018年、突然、ローリング・ココナツ・レビュー77のライブ・レコーディングがCD14枚組で発売されるというニュースが飛び込んできました。なんとコンサートから41年ぶりの快挙。もちろん全曲未発表です。長年憧れてきたコンサートの「音」が聞けるというのは嬉しいものです。もっともカリフォルニア・ライブと銘打たれた4月9日分は全て録音も禁止されたとのことですから、もっとも聴きたかった、ジャクソン・ブラウン、ウォーレン・ジヴン、J.D.・サウザーらの音源は残っていないのだれども、それでも期待に胸が踊りました。

CD14枚に及ぶボックスセットには、オデッタ、エリック・アンダーセン、ジョン・セバスチャン、フレッド・ニール、ダニー・オキーフ、ミミ・ファリーニャ、カントリー・ジョー・マクドナルド、ポール・ウィンター・コンソート、ヴィンス・マーティン、スティーヴ・ジレット、ピーター・ローワン・バンド、ルイジアナ・レッド、ロニー・マック、スタッフなどのアメリカ勢に加え、中川五郎、豊田勇造、ブレッド&バター、ラストショウ、上田正樹、泉谷しげる、夕焼け楽団など日本勢の音源が収録されています。コンサートは、4月8日(金)と9日(土)は、夕方の18時頃から深夜12時頃まで、10日(日)は、朝の10時から、夜中の1時までに及んだそうです。

また、上記のミュージックマガジンの特集記事の一部や、他誌に掲載されたものなどを編集し、一部書き下ろしも加えた100ページ近いブックレットも付属していて、日本初の大がかりな国際的ベネフィット・コンサートの実現に向けての苦労や理想と現実の大きな乖離について知ることができました。コンサートの模様は、その北中正和氏の文章にしっかりと記されていますが、今回のブックレットで、参加ミュージシャンがはっきりしたのは収穫でした。

何といっても、個人的に興味が尽きないのは、L.A.セッションと題された4月9日のコンサートです。テリー・リード、ウォーレン・ジヴォン、ダニー・オキーフ、イルカ、J.D.・サウザー、ジャクソン・ブラウンの6組が出演。バンドでの演奏はリード、ジヴォン、ブラウンの3組、オキーフは完全ソロ、イルカはリンドレーと二人。サウザーはピアノにジヴォンを従えるというアクースティックなライブだったようです。イルカはちょうど、この年の2月にロサンゼルスでセクションの面々やリンドレーとアルバム『植物誌』を録音したばかりでした。おそらく「心はプラス」や「孤独な歌人」のバックで、リンドレーがフィドルを弾いたんでしょうけど、ここには収録されていません。ジャクソン・ブラウン達3組のバック・バンドはほぼ共通しており、ドラム・イアン・ウォレス、ベース・ブライアン・ギャロファロ、キーボード・スタン・セレスト、ギター・ワディ・ワクテル、ラップ・スティールやフィドルでリンドレーという面々です。テリー・リードのステージでもジヴォンがピアノを弾いたり、ジャクソンのステージにサウザーやジョン・セバスチャンがコーラスで参加するなど、こうしたフェスティバルならではの共演もあったようで、ぜひ聴いてみたいなと思います。この日の録音はダニー・オキーフの「Save The Whales」のみボックスセットに収録されています。ブックレット冒頭の解説には「4月9日のステージ1回分は、当日の出演者の多くが所属していたレーベルの強い意向で録音が許されなかったため、今回CD化できた演奏は、アメリカサイドの映像記録班が保存していた音源を元にしている。」とあります。ということは、日本側には音源はないけれど、全編ではないにせよ映像が残されているというなんですよね。いつの日か陽の目を見てほしいものです。それから、リンドレーとイアン・ウォレスの邂逅について、ロニー・マックのアルバム『Pismo』ではないかと書いたことがあるんですけど、すでに、この頃のジャクソンのバンドに一時ウォレスが参加していたわけですね。それが、後のエル・ラーヨX結成の伏線になったようです。なお、ウォレスは1986〜87年のジャクソンのツアーでもドラマーを務めており、翌88年にはウォーレン・ジヴォンのバンドのドラマーとして来日していました。

さて、ボックスセットに収録されたデヴィッド・リンドレーのプレイについてみていきましょう。
ディスク7には、カントリー・ジョー・マクドナルドと、テリー・リード&デヴィッド・リンドレーが収録されています。4月10日の午前中に行われたモーニング・ジャムでは、7組のミュージシャンが出演。テリー・リードは2度目の登場で、この日はリンドレーと二人だけでステージを務めました。
収録されている1曲目「All I Have To Do Is Dream」は実に素晴らしいバラード。テリーのアクースティック・リズム・ギターに乗せて、リンドレーのエレクトリック・ラップスティールが途切れなく表情豊かなフレーズを紡いでいきます。テリーのギターがかなり小さく、もう少し大きい方がバランスがいいように感じられるのですが、リンドレーの楽器はしっかりと録音され、彼のプレイを存分に楽しむことができます。この曲は1979年に発表されるテリーのアルバム『Rogue Waves』のラストにも収録されていますが、こちらにはリンドレーは不参加でした。続くナンバーはトラッドの有名曲「Foggy Dew」。リンドレーがフィドルで伴奏し、テリーは歌に専念します。これがまた、実に感動的な演奏なのです。3曲目は、完全にリンドレーのみのフィドル・ソロ。ゆったり始まるけれど、中盤で高速のジグになります。知らない人が聞いたら、ブリティッシュ・トラッドのプレイヤーだと信じてしまうでしょう。彼は、テリー・リードのサイドマンとして数年をイギリスで過ごしたことがあるし、元々世界各地の面白い音楽に興味の尽きない人だから、トラッドも深く探求したんでしょうね。

ディスク9には、4月10日のファイナル・コンサートから、ヴィンス・マーティン、ラスト・ショウ、スティーヴ・ジレットが収められています。スティーヴ・ジレットは4曲が収録されおり、1曲目は、ジレット一人の弾き語り。この曲のギターテクは素晴らしいし実にいい声です。2曲目にドルフィン・プロジェクトの中心人物の一人ピーター・チャイルズがドブロで参加します。3・4曲目は、ピアノのスタン・セレステとリンドレーが参加。ピーターが退いて3人による演奏になります。「Sweet Melinda」は後のアルバム『Little Warmth』に収録される軽快なカントリー調ナンバー。リンドレーのエレクトリック・ラップスティールが冴えたプレイを聴かせます。「Back On The Street Again」では、リンドレーはフィドルを演奏。こちらもノリの良い心地よい演奏です。リンドレーは上記のように9日も大活躍しており、集まった多くの聴衆にその素晴らしいプレイを印象付けたことでしょう。

ジョン・セバスチャンも8日と10日の2回登場しており、8日はピアノにリチャード・ベル、ベースにハーヴェイ・プルックスを従えたトリオで、10日はソロで演奏しています。CDには両方のステージからセレクトされた演奏が収められています。フレッド・ニールは、そのセバスチャン、ブルックスに加えピーター・チャイルズを含めた演奏が収録されています。貴重なセッションですよね。ロニー・マックのバック・バンドは、ドラム・イアン・ウォレス、ベース・ティム・ドラモンド、ピアノ・スタン・セレストという強力なメンバー。同年に録音される彼らのアルバム『Pismo』には、リンドレーも参加しているのですが、この時のステージには不参加です。と、いうことは、この時にはリンドレーのプレイを見たロニーが彼のプレイを気に入りレコーディングに誘ったのかもしれませんね。CDボックスセットには、他にもスティーヴ・ガットとエリック・ゲイル不在の4人によるスタッフだとか、エリック・アンダーセン、オデッタ、ヴィンス・マーティンらの素敵な演奏が収められています。日本のミュージシャンでも、久保田真琴&夕焼け楽団+細野晴臣にセバスチャンやアンダーセンが参加したセッションを始め、サウス・トゥ・サウスを解散した上田正樹が、松原正樹らを従えシティ・ポップに移行しながらもファンクナンバーをぶちかますステージの模様などなど、当時の日本の音楽シーンの一端を知る上で貴重な音源もたくさん収められています。

このコンサートには、ライ・クーダーも自ら電話をかけてきて、参加を表明したそうですが、アルバムのフォトセッションの都合で参加できなくなりました。他にも、ボズ・スキャッグス、リンダ・ロンシュタット、クロズビー&ナッシュも参加の意向はあったものの、結局は不参加となりました。参加ミュージシャンの決定がギリギリになりチケットの発売が遅れたことも、コンサートが大きな赤字を出した原因となったようです。

捕鯨と自然保護については、様々な意見があるだろうと思います。このコンサートは、海洋保護と捕鯨について、非難しあうのでなく対話のきっかけにしようと開催されたものです。しかし、「先進国」アメリカのミュージシャンが大挙して来日し、「後進国」日本の人々を「教化」しようとしたと映った人もいるでしょう。そもそも、キリスト教的な考えで牛や豚、ニワトリなどは「神様が食べるために与えてくれたもの」という前提からして傲慢だし、エネルギー革命で石油が手軽に入手できるようになるまでは欧米も鯨油を採取するために盛んに捕鯨を行い、その肉などはペットフードや肥料に加工してきた歴史を見ると、当時の捕鯨国を非難するのはお門違いだという主張もあるでしょう。しかし、この時点でクジラの個体数が大幅に減少し、資源の保護が必要だったことも事実だったと思います。日本は昔からの捕鯨国だったと言いながら、東北など伝統的な捕鯨のなかった地域も多くありました。第二次世界大戦後、占領統治をしていたアメリカの意向もあり、日本は大規模な捕鯨を再開し「鯨肉」が戦後の食糧難をしのぐ一端を担ったのでした。しかし、このコンサートが行われた頃、日本は国際圧力によって捕鯨を縮小化、1986年には南氷洋での商業捕鯨を、1988年には太平洋でのミンククジラ、マッコウクジラの商業捕鯨を完全に停止し、かつて給食や家庭で安価な食材として親しまれたクジラは高級食材となりました。

こうした歴史の中で考えると、ローリング・ココナツ・レビューは捕鯨反対派の立場からは、「日本側の理解を得るのに一定の役割を果たした。」と見る人もいるでしょう。ご存知の通り、日本は「調査捕鯨」は継続して行ってきました。2000年代になると、シロナガスクジラなどの例外を除くと、クジラの個体数もかなり回復してきており、地域によってはクジラやイルカによる食害も発生しています。2019年、日本は国際捕鯨委員会を脱退し商業捕鯨を再開しました。しかし、捕獲量は100年とってもクジラの資源に影響を与えない程度に制限しているため、まだまだ高級食材のままです。2009年には和歌山県太地のイルカ追い込み漁を記録したドキュメンタリー、『ザ・コーヴ』が公開され、過激な反捕鯨団体のメンバーが漁業の妨害を行うなどして逮捕される事件も発生しています。捕鯨をめぐって意見の違う人々同士の溝は、簡単に埋まりそうにはありません。

Ali Farka Toure with Ry Cooder / Talking Timbuktu

coodertoureアメリカの黒人音楽は、ジャズであれ、ブルーズであれ、ゴスペルであれ、ザディコであれ、奴隷貿易という何世代にもわたる不幸な歴史がなければ、成立しなかったものです。それは、北米大陸の音楽にとどまらず、キューバのソンや、そこから派生したサルサ、ブラジルのサンバ、アルゼンチンのタンゴ、トリニダード・トバゴのカリプソ、ハイチのヘイシャンなどなど、中南米の様々な音楽がアフリカ系の黒人が担い手となって誕生した音楽なのです。歴史に「もし」は禁句でしょうけど、「もし」奴隷貿易がなければ、今われわれが聞いている音楽は、ずいぶんと違ったものになっていたことでしょう。

それでは、アフリカ大陸には、捕らわれてアメリカに送り出された人々が聞いたり演奏したりしていた音楽の痕跡は残っていないのでしょうか。奴隷貿易が禁止されてから、長い年月が経過しているので、アフリカ、アメリカ双方の音楽は大きく変容してしまい、当時そのままの姿で残っている音楽はどこにもないのかも知れません。十数年前、「砂漠のブルーズ」のキャッチフレーズで注目を集めたティナリウェンの先輩格に当たるのがアリ・ファルカ・トゥーレです。彼は北アフリカの内陸の国マリの出身で、その中央部ティンブクトゥ周辺で1939年に生まれました。このアルバムが出た当時マリの首都バマコへは5日もかかるという奥地で、サハラ砂漠に面した町です。16世紀をピークに砂漠の交易路の中継地として栄え、多くの大学が所在した学術都市でもあり、当時のモスクなどは世界遺産に登録されています。彼は「ティンブクトゥと聞くと世界の果てかのように思う人もいるだろうが、それは間違いだ。ティンブクトゥ出身の私に言わせれば、そこはまさに世界の中心である。」という言葉を残しています。17世紀以降衰退したとは言え、町の持つ歴史に思いを馳せ、このような発言をしたのかも知れませんね。もっとも、地理的にも音楽的にも近親関係にあるティナリウェンとアリですが、アリがブラック・アフリカンなのに対してティナリウェンの方はアラブ系の血の入ったタマシェック人で微妙な違いがあるようです。

アリ・ファルカ・トゥーレは、いわゆるグリオの家系ではなかったけれど、ンゴニなどの伝統楽器を習得し音楽活動を進める一方タクシーの運転手などもしていたようです。1950年代にギター演奏を目の当たりにして、ギターに傾倒。1960年代にはアメリカの黒人音楽にも興味を示し、特にジョン・リー・フッカーの音楽に共通のルーツを感じたとのことです。1970年代には首都バマコのラジオ局でエンジニアとして働くようになり、並行して音楽活動を続けていました。1970年代からレコーディングを進めていましたが、1980年代後半にシャナキーやワールド・サーキットからアルバムを発売。1990年に同じくワールドサーキット/ハンニバルからリリースされた『The Source』が話題を集めました。

1993年、互いの音楽のファンであったというライ・クーダーとの出会いは1992年春ロンドンにて。互いのツアーの時だそうです。ということは、ライがおそらくリトル・ヴィレッジのツアーでロンドンを訪れていた時でしょう。その後1993年9月にアリがアメリカを訪れ、3公演にライが客演。その直後、ロサンゼルスでレコーディングを行ったのがこのアルバムです。レコーディングに費やされた時間はわずか3日間。二人の音楽的な相性がいかにマッチしていたかがわかります。

アルバムのプロデュースはライ・クーダー、エクゼクティブ・プロデューサーとライナーノートは、ニック・ゴールドが手がけており、ワールド・サーキットとハンニバルの二つのロゴがついています。ニックは最初にアリの音楽を欧米に紹介した人物なので、まさに適任といったところでしょう。ここでのライとニックの出会いがのちにブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブを生み出すことになるのです。参加ミュージシャンはマリ勢のハマ・サンカーレ(瓢箪パーカッションとコーラス)とウマール・トゥーレ(コンガとコーラス)、アメリカ勢が、ジム・ケルトナー(ドラムス)、ジョン・パティトゥチ(アクースティック・ベース)、クラレンス・ゲイトマウス・ブラウン(エレクトリック・ギターとヴィオラ)というメンバー。ライ・クーダーはフィドルやビオラを手がけるブルーズ・マン、ゲントマウスを招聘し、瓢箪をボディとしたアフリカのフィドル、ンジャーカも弾くアリとの共演を実現させました。「砂漠のブルーズ」と「テキサス・ブルーズ」の邂逅です。なお、ジャケットに写っているライの息子ホアキム・クーダーは、レコーディングには参加しなかったようです。

冒頭の「Bonde」はアリがエレキ・ギターと6弦バンジョー、ライがトルコのジュンブシュを弾いています。まさに「砂漠のブルーズ」という雰囲気の中、アフリカ的なコール&レスポンスが続きます。アリは高音ながら芯の通った素晴らしい歌声の持ち主。パーカッションの二人のコーラスとの相性も素晴らしいです。ライはジュンブシュで延々とリフを弾いているようです。1〜3曲目は、マリ勢の3人にライを加えた演奏です。

2曲目「Soukora」ではアリがエレクトリック・ギターとパーカッション、ライがVOXのマンド・ギターとおもちゃのギターを奏でています。パーカッションとコーラスはマリ勢の二人です。イントロは力強いアリのギターで始まりますが、ライのマンド・ギターが実に素晴らしい味わいを出しています。バッキングでも美しい音色で曲のカラーを決定づけていますが、間奏でも大活躍します。間奏のときに、もう一本の弦楽器が絡みますが、これが「Toy Guitar」でしょうか。音楽雑誌にライの所有するする数々のギターが紹介された時、古い日本製のブリキのおもちゃのギターが掲載されていたことがありました。ライはオーバーダビングでこの楽器をかぶせているのでしょう。それにしてもメジャー・キーで優しく響く心地よい演奏です。

3曲目「Gomni」も、エレクトリック・ギターで始まります。おそらくアリが弾いているのでしょうけど、クレジットにはアクースティック・ギターとあります。ずっとリフを弾いているアコギもアリがオーバーダビングしているのでしょうけど、エレキ・ギターのクレジットはおそらく書き漏らしたのではないでしょうか。イントロの途中から、ややリバーヴのかかったエレキ・ギターが聴こえ始めますが、これがライのプレイです。ライのオブリガードも美しいのですが、なんとなく手探り状態で弾いているような印象を受けます。ライはムビラもオーバーダビングしているようですが、あまり聞き取れません。

4曲目「Sega」は、アリのンジャーカを中心とするインストです。ンジャーカは素朴な音色ながら、表現力が豊かな楽器で、アリのテクニックに聴き惚れているうちに曲が終わります。マリ勢3人だけの演奏です。

5曲目「Amandral」は、まさに”砂漠のブルーズ”という雰囲気の演奏です。ジム・ケルトナーのドラムス、ジョン・パティトゥチのベースも入って、演奏が重厚になっていきます。しかし、ケルトナーは二人のパーカッションの味わいを崩さないように、控えめな演奏。時折シンバルで存在感を示します。ベースも自己主張せずルートを抑えたプレイ。間奏でライのエレクトリック・ボトルネックが登場。ソロをひと回し弾いた後に、アリの「One More」という声がかかり、お得意のブルージーなフレーズが炸裂します。2回目の間奏ではアリのリード・ギターを堪能することができます。素晴らしいセッションですね。

6曲目「Lasidan」は、前曲のメンバーに加えて、クラレンス・ゲイトマウス・ブラウンが参加しています。イントロはアリのアクースティック・ギター。ライの楽器は「vox guitar」とクレジットがありますが、2曲目と同じくマンド・ギターのことでしょう。そして、ゲイトマウスがエレキ・ギターです。曲の冒頭から軽快なリズムが走り出す実に心地よい展開です。全然ブルーズじゃないんですけど、ゲイトマウスも果敢にオブリのフレーズを繰り出し、ライも途中でコードソロ風のフレーズで応酬します。

7曲目「Keito」は、再びブルーズを思わせる演奏です。サウンドはアリのエレキ・ギターが支配的ですが、ライは中東のタンブーラを弾いて、曲の背後にドローン効果を演出しています。

8曲目は、4曲目同様アリのンジャーカを中心とするインスト。高音部のリフが印象的なナンバーです。

9曲目「Ai Du」は再びフル・バンドに戻ります。実にブルージーな演奏が繰り広げられます。演奏を引っ張っていくのはアリのギターですが、ゲイトマウスのビオラがなんとも素晴らしい個性を発揮しています。アリのンジャーカとゲイトマウスのビオラを対比させることで、擦弦楽器のルーツについても一石を投じている化のようです。また、ライはエレクトリック・ボトルネック・ギターとマンドリンをオーバーダビングして、見事なアンサンブルを奏でています。

10曲目「Diaraby」は、マリ勢にライを加えた演奏となります。マイナー・キーのナンバーで、やはり、アリの独特なギターフレーズが曲の印象を決定づけていますが、最初の間奏でのライのエレクトリック・ボトルネック・ギターも素晴らしいプレイです。それを受けてアリもアフリカの大地の匂いを醸し出す美しいソロを繰り出します。ライはこの曲でベースも弾いているだけでなく、ムビラやアコーディオンのサンプルもオーバーダビングして隠し味で曲の隙間を埋めているようです。アリとライの二人のギター が深い余韻を残しながら、アルバムは幕を閉じます。

基本的に繰り返しが多かったり、ワンコードで延々同じリフに乗せた演奏だったりしてとっつきにくいと感じる方もいらっしゃるかもしれませんが、それこそがアフリカ音楽の真骨頂と言えます。そして、ブルーズのルーツを感じさせるフレーズ。もちろん、アリがジョン・リーから受けた影響によって生まれたサウンドもあるでしょうけど、彼の音楽の根底には世紀を超えて血が呼び合うDNAに刻まれた「音」が共鳴しているのが感じられるのです。このアルバムは、グラミー賞ワールド・ミュージック部門を受賞しました。

アリ・ファルカ・トゥーレは、1994年4月30日土曜のニューオーリンズ・ジャズ&ヘリテイジ・フェスティバルのコンゴ・スクエア・ステージに出演。そのステージにはライ・クーダーも客演しました。余談ですが、同日のレイバン・ステージのトリを飾ったのはライ・クーダーとデヴィッド・リンドレーのユニットでした。その後、アリは順調にアルバムを発表し、サリフ・ケイタらと並んでマリを代表するミュージシャンとして活躍。2005年にはノンサッチからトゥマニ・ジャバテとの共演アルバム『In The Heart of The Moon』を発表。その盤にはライも地味に参加しています。しかし、翌年、彼は癌のため66歳の若さで世を去りました。彼の遺作は、やはりトゥマニ・ジャバテとの共演盤『Ali Farka Toure & Toumani Diabate』で、この作品はアリが病の痛みに耐えながら録音したもので、彼の死後2010年にリリースされたものです。

Jay Boy Adams / Jay Boy Adams

jbadams自分がレコード収集を始めた10代の頃、結構たくさん見かけたのが、この方、ジェイ・ボーイ・アダムスのセカンド・アルバムでした。リンドレー繋がりでジャクソン・ブラウンのコーナーにあったりして、結構気になっていたのですが実際に手にしたのは20代前半だったかと思います。それに比べると、このファーストの方はあまり見かけませんでしたが、かなり前にLPで入手しています。今はWounded birdやBig PinkレーベルからCD化されているようですね。おそらく、そちらにはより詳しい解説が掲載されていると思います。

彼のホームページから、プロフィールをみてみましょう。

「ジェイ・ボーイ・アダムスは、ヒューストン、そしてテキサス州ミッドランドで、著名なブルースマンであるジョニー・ハーツマンと共にバンド活動を行い、何年もその技を磨きました。1972年、アダムスはラボックでZZ Topのオープニングに抜擢され、マネージャーのビル・ハムはアダムスをグループのレギュラーオープニングとして起用するほど感銘を受けたのです。ZZトップと4年間活動した後、アダムスはその後6年間本格的にツアーを行い、オールマン・ブラザーズ・バンド、ジョー・コッカー、ジャクソン・ブラウン、マーシャル・タッカー・バンド、ボニー・レイト、キンクスなど、多くのアーティストとコンサートを共にするようになりました。

1970年代から80年代初頭にかけて、アダムスは年間200〜250日をツアーに費やしました。しかし、ツアーと音楽的野心を追求することの厳しさは、やがて負担となり、彼は良い父親、夫であることに専念するようになりました。そこで彼はギターを置き、ツアーから離れ音楽を辞めました。

1997年、カントリー・スターのリー・ロイ・パーネルがアダムスをステージに招き、作曲のミューズとギター演奏とパフォーマンスへの愛が再び蘇えりました。以来、ジョージ・ストレイトの1999年カントリーミュージック・フェスティバルでツアーを行い、カーヴィル・フォークフェスティバルのヘッドライナーを務め、またテキサス・トルナドスの特別ゲストスターとしてヨーロッパツアーも行っています。2007年の『The Shoe Box』のリリース後、スティーヴン・スティルズのオープニングを飾るスペシャルゲストとして再びツアーに参加しました。アダムスはまた、ウェット・ウィリーのジミー・ホール、アウトローズとブラックホークのヘンリー・ポール、オールマン・ブラザーズの「デンジャラス」ダン・トーラー、ブラック・クロウズのスティーブ・ゴーマン、「アメリカン・アイドル」で有名なボ・バイス、その他のトッププレイヤーと共に、サザンロックのスーパーグループ、ブラザーズ・オブ・ザ・サウスランドにも加わっています。」

と、いうわけで、彼はテキサス出身、1970年代後半に2枚のアルバムを出し、80年代のはじめまでアメリカ中をツアーで回っていたけれど、20年弱の間音楽から離れていたようですね。

1977年アトランティックからリリースされた彼のファーストは、ビル・ハムのプロデュースで、録音場所は明記されていませんが、エンジニアリングにテリー・マニング、アル・シュミット、ロビン・ブライアンズ、ラリー・ニックスの名前があります。アルバムの基本メンバーは、本人のギター/ヴォーカル、ベースのデヴィッド・ベントレー、ドラムスのケン・マレーの3人で、曲によってデヴィッド・リンドレーほか2名がゲスト的に参加しています。クレジットでは、ラップ・スティール・ギター、フィドル、バンジョー、アクースティック・ギターとなっており、ハーモニーで「You Don’t Miss Things」と「Mountains And Airplane」にも加わっています。他の2名はピアノのポール・カルヴァーとペダル・スティールのカル・フリーマンです。

まず、冒頭の「Nine Hard Years」が素敵です。軽快なカントリー・タッチのナンバーで、スリー・フィンガーのアコギとリンドレーのバンジョーで始まります。何と言ってもオブリとエンディングのラップ・スティールが素晴らしすぎます。リンドレー・ファンは必聴。この時期の彼の充実を物語る美しいフレージングにテクニカルな速弾きも加わって極上のサウンドを聴かせてくれます。おそらく主人公はファーマーで9年にわたる厳しい年月を共に過ごしてきたポニーとの別れを描いた悲しい物語なのですが、アルバムのオープニングを飾るにふさわしいキャッチーな仕上がりとなっています。

「Sew A Sail」のアクースティック・リード・ギターはおそらくリンドレーでしょう。ジャクソン・プラウンの「For Everyman」でのプレイを思わせる短いフレーズを聴くことができます。
続く「You Don’t Miss Things(When They’re Gone)」のアクースティック・リード・ギターもリンドレーのプレイと思われます。また、彼はこの曲で高音パートをハモっています。印象的なリフはジェイ・ボーイとのツイン・ギターで奏でられています。

B面に行って、「Mountains And Airplanes」アクースティック・リード・ギターはデヴィッド・リンドレーでしょう。とても美しくリリカルなプレイです。

「Cactus Cafe」はカントリー・ワルツです。ピアノも入ってますが、冒頭からリンドレーの特徴的なフィドルが曲を盛り上げていきます。さらにホンワカしたペダル・スティールも絡んで、のどかなカントリー調の曲となっています。

続く「In Rain In Spring」はピアノは入っていないけど、前曲とほとんど同じ編成で演奏されます。リンドレーのフィドルはオブリに徹していますが、所々彼の個性が光るフレーズが聴こえてきます。

以上のように、リンドレーは全10曲中6曲に参加しているようです。トレードマークのラップスティールは1曲だけですが、それでもかなりの存在感を示しています。

ジェイ・ボーイ・アダムズは、髭面の外見に反して甘くきれいな声をしています。また、アコギのテクニックもなかなかのものです。バラードではメロディ・ラインがしなやかで美しいストリングスが入る曲多いです。安心して楽しめる1枚ですね。全10曲のうちバンドが入るのは半数の5曲ですが、弾き語りの曲もバラエティがあって飽きさせません。特に印象的なのはA面3曲目の「The Legend of Jack Diamond」です。黒人奴隷の解放に手を尽くしたが、最後には撃たれてしまった男の物語です。基本、アダムズのギター1本による演奏ですが、後半軍靴の音を思わせるパーカッションだけでエモーショナルに表現しています。彼のギター・ソロも素晴らしいです。そんなわけで、一般的にはかなり知名度の低い人ではありますが、とっても充実したデビューアルバムだと思っています。

Terry Evans / Blues For Thought

terryevans1stライ・クーダーのバックアップ・ボーカリストを務めた3人のうち、ボビー・キングとテリー・エヴンズは、1980年代後半にデュオ・チームとして活動を始め、西海岸のクラブまわりなどをしていたようです。彼らが1988年と1990年にラウンダーから、クーダーの全面バックアップによって2枚のアルバムをリリースしたことは、このブログでも触れています。彼はボズ・スキャッグス、ジョン・フォガティ、ミシェル・ポルナレフ、ヴァン・ダイク・パークスなどのアルバムにコーラス隊として参加していましたが、ファルセットが美しい相方のボビー・キングの方が仕事は多かったのかもしれません。二人は90年のアルバムを最後にコンビを解消し、エヴァンズはソロでアルバムをリリースすることになりますが、その最初の一枚がこのアルバムです。

アルバムは、ポップス・ステイプルスと同じ、ポイントブランクから、プロデュースはライ・クーダーです。アルバム・タイトルは「思索のためのブルーズ」。なかなか洒落ていますね。エヴァンズのソロ1作目とあって、結構気合の入った作品に仕上がっていると思います。アルバム収録曲のうち、カバーとエヴァンズの自作曲はちょうど半々の5曲ずつ。3・4・8・9・10曲目がオリジナルです。カバー曲を見ていくと興味深いことがわかります。2曲目の「Hey Mama, Keep Your Big Mouth Shut」ですが、この曲はボー・ディドリーのカバーです。レコード・コレクターズ誌では1990年6月号から8月号にかけて、ライのカバー曲とオリジナルを比較する記事が掲載されたのですが、その中で小出斉さんが『THe Slide Area』収録の「Mama, Don’t Treat Your Daughter Mean」について、ディドリーのこの曲が原曲ではないかと指摘していましたが、ここでエヴァンズが取り上げたということは、その指摘が大正解だったということに他なりません。それに、ここに収録された「That’s The Way Love Turned Out For Me」も『THe Slide Area』収録のアレンジに基づいて演奏されています。もう1曲「Get Your Lies Straight」は、『Get Rhythm』のアウトテイクでシングルCDに収録されたものです。つまりカバー曲5曲のうち、3曲はライ・クーダーがかつて歌ったものか、その元ネタなのです。ライの歌声は70年代末頃から黒っぽさを増し、選曲もR&Bのナンバーが増えていきましたが、本人としてはリアルなソウル・マンに歌い直して欲しかった曲をここに集めたのではないかと想像されます。もちろん、エヴァンズ自身の意見も尊重してのことでしょうけどね。

アルバムの参加メンバーは、ジム・ケルトナーがドラムス、ホアキム・クーダーがパーカッション、もちろんライ・クーダーがギター。ベースにハッチ・ハッチンソンが入るセッションでは、ピアノかオルガンにスプーナー・オールダムが入ります。一方、ベースにラリー・テイラーが入るセッションではピアノはフランキー・フォードが弾いています。そのほか、バック・グラウンド・ボーカルにパラマウント・シンガーズ、アーノルド・マッカラーが参加する曲、ギターでロバート・ワードが参加する曲、ホーン・セクションが入る曲もあります。全体的なサウンドカラーに統一感はありますが、個性的なミュージシャンの色が出ている曲もあって聴きどころは多い作品です。

では、個々の曲についてみていくことにしましょう。

冒頭の「Too Many Cooks」はウィリー・ディクソン作のブルーズ。バディ・ガイも録音していますが、ここではエイト・ビートのロックっぽいナンバーに改作しています。間奏ではノンスライドツイン・ギターを聴かせていてスリリングな展開です。この曲を含め5曲に参加しているパラマウント・シンガーズは、古くからあるゴスペル・カルテット。まだ、この時代活躍していたんですね。エヴァンズ自身もゴスペル出身だし、コンビネーションはバッチリですね。

2曲目は「Hey Mama, Keep Your Big Mouth Shut」。上記のようにボー・ディドリーの曲です。パラマウント・シンガーズによる追っかけコーラスもいい感じに決まっています。ギター2本をダビングしさらにウードも録音しています。1回目の間奏はボトルネック・ギターはあまり目立たず、ウードによるトレモロ奏法が面白い効果を出し、ファンキーな仕上がりになっています。2回目の間奏で、サックスが登場し渋い音色を聴かせます。ライは低音弦でボトルネックを滑らせて曲を盛り上げていき、エンディングでもサックスが絡んでくるという展開です。このサックスを吹いているのはジル・バーナル。本来ならスティーヴ・ダグラスが参加するはずだったのでは?と思います。

3曲目、「Shakespeare didn’t quote that」は「シェークスピアはそれを引用しなかった。」という意味です。このアルバムの中では最もジャズっぽい演奏でウォーキング・ベースで始まる4ビートナンバーです。ジャズっぽいピアノに乗せてライのボトルネックが滑る異色のアレンジで、間奏でも存在感のあるソロを決めています。こういうプレイは本人のソロ作ではほとんど出てこないので貴重です。ピアノはアート・ヒラリー。この方の名前をグーグルで検索すると、「ヒラリー・クリントンの”アート”」がたくさん引っかかってしまいました。どうやらジミー・ウィザスプーンとも共演のあるアフリカン・アメリカンのピアニストのようです。この曲のベースはハッチ・ハッチンソンが担当しています。ボーカル、ギター、ドラム、ベース、ピアノの5人よるシンプルな演奏です。

4曲目、「Natcha Bone Lover」はエヴァンズのアコギで始まるシャッフルのブルーズ・ナンバー。間奏のライによるギター・ソロはノンスライド。ウーウーコーラスが花を添えています。また、ジル・バーナルによるサックスも登場してリフを奏でています。

5曲目の「That’s The Way Love Turned Out For Me」『The Slide Area』収録の名カバーの焼き直しです。そちらのバージョンはエレクトリック・ギター中心のアレンジでしたが、イントロはほぼ同じフレーズをアコギでライが奏で、曲が始まります。スプーナーのオルガンのロングトーンが心地よく響きます。2番からやはりスプーナーが弾くピアノがスティディに入り、エレキ・ギターのオブリも控えめにはじまります。間奏は、クーダーキャスターのリアのピックアップをふんだん使った美しいソロです。途中からアコギも絡んで実に心地よいサウンドを生み出しています。エンディングにも少々そのエレキが登場しますが余韻を残しながらフェード・アウトしていきます。エヴァンズの声はこの名パラードにも実にマッチしています。

6曲目、「So Fine」ジョニー・オーティスの曲、シャッフルのリズムで明るくアレンジされています。ギタリストのロバート・ワードが参加しています。この方、オハイオ・プレイヤーズの前身となるオハイオアンタッチャブルの設立メンバーだそうです。このアルバムに近い時期に、さほど大きくないクラブでの、ロバート・ワード、ライ・クーダー、ニック・ロウ(ベース)、スティーヴ・ダグラスらによるセッションの映像がYoutubeに上がっています。そこではワードさん、バリバリブルーズをやっていますが、ビブラートを効かした独特な音色のギターが特徴的で、続く2曲でもリズムを引き締めています。

7曲目、「Get Your Lies Straight」は、曲はデニス・ラサールでオリジナルはビル・コディ。そのことについては少し前にレビューしています。ここではライのバージョンより奔放なエフェクトを使ったおどろおどろしいイントロで始まります。インテンポからは元のライのバージョンに近く、力強くファンキーな演奏になります。ソロもスライド要素少ないながら鬼気迫るプレイです。

8曲目「Live, Love and Be Friend」はシャッフルのナンバー。独特のサウンドのエレキはロバート・ワード。アコギはリズム・ギターがエヴァンズ、ライはアクースティックボトルネックで、オブリや間奏をプレイしますが、3本のギターが絶妙の絡みを見せています。

9曲目「Honey Boy」は、軽快なジャングル・ビートのナンバーです。クーダーによるソロの前半はノンスライドで複弦でフレーズをつむぎ、後半からボトルネックが登場し曲を盛り上げます。

10曲目、ラストを飾る「I Want To Be Close To You, God」は美しいバラードです。間奏は、クーダーキャスターのリアを使った天にも昇るようなステキなソロ。エンディングでも、感情のほとばしるエヴァンズの歌声にスプーナーのピアノとライのボトルネックが寄り添っていきます。

このアルバムは、この年に急逝した、『Get Rhythm』ツアーのメンバーで1960年代から活躍したサックス奏者のスティーヴ・ダグラスに捧げられています。ダグラスはライ・クーダーとのリハーサル中に、心臓発作で倒れ、そのまま帰らぬ人になったそうです。まだ54歳でした。

本題から外れますが、ライ・クーダーがアルバムのプロモーション・ツアーを組んだ際のコーラス隊の変遷を見ていきましょう。左はしが高音パートで、右に行くほど低音になります。

1976年 ボビー・キング、テリー・エヴァンズ、エルドリッジ・キング
1980年 ボビー・キング、ジョン・ハイアット、ウィリー・グリーン・ジュニア
1982年 ボビー・キング、サイモン・ピコ・ペイン、ウィリー・グリーン・ジュニア
1987〜88年 (アーノルド・マッカラー)、ボビー・キング、テリー・エヴァンズ、ウィリー・グリーン・ジュニア
2018年 ハミルトーンズ

次はちゃんとしたツアーではなく、1回〜数回の公演でコーラス隊が参加した事例です。

1974年 ボビー・キング、ゴールデン・ゲイト・カルテット(『Paradise&Lunc』のメンバー、レコード・プラントでの映像あり)
1978年 ゴールデン・ゲイト・カルテット(『Jazz』のメンバー、映像あり)
1979年 ボビー・キング、ハーマン・ジョンソン (No Nukes ライブ盤)
1994年 ボビー・キング、テリー・エヴァンズ、ウィリー・グリーン・ジュニア (ニューオーリンズ・ジャズ・フェス、フィルモアの2公演の映像あり)
2011年 アーノルド・マッカラー、テリー・エヴァンズ、(ライブ盤)

こうして見てみると、1990年代までボビー・キングがほぼ皆勤なのに比べると、テリー・エヴァンズの参加はそれほどでもないことがわかります。1984年の映画『Street of Fire』のクレジットにもエヴァンズの名前はありませんが、86年の『Crossroads』や『Blue City』からは大活躍していますね。ライ・クーダーとエヴァンズの信頼関係は76年のチキン・スキン・レビューから40年続きましたが、2018年にエヴァンズがこの世に別れを告げてしまいました。今頃、天国でスティーヴ・ダグラス達とジャムっているかもしれませんね。

Danny O'keef / American Roulette

okeefamericanアメリカの空の青さは、日本の空よりもっと深みがあって、本当に抜けるように青いような気がします。そんな青空のもと、朝焼けか夕焼けか分からないのですが、赤く染まった山々をバックに一人の男が車の屋根に手をついています。屋根はまるで水面のように男の顔を映し出しています。その男はダニー・オキーフ。このアルバムの印象的なジャケットです。

このアルバムは、1977年発表された彼の5枚目と思っていたのですが、1966年に『Introducing Danny O’keef』というものが出ているそうで、それを入れると6枚目になります。オキーフの名前を最初に意識したのは、ジャクソン・ブラウンがカバーした「The Road」でした。それ以外にもオキーフの曲は、ダニー・ハサウェイ、エルヴィス・プレスリー、グレン・キャンベル、ジュディ・コリンズ、レオ・セイヤーらにカバーされています。まさにミュージシャンズ・ミュージシャン。一般的な知名度はそれほどではないかも知れませんが、彼の楽曲は多くの著名ミュージシャンにカバーされ多くの人々の耳に届いていると思うのですが、作者の名前まで意識する人はそう多くないのかも知れません。この人の歌う「Good Time Charlie Got The Blues」は大好きな曲で、また、渋く力強い声にとっても合っているのです。

ダニー・オキーフはフォーク系のアーシーなミュージシャンと思っていたら、1973年の3作目『Breezy Strories』で、洗練されたシティ・ミュージックに接近します。このアルバムの冒頭の「The Run Away」もどちらかというとお洒落系の曲で、冒頭からI→IVmの繰り返しというコード進行で、うまく半音を使って印象的なリフやメロディを聴かせます。でも、内容は少女の家出とニューヨークの「ポン引き」がテーマなんですよね。このアルバムは1977年という年を反映して、そういったシャレた曲が4曲、カントリーやルーツ色の強い曲が6曲と、バランスのとれた選曲になっていますが、その落差もちょっとはげしいような気もします。

リンドレーの参加曲は、もちろんルーツ系。6曲目「All My Friends」と8曲目「In Northern California (Where The Palm Tree Meets Pine)」の2曲に参加しています。前者は、「友達はみんな、見知らぬ人になってしまう」と、人生を達観したような内容です。もしかしたら、浮き沈みが激しく華やかな芸能界にあって、成功したときには寄ってくる「友達」のことを揶揄しているのかも知れません。リンドレーはエレクトリック・ラップスティールの単音のロングトーンを使って、オルガンのように曲を色付けしていますが、目立ったソロは出てきません。マイク・メルヴォインの弾くピアノが美しいです。後者は、もっとカントリー色が濃く、リンドレーはフィドルとエレクトリック・ラップスティールをオーバーダビングし、バック・コーラスまで歌っています。

ルーツ系の曲には「The Hereafter」と「Plastic Saddle」というロックンロール・ナンバーがあって、静か目の曲の多いアルバムの中で良いアクセントになっています。「On Discovering A Missing Parson」は、「Good Time Charlie…」路線のオキーフ節を堪能することができますし、ラストの「Just Jones」は、オキーフ一人の弾き語りにストリングスが絡む構成ですが、こちらも素晴らしい出来です。このアルバムには、半分くらいの曲にストリングスが入っていますが、曲にマッチしたもの、凝ったアレンジのものがあって、とっても聴きやすいです。

オシャレ系の曲では、「Island」はエレピにコンガが絡み、リゾート感が強く感じられるバラードでサビの高音はファルセットで歌うあたりも含めR&B的です。「You Look Just Like A Girl Again」もバラードで、オキーフのアコギで曲が始まると、ゲスト参加のトム・スコットのサックスと、エレピ、コンガが絡むAOR的な展開になります。スティーリー・ダンあたりと続けて聴いても違和感のない素敵な曲だと思います。タイトル・トラックは、テンション・コードで静かに始まるバラードですが、8分にも及ぼうという組曲風のナンバーで壮大で劇的な展開を見せます。内容は少し屈折したラブソングのようです。

プロデュースは、7曲をシンガー・ソングライターのケニー・ヴァンス、3曲をジョン・コートが手がけています。アルバムにはロサンゼルスを中心に活躍するスタジオ・ミュージシャンが参加しています。ドラムがアルヴィン・テイラー、ベースがレギー・マクブライド、コンガがオリバー・ブラウンというリズム隊が2曲、デイヴ・パーレイトがベースのセッションは6曲あって、そのうち2曲のドラムがギャリー・モーラバー、2曲がスティーヴ・シェイファー、1曲がロジャー・ベスルミイという布陣です。1曲はドラムレスです。ピアノ、キーボードはジョン・ホブズが4曲、マーク・メルヴォインが3曲ですが、うち1曲は二人とも参加していて、ホブズの方がエレピにまわっています。他にロジャー・ケラウェイが2曲、ヴィンス・メランドが1曲となっています。

ダニー・オキーフは先日79歳を迎えましたが、現役です。2020年にもネイティブ・アメリカンをテーマにしたアルバム『Looking Glass & The Dreamers 』をしています。しかし、寡作で、オリジナル・アルバムは60年代に1枚、70年代に6枚、80年代に2枚、90年代以降に9枚リリースしていますが、過去の曲中心の新録などもあるようです。●

そういえば、このアルバムが発表された1977年、ダニーは来日し捕鯨反対コンサート、ローリング・ココナッツ・レビューに参加しました。そのとき歌われた日本語交じりの曲「Save The Whales」は1979年の次作『The Global Blues』に収録されました。

Various / Ferrington Guitars

ferringtonguitar自分がインターネットをはじめたのは、1996年頃だったように思います。ダイヤルアップのモデムでアナログ回線でした。最初の頃は画像を読み込むにも時間がかかり、アーティスト・ページなども充実しておらず、今のようにライブ・フォトやライブ映像を気軽に見れる時代ではありませんでした。ネット普及以前、気になるアーティストのライブ写真とか、ほとんど雑誌で見るしかなかったと思うのです。特に有名な人だったらMTVとかで紹介されるんですけど、1992年ライ・クーダーが参加したリトル・ヴィレッジのライブ・フォトを見たのはどの雑誌だったのか、覚えていませんが、ファーム・エイドのライブ映像はテレビで見たのかもしれません。

そこでライ・クーダーが弾いていたエレキ・ギターはそれまで全く目にしたことのないナチュラル・カラーのものでした。しばらくして、ダニー・フェリントンというギター・ビルダーが製作した楽器が多くのプロ・ミュージシャンに気に入られ、特注したものの写真集が刊行されていることを知りました。この本の紹介はミュージック・マガジンに出ていたのかも知れません。その写真集には20曲入りのサンプラーCDがついており、そのミュージシャンが弾く短いギター曲が収録されています。帰省した時、大阪ミナミのタワー・レコードで購入しましたが、結構高かったです。

CDに収録されているミュージシャンは、リチャード・トンプソン / ロッシー(マダガスカルのギタリスト) /ライ・クーダー/デヴィッド・イダルゴ/ リーヴズ・ゲイブリエルズ/スティーヴン・ビショップ/J.J.ケイル/マイケル・ワード/ランディ・ジェイコブズ/フィービ・スノウ/ニール・フィン/デヴィッド・リンドレー/ケニー・エドワーズ/マイケル・ランドウ/アルバート・リー/J.D.サウザー/ヘンリー・カイザー/エルヴィス・コステロ/ザ・セクション・カルテット/ドン・ウォズの20組です。写真集の方は彼らに加えて、リンダ・ロンシュタット、エミルー・ハリス、ジャクソン・ブラウン、ニック・ロウ、ピート・タウンゼント、ロドニー・クロウェル、カーレン・カーターはじめ、41組。合わせて61組に提供した楽器の写真が満載です。

フェリントンは、アコギ、エレキのみならず、チェロなどの擦弦楽器も作ります。おそらく1950年代の前半にルイジアナで生まれ、1975年にナッシュビルに移住して、有名なギター職人のランディ・ウッドに弟子入りしました。初めて一人でギターを作ったのは1977年で、1980年代には、ジョニー・キャッシュ、ウェイロン・ジェニングス、J.J.ケイルなどのミュージシャンにギターを製作しました。1985年にはロサンゼルスに移住し、サンタモニカに工房を作ります。当時、アコギでも誰も試みなかった斬新なデザインのギターを作るなど注目を浴び多くの著名ミュージシャンのギターを製作します。90年代の活躍が特筆されますが、現在もfacebookページを持っていて何やらギターのことを書き込んでおられますね。

「彼にはインスパイアされるよ。」カバーに記されたライ・クーダーの言葉です。

ライ・クーダーのサンプラー曲はそのものズバリ「Ry Cooder Melody」。ここに掲載されたスプリット・ネックのエレキ・ギターで演奏されたと思しき、叙情性にあふれたインスト・ナンバーになっています。キーはCで6弦は少なくともCまで下げられているようです。前半、中低音でテーマを繰り返しますが、中盤に高音パートが登場、後半には低音部を強調し、曲として結構まとまっています。さすがのプレイだと思います。

「ライ・クーダーはトーンについて驚くべき耳を持っています。特に自分が弾こうとするギターについては極度に特別な耳で聞き分けるのです。それで、私はケニー・エドワーズから、ライが私のアクースティック・ベースを弾いて使える楽器だと言い切ったと聞いていて嬉しく思いました。ライにとっては、それはかなりの褒め言葉なのです。しばらくして、ライは4〜5本私のギターを買ってくれました。ライは私が自宅から仕事場へ行く途中に住んでいたので、彼は私が新しい楽器を試してもらうプレイヤーの一人としてインプットされました。私は彼を、私の「ロードテスター」と呼びました。

ライは与えられた楽器がなんであっても、その使い道を見つけるのが上手です。私のプライウッドの「1時間ギター」を取り上げた好みは、彼の「普通でないもの」に対する愛情の典型的なものです。私は、自分が見つけたフェンダー・ジャズ・ベースのピックアップをテストするためにこのギターを作りました。そして、これを作ったとき、まるで水中で演奏しているかのような素晴らしいサウンドだと思いました。私は自分のために作ったこのギターをライにも見せました。ライはこのギターを弾いてこう言いました。「ダニー、君にこのギターを手放させたくないよ。」私は、このギターをライの家に置いていかなければなりませんでした。そして、彼はこの楽器をいくつかのレコーディングで使いました。この頃、私はライに楽器を見せるときは、より注意深くなりました。なぜなら、私が彼に見せたものは何であれ、再び自分の手元には戻らないだろうからです。」

ここに掲載されているギターは3本ですが、そのほかにも数本のギターをライに提供していたことが、フェリントンの解説でわかりますね。とりあえず、この本に掲載されたライの楽器について、解説を訳してみましょう。

まず、1990年に作られたギターです。スケールは25・1/2インチ。素材はトップ、ネック、指板ともメイプルで、ボディはベースウッドのエレクトリック・ギターです。「スプリット・ネックのエレクトリック・ギターでフレットは2本の低い弦がバリトン・ギターのように、高い4本の弦が普通のギターのように分けて打たれている。ライ・クーダーは彼自身のチューニングでこの楽器を弾いて、私が知っている中でこのギターを弾ける唯一の人物である。彼はリトル・ヴィレッジのアルバム全部でこのギターを使った。」

IMG_7318

次のギターは、1988年のアクースティック・バリトン・ギターです。スケールは29・3/4インチ、スプルース・トップ、マホガニーのボディとネック、ローズウッドの指板です。「このバリトン・ギターは私が初めて作ったバリトン・ギターの一つです。ライはレッドベリーが使ったような古い大きな12弦ギターのようなサウンドを出します。私はライの古いエレキ・ギターのスケールをコピーしました。なぜなら、彼は私にその特別なギターはバリトンにちょうど良いスケールだと語ったからです。私は今まで作ったバリトン・ギター全てにそのスケールを使いました。」

最後に「One Hour Guitar=1時間ギター」です。本当に1時間で作られたような粗い加工のギターですが、そもそもフェリントンが試しにジャズベースのピックアップを載せるために試作した楽器だったわけです。1988年作です。バーチ・プライウッド・ボディ、メイプル・ネック、ローズウッドの指板です。「ライ・クーダーはこの”1時間ギター”をボビー&テリー・エヴァンズのアルバム『Live And Let Live』の「Let Me Go Back to the Country」で使いました。」ちなみに、ライはこのギターをリトル・ヴィレッジの「She Runs Hot」のプロモーション・ビデオでも使っていました。レコーディングで使ったかどうかは不明です。

IMG_7317

この3本のうち、リトル・ヴィレッジで使ったスプリット・ネックのギターには、実はもう1本スペア的なギターがあったことは、昨年にライがその2本ともを売りに出したので、初めてその存在を知りました。アクースティックのバリトンと「1時間ギター」はまだ持っているのでしょうか?

「ダニーは完全に天才だね。彼は発明家がするように、ギターについて話すんだ。」カバーに記されたデヴィッド・リンドレーの言葉です。

リンドレーの曲は「Elvis is Alive」というタイトルですが、サズのソロでごく短いものです。エルヴィスの曲がモチーフなんでしょうか。微分音を使ったアラビックなイントロから、インテンポになり、中東的なフレーズが疾走します。

「私はデヴィッド・リンドレーと長いお付き合いをしています。彼は過去に私のギターをたくさん使っています。そして、彼はとてもいいプレイヤーなので、私は彼に私のギターを所有してほしいと思っています。デヴィッドと私は、1世紀前のトルコの楽器で、サズと呼ばれる楽器を私が作ることについて、しばらく話をしたことがあります。彼が持っている伝統的なその楽器はトルコで作られたもので、単体の材から彫り出された大きな球状の背面を持っています。この楽器は立ってプレイするのは難しい、いや、不可能なので彼は私に現代的なフラット・バックのものを創作してくれるよう依頼しました。私はデヴィッドの家に行き、これらの楽器がいっぱいの部屋で、この楽器を作るのに必要な要素を混ぜ合わせることや、材質などについて検討しました。この楽器の伝統的なフレットはモノフィラメントの釣り糸を巻きつけて作られています。私は楽器の背面に小さな扉を設置し、デヴィッドがアクースティック・ピックアップを内側につけられるようにしました。私はこの楽器について自由に作らせてもらったので、いつもやっているようにカッタウェイにしました。それは2本のサズを合体させたかのようでした。トレブルサイズは小型のサズです。そしてベースサイズは大型です。私は特にトラディショナル・スタイルのペグが好きなので、それを作りました。それはまるで郵便受けのような形です。デヴィッドは、この楽器が背後で演奏されているたくさんの映像を持っています。長い弦のものは、長時間音が鳴っているので、とても雰囲気のある音楽を奏でることができます。」

ちなみに、リンドレーのこのサズは、1992年作。スケールは37・1/4インチと長く、トップはスプルースとアッシュ、ボディと指板はアッシュ、ネックはマホガニーです。

IMG_7316

クーダーとリンドレーの二人以外にも、リチャード・トンプソン、ロッシー、リーヴズ・ガブリエル、アルバート・リーらの超絶テクニック、J.J.ケイルやマイケル・ランドウの味わい深いプレイなど、聞き所はたくさんです。ただ、大半がギターだけのプレイ。全インストなので、やはり自身でギターを弾く人か、よほどギターが好きな向けの本とCDでしょうね。フェリントンのギターは、マーティンのOO-45を模したものから、独創的なシェイプ、カラーのものまでバラエティに富んでおり見ていて飽きない写真集です。これだけ多くの著名なミュージシャンがオーダーしていることからも、彼の「腕の良さ」は証明されています。一度試奏してみたいものです。

Dolly Parton / Here You Come Again

dollyhere1977年にRCAから発表されたドリー・パートンのソ20作目のアルバムです(ポーター・ワゴナーとのデュオを含めると31作目)。ジーンズをはき、赤地に小さな水玉模様のシャツを着たドリーの笑顔の全身写真が3枚ズラリと並んだジャケットは結構インパクトがあります。ポップな内容を象徴したジャケットと言えるでしょう。この時、ドリーは31歳。米国カントリー界では押しも押されぬ大スターになっていました。

アルバム全体のプロデュースとアレンジはギャリー・クライン。リズム・アレンジはディーン・パークス、ストリングスやコーラスのアレンジはニック・デカロです。録音はハリウッドのサウンド・ラブズ・インクとキャピトル・スタジオで行われています。

参加メンバーは、ロック系の名うてのスタジオ・ミュージシャンばかり。ドラムはエド・グリーンとジム・ケルトナー、ベースはデヴィッド・ハンゲイト、キーボードはデヴィッド・フォスター、ギター&バンジョーにディーン・パークス、ギターにジェイ・グレイドンとベン・ベニー、ペダル・スティールにアル・パーキンスといった面々がパックアップしています。TOTOとエアプレイのメンバーが参加していて、サウンドもシティ・ポップ風の曲が増えています。

リンドレー参加曲は5曲目「Loving You」1曲のみのようです。ミニー・リパートンの方ではなく、ジョン・セバスチャン作の60年代のラヴィン・スプーンフルのカバー。セバスチャンはソロでもラグタイム風のアレンジでライブでよく歌っていましたが、ここではもう少しブルージーにアレンジされています。イントロから聞こえてくるちょっと歪んだラップ・スティールのリフは紛れもなくリンドレーのプレイ。歌がスタートするとアコギとドラム、ベースだけの伴奏になります。2番からはディーン・パークスの弾くバンジョーやピアノも参加して賑やかになってきます。2番の後のブリッジでイントロと同じリフでリンドレーが絡んできますが、その後はソロなど目立ったプレイはありません。エンディングでもリンドレーの同じリフが登場します。この時期のリンドレーらしい音づかいにはシビれますが、たっぷりソロが聴きたいところですけど、あくまでこのアルバムはカントリー系ポップス。リンドレー含め参加ミュージシャンは脇役に徹していますね。


冒頭のタイトル・トラック「Here You Come Again 」 はバリー・マンとシンシア・ウェル作。軽いシャッフルで、とってもキャッチーなナンバーでシングルでも大ヒットしました。リード・ギターは誰が弾いているのでしょう。なんとなくジェイ・グレイドンのような気がします。

2曲め「Baby Come Out Tonight」は ケン・マッコード作。アコギで始まるとってもいい曲です。サビからはエレピが絡んできてモダンなアレンジです。ケン・マッコードについてはほとんど情報がありませんが、1976年に「Don’t You Believe Her」というシングルを発表しているミュージシャンかもしれません。

3曲目「It’s All Wrong, But It’s All Right」はエレピで始まるバラードで、ストリングやコーラスが入って壮大な雰囲気の曲です。エフェクトのかかったエレキも入っていて、グレイドンのプレイと思われます。フォスターが弾くエレピもビブラートが効いていて、おそらくフェンダー・ローズを使っているのでしょう。

4曲目「Me And Little Andy」はアコギで始まるフォーク調の曲。小さな女の子のサンディの言葉を再現しています。ドリーは舌足らずな子供の声真似をしていますが、これが見事にはまっています。嵐の日に突然ドアを叩いた見知らぬ子供のサンディはアンディという子犬を抱いていました。彼女の母は出て行き父は町で呑んだくれ、一夜の宿を求めてドリーのもとに訪ねてきたのです。もちろん架空の話でしょうけど、ドリーは物語風の作品に仕上げています。

LP時代はB面1曲目、6曲目の「Cowboy and The Dandy」はカントリー・シンガーのボビー・ゴールズボロのナンバーです。アコギとエレキの2本の美しいアンサンブルで始まるバラード。セカンド・ヴァースからエレピが入って少々現代的なアレンジになりまが、サビでアル・パーキンスのペダル・スティールが薄く入ってカントリーらしさを醸し出しています。

7曲目「Two Doors Down」はご機嫌なアレンジのカントリー・ロッキン・ナンバー。ホーン・セクションも入って盛り上がるアルバムの中で一番賑やかな曲です。

8曲目の「God’s Coloring Book 」は、ほとんどアコギだけで伴奏されている静かな曲ですが、この曲が素晴らしいです。ドリー・パートンの歌の上手さが光っているし、シンプルなメロディの繰り返しだけど、滋味があふれています。前曲同様、ドリーのオリジナルです。

9曲目の「As Soon as I Touched Him 」はスケールの大きなバラードです。出だしのアコースティック・ピアノが素敵です。デヴィッド・フォスターが弾いているのでしょうか。 ストリングスも入っているMOR路線のアレンジです。ノーマ・ヘルムズとケン・ハーシュという二人のソングライターによる共作ですが、ケン・ハーシュはドク・ポーマスやジェリー・ゴーフィンとも共作経験があり、ナンシー・ウィルソン、アニタ・ベイカー、エア・サプライ、ミリー・ジャクソン、グラディス・ナイト始め多くのミュージシャンに曲を提供しています。もう一人のノーマ・ヘルムズの方は、あまり名前が出てきませんが、グラス・ルーツやテルマ・ヒューストンの曲を他のソングライターと共作していたり、ケン・ハーシュとの共作を『Lovequake』というディスコ・アルバムに2曲提供していたりします。

ラスト・ナンバーの「Sweet Music Man」はやはりカントリー界の大スター、 ケニー・ロジャースの曲です。エレピで始まりますが、伴奏のアコギが素敵なバラード。ピアノもいい感じだしストリングスも入ってとても聴きやすいし、曲がいいですよね。ほとんど自己主張しませんがエレキ・ギターも入っています。

以上のように、1977年という時代にあってカントリーの大スターが、トップクラスのスタジオ・ミュージシャンを擁して作り上げた平均的なアルバムと言えましょう。ドリーの特徴ある歌声はすぐに彼女だとわかりますが、バックの音だけ聞くと、すでに日本でいうAOR的なサウンドがかなり入り込んでいて、普通のポップスとあまり変わらない音づくりになっています。わずかにペダル・スティールやバンジョー、アクースティック・ギターが「カントリーっぽさ」を演出しているように映ります。ドリーはカントリー・チャートでは上位の常連で、テレビ番組さえ持っていましたが、今回はポップチャートを多分に意識して制作に臨んだようです。前作がナッシュビル録音だったのに、今作はロサンゼルス録音に変更し、プロデューサーもマック・デイヴィス、ジョニー・キャッシュ、ティム・ハーディン、グレン・キャンベルらとの仕事で知られるギャリー・クラインに依頼しました。結果は大成功で、シングルの「Here You Come Again 」は、ビルボードのシングルチャートで3位、もちろんカントリーチャートでは1位、アルバムの方もビルボード・アルバムチャート20位、カントリーチャートは1位を記録し、ドリーのスターダムを押し上げました。一方で、「純粋」なカントリーと峻別するためにケニー・ロジャース達と同様に「カントリー・ポップ」と呼ばれるようになりました。
 まぁ、そんなわけでドリーのヒット作、心地よく聴き通せる一枚です。リンドレーの活躍はあまり目立たないけど、ドリーとの間にはしっかりと信頼関係が築かれていくようです。

Ry Cooder & V.M. Bhatt / A Meeting By The River

AMeeting先日、タジ・マハールとライ・クーダーの名義による2022年作『Geu On Board』をレビューしたところですが、今回はライ・クーダーにとって初の共同名義作となる1992年録音のこのアルバムを紹介しましょう。

インド音楽を聴くと、脳からアルファ波が出ると言われます。確か中島らものエッセイで読んだと思うんですけど、部屋の中にいくつか植物を置いて音楽を流すと、植物も音楽を聴いているらしいんですよ。ヘビー・メタルを流すと、植物がスピーカーに背けるように伸びていくのに対し、インド音楽を流すとスピーカーに近づいて、ついにはスピーカーを抱きしめるようになるって書いてあったんですけど、誰か本当にそんな実験をした人がいるんでしょうか。でも、なんだかありそうな話ではありますね。

なんでも、最近グラミー賞ではワールド・ミュージック部門がグローバル・ミュージックと名称を変えているそうですが、1987年か、88年あたりがワールド・ミュージック元年と呼ばれていたような気がします。その頃はマンネリ化しつつあったロックに比べ、アフリカのユッスー・ンドゥール、パパ・ウェンバ、サリフ・ケイタ、、アラブのシェブ・ハレド、マルティニークのマラヴォワ、ブルガリアン・ヴォイスあたりが注目を集め、パキスタンのヌスラット・ファテ・アリ・ファーンやインドネシアのエルフィ・スカエシらも活躍していて、なんだか、今後は米英の音楽よりも、こうしたワールド勢が音楽の主流になっていくような気がしたのですが、やはり、言葉の壁のせいでしょうか、一時期ほどは話題にならなくなったような気がします。けれども、1990年代の前半という時代は、多くの局面でワールド・ミュージックの可能性が注視されていた時期で、その先駆者とも言えるライ・クーダーに、ようやく時代が追いついた時期でもありました。

1992年、リトル・ヴィレッジが活動を停止した後、ライ・クーダーはハワイのパヒヌイ・ブラザーズの録音にゲスト参加し、9月にはこのアルバムのレコーディングを行って、ワールド・ミュージック路線に回帰しました。ところで、ライ・クーダーのレコーディング契約ですが、1992年にリリースしたサントラの『Trespass』を最後に、一旦はワーナーを離れるようです。おそらく、ワーナーとの専属契約を結んでいる間は、「ライ・クーダー」の名前を冠したアルバムは、他のレコード会社から出せなかったと思うのですが、契約が解除されたことによりインディズのウォーター・リリーから、このアルバムをリリースする運びとなったのでしょう。この後サントラも別のレーベルから出るようになりますし。ただ、1994年には新曲「River Come Down」を含むベスト盤をワーナーから発表、翌年には映画音楽のベスト盤『Music by Ry Cooder』も同社からリリースしていますが、ベスト盤やボックスセットは別扱いなんでしょうね。

さて、ウォーター・リリー・アクースティックは、カヴィチャンドラン・アレキサンダーによって1984年にカリフォルニア州サンタバーバラで設立されたレーベルです。彼は、東洋人の芸術家が西洋人に比べて、録音環境に恵まれていないことに心を痛め、最高の録音機材を揃え、原音に忠実なアクースティック音楽中心の録音環境を整備しました。折しもリスナーの使用機材LPからCDへの移行期だったので、高音質のCDを制作したことにより、オーディオ業界からも大いに注目を集めることになりました。また、このレーベルは、通常では共演することのないような異文化のミュージシャンとの斬新な組み合わせで高い評価を得ています。インドとアメリカのミュージシャンの共演だけでなく、カルナティックやヒンドゥスターニといったインドの音楽家と、ペルシャ、アラブ、中国の音楽家を初めて組み合わせ録音を行いました。このアルバム『A Meeting By The River』は、レーベル主のカヴィ・アレキサンダーによるプロデュースです。

このアルバムのもう一人の主役V.M.ことヴィシュワ・モハン・バットは、1950年生まれ、インドのラージャスターン週に生を受けました。1970年といいますから、彼が20歳のとき、自らの名前を冠したモハン・ビーナという改造ギターを開発し、その楽器奏者の第一人者として知られています。この楽器はギターを改造し、シタール等のインド楽器と融合した独特のもので、彼は1990年代にレコーディングを開始、1993年にリリースされたこのアルバムで、グラミー賞を受賞して多くの人々に知られるようになりました。その後、1995年にはジェリー・ダグラスやタジ・マハール、96年にはベラ・フレックとの共演アルバムをリリース、2004年にはエリック・クラプトンが主催するクロスロード・ギター・フェスにも出演し、そのテクを多くの聴衆の目に焼き付けました。

この「モハン・ビーナ」という楽器は、f穴のいわゆるピック・ギターのネックに二重構造で弦を張っています。上段に8弦、下段に13弦が貼られていますが、下段の弦は「共鳴弦(タラフ弦)」で直接弾くことはありません。これはシタールなどと同じです。上段の8弦のうち、手前側の4弦は、ウクレレやバンジョーと同じく高い音の細い弦が貼られています。実はこの部分も二重構造になっていて、上段に2本、中段に2本が張られています。この部分がチカリ弦といって、押さえなくてもコードが鳴り、ドローン効果を出すことができます。この4弦は狭い幅に上下2段にまとめられています。メロディを操るのは残りの4弦。チカリ弦の隣が最も低い音の弦となります。膝の上の載せて弾くラップ・タイプのギターで、メロディはハワイアン・ギター同様、スライド・バーを使って演奏されます。

1曲目「A Meeting by the River」。タイトル・トラックです。出だしは、打楽器の入らないルバート。モハン・ヴィーナのチカリ弦の響きに続いて、バットがスライド奏法でメロディを奏でます。ライもバットの伴奏をした後、リードを弾き、後半は二人の掛け合いになります。続いてチカリ弦がリズミカルに鳴り始めタブラも入ってインテンポ。バットとライが交互にリードを取る形で曲が進行していきます。二人の渾身のプレイは素晴らしいの一言。アルバムの冒頭にふさわしい、やや明るめのナンバーです。チカリ弦をサムピックでスティディにストロークしながら、他の指でメロディを奏でる技術は驚異的。まるで2本のギターで演奏しているかのようです。

2曲目「Longing」も、モハン・ヴィーナの響きから始まります。インド音階ですが、前曲に比してやや悲しげなメロディです。続くライのボトルネックもマイナーキーで演奏しています。KeyはDmですが、おそらくオープンDチューニングの3弦をFに落としたDmチューニングで弾いているのではないかと想像されます。インテンポになっても、さほどスピードは上がらず落ち着いた演奏で、バットとライが交互にソロをとります。この曲にブルーズの香りがそこはかとなく漂っています。

3曲目「Ganges Delta Blues」。出だしはライが実にブルージーに1フレーズを弾くと、それに呼応するようにバットがインド音階を交えたプレイで応え、さらにライが無国籍風なメロディを交えてプレイ、ライがトレモロを弾くと、バットも同じくトレモロで応えます。そして、打楽器を交えインテンポ。印象的なリフはバットが弾いています。もちろんこの曲でも二人のソロの応酬がありますが、ライのプレイも力が入ってきます。この時まだ14歳の息子のホアキムもダラブッカで参加。二人のプレイを盛り立てます。たゆたうガンジスの流れが目に浮かぶような演奏です。後半演奏全体が盛り上がり、タブラも非常に細かいリズムを刻んで緊張感を高めていきます。まさに、ブルーズとインド音楽の理想的な融合です。

4曲目「Isa Lei」。この曲、同年にレコーディングされたパヒヌイ・ブラザーズのアルバムに収録されていましたし、1986年の映画『Blue City』のアルバムにも「Not Even Key West」として使われていましたから、ハワイアンの曲とずっと思っていたのですが、調べてみるとフィジーの別れ歌なんですね。フィジーとハワイは2000キロ以上離れていますが、とってもいい曲だし、オーストラリアのシーカーズが1960年代にカバーしてヒットさせると、ハワイでも歌われるようになったのでしょうね。なんと1969年にはNHKの「みんなのうた」にも取り上げられていました。さて、演奏の方ですが、この曲だけ、オープニングのルバートがなく、いきなりインテンポで、イントロもなく、いきなりメロディ。出たしのメロを弾いているのがライです。非常に美しいプレイですよね。前曲の興奮をおさめるように、静かに、ゆったりと始まります。ライはボトルネックを使わずに主旋律をひと回し弾きます。続いてバットの独特のリフが数回入って、バットのスライド・プレイに移ります。次のライのプレイもノンスライド、ようやく3回し目でライのボトルネックのソロが登場。二人でリフを弾きながら静かに曲はエンディングを迎えます。

曲のkeyは、いずれもD系で、2曲目だけがDm、3曲目はDのブルーズコードです。これはモハン・ビーナという楽器の特性に由来するものでしょう。主弦はD、AといったDの和音に調弦されているようです。もっとも、チユーニングを変えれば別のkeyでも演奏できるとは思うのですが。それにして、映像などで見られるバットのプレイは凄まじいですね。よくもあんな早いパッセージをスライド奏法で弾けるものです。世の中には凄い人がたくさんいるんですね。また、この盤のタブラ奏者スクヴィンダー・シン・ナムデハリのプレイもまたすばらしいの一言。バットとナムデハリの二人だけで、十分完成された音楽ができているのですが、そこにライとホアキムが参加すると、不思議な化学変化が起きて、世界中でどこにもない素敵な音楽が生まれたわけです。

ライ・クーダーはこのアルバムで、最近処分してしまったGibsonのRoy Smeck model Stage Deluxeも弾いているようで、表のジャケットに写っています。このギターは日本でウイスキーのアーリータイムスのCMでもボトルネック奏法で使っていました。すごく良い音のするギターだと思うのですが、どうして処分してしまったのでしょうかねぇ。最近使ってるJ-45の方がいい音だったりするのかもしれません。ブックレットの裏ジャケではマーティンやギブソンではないギターを抱えています。ヘッドのブランド名がラベルのようになっているOOOサイズくらいのギターですが、どこのギターかなぁ。もしかしたらOahuかもしれません。 ライもバットもピックアップは使わず、マイクを立てての録音だったようですが、極めてクリアなサウンドになっていますよね。裏ジャケの写真ではペルシャ絨毯の上で演奏する4人の背後に彫刻が写り込んでいますが、レコーディングが行われた教会の内壁なんでしょう。

アルバムのライナーノーツは、レーベルのオーナーでありプロデューサーでもあるカヴィ・アレキサンダー本人が書いています。冒頭に1960年代中頃から70年代中頃の音楽的状況について振り返り、ジャズ、ロック、ブルーズとアジア、アフリカ、南米の音楽との橋渡しが行われ、マイルズ・デイヴス、ウェザー・リポートなどが高度で刺激的な音楽を作ることに成功したことが述べられています。そこには新たな音楽へと導くたくさんの希望と、様々な影響力があったけれども、振り返ってみると、少数の例外を除いてその可能性は決して完全には実現されなかったことがわかるとしています。そして、その例外としてライ・クーダーの『Chicken Skin Music』をあげ、ライの経歴や足跡を紹介します。続いて、ヴィシュワ・モハン・バットの紹介に移り、彼はヒンダスタニと呼ばれる北部インドの古典音楽の器楽奏者であり、自らデザインした楽器を操ることに触れられています。そして、その楽器モハン・ヴィーナの説明があり、続いて、インド音楽がギターのスライド奏法に影響を与えた可能性に言及しています。そして、バットが父のパンディト・マンモハン・バットとラヴィ・シャカールから、最初シタールを学んでいたこと、父の学校にドイツ人留学生が残していったアクースティック・ギターの音色に魅せられ、モハン・ヴィーナを開発したことが述べられています。そして、彼がインド音楽をギターで最も効果的に演奏するためにはスライド奏法が最も適していることに気づいたそうです。カヴィがV.M.バットを録音しているのを聴いたギタービルダーでピックアップ・デザイナーのリック・ターナーが、彼に”ライ・クーダーはバットに興味を示すに違いない”と示唆し、ライとのミーティングをセッティングしたために、このレコーディングが実現したとのことです。そして、鉄のロッドが鉄弦に当たるモハン・ビーナのサウンドと、ガラスのボトルネックが鉄弦に当たるライ・クーダーのギターのサウンドのコントラストとブレンド、そして複雑なインドのタブラと中東のダンベックのサウンドのブレンドは、挑戦的で興味深いと述べています。ここから後は全文を訳してみましょう。

「このスタジオワークは、10時間の映画音楽を作るのと似たようなものだった。ライは2時間ドライブしてモーテルのロビーでバットに会った。それは真夜中近くだった。半時間後、私たちはクライスト・キング・チャペルでギターと打楽器を調整し、マイクをセッティングし、レベルをチェックし、写真を撮りお茶を飲んで談笑した。計画もなく、何の準備もなく、ミュージシャン達はすぐに川の曲がり角はどこか、水深はどうか、水流はどうか、お互いに探り合うような音楽の上での対話が成立していた。毛織物姿のフランシスコ会修道士を前にして、ペルシャ絨毯の上で、カトリック教会の祭壇のもとで、二つの流れが合わさって一本の川になった。この川のリズムはスクヴィンダーのタブラと、ライの14歳の息子ホワキムのダンベックだ。
 私たちの、音楽スタイルや、伝統や歴史への熱意溢れる興味の以外に、ライと私の間にもう一つの結びつきが確立された。それは、13世紀のペルシアのスーフィズムの神秘主義者、ジェラルディン・ルミと彼の詩だ。私たちは二人とも、知恵と即物的なルミの姿を伝えるコールマン・バークによる最適な英訳に親しんでいた。
 このレコーディングは、計画もリハーサルも行われなかったが、ライは、レコーディングそのものが、それ自身の詩を語る枠組みを私たちが与えるべきことを感じていた。そして、彼はこの仕事のテーマにルミの詩を使うアイディアを思いついた。彼が選んだ詩はルミの代表作だ。そして、それはカエルとネズミが川岸で出会い、文法にとらわれない言葉で会話をするというたとえ話だ。ルミの詩は、直感的で自然で、彼の内面からほとばしりでるものだ。ここに収録された曲は、リハーサルなしで、行われた2人のミュージシャンが自然にな表現したものである。一人はカリフォルニアから、一人はラジャスタンから、二人は川岸で出会い水面に映るありのままの姿を表現したのだ。

“神の遣いのキドルが、焼いた魚に触れると、その魚は焼き網から跳ねて水の中に戻る” ジェラルディン・ルミ」

ブックレット裏ジャケの演奏風景の写真の上に、もう一つルミの詩が掲載されています。こちらも訳してみましょう。

「今日、すべての別の日のように、私たちは空虚と驚きに目覚める。学習と読書のためにドアを開けるな。楽器を片付けろ。
私たちが愛する美しさを、私たちの仕事にしよう。ひざまずいて、大地にキスをする方法は何百通りもある。」

ここからは余談になりますが、ウォーター・リリーでは、確か1990年代後半にライ・クーダーとベトナムのギタリスト、キム・シンとの共演盤を録音したという情報があります。この音源ってまだ出回ってないですよね。ぜひ聴いてみたいものです。
ギャラリー
  • Laura Allan / Laura Allan
  • 五十嵐正著/ ライ・クーダー アルバム・ガイド&アーカイブス
  • Leo Sayer / Leo Sayer
  • The Tractors / The Tractors
  • The Tractors / The Tractors
  • The Tractors / The Tractors

レシーブ二郎ライブ情報

Archives
Recent Comments
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

QRコード
QRコード
プロフィール

gentle_soul

  • ライブドアブログ