レシーブ二郎の音楽日記

レシーブ二郎の音楽ブログにようこそ。マイペースでぼつぼつ更新していきます。

Doug Legacy and The Legend of the West / Hey You!

legend of the west今回も、ライ・クーダー参加盤の紹介ですが、この盤に入っているライさん参加曲は、実はすでに紹介済みです。この盤は1988年にリリースされたダグ・レガシーのファースト・アルバムですが、彼が1987年のクリスマス頃に発表したシングル盤については、すでにレビューしていますが、このアルバムには、そのシングルから「Christmas In The Prison」が収録されています。ライ・クーダー参加曲は、その「Christmas In The Prison」1曲のみです。ダグ・レガシーのプロフィールについては、そのシングルのレビューに書いたので省略するとして、彼のキャリアで深い関係を持つ大スター達が協力して、彼の最初のアルバムがリリースされたのが、1988年でした。ちょっと順番が前後しますが、ご容赦ください。

#1 ノリの良いナンバーで幕開けです。間奏はトッド・ラングレンのギター・ソロ。歪んだ音でジェットコースターのような速弾きを聞かせます。

#2ブルージーなミディアム・バラードです。この曲で活躍するのは1曲目でリズムを奏でていたエリック・ゲイルです。オブリがとっても良い味を出しています。それから、タワー・オブ・パワー・ホーンズの参加も見逃せません。間奏はエモーショナルなサックス・ソロです。

#3 タイトル・トラックは美しいピアノのフレーズで始まるノリノリのナンバーです。アコーディオンもいい味を出しています。この曲から続いて3曲で、ライ・クーダーのコーラス隊としても知られるボビー・キングと、ウィリー・グリーン・ジュニアが参加しています。流石の分厚いコーラス。たまらないものがあります。

#4 マイナー・キーのロック・ナンバーです。イントロからデヴィッド・リンドレーのスライドが怪しく切り込んできて、短い間奏やオブリでも十分な存在感を見せています。

#5 次の曲もマイナー・キー。リード・ギターはハード・タッチですが、リズムはハネる感じで明るいナンバーです。この曲と次の曲でもボビー・キングとウィリー・グリーン・ジュニアが活躍しています。

#6 イントロのリフが印象的なハネるリズムのナンバー。ドラムはケルトナー、ギターはワディ・ワクテル  フリーボのベースやアコーディオンが入って、ノベルティの雰囲気十分。

#7 この曲もハーモニカも入ってノベルティ調です。ボトルネック・ギター は何とボニー・レイット。それほど目立つプレイでもないけど、クリーン・トーンでツボは決めています。

#8 ライ・クーダー参加の「Christmas in the Prison」です。以前のレビューをご参照下さい。

#9 ニューオーリンズ・タイプの転がるピアノで幕を開けるブルージーなナンバー。ワディの歪んでリバーブの効いたギター・ソロもいい感じ。2回目の間奏のソロはダグのピアノ。素敵なブルース・ピアノを聞くことができます。

#10 アルバム唯一のインスト曲で、スティール・ドラムが入っいます。ダグはエミュレーターやDX7も使って現代的な味付けをしていますが、基本的にはルーツ色の濃い雰囲気のあるピアノ・ロックです。それから、少しばかりラテン風味も入っていますね。

#11 エンディングを飾るこの曲のプロデュースはヴァン・ダイク・パークスです。ドラムはケルトナー、ベースはビュエル・ニードリンガー、ギターはフレッド・タケット、ピアノはもちろんヴァン・ダイク・パークス。ドリーミーなミディアムのロック・ナンバーで、ストリングス、ホーンズが入って豪華な演奏です。間奏はサックスが短いソロをとっています。

以上のように、豪華なゲストが多数参加し、様々なタイプの曲が楽しめる好盤です。おそらく自主制作のような形で出されたと思いますが、ゲストの豪華さに惹かれてそこそこの売り上げが期待されたのでしょう。日本では雑誌に広告が出て、輸入盤にライナーをつける形で発売されました。2年後にダグ・レガシーとしては2枚目に当たるアルバムをリリースするのですが、その時はちゃんとした日本盤で出し直されたような記憶があります。ダグさんの声はエモーショナル系、先ごろ亡くなったマイク・フィニガンほどは上手くはないですが、少し彼の声を連想させる雰囲気はあります。鍵盤の腕もなかなかのものがあると思います。この盤にクーダーさんは1曲しか参加していませんし、その曲はシングルでの既発曲ですが、上記のようにクーダー・ファミリーや『Get Rhythm』参加メンバーが随所で活躍しているのは興味深いところです。2年後、彼はザディコ・パーティ・バンドを結成し、アルバムをリリースしますが、そのアルバムに通じる「楽しい雰囲気」は、この盤にも十分にあります。おそらく、ダグさんは本業を続けながらも、時々ザディコ・パーティ・バンドで演奏活動をやっておられるようです。数は多くないですが、数枚のアルバムを発表しています。チャンスがあれば、ぜひライブを見てみたい方です。
 

Jim Dickinson著 / I'mJust Dead I'm Not Gone

dickinsonimジム・ディッキンソンといえば、卓越したピアノ・プレイヤーとして、また、ライ・クーダーの『Into The Purple Valley』や『Boomer’s Story』などのプロデューサーとして著名な人です。加えて彼の息子達はノース・ミシシッピ・オールスターズのメンバーとして活躍しています。ジムが亡くなったのは2009年。67歳でした。そのとき、このブログでも、追悼の意味で彼のファースト・アルバムのレビューをしました。そんなジム・ディッキンソンの自伝が、今年になって刊行されました。現時点では英語版のみです。毎週土曜の朝に聞いているNHKのウィークエンド・サンシャインで、DJのピーター・バラカンさんがずいぶん前に言及してて、電子書籍で購入し少し前にようやく読み終えました。

生い立ちから半生を綴る年代記になっていて、スタジオ・ミュージシャンとして活躍していた後半が特に面白く読めました。ジムは1941年生まれですから、ロックンロール誕生の頃はまさにティーン・エイジャー。なんせ、アーカンソー州リトルロックの生まれでメンフィスの育ちですから、軍隊に行く前のエルヴィスを体験しています。前半では少年期に音楽を始めたきっかけや、ハイ・スクールでのバンド体験についても綴られています。また、テキサスで過ごした学生時代には、ガス・キャノンと出会ったり、ブラインド・レモン・ジェファーソンの墓を探しに行く旅にも出ていますし、ドラッグや恋愛のことも出てきます。。最近、1969年の映像が公開された メンフィス・カントリー・ブルース・フェスティバルも、始まった1966年から関わっていたようです。大学を卒業した頃から、メンフィスのアメリカン・スタジオやアーデント・スタジオでエンジニアとして働きだしたディッキンソンは、ピアノやギターでミュージシャンの伴奏をすることもありました。そうして、スタジオ・ミュージシャンやプロデューサーとしての才覚を発揮し始めます。このころには、ジェームス・カー、アルバート・コリンズ、ベティ・ラヴェット、ハンク・バラードらのレコーディングに関わりました。

メンフィス時代のハイライトの一つは、ローリング・ストーンズとセッションを行ったことでしょう。1969年12月2日から4日の3日間、アメリカ・ツアーを終えた彼らは、オルタモントで行われるフェスティバルまでの空いた日程を利用して、アラバマ州のマスル・ショールズ・サウンド・スタジオでレコーディングを行うことになりました。ディッキンソンの友人のジャーナリスト、スタンリー・ブースがスタッフとしてストーンズに同行しており、ディッキンソンに電話をかけロサンゼルスでレコーディングの許可が下りていないストーンズのレコーディングをお忍びでメンフィスでできないかと、電話で訪ねてきたのです。ディッキンソンは、メンフィスでは組合の規約でストーンズのレコーディングを行うのは難しいと判断し、「マスル・ショールズ・サウンズだ。ウェクスラーに電話して頼んでみろ。」とスタンリーに告げ、ストーンズのマスル・ショールズ録音が実現したのです。ディッキンソンは、スタンリーと会う名目でマスル・ショールズ・サウンド・スタジオに行き、旧知のジミー・ジョンソンにスタジオの中に入れてもらいます。ストーンズと過ごした3日間の様子は、かなり詳しく書かれています。ディッキンソンがストーンズの音楽に心酔していたことを示すものです。

3日目、「Wild Horses」の録音中にミック・ジャガーが、「俺はキーボーディストが必要だと思うんだが」と言います。それを聞いたウェクスラーは「ビューイ・ベケット(バリー・ベケット)を呼ぼうか。」と答えます。デッキンソンは「彼の言ってる意味がわかりません。」と言います。どうしてイアン・スチュアートが「Wild Horses」でピアノを弾かないのか、と。スタジオのコンサート・グランド・ピアノとウーリッツァーではチューニングがずれていました。それで、ディッキンソンは、スタジオのバックヤードから古いアップライトのタックピアノを探し出してきて、それを弾いてみせました。キースがサラサラと数字でコード譜を書いたそうです。

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ビル・ワイマンが「おい、そのコード譜をどこで手に入れたんだ?」と聞くので、「キースからもらいましたよ。」と答えると、「奴には気をつけな。奴はどうしていいかわかってないんだ。奴は昨日指をどこに置けばいいかわかっただけなんだぜ。」とワイマンが反応し、ワイマンとデッキンソンでコード譜を修正しました。すると、ミック・テイラーがやってきて、そのコード譜をひったくってどこかに行ってしまったそうです。テイラーもコード譜が欲しかったのでしょうか。そんな感じで、デッキンソンは「Wild Horses」に参加することになりました。ディッキンソンはコントロール・ルームでジャガーがキースに話しかけているのを聞きます。「ヘイ・キース、あのピアノどう思う。」沈黙。キースは「ピアノだけはいいじゃねぇか。」と答え、ディッキンソンはホッとため息をつき神に感謝しました。ずっとストーンズに付き合って、夜中もミックスなどを行ったジミー・ジョンソンは3日間一睡もしなかったとのことです。

ギターのチャーリー・フリーマン、ベースのトミー・マクルーア、ドラムのサミー・クリーゾン、オルガンのマイク・アトリーと組んだ5人組のディキシー・フライヤーズはつとに有名です。彼らはメンフィス周辺の出身でしたが、アトランティック・レコードのジェリー・ウェクスラーがマイアミに設立したクライテリア・スタジオに誘われ、1970年頃の一時期、同スタジオのハウス・バンドを務めます。デッキンソンは、そのバンドのまとめ役でもありました。そこで、ジェリー・ジェフ・ウォーカー『Being Free』、タジ・マハール『Hidden Treasure』(当時はお蔵入り)、アリーサ・フランクリン『Spirit in the Dark』、カーメン・マクレエ『Just a Little Lovin’』、ルル『Melody Fair』、ディレイニー&ボニー『To Bonnie From Delaney』、ディー・ディー・ワーウィック『Turning Around』、サム・サミューディオ『Hard and Heavy』といったアルバムなどでバックを務めました。上記のうち、カーメン・マクレエとディー・ディーのレコーディングのことは初めて知りましたが、そのほかのアルバムは個人的に20代の頃から親しんでいたので、それぞれのレコーディングのエピソードが面白く読めました。例えば、アリーサが完璧にピアノを弾きこなすので、ジムはあまりすることがなく、数曲でエレピを弾いたとか、カーメン・マクレエはコード譜で伴奏する彼らのスタイルに慣れていなくて、最初は戸惑ったとか、また、サム&デイヴもレコーディングに来たけれど、上記のタジ・マハール同様にお蔵入りになった、ディレイニー&ボニーは、ドラムのロン・タットとベースのジェリー・シェフでベーシックトラックを録音していたが、ディレイニーがシェフのプレイを嫌い、トミー・マクルーアに差し替えたとか、ボブ・ディランのレコーディングも計画されたがお流れになったなどなど。そうそう、上記のうち、アリーサ、ディレイニー&ボニー、サム・サミューディオ、ロニー・ホウキンスのセッションでは、デュエイン・オールマンも参加しており、彼の話も出てきます。オールマン・ブラザーズ・バンドも、この時期クライテリアでレコーディングを行っており、そのことも記されています。

ストーンズとのセッションのことと、ディキシー・フライヤーズのことは、デヴィッド・リッツが書いたジェリー・ウェクスラーの評伝『Rhythm & Blues : A Life in American Music』にも出てきます。リッツはディッキンソンの発言も引用しています。ただ、イアン・スチュアートが「Wild Horses」を弾かなかったは、マイナー・コードが苦手だったこと、バリー・ベケットが来なかった理由は彼が体調不良だったことについては、ディッキンソンの本では触れられていません。また、ウェクスラーはマイアミに移住するにあたって、クライテリア・スタジオのハウス・バンドとして、マスル・ショールズ・スワンパーズに声をかけましたが、自前のスタジオが軌道に乗り始めた彼らに断られ、ディッキンソン達に声をかけたとのことです。ウェクスラーは評伝の中で、「マイアミに、私は自分の小さなスタックスを、優れた音楽とヒット曲を産み出す器用なソウル機器を作りたかったのだ。」と述べています。けれども、それは長続きしませんでした。「トム・ダウドもマイアミに移り住み、これで最先端のサウンドが約束された。自分のハウスバンドが近所にいて、自分のボート、ビッグAが裏庭にある。私は有頂天だった。けれど、長くは続かなかった。ハウスバンドが仕事の口にあぶれないほど大量の依頼がつねに入ってくるわけではない、という現実を知っておくべきだったのだろう。(中略) グループを輸入してきて、その団結力を維持できると高を括っていた私が甘かったのだ。」と総括しています。もちろん、ディキシー・フライヤーズの仕事の詳細は、ディッキンソンの著書の方に詳しく記されています。

さて、そのディッキンソンの本に戻りましょう。マイアミではトラブルもありました。トミー・マクルーアの妻がマイアミでの生活を嫌ってメンフィスに帰ってしまい、フラストレーションのたまったトミーが自ら自分の右手を痛めつけ、救急病院に運ばれしばらく演奏ができなくなったこともありました。トミーの代役としてメンフィスからやってきたのは、あのドナルド・ダック・ダンでした。デッキンソンは、ジェリー・ウェクスラーには気に入られていましたが、トム・ダウドに嫌われていると感じていました。そんなこんながきっかけで、デッキンソンはジェリー・ウェクスラーにバンドを辞めることを宣言します。ウェクスラーはデッキンソンを説得しますが、結局は聞き入れます。その時、彼はしばらく温めていた、自身のソロ・アルバムとバンドのインストゥルメンタル・アルバムを制作することをウェクスラーに提案します。

ディッキンソンは妻とメンフィスに戻りはソロ・アルバムの準備を始めます。また、ピーボディ・ホテルでのギグに、モロクやシド・セルヴィッジらと出演したりして過ごします。しばらくして、ディッキンソンはソロ・アルバムのレコーディングのために、マイアミに戻ります。アルバムのプロデュースはトム・ダウドです。このころには二人の仲は修復されていたようです。ソロ・アルバムのレコーディングは順調に進み、ドクター・ジョンがニューオーリンズからやってきて、数曲でエレキ・ギターをプレイしました。デッキンソンがクライテリア・スタジオにいない間にデレク&ドミノズが、『Layla and Other Assorted Love Songs』のレコーディングを行っていました。ジミ・ヘンドリックスの葬儀でアメリカに来ていたドミノズのメンバーは、クライテリア・スタジオに立ち寄り、アルバムのミックスに注文をつけ、ダウドとディッキンソンはミックスのやり直しを試みます。クラプトンが空港へのリムジンを待っている間に、クラプトン、デュエン・オールマン、ディッキンソンで「Mean Old World」をレコーディングしますが、後にリリースされたボックスセットでは、別のピアニストの名前がクレジットされていました。

以上のように興味深いエピソードは尽きないのですが、ディッキンソンが克明な記録を残していたとしか思えないほど、いずれも情景が詳しく記されています。

ディッキンソンはライ・クーダーに相当惚れ込んでいたようです。以下にライ・クーダーに関係のある記述を要約してみましょう。

まず、ディッキンソンが、最初にライ・クーダーのことを意識したのが、1967年、ライが参加したデイル・ホーキンスの『L.A, Memphis & Tylar,Txas』のロサンゼルス録音のテープを聴いた時でした。この辺りのことは、先日、『L.A.Memphis, Tylar Txas』の記事に追記を書いたので、そちらを参照してください。

1970年、クライテリア・スタジオでタジ・マハールのレコーディングを受け入れることになった時のディッキンソンの回想は以下の通りです。
「我々の次のスケジュールは不思議だった。それは、ワーナー・ブラザーズ(本当はコロムビア)のアーティスト、タジ・マハールと彼のギタリスト、ジェシ・エド・インディアン・デイヴィスとの仕事だった。私とチャーリー(・フリーマン)は、ハリウッドから来た二人のことを知っていた。タジ・マハールのファースト・アルバムは本当にすごかった。そこには再び忘れられないマジック・ギタリスト、ライ・クーダーの名前があった。ライは、クレイジーなデイル・ホーキンスのレコードに参加していたのだが、キャプテン・ビーフハートのマジック・バンドの古典的なカリフォルニアのアート・ロック・レコーディング『Safe As Milk』でも演奏していた。そのアルバムには珍しいバラードで私のお気に入りの『Autumn’s Child』も入っていた。」

同じく、マイアミのクライテリア時代のエピソードです。
「私はライ・クーダーのデビュー・アルバムを見つけた。カバーに写る彼は背が高く、黒いマントを着て輝くシルバーのエアストリーム・トレイラーにもたれかかっていた。まるで若き日のゲイリー・クーパーのようだった。クーダーはデイル・ホーキンスのアルバム、キャプテン・ビーフハートの『Safe As Milk』にも参加していたし、タジ・マハールとはライジング・サンズというバンドを組んでいた。音楽は、火星から来たかのようだった。時代に逆らって、マウンテン調のメロディがフォークに根ざした空間に一緒にスピンしていき、風刺漫画のように皮肉の効いた乾いたブルーズが歌われていた。」

ディキシー・フライヤーズを辞めたディッキンソンは、上記のようにフライヤーズのメンバー、ドクター・ジョン、モロクのリー・ベイカーらをサイドマンとして、『Dixie Fried』を録音します。その後、ディッキンソンはロサンゼルスでリタ・クーリッジのレコーディングに協力したかと思えば、メンフィスでダン・ペンと親しくなり、ロニー・ミルサップのレコーディングに参加したりしていました。ある時、ブレンダ・パターソンがセカンド・アルバムのレコーディングを始めるに際して、ジェリー・ウェクスラーに面会を求めたとき、ディッキンソンに立ち会いを頼みました。それが縁で、ディッキンソンはアルバムの一部のプロデュースを依頼されます。ディッキンソが仕切る最初のハリウッド・セッションとなり、その時までに友人になっていたクリス・エスリッジにベースを頼みます。クリスの推薦もあり、ギターはライ・クーダー、ドラムはジム・ケルトナーに依頼しました。ディッキンソンは、マスル・ショールズのギタリスト、ウェイン・パーキンスと、ドクター・ジョンをブッキングします。彼らは世界的に有名なキャピトル・スタジオで録音することになります。結局、ケルトナーはジョージ・ハリソンのバングラディッシュ・コンサートに出演するため、セッションをキャンセルし、クリスは代わりにタートルズ出身でCSNYとも共演経験のあるジョニー・バーバタにドラムをお願いします。と、いうことは、このセッションは1971年の7月頃に行われていたことがわかります。

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セッションが始まるとディッキンソンは、ライのプレイに目を見張ります。文中では、ライの才能がいかに非凡なものか曲ごとに解説しています。二人は一緒に食事に行き、音楽について語り合い親交を深めます。そこで、ディッキンソンはライが彼にプロデュースを頼みたがっていることを感じ取るのですが、この時はブレンダのレコーディングが優先でした。彼らのセッションでは、エタ・ジェイムズの「Wallflower(Dance With Me Henry)」、ジェリー・リー・ルイスの「The End Of The Road」、ゴスペルの「Jesus On The Maineline」、メンフィス・ミニーの「In My GIrlish Day」、そしてバーバラ&ブラウンズの「Big Party」も録音されました。この曲ではドクター・ジョンがピアノを弾き、ライがボトルネックを演奏したのですが、なぜかお蔵入りになってしまったようです。ディッキンソンはメンフィスで「Wallflower」にメンフィス・ホーンズを重ねます。アルバムは他のプロデューサーによる録音も加え、プレイボーイ・レコードから1973年にリリースされることになります。

レコーディングが終わり、しばらくたったある日、ディッキンソンはライ・クーダーからの電話を受けます。ライは「ハリウッドに来て、僕のレコードを完成させるのを手伝ってくれないか。」と頼んだのです。ライはプロデューサーでピアニストのヴァン・ダイク・パークスをクビにしていました。ディッキンソンは冷静になろうとして言いました。「1500ドルと飛行機のチケットを出してくれるかい。」「わかった。」とライは応えました。この後、しばらくライに関する記述が続くので、拙い意訳を掲載します。

「私は、まだ飛行機恐怖症だったが、なんとかそれを飲み込んだ。クーダーは私をロサンゼルス国際空港に迎えに来てくれた。そして私はサンタモニカのミラマー・ホテルのバンガローに腰を落ち着けた。そして、オーシャン・ウェイにあるクーダーのミニマリスト的な小さな家まで歩いて行った。その家はシンプルで、明るく、少しばかり東洋的な香りのする空気であふれていた。彼の妻はアーティストだった。彼は小型ピアノを借りていて、我々は彼のリビングで仕事をすることができた。私たちは、ジャンルをまたぐような、いくつかのレコードへの興味を共有した。特にジョセフ・スペンスや南部音楽のコレクションだ。私は彼の本や、かかっている絵や、彼の言葉からいろんなことを学んだ。私は彼の気持ちに思いを馳せたいと思った。私たちはワーナー・ブラザーズのアミーゴ・スタジオに行く前に色んな曲を試していた。クーダーの共同プロデューサーは、おおむね私と同い年の小柄なユダヤ人、レニー・ワロンカーだった。彼はワーナーの取締役でA&R部の責任者であり、50年代からリバティ・レコードの社長をしていた男の息子だった。私たちはトム・ダウドの友人(のエンジニア)リー・ハーシュバーグと仕事をした。彼は軽いタッチで簡単に仕事をやってのけた。
 最初の注文は、3曲でヴァン・ダイク・パークスのピアノを私の演奏に差し替えることだった。彼は世紀の変わり目の軽いクラシック・パーラー・ピアノのユニークで複雑なテクニックを駆使していた。まるで、スティーヴン・フォスターがジェリー・ロール・モートンに出会ったかのようだった。レニーは私に『重ねてプレイして』と指示した。それは素晴らしいジム・ケルトナーのドラムのトラックのドラマティックな中心部分だった。皮肉なことに、その曲は私がずいぶん昔、ブルーリッジ・タレント・ショウでデビューした時の『Money Honey』だった。それはキーがBフラットだった。私はドラム・ストップのタイミングで走る列車が爆破されるかのように、それをやっつけた。レニーは『今までに聴いた中でいちばんの助けだよ。』と言った。そのドラムトラックは爆発のようなものだった。まるで、ドラマーが長い曲がりくねった階段でキックしているかのようだった。私は、LAへの最初の旅で、レオン・ラッセルのホームスタジオで出会ったケルトナーのプレイが大好きだ。彼は元々はジャズ・ドラマーだが、ロックン・ロールの世界に大きな足跡を刻んでいた。彼にはドラムの神がついているかのようだった。クリス・エスリッジの弾むベースが一緒になると、コルトレーンのドラマー、エルヴィン・ジョーンズがマディ・ウォーターズやサニー・ボーイ・ウィリアムソンのバンドで叩いているかのように思えた。
 ミルト・ホランドは、私がスタジオでともに仕事をしたパーカッション・プレイヤーの中で最も優れた白人ミュージシャンだった。私は人種の違いを用いるのは気が進まないが、そこには魔法のような違いがあった。ロックンロールと呼ばれるタイトな四つ打ちのリズムよりもやや軽いシャッフルは、ヨーロッパの旧世界と母なるアフリカのスウィングするファンクとを分かつものだ。私はジョン・ハーレイのセッションでミルトと共演したドナ・ワイスとマリー・ユノブスキーから彼の物語を聞いた。小柄な白髪のユダヤ人で、1940年代から50年代にかけて、黒人のナット・キング・コール・トリオの4番目のメンバーとして活躍した。彼は世界中を旅し、外国の打楽器を習うことのできるマスター・ミュージシャンを探し、また、その打楽器を手に入れた。彼が生み出すグルーヴは誰にも似ていないし、誰も真似ができない。
 私の二つ目の課題は、レコーディング・フロアからのライブ演奏をトラッキングすることだった。私は、まだオーディションを受けさせられているのかと思ったが、それはチャーリー・フリーマンが私にしないように教えたものだ。これはそれだけの価値があった。その曲はニュー・ロスト・シティ・ランブラーズのレパートリー『Taxes on the Farmer Feeds Us All』だった。私はポンプ・オルガンかハーモニウムを弾くことを提案した。クーダーは喜んだ。私は楽器レンタル会社から、アンティークな楽器を最新装備のスタジオに運び込んだ。それは1時間もかからずに届けられた。

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 おそらく、私がかつてプロデュースしたベストのリズムトラックは、ウィルソン・ピケットのセミ・バラード『Teardrops Will Fall』だ。ライ、ケルトナー、エスリッジは1日半をかけてほぼ完璧なベーシック・トラックを作り上げた。その後、私は自分自身の複雑なピアノパートをオーバーダブした。ミルトは大きなアフリカの親指ピアノの上にヴァイヴラフォンを重ねてプレイした。そして、最後には中国の鐘を鳴らした。私はそれが気に入った。ライは伝統的なカルテットの男性シンガーがより好みだったが、私は、ドナ・ワイス、ドナ・ワッシュバーン、クラウディア・レニーの女性トリオをバック・ボーカルにつけた。ライと女性たちの声はドラマティックなコントラストをみせた。『Billy The Kid』は、私の少年時代に聴いた古いテックス・リッターのアルバムに入っていたセピア色の曲だ。それは、『Into The Purple Valley』のもう一つの傑出した曲となった。ジョセフ・スペンス、ブラインド・ウィリー・(ジョンソン)、ウッディ・ガスリーに学び、私たちは一枚のアルバムを作った。クーダーは幸せだったが、それは簡単な道のりではなかった。
 私は、レニーに連れられワーナー・ブラザーズのA&Rオフィスに行き、テッド・テンプルマンと、クーダーの義兄、ラス・ティトルマンに紹介された。
 私は、サンタモニカを散歩し、その地域に馴染んだ。私はヘルシー・フードの店を見つけ、なかなか良いツナと木の芽のサンドイッチを買った。また、素敵なレコード店で、マイルズ・デイヴィスの『Sketch of Spain』のカセットを買った。それは、その後30年間、私の旅の友となった。
 私は、ルート66の終点の、サンタモニカ・ピアまで歩くのが好きだった。そこではずぶ濡れにならない程度にできるだけ西の端まで行った。クーダーは親切なことに、私にレイモンド・チャンドラーのペーパーバックを数冊くれた。その中には2度目に読むものも、初めてのものもあったが、よりネイティブの視点で読むことができた。ミラマー・ホテルの私の小屋は、40年代の白黒フィルムの「黒」の雰囲気が、1971年のリアリティよりも強かった。
 数週間後、私のパートナー、メリー・リンジーが飛行機でやってきた。私たちはワーナー・ブラザーズの誠意によるフルサービスを楽しんだ。私が働いている間に、彼女は映画を見に行ったり、ショッピング・モールを巡ったりした。週末には、私たちはビーチに寝そべった。海は泳ぐにはやや不快だったが、私たちはトライしてみた。- (中略) -

 メリー・リンジーが帰宅した後、私たちはクーダーのセカンド・アルバム『Into The Purple Valley』のミキシングを始めた。レコード会社は、クーダーに新作のリリースのサポートとしてツアーを要請した。彼は、ウッディ・ガスリーの息子、アーロ・ガスリーの前座をし、さらにバック・アップをすることにした。それはアーロの反戦歌でモンスター・ヒットとなった『Alice’s Restaurant』の数年後のことだった。私はツアー・バンドの一員としてピアノを弾くことに同意したが、そんな自分自身に驚いた。ライはとても喜んだ。私はベーシストとしてギマー・ニコルソンを家から呼び寄せた。彼はアーロのサイドマンで相棒ギタリストのジョン・ピラの友達だった。ライは、素晴らしいプレイヤーで、サンタ・クルーズのジョニー・C・クラビオットを雇った。彼はジャック・ニッチェがプロデュースしたミック・ジャガーの映画『Performance』のサウンド・トラックでクーダーと一緒にプレイしたドラマーだ。彼は多くの人がストーンズの演奏と思い込んだトラック『Memo from Turner』でドラムを叩いた。私たちは、ニューヨーク州北部のアーロの牧場でリハーサルを行った。
 私は、リビング・ルームにあったアーロのベイビー・グランド・ピアノの前に座り、窓の外を見ると雪がチラチラと地面に舞い落ちていた。これはレコードを作るやり方だ、と私は思った。私たちに必要なのはスカリーの8トラックで、マイク入力の能力のある録音機材だった。チャーリー・フリーマンはよく、オザーク・マウンテンのジャックのボート・ドックにスタジオを建てる空想をしていた。素晴らしい田舎風のセッティングで簡単に録音ができるときに、どうして現代的なレコーディング・スタジオの無菌の環境に耐えないといけないのだろう。私は雪を見ていた。一匹の牛が窓の外を通り過ぎうろついていた。
 アーロのマネージャーは50年代のフォーク・ミュージックのゴッドファーザー、ハロルド・レヴェンサルだった。彼の酔っ払いの甥のブルースが我々のツアー・マネージャーだった。私たちはヒッピーのようにフォルクス・ワーゲンのバンで旅をした。こんな仕事は見たことがなかった。
 そして、本当に最初のギグはひどかった。バンはあまりにも混雑していた。それで、ジョニー・Cと私は機材をのせる借り物のトラックに、ブルースと一緒に乗ることを志願した。その乗り物はスピード調節機がついていたが、それはレベンサルが壊してしまった。そのトラックはハイウエイに突入し、毎時45マイルで走った。クラヴィオットはフラット&スクラッグスのベース・プレイヤー、ハイロ・ブラウンのように裏返った声でしゃべり始めた。ジョニーは腹話術師が二つの声色を使い分けているように話した。素晴らしきジョニー・Cが裏声で、『オー、ジミー、我々はどうするつもりなんだろう。』と言った。私たちが会場に着いた時、アーロ、クーダー、ピラ、そしてギマーは、半分の機材とPAでなんとか演奏をでっち上げていた。私たちは演奏を終え、モーテルを予約していたニューヨーク州トロイに退却した。
 深い眠りに落ちた後、翌朝、私はよろめきながら階下に降り、ユニバーサル・モーテル・ブレックファストを取るためにコーヒー・ショップに向かった。私がその店に足を踏み入れたとき、誰かが『ヘイ、メンフィス』と大声で呼んだ。ブルーズ・レジェンドのブッカ・ホワイトとミシシッピ・フレッド・マクドゥエルがフライド・エッグとハッシュ・ブラウン・ポテトの皿を前に座っていた。『ここで何やってんだよ、リトル・マディ』『あんたと同じだよ、ブッカ。ギグで演奏したんだよ。』彼らは笑った。私はクーダーのところに歩いて行った。『なんてこった』彼は口ごもった。『フレッド・マクドゥエルじゃないか。』『それと、ブッカ・ホワイトだよ。』私は付け加えた。彼は私がわからない何かをつぶやいた。彼は、マクドゥエルとホワイトが私を知っていることを妬んでいるように思えた。
 ツアーはギアを上げて進んだ。私たちはアーロのリクエストでワーゲンのバンを捨てて、長距離は飛行機で飛び、短距離はリムジンで旅することにした。アーロは私の飛行機嫌いに気づいた。彼は私に言った。『僕もずっと一緒だから、心配するなよ。飛行機で死にたくないのはわかっているよ。』それは馬鹿げているように見えたが、実際にそうだった。私は飛行機恐怖症を克服した。
 私たちは、ツアーのルートでの有名な会場の一つ、フィラデルフィアのメイン・ポイントでハロウィンのショーを行った。入れ替え制で2回のセットをやった。ディッキー・ベッツと数人のオールマン・ブラザーズのロード・クルーが入ってきたとき、私たちは地下にいた。私は何かがおかしいとわかった。ディッキーは言った。『デュエインは死んだ。』バイク事故だった。彼はLSDでハイになって裸でバイクに乗るのが好きだった。『まるで、キャプテン・アメリカのようだ。』彼はよくそう言っていた。また一人、巡礼者が逝ってしまった。
 私たちは、東海岸をマイアミまで下り、そこで3日間のオフを取った。中日はどこにも行かなかったが、その日は私の30歳の誕生日だった。私はココナッツ・グローヴの小さなコテージを使わせてもらうようチャーリー・ブラウンと交渉し、飛行機でメンフィスから飛んで来た妻を迎えた。私たちは子づくりを試みたが、うまくいかなかった。
 私たちは、続いて西部をツアーした。愛すべき我々のツアー・マネージャー、”ルース・ブルース”は、どんな問題にも二つの解決法を示した。もし、ダクト・テープで固定できなければ、鎮静剤のクエイルードのガロン・サイズのボトルを重し代わりに使った。クーダーはドラッグはやらなかったが、クエイルードはドラッグとみなしていなかった。ギマーと私は、自分たちのクエイルードの分配をキープし、ライに与えた。テキサス州オースティンのアルマジロ・ワールド・ヘッドクォーター・ボールルームのある夜、ライは少しばかり、その薬をやりすぎた。私たちは、そのショウを座ってやっていたことを神に感謝する。ライは立ち上がって演奏しだし、私はいぶかしく思った。彼は気楽なセットでとてもルーズに演奏する代わりに、6回にもわたるヴァースのソロを弾きあげた。そのあとは、ミスター・クーダーにはクエイルードをもう与えなかった。彼は後で私に、列車が会場の中に走り込んでくる幻覚を見たんだと言った。それは素晴らしいショウであり、ツアーのハイライトになった。
 ワーナー・ブラザーズは、レニー・ワロンカーがプロデュースするアーロのセッションのスケジュールを組んだ。そのセッションは、クーダー、ケルトナー、ベースにR&Bマスターのウィントン・フェルダー、B3オルガンにスプーナー・オールダム、そして私がメンバーだった。私たちは『The CIty of New Orleans』を3テイクカットした。もし、7〜8カットを行なっていれば、もっと特別なものになっていただろうことは、みんな知っていたのだが、アーロはそこまでしなかった。彼は3つ目のテイクを採用した。それは、『Alice’s Restaurant』に続く、彼の大ヒットレコードになった。」

 以上の記述から、様々なことがわかります。まず、1973年にリリースされたブレンダ・パターソンの『Brenda Patterson』のうち、ディッキンソンによるプロデュースの4曲が1971年の7月頃には録音されていたこと、このセッションで、ディッキンソンとライが知り合ったことです。
 次に、その時点でライの『Into The Purple Valley』の録音が、ヴァン・ダイク・パークスのプロデュースで進んでおり、少なくとも4曲が録音されていたことがわかります。しかし、ファースト・アルバムのA面のストリングスなど、オーバープロデュースを気に入っていなかったライとヴァン・ダイクは、セカンド・アルバムのレコーディング中に衝突してしまい、ライとレニー・ワロンカーはヴァン・ダイクをプロデューサーから降ろしてしまうことになったのです。このことは、かつてヴァン・ダイクもインタビューでもこんな風に語っていました。「その頃、ライ・クーダーと仲が悪くてね。一方でローウェル・ジョージと仲良くなって、ライ・クールとローウェル・ホットって呼んでた。」ヴァン・ダイクは自身の1972年アルバム『Discover America』では、ローウェルをゲストに迎えているだけでなく、彼の「Sailing Shoes」もカバーしています。もっとも、そのアルバムでローウェルがボトルネックを弾いているカリプソ・ナンバー「F.D.R. In Trinidad」は『Into The Purple Valley』にも入っていて、二人の特殊な音楽性に共通項が多いことが図らずもわかってしまうのですが。
 それはさておき、ブレンダ・パターソンのセッションでディッキンソンと知り合ったライは、おそらく彼のプロデュースと、南部フィーリングあふれるプレイを気に入ったのでしょう。また、上記のようにディッキンソンも以前からライに注目していました。こうして、1971年の8月頃、ディッキンソンは『Into The Purple Valley』のセッションに招かれ、プロデューサーに就任します。ディッキンソンの記述にあるように、「Money Honey」では、ヴァン・ダイクのピアノを差し替え、「Taxes on the Farmer Feeds Us All」では、ヴァン・ダイクのピアノを残し、ハーモニウムを加えました「Teardrops Will Fall」は、ディッキンソンがプロデューサーになってからの録音のようですから、ヴァン・ダイクのピアノが差し替えられた残り2曲は、「Hey Porter」と「How Can You Keep on Moving」あたりでしょうか。
 その後、彼らはアーロ・ガスリーのツアー・バンドに参加します。ニューヨーク州の北部のアーロの家で行われたリハーサルの時に雪が舞っていたというので、10月くらいでしょうか。フィラデルフィアのショウでは、デッキー・ベッツが現れ、デュエイン・オールマンの死を告げたとありますので、このショウは10月29日以降だったことがわかります。彼らのライブ音源は、11月11日のフロリダ州ものが、Youtubeに上がっていますので辻褄は合います。その後西部を回った彼らは、1971年の暮れか、1972年のはじめ頃にアーロの『Hobo’s Lullaby』のレコーディング・セッションを行なっているようです。アーロ/クーダー・ツアーは1972年の春にも行われて、その時はベースがクリス・エスリッジに交代したとのことです。
 
 この本では、1971年の暮れにローリング・ストーンズの『Sticky Fingers』がリリースされ、ともに1969年録音されたジム・ディッキンソン参加の「Wild Horses」とライ参加の「Sister Morphine」の両方が収録されていたこと、映画『Gimmie Shelter』にディッキンソンが写ってることにも触れています。また、リリースされた『Into The Purple Valley』がビルボードで「ワロンカーとディッキンソンは、時を超える傑作を作り上げた」と好意的に評されたことにも紹介しています。 
 1972年頃には、ディッキンソンがライを南部に連れて行く『Boomer’s Story』セッションが行われたり、クラウディア・レニーのアルバムの片面をディッキンソンがプロデュースし、ライ・クーダーもセッションに招かれたりするわけですが、そのことに触れる前に、この本の本編は終わってしまいます。67歳まで生きたディッキンソンですが、出生から30歳までの半生の記録となっています。

 その後、しばらくの間二人の人生は交差せず、ライの4枚目から7枚目のアルバムにはディッキンソンは参加していませんが、その間、ディッキンソン・ファミリーはテネシー州のファイエット郡に住んでいたそうです。そこには隣にパーカーズ・スポットというホンキー・トンクのジューク・ジョイントと、アフリカン・アメリカンの宣教師によるバブティスト教会があり、ルーサーとコーディの二人の息子は、幼年期からルーツ・ミュージックの強い影響を受けて育ったようです。ルーサーは1973年の生まれ、コーディは彼より1〜2歳年下と思われますが、ディッキンソンは子供が生まれたので、しばらく本拠地のメンフィス郊外に腰を落ち着けていたのでしょう。一方のライ・クーダーはレコーディング・アーティストとしてツアーやレコーディングに明け暮れるとともに、テックス・メックスやハウイアンといったワールド・ミュージックの世界へも食指を伸ばして行きます。

「肉体は痛みを感じるが、泣き叫ぶのは魂だ。私が表現しようとする何か、それが、音楽であれ、絵であれ、芝居であれ、文章であれ、それは全てただ挫折に付加される長い道のりの上にあるのだろうか。そしてそれはまだ出口を探している。出発点、それはいくつかの瞬間だった。マッドボーイあるいはクーダー/ケルトナーとの長いパッセージ。まがい物のマーキーズやスリーピー・ジョン・エステスとのナイト・ステージ。ディランやスートンズとのレコーディング。こんな経験に何を付け加えるべきだろう。いや、それとも取り去るべきなのか。そこには足し算よりむしろ引き算が求められてるんじゃないのか。どこに行けば支払いが受けられるのか。バッテリーを再充電するのか。自然による奇跡の再生、あるいはゲームをやめるまで続く別のトリックはあるのか。勝利? 誰も勝ちはしない。それはレースではないのだ。完遂すべきものは地平線の向こうに消え、もはや感知できない空間へと至る。何もない。運命も、業も、神の計画も、唖然とする幸運も。もしそう呼びたいのであれば、それは年老いた母なるものだ。それは星々の中で意味を探すようなものだ。確かに、それはそこにある。しかし誰もその意味を理解できない。チャイナタウン。知っている暗号で、秘密のメッセージを読む。君は解読者のバッジを持っている。3つ進んで4つ戻る。オクターブ上のメジャー・トライアド。それは私がスタートすることを知っていた唯一の場所だ。それは私が知っていることではなく、私はもはや思い悩まないということだ。」

本書の観念的な終章の中に、以上のような言葉が出てきます。メンフィス音楽のゴッドファーザーであったディッキンソンにとって、クーダーやケルトナーとの共演は特別な体験であったことがわかります。

Johnny Handsome / Music by Ry Cooder

johnny_ミッキー・ロークというと、1987年の『エンゼル・ハート』という映画を昔見たことを思い出します。おそらく、映画館では見てなくて、数年後のテレビ放送のときだったと思いますが、結構おどろおどろしい内容だったように思います。舞台は南部で、ドクター・ジョンの曲とかも使われてたと思うのです。最近、DVDを入手したので、久々に見直してみようと思います。『イヤー・オブ・ザ・ドラゴン』や『ナイン・ハーフ』はまだ見たことがありません。ミッキー・ローク、元ボクサーで、90年代には再びリングに立ったようなんですが、渋い系の探偵とか犯罪者とかハマリ役だったようですね。そんな彼が1989年に主演したのがこのウォルター・ヒル監督作品『ジョニー・ハンサム』です。

ウォルター・ヒルといえば、音楽はライ・クーダー。後年、レイモンド・チャンドラーあたりを連想させるデテクティブ・ストーリーを自ら書いているクーダーさんのことですから、割合楽しんで仕事をしたんじゃないかと想像します。このサントラは、基本的にライ・クーダー、ジム・ケルトナーの二人だけで録音されていること、ライの空間的なエレクトリック・ボトルネック・ギターが音の主役となっていることが大きな特徴です。おそらく、それまでのサントラの現場で、あと30分でこのシーンに1曲欲しいとか、監督の注文に応えるため、少数の精鋭ミュージシャンで対応するのが得策と考えたのでしょう。2曲でホーンセクションが彩りを加えていますが、きっちりアレンジを仕上げる曲と、インプロビゼイション的な曲とを分けて構成したのでしょう。

そのため、ライ・クーダーはギター、ベース、マンドリン、アコーディオンといった以前から手がけてきた楽器はもちろんのこと、キーボード、フィドル、パーカッションまで手がけています。冒頭の「Main Theme」は、ライのエレピが中心のナンバーですが、少したどたどしく感じられます。ヴァン・ダイク・パークスやジム・ディッキンソンを押さえられなかったのか、と思いはするのですが、あまり上手くなくて、「間」のある演奏こそが監督の意図に沿ったものなのかも知れません。後のインタビューでライは「映画音楽では、求められればキーボードでも弾かなければならない。」という意味の発言していたように思います。

今回のサントラは全曲インスト。ライはアクースティック・ギターを使わずに、全曲エレキで演奏しているようです。また、この時が初出と思われるフロア・スライドという特注の低音楽器を駆使して、誰に真似ができない不思議な音世界を生み出しています。なお、このフロア・スライドはスティーヴ・リプレイが制作したものと、ライが90年代のインタビューで応えています。「”長く大きな音で鳴る弦楽器で、とても深みがあって土台となるようなもので、ベースではないものが必要だ。”って私が言ったら、スティーヴは一晩かけてそれを作ってくれた。プラスチックのかけらでたたいたりウイスキーのボトルで上下にこすったりしたら、凄いサウンドが出たんだ。」この言葉も、『ジョニー・ハンサム』以降のサントラで聴かれる不思議なサウンドを解き明かす鍵になりますね。なお、この楽器のピックアップはリック・ターナーが特注で制作したもののようです。

#1「Main Theme」上にも書いたように、ライが弾くエレピが中心の曲。映画に通底する不安感を表現しながら、メジャー・キーなので、絶望の先に希望が見え隠れするようです。

#2「I Can’t Walk This Time / The Prestige」 ライのボトルネックで幕を開け、ピアノがすぐさまサポートするアンビエントな響きが顕著なルバートで始まります。インテンポからが「The Prestige」でしょうか。ライのボトルネックが不安を煽るサウンドを響かせています。後半、ケルトナーのスネア・ロールが入り、ホーン・セクションが被さってくるところからが少々ニューオーリンズの香りを感じさせますが、ライのボトルネックがおどろおどろしい雰囲気を引き継いでいます。クーダーさん、ピアノのバッキングもがんばっています。なかなか凝った作りの佳曲です。

#3「Angola」 タイトルはアフリカの国名ではなく、ルイジアナ州の刑務所のことを指します。不気味な雰囲気にあふれた曲です。ライのエレキで始まり、ドラムが入ってインテンポになります。アコーディオン、マンドリン、フロア・スライドなどの楽器を重ねていますが、やはり、サウンドの要はライのボトルネックです。尺八のような音も聴こえてきますが、カズ松居がノンクレジットで参加しているのか、サンプリングした音をキーボードで奏でているのか、判断がつきません。

#4「Clip Joint Rhumba」、アコーディオン中心のケイジャン風ナンバー。ちょっと明るいけど、どことなく不気味さを秘めた演奏。エレキはデュアン・エディばりのトゥワンギーな味わいです。もちろん、ケルトナーのドラムもいかしています。ライはフラーコに教わったボタン式アコーディオンのテクニックを駆使してケイジャンに挑戦しています。

#5「Sad Story」ライのロングトーンのボトルネックが主役。「Paris, Texas」を想起させるミニマムな演奏。後半フロア・スライドが唸り声をあげます。ライ一人の多重録音でしょう。

#6「Fountain Walk」やはりアンビエントなサウンド。エレピとボトルネックだけで、登場人物の心象風景を見事に表現しています。これもライ一人の多重録音でしょう。禅の高みに達しています。

#7「Cajun Metal」ケルトナーが活躍するロック・ナンバー。ライのボトルネックもオーバードライブ・サウンドとなりハードな感じですが、リズム楽器としてアコーディオンを使っているのが曲名の由来でしょうか。ガッツのあるロックですが、メタルというほど騒がしくはありません。

#8「First Week At Work」は主人公がシャバに出て、仕事を得た時にかかる、爽やかな印象を与えるロックです。ライのボトルネックがとてもいい感じです。

#9「Greasy Oysters」戦前のブルーズやジャグ・バンドを思い起こさせるプレイです。ライはボトルネックで、お得意のブルージーのフレーズを奏で、ケルトナーも素晴らしいドラミングです。ライが弾くアコーディオンやフィドルも活躍しています。

#10「Smells Like Money」いかにもハードボイルド・タッチなナンバーです。ケルトナーのロックなドラム、ライのオーバードライブ・サウンドのボトルネック・ギター、そしてチープなオルガンがいい味を出しています。この曲を聴くとライもなかなかのキーボード・プレイヤーだと感じてしまいます。

#11「Sunny’s Tune」ドラマチックなバラードです。ライは、トレモロががっつり効いたバッキング、前半でリードをとるトゥワンギー・ギター、後半でリードのボトルネックの3本のギターを重ねています。エレピは三連のリズムを間断なく奏で、ドラムもスティディな演奏。そして、中盤には雰囲気たっぷりのスティーブ・ダグラスのサックス・ソロが響きわたります。

#12「I Like Your Eyes」これもアンビエントの手本のような演奏。ボトルネックを含む空間的なエレキ数本を重ねて、余人をもって代え難い演奏を聴かせています。エレピの伴奏も美しい。アルバムの中でもかなり好きなナンバーです。

#13「Adios Donna」前曲「I Like Your Eyes」と共通のサウンドを持つ作品です。ここではボトルネック・ギターは入らず、より静かな演奏担っています。

#14「Cruising With Rafe」出だしのルバートから、不安をかきたてるサウンド。フロア・スライドやパーカッションなどを駆使しているようです。しばし空間的なプレイの後、インテンポでも不協和音やトゥワンギー・ギターを交え不安感を演出しています。後半で再びルバート。サウンドの中心はフロア・スライドでしょうか。まるで風の音のようです。

#14「How’s My Face」は「Main Theme」と同じ、ピアノのフレーズで始まります。そして、ロング・トーンのボトルネック・ギターが重なりライ・クーダーらしい美しい音世界が広がります。 

#15「End Theme」は、「Main Theme」を元にバンド・サウンドの仕上げたアルバムの中でも最も聴きやすい曲です。主役はもちろんライのボトルネック・ギター。エモーショナルなソロのバックにうっすらと入ってくるホーンズもとってもいい仕事をしています。ハードボイルドな映画のラストに爽やかな余韻を残します。映画が終わった後、エンドタイトルで流れます。

『Johnny Handsome』は、ライの作品の中では、あまり語られることのない一枚だと思いますが、今回久しぶりにじっくり聴きなおしてみると、かなり面白い作品であることがわかります。ミニマムな楽器で最大の心象風景を表現したのは『Paris, Texas』でした。『Paris, Texas』はアクースティックな楽器でしたが、それ以前に『Southern Comfort』でも、エレクトリックな小編成で似たような試みを行なっていました。『Johnny Handsome』では、よりアンビエントな感覚が増しているように思います。

2曲で使われているホーン・セクションのメンバーはトロンボーン:ジョージ・ボハノン、ソプラノ・サックス:ハロルド・バティステ、トランペット:ボビー・ブライアント、サックス:ジョン・ボリヴァー、サックス:アーニー・フィールズ、サックス:ヘンリー・ライリーの6名。ホーン・アレンジメントは、ヴァン・ダイク・パークスが担当しています。ボハノンは、ライとは長い付き合いになりますね。ハロルド・バティステは、おそらくドクター・ジョンとともに、ニューオーリンズから、ロサンゼルスにやってきた腕利きプレイヤーです。

ウォルター・ヒル監督は、この頃のインタビューでライ・クーダーについて次のように述べています。
「私が手がけた作品にどんなメリットがあるかというと、その多くは彼の貢献によるものだと言っても過言ではありません。スコアに関する一般的な理論とは全く逆に、私が彼のスコアの好きなところは、そこにいつも彼の声が聞こえることです。映画を補完したり、映画に奉仕したりしていても、それはライらしいものです。ライは映画を取り囲み、その雰囲気の中で演奏する。私はそれが好きです。」
ライは、シュワルツネッガー主演の『レッド・ブル』でも音楽を担当する予定があったそうなんですが、丁度『Get Rhythm』のプロモーション・ツアーなどと時期がかち合ったせいか、お流れになってしまいました。この頃はウォルター・ヒルは、かなりの頻度でライに音楽制作を依頼していましたが、二人の間には深い信頼関係があったことがわかりますよね。

サスペンスものですから、『Alamo Bay』や『Blue City』に通じる部分もありますし、心理描写に繰り返し同じテーマが使われる手法としては『Paris, Texas』に通じるものもあるでしょう。1980年代に映画音楽の世界に足を踏み入れたライは、すぐに『The Long Riders』で、今までとは一味も二味も違ったリアルな肌合いの映画音楽を提示し、1984年の『Paris, Texas』で、すでに誰にもなし得なかった地平を開拓しました。『Johnny Handsome』の頃になると、過去の経験を駆使し、「巨匠」然とした佇まいが見られるようになっていますが、映画にふさわしいサウンドを追求して楽器開発も行うなど、ライ独特のこだわりは、まだまだ続いていきます。

以下は、映画のあらすじに沿って、曲の使われ方などを書いていきます。ネタバレを読みたくない方は、ここまでにしておいてください。続きを読む

Peter Case /The Man with Blue Post Modern Fragmented Neo-Traditionalist Guitar

petercaseblueguitarピーター・ケイスさん、懐かしいなぁ、今どうしているんでしょう。と思ってネットで検索してみたら、ちゃんとオフィシャル・ホームページも動いていて新型コロナウイルスが蔓延しだす2020年2月くらいまでは、きっちりライブ活動もやっているようでしたし、2021年には二ューアルバムもリリースしていますね。

ピーター・ケースが1986年にリリースした最初のソロ・アルバム『Peter Case』は、ミュージック・マガジン誌などではすごく話題になりました。彼は1954年の生まれだから、このころすでに32歳、プリムソウルズというバンドを率いていましたが、解散後初のソロ・アルバムです。ゲフィンからリリースされ、T-ボーン・バーネットがプロデュース、ロジャー・マッギン、ジョン・ハイアット、ジム・ケルトナー、ヴァン・ダイク・パークスをはじめとする錚々たるメンバーが脇を固めておりました。久しぶりに聴いてみると、本当によくできたアルバムで、ルーツ色は濃いですが、当時の最先端のサウンドも隠し味に取り入れながら、なかなか質の高い音楽を生み出していました。

翌1987年、ピーター・ケイスの来日公演がありました。当初、ジョン・セバスチャンと二人のヘッドライナーの予定でしたが、セバスチャンが確か声帯を痛めたか何かで急に来れなくなり、代役としてピーター・ゴールウェイが来日しました。大阪では近鉄劇場の小ホールで開催され、先にゴールウェイ、二番手にケイスが登場しました。二人ともアコギの弾き語りで、ケイスのステージでは当時の奥方であったヴィクトリア・ウィリアムズがゲストで登場し、2曲ほど素敵な歌声でケイスをサポートしていたことを鮮明に覚えています。余談ですが、ヴィクトリアはルイジアナの出身で、ケイジャンのルーツを持っているようで、ケイジャン独特の唱法に驚かされたものです。ケイスは、アルバムと変わらぬ張りのある歌声で、曲によってはハーモニカも披露してくれましたが、アコギのストロークはやや単調で、アルバム『Peter Case』の「Icewater」で聞かれたような、巧みギターテクニックをあまり聴くことができなかったのが少々残念だったように思います。

さて、そんなピーター・ケイスのゲフィンからの2枚目のアルバムが、この『The Man with Blue Post Modern Fragmented Neo-Traditionalist Guitar』です。「青い、ポストモダンの断片化されたネオトラディショナルなギターを持つ男」という意味のようですが、めちゃめちゃ長いタイトルですね。日本盤は確かシンプルに『ブルー・ギター』になっていたような気がします。1989年のリリース、プロデュースはマネージャーでもあるスティーヴン・ソールズ、エンジニアのラリー・ハーシュそしてピーター本人の共同プロデュースです。

ゲスト・ミュージシャンは前作同様豪華です。ロス・ロボスのデヴィッド・イダルゴが多くの曲に参加しており、このアルバムのカラーを印象づけるベーシックなサウンドが形成に貢献しています。ドラムにはジム・ケルトナー、ベースにはジェリー・シェフ、オルガンにはミッチェル・フルームやベンモント・テンチ、ベースやギターでスティーブン・ソールズ、マンドリンでスティーヴン・ブルートン、前作のプロデューサー、T-ボーン・バーネットもボーカルで参加、そして、我らがライ・クーダーは1曲のみ、ゲスト的にエレクトリック・ギターで参加しています。デヴィッド・リンドレーは2曲に参加しています。

では、まず、ライ・クーダーとデヴィッド・リンドリーの参加曲を見ていきましょう。

3曲目の静かなバラード「Eentella Hotel 」 右側のスピーカーから聞こえてくるエレキ・ギターがライのプレイ。控えめに、でも十分にライの個性が反映されたギターです。ボトルネック奏法は使っていないし、ソロもないのですが、左スピーカーのイダルゴのギター、そしてマンドリンと見事なコンビネーションを聞かせ曲のツボを抑えています。クレジットには、ステレオ・エレクトリック・ギターとありますので、おそらくリプレイのステレオ・ギターを使ってレコーディングしているのでしょう。さて、この曲のマンドリンですが、クレジットがありません。別の曲で弾いているスティーブン・ブルートンなのか、ライなのか、はたまたリンドレーなのか興味は尽きません。

2曲目「Put Down The Gun」は、カントリー調のミディアム・ナンバー、サビでグッと盛り上がります。リンドレーはこの曲でエレクトリック・ブズーキでクレジットされています。おそらく、ワイマン・ベース改造の、あのブズーキで参加しているのでしょうけれど、耳を凝らして聴いてもあまり音が聴こえてきません。隠し味的にミキシング処理されてしまったのかもしれません。ラスト・ナンバーの「Hidden Love」もフォーキーなアコギ中心のバラードです。リンドレーはヴァイオリンとブズーキで参加しています。ファースト・ヴァースの途中から入ってくる控えめなヴァイオリンと、サビでコードを弾いているアクースティック・ブズーキがリンドレーのプレイですが、脇役に徹して控えめに曲を脚色しています。

アルバム全体は、ピーターのアクースティック・ギターで彩られており、前作に比べるとよりブルージーでアーシーなイメージがあります。4曲目の「Travellin’ Light」は、ボブ・ニューワースとピーターの共作ですが、ロス・ロボス色が強いメキシカン調のロックに仕上がっています。キーボードの音色もまるでアコーディオンのようです。この辺りは、デヴィッド・イダルゴの味付けによるものでしょう。

ゲフィンからの2作目となるピーターのソロですが、ファースト・アルバムほど話題になることもなく、チャート・アクションもありませんでした。けれども、今聴いても全く古さを感じさせない、いいアルバムだと思います。ちなみに、最新作を聞いてみましたが、芸風はあまり変わっておらず、若い頃の作品よりぐっと落ち着きが出ていて、なかなかいい感じでした。

追記しました。

かなり昔の記事、Ry Cooder参加のDale Hawkinsのアルバムの記事に追記しました。

http://blog.livedoor.jp/gentle_soul/archives/29638463.html

Flaco Jimenez / Flaco's Amigos

flacosamigos1987年から88年にかけては、ライ・クーダーが『Get Rhythm』という充実したアルバムを発表し、そのレコーディング・メンバーを擁するツアーを行って、来日公演まで行う一方、ボビー・キング&テリー・エヴァンズという重要メンバーのデュオ・アルバムをプロデュースするなど、非常に充実した音楽活動を行っていました。その源泉として、80年代の前中盤に、このメンバーで多くのサントラを手がけ、彼らの生み出す音楽にさらなる磨きがかかったという要素が大きい思います。そうした副産物の一つが、このアルバムに収録された4曲のセッションでしょう。

このアルバムは、1988年にアーフーリーからリリースされました。アーフーリーはマイナー・レーベルで、大きなレコード屋ではあまり取り扱っていなかったと思います。この盤を買ったのは、京都のジャンク・ショップじゃなかったかなと思うのですが、はっきり思い出せません。時期も、フラーコを擁するバンドによるライ・クーダーを公演を見た後だったような気がします。当時の大阪、京都の輸入盤専門店には、ライ・クーダーのコーナーにフラーコのレコードが数枚置いてあったりして、相当気になっていたのですが、まだ彼のソロ・アルバムには手を出せずにいました。当時の最新盤であったこの盤には、ライがプロデュースした曲が4曲も含まれていたし、迷うことなく購入しました。

アルバムにはアーフーリーのオーナーであるクリス・ストラックウィッツによる長いライナーが掲載されています。その中にピーター・ローワンとライ・クーダーの発言が引用されています。

おそらく、P-Vineかどこかから当時日本盤も出たと思います。そちらにはきっちりした邦訳が掲載されていたのでしょうけど、自分は輸入盤で買ってしまったので、ここで拙訳を掲載することにします。

「フラーコとプレイできるのはまさに特権だったのですよ。ー音楽におけるもっともスリリングなことは、違った誰かと会ってちょっとした旅に出ることだと私は考えていました。ーこれを聞くと、何かしらの発見を一緒に体験することになるかもしれませんね。フラーコはいつでも立って演奏できる準備ができていましたし、大半の時間は、彼は本当に特別な場所に私を連れて行ってくれます。彼はとても優雅に、そして彼自身のスタイルでそれをやります。私たちは一緒に、この小道で、よりよい方法で素敵な音楽をプレイできたと思っています。   ライ・クーダー」

クリスのライナーのうち、ライ・クーダーに関する部分を訳してみましょう。

「レオナルド・フラーコ・ヒメネスは、テキサスで人気のあるコンフントのアコーディオニストとして30年以上のキャリアの中で、たくさんのダンス音楽をプレイし、多くのレコーディングを行ってきた。ここ15年間でフラーコは、テキサス 以外のミュージシャンやフォーク・ミュージックのファンからの認識を受け入れてきた。彼のホームタウンであるサン・アントニオでは、フラーコはいつも当たり前のことを当たり前にやっているのだが、1987年にフラーコがグラミー賞のベスト・メキシカン・アメリカン部門をアーフーリーの『AY TE DEJO EN SAN ANTONIO』で勝ち取り、ロサンゼルスから戻ったとき、この町のメディアや自治体はフラーコを大いに歓迎した。グァダループ・カルチャー・センターのホァン・テヘダの絶え間ない影響力のおかげで、サン・アントニオは、例年5月に行われるコンフント・フェスティバルにおいて、南テキサスのコンフント、あるいはノルテーニャのミュージャンによる素晴らしい文化的、音楽的貢献がなされてると認められるという栄誉に浴している。幾世代にもわたってダンサーやパーティの参加者が伝統を育んできた後、シンプルなダイアトニック・アコーディオンとデュエット・ヴォイスから生まれる楽しくダンサブルなサウンドが、世界中で注目され始めている。ロス・ロボスはコンテンポラリー音楽の世界をコンフントに目覚めさせた。リンダ・ロンシュタットは今やマリアッチの伝統の助けを借りて、メキシカン・カントリー・ミュージックを大衆に知らしめ始めている。メキシカン・アメリカン音楽は、ついにいつものチチャロン・サーキットの外側に大きく気づかれ始めている。
  フラーコの過去のレコーディングは、すべて彼自身のコンフントと一緒のものだった。そして、それは彼のダンス・チューンとして聞くべき良いサンプルではある。このレコーディングは、フラーコとの長い友達であり、音楽の協力者であるライ・クーダーが、一緒にレコーディングをしていた時に、フラーコの次のアルバムのためにいくつかのセッションをしようと申し出たものだ(セッションC)。ライは『Janette』でマンドリンを弾き、サント&ジョニーのスタイルの『Poquita Fe』ではスライド・ギターを弾いた。2曲のポルカは『モンテレー・サウンド』の素晴らしいサンプルであり、アコーディオンとサックスによる緊密なハーモニーが聞けるし、ライ・クーダーのバホセストの伴奏もある。フラーコはライ・クーダー・バンドのサイドマンの役割をとてつもなく楽しんでいた。なぜなら、それは彼に新しい音楽ジャンルやサウンドを探求する機会をもたらしたからだ。フラーコにとって、バンド・リーダーでありボーカリストであるプレッシャーと需要に直面するよりむしろ、サイドマンの方が純粋にミュージシャンとしての役割に徹することができたのである。」

モンテレーとは、テキサスに近いメキシコ北部のヌエボ・レオン州の州都で、都市圏の人口は500万人を上回っています。フラーコがやっているようなコンフントの音楽は、メキシコでは「北部音楽」という意味で「ノルテーニャ」と呼ばれますが、この街の名をとってモンテレー・サウンドとも呼ばれるのでしょう。あと、チチャロンは、主に豚肉を素材とする揚げ物のメキシコ料理。チタリン・サーキットになぞらえているのでしょう。おそらく、フラーコたちテックス・メックスのミュージシャンは国境を越え、メキシコ北部の酒場などでもライブを行っており、テキサスを含めて彼らが旅回りをする地域をチチャロン・サーキットと呼んでいるのでしょう。

フラーコは1939年3月生まれですから、現在満82歳になります。ライ・クーダーより8歳年上です。彼の父親のサンティアーゴ・ヒメネス・シニアは、コンフント音楽の生みの親とも言われ、幼少の頃より兄のサンティアーゴ・ヒメネス・ジュニアとともに、音楽活動を始め、上記の受賞を加え数回に渡ってグラミーを受賞、今やアメリカの人間国宝とも言われるナショナル・ヘリテイジ・フェロウシップにも選ばれています。ライ・クーダーとの共演以前に、ダグ・サームのアルバムに参加しており、1990年代には、そのダグ・サーム、フレディ・フェンダー、オーギー・メイヤーズというテックス・メックス系のスーパー・スター4人でテキサス・トルネイドズを結成しています。

さて、この盤のライ・クーダー参加作品を見ていくことにしましょう。上記のように、1987年6月ライ・クーダーの『Get Rhythm』録音中に、ライから申し出てフラーコをリーダーとするセッションが行われたようです。録音した場所はサンタ・モニカになっているので、ライの自宅スタジオでレコーディングされたのでしょうか。メンバーは下記のように、アルト・サックスを除いて、『Get Rhythm』録音メンバーと重複します。

まず、8曲目「Jannette」は、ライのマンドリンが大活躍する明るいナンバーです。ホルヘ・カルデロンとジム・ケルトナーによる安定したリズムに、ミゲル・クルーズがラテン・パーカッションを加えます。そして、ヴァン・ダイク・パークスのドリーミーなピアノをバックに、ライのマンドリンが疾走します。サビで、フラーコのアコーディオンとドン・ガルシアのアルト・サックスがメロディを奏で、曲が盛り上がっていきます。エンディングでは、あくまでもマンドリンが主導しますが様々な楽器が混じり合い、美しい音世界を形づくっています。この曲では、ライが主役を奪っている感が結構強いですね。

そして、11曲目に配された「インストルメンタル・ボレロ」と記された「Poquita Fe」です。この曲を始めて聴いたとき、なんて美しい曲だろうとため息が出たものです。前半は、フラーコのアコーディオンがメロディを奏で、後半ライのクーダーキャスターによるロング・トーンのソロをたっぷり聞くことができます。エンディングでのアコとスライドの絡みも最高。サックスはこの曲ではお休みのよう。ここでも、ヴァン・ダイクのピアノの存在感がありますね。ライ・クーダー・バンドの底力を知る思いです。

続く12曲目のポルカ「Atotonilco」とラストの14曲目に収められたポルカ「La Feria Polka」も、弾むリズムがとっても心地よい演奏です。ケルトナーとクルーズによる打楽器のオカズも、いかにもメキシカン・タッチ。メロディは、アコーディオンとサックスのユニゾンで、どうやらピアノは入っていない模様です。ライは、両曲でバホ・セストを巧みに操り、リズムを引き締めています。

以上4曲が、ライ・クーダー・プロデュースによる「セッションC」で、全てインスト曲ですが、このメンバーだけでアルバム1枚作って欲しかったくらい充実した内容です。

このアルバムには、他に2つのセッションが収められています。「セッションA」は、1986年にサン・アントニオで録音されたもので、フラーコの歌とアコーディオン、フレッド・オヘダによる歌とバホ・セスト、ルーベン・オヴェイルによるベースというシンプルな編成のもの。もう一つ「セッションA」は、1988年1月21日に、やはりサン・アントニオで録音されたもので、フラーコが歌とアコーディオン、オスカー・テレスが歌とバホ・セスト、ピーター・ローワンが歌とギター、トビー・トレスが歌、ルーベン・ヴェイルがベース、ライ・クーダーの1976年のツアーにも参加していたアイザック・ガルシアがドラムスという編成です。この二つのセットは全て歌ものとなっています。

セッションAはドラム・レスですが、フラーコ達の歌とアコーディオンを十分に堪能できます。サン・アントニオとその周辺の小さなクラブなどでは、このスタイルでライブを行なっているのでしょう。他のセットよりも歌声が素朴に響きます。

「セッションB」は、次々とリード・ボーカルが入れ替わりますが、みんな素敵な声ですね。
「The Free Mexican Air Force」は、ピーターのハイ・トーンのリード・ボーカルが心地よいワルツでサビではフラーコがハモります。フラーコのアコの間奏とオブリはとっても冴えています。ピーターはもう1曲「I’m Gonna Love You, Like There is no Tomorrow」でもいい喉を聞かせています。そして、「Did I Tell You」の心地よさったらありません。リード・ボーカルはオスカー。彼の声もいいですね。一方、ボレロの「Espero Tu Regreso」ではフラーコのソロ・ヴォーカルをじっくり味わうことができます。間奏部分ではセリフも入ります。実に生き生きとしたセッションです。

以上のように、3つのセッションを組み合わせた作品集ですが、それぞれのフラーコの持ち味が生かされていて、また、バラエティ豊かな飽きさせないアルバムに仕上がっています。

Pecos Bill / music by Ry Cooder

pecosbillライ・クーダーが3度目の来日をした1988年は、私が大学4年の年でした。前期はまだ色々と講義をとっており、毎日のように大学に通っていましたが、後期になると卒業研究と在籍していた研究室で毎週行われていた研究会以外は、あまり大学に通う必要もなくなりバイトなどをしていました。このアルバムは、当時京都四条烏丸を少し下った所にあったタワーレコードの直営店で見つけたように思いますが、前期だったのか、後期だったのか、もう覚えていません。ただ、いつもチェックするライ・クーダーのコーナーに、漫画風のイラストがジャケットの見慣れないCDがあり、ナレーションがロビン・ウィリアムス、音楽がライ・クーダーとあります。見た瞬間に子供向けのアルバムだろうなという目星はついたのですが、ライ・クーダーのギターが聴けるものなら何でも買っていたわけですから、躊躇なく入手したことはいうまでもありません。それがこのアルバムです。

このアルバムの主人公、ペコス・ビルとは伝説のカウボーイで、実在の人物ではありませんが、西部開拓史上、あまたある著名な物語の一つです。少し前にアニー・オークリーのことを書きましたが、シェリー・デュヴァルによるそのシリーズ『Tall Tales & Legends』でも実写版で紹介されています。一方、こちらは映画プロデューサーだったマーク・ソトニックが、自分の二人の子どものためになる音楽を作りたいという思いから立ち上げたラビット・イヤーズ・プロダクションから、絵本や静止画映像、CDの形で発売されたシリーズに入っています。大物俳優が語り、一流ミュージシャンが音楽をつけるという形で、13タイトルが作られ、当時、アクースティック系のニュー・エイジ・ミュージックのレーベルとして人気を誇っていたウィンダム・ヒル・レコードが協力して販売しました。このシリーズにはジョディ・フォスターが語り、ヴァン・ダイク・パークスが音楽をつけた「The Fisherman And His Wife」もあり、他にもマイケル・ヘッジズやジョージ・ウィンストンらが音楽を制作したものもありました。

さて、そのペコス・ビルですが、19世紀のはじめ、テキサスで14人兄弟の末弟として生まれたものの、赤ちゃんの時に引っ越しをする馬車から落ちて家族と生き別れになり、コヨーテに育てられた男が主人公です。彼が落ちた場所がペコス川だったので、ペコス・ビルという名前になったそうです。成長したビルが裸でいるところに、年老いたカウボーイと出会い、服を与えられるところから物語が展開していきます。ビルは、ガラガラヘビをムチにし、格闘の末クーガーを従えます。ある日ビルは、キャンプをしているカウボーイ達と出会い、彼らの目の前で熱いコーヒーをやかんから直接飲む、サボテンをそのまま食べる、馬車の車輪まで食べてしまうといった行動で、彼らを驚かせますが、彼らのボスがビルを懲らしめようと、握手をしますが、ビルのあまりの力の強さにひるんでしまい、ビルはそのまま彼らとカウボーイの仕事をすることになります。ビルはある日、乗りこなそうとする男をみんな殺してしまうので「ウイドウメーカー(未亡人づくり)」という異名を持つ荒馬に出会います。ビルはウィドウメーカーをも飼い慣らし、自分の馬にしてしまいます。またある時には、山の上に取り残された牛を投げ輪を使って山から下ろし、それがカウボーイが投げ輪を作った起源になったそうです。またある日、リオ・グランデ川で大ナマズに乗って移動する女性、スーフット・スーと出会い、「世界で一番可愛い少女」と感激して求婚し結ばれます。このラビット・イヤー版ではビルが北へ向かうのに対し、スーは再びにナマズに乗って帰っていきますが、別の版では、スーをウィドウメーカーに乗せたところ、馬が嫉妬してスーを月まで跳ね飛ばし、それからコヨーテが月に向かって遠吠えするようになったという話が出てきます。ここでは、カウボーイ仲間がキャンプファイヤーを囲んでカードゲームをしている間に、ビルが山に登りスーを求めて月に向かって遠吠えをすることになっています。そして、物語のクライマックス。大きなサイクロンが来襲。ビルは竜巻に立ち向かい、ロープで竜巻を捕まえて人々に被害が及ばないようにします。グランドキャニオンの山を二つに割り、サイクロンの降らせる雨でユタ州のグレイト・ソルト・レイクだけでなく、メキシコ湾もつくり、しかも竜巻を乗りこなして天に昇っていきました。それからビルの姿を見たものはいませんが、風に耳をすませば、ビルの遠吠えが聞こえてくるのです。

以上のような物語が、コメディアンであり俳優でもあった、今は亡きロビン・ウィリアムズのユニークで情感あふれる語りで聞くことができます。ここで聞かれる物語は伝説をもとにブライアン・グリーソンという子供向けの作家の手によって書かれたもので、内容はCD1曲目も、静止画映像も同じです。1989年にリリースされた日本語版では藤岡琢也が吹き替えをしていたそうですが、さすがにその盤は所有していません。ライ・クーダーは、この作品のサウンド・トラックで実にご機嫌で表情豊かな音楽を生み出しています。アクーステック・ギター、アクースティック・ボトルネック・ギター、マンドリン、バンジョーといった楽器を多重録音しているようです。他に、ピアノ、フィドル、控えめなパーカッションが入っています。ミュージシャン・クレジットがないのが残念ですが、エレピはヴァン・ダイク・パークス、フィドルはリンドレーでなく、デヴィッド・マンスフィールドのような気がするのですが、いかがでしょう。

CDには冒頭(1曲目)にPecos Bill(Part I&II)24分10秒が入っています。これが、ロビン・ウィリアムズによる語りになります。その後、3分に満たない曲が4曲が独立した曲として収録されていますが、これらは全て冒頭の語りのバックグラウンドに入っていた曲で、インスト曲です。2曲目「Pecos Bill」は、サウンド・トラックのメインテーマで、明るく軽快なミディアム・ナンバーです。前半アコギがテーマを奏で、マンドリンやピアノなどがバックをつけます。途中からアクースティク・ボトルネック・ギターがとって代わって主役となります。3曲目「Prettiest Girl in the World」は、実に美しいピアノ曲で、後半アコギも少し顔を出します。4曲目「Up and Up They Went」は、物語のクライマックス、ビルがサイクロンと格闘するシーンで使われたアップテンポで、いかにも劇中曲といった趣きのナンバーで、ピアノ、フィドル、ボトルネック・ギター、そしてバンジョーが活躍します。そしてラストが「Cowboy’s Prayer」。これも美しい曲ですが、以前触れたようにシェリー・デュヴァルによる『Tall Tales & Legends』シリーズの「Annie Orkley」のサブテーマから一部を流用しています。前半はエレピ、後半はノン・スライドのギターがフューチャーされています。

もちろん、上記4曲以外にもいくつかの曲がサウンド・トラックとして使われています。登場シーンごとに曲を見ていきましょう。

「Pecos Bill」は、もちろんオープニング・タイトルとして使われています。ボトルネック・ギターが入るところから、ロビン・ウィリアムスの語りが始まります。

ビルの家族が馬車で旅を始めるシーンでは「Up and Up They Went」が使われます。ビルが野生の中で成長する場面でも同じ曲が使われています。

全裸のビルが一人のカウボーイと出会うシーンでは、「Home On The Range(峠の我が家)」が使われます。ライによるギター1本のインストです。実に丁寧に演奏されていて、これがまた味わい深いのです。

ビルがカウボーイの服をまとい、人間として歩み出すシーンではバンジョーをフィーチャーしたテーマ曲「Pecos Bill」が使われています。後段でボトルネックも少し顔を出します。

ガラガラヘビを捕まえてムチにするシーンでは、「Paris, Texas」風のブルージーなボトルネック・ギターが聞こえてきます。

クーガーを乗りこなし、カウボーイ達のキャンプに行くシーンでは、少しファンキーなかっこいいボトルネック・ギター中心のプレイを聞くことができます。短いですが独立した曲にして欲しかったものです。また、カウボーイのボスと向き合うシーンの前にも短くブルージーなボトルネック・ギター1本のフレーズを聞くことができます。

ビルが牛を扱う場面では、また「Up and Up They Went」が顔を出しますが、ここではバンジョーをフューチャーした演奏になっています。

馬(ウィドウメーカー)との出会いのシーンでは、「Up and Up They Went」の変奏曲が用いられボトルネック・ギターがいい感じで使われています。

ビルが山の上の牛を投げ輪で捕まえ下ろすシーンでも、ブルージーなボトルネック・ギターが聞こえてきます。ここで聞かれるピアノは映画『Crossroads』の演奏を彷彿とさせます。

リオ・グランデ川で大ナマズに乗った妻スーとの出会いのシーンでは、「Prettiest Girl in the World」がたっぷり使われています。

そして、物語のクライマックス、サイクロンとの格闘シーンでは、「Up and Up They Went」がほぼまるまる使われています。

物語の最後のシーンからエンド・タイトルにかけては、「Cowboy’s Prayer」で美しく締めくくられます。

以上あげた他にもジングル的に使われているごく短いフレーズがいくつかあります。

レコーディング・エンジニアはラリー・ハーシュで、サンタ・モニカのマウラ・バンダ・スタジオ(おそらく、ライ・クーダーの自宅スタジオ)、とハリウッドのサウンド・ファクトリーで録音されました。楽器の演奏はライのスタジオで録り、風の音とか、効果音をハリウッドで収録したのかもしれませんね。ちなみにロビン・ウィリアムズのナレーションはサンフランシスコで別に収録されています。

音楽考古学者とも言われることのあるライ・クーダーですが、ここでは『The Long Riders』や『Crossroads』のように音楽そのものを深く探求するわけでなく、子供向けということもあってか、リラックスした感じで、ノスタルジックなサウンドを作り上げているような気がします。彼のキャリアの中では、あまり語られることのない地味な作品ではありますが、真のプロフェッショナルだけが作り得る非常に質の高い音楽であることは疑いありません。この盤からも1曲くらい『Music by Ry Cooder』にエントリーしても良かったのに…と思わせられる、素敵なプレイが満載です。まさに音楽職人ライ・クーダーの面目躍如ですね。

John Hiatt with Jerry Douglas / Leftover Feeling

johnhiattjerrydouglasこのところ、ライ・クーダー参加盤ばかりのレビューをあげていましたが、今回はライと関わりの深いこの人の最新作を取り上げます。

ジョン・ハイアットはインディアナ州、インディアナポリスの生まれ。この街はシカゴとナッシュビルの中間より、やや北西に位置します。ソングライターに憧れたハイットは、カントリーの都とも呼ばれたナッシュビルを目指し、そこでホワイト・ダックというバンドのメンバーになるとともに、トレイシー・ネルソンやスリー・ドッグナイトらに楽曲を提供し、ソング・ライターとしての道を歩み始めます。1974年にはエピックからデビュー・アルバムをリリースしました。70年代後半からは一旦拠点をロサンゼルスに移すハイアットですが、ナッシュビルは彼のキャリアの原点でした。

2021年4月、伝説的なナッシュビルのRCAスタジオBで録音された、ジョン・ハイアットの最新作がリリースされました。タイトルにウィズ・ジェリー・ダグラスと記されているように、現在のブルーグラス・シーンを代表するドブロ・プレイヤー・ジェリー・ダグラスによる全面サポートを受けてのアルバムです。ジョン・ハイアットの『Bring The Family』については、少し前に取り上げましたが、そこで、ハイアットは稀代のスライド・ギタリスト、ライ・クーダーをフィーチャーし、歴史に残る名作を作り上げました。その後、ハイアットは、サニー・ランドレスやルーサー・ディッキンソン、ダグ・ランシオなど、パンド・メンバーにスライド・ギタリストを多く選んできましたが、今回のパートナーは、ジェリー・ダグラスと相成ったわけで、今までとの大きな違いはダグラスの弾く楽器は全編アクースティックとなったことです。でも、メンバーのマイク・シールが、エレクトリック・ギター担当なので、従来のロック感覚は十分に味わうことができます。もう一つ、今回のアルバムはドラムレスです。過去にも『Crossing The Muddy Waters』がアコースティックなアルバムだったのですが、強いて言えば少し雰囲気が似ているような気がします。というわけで、発表前は、どんなアルパムになるんだろう、どっぷりブルーグラス寄りの作品になるのかな、などと考えておりましたが、心配ありません。今までと同じハイアット節を堪能することができます。

さて、いつものように、収録曲を見ていきましょう。
1曲目は、 ブルージーなロックンロール ですが、フィドルもいい具合にマッチしています。電気自動車のキャディラックがテーマのようですが、実際、GMが昨年キャディラック・リリックというのを発売しているようです。スプリングスティーンにもキャディラックをテーマにした曲がありましたが、彼らの世代にはキャディラックは永遠の憧れなんでしょうね。

2曲目、 ブルーズ・マナーのミディアム・ナンバーです。こちらの曲にはニューオーリンズから走ってきたカマロが出てきます。主人公はメンフィスを目指しますが、ミシシッピ州ジャクソンの近くのどこかの深夜の電話ボックスで、10セント硬貨がなくて途方に暮れている様子を歌っています。

3曲目、 カントリー・タッチの美しいメロディをもつナンバー。ダグラスのオブリがとっても心地よいし、おそらくマイク・シールはペダル・スティールを弾いてるのでしょう。
この曲のテーマはカントリー・ミュージックでしょう。歌詞の中にウェイロン・ジェニングズやマール・ハガードが歌いこまれ、テネシー州のWSMというカントリー専門のラジオ局も出てきます。ただ、歌の主人公が語りかけている配偶者と思われる女性が「And You’re gone」となっているのが気にかかるところ、もしかしたら、この曲もまた亡くなった先妻のイザベラのことをテーマにしているのかもしれません。

4曲目、 アップテンポのカントリー・ナンバーです。ドラムがないのにドライブ感満点。エレキのソロもドブロのソロもご機嫌です。テーマは一度だけしか会ったことのない女性に思いを募らせる男がテーマのようです。コロラドのすべてのライラックは、彼の少年のような純粋な愛情の比喩なのでしょうか。

5曲目、 カントリー・バラードです。ここでもペダル・スティールがいい感じで使われています。俺はアッシュビルにいる。ごめんよ。お前を置いていく。まだ見ぬところへ、初めての道を走るんだ。」という内容のロード・ソング。カントリーにもロックにも定番のテーマですが、ハイアットの歌にはリアリティがありますよね。アッシュビルは、ノース・カロライナ州の町の名前、ブルーリッジ・マウンテンを望むその位置からも、カントリーをテーマにした曲にはぴったりです。

6曲目、 いかにもハイアットらしいスローバラードです。メロディラインはとても素晴らしいのですが、歌われる内容はとても辛いものです。自殺した兄弟のことを切々と歌います。彼がギャンブルをやっていたという人もいますが、彼は自分のブティックを持つために、果物の卸売のため中西部を走り回っていたこと、サム・クックのような格好をして、カトリックの彼女とフォードでデートしていたこと、母親は泣き崩れ、父親はNo!と叫んで壁を叩いたこと…。この歌はフィクションでしょうが、最も身近な家族を失った経験のあるハイアットですから、感情移入の度合いは段違いだと思います。

7曲目、 歪んだエレキで始まるブルージーなロックです。独立記念日に出会い、結ばれた男女に子供が生まれ成長するストーリーです。この曲にはREMやダイアナ・ロスが歌いこまれています。

8曲目、 落ち着いたバラードです。前半はギター1本のみを伴奏に歌われます。ストリングスの響きが美しいのですが、間奏で聞かれるのはダグラスの渾身のドブロ・ソロです。ここでも再び、旅に明け暮れる男がテーマです。おそらく親の視点から、そんなに旅ばかりしていないで、身体を休め、つかむことのできない夢を諦めるように諭しているようです。

9曲目、 こちらも落ち着いたバラード。ハイアットらしいシンプルだけど味わい深いナンバーです。
曲のテーマは「君の心の中に、自分の心境の変化を見出す」という内容。5曲目や8曲目で旅に明け暮れていた主人公が一人の女性と出会い、心境に変化を来し落ち着くというストーリーのようです。この曲には後半にこんな歌詞がでてきます。「夢の中で、月がのぼり闇が谷を埋める。誰かが私の心の失われた場所にX線を当てるかのように」。この曲の主人公も心に闇を抱えているのでしょう。

10曲目、 アクースティック・ロックンロールです。出だしからダグラスのドブロがいい感じで絡んできます。フィドルも乗っかり、ご機嫌なロッキン・カントリーになります。最初の間奏は、エレキ・ギター、続いてフィドルが登場します。この曲の主人公は、車はもちろん、馬にも乗らず、朝から晩まで、ある町の中をどこにも徒歩で移動する究極のランブラーを描いています。こんな歌詞を見ると映画『Paris, Texas』の主人公を思い出してしまいます。特にストーリーはないのですが、花をあげる彼女もいるようです。

11曲目、 アルバムのラストナンバーです。落ち着いたミディアムテンポでダグラスの間奏も冴えています。間奏後半はエレキとフィドルの掛け合いになります。「キャッツキルの蜂蜜を舐めながら」という歌詞が冒頭にあることから、ウッドストックのあるニューヨーク州北部が舞台でしょうか。ニュージャージーも少しでてきます。甘い夢は消えたと一人涙する男が主人公です。夕闇のベア・マウンテンでヒッチをしようとするのですが、何時間も車は来ません。彼は恋の終わりを予感し、傷心の旅に出たようです。

 以上のように、ジョン・ハイアットとジェリー・ダグラスによる夢の共演盤は非常に充実した内容になっています。ハイアットが『Bring The Family』以来追求してきた傷ついた人の心の襞に分け入るような歌、そしてロード・ソング、ラヴ・ソング…。アメリカの市井の人々、それもあまり若くない人々の琴線に触れる珠玉の作品集です。二人とダグラスのバンドはこのアルバムを引っさげて、8月のグランド・オール・オープリーを皮切りに、今年下半期は全米ツアーに明け暮れるようです。アメリカでも新型コロナウイルスの感染者が増加傾向にある今日この頃ですが、日本でもアメリカでも変異株などの感染がこれ以上広がらず、早く収束することを願いたいです。そして、せっかく復活した全米各地のロック・コンサートが無事に行われることを祈りたいと思います。

The Beach Boys / Kokomo

bb5kokomo1967〜8年頃、ライ・クーダーは、レッキング・クルーに最接近していました。ポール・リヴィア&レイダーズ、エヴァリー・ブラザーズ、ハーパーズ・ビザール、パット・ブーンらのレコーディングにクルーの面々と一緒に加わり、スタジオ・ミュージシャンとして生計を立て始めました。その頃、バックトラック をレッキング・クルーがつくっていたミュージシャンは、ママス&パパス、モンキーズ、フィフス・ディメンションなどなど、ポップスやソフト・ロックでは実に多くの面々が彼らにお世話になっていました。もちろん、バンド・メンバーが揃っているはずのビーチボーイズも例外ではありません。この時期までは、スタジオ・ミュージシャンの名前がアルバムにクレジットされることは稀でしたから、ライ・クーダーが参加している盤で、まだ埋もれているものはいくつかあるかも知れませんね。

さて、1988年、トム・クルーズが主演した映画『Cocktail』のサントラ盤が出ました。この中からビーチボーイズの「Kokomo」が久々に全米ナンバー・ワン・ヒットを記録しました。確か自分が最初に買ったビーチボーイズのベスト盤は、この年に出た「Kokomo」が収録された盤だと思います。で、このサントラにライ・クーダーが参加しているという情報を聞きつけたのですが、それは、前年に出た『Get Rhythm』から、「All Shook Up」が収録されていることから、この曲のことだと思い込んで、その時はサントラを買わなかったのです。ところがどっこい、ビーチボーイズの「Kokomo」にもライが参加していたのですが、それはずーっと後になって知ることになります。

1990年代、インターネットが普及し始めると、草の根活動で色々なミュージシャンのファンページが作られるようになりましたが、ライ・クーダーについては『Rylanders』というページがあり、その中で、ライの参加アルバムのリストが作られ、自分もいくつかのアルバムについて情報を提供したものです。そのリストの中にビーチボーイズの「Kokomo」が上がっていました。どこからの情報かわからなかったのですが、結果的にそれは正解でした。2018年頃、ロックやポップスの名曲にロイヤル・フィルハーモニック・オーケストラが、アレンジを加える企画盤が数枚リリースされることになりました。その中の一枚がビーチボーイズでした。「Carifornia Girl」「Good Vibrations」「Don’t Worry Baby」などに混じって、「Kokomo」も取り上げられましたが、なんと、オリジナル・レコーディング・メンバーのクレジットも掲載されていたのです。予想通り大半のドラムスはハル・ブレインが担当していましたが、「Don’t Worry Baby」のドラムはデニスだとか、「Sloop John B」や「Help Me Rhonda」のベースはキャロル・ケイだとか、ライル・リッツがアップライトを弾いてる曲があるとか、「Good Vibration」は多数のミュージシャンが参加してウォール・オブ・サウンドの手法で録音されたであろうこととか、なかなか興味は尽きないのです。もっとも、こういうことはビーチボーイズに関する書籍などで、すでに明らかだったのかも知れません。

で、問題の「Kokomo」にバッチリとライ・クーダーの名前がクレジットされておりました。この曲は、ジョン・フィリップス、マイク・ラヴ、スコット・マッケンジー、テリー・メルチャーという錚々たる4人で書かれたナンバーで、マイクは「ロビンズというロサンゼルスの黒人ドゥーワップ・グループが、リーバー&ストーラーの”Smokey Joe’s Cafe”のレコードを出してたんだ。”Kokomo”を作ったときは、あのレコードにものすごく影響を受けてたよ」と語っているそうです。歌詞にはカリブの島の名前がたくさん出て来るのですが、「ココモ」という名前の島は無いそうです。架空のリゾート地がテーマなのかな、と思います。ちなみに、この曲がヒットした時期にはブライアン・ウィルソンはビーチボーイズと袂を分かち、ソロ名義での復活を遂げていた頃なので、この曲には参加していません。

参加ミュージシャンもまたすごいです。以下に詳細を掲載しますが、ドラムはジム・ケルトナー、アップライト・ベースはビュエル・ニードリンガー、ピアノはヴァン・ダイク・パークスと、『Get Rhythm』の録音メンバーと重複しています。出て来る音は、ナンバー・ワン・ヒットが物語るように、80年代のビーチボーイズ・サウンドです。前述のベスト盤で60年代のヒット曲と通して聞いても、なんら違和感はありません。とってもいい曲です。スティール・ドラムが入って季節感をかき立てているのはちょっとあざといかなと思いますけどね。逆に、参加メンバーたちは、求められたビーチボーイズ・サウンドを叩き出すプロ中のプロばかりということになります。ライ・クーダーはアクースティック・リード・ギター、マンドリン、スライド・ギターの3つの楽器のクレジットがあります。セカンド・ヴァースの出だしで、美しいフレーズのアコギ、サードヴァースにうっすらとマンドリンが聞こえ、サード・コーラスにかぶって、ほんの少しばかり存在感を主張するエレクトリック・ボトルネックを奏でます。そんなわけで、派手なソロなどもないので、ライの名前につられてこの盤を購入するのは、よほどの趣味人だけでいいような気がするのです。ちなみに、間奏のソロはサックスによる流れるようなフレーズ。ライよりもヴァン・ダイクのアコーディオンの方が存在感が強いかも知れません。と、いうわけで、今回は1988年のビーチボーイズのナンバー・ワン・ヒットにもライ・クーダーが参加していた、の巻でした。

Produced by Terry Melcher
Vocals : Mike Love, Bruce Johnston, Carl Wilson, Al Jardine
Acoustic Rhythm Guitar : Jeffrey Foskett
Acoustic Lead Guitar, Mandolin, Slide Guitar : Ry Cooder
Bass Guitar : Rod Clark
Upright Bass : Buell Neidlinger
Synth Harpsichord : Terry Melcher
Accordion : Van Dyke Parks
Steel Drums : Vince Charles, Milton(Last name unknown), Mike(Last name unknown)
Drums and Percussion : Jim Keltner
Percussion : Chili Charles
Sax : Joel Peskin

Bobby King & Terry Evans / Live and Let Live

boobbyterry_1988年と言えば、6月に待ちに待ったライ・クーダーの来日公演が行われた年として深く記憶に残っています。私自身は大学4年生で大阪に住んでおり、その頃はまだ進路も決まっていませんでしたが、翌年、就職のため福岡に移住したことを考えれば、本当にいいタイミングで来日公演があったものだ思います。この時は、ライ・クーダー3回目のジャパン・ツアー。現在まで6回あったツアーの中で、最も豪華な編成で来日したのがこの時でした。ドラムにジム・ケルトナー、ベースにホルヘ・カルデロン、ピアノにヴァン・ダイク・パークス、サックスにスティーヴ・ダグラス。そして、日本のステージにその時初めて姿を表したゴスペル・コーラス隊は、テナーがボビー・キング、バリトンがテリー・エヴァンズ、ベースがウィリー・グリーン・ジュニアという布陣でした。その来日公演の直前というタイミングで、ラウンダーからこのアルバムがリリースされました。もちろん、「予習」としても聴きまくったし、ボビーとテリーのコンビによる初のリーダー・アルバムという意味でも愛聴盤になりました。

ボビー・キングは1974年にリリースされたライの4枚目のアルバム『Pradise & Lunch』から、コーラス隊の一員として参加、テリー・エヴァンズは翌年録音され76年にリリースされた『Chicken Skin Music』から参加し、

プロデュースはライ・クーダーが手がけています。ラウンダーというマサチューセッツにあるインディーズ系のレーベルからのリリースです。このレーベル、ジョセフ・スペンスのアルバムを出していることからもわかるように、ヒット狙いよりも、ルーツに根ざした良質の音楽を世に紹介する役割を果たしていたようで、ブルーズ、R&B、フォーク、カントリー、ケイジャン・ザディコなどのアルバムも出していて、アーフーリーと似たようなイメージがあります。そう言えば、アーマ・トーマスやロリー・ブロックもこのレーベルからアルバムをリリースしていました。

で、このレーベル、中身にはこだわるものの、ジャケットなどには、ほとんどお金をかけないようです。この盤もCDではブックレットもなく、ペラ紙一枚。デザインもご覧の通りです。大手販売網を持たないレーベルなので、そもそも、大売れすることを前提に作っていないのではないかと思うのです。でも、音は最高です。

プロデュースはライ・クーダーです。レコーディングは、ライお気に入りのオーシャン・ウェイ・スタジオで、ラリー・ハーシュによってレコーディングとミキシングが行われていますが、「Bald Head」と「Got to Make Moving」の2曲は同じスタジオでマイク・エセルによって録られています。

ミュージシャンは、全曲にライ・クーダーとドラムのジム・ケルトナーが参加。大半の曲のベースは、この頃までネヴィル・ブラザーズのベーシストだったダリル・ジョンソン。同じくキーボードはスプーナー・オールダムという4人が演奏の要です。マイク・エセルがレコーディングした2曲はベースがホルヘ・カルデロン、ピアノがジム・ディッキンソンなので、録音時期が異なるのでしょう。曲によって、パーカッションでミゲル・クルーズとジョシア・キンロックが、また、コーラスのベース・パートでウィリー・グリーン・ジュニアがそれぞれ1曲ずつゲスト参加しています。以上のような面々が繰り出すサウンドが悪かろうはずはありません。1988年という時期ながら、シンセっぽいサウンドはかけらもありません。目指すところはサム&デイヴでしょう。火の出るような熱いR&Bシャウター、そして甘いバラード、渋いブルーズが同居しています。

1曲目は、ワクワクするジャンプ・ナンバー、マジック・サムの「Just A Little Bit」です。もちろん間奏ではライのスライドが炸裂します。リードはテリー、もちろん、サビのハモりはご機嫌です。この曲は、88年のライの来日公演でも「Down The Mississippi」に続いてテリーによって歌われ、客席を大いに沸かせていました。

2曲目は、ブルーズ・ナンバー「Bald Head」。ライ・クーダーとジム・ディッキンソンの共作です。こちらは1番がボビー、2番がテリーと交互にリードをとります。ストレートなブルーズで、間奏はたっぷり24小節ライのボトルネック・ソロを堪能。3番はストップタイムを交えて、二人のデュオを聞くことができます。サビではウィリーの超低音も聞くことができますし、ピアノはソロがないながらも、ディッキンソンならではの転がるブルージーなフレーズが満載です。

3曲目のアップ・テンポのナンバー「Seeing Is Believing」は、ボビーのオリジナル。ジョシアのパーカッションを交えたカラフルなリズム隊に乗せて、ライのギターがリフからリードまでサウンドを引き締め、ボビーのハイトーン・ボーカルが心地よく曲を盛り上げていきます。この曲のタイトルは「百聞は一見にしかず」ですが、タイトル・トラックも後述するように、ことわざから来ています。二人とも、ことわざ好きなんでしょうかね。ところで、この曲をタイトルとする3曲入りの12インチ・シングルがドイツから出ていて、別ミックスが収録されています。その件については2006年3月10日にレビューしております。

4曲目のバラード「Let Love Begin」は、テリーのオリジナルです。やはりヴァース部は二人が歌い分け、サビはハモるというパターンです。ウーリッツァーではなく、割合現代的なエレピを使ったであろう、スプーナーのピアノ・サウンドに乗せて、ライは間奏でたっぷりリード・ソロを弾きますが、いわゆるクーダー・キャスターのリア・ピックアップを使ったロング・トーンが登場。エモーショナルなプレイに心が熱くなります。

5曲目は、ソングライターのブライアン・ポッターと、フランク・ワイルドホーンのペンによる、極めて美しいミディアム・ナンバー「Saturday Night」です。リード・ヴォーカルはボビー。スプーナーのきらびやかなエレピに乗せて、ライが、この曲のみ、ボトルッネックを使わないアコギで素晴らしいオブリガードから、間奏のソロをバッチリと決めます。ダリルのベースも要所で的確なフィルを決めています。誰かのカバーではなく、このアルバムのために書き下ろされた曲のようですが、本当に美しい曲なので、シングル・カットして、タイアップなど多くの人に聴いてもらえる機会があれば、そこそこヒットしたのではないかと思うのですが…。

6曲目は、再びテリーのオリジナル「Let Me Go To Go Back The Country」。テリー自らがアコギでリズムをとるブルーズ・ナンバーです。ハイハットは初めの方から薄く入っているのですが、2コーラス目からバンドが入って盛り上がってきます。この曲の間奏でライはボトルネックを使わないエレキのソロを奏でますが、珍しく薄くフェイザーをかけ、少々「らしからぬ」乱れたプレイを展開します。エンディングでも同様にエモーショナルなソロを聴くことができます。ライが、この曲で使ったギターはダニー・フェリントンという名ギター・ビルダーが作ったOne Hour Guitarというエレキです。おそらく1時間で作ったという意味でしょうけど、塗装のない材木をストラトの形に荒く仕上げ、ジヤズ・ベースのピックアップを斜めにマウントしたものです。ダニーがジャズベのピックアップがギターに合うかどうか試したかったようで、ライはこのギターを使ってなかなかマジカルなサウンドを奏でています。

7曲目、「Got to Keep Moving」は、テリー、ボビー、ライの3人のペンによる作品です。やはりブルージーなナンバーですが、ほぼ全編二人のデュオで歌われます。一部のヴァースでリードを取るのはテリーです。ライの間奏はここでもボトルネックを使っていないようですけど、こちらの方が落ち着いたプレイです。

8曲目、タイトル・トラックはテリーの作品。1曲目に似た感じのジャンプ・ナンバーで、ライの奏でるリフもご機嫌です。出だしのリードはボビー、セカンド・ヴァースはテリーがいい喉を聴かせます。間奏でライは、「Get Rhythm」などで披露したのと同じく手数の多い渋いソロを繰り出します。二人のシャウトも熱く火を吹き、エンディングは大いに盛り上がっていきます。

ラスト・ナンバーは、ライのライブ・アルバム『Showtime』にも収められていたヴォーカル版「Dark End of the Street」の再演です。もちろんイントロも新たなフレーズにかわり、間奏は、やはり、いわゆるクーダー・キャスターのリア・ピックアップを使ったロング・トーンの美しいソロです。エンディングの繰り返しでは、二人のボーカルにスプーナーのピアノとライのギターが絡んで、えも言われぬ美しい音空間を生み出しています。

ジャケットの裏面にあったライナーの拙訳は以下の通りです。

『ボビー・キングは、子供時代からルイジアナ州レイク・チャールズに住み、プリザント・ヴァレイ・コングリゲイションの彼の父の教会で、12人いる兄弟姉妹たちとゴスペルを歌っていました。1960年代にロサンゼルスにやってきた彼は、テリー・エヴァンズとチームを組むまでは、いくつかの地域のゴスペル・グループで歌っていました。テリー・エヴァンズは、ミシシッピ州ヴィクスバーグ出身でロサンゼルスに住んでいます。ルイ・ジョーダンやその他のミュージシャンに曲を提供しました。大きく異なるバックグラウンドを持つ二人が出会い、アンカレッジからニューオーリンズまでの小さなソウル・クラブでのエキサイティングなステージ・ショウを通じて、田舎風のR&Bと南部のゴスペルのユニークなブレンドに到達しました。しかし、北アメリカを縦横に走るヴァンの旅は決して楽しいものではありません。次の町に行くのを十分クリアできるかもしれないし、町を通り過ぎてしまうかもしれません。ボビーとテリーはソウル・ハイウェイのベテランです。彼らは決して金持ちにも有名にもなりませんが、彼らの経験は深まり、音楽はさらに強くなっていきます。そのソウル・メッセージは「最善を尽くし、自分も生き、そして他人も生かしなさい。」です。ボビー・キングとテリー・エヴァンズは、「Live and Let Live」を生き、その生き様のように「Live and Let Live」を歌います。』

当時の音楽雑誌には、いろいろとこのアルバムの批評が載りました。その中で覚えているのは、ボビーのソロ2枚は、「あわよくばヒットを狙っていたが、このアルバムは最初から諦めている。」というもの。中村とうようさんのレビューは「勝手な思い込みだが、ゆったりしたゴスペルが聞けると思っていた。」というもの。あと、「実質ライのアルバムで二人はフューチャー・シンガーに過ぎない。二人がかわいそうだ。ライはギターを弾くべきではない」というものもありました。

自分が思うに、ヒット狙いは、レコード会社の問題で、ライナーにあるようにラウンダーを選んだ時点で、その点は度外視されています。そもそも「ヒット作を作ろう」でなく「良いアルバムを作ろう」というのがスローガンだったと思うのです。ゴスペル好きのとうようさんの思い込みはわからなくもありません。待っていたアルバムの内容が期待外れだったことは自分も多々ありました。ただ、このアルバムの目指す方向性は、ゴスペルでなく、サム&デイヴだったということなのです。「二人がかわいそうだ」というのも、よくわからないレビューです。確かに、このアルバムでライは目立っているけれども、主役はやっぱりヴォーカルの二人だし、ライのプレイが二人の良さを引き出しこそすれ、殺しているようには思えません。二人が信頼を寄せるライがプロデュースし自らギターを弾くことの、どこに不都合があるのでしょうか。ジェームズ・ブラウンも、自らがプロデュースし、女性シンガーをはじめとするレビューの面々のアルバムをたくさんつくってるし、身内のアルバムに最大限協力するのは、リーダーとして当然の行為だと思うのですが、いかがでしょう。

そして、「二人ともそれほど上手い歌手ではない」というレビューがあったのも全く解せませんでした。もちろん、オーティスをはじめとするトップ・シンガー達や、自分が前年に見たアル・グリーンやネヴィル・ブラザーズに比べれば、確かに技巧的には劣るのかもしれないけれど、88年ライ・クーダーのライブで見た二人の歌は迫力満点で、黒人音楽の素晴らしさを改めて再確認させられました。そう言えば、「こういうB級の人たちを日本で見られるのがたまらない」といったレビューも見たのですが、自分にとっては、どこがB級なのかよくわかりません。突き抜けるようなボビーのファルセットも、どっしりとしたテリーの歌声も、超A級のR&Bヴォーカルに思えます。

確か、ライ・クーダーの88年来日時だったかのインタビューで、「最近、テリーとボビーのアルバムを制作したんだ。最高だよ。もっとも耳がふさがっていたら、わからないだろうけどね。」といった内容のものがあったように記憶しています。この素晴らしいアルバムについては、ライの弁だけで十分のような気がします。

ロバート・フランシスの最新作のレビューなどにも書きましたが、テリー・エヴァンズは2018年1月、80歳で世を去りました。ご冥福をお祈りしたいと思います。

Doug Legacy and The Legends of the west / Christmas in the prison

dougprison大阪梅田に阪急東通商店街という繁華街がありまして、実にいろんなタイプのお店が並んでいて、自分が学生時代には輸入盤屋さんも複数あって、よく出かけたわけですが、南北方向の「東中通」との交差する角の2かいにV.I.C.というお店があって、ここでもちょくちょくレコードを買ったことを思い出します。このお店にライ・クーダーのコーナーがあって、いつも見慣れたLPが並んでいるわけですが、ある時見慣れないシングル盤がありました。レコードの主はダグ・レガシー、聴いたことのないミュージシャンですが、ジャケットはイラストに参加ミュージシャンの面々の顔写真を当てはめています。もちろん、ライ・クーダーの名前につられて購入しました。

レコードのタイトルは「Christmas In The Prison」。監獄のクリスマスです。イラストでは監獄の中の囚人たちを描いたもので、左端でカウボーイ・ハットをかぶっている人物が主役のダグ・レガシーと思われます。その隣でギターを抱えているのがライ・クーダー、ひとり置いてベースのホルヘ・カルデロン。右端でテーブルを囲んでいるのが、ヴァン・ダイク・パークス、ジム・ケルトナー、デヴィッド・マンスフィールドです。こんなすごいメンツでシングル盤を出すミュージシャンって一体誰だろうと思っていると、しばらくしてリリースされたフルアルバムのCDに中村とうようさんがライナーを寄せていて、その文書で正体がわかりました。彼はキーボード・テクニシャンでレコーディングやツアーの際の楽器調整役なんだそうです。ジャクソン・ブラウンらについて、来日経験も多々あるそうで、本名はダグラス・レイシーと言うんだそうです。とうようさんは、彼は本当はミュージシャンになりたかったけど、音楽関係の仕事についてコツコツお金を貯めて、このレコードを出したんじゃないかという推論を書いていました。

ライのテックス・メックス・マナー溢れるアコーディオンで始まるワルツ。ジョン・プラインの作品のカバーです。ゆったりとした曲調に、ダグのエモーショナルな歌声が重なります。とりたてて技巧的とかではない演奏なのでしょうけど、ケルトナーの控えめなドラミングに、タンバリンがかぶさり、カントリー・マナーのベースがボトムを支えます。名手のプレイによる心地よさは格別です。アコギのストロークの伴奏に乗せて、ライによるテックス・メックス調のアコーディオンが全編で、オブリガード、短い間奏と活躍するのです。1995年のクーダー・リンドレー・ファミリー・バンドの来日公演をご覧になった方なら、「Tne Girl From Texas」でライが達者なアコーディオンを弾いていたのを目の当たりにされたでしょう。フラーコ・ヒメネスの手ほどきを受けただけあって、ライの蛇腹さばきもなかなかのものですよね。でも、マンスフィールドのフィドルとヴァン・ダイクのピアノ、そしてスティール・ドラムはほとんど聞こえません。アコギのクレジットがありませんが、誰が弾いているのでしょうか。この曲のプロデュースはライ・クーダーが担当です。

B面は「Christmas On The Range」。かの名曲、「The House of Range」にちなんだ曲名でしょうか。ボブ・ウィルスの曲とは違うようです。作曲クレジットはSimon-Tabias-NeweIIとなっています。ペーパージャケットは両方A面のような感じで、こちらのイラストは雪の降る中、馬に乗った男が峠の家に向かっている様子です。かなり陽気な演奏で、イントロのデヴィッド・マンスフィールドのフィドルのフレーズもとってもイカしています。こちらではヴァン・ダイクがカントリー調の転がるピアノを弾いているし、その隙間をスティール・ドラムが埋めているし、とにかくご機嫌な演奏です。間奏でもフィドルが活躍、その背後でテンションを交えたアコギのストロークを弾いているのがライ・クーダーですが、ここでは他のミュージシャンを立てて、自身は全然目立っていません。もちろん、リズム隊もタイトなプレイです。エンディングはスティール・ドラムと口笛がジングル・ベルのメロディを奏で、ピアノとフィドルで静かに終わります。こちらの曲のプロデュースはライ・クーダーとヴァン・ダイク・パークスです。

スティール・ドラムのジム・アンフライドとパーカッションのレックス・ゴルストンの二人は、あまり馴染みのないミュージシャンですが、ジムさんの方はダグのアルバム以外では1998年のディレイニー・ブラムレットのアルバムにも同じくスティール・ドラムで参加しているのを発見しました。

アクースティックな楽器だけで、ノスタルジックな雰囲気に仕上げられた両曲。CDが普及し始めたこの時期に、あえてシングル盤で自主制作のような形でのリリース。ダグ・レガシーという人はなかなか一筋縄ではいかない人のようですね。「Christmas In The Prison」の方だけは、翌年だったかにリリースされたアルバム『Hey You!』に収録されていました。ダグは、数年後ルイジアナのザディコ・ミュージックにかなり傾倒したセカンド・アルバムを発表しますが、こちらでもライ・クーダーは活躍しています。そのアルバムのレビューは、またいずれ…。dougrange

Robert Francis / Amaretto

robertamaretto2018年のライ・クーダーの北米及びヨーロッパ・ツアーにベーシストとして同行したロバート・フランシスは、ヨアヒム・クーダーの義弟です。すなわち、ヨアヒムの奥方ジュリエットの弟なのですが、彼は2007年に19歳でソロ・デビューを果たし、2009年にはアトランティックからセカンドを、2012年にはサードをリリースしています。この3枚にはライ・クーダーがゲストとして参加していて、このブログでも取り上げています。とてもいい声と才能を持ったシンガー・ソングライターで、ギター、ベースなど複数の楽器を操るマルチ・ミュージシャンです。最近は配信という音楽発表手段が増え、フル・アルバムかミニ・アルバム、マキシ・シングルなど、発表形態も様々になってきましたが、この作品は彼にとって8作目のリーダー作のようです。おそらく4作目以降にはライ・クーダーの参加は無いようですし、2014年にリリースされたアルバム『Heaven』は、Robert Francis & The Night Tideというバンド名義になっています。2015年のミニ・アルバム『Valentine』は、本人は楽器は弾かず、ジャズ・カルテットをバックにボーカリストとしてジャズのスタンダードを歌っています。2016年にもミニ・アルバム『Fire Engine Red』をリリースしていますが、元のシンガー・ソングライター路線に回帰しています。2017年にはフル・アルバム『Indian Summer』を発表しており、順調なアルバム・リリースが続いています。

本作は、昨年(2020年)にリリースされたと思っていたのですが、LP盤には2018年のクレジットがありますね。もしかしたら、その時期はリサーチ不足でCDを手に入れ損なったのかもしれません。おおむね前作のオルタナ・カントリー路線を引き継いだ音作りがなされています。アルバムにはロバートがプロデュースした本編7曲と、マーティン・プラウドラーがプロデュースしたボーナス・トラック3曲の全10曲からなりますが、配信音源ではさらに11曲目が入っています。自分はCDを発見できなかったので、LPを入手しましたが、LPは10曲入です。本編は2018年に、東ナッシュビルの自分のガレージで1インチ・8トラックのテープで録音したとあります。と、いうことは今ロバートはナッシュビル在住なんですかね。ボーナス・トラックの方はバーバンクのオーシャン・スタジオと、ロス・フェリズ(グリフィス天文台の麓の町、イースト・ハリウッドの北東)のアッシャーズ・ハウスで録音されています。おそらく、レコーディング・メンバーのアッシャー・サイモンの自宅ということなのでしょう。こちらのロサンゼルス録音にライ・クーダーとテリー・エヴァンズ、そしてヨアヒム・クーダー、フランシスの姉、カーラ・コマジェアが参加しています。と、いうことは、こちらも2017年のうちには少なくともテリーの歌だけは録音されていたことになります。テリーは、8・10曲目の2曲のみの参加です。

1曲目はマンドリンやバンジョーも入っている軽快なポップ・カントリーですが、曲調はジャクソン・ブラウンのそれを強く感じさせます。2曲目はバラードですが、こちらもジャクソンの曲と言われてもわからないくらいです。もちろん二人ともロサンゼルス・ネイティブでしょうから、口調とかが似てしまうのは仕方がないのでしょうけど。でも、とってもいい曲なので、その程度のことでとやかく言わない方がいいと思っています。ジャクソンの良き後継者ができたと思うべきかもしれません。3曲目がタイトル・トラック。この曲も落ち着いたバラードですが、ペダル・スティールが、スティール臭くない浮遊感溢れるフレーズを紡ぎます。

4曲目は、再びアップテンポとなりますが、結構落ち着いた演奏です。ハーモニカも聞こえてきますが、この曲もカントリー臭が希薄です。でも、ジャンルとしたらオルタナ・カントリーに括られるのかもしれません。5曲目「Mendocino」は、ダグ・サームにも同じタイトルの作品がありましたけど、もちろん別の曲。この曲の出だしのアクースティック・ギターがフレージングといい、タイム感といい、ライ・クーダーが弾いているのかと錯覚させるのですが、おそらくロバートが弾いています。まぁ、弟子のプレイが師匠に似るのは致し方ないところですね。ファルセットを巧みに使った素敵なバラードです。「Mendocino」はテキサスでもナッシュビルのあるテネシーでもなく、カリフォルニアの郡名のようです。

LPだとB面1曲目になりますが、「Dreaming Man」もアコギの素敵なバラードです。この曲ではロバートはかなり情感を込めて力強く歌っています。続く「First Time」は、ミディアム・テンポのカントリー・タッチなナンバーです。これもオルタナ・カントリーの範疇に入る演奏でしょう。ドラムやペダル・スティールも通常のカントリー・マナー寄りだったりします。

ここから、いよいよ、マーティン・プラウドラー・プロデュースのボーナス・トラックです。

8曲目「Snakes On The Grass」
マイナー・キーのソウルフル・ナンバー。ロバートもソウル・シンガーのように熱唱し、サビではリアル・ソウル・マン、テリー・エヴァンズの熱いコーラスが入ってきます。ライは哀愁漂うエレクトリック・リード・ギターを弾いている模様。とても存在感のある素敵な演奏です。

9曲目「Country Bar」
トゥワンギーなエレキ・ギターで始まるアップテンポのナンバー。この曲もマイナーキーです。ペダル・スティールも活躍しますが、アコギも含めると4本くらいのギターが入っています。ライのギターは左チャンネルから聞こえてくる、わずかに歪んだギターのようです。アンサンブルの中でも際立って聞こえますが、あくまでも裏方に徹しています。間奏はブルー・グラッサーでレスター・フラットやジョニー・キャッシュのバックバンドに在籍していたマーティ・スチュアートによる鬼気迫るマンドリン・ソロです。このプレイがとてつもなくかっこいいです。この曲にはコーラスは姉のカーラが参加しています。

10曲目「Other Side of Heaven」
1曲目と同じ曲ですが、アレンジが変わると随分おもむきが違って聞こえます。ミディアム・テンポに料理され、やはりカントリー色が比較的希薄です。ロバートの歌いまわしは、こちらの方がダークな感じですね。1番が終わった後の間奏から存在感を増してくるアクースティック・ボトルネック・ギターがライのプレイです。エンディングでは、味わい深いソロもあります。テリー・エヴァンズはこの曲ではうっすらとファルセットで「ウーウー・コーラス」を入れている模様。曲の最後では少しばかり地声のコーラスも聞こえてきます。このアルバムとライの『The Prodigal Son』が、テリーにとって生前最後の録音になったのかと思うと、感慨深いものがあります。もう一度テリーの力強い歌唱を生で聴きたかったものです。

11曲目「Bad Evidence」のパーソネルはわかりませんが、おそらくナッシュビル・セッションのアウトテイクと思われます。バンジョーの響きが心地よいですが、薄く入っていて余り自己主張していません。パーカッションが割合複雑なので、ヨアヒムのプレイかとも思ったのですが、パーソネルから考えるとブラッド・カミングスのプレイなのでしょう。

以前にも書いたかもしれませんが、彼の曲や歌には、ディランやスプリングスティーン、ジャクソン・ブラウンの影響が見られますけど、今回は特にジャクソンの影響が強いように感じます。自分はジャクソン大好き人間なので、こういう方向性は大歓迎です。このアルバムは、ロバートの成長を物語る佳作で、何度聴いても飽きない好盤です。彼が19歳でデビューしてから、早14年を数えます。もう彼も30代前半となっています。一度ロバートのライブを体験してみたくなりますよね。

このアルバムは、ロバートの亡き父、ロバート・フランシス・コマジェアに捧げられています。

以下にパーソネルを記しますが、LPに示されたクレジットは間違っています。ボーナス・トラックは8〜9曲目なのですが、クレジットでは7〜9曲目となっています。こちらでは「正解」のクレジットを記しておきます。

Robert Francis : Vocals, Guitar, Piano, Mandolin
Drew Phillips : Guitar, Mandolin, Banjo, Vocals
Shane Smith : Bass
Tom Hampton :Pedal Steel, Mandolin, Banjo, Lap Steel, Vocals
Brad Cummings : Drums, Percussion
Leslie Stevens : Harmonies
Eric Fuller : Tambourine
Andrea Zone : Violin

Produced by Robert Francis
All Songs Engineered by Shane Smith
Assistant Engineer : Eric Fuller
Mixed By Shane Smith
Bonus Tracks Mixed by Martin Pradler
Mastered by Pete Lyman At Infrasonic East
Photos by Alison Scarpulla Cover Design by Anne Kelly

Marty Stuart : Mandolin (9)
Ry Cooder : Electric Guitar, Acoustic Guitar (8, 9, 10)
Terry Evans : Vocals (8,10)
Larry Taylor : Upright Bass (8, 10)
Mike Bolger : Trumpet (8)
Dave Pearlman : Pedal Steel (9, 10)
Asher Simon : Ambient Pedal Steel (10)
Joachim Cooder : Drums (8, 10)
Richard Gowen : Drums (9)
Ian Sloane : Bass (9)
Carla Commagere : Harmonies (9)

Tracked Live in my garage to 1 inch 8 track tape, East Nashville, 2018.
Bonus Tracks Recorded at Ocean Studios, Burbank and Asher’s House, Los Feliz

All Songs Written By Robert Francis
You Can’t Shoot A Man Born to Hang (ASCAP)

In Memory of My Father Robert Francis Commagere (1944 - 2017)

Joachim Cooder / Over That Road I'm Bound

joachimoverライ・クーダー&ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ・ファンの皆さまに朗報です。発売から25周年を記念して、あの名盤『Buena Vista Social Club』の記念盤が9月にリリースされます。楽しみですね。内容はまだ詳らかではありませんが、CD2枚とLP2枚のボックスセットです。CDとLPの内容は多分同じだと思います。別にCD2枚のバージョンも出るみたいだし、もちろん配信でも聴けます。この機会にブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブの音楽に再び光が当たるといいですね。私は某大手通販で予約をしました。

このところ、配信が全盛のせいか、パッケージ商品があまりたくさん作られないようです。CSN&Yの『Deja Vu』のデラックス盤と、ジョン・ハイアット&ジェリー・ダグラスの新作CDを早めに予約したつもりだったのに、どちらも「一時的に在庫切れ; 入荷時期は未定です」状態になりました。そのサイトでは『Deja Vu』の方は随分先になるけど入荷の見込みがついたようですが、ハイアットの方は未だに入荷の見込みが立っていないようです。

さて、前置きはこれくらいにして、そのブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ時代に相当なパーカッションの武者修行をしたであろう、ライ・クーダーのご子息、ヨアヒム・クーダーのおそらくセカンド・アルバムで、昨年(2020年)にリリースされていたものです。リリース当初から気に入ってよく聴いていて、早くレビューしたかったのですが、今頃になってしまいました。

ヨアヒムがリーダー作を発表するに至った経緯は、前作『Fuchsia Machu Picchu』のレビューに書いたので繰り返しませんが、2017年にそのアルバムを制作してから、ヨアヒムは頻繁にライブ活動を行なっており、2018年か2019年には日本にも来たんじゃないかと思います。こうして、創作意欲が旺盛になってきたヨアヒムがこのアルバムで取り上げたのは往年のエンターテイナー、アンクル・デイヴ・メイコンの作品です。その名前を聞いても、あまりピンと来なかった自分ですが、そういえば、ウッドストック・マウンテン・レビューのアルバムでジョン・セバスチャンとハッピー・トラウムによって、メイコンさんの「Morning Blues」が取り上げられていましたっけ。それから、あのハリー・スミスのアンソロジー『American Folk Music』にも、彼の作品が2曲収録されていました。ボードビリアン出身のメイコンは、バンジョー弾きのエンターテイナーとして戦前かなり活躍していたようで、1870年の生まれ、1952年に81歳で亡くなるまで音楽活動を続けていて、晩年は息子でギタリストのドリスを従え、テレビに出演した映像も残されています。

さて、前作は自主制作のようですが、このアルバムは父も在籍していたノンサッチからのリリースです。この作品が作られるようになった経緯については、ヨアヒム自身がインタビューで次のように述べています。

「父は、僕が子供の時よく椅子に座ってバンジョーを弾きながら、たくさんの歌を歌っていた。よく歌っていた歌の一つがアンクル・デイヴ・メイコンの「Morning Blues」だったんだけど、その頃僕はデイヴについて何も知らなかった。おそらく、父が思いつくままに歌っていた曲の一つが「Morning Blues」だったんだろう。数年前、僕は自分の子供たちを両親の家に連れて行った。そこで、父が再びあの曲を演奏しているのを聞いた。僕は「その曲なんだったっけ?」と尋ねたら父は『アンクル・デイヴ・メイコンのMorning Bluesだよ。』と教えてくれた。僕の娘も、その曲をとても気に入っているようだった。僕は、よし、自分の大きなエレクトリック・ムビラで演奏してみよう、と思ったんだ。そして、オリジナルになかったコードを加えながら、ムビラでデイヴ・メイコンの曲を演奏すると娘も喜んだんで、僕は次々と彼の曲を覚えていった。それで、このアルバムを録音することになったんだよ。」

ヨアヒム本人が父の影響で、アンクル・デイヴ・メイコンの音楽に親しんでいたように、ヨアヒムの娘パロマも、祖父ライ・クーダーの歌でメイコンの音楽に親しんだことから、このアルバムが作られることになりました。おそらく、ライ本人はメイコンの作品を録音していなかったと思いますが、こうして1870年生まれのシンガーの作品が2010年代生まれの子供たちに受け継がれていくのは、何とも嬉しいことではありませんか。何でも、パロマはメイコンの歌詞を聞き取って面白くて笑っていて、他の曲もやって、とせがんだために、ヨアヒムはどんどんとレパートリーを増やしていったそうですから、歌の力ってすごいな、と思います。ヨアヒムの親バカぶりも微笑ましいですが。パロマの世代になると、古い音楽も最近の音楽も分け隔てなく聴けるみたいで、インタビュアーの娘さんも4歳くらいで、「僕の娘も、ボ・ディドリーはいつ町に来るの?」とか無邪気に聞くそうで、インタビュアーは「ディドリーさんは、ずっと前に死んじゃったんだよ。と答えてる。」と言ったら、ヨアヒムは、「彼らはいつ町に来るの? って素敵だよね。」と相槌を打っていました。ちなみに、ヨアヒムは「my kids」と複数形にしているので、子供はパロマ以外にも少なくとももう一人いるのでしょう。そのあたりが、ジュリエットの音楽活動が停滞している理由何でしょうけど、彼女もいずれ、シーンの最前線に復帰してくれるものと思います。

そのインタビューの話を続けますが、デイヴ・メイコンの音楽はバンジョーの弾き方りがメインなので、とてもパーカッシヴであり、本来パーカッショニストであるヨアヒムは、そのビートを尊重した音づくりを行なったようですが、聞こえてくる肌触りはまるで違っていて、ヨアヒムの作品はサウンドもボーカルも、口当たりがかなり柔らかなものです。それからもう一つ、ヨアヒムが特殊なムビラを弾くようになったのは、ライ・クーダーが特注したフロア・スライドという楽器を作った製作者を通して、ビル・ウェズリーというムビラ製作者と出会ったことがきっかけになったそうです。それはアレイ・ムビラ(配列ムビラ)と呼ばれ、プロトタイプは25年くらい前に作られたホロウ・ボディのもので、かなり大きな箱をベースにしていました。6年前に今使っているソリッドのものが開発され、ギター・アンプに繋いで歪ませたり、他のエフェクターをつないで素敵なサウンドを得ることができるようになって、彼は歌を書き、歌い始めたのだそうです。

ヨアヒムの前作は、自作曲が中心でしたが、今回はタイトルにあるように、アンクル・デイヴ・メイコンの作品の現代的解釈です。ヨアヒムも40歳を過ぎて、納得のいく楽器を手に入れたことにより、父の辿った道を違うアプローチで進み始め、100年という時空を超えた作品に新たなアレンジを加えた作品を発表することになりました。そのきっかけを作ったのが父と娘というのも、何ともクーダー・ファミリーらしいですよね。

それでは、収録曲についてみていきましょう。

1曲目は「Over That Road I’m Bound To Go」。いきなりタイトル曲です。ヨアヒムが織りなすムビラの響きとパーカッションが軽快なサウンドを奏でます。セカンド・ヴァースからフィドルが参入、間奏・エンディングでもフィーチャーされますが、ダン・ゲラートとレイナ・ゲラートの親子共演です。この曲のサビからはバンジョーが入ってきますが、この曲のみバンジョーはダン・ゲラートの演奏です。この方、何だか名前に聞き覚えがあると思ったら、2013年にリリースされたウッディ・ガスリーの生誕100年記念コンサートで、ライと共にアーニー・ディフランコのバックをつけていた人でした。この時も彼はフィドルを演奏していました。ライはおそらくベースを弾いているのでしょう。サビではヨアヒムと妻ジュリエットの幻想的なコーラスを聞くことができます。フィドルのおかげて、カントリーの雰囲気が漂うのですが、どこかアメリカではない、異国の音楽のような味わいがあります。

2曲目は「When Ruben Comes To Town」。この曲は、前曲に比べるとややテンポが落ちますが、やはりフィドルが活躍するカントリー・タッチのナンバーです。 ここで聴かれるアコギのコードストロークはライの手になるものでしょう。エンディングでジュリエットのボーカルが象徴的に響きます。

3曲目、「Come Along Buddy」は、さらにテンポが落ちてバラードの範疇に入る曲でしょう。この曲のリズムトラックはライの『The Prodigal Son』収録曲に通じるものがあります。この曲はプロモーション・フィルムも撮られていますが、そこでもジュリエットが美しいコーラスを聴かせてくれますし、サム・ゲンデルはステージでも弾いていたソリッド6弦の楽器でベース・ノートを奏でています。バンジョーを弾いているのはもちろんライ。間奏やエンディング近くで少々演奏が目立ちますが、基本的にはバックアップに徹しています。なんとなくですが、ライのバンジョーから琉球の香りも漂ってくるようにも感じられます。

4曲目「Oh Lovin’ Babe」は、ヨアヒムのパーカッションで始まる印象的なメロディを持つミディアム・テンポのナンバーです。アリ・ファルカ・トゥーレの息子、ヴィユーによる北アフリカの砂漠の香りが漂うギターのオブリが特に目立っています。おそらくライはベース担当でリズムを引き締めているのでしょう。

5曲目の「Tell Her To Come Back Home」はアルバムの中でも最も美しいバラードと言えるでしょう。サビの夫婦のハーモニーが美しすぎます。間奏のバンジョー・ソロも美しい。複弦のように聞こえるので、これもマンド・バンジョーかもしれません。 後半に出てくるフィドルのソロも素敵。ムビラよりバンジョーが目立ってます。アルヴァン・R・ブラウンという人の曲ですが、この人のことや、アンクル・デイヴ・メイコンとの関わりについては分かりませんでした。

6曲目「Backwater Blues」はフィドルとゴングで宗教音楽のように始まります。ミディアム・テンポの心地よい曲ですが、高音の弦楽器は何でしょう。ライがワイマン・ベース改造のマンドセロにカポをつけて弾いているのかな。ちょっとアフリカっぽい響きです。エンディングではフィドルも活躍。低音が出ている歪んだ弦楽器のような音は、アミール・ヨグマイによるトルコ系の楽器ヤリ・タンブールです。

7曲目「Rabbit In The Pea Patch」はフィドルのリフで軽快に始まるカントリー・タッチのナンバーです。左チャンネルのカーター・ファミリー・ピッキングのアコギがライの手によるものでしょう。

8曲目「Morning Blues」は、この作品集の中で、自分が以前から知っていた唯一の曲です。この曲にもフィドル入っていて聴きやすいですが、原曲とはかなり雰囲気は異なっています。あと、サビで上のコーラスを歌っているはライです。また、このチューンでサム・ゲンデルがベースを担当していますが、ライの演奏する楽器の音色は聞こえないようです。

9曲目「All In Down And Out」はバラードでムビラのリズムだけで始まる静かな曲です。ここでも夫婦のコーラスが美しいです。途中からライのバンジョーが入ってきます。控えめなプレイですが、間奏では比較的長いソロが聴かれます。テクニック的には何ということはないプレイかもしれませんが、この味わい深さは格別です。

10曲目、「Heartaching blues」はライのバンジョーがリフを刻みます。サビは父子コーラスです。フィドルはゲイトマウス・ブラウンを思わせるブルージーなプレイ。ライは間奏とエンディングでマンド・バンジョーのソロを重ねています。このフレーズから、何となく日本的なメロディが連想されるのは自分だけでしょうか。アルバムの中で最もプルース色の強いナンバーです。

11曲目は美しいバラード「Morry Married A Traveling Man」でライは弦楽器を多重録音していて、アクースティック・ギターを右に、バンジョーを左よりに配置しています。間奏ではアコギのボトルネック奏法が一瞬だけ出てきます。これもライらしいプレイです。グレン・バチャのポンプ・オルガンは、あくまでも控えめにドローン音を響かせていますし、レイナ・ゲラートのフィドルもブリッジなどて少しだけ存在感を見せますが、脇役に徹して曲の輪郭を際立たせています。コーラスは、本人、ジュリエット、ライの三人のようです。

ラスト・ナンバーの「When The Train Comes Along」は、ゴスペルによくあるトレイン・ソングですが、バック・トラックはヨアヒムがルーパーやエフェクターを駆使してほとんど一人で作っているようで、ライの弦楽器は使われていない模様ですが、ブリッジでグレン・バチャの控えめなピアノの響きを聞くことができます。浮遊感漂う美しいサウンドに乗せて、本人、妻のジュリエット、父のライの三声のコーラスがとても美しく響きます。ラストを飾るのにふさわしい名演でしょう。

そうそう、CDのブックレットの写真には、ヨアヒム、ジュリエット、ライ、レイナ・ゲラート、サム・ゲンデルが写っています。あと、スキンヘッドでPCを扱っている人物も写っていますが、彼がマーティン・プラウドラーなんでしょうか?

以上見てきたように、ヨアヒム初のフル・アルバム。非常に充実した内容です。彼のボーカルは確かに父君よりさらに頼りない感じですが、それを補って余りある彼独特の音世界が展開しています。おそらくこのアルバムも噛めば噛むほど味が出るスルメ盤。すでに自分は彼の歌声にも愛着を感じ始めています。

さて、ロサンゼルスにスカーボール・カルチュアル・センターという施設があります。この施設ではコロナ禍で集客ができなくなったので、地元のミュージシャンなどに声をかけ映像配信をしています。その中で、ヨアヒム・クーダーとテネシー州ジョンソン・シティの個性的なシンガー・ギタリスト・アミシスト・キアーが約45分に編集されているものがあります。インタビューと演奏などを収めたもので、ヨアヒムとライ、クーダー父子の演奏が5曲収録されていました。うち1曲は前作のタイトル・トラックですが、それ以外の4曲はこのアルバムに収録されていたものです。そこでのライの担当楽器は以下の通りで、必ずしもアルバムで演奏していた楽器を弾いているわけではないようです。とても見応えがある映像作品ですよ。

■「Come Along Buddy」バンジョー
■「Heartaching blues」マンド・バンジョー
■「Morry Married A Traveling Man」ワイマン・ベース改造のマンドセロ。
■「Morning Blues」ワイマン・ベース改造のマンドセロ。

アメリカやイギリスではワクチン接種もかなり進み、日常が随分戻ってきているようです。ヨアヒムは11月にサム・アミドンをゲストにUKツアーを予定しています。来年あたり、父上と奥様を含むメンバーで来日公演とか、やってほしいものですね。

Produced & Arranged by Joachim Cooder

Engineered, Mixed & Mastered by Martin Pradler

Recording Dates / January - March 2019
Recorded at Zegema Beach, Santa Monica, CA
Wireland, Chatsworth, CA
Joachim Cooder / Vocals, Array Mbira, Percussion
Ry Cooder / Banjo, Guitar, Bass, Backing Vocals
Rayna Gellert / Fiddle
Juliette Commagere / Backing Vocals
Sam Gendel Bass “Come Along Buddy” & “Morning Blues”
Glenn Patscha / Piano “When The Train Comes Along” / Pump Organ on “Molly Married A Traveling Man” & “All in Down And Out”
Amir Yoghmai / Yali Tambur on “Backwater Blues”
Dan Gellert / Banjo& Fiddle “Over That Road I’m Bound To Go”
Vieux Farka Toure / Guitar “Oh Lovin’ Babe”

Tall Tales & Legends : Annie Oakley / music by Ry Cooder

annieoakley1985年に放送されたアニー・オークリーのテレビ・ドラマの音楽をライ・クーダーが担当していましたが、うっかり紹介するのを忘れていましたので、ちょっと紹介順が前後しますが、ここでご紹介したいと思います。

アニー・オークリーは実在の人物で、1860年生まれで1926年に66歳で亡くなっています。まさに南北戦争直後の時代、日本で言えば明治・大正時代を生きた方です。早撃ちの名人で、バッファロー・ビルの主催する「ワイルド・ウエスト・ショー」の看板スターとして活躍しました。彼女をテーマにした映像作品は何度もつくられています。最初は1935年に映画が撮られました。1946年にはアーヴィング・バーリンが音楽を担当したミュージカル「アニーよ銃をとれ」も上演され、それを元にした映画もつくられました。1954〜1956年にはアメリカでテレビ・ドラマ「アニー・オークリー」が放送され人気を博しました。主演は当時新進女優だったゲイル・デイヴィスでした。このドラマは日本でも放送されたようですが、このドラマは史実とはかけ離れ、アニーの名前だけを借りた西部劇だったそうです。また、1976年にはアニーも登場する映画「バッファロー・ビルとインディアン」が公開されました。

1985年、子供向けの作品にも強い関心を示していた女優のシェリー・デュヴァルは、アメリカ民話の実写化を行う『Tall Tales & Legends』のシリーズ開始しました。以前の『フェアリーテール・シアター』と同様、このシリーズでは有名なハリウッド俳優がデュヴァルと共に番組ホストや製作に参画、ときにゲスト俳優として出演しました。シリーズは9つのエピソードを放送し、エミー賞にもノミネートされました。その中の1話が、この「アニー・オークリー」で、主演のオークリー役は、ジェイミー・リー・カーティス、夫のフランク・バトラー役はクリフ・デ・ヤング、バッファロー・ビル役はブライアン・デネヒーが演じました。また、シェリー・デュヴァル自身も解説役としてドラマの冒頭に登場します。監督はマイケル・シンゼイ・ホッグ、脚本はバメラ・ペットラーです。このドラマの音楽をライ・クーダーが担当しています。

まあ、「Tall Tale」と銘打たれていることから、誇張は多いでしょうけど、ドラマのあらすじを簡単に紹介しましょう。アニーはオハイオの生まれ。父親は早くに亡くなり、子供の頃から鴨を撃つなど、射撃で家計を助けていました。1875年、アニーが15歳の時、シンシンナティの射撃大会で、名手として有名だったフランク・バトラーを打ち負かし優勝しました。ドラマでは、アニーがフランク・バトラーに挑戦してその腕を認められ、その縁でフランクとアニーは結婚することになります。二人はアメリカ各地の射撃ショーを回りますが、移動中の列車の中で夫婦でアニーの芸名を考え、車掌が車内に告げる停車駅の中から「オークリー」の名が選ばれます。二人は1885年にバッファロー・ビルのワイルド・ウェスト・ショーに加入。彼女は花形スターになり、1887年のイギリス公演ではビクトリア女王の前で射撃の妙技を見せます。フランクは裏方となり、彼女のマネージメントや標的役を演じました。史実ではドイツでウィルヘルム王子がくわえたタバコを撃ち落としたことになっていますが、ドラマではフランクのくわえタバコを撃ち落としています。史実では、ワイルド・ウェスト・ショーの一行は1901年に鉄道事故にあい、アニーは重症を負って第一線を退きますが、そのことは、このドラマでは触れられていなようです。

こういったあらすじですから、当然使われている音楽はフォークやヒルビリー系です。エンドロールには、「ミュージック・コンポーズド・バイ・ライ・クーダー」となっており、劇中に使われているインスト・ナンバーはライの作品ということになっています。しかし残念ながらブレイヤーのクレジットはありません。ドラマのメイン・テーマは、シャッフルのリズムを持つカントリー調の曲です。ライ・クーダーの軽快なアクースティック・ギターで始まり、セカンド・ヴァースはハーモニカがリードをとります。コードがマイナーに変わるサビではフィドルが大活躍ですが、音色からデヴィッド・リンドレーかも知れません。そのバックではマンドリンも色を添えています。最後のヴァースでは再びハーモニカが登場します。この曲のギターはガット・ギターのようです。

ドラマは、生まれたばかりのアニーが面倒をみていた姉に水鉄砲を浴びせるシーンから始まりますが、その後、シェリー・デュヴァルが解説するバックで流れる美しいワルツのナンバーでもライ・クーダーの素敵なアコギを堪能することができます。曲調はまるでスティーヴン・フォスターの曲のよう。最後の方ではフィドルも加わっています。このサブ・テーマもドラマで繰り返し使われます。このドラマでは、ライの定番、ボトルネック・ギターはほとんど聞こえてきません。アニーの芸名を決める際の列車の中のシーンでは、ピアノとアコギだけで、ファンキーなリズムを叩き出しています。このピアノはジム・ディッキンソンでしょうか。列車のシーンの後半、バッファロー・ビルのショーに参加できるか試してみようか、という夫婦の会話が交わされるあたりでは、低音の効いたボトルネック・ギターが少しばかり聞こえてきます。

ワイルド・ウェスト・ショーに参加して、バッファロー・ビルがアニーを紹介するシーンでは前半にマイナー・キーのホーンセクションの曲、後半ではメジャー・キーのバイオリン・ナンバーが出てきます。このあたりのオーケストレーションのバイオリンは、リンドレーではなさそうです。ネイティブ・アメリカンのチーフが一座に加わるシーンの後、当時の実写フィルムが使われナレーションが入りますが、ここではハーモニカがリードをとる軽快な曲が流れます。

ネイティブ・アメリカンのチーフがアニーを諭すシーンでは、美しいエレピのソロが流れます。このソロは途中からサブ・テーマになりますが、このピアノを弾いているのは、デッキンソンでしょうか、それともヴァン・ダイクでしょうか。何となく後者のような気がするのですが、時期的には『Paris, Texas』にも近いしディッキンソンかもしれませんね。

アニーがフランクのくわえたタバコをうち飛ばすシーンの後、場面転換ではライが『Jazz』で取り上げた「The Dream」が使われています。ここでのリード楽器はおそらくトロンボーンで、ライのボトルネックではありませんでした。この後、ドラマではマーク・トゥエインやトーマス・エジソンもアニーに会いにきます。そして、ワイルド・ウエスト・ショーはイギリスに遠征することになります。そのシーンでは、やはりホーンが中心の行進曲が使われています。アニーたちがロンドンを訪れている間に、ドイツから招待が来て、アニーとフランクはバッファロー・ビルと袂を分かちショーを離れドイツに行くのですが、このシーンではアコーディオンとバイオリンをフューチャーした短いワルツが使われています。

ドイツから帰国したニューヨークの二人の部屋を、バッファロー・ビルが訪ねるシーンでは、ごくごく短いライのアコギ・フレーズがジングルとして使われています。二人がワイルド・ウエスト・ショーに復帰して、母や姉夫婦を招いたショーでは、ラグタイム調のバンド演奏が流れますが、これもライの『Jazz』を彷彿とさせます。ショーの後、アニーとビルが本当に仲直りをするシーンから、エンディングの二人の会話のシーンにかけでは、エレピで演奏されるサブ・テーマが使われます。エンド・ロールでは、再びメイン・テーマが使われ、約50分のドラマは幕を閉じます。

このドラマの音楽は、確実に『The Long Riders』と『Jazz』の延長線上にあり、後のラビット・イヤーズ・プロダクションの『Pecos Bill』の音楽につながっていきます。このドラマのサブ・タイトルのメロディを少し変えると、『Pecos Bill』収録の「A Cowboy’s Prayer」になります。こういった「カウボーイもの」に大仰な音楽ではなくリアルな雰囲気のサウンドを与えらる名手として、ライ・クーダーはこの頃の映画やテレビなどメディアで信頼を勝ち得ていたことがわかります。今はYoutubeに、このドラマの動画が全編上がっていますよ。

Nancy Sinatra / Cherry Smiles-The Rare Singles

NancySinatraCherrySmiles不覚でした。ナンシー・シナトラがカバーしたノーマン・グリーンバウムの「Hook and Ladder」にライ・クーダーが参加し、アクースティック・ギターとマンドリンを弾いていることは、このブログでもずーっと以前に取り上げたのですが、ライ参加曲は他にもありました。
 2009年に『Cherry Smiles-The Rare Singles』というアルバムが出ておりました。1970年代はじめ1980年までにリリースされた彼女のシングルのコンピレーションなのですが、不覚にもCDを買いそびれてしまいました。データはダウンロードで購入したのですが、ライナーはチェックできていません。そんなわけで、パーソネルとかがわからないのですが、米版Wikipediaには、全曲のリリース年とA面、B面どちらに収録されていたかが書いてあります。それによると、このコンピの13曲目「Is Anybody Goin’ to San Antone?」が、アンディ・ウィッカムとレニー・ワロンカーのプロデュースで「Hook and Ladder」のB面として1971年にリリースされていたのです。

ライ・クーダー参加曲は、この「Is Anybody Goin’ to San Antone?」です。そうです。ダグ・サームが、あのアルバム『Doug Sahm & Band』の冒頭に収められていた、あの楽しいナンバーです。もともとは数少ない黒人カントリー歌手チャーリー・プライドが1970年にヒットさせた曲で、ナンシーの方が先に取り上げているわけです。この時期、ライはまだテックス・メックスには目覚めていなかったでしょうけど、Doug Sahm & Band』にはフラーコ・ヒメネスも参加しているし、なんだか彼の目をテキサスの国境地帯に向かわせる伏線になったのだとした面白いですね。

ナンシーのこのバージョンは、ダグやチャーリーのアレンジより大人しめで、バラードのようにスタートします。ライは、この曲で少なくとも2本のアクースティック・ギターをオーバー・ダビングしていて、1本はボトルネックを使わないイントロとバッキング、もう1本は1番のサビから入ってくるボトルネック・ギターです。どちらのギターも、いかにもライらしい素敵なフレーズですが、ボトルネックの方は彼にしては、かなりカントリーに寄った演奏。短いながらブリッジでソロも2回出てきます。2番からはリズムも強調されますが、うすく入っているアコーディオンやウィッカムのペンになるであろう美しいストリングスも印象的です。でも、演奏の主役はなんと言ってライのギターです。探せば、まだどこかに埋もれたセッション参加作があるかもしれませんね。

アルバムのラストに収録された「Glory Road」は、ニール・ダイヤモンド作の壮大なバラードです。やはりアンディ・ウィッカムとレニー・ワロンカーのプロデュースで1971年にリリースされています。出だしは、アクースティック・ギター2本で始まります。右チャンネルのギターはライのような気もするのですが、確証はありません。この曲でもアコーディオンやストリングスが使われ、「Is Anybody Goin’ to San Antone?」と同じパーソネルで録音されたように思えるのですが、資料がないのでなんとも言えません。ここで聴かれるギターのフレーズは「Is Anybody Goin’ to San Antone?」に比べると、平凡なので、ライでなくても十分弾けるとは思うのですが、右チャンネルのギターのタイム感などから、なんとなくライのプレイのように思えるのです。

他の収録曲も結構興味深いです。プロデューサーはリー・ヘイズルウッドが3曲、ジミー・ボウエンが3曲、スナッフ・ギャレットが3曲など。60年代に活躍した名プロデューサーの名前が並びます。ヘイズルウッド・プロデュースの「Machine Gun Kelly」は、ジェームズ・テイラーが取り上げたダニー・コーチマーの作品。もともとはコーチマーも参加していたジョー・ママのアルバムに収録されていました。他にはビル・ウィーザーズの「Ain’t No Sunshine」を取り上げていたりします。

70年代はナンシーの人気も下降気味だったのでしょうけど、このコンピを通しで聴くと、歌唱力もアップし、聞き応えのある、いろんなタイプの歌を歌いこなしていたことがわかります。デュアン・エディがギターを弾いている曲もあるようですが、特定できませんでした。

Ry Cooder / Get Rhythm

getrhythmライ・クーダーのアルバムで最初にほぼリアル・タイムで聴いたのは『The Slide Area』でした。発売から半年くらいの時期に、貸しレコード屋で借りて聴いたのです。しかし、未熟な自分には、その「良さ」が十分伝わらず、何度も聴きかえすうちに徐々に、その魔力の虜になっていったわけで、ライのアルバムを数枚手に入れるうちに、大ファンになって、セッション参加盤まで集めるようになりました。ライが音楽を担当する映画のサントラ、『Crossroads』と『Blue City』が相次いで発売された1986年、ミュージック・マガジン誌が7月号でライ・クーダーを表紙にした特集を組みましたが、この記事を貪るように読み、さらに彼の音楽にのめり込んでいったことを思い出します。しかし、ライは「歌もの」オンリーのアルバムは4年も発売されず、ツアーもやらず、ひたすら映画音楽に没入しているように思えたので、1987年秋のニュー・アルバム・リリースのニュースには、とにかく驚き心が躍ったものです。

折しも、その年にはアルバイトで買ったCDコンポで、CDの音の良さを痛感しており、LPでなくCDで手に入れたライの最初のアルバムでもありました。しかし、移動中にCDを聴くことのできる「CDウォークマン」などは、もうあったかもしれませんが、まだ入手できず、カセット・テープに録音して通学中などに熱心に聴いていたことを思い出します。

さて、このCDは当時、京都四条烏丸にあったタワーレコードで入手したんだと思います。早く聴きたくてうずうずしながら帰路についたものです。当時はまだLPサイズのショウケースにディスプレイする必要から、輸入盤CDは高さ30cmほどの長方形の箱に梱包されていました。このCDの箱はしばらくとっておいたのですが、その後の引っ越しとかのどさくさで亡くしてしまったようです。購入した銀盤をトレイに入れ、Playのスイッチを押すと、少し歪んだライのエレキ・ギターの音色が聴こえ始め、アコーディオン、サックスなどの楽器に彩られたウキウキするイントロが始まりました。この瞬間に、アルバム全体が素晴らしいものであると確信できたのです。

アルバムのパーソネルは、その頃のサントラのレコーディング・メンバーが中心。ドラムスにジム・ケルトナー、キーボードにヴァン・ダイク・パークス、ベースにホルヘ・カルデロン、サックスにスティーヴ・ダグラス、アコーディオンにフラーコ・ヒメネス、ゴスペル・コーラス隊は、ボビー・キング、テリー・エヴァンズ、ウィリー・グリーン・Jr、以上のメンバーは翌年行われた来日公演のバック・バンドでもあります。さらには、コーラスでアーノルド・マッカラー、パーカッションのミゲル・クルーズが参加しており、ゲストとしてカメオのラリー・ブラックモン、そして『Paris, Texas』に主演したハリー・ディーン・スタントンがヴォーカルで参加しております。そうそう、3曲で、ウッド・ベースで『Duane Eddy』にも参加していたジャズ・ベーシストのビュエル・ニードリンガーが参加しています。彼はリトル・フィートの面々が参加していたトレット・フュアの73年頃のアルバムなどにも参加していて、バイト感覚でロック系のレコーディングにもちょこちょこ顔を出しているようです。

以上のメンバーからも想像がつくように、70年にアルバム・デビューしてからのキャリアを総括するような、ライ・クーダー・ミュージックの完成形をここで聴くことができるのです。もちろん、ハワイアンやジャズといった試みはここで聴くことはできませんが、そういった要素も血肉化した上でライが各地で行ってきた様々なミクスチャーが、とてもいい形で具現化したのがこのアルバムだということができるでしょう。

1曲目、ジョニー・キャッシュのナンバーでタイトル・トラックの「Get Rhythm」が、全てを表していると言えます。彼のロカビリー時代のこの作品は、そもそもカントリーとブルーズの融合で、オリジナルではよりシンプルでブルージーな雰囲気を醸し出しています。そこに、フラーコのアコーディオンとダグラスのサックスによるメキシカン調の明るいテーマのフレーズを付け加え、サビの部分はゴスペル・コーラス隊の重厚のハーモニーを加え、さらにエッジの効いたエレクトリック・ボトルネック・ギターが間奏で唸り声を上げるという、ライ以外に表現不可能な極上のロック・サウンドに仕上がっています。これこそ、ライがそれまでの11枚のアルバムで積み重ねてきたテーマの到達点と言えるでしょう。もともと雑食性の強い音楽であったロックに、ワールド・ミュージックの様々な彩りを加えると、こんなに豊潤なサウンドになるんですよという、見本のような作品と言えましょう。確か何かの雑誌の記事で読んだのですが、このアルバムを出してしばらくたった頃、どこかのスタジオでジョニー・キャッシュ御大とクーダーさんが一緒になった時、御大に呼び止められ「ライ、ゲット・リズムの、あのアレンジはよかったぞ。」と声をかけられたそうです。

2曲目に入っている「Low Commotion」は、ケルトナーの作り出す不思議なリズムに乗って、ライのボトルネックが冴えるインスト・ナンバー。翌年の来日公演ではオープニング曲に選ばれていました。CDではサックスは目立ちませんが、ライブの時はサックスが後半エモーショナルなソロをとっていたことを思い出します。ライとケルトナーの共作です。

3曲目はライ単独のオリジナル「Going Back to Okinawa」です。喜納昌吉&チャンプルーズのアルバムに参加した後の『Borderline』あたりから、ライの弾くギターには時折「琉球メロディ」が聴こえてくるようになりましたが、ここに来て、ストレートに「沖縄愛」を表現する楽曲の登場です。オープンGチューニングのエレクトリック・ギターでまさに琉球風のイントロ、間奏ではボトルネックでサビのメロディを下敷きにしたフレーズを繰り出します。ヴァン・ダイクの跳ねるピアノも沖縄音階が少し入ってますよね。スティーブのサックスもギターに寄り添います。沖縄に駐留したことのある元米兵の視点で書かれていますけど、村上春樹さんが著書で、「沖縄の人々は第二次世界大戦で我々と一緒に日本人と戦った。」っていう歌詞について触れてまして、まぁ、完全に事実誤認なんだけど、他にも無理があるところがあるし、ファンタジアの世界の沖縄ソングということにしておきましょう。

4曲目がチャック・ベリーの「13 Question Method」です。もちろん、原曲はバンド演奏の軽めのロックなのですが、ここでは、アクースティック・ボトルネック・ギター1本のみで伴奏するライのソロ・パフォーマンスに変貌しています。ライはインタビューで、「もし、この曲が戦前のカントリー・ブルーズ・ミュージシャンが手がけたら、どんな演奏になるかな、とか、想像を膨らませるのが好きなんだ。」みたいなことを発言していたと思います。内容は10代の若者の恋愛に関する数え歌なんですけど、ライはウォーキング・ベースを打ちながら歌い、間奏では素晴らしいボトルネックを披露しています。1988年の来日公演では、マーティンD-45で弾き語りを聴かせてくれましたが、2009年の来日の時は、マーティンOOO-18を使い、ボトルネックは弾かず、バンドも従えて歌っていました。

5曲目は、アッティラ・ザ・フンのカリプソ・ナンバー「Women Will Rule The World」です。ライはセカンド・アルバムでもアッティラの「F.D.R. In Trinidad」を取り上げていました。そこでは、ライの巧みなアコギとマンドリンなどをオーバーダブして、アメリカン・テイストに仕上げていましたが、今回はテックス・メックスの流儀で、アコーディオンやサックスを加えて、メキシコ風アレンジとなっています。もちろん、ライの美しいノン・スライドのアコギも冴えていて、ライらしい素敵なミクスチャーになっています。けれど自分の知る限り、ライブで演奏された形跡はなさそうです。

LPの場合、B面トップとなる6曲目は「All Shook Up」です。オーティス・ブラックウェルがオリジナルですが、エルヴィス・プレスリーのナンバーとして著名な1曲です。今はオリジナルもYoutubeで簡単に聞けてしまうわけですが、すごくいいですよね。ライはよりロックビートを強調しエレクトリック・ボトルネック・ギターを加えて料理しています。以前取り上げたプレスリーの「Little Sister」に比べると凡庸なアレンジでは? という批判もありましたが、原曲の良さを生かしながら生き生きとロックしているこのナンバー、私は文句のつけようがないと思います。もちろん88年の来日公演では、本編ラストの「Get Rhythm」の前という、盛り上げ所で演奏していました。のちにリンドレーと二人だけの時は、マンドギター一本で取り上げたりもしていたようです。この曲で、ラリー・ブラックモンがコーラスで参加しているのですが、あまり自己主張はしていないようです。

7曲目の「I Can Tell By The Way You Smell」は、ブルーズ・ピアニスト、ウォルター・デイヴィスのブルーズ・ナンバーです。オリジナルはピアノとアコギの伴奏ですが、アコギはあまり聴こえません。ライは70年代中盤のソロのライブでこの曲をよく取り上げていました。アレンジはスライドでなく、普通のアコギによる伴奏で比較的原曲に忠実なアレンジでしたが、ここではロック・ビートを強調し、サビのメロディも大幅に変えてサックスやアコーディオンも活躍するセンスのいいサウンドに仕上げています。

8曲目は、希代の名バラード「Across The Borderline」の再演。前の2曲で盛り上がった所をクールダウンです。この曲は『The Slide Area』の項目で書いた通り、ライのオリジナル・バージョンは日本のCMソングのシングル盤で、『The Slide Area』の日本盤には収録されたけれど、米盤には入っていなかったわけです。映画『The Border』のサントラ盤ではフレディ・フェンダーが歌っているんだけど、いい曲なんで、ライさんも5年ぶりのこのアルバムに新録で収録することにしたんでしょうね。作曲はライ、ジョン・ハイアット、ジム・ディッキンソンの3人の共作です。メキシカンな香りのするナンバーですがアルバムではあえてフラーコのアコを入れず、アコギ主体に仕上げています。間奏ではエレクトリック・ボトルネックが登場。リアに配置したラップ・スティールのピッアップが活躍する美しいロング・トーンのソロを決めています。そして、3番では『Paris, Texas』の主演俳優で、サントラで「Cancion Mixteca」を歌っていたハリー・ディーン・スタントンをゲストに迎え、リード・ヴォーカルを任せています。そして、最後のサビは二人でのデュエット。81年の日本盤シングルのアレンジもいいけど、どちらかを選べと言われたら、やっぱりこっちを選んでしまうと思います。ウィリー・ネルソン、ボブ・ディラン、ブルース・スプリングスティーン、ジャクソン・ブラウン等々、ソングライターとして名を成した面々がこぞってカバーしているくらいですから、この曲がいかに多くの人の心を打つか、わかっていただけるのではないかと思います。88年の来日の時には、テスコのスペクトラムVで弾いていて、フラーコのアコーディオンも入っていました。2009年の来日の時は、グヤトーンのLG200Tで伴奏。どちらも間奏はノンスライドだったように思いますが、ライらしい美しいフレーズを紡いでいたように思います。

ラスト・ナンバーは「Let’s Have A Ball」。ターヒール・スリムことアレン・バンのペンによるザ・ウィールズの1956年のナンバーのカバーです。まさにロックン・ロール誕生期のジャンプ・ブルーズですよね。なんとストレイ・キャッツもセカンド・アルバムで「Gonna Ball」とタイトルを変えてカバーしています。こちらは、追っかけコーラスも入ってなくて、ライの方がオリジナルに忠実です。もちろん、サックスやアコーディオンも活躍し、大団円にふさわしい選曲、また頭に戻って全曲聴き直したくなります。1987〜8年のレス・ブランクが撮ったライブ映像では、この曲が冒頭に演奏されています。1988年の大阪公演では聴くことができませんでしたが、東京公演では演奏されたかもしれませんね。

このアルバムはLPとして考えると、A面では実に多彩な曲が並んでいますよね。カントリー系ロカビリー、オリジナル沖縄系、ギター1本のブルーズ(元歌はロックン・ロール)、メキシカン・アレンジのカリプソ。しかし、B面ではブルーズを基調とするロックナンバーが3曲、バラードが1曲と統一感があります。ライ本人もインタビューで自分たちの音楽は「スロッピー」みたいなことを言ってましたけど、そもそも、ブルーズというのは自由にジャムることができる音楽です。3コードを基本に、メンバーが交互にソロを取りながら盛り上がっていくような楽曲を特に後半に固め、ライブ感覚を強調して、この作品を生き生きとしたものにすることに成功していると思います。そして前半の「多彩さ」が、このアルバムを、「前半期のキャリアの総括」と言わしめる所以のものでしょう。

それとスライド率が圧倒的に高いというのも見逃せません。全9曲のうち、ボトルネック奏法を使っていないのは、「Women Rule The World」1曲のみ、あとの8曲では全て、ライの油の乗り切ったボトルネック奏法を楽しむことができます。確かに、ライ・クーダーといえばボトルネックが代名詞ですが、スライド奏法を使わないギターも相当な腕前で、各アルバムにはエレキ、アコギを問わずボトルネックを使わない楽曲が複数収録されていたものですが、今回はエレキ・ギターは基本スライド奏法、アコギは「13 Question Method」にボトルネックを使っていて前作『The Slide Area』というタイトルは、『Get Rhythm』にこそふさわしいとも言えるでしょう。

80年代前〜中盤にサントラの仕事で忙殺されていたライですが、当時のインタビューで、次のように語っています。「占い師がぼくに『今こそレコーディングの時だ』と言ったのではありません。ぼくが、きっとそうなのかもしれないと、ふと思ったのです。ぼくもバンドもうまくなった、と思いました。そのとき、ぼくらに何ができるかということが見えたのです。」従来のレコードと違ってサントラでは、「2時間以内に、このシーンに1曲欲しい」と言った要求もあります。こうした過酷な現場をくぐり抜け、バンドと切磋琢磨したことが、『Get Rhythm』というひとつの果実となったと言えましょう。

しかし、ライはこのアルバムの後、かなり長い間、ヴォーカル・アルバムを発表しなくなります。しばらくは「生活のため」の映画のサントラ制作を続けますが、90年代に入って、インドのV.M.バット、マリのアリ・ファルカ・トゥーレ、ハワイのパヒヌイ・ブラザーズらワールド・ミュージックの巨匠たちとの音楽制作が本格化し、96年から始まるキューバのブエナ・ヴィスタ・ソシアル・クラブのプロジェクトへとのめり込んでいくことになるのです。

『Get Rhythm』は、アルバム・チャートはオーストラリアで26位を記録した他は、さして振るわず、そのこともライをがっかりさせる原因となったのでしょうけど、その内容の充実度から考えても、長らく待たされたソロ・アルバムという観点でも個人的にはかなり思い入れの強い一枚です。というわけで、彼の「最高傑作」とまでは言えないかもしれませんが、それに限りなく近い高水準の作品ということはできると思います。2018年、シアトルとバンクーバー・アイランドで見た彼のライブでも、本編ラストにこのアルバムの表題曲をやってくれたのは、とても嬉しい思い出なのです。

Joachim Cooder / Fuchsia Machu Picchu

joachim machu picchuヨアヒム・クーダーのプレイを初めて見たのは、彼がまだ10代だった1995年。クーダー&リンドレー・ファミリー・バンドの福岡公演の時でした。あの時のライブはライ・クーダーさんから漂ってくる緊張感が只者ではなくて、でも、デイヴィッド・リンドレーは周囲を和ませようと色々と気をつかっていたことを思い出します。でも、出てくる音は本当に極上でした。かつて見たライブの中でも、ベスト・テンに入るくらいの素晴らしい演奏でした。

ヨアヒム・クーダーは私が最も敬愛するミュージャンであるライ・クーダーの愛息です。ライ・クーダーのドラマーといえば、当時、世界のトップドラマーの一人であったジム・ケルトナーでした。おそらく、そのジムから直接手ほどきを受けたであろう、ヨアヒムの若々しくも的確なプレイに、さすがライの息子、と感じ入ったものです。ヨアヒムは、1988年のライ・クーダー来日の際、10歳くらいでしたが、一緒に来ていたようで、同じ時期に来日していたエアロスミスのメンバーのサインをもらいたがったそうです。

1990年の来日の際もヨアヒムは一緒に来ており、東京のあるステージではアンコールに登場し、1曲だけ太鼓で二人の伴奏を勤めました。その時の写真が雑誌に掲載されているのを見たことがあります。それから5年後、見事にライのサポート・パーカショニストに成長したわけですが、その間、デイヴィッド・リンドレーとタッグを組んでいた、ヨルダン出身のパーカッション奏者ハニ・ナッソーとの出会いがあり、彼からダラプッカを譲り受け、95年来日の時にも、セットに組み込んでいました。その翌年くらいから、ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブのプロジェクトが始まり、ヨアヒムも父とともに足繁くキューバに通うことになるのですが、彼の地のアフリカンルーツのパーカッションの伝統が、ヨアヒムに与えた影響は計り知れないものがあるでしょう。10代でキューバ音楽のエリート達から受けた影響は、単なる音楽界のサラブレッド以上の血肉を彼のプレイに与えているものと思います。

そのヨアヒム、ブエナ・ビスタの一連のレコーディングの際に共演したコーラスのジュリエット・コマジェアといい仲になり、2005年に2人が加入するロックバンド、ハロー・ストレンジャーを旗揚げするも、1枚で活動停止。その後は、ジュリエットが数枚のアルバムをリリースし、ヨアヒムは、そのバンドと父君のバンドを兼業していて、2009年のライ・クーダー&ニック・ロウのツアーでは、両方のバンドのドラマーとして活躍しました。2012年、「MUSIC BY Joachim Cooder」と銘打たれた『Love On A Real Train』というアルバムがリリースされます。このアルバムは、ロバート・フランシスと同じエアロノートからリリースされた企画盤。サウンド・プロデュースをヨアヒムが担当し、そのロバート、ジュリエット、イナラ・ジョージ、ペトラ・ヘイデン、フラット・ライオンらがフューチャーされ、「列車」をテーマにした9曲が収められています。ラストの「Shinkansen」には父君のサントラ等で活躍したジョン・ハッセルのトランペットがフューチャーされております。ヨアヒム君、この頃からムビラに入れ込んでいたようで、シンセ・サウンドが中心のアルバムながら数曲でムビラを使い幻想的な音風景を創造しています。

2017年、ジュリエットが産休に入ると、ヨアヒムはムビラやカホンなどパーカッションにループ・マシンを交えたサウンドをバックにしたソロ活動に入り、40歳近くになるまで封印していたヴォーカルにも挑戦。7曲入りのミニ・アルバムを制作します。その作品がこの『Fuchsia Machu Picchu』です。このアルバム、2018年シアトルのムーア・シアターでライ・クーダーを見たとき、会場でCDを売っていたので購入したのですが、ジャケットにはパーソネルが全く書かれていませんでした。ライの前座でヨアヒムが登場し、バリトン・サックスのサム・ゲンデルと二人で4曲ほど演奏。ライ・クーダーは出てこなかったので、アルバムにもギターが入ってるけど、きっと親父殿は参加していないだろうと思っていたところ、最近になってbandcampのホームページで、パーソネルが書かれているのを発見。全曲にライ・クーダーが参加していることを確認できたので、かなり遅ればせながら、こちらで紹介いたします。

まずは、アルバム・タイトルの『Fuchsia Machu Picchu』ですが、あのペルーのマチュ・ピチュがテーマなわけです。なんせライ・クーダーの息子なんだから、子供の頃から「越境」音楽にどっぷり浸かり、世界各地のミュージシャンと親交を深めてきたわけですから、こういうミクスチャーはお手のものでしょう。そして、パーカッショニストだけに、様々な打楽器をオーバーダブし、曲ごとに興味深いサウンドを作り上げています。もちろん、サウンドの要は透明感あふれるムビラです。

1曲目はタイトル・トラック。ライは少しオーバー・ドライブのかかったエレキ・ギターのリフで曲を盛り上げます。この曲のみスチュアート・レヴィンというミュージシャンのサックスが入っていますが、あくまで脇役に徹しています。

2曲目は静かなシンガー・ソングライター的な作品。ライはギター、バンジョー、ベースをオーバーダブしていますが、バンジョーのオブリが少々目立っているものの、あくまでもサポートの立場を貫いています。

3曲目は、ブルージーなメロディを持つ、ミディアム・ナンバー。ベースはヨアヒムによるシンセ・ベースでしょう。ライは、彼らしいエレキ・ギターのオブリで曲を引き締めます。

4曲目は、ムビラの美しい響きで始まるバラード。ライはベースで参加です。美しいメロの静かなナンバー。ジュリエットのバック・ボーカルや、マイケル・トリッターによるシンセサイザー、ヨアヒム自身によるキーボードがとても効果的に曲を彩っています。間奏もキーボードが担当です。

5曲目は、この曲も印象的なサビのメロディを持つ美しいナンバー。オブリガードを弾くアリ・ファルカ・トゥーレの息子、ヴィユー・ファルカ・トゥーレのギターが砂漠の風を運んできます。ライはこの曲でもベースを担当し、重いサウンドで曲のボトムを担っています。

6曲目は、シンガー・ソングライター的な味わいの作品。この曲でライはディレイを効かせたギターで存在感のあるオブリを聴かせてくれます。こんなディレイの使い方をするライのプレイを聴くのは初めて。ヨアヒムの生み出すイリュージョナルなサウンドにはぴったりの演奏です。

ラスト・ナンバーの「Country Blues」のみ、往年のバンジョー・プレイヤー、ドク・ボッグスの作品。この曲で、ライはベースとマンドセロを弾いていますが、マンドセロというのは、例のワイマン・ベースを改造した8弦楽器のことで、短い間奏から登場しファルカ・トゥーレのギターに似た効果を生んでいますが、やっぱりライならではのフレーズも出てきます。この曲では少々ソロも弾いており、少しばかり存在感を主張しています。

こんな感じで、ヨアヒムの初ヴォーカル・ミニ・アルバムは、とっても幻想的な世界です。翌年の父君のソロ・アルバムに比べれば、全く「押し」のない、静謐とも言える世界観を醸し出しています。彼のヴォーカルは、父君同様、やや頼りない感じがありますが、より線が細いイメージです。そして父君の歌声がブルーズ、R&Bなどのブラック・ミュージックの影響を受け、歳を重ねるごとに重厚になっていくのに比べ、ヨアヒムの歌声には、あまり黒人音楽の影響は見出すことはできません。ともすると、心地よい眠りに落ちてしまいそうなサウンドですが、噛めば噛むほど味が出る「スルメ・アルバム」に違いありません。そんなところも父親譲りのような気がします。

以下に、bandcampに掲載されているクレジットを転載します。

Label: Temple of Leaves

All Songs by Joachim Cooder
Except “Country Blues” by Doc Boggs
PUBLISHING: Zegema Beach Music/BMI
Produced by Joachim Cooder
Engineered & Mixed by Martin Pradler
Recorded at Wireland in Chatsworth, CA
All instruments by Joachim Cooder (except)
Design & Layout, Desi Moore

“Fuchsia Machu Picchu”
Joachim: Array Mbira, Moog, drums and percussion
Ry Cooder: guitar
Stuart Levine: Saxophones
Amir Yaghmai: Yali Tambur

“Elevated Boy”
Joachim: Array Mbira, percussion, keyboards
Ry Cooder: Guitar, banjo, bass

“Everyone Sleeps in the Light”
Joachim: Array Mbira, drums, keyboards
Ry Cooder: Guitar

“Calm My Mind”
Joachim: Array Mbira, drums, percussion, keyboards
Ry Cooder: Bass
Michael Tritter: Modular synthesizer
Juliette Commagere: Backing vocals

“Because the Moonlight”
Joachim: Array Mbira, tankdrum, percussion
Vieux Farka Toure: Guitar
Souleymane Kane: Calabash
Ry Cooder: Bass
Juliette Commagere: Backing vocals

“Gaviota Drive”
Joachim: Array Mbira, Array Organ, percussion
Robert Francis: Guitar, backing vocals
Juliette Commagere: Bass, backing vocals
Ry Cooder: Guitar

“Country Blues”
Joachim: Array Mbira, percussion
Ry Cooder: Bass, Mandocello

Duane Eddy / Duane Eddy

duaneeddyこのアルバムが出たのは1987年。もちろんリアルタイムでCDで買いました。LPも買っておけばよかったなぁ。その時は、デュエイン・エディという方がどれだけ偉大か知る由もなく、ライ・クーダーとデヴィッド・リンドレーの参加につられて買ったわけですが、中身を見てびっくり。クーダー・プロデュースが2曲、ポール・マッカートニー・プロデュースが1曲、ジェフ・リン・プロデュースが3曲、アート・オブ・ノイズのメンバーのプロデュースが2曲、あとセルフ・プロデュースが2曲。参加ミュージシャンは、マッカトニー、ジョージ・ハリソンを筆頭に、スティーブ・クロッパー、ジョン・フォガティ、ジェームス・バートン、ラリー・ネクテル、ジム・ホーン、ジム・ケルトナー等々、キラ星のごとき面々が大挙して入っているではないですか。それでいて、軽いバック・コーラスくらいはあるけど、インスト・アルバムなのです。一体この人、何者? というのが当時の偽らざる気持ちでした。彼が、1950年代のロックンロール草創期から活躍するカリスマ・インスト・ギタリストであることを知ったのは、しばらく経ってから。道理でハリソン、マッカートニーの両名も嬉々として彼をバックアップするわけですね。彼らが駆け出しの頃、デュエインはすでにスターだったわけですから。

このアルバムのサウンドは、ELOのジェフ・リンやアート・オブ・ノイズのメンバーがプロデュースを手掛けている曲があることからわかるように、いかにも80年代という感じの色合いに仕上げられてます。そうは言っても、デュエインの弾くトゥワンギー・ギターの音色は唯一無二。今聞くと打ち込みのサウンドが少し耳に付くけれど、あくまでも50〜60年代の香り漂うデュエインのギターを引き立てつつ、現代的な味付けを加えようとするもので、その試みはおおむね成功していると言えましょう。

では、早速ライ・クーダーがプロデュースした2曲を見ていくことにしましょう。レコーディング・メンバーは2曲ともほぼ同じ。特筆すべきは、ドラムがリック・マロッタになっていることです。こういうセッションものでは、たいてい盟友のジム・ケルトナーが叩いているのですが、この時は調整がつかなかったのでしょうか。ケルトナーは、トラヴェリング・ウィルベリーズ設立前夜とも言えるこの時期、ジェフ・リン・プロデュースの楽曲に、ジョージ・ハリソンやジム・ホーンとともに参加しているのですが。ベースの方は『Get Rhythm』にも参加していたビュエル・ニードリンガーです。まず、「Blue City」は1986年にライが音楽を担当した映画のテーマ曲とも言える作品。サントラでは「Billy & Annie」や「A Leader of Men」と題されていた美しいバラードです。この曲にライ・クーダーは「スライド・ギター」と「アコースティック・ギター」の両方でクレジットされていますが、こちらのナンバーでは、スライドは聞こえてこないようです。もっとも、アコギの方はサントラ盤同様美しい音色を響かせています。デヴィッド・リンドレーは2曲ともあまり目立たないアコースティック・ギターでリズムを刻み、デュアンとライを引き立てています。シンセで弾いているらしいストリングスについてはクレジットがありませんが、なかなか素敵な音色です。

もう1曲「Los Companeros」の方は、『Blue City』のサントラでは、「Blue City」となっていたタイトル曲で、ライのプロデュース曲は、2曲とも、そのサントラからの使い回しながら、曲のタイトルが一致しないという面倒くさいことになっています。その「Los Companeros」は、サントラではライ・クーダーがデュエイン・エディばりのトゥワンギー・ギターを披露していましたが、ここでは本家のプレイとライのギターの掛け合いを楽しむことができます。ライはここではアコギとエレキのボトルネックをオーバーダビングしていますが、ボトルネックは基本オブリガード、アコギの方が前面に出ている印象です。リンドレーはここでもサポートに徹しています。リズムが賑やかなこちらの曲の方がドラムのリック・マロッタの個性がよく出ていますね。こちらの曲にはパーカッションのエミル・リチャーズも参加しています。ライ・プロデュースの2曲には、今聴いても全く古さを感じさせないエヴァグリーンな輝きを感じますね。ただ、このころライ・クーダー・バンドの一員でデュエインの盟友だったスティーヴ・ダグラスが参加してないのが少々気になるところ。1984年のスティーヴのアルバムにはデュエインが1曲客演していたんですけどね。

セルフ・プロデュースの2曲は冒頭とラストに配されています。いずれもデュエインとラリー・ネクテルの共作。冒頭のロックン・ロール・ナンバーでは、テーマをデュエインが弾き、ギター・ソロをステーィヴ・クロッパー、ジェームズ・バートン、ジョン・フォガティが回していきます。その合間を縫うようにラリー・ネクテルのピアノ・ソロが入り、後半ではジム・ホーンのサックス・ソロも入って盛り上がりますが、エンディングはドラムとデュアンのギターだけで終わります。ラストナンバーは、美しいバラードで、フォガティは参加していないものの、1曲目同様のメンバーの熱演を堪能することができます。楽器のリバーブ感などは80年代サウンドではありますが、このあたりは過剰な装飾がなく、古きよき時代のアレンジを彷彿とさせています。

他の曲では、どちらかというと80年代的なアレンジが目立ちますが、ジェフ・リン・プロデュースの「Rockabilly Holiday」などは、タイトル通り、ロカビリー時代のデュエインを最大限リスペクトした雰囲気を醸し出しています。ジェフ・リン・プロデュースの他の2曲にはジョージ・ハリスンがエレクトリック・ボトルネック・ギターで参加し、デュエインのギターと語り合っていますが、これがまたいい感じです。ライ・クーダーとはまた違った個性的なスライドですよね。マッカートニーの曲はとってもポップだし、アート・オブ・ノイズのブロデュース作も、現代的なサウンドながら、デュアンへのリスペクトが感じられます。そんなわけで、インスト・アルバムながら、たくさんの聴きどころがある素敵なアルバムに仕上がっています。

忘れられかけているリヴィング・レジェンドの復活作に、時のスターたちがたくさん参加して、売上につなげるという手法は、このころから顕在化して行くようですが、ライ・クーダーにとっては、この作品が嚆矢となるものでしょう。しいて言えば1973年のマイク・シーガーのアルバムも、少しばかりそうした色合いがあったかも知れませんが、この後、ジョン・リー・フッカー、ポップス・ステイプルス、クラレンス・ゲイトマウス・ブラウンらのアルバムにゲスト参加し、数曲のプロデュースを行うようになっていきます。

John Hiatt / Bring The Family

johnhiattbringtheジョン・ハイアットは1953年生まれ。今年で68歳になります。インディアナ州インディアナポリス出身。20歳くらいでアーシーなロック・バンド、ホワイト・ダックに加入。同じ頃、トレイシー・ネルソンのマザー・アースやスリー・ドッグ・ナイトに曲が取れあげられ、バンド解散後の1974年にエピックからソロ・デビューします。エピックから2枚、MCAから2枚、ゲフィンから3枚のアルバムをリリースしますが、ほとんど売れませんでした。80年代初めにはロサンゼルスに拠点を移しており、その頃ライ・クーダーのアルバム『The Borderline』に曲を提供したり、プロモーショナル・ツアーに彼のバンドごと参加したり、さらにはライが音楽監督を務めた映画『The Border』に参加したりと、クーダー・ファミリーの一員ともなりましたが、アルバムは売れず、次第に酒びたりの生活になり、幼い娘を残して妻のイザベラが自殺してしまうという悲劇に見舞われます。彼は酒を断ち、故郷に近いナッシュビルに拠点を移し、子持ちの女性と再婚しています。

1986年、ロサンゼルスの有名なギター・ショップ、「マッケイヴス」の店員で、店内のミニ・ホールでのアコースティック・ライブを仕切っていたジョン・チェルーは、ハイアットのパフォーマンスの素晴らしさに打たれていましたが、彼のアルバムには、その良さが十分反映されてないと感じていました。ハイアットは、ちょうどゲフィンとの契約も途切れ、どことも契約していない状況でした。そこで、チェルーはハイアットに、「素敵な曲を10曲用意する。ライ・クーダー、ジム・ケルトナー、そして誰か適任のベーシストと4人で録音して、アルバムを出すってのはどうだい?」と持ちかけたのです。ハイアットは同意し、ベーシストは、彼のアルバムをプロデュースしたこともあるニック・ロウをイギリスから呼び寄せることにしました。レコーディングの期間は4日間。ニック・ロウは空港からスタジオに直行し、録音に参加したそうです。アルバムのタイトルは、自身の再婚をテーマに『Bring The Family』(家族を連れて)となりました。アルバムは、アメリカではA&Mから、イギリスではデーモンから発売されることとなり、アメリカ盤ではハイアットの顔アップ、イギリス盤ではレトロな出で立ちのカップルに、不気味な子供の人形3体のモノクロ写真と、ジャケットも異なっていました。

このアルバムが出た1987年といえば、ニュー・ウェイヴなど、いわゆる80年代サウンドの全盛期。70年代風のシンガー・ソングライターの多くは不遇をかこっていました。ハイアット自身も70年代後半は同世代のエルヴィス・コステロなどに近いスタイルでロックンロールを演奏していましたが、ここへきて、いぶし銀の名手たちをバックに、珠玉の「自分語り」作を世に問うことになりました。その渾身の作品群は、アルバムこそビルボート200以内ではありましたが、「Thank You Girl」のヒットを生み、この頃グラミーをゲットしたボニー・レイットが「Thing Called Love」をヒットさせたのを初め、多くのミュージシャンにカバーされ、映画の挿入歌としても使われるなど、彼の代表作の一つとなった「Have A Little Faith in Me」が収録されていて、彼の名前が全世界に知られるきっかけとなりました。ジョン・ハイアットの代表作といえば、この作品を挙げる人が多いと思いますし、自分自身もそう思っています。

なぜ、このアルバムがそれほどまでに人々の心を打ったのか。それは、ハイアットが背水の陣で臨み、自己の体験を元にしたであろう渾身の作品を用意したこと、世界有数のパフォーマーによる臨場感あふれる「一発録り」、気心の知れた盟友と一緒ではあるけれど、4日間という限られた日数で収録しなければならないという緊張感、様々な要素が絡み合い、後世に語り継がれる名作が完成したのだと思います。この作品が世に出てから、もう33年という歳月が流れたのですね。時が過ぎるのは早いものです。学生だった自分が、このアルバムを買ったのは、当時、京都の四条烏丸にあったタワー・レコード。出たばかりの輸入盤を買い、友人の下宿に行って聴いたことを、ついこの間の用に思い出します。その友人が「Lipstick Sunset」の間奏の、ライのギターを聴いて、「こんなギターを聴いたら泣いてしまうよ。」と言った言葉が忘れられません。

この時、ハイアット34歳、ケルトナー45歳、クーダー40歳、ロウ38歳。現在55歳となった自分が振り返って思うに、みなさん十分に若い。しかし、すでに百戦錬磨のプロフェッショナルばかり。ロックンロールする若さと老獪な技術を併せ持った渋み、そしてとてつもなくスイートな演奏も収められたこの名盤。1987年というときらびやかな80年代サウンドの時代ですが、シンセはおろかキーボードすら入っていない、打ち込みとは全く無縁の流行の真反対の極致。しかし、ここに描き出された音楽は芳醇なことこの上ないのです。

まず1曲目、「Memphis in a meantime」は、ライ・クーダーのスワンピーなボトルネック・ギターを堪能できる泥臭いロック・ナンバーですが、ギター・ソロがあるわけではなく、ケルトナーのドラムと絡み合うオブリガードで、ハイアットの渋い歌声を際立たせています。この曲は、後々ハイアットの重要なレパートリーとなり、リトル・ヴィレッジはもちろん、彼のライブの重要なレパートリーになっています。

2曲目「Alone in the Dark」のイントロ、ニックのベース・ラインに続いて、ライのボトルネック・ギターが飛び出してきます。難しいことをやっているわけではないけれど、この味わいこそライ・クーダーらしい深いプレイです。重苦しい主人公の心情を見事に描ききっているフレーズです。

3曲目「Things Called Love」渋いロック・ナンバー。おそらく、ライ・クーダーがオープンDチューニングのまま、ボトルネックを使わずにエレキを弾いているようです。印象的なリフはでてきますが、ここでもあえてリード・ギターは弾かず、ハイアットのアコギにソロを任せています。この曲は、数年後にボニー・レイットがカバーしシングル・ヒットしています。この曲のサビの部分の高温コーラスはライ。見事にハイアットをサポートしています。

そして、4曲目に登場するのが、稀代の名曲「Lipstick Sunset」。曲の美しさもさることながら、2コーラス目から絡んでくるライのギターの美しさといったら、堪らないものがあります。確かミュージック・マガジン誌の北中正和さんの解説にも、「ラップ・スティールを用いたらしい」と書かれていて、それまでのライのソロ・アルバムでのプレイでは聞いたことのなかったロングトーンです。今もライがメインの楽器として使っているサンバーストのストラトキャスターには、リアにオアフ(ヴァルコ)のラップスティールから取り外したピックアップを搭載していたので、このようなロングトーンが得られたわけですが、すぐにはそんな情報は入ってこないですもんね。このストラトキャスター、1985年頃から使われているようで、その頃、ニューオーリンズ・ジャズ&ヘリテイジ・フェスに出演したときの写真では、リアのピッアップしかついていませんでした。1987年の宣材写真では、フロントにギブソンのハムバッカーPAFを搭載しています。翌年の来日公演の時も、その仕様で演奏したはずですが、のちにこの希少なピックアップは日本製Teiscoのゴールド・フォイルに付け替えられているのです。

LPではA面ラストの5曲目が、またまた稀代の名バラード「Have a Little Faith in me」です。美しいバラードが贅沢に2曲も続くという構成も、このアルバムが名盤と讃えられる要因でしょう。この曲では、妻を自殺で失うという最悪な状態に陥ったハイアットが再婚する際、相手に伝えたであろう気持ちが切々と歌われています。ジョン・ハイアットも1988年に初来日を果たすのですが、その際のインタビューで、自分の作品の中で一番好きな曲を問われ「いつもは最新作の曲をあげるんだけれど」と前置きした上で、その時には前作に当たる『Bring The Family』収録のこの曲をあげていました。この曲と、ラストの「Learning How to I Love You」の2曲だけは、バンドが入っていません。この曲は、完全にハイアット一人だけの演奏で、

LPの場合、B面の冒頭を飾る「Thank You Girl」はキャッチーなロックンロール。少しばかり歪んだライのボトルネック・ギターが心地よいですが、この曲にも長いソロはありません。

続く「Tip of My Tongue」が、また、泣かせるナンバーです。口喧嘩で出て行った恋人のことを思い後悔する男の心情をつづった曲ですが、その気持ちに寄り添うかのようなライの指びきのエレキ・ギターのリリカルなサウンドがたまりません。ニックとケルトナーも抑制の効いたプレイでハイアットの歌をサポートしています。

「Your Dad Did」は耳に馴染むメロディを持ったストレートなロック・ナンバー。このあと、しばらくはハイアットの代表曲としてライブの盛り上がりの場面で演奏されていました。内容は、嫌っていた父親のようになってしまった中年男の歌。ライ・クーダーはトゥワンギーなエレキ・ギターに加え、後半にエレクトリック・シタールをオーバーダビングしています。この曲でもソロはなく、必要最小限のプレイでハイアットを盛り立てていますが、そのツボを押さえたプレイは存在感を十分にアピールしています。この曲でのケルトナーのドラミングも最高に心地よいリズムを刻んでいます。

「Stood Up」は再びしみじみと聴かせるバラードです。ライはこの曲でもボトルネックは使わず、通常のフィガリング&指弾きのオブリガードで、曲をじわじわと盛り上げていきます。曲の内容は、じでんてきなもので、幼児の時自分の足で立つこと、前妻との葛藤、そして前妻の死後、ハイアットが飲酒癖から立ち直ることをテーマにした赤裸々なナンバーで、この曲も涙なしには聴くことができません。1988年の来日公演では、サニー・ランドレスらゴナーズによるバックアップを受けて、ハイアットはこの曲を披露してくれましたが、果たして彼の胸中はどうだったのでしょうか。彼は後にも「Crossing the Muddy Water」という前妻の死をテーマにしたであろうナンバーを書いていて、この「Stood Up」で「Now she’s standing in some corner of my heart」と歌っている気持ちは、きっと今も変わっていないでしょう。

アルバムを締めくくる、「Learning How to I Love You」は、アコースティック・ギターの弾き方りで歌われます。「私は今34歳」というフレーズから始まり、まさに自分のことを歌っているわけです。自分の人生を語りながら、現在の妻に「君を愛することを学ぶのが、こんなに難しいとは思わなかった。」と心情を吐露する曲で、このアルバムに散りばめられたストーリーを締めくくるにふさわしいナンバーです。ニック・ロウが巧みなコーラスでハイアットの歌をバックアップしています。

以上のように、収録曲はパーソナルな心情を見事に描き切ったシンガー・ソングライターの鏡のような名作群です。妻の自殺と、新たな旅立ちをテーマにした完璧なコンセプト・アルバムです。そして、いぶし銀の名手3人によるバックアップが功を奏し、1987年というルーツ系音楽不遇の時代にあって奇跡のようなアルバムに仕上がりました。限られた時間の中での録音という側面も、一発録り中心となり、アルバムにライブ感を与えたのでしょう。録音とミックスは、ライ・クーダーも厚く信頼するオーシャン・ウェイ・スタジオで、ラリー・ハーシュの手によって行われました。非常に奥行きのある素敵なサウンドに仕上がっています。誰もが一度は耳にすべき名盤です。

ところで、このアルバムの、おそらくアウトテイクが1曲だけ知られています。1988年、シングル盤「Slow Turnning」のB面として発表された「Already Loved」です。プロデュースがジョン・チェルーとなっているので、そのように推測されるのですが、確証はありません。しかし、音を聞いてみると、バックは、「あの3人」で問題ないように思います。今はYoutubeで気軽に聴けますから、関心のある方はぜひ聴いてみてください。6分半にも及ぼうとするマイナーのロッカバラードで、内容はやはりラブソングです。ハイアットのピアノ、ドラム、ベース、エレキギターで構成されます。ギターはボドルネックを使っていませんが、トレモロがかなり強くかけられていますが、ライもときに強いトレモロを好みますしね。エンディング近くでは味わい深いギター・ソロも出てきます。ドラマチックで聞き応えのあるナンバーですが、アルバム全体のバランスから、収録は見送られたものと思います。2012年にリリースされた編集盤の「Collected」にも収録されていますが、残念ながら、曲ごとのクレジットはなく、この曲の演奏が後にリトル・ヴィレッジとなる面々による演奏かどうかの確証は得ることができませんでした。

Ibrahim Ferrer / Buenos Hermanos

buenosイブライム・フェレールの2003年のアルバム『Buenos Hermanos』が、4曲のボーナス・トラックを加えて今年2月に再発されました。また、曲順も大きく変更、ライ・ファミリーのマーティン・プラウドラーによってリミックスされています。ジャケットも差し替えられ、豪華な「製本」仕様のデジパックとなっています。LPは2枚組です。

イブライムは、言わずと知れたブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブの一員。1999年にファースト・アルバムをリリース。このアルバムはセカンドになります。ファーストについては2005年にイブライムが亡くなったときにレビューしていますが、こちらのアルバムはまだ紹介していませんでした。もちろん、プロデュースはライ・クーダー。レコーディングはハバナのエグレム・スタジオ、レコーディング・メンバーもギターのマヌエル・ガルバン、ベースのカチャイート・ロペス(この二人もすでに故人です)をはじめとするブエナ・ビスタ勢だけでなく、ジム・ケルトナー、ヨアヒム・クーダー、ジュリエットとカーラのコマジェア姉妹といったロサンゼルス勢に加え、テキサスのフラーコ・ヒメネス、そしてブラインド・ボーイズ・アラバマを招聘し、得意のミクスチャーを行なっているのがなんともライ・クーダーらしいところです。

まず、今回の再発について、ライ・クーダーが文章を寄せていますので訳してみましょう。

「イブライム・フェレールのセカンド・ソロ・アルバム『Buenos Hermanos』は元々2003年に発売されました。そのレコードの発売は、世界的な二つの大事件、ブッシュのイラク戦争と、ハリウッド・サンセット・ブールヴァードのタワー・レコードの閉店の間に挟まれた時期でした。2006年のカリフォルニアでは、誰もが、イブライムのことを含む悪いニュースが続き、世界が終わるのではないかという心配を、長い間ハードに考えなくてもよくなってきていました。

ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブは驚くべき影響を人々に与えました。それは人々が何気なく聴くのではなく、耳を開かれる経験としてブエナ・ビスタの音楽を抱擁するかのように聴いたということです。その記録を達成するのはきわめて難しいことでした。新しく、広大な感情の状態は壊れやすいものでした。私は、戦争は再び人々を狭いところに閉じ込めてしまうと考えました。そして、タワー・レコードが閉店したとき、私たちが愛するレコード・ハンティングという宝探しを行えるレコード屋での経験が失われてしまいました。

それで、『Buenos Hermanos』のレコードは靄(もや)の中に消えてしまいました。けれど、聞いてください。あなたはかつてより良い別のチャンネルを持っています。もし、私が「われわれが過去に戻って、いくつかの理由で見過ごされていた曲を見つけた」というなら、あなたは、私と同じようにワクワクするでしょう。ベン・ハンターはいつも「そこには確かなものが一つある」と言っていました。「私たちは、日々や過ぎ行く時の中で、何か良いもの、何か美しいものを必要とするのだ。」と。間違っていますか? さあ、落ち着いて安楽椅子に座り、イブライム・フェレールと一緒に音楽の空間を漂いましょう。」

この文に出てくるベン・ハンターとは、おそらくロンドンで現代アートの画廊を経営している芸術家のことと思われます。

ライ・クーダーは、#1、#4、#5、#6、#8、#9、#10、#11、#13、#14、#17と、大半の曲に参加していますが、全く目立たないものも複数あります。今回追加された#4「Me Voy Pa Sibanicu」には、最も印象的なプレイが出てきます。後半のエレキ・ギター・ソロで、なんとも弾けた感じで弾いていますが、さすがライ。ツボはきっちり押さえていますね。その他の曲では、どちらかというと、マヌエル・ガルバンのリード・ギターを立てて、自身は全体的にサポート役に徹しようとしています。13. 「No Tiene Telarana」は、2本のエレキの絡みによるリフで始まるミディアム・テンポのナンバー。この曲の間奏のリード・ギターはどうやらライのようです。#4に通じる自由な演奏で、存在感を主張しています。

ライがボトルネック・ギターを弾いているのは4曲。タイトル・トラックの#5、#6、#8、#17です。この中では、#6で最も存在感を示していますが、ギターの主役はやはりガルバン。彼のリードと絡んで独特の雰囲気を醸し出しています。#5と#8はより控えめなプレイで、ガルバンは#5ではオルガン、#8ではピアノをプレイしています。マイナーのソン#17では、ライは普通の奏法でリフを弾き、途中でエモーショナルなボトルネックのオブリで絡んできます。

#10にはブラインド・ボーイズ・オブ・アラバマが参加して、とってもステキなコーラスを聴かせてくれます。この曲ではガルバンはピアノを担当。ライはエレキで控えめな美しいオブリを奏で、曲をバックアップしています。この曲のサックス・ソロは、コースターズのギル・バーナルです。このほか、#1でもガルバンとのダブル・ギターでリフを奏でかなりいい味を出しています。また、未発表曲の#14にもライは参加しています。ガルバンはピアノ(間奏)とオルガン(イントロ)、ライがエレキ サポートに徹し、中盤以降に控えめにリズムを刻み、リフをオルガンとユニゾンで奏でています。

#3のライのクレジットは、エレキ・ギターとなっていますが、終始ガット・ギターのストロークが聞こえてきます。他にギターのクレジットがないので、おそらく、これがライの演奏でしょう。フラーコ・ヒメネスが素晴らしいアコーディオンを弾いている#11では、ライにアコースティック・ギターのクレジットがありますが、ほとんど聴き取れません。

以上、長々とライを中心にバックの演奏のことを書いてきましたが、もちろん、このアルバムの主役はイブライム・フェレール。彼の70代とは思えない、伸びやかで力強い歌声が全17曲で堪能できます。バラードは甘く切なく、リズムものは明るく力強い、なんとも形容しがたい素晴らしい歌唱です。彼は、ベニー・モレーをバックアップしていた頃や、ロス・ボクコース時代は、サポート・シンガーに徹し、けして前面に出てこなかったのですが、ブエナ・ビスタのプロジェクトに加わったため、晩年、世界中にその名を轟かせました。自分も『ミュージック・マガジン』の影響で、アルセニオ・ロドリゲスなど、キューバ音楽を少しは聴いていましたが、ブエナ・ビスタのおかげで、その奥深さに触れることができました。

このアルバムには、パーカッション、ホーンズなど、他にも聴きどころが多いです。ロサンゼルス勢としてジョン・ハッセルも参加して#16でステキなトランペットを披露していますし、ジム・ケルトナー、ヨアキム・クーダーのドラムがキューバ勢のコンガなどの打楽器と溶け合って、心地よいリズムの洪水となっているのも聞き逃すことはできません。この辺りは、同時期にほぼ同じメンバーで録音され、ライが、「キューバ音楽からの卒業論文のようなもの」と称したガルバンとの『Mambo SInuendo』とあい通じるところです。

なお、2003年の発売当初に、日本盤のみのボーナストラックだった「El Bachaton」は、今回は収録を見送られています。この曲も賑やかなソンで、ドラムにケルトナー、ピアノにチューチョ・バルデスが参加し、ガルバンが味のあるギターを弾いていました。

20世紀の終わりから、新世紀の初めにかけて世界を席巻したブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ。今となっては多くの人々の記憶から忘れ去られているでしょうけれど、キューバでは、古き良き音楽のルネッサンスとなっているようです。3年ほど前には映画『Buena Vista Social Club Adios』が公開されました。涙なしでは見れない映画でした。ブエナ・ビスタのミュージシャンの多くは鬼籍に入ってしまっていますが、その魂は、今もキューバのミュージシャン達に脈々と受け継がれています。カリブ海に浮かぶ常夏の島キューバ。実際にこの地に行って耳にするキューバ音楽は、きっと、今までと違った感じで耳に届くことでしょう。いつの日か、キューバにも訪れてみたいものです。

2003年発売時のジャケット
buenos2003
ギャラリー
  • Doug Legacy and The Legend of the West / Hey You!
  • Jim Dickinson著 / I'mJust Dead  I'm Not Gone
  • Jim Dickinson著 / I'mJust Dead  I'm Not Gone
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  • Jim Dickinson著 / I'mJust Dead  I'm Not Gone
  • Johnny Handsome / Music by Ry Cooder

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