レシーブ二郎の音楽日記

レシーブ二郎の音楽ブログにようこそ。マイペースでぼつぼつ更新していきます。

Texas Tornados / 4 Aces

4aces1988年、匿名のスーパー・グルーブ、トラヴェリング・ウィルベリーズを成功させたワーナーが、テキサス・ルーツ・ミュージックのスーパー・グループとして1990年にリリースしたのが、このテキサス・トルネイドズです。この時は驚きました。テキサスで絶大な人気を誇る彼らを、全国だけでなくメキシコをはじめとするスペイン語圏に売り出そうという意図の元に結成されたわけです。メキシコ系のアメリカ人は、テキサス、カリフォルニア、アリゾナなどもともとメキシコだった地域には多く住んでいましたが、産業構造の変化によりアメリカ全土に住むようになり、また、人口も増加してきたため、大手レコード会社も、おそらく重要なマーケットとして意識し始めたのでしょう。彼らのアルバムは英語版とスペイン語版の二種類がリリースされたそうです。

自分は、学生時代にダグ・サームの『Doug Sahm and Band』を中古盤で入手し、彼の音楽が大好きになりました。この盤にはフラーコも参加しており、トルネイドズの3/4が揃っていたわけですね。それから、1988年だったか、89年だったかに出た、ダグ・サーム、エイモス・ギャレット、ジーン・テイラーによるフォーマリー・ブラザーズのアルバムが大好きで当時よく聴きました。90年の来日の時は福岡に移住していたので涙をのんだのを覚えています。もちろん、フレディ・フェンダーとフラーコ・ヒメネスはライ・クーダー経由でよく聴いていました。オルガンのオーギー・メイヤーズのことはよく知らなかったけど、ダグ・サームの『Doug Sahm and Band』に参加していて、サー・ダグラス・クインテットの時代からダグとは盟友だったようです。テキサスのテックス・メックス系のこの偉人4人がグループを組むなんて、ちょっと信じられませんでした。もちろんCDが出たらすぐ買ってよく聴きました。それぞれのメンバーのレパートリーを持ち寄った感じで、聴きやすかったですが、リプリーズが出しているんだから、もう少し凝ったつくりにできなかったかなぁとも思いました。

そんな彼らの1996年の4作目がこの『4 Aces』です。アルバムにはダグが書いたライナーが掲載されているので、拙い訳ですが、掲載してみます。

「ある日、フラーコと私はショーのバックステージで話していた。私は、”フラーコ、俺たちは何者なんだろうね”と言った。彼は少し考え遠くを見て答えた。”俺たちは4人のエースだよ。なぁ” そうだとも。
 それで、私はその考えにフィットした曲を作り始めた。物語は、テキサスでしか起こりえないファンタジーや国境の逸話となった。そしてウィリー(・ネルソン、偉大な野球選手のメイズではない)の相棒や、チィミー(我が友ボブ)とともに、テキサス州のロトゲームで一山当てるというオチをつけた。私はオレゴン、カリフォルニアの海岸、ニューメキシコの山々、そしてもちろんテキサスといったで様々な場所で長い時を過ごした。
 そして今、私たちはみんなレコード会社が必要だった。私たちはナッシュビルのリプリーズ(ロッキン爺さんの歌うバンドを組んでくれたジム・エド・ノーマンとペイジ・レヴィに感謝する)で活動した後、私たちには休息が必要だった。3枚のアルバムと4年に及ぶ休みないツアーは犠牲者を出した。私たちは少しばかり過去を省みて、テキサス・トルネイドズのビジョンがどこに繋がるか確認する必要があった。
 幸運なことに、私たちはリプリーズに戻ることができた。しかし、今回はバーバングで、私たちのテキサスの兄弟ビル・ベントレーがレーベルの広報担当の役員だった。彼はA&R担当のデヴィッド・キャッツネルソンを起用した。彼はテキサス州ロックハートのクルーズ・マーケットで行われたバーベキューの間とても盛り上がっていた。彼らはリプリーズの社長ハウイー・クラインとの面会をセッティングした。私は彼がサンフランシスコの415レコードにいたことを聞いていた。私たちは話し、ハウイーは”君たちはどんなものを持っているんだい?”と聞いたので、私は彼に”Little Bit Is Better Than Nada”のサビを歌って聞かせた。彼はそれを気に入り、私たちは再びレースに戻ったのだ。
 それはここにある、じっくり聴いてほしい。
                       愛を込めて ダグ」

このライナーにあるように、テキサス・トルネイドズは90年から92年まで毎年アルバムをリリースし、休みないツアーを続けていたようです。そして、メンバーのうち誰かが身体を壊し、一時活動を休止していましたが、1996年に復活、リリースしたのがこのアルバムです。プロデューサーは、メンフィスのジム・ディッキンソンが抜擢されました。ナッシュビルで制作された前3作に比べ、ゲスト・ミュージシャンも交え、ディッキンソンらしいプロデュース・ワークが冴えています。

ライ・クーダーが参加しているのは8曲目の「The Garden」です。「Across The Borderline」系のバラードで、リード・ヴォーカルはフレディ・フェンダー。優しく美しい歌ですが、曲の内容は、銃弾が飛び交う物騒な国境の街を描いたもので、抗争があれば、もう一晩窓を締め切って過ごし、息子を亡くした母は泣き叫ぶだろうと歌われています。曲を書いたのは、のちにハシエンダ・ブラザーズを結成するクリス・ギャフニー。アレンジはダグとフレディが手がけています。ライは最初のサビからオブリガードで絡んできます。美しいボトルネックのフレーズを聴かせたと思ったら、2番からはノンスライドで彼らしいフレーズを紡いでいきます。ソロはフラーコのアコーディオンで、ライのソロはなく、あくまでも脇役に徹しています。この曲でも味のあるピアノが聞こえてきますが、ディッキンソンではなく、オーギーが弾いています。ライを起用しながらオブリガードのみで、あえてソロを収録しなかったディッキンソンの手腕あっぱれと思います。

アルバム収録曲は、4人それぞれが主導している曲が散りばめられているのですが、フラーコは単独ではリード・ヴォーカルはとらず、おおむねオーギーとのデュオで伝統的なコンフント・スタイルの曲を歌っています。そのかわり全曲で印象的なアコーディオンを弾きトルネイドズのカラーを決定づけています。ダグは少しロックやR&B寄り、フレディはカントリー寄りですが、全員がスペイン語を自在に操り、国境の音楽文化を体現しています。

ライナーでダグが言及している1曲目の「A Little Bit Is Better Than Nada」はコメディ映画「Tin Cup」の挿入歌となりました。ダグらしい軽快な曲で、フラーコのアコーディオンがいい味を出しています。他にダグが主導しているのは4曲目、7曲目、10曲目の4曲です。4曲目ナイロン弦のギターのリズムで始まるタイトル・トラックはマイナーキーのかっこいいナンバー。ダグのオリジナルです。サビはメジャーになるご機嫌なナンバーです。7曲目「Ta Bueno Compadre」はダグの昔からのレパートリーを彷彿とさせますが、このアルバムのために書き下ろしたものです。バックビートが効いたご機嫌なロックナンバーで、この曲が演奏されるとライブ会場はダンスフロアになるでしょう。10曲目「Clinging To You」も実にダグらしい軽快なロック・ナンバーです。

フレディが主導するのは、上の8曲目「The Garden」のほか、3曲目、6曲目、12曲目の4曲です。3曲目「In My Mind」はフレディのオリジナル。ロッカバラードですがとってもいい曲で、フレディの熱唱を味わうことができます。6曲目「Tell Me」はテックス・メックス界では高名なギタリスト、ジョー・キング・カラスコの曲で、やはりロッカバラード。フレディとダグが歌い分けています。こちらも実に素晴らしいナンバーです。ラストに配されているのは、カントリーのソングライター、ボブ・モリソンが後2人と一緒に書いたバラード「The One I Love The Most」です。フレディは自身でもとてもいい曲を書くのですが、選曲眼も素晴らしいものがあります。ストリングスやペダル・スティールに加えディッキンソンのピアノ、そしてフラーコのアコが過不足のないバランスで曲を盛り上げ、豊かな気持ちでアルバムを聴き終えることができます。

オーギーが単独でフィーチャーされているのは9曲目「Rosalita」。クリス・ウォリッシュという人が書いています。彼は兄弟とみられるニック・ウォリッシュとともにデュオ・アルバムを出していますが、どんな人かよくわかりませんでした。この曲ではオーギーが単独で渋い喉を聴かせます。ボレロのリズムが心地よく、フラーコのアコと並んでルイ・オルテガによるガット・ギターのオブリもいい味を出しています。ディッキンソンのピアノも入っていますが、本当に隠し味程度。でも最後のヴァースでトレモロ奏法的フレーズで存在感を見せています。

フラーコが主導するナンバー3曲はいずれも伝統的なコンフント・スタイルを基調視するものです。2曲目「Amor De Mi Vida」はフラーコとオーギーが歌うランチェラ、5曲目「My Cruel Pain」はゆったりしたボレロで、メジャーですが哀愁漂う曲です。間奏にはトランペットも登場します。タイトルは重いテーマですけどね。11曲目「Mi Morenita」は、このアルバムでも活躍しているギタリストのルイ・オルテガがフラーコ、マックス・ベカと共作したナンバーです。典型的なスペイン語のランチェラで、歌はフラーコとオルテガによるデュオのようです。

テキサス・トルネイドスのアルバムはどれもいいですが、このアルバムは程よくプロデュースされ、かなり聴きやすいものになっています。アメリカン・ルーツ・ミュージックに少しでも興味のある方にはぜひ耳にして欲しいアルバムです。このアルバムをリリースした3年後の1999年ダグ・サームが58歳で急逝、バンドは活動を休止しました。さらに2006年にはフレディ・フェンダーも鬼籍に入ってしまいました。しかし、2010年ダグの息子ショーンは、フラーコとオーギーとともにテキサス・トルネイドズを再結成。2012年にはニューオーリンズ・ジャズ&ヘリテイジ・フェスに出演した彼らを目にすることができました。オリジナル・メンバーでは来日公演もありましたが、そのときは見に行けなかったので、彼らの姿を一度でも目にすることができたのはラッキーだったと思っています。

Micheal Dinner / The Great Pretender

michealdinner今、デヴィッド・リンドレー参加アルバムは、1980年のものを取り上げているところですが、いくつか見落としがありました。今からしばし1970年代に戻ります。今日は1974年リリースのカントリー・ロックの名盤と言われるマイケル・ディナーのデビュー作をレビューします。

このマイケル・ディナーという方は、1970年代に2枚のアルバムをリリースしたものの、映画/TV業界へと転身。監督/脚本家として成功した人です。学生時代、弾き語りをしているところをマネージャーのグレン・ロスの目に留まり、CCRをリリースしていたファンタジーレコードと契約したのですが、オックスフォード大学の大学院に留学。学業を優先したため、ロサンゼルスやサンフランシスコなどで数少ないギグを演じた以外、ツアーなどはほとんどしなかったようですね。彼のファースト・アルバムはリンダ・ロンシュタットなどを手がけていたジョン・ボイランがプロデュース、そのリンダをはじめとするテキーラ・サーキットのキラ星のようなミュージシャンがバックアップ。ジャケットは売れっ子の写真家ノーマン・シーフを起用。レコード会社の彼への期待がわかろうというものです。しかし、アルバムは大して売れず、幻の名盤として語られることが多いですね。彼は1953年生まれですから、ジョン・ハイアットと同い年、今年で70歳です。アルバムのリリースは1974年ですから、まさに学生時代の21歳の頃にこれだけの作品を発表できたというのはすごい才能だと思います。しかも、全曲がマイケルのオリジナルです。

レコーディングに参加したメンバーは、リズム隊がドラムのミッキー・マッギー、ベースのマイケル・バウデン、エレピはプロデューサーのジョン・ボイラン、ペダル・スティールまたはエレキ・ギターにエド・ブラック、コーラスにダグ・ヘイウッドという基本編成に加え、多くの曲では他のゲスト・ミュージシャンも加わっています。ダグは、長年ジャクソン・ブラウンをバックアップしていたことで有名ですよね。それからジョン・ボイランはシンガー・ソングライターのテレンス・ボイランの兄でもあります。

デヴィッド・リンドレーはA面ラストの三拍子のナンバー、「Last Dance In Salinas」に参加して、フィドルを弾いています。この曲にはコーラスでダグ・ヘイウッドに加えリンダ・ロンシュタットと、ドラムはゲイリー・マラバー、スティール・ギターにアル・パーキンスが参加しています。アクースティック・ギターとペダル・スティールで幕を開ける三拍子のナンバーで、サビからリンドレーのフィドルも絡んできます。リンダのコーラスも決まっていて、まさにカントリー・ロックの完成形というにふさわしい楽曲です。間奏はフィドル・ソロ。心地よい響きに耳を奪われます。リンドレーはエンディングのフレーズもきっちりを決めています。

アルバムの冒頭に収められている「The Great Pretender」は、ザ・バンドがカバーしたプラターズの、あの名曲とはもちろん同名異曲です。爽やかなカントリー・ナンバーでジョン・デンバーの歌声を連想させます。この曲と3曲目「Yellow Rose Express」のにはボブ・ウォーフォードが参加しストリング・ベンダーを搭載したエレキ・ギターでクラレンス・ホワイトばりのプレイを聴かせます。それにエド・ブラックのスティールが絡んでくるのだから、まさにカントリー・ロックの王道のような作品。好きな人にはたまらない演奏だと思います。また、両曲ともダグに加え、ハーブ・ペダーセンとリンダ・ロンシュタットがハーモニーを加えています。この布陣も鉄壁ですよね。「Yellow Rose Express」もアップ・テンポの心地よいナンバーです。

A面2曲目の「Jamaica」に、すでにスティール・ドラム奏者のロバート・グリーニッジが参加しているのが特筆されます。彼はヴァン・ダイク・パークスやタジ・マハールのアルバムで活躍する人ですが、ヴァン・ダイクの『Clang Of The Yankee Reaper 』より早く、このアルバムで見事なプレイを聴かせています。曲はトロピカルな感じというよりも、疾走感のある少々オシャレ系の曲という感じです。グリーニッジが参加することで、曲名の南国風味を演出したかったのでしょう。さらに、パーカッションで名手ミルト・ホランドも参加しています。A面 4曲目の「Sunday Morning Fool」は、落ち着いたバラード。このあたりの歌唱はジェイムズ・テイラーを連想させます。間奏はエド・ブラックのペダル・スティール。 ピアノにアンドリュー・ゴールドがゲスト参加しています。

B面1曲目「Tattooed Man From Chelsea」は、ドン・フェルダーが歪んだボトルネック・ギターを全編で展開しているロックン・ロール・ナンバー。このアルバムの中では最もハードなタイプですが、マイケルの声は至って爽やかですね。レッキング・クルーの名手、ラリー・ネクテルも参加しています。今となってはタトゥーはごく当たり前になりましたが、この時代では「刺青男」は曲のタイトルになるくらい特殊な存在だったのでしょう。ここから後はバラードが多くなります。

B面2曲目「Woman of Aran」は オルガンが素敵なバラードです。このオルガンを弾いているのはディキシー・フライヤーズのマイク・アトリー。このころクリス・クリストオファソンとリタ・クーリッジをバックアップしていました。実にいい曲です。ここで聴かれるエド・ブラックのギターはロバートソンみたいにエモーショナルです。この曲でコーラスに参加しているのは、ゲイル・デイヴィスとロニー・ブレイクリーの二人の女性シンガー、二人とものちにソロ・アルバムをリリースします。

B面3曲目「Pentacott Lane」は ワルツ・ナンバー。ニック・デカロによるアコーディオンの響きが素敵です。この曲でもエド・ブラックがいい感じのエレキでリードをとっています。B面4曲目「Icarus」、美しいアコギの響きで始まるバラードです。アコギは全てマイケル本人が弾いていますが、すごくセンスがいいですね。セカンド・ヴァースから入ってくるペダル・スティールとストリングスも美しいです。

B面5曲目は「Texas Knight」は、このアルバムで一番の聴かせどころでしょう。マイク・アトリーの オルガンで始まり、アコギの弾き語りになる美しいバラード。 2番からはやはりペダル・スティールが絡んできます。フルバンドでひとしきり盛り上げた後、3番はラリー・ネクテルによるピアノの伴奏だけになります。サビからは再びフル・バンドの演奏にハーモニーも加わりアルバムのラストを締めくくるにふさわしい盛り上がりを見せます。ドラムはミッキーに加えラス・カンケルも参加しています。

このアルバムでかなり素晴らしいプレイを展開しているエド・ブラックは、リンダ・ロンシュタット、クリス・ダーロウ、リー・クレイトン、トレイシー・チャップマン、ホイト・アクストン、ドワイト・ヨーカムをはじめとする名だたるミュージシャンのバックを手がけてきた人なんですね。もともとアリゾナ生まれで、グース・クリーク・シンフォニーというバンドでロスへ出てきて、リンダ・ロンシュタットの前座をやったところ、リンダとプロデューサーのジョン・ボイランに認められて、そのバンドのミッキー・マッギーとともにリンダのバンドに加入することになったそうです。道理でボイラン・プロデュースのこのアルバムで二人が活躍しているわけですね。しかし、ブラックは1998年、50歳という若さで早世しています。

マイケル・ディナーは、1976年にもセカンドの『Tom Thumb the Dreamer』をリリースしているのですが、この後は音楽業界から足を洗い、80年代から映画監督として活躍し始めます。彼が本当にやりたかったのは、映像の方だったようですが、シンガー・ソングライターとしても、有り余る才能と可能性を秘めていただけに、勿体無いような気もします。彼が学業や映像より、音楽にもっと惹かれていたら、どんな展開を見せたのか興味がつきませんが、今更そんなことを言っても詮無いことですよね。

Jackson Browne / Looking East

Jacksonlookingeastジャクソンの1996年作です。彼の作品の中ではとりたてて触れられることも多くないアルバムですが、その後のライブでよく演奏される「The Barricades of Heaven」が入っていることで重要な作品です。1993年の前作『I’m Alive』では、そのころ時事的な内容に偏りがちだったジャクソンが久々に恋愛を中心とした私的なテーマに絞った作品として高く評価されました。それに比べるとこちらの『Looking East』は旗色が悪いですが、なかなかどうして充実したアルバムです。また、テーマも時事的なものに回帰していますが、ラブ・ソングも配して均整のとれた作品集となっています。

『I’m Alive』でのバック・バンドは、ドラムにモウリシオ・ルワック、ベースにケヴィン・マコーミック、パーカッションにルイ・コンテ、ギターにマーク・ゴールデンバーグ、キーボードにジェフ・ヤング、ギターとキーボードにスコット・サーストンというメンバーとなります。ルイとスコットは抜けてしまいますが、他のメンバーはその後20年近くにわたってジャクソンを支え続けることになります。プロデュースはバンド・メンバーのスコットとケヴィン。スコットは前作でもジャクソンとともにプロデュースに関わっていました。

アルバムはロック・ナンバーの表題作で幕をあけます。いつになく力強い作品ですが、ここで歌われる”East”とは「東洋」ではなく、ジャクソンの住む西海岸から見て「権力の中枢」のある「東海岸」を指し、巨大な資本主義社会の矛盾について思いをめぐらせています。ギターはマーク、スコットともにワディ・ワクテルも参加しており、ロック色が強くなっています。また、オルガンはベンモント・テンチが弾いています。この曲は2015年と2017年の日本公演でも演奏され、その時のアレンジもとてもかっこよかったです。2015年のライブ・バージョンは『The Road East -Live in Japan-』にも収録されていました。

2曲目が「The Barricades of Heaven」。このアルバムが出た1996年、ジャクソンは来日し福岡でもコンサートを行いました。もちろんその時も演奏されましたが、その後見たコンサートでは2010年のシェリル・クロウとのジョイントの時を除いて、たいていは演奏されていたように思います。ジャクソンにとってもお気に入りのナンバーなんでしょう。曲調は「Fountain of Sorrow」を彷彿とさせるところがあります。この曲と「Running On Empty」は、ちょっと歌詞が似ています。28歳の頃に、17歳と21歳の頃を振り返っており、車のメーターが”empty”をさしても走り続けると歌っています。一方、「The Barricades of Heaven」は48歳になって、16歳の頃サニー・ヒルズに住み、パラドックスはじめロサンゼルスのフォーク・クラブに出入りしていた時代を懐かしく回想しています。曲はみずみずしいですが、半世紀近く生きて人生のそれぞれのページをかみしめる内容になっています。最近はルーツっぽいアレンジで演奏されていますが、このアルバムのバージョンを今聴きかえすと、けっこう90年代なサウンドですよね。こちらも『The Road East -Live in Japan-』に収録されているので、聴き較べて見ると面白いと思います。

3曲目は「Some Bridges」です。この曲にはデヴィッド・リンドレーがゲスト参加。イントロ、間奏、エンディング、オブリガードと全編にわたって少し歪ませたラップ・スティールでバリバリ弾きまくっています。いい演奏です。曲調はミディアムのロックで、日々の生活を歌い込んだラブソング。もちろんメロディ・ラインも実にジャクソンらしくて素晴らしいです。1996年の日本公演でも演奏されましたが、リンドレーのフレーズはマークが弾いていたのかなぁ。もう覚えていません。マークはラップ・スティールにも挑戦していましたが、ボトルネック奏法もやっていたように記憶しています。この曲は2017年のツアーでも再び取り上げ、その時はグレッグ・リースのラップ・スティールを堪能することができました。

4曲目「Information Wars」は、まさに現代社会を予見した内容です。ただ、この時代はまだテレビが大きな力を持っており、「情報戦争に突入」と言いながらも、あまりインターネットのことには触れていませんが、「戦争の最前線を特等席で見れる」という意味の表現には、その後展開され、現在も続いている様々な戦争の状況を言い当てています。サウンドはかなり現代的でルイ・コンテのパーカッションに乗せて、3本のエレキ・ギターが見事なコラボレーションを聴かせています。間奏のリードはマークによるものでしょう。エモーショナルなフレーズが印象的です。エンディングではかなりエフェクトを効かせたリードが聞こえてきますが、こちらもマークでしょうか。マークにはウードのクレジットもあります。

5曲目は「I’m The Cat」です。「僕はネコちゃん」という感性にちょっと疑問を感じなくもないですが、この曲も実にジャクソンらしいメロディを持った軽快ないい曲です。もちろん内容も甘いラブソングです。エンディングで二本のエレキ・ギターが掛け合いをやっています。マークとスコットかなとも思うのですが、スコットはこの曲ではバリトン・ギターを弾いていて、マイク・キャンベルもギターで参加しているので、ここでの掛け合いはマークとマイクかもしれません。あと、コーラスで超低音を歌いライ・クーダーのコーラス隊にも名を連ねるウィリー・グリーン・Jrが参加しています。

6曲目は「Culver Moon」。「Information Wars」と並んで現代的なサウンドです。ロサンゼルスの一角のいかがわしい町を題材にしており、ベイビー・アンジェリーンと呼ばれる巨乳の女性を描いたビルボードが街を見下ろし、映画の撮影所やチッペンデールズと呼ばれる女性客向けの男性ダンサーたちが際どい踊りを見せてくれる街だそうです。この街を舞台にしたラブソングですが、曲調はちょっとファンキーでメッセージソングのような印象を受けます。

7曲目は「Baby How Long」です。アルバムの中で最もブルージーなナンバーでライ・クーダーがゲスト参加しています。”How Long”というテーマは、大昔のブルーズから繰り返し使われているテーマで、ジャクソン自身も『World In Motion』に「How Long」という曲を収録しています。こちらは政治的な内容なのですが、今回の「Baby How Long」は、自分を騙し続けてきた恋人をなじる歌です。この曲の対象は前作で思いのたけをぶつけたダリル・ハンナでしょうか。ライ・クーダーは、マーク・ゴールデンバーグとイントロから掛け合い、むせび泣くようなボトルネック・ギターを随所で響かせます。間奏の前半は繰り返されるジェフのオルガンのフレーズを邪魔しないように弾いていますが、後半ではフレーズが冴え渡ります。もう少し長く聴きたいところですが、アルバムの性格上仕方ないでしょう。コーラスにはボニー・レイットも参加しています。

8曲目は「Nino」は、ラテン調。サルサっぽいアレンジです。それにしてもオールマイティなバンドですよね。このアルバムではほとんどの曲がバンド・メンバーとの共作ですが、特にこの曲はバンドのパーカッション奏者ルイ・コンテと一緒に書いた部分が多いそうです。彼はキューバ生まれなんだそうですが、このころアメリカとキューバは国交がなく、故郷を離れた彼は、異国で暮らし帰省することもままならなかったでしょう。世界的なパーカッション奏者となり国交も回復した今は、気軽に故国に帰ることもできるでしょうけれど…。この曲の主人公の名前はニーニョですが、ルイが題材であることは明白です。ジャクソンは一部をスペイン語で歌っています。この曲、曲調はラテンなのですが、リード・ギターにはなんとなくアフリカのリンガラっぽいフレーズが出てきますね。ジャクソン・バンドの懐の深さが感じられます。

9曲目は問答無用の名曲「Alive In The World」です。これぞジャクソン・ブラウン・メロディといった趣きのバラード。マークによる間奏のギターフレーズも局長に実にマッチしています。曲もメッセージソングで、「目を見開き、本当の世界に生き、目を見開き、本当の世界に到達したい」と歌われ、冒頭のタイトル曲と呼応し、世界に溢れる情報の欺瞞を見抜き、本当の世界で汗して生きる人々と共生したいとう思いが伝わってきます。コーラスにはデヴィッド・クロズビー、弟のセヴェリン、そしてヴォンダ・シェパードも参加し、曲に厚みを与えています。

ラスト・ナンバーは「It Is One」です。80年代後半から、様々なイベントでアフリカのユッスー・ンドゥールをはじめとする世界中のミュージシャンと共演してきたジャクソンらしいメッセージ・ソングで、前曲を受けて「世界はたった一つ」と歌われます。曲調は明るいレゲエ調ですが、リード・ギターのフレーズは「Nino」と同じくアフリカっぽい響きがありますよね。当時の来日公演ではアンコールで歌われ、ゲストのヴァレリー・カーターもコーラスに参加していました。もちろんアルバムでもハーモニーを歌っています。

日本盤にはボーナストラックとして、アクースティック・ギターとハミルトン高校のゴスペル合唱団をフィーチャーした「World in Motion」ライブ・バージョンが収録されています。その後、ライブで聞かれる「World in Motion」は、この時のアレンジを基にしたものになっていきます。

このアルバムの収録曲ですが、「Alive In The World」と「Baby How Long」についてはジャクソンが単独で書き下ろしていますが、他の曲はバンド・メンバーとの共作で、「It Is One」と「Nino」はヴァレリー・カーターも共作者に名前を連ねています。ジャクソンはインタビューで「みんなでなんとなくジャムったり、サウンドチェックをしたりしている時に生まれてきた曲が多かったな。」と話しています。こうした曲にメンバーの名前をクレジットするのは実にジャクソンらしいやり方で、このバンドが長く続くことになった要因の一つと言えましょう。

今、聴きかえしてみるとジャクソンの声が若いですね。それから27年の歳月が流れているわけで当然といえば当然なのですが。声質が大きく変わっているわけではないのですが、キーも下がったし、逆に低音は今の方がよく出るようになっています。どちらがいいかは好みの問題ですが、今の声の方が深みがあるようにも思えます。27年というと今の若い人にははるか昔なんでしょうけど、今もその輝きを失わない、いいアルバムだと思います。ただ、アルバム全体の完成度でいうと、『Late For The Sky』から『Hold Out』に至る諸作には及ばないかな、と感じてしまいます。また、当時のジャクソン・バンドの傑作アルバムである『I’m Alive』の次に出ただけに、少々分が悪いですが、なかなかどうして名曲が多く、のちのライブでも演奏される曲の多い好盤です。

The Doobie Brothers Live at Kanazawa Kagekiza

IMG_9279先週の4月22日、金沢に行ってきました。ドゥービー・ブラザーズの公演を見る、というのも大きな目的でしたが、コロナ禍でここ3年観光らしい観光もしていなかったので、まだ行ったことのない魅力的な城下町への旅を兼ねて、久々に飛行機に乗って金沢まで足を伸ばしました。ドゥービーは大ファンというわけではなく、再結成後も熱心に聴いていたわけではありませんが、やはりこの編成でのコンサートには心動かされるものがあります。ちょうど高校生で洋楽を聴き始めた頃、ドゥービーは一旦解散。1983年に出たフェアウェル・ツアーのライブ盤は当時よく聴いたものです。でも、ベスト盤的なそのアルバムで満足して当時は深掘りしなかったのですが、長い年月の間なんとなく再結成前のアルバムは全部集めてしまいました。再結成後のものは、ライブ盤を除き、このライブのチケットを買ってから何枚か買って全部耳を通しましたが、かなりの力作揃いですよね。

さて、福岡・小松間の飛行機はなんとプロペラ機。国内でプロペラ機に乗ったのは初めてです。約1時間半のフライトの後小松空港に降り立ちます。白山は冠雪しており、空気もどことなくひんやりしています。ここからシャトルバスで金沢市内まで約40分、午後2時には金沢駅についていました。約25時間の滞在です。

公演のある金沢歌劇座は、兼六園に近い博物館ゾーンの一画にあります。名前からすると和風の建物を想像しますが、ちょっと見ると官庁の建物のようなホールを持つ施設で、2007年までは「金沢市観光会館」だったそうです。キャパは約1900、コンサートを見るにはちょうどいい大きさですね。県立博物館を見学した後、開場時間の午後4時には歌劇座について列に並び場内に入りました。パンフとTシャツを購入し客席に入ります。席は14列目通路前の良席、ステージ全体を見渡せる良い場所です。

定刻の17時ちょうど、客席が暗くなり上手からマイケル・マクドナルドが登場。黒っぽい服装に美しい銀髪が目立ちます。もちろん客席からは大きな拍手。彼のピアノ・ソロでコンサートはスタートです。するとアコギを抱えたパット・シモンズと、ナショナル・トライコーンを抱えたジョン・マクフィーが登場。パットとマイケルの伴奏でマクフィーがトライコーンの弦の上にボトルネックを滑らせます。これは『World Gone Crazy』収録のバージョンと同じアレンジで「Nobody」の登場です。元々は彼らのデビュー曲。50周年記念ツアーにふさわしいオープニングです。バンドメンバーが次々と配置に着くと、トム・ジョンストンがブルーのポール・リード・スミスのギターを抱え登場。歌い始めます。着ているのは半袖のTシャツ。髪は染めているのでしょうけど、とても74歳とは思えない若々しさです。声もよく出ています。パットはグレイ系のジャケットにハット。トレードマークのロングヘアはほとんど銀髪です。ジョン・マクフィーは黒ずくめですが、ジャケットを着ています。彼も髪を染めているのでしょう。ベースはニュー・グラス・リヴァイヴァル出身のジョン・コーワン。彼のライブは2006年に北九州パレスで見たことがありますが、歌のうまい彼ですから、見事なハーモニーを聴かせてくれました。もちろんベースのプレイも完璧です。

2曲目で、サックスのマーク・ルッソが登場。彼も銀髪を長く伸ばしています。曲はモータウン・カバーの「Take Me In Your Arms」です。冒頭2曲、ノリの良いナンバーをつなげライブを盛り上げ、すでに一部の観客は立ち上がってノっています。パットとマクフィーは楽器をエレキに持ち替えます。3曲目はマイケルのスモーキーなリード・ヴォーカルで「Here To Love You」。言わずと知れた名盤『Munite By Munite』の冒頭のナンバー。この曲かなり好きなので生で聴けて感無量です。前曲からの落差は激しいけれど、この二つのタイプのドゥービーを同時に楽しめるというのが今回のツアーの最大の魅力ですね。ルッソのサックスもいい味を出しています。

4曲目にパットが歌う「Depend On You」が登場。パットもいい声ですが、ちょっと苦しそうだなぁと思っていると、突然PAが落ちるトラブル。演奏はアンプから出る生音だけになっちゃうし、ヴォーカルは全然聞こえません。大丈夫かなと思っていると曲の終盤で復旧しました。もともとパットがリードをとる曲は少ないだけに、この部分はちょっと残念でした。5曲目に、初期の代表的なロックン・ロール・ナンバー「Rockin’ Down The Highway」が登場。もちろん会場は盛り上がり、ここで立ち上がる人もいました。けれども後ろのお客さんが「見えないから」と立ってる人に注文をつける場面もあり、総立ちにはなりません。

6曲目、トムがアコギに持ち替え、最新作から「Easy」の登場です。マクフィーは白のストラトでスライド奏法でリードをとりますが、彼は通常と違って、人差し指にボトルネックをはめ、低音弦側から弦上を滑らせます。ペダル・スティール奏者らしい奏法ですね。しかし、ここでも機材トラブル発生。マクフィーのギターの音色が冒頭かなりキツめだったため、マクフィーがエフェクターを指してクルーに何やら指示を飛ばします。中盤からはあまり音色に問題はなかったように思いますが、このトラブルのあと、白のストラトは弾いてなかったような気もします。曲はサビが印象的な心地よいアメリカン・ロック。トムのいい声が映えますよね。

7曲目、パットがアコギにもちかえマクフィーがペダル・スティールの前に座り、パットが歌うシンガー・ソングライター的な名曲「South City Midnight Lady」の登場。大好きな曲です。それにしても、この曲のコーラスは見事ですよね。マクフィーのスィールも実にスムーズな演奏で心地よいです。トムもエレキでリードをとります。ギタリストが3人ともリードをとれるバンドだけに音に厚みがあります。この曲で、マイケルはフラット・マンドリンを弾いていました。ソロはありませんでしたが、なかなか聞き応えのある演奏でした。曲が終わると早速ペダル・スティールは片付けられてしまいます。それから長めのMCタイム。ドゥービーの活動全期間、唯一在籍している文字通りの”屋台骨”パトリック・シモンズがバンド・メンバーを一人ずつ紹介していきます。パットの紹介はトムが務めます。この辺りでは、すでにパットもマクフィーもジャケットを脱いでいます。

8曲目もアクースティック・ギターをフィーチャーしたパットのナンバーで「Clear as The Driving Snow」です。エレアコを持ったパットとマクフィーがステージ中央に並び印象的なイントロが始まります。後半はちょっとプログレ的な展開を見せマーク・ルッソのサックス・ソロも飛び出します。9曲目は、マイケルのナンバー「It Keeps You Running」の登場です。カーリー・サイモンもカバーした1976年の名曲。実にマイケルらしいオシャレな展開の演奏で、彼のソウルフルな歌声も素晴らしいです。

10曲目は、トムのリードに戻りシンガー・ソングライター的なナンバー「Another Park Another Sunday」が歌われます。トムが歌う曲の中では、一番メロウなタイプの曲ですが、これがまたいいんです。やはりバンドのハーモニーが冴えています。11曲目にやっぱりメロディが素晴らしいロック・ナンバー「Eyes of Silver」。トムのリード・ヴォーカルが続きます。12曲目、トムがアコギに持ち替え、最新作から「Better Days」が演奏されます。この曲のリード・ヴォーカルはパット。なんだか一時期のブルース・スプリングスティーンを連想させる曲調ですが、アメリカン・ロックの王道路線であることは間違えありません。13曲目も続いて最新作からのナンバー「Don’t Ya Mess With Me」です。この日演奏された最新作からの曲の中では、最も豪快なタイプの曲です。もちろん、リード・ヴォーカルはトム。14曲目は、マイケルのナンバー「Real Love」が登場します。解散前のラスト・アルバム『One Step Closer』に収録されている曲で、マイケルのメロウな部分が強調されています。

15曲目で、トムが客席に「Get Up!」と声をかけ立ち上がるように促します。曲は2010年にリリースされた『World Gone Crazy』から表題曲。マイケルがニューオーリンズ風のピアノで少しばかりソロを聴かせた後、ノリがよく楽しい曲調につられて聴衆のほとんどが立ち上がります。ここからライブは佳境に入ります。16曲目でマイケルの歌う「Minute By Minute」が登場。大ヒットアルバムの表題曲。エレピのあのイントロが始まっただけでワクワクしますね。立ち上がった観客もそのまま身体を揺らしています。

17曲目に問答無用のロックンロール・ナンバー「Without You」が登場。これは盛り上がります。トムのハリのある歌声が冴え渡ります。このあたりから、パット、マクフィーそしてマーク・ルッソはソロの時に舞台を縦横に歩き回り、左右の花道でもプレイし始めます。エンディングは、パット、トム、マクフィーの3人が並び、シンコペーションに合わせてギターのヘッドを突き上げるパフォーマンス。これぞドゥービーの真骨頂ですね。18曲目は「Jesus Is Just Alright」をたたみ掛けます。大半がコーラスですが、ブリッジを歌うパットにピンスポが当たり、まるで本当にジーザスのような神々しさです。エンディングでパットがジャンプしたのはこの曲だったかな。

19曲目で再びマイクがマイケルに渡り「What A Fool Believes」が演奏されます。あのシンセのイントロに乗せてマイケルが歌い出します。本当に名曲ですよね。解散ライブ盤で初めてこの曲を耳にしてから40年という歳月を経て、初めて生演奏に接することができました。曲が終わると、トムが印象的なイントロをプレイし始めます。いよいよ代表曲「Long Train Running」の登場です。聴けて嬉しい反面、もうすぐライブが終わってしまう…という複雑な気持ちになります。最初の間奏はマクフィーがハーモニカをプレイ。本当に多芸なミュージシャンです。エンディングでドラムとパーカッションだけの演奏になったかと思うと、ベースとパットのギターがリズムを刻み、マーク・ルッソがサックスを持って下手の花道の端まで行って熱演です。そして21曲目、本編ラスト・ナンバー「China Grove」に突入です。あのイントロの歪んだギターにはディレイがたっぷり効いています。本当に心地よいロック・ナンバー。メンバーの多くが70代と高齢ですが渋くなったり枯れたりせず、全盛期そのままのサウンドを維持しているのは流石としかいいようがありません。この曲の間奏のリードギターはマクフィー。彼は上手の花道の端まで行く熱演。この曲で本編は締めくくられます。

当然アンコールの拍手は鳴り止まず、アコギを抱えたパットと、エレクトリック・フィドルを持ったマクフィーがステージに現れ、アンコールの1曲目「Black Water」の始まりです。もちろんパットのリード・ヴォーカルです。ブルージーなこのナンバーはドゥービーの曲の中でも1・2を争う好きな曲。ライブで聴けて感無量です。1番ではマイケルがフラット・マンドリンを弾いていました。サビではお約束通り「カナザワ・ムーン」の言葉が登場し、大きな拍手を受けていました。それから後半のリフは客席に歌わせて盛り上げます。ドゥービーの初めての全米No.1ヒットがこの曲です。

アンコール2曲目が始まる前、静まり返った客席に向けてルッソのサックスとマイケルのピアノで「Amazing Grace」が演奏されます。これをイントロとして「Taking To The Street」が始まります。もちろんリード・ヴォーカルはマイケル。再結成後マイケル不在時のライブでは、パットが代わりに歌っていましたが、今回のツアーでは本家の歌声を聴くことができました。そしていよいよオーラスは「Listen To The Music」です。まさに大団円。大半の聴衆は「Oh oh」のところで右手の拳を突き上げ、後半のサビでは演奏を静かにして聴衆に歌わせていました。圧巻ですね。

全24曲、2時間と少し。充実したライブでした。Setlist FMというサイトで、ドゥービーズの最近のセットリストが見れるのですが、この50周年記念ツアー、本国でもオーストラリアでもフェスなどを除き基本的に同じ曲、同じ曲順で進められています。しかし、18日の横浜公演まではマイケルの歌う「You Belong To Me」が入っていたのに、なぜか20日の名古屋公演以降は歌われていません。特に聴きたかったというわけでもありませんが、減っちゃってちょっと残念です。マイケルのリードは7曲が6曲になったわけです。パットは「Jesus Is Just Alright」を入れたとしてもリードは6曲。残り12曲がトムのリード・ヴォーカルでした。

トム・ジョンストンはブルー、コールド、チェリー・サンバーストの3本のポール・リード・スミスのエレキ・ギターと、マーティンD-28と思しきアコギの4本。パットは、ピンクと赤系そしてタバコ・サンバーストのストラト3本と、エレアコが2本の計5本。マクフィーは白のストラトと赤系のソリッドの2本、ナショナル・トライコーン、エレアコ、ペダル・スティール、フィドルと6本の楽器を操っていました。ジョン・コーワンも3本のソリッドのベースを持ち替えていました。もしかしたら、見落としがあるかもしれません。ここまで触れてきませんでしたが、ドラムのエド・トスとパーカッションのマーク・キノネス二人もすごく的確なプレイ。ドゥービー・サウンドの再現にすごく貢献していました。

バンドの歴史を振り返ると、何と言っても1976年の『aking To The Street』が大きな転換点ですよね。トム・ジョンストンが体調不良のため徐々にバンドを離れていき、代わりに新加入のマイケル・マクドナルドがバンドの主導権を握るようになります。それに伴ってパットの書く曲も変化していきます。このアルバム以前は豪快なアメリカン・ロック・バンドだったのが、洗練されたソウルフルなサウンドを聴かせるようになります。カントリー的な要素は存続しますが、アルバムの中ではちょっと浮いた存在になっていきますよね。1976年というと、ボズ・スキャッグスの『Silk Degrees』やイーグルズの『Hotel California』がリリースされたと同時に、ロンドンからはパンクが一大勢力として登場し、ロック界が大きく変質していく年です。ドゥービー・ブラザーズは、こうした中でトム・ジョンストンが戦列を離れるというアクシデントはあったものの、AOR路線へと転換しヒット・レコードを出し続けシーンを牽引する役割を果たしました。自分がアメリカン・ロックに興味を持ち出した10代半ばは後期ドゥービーズの時代に当たります。前期と後期、どちらも好きですが、今回のコンサートでは、その両方を見ることができる稀有な機会となりました。

アメリカ大陸は広く、貨物列車は今日も大陸全土を走っています。彼らの「Long Train Running」はその貨物列車を歌い込んだ愛の歌ですが、鉄道の役割は20世紀後半にはインターステイト・ハイウェイが整備され大型トレーラーにかなりの部分が置き換わってしまいました。何かの記事で、”ドゥービーズやオールマン・ブラザーズ・バンドのツイン・ドラムは、トレーラーのダブル・タイヤのように大陸全土を走るトレーラーやトラックの推進力だ”という意味のことが書かれていたのを読んだことがあります。言い得て妙だと思いました。当時のトラック・ドライバー達はドゥービーズやオールマンズなどをBGMに果てしなく続くハイウェイを走り、アメリカの物流を担っていたのでしょう。今回のコンサートは自分にとって最初で最後の生ドゥービーズになるかもしれませんが、”アメリカン・ロックの真髄”の一端を見せてくれた、素晴らしいライブでした。

最後に作家のクリス・イプティングがパンフレットに寄せた文章の拙訳を載せておきます。

「1970年、カリフォルニア州キャンベルのガスライト・シアターで出会ったトム・ジョンストンもパット・シモンズも、50年以上も後になって、彼らがまだ音楽のソウル・メイトで居られるとは思いもしなかっただろう。ジョンストンはその夜、ベイエリアの伝説的なバンド、モビー・グレイプのスキップ・スペンスとプレイしていた。シモンズはフォーク・デュオの片われだった。すぐに二人は意気投合し、ジョンストンが他のプレイヤー達と住んでいたサンノゼの12番ストリートの家の近くで夜中までジャムっていた。ジョンストンのドライブするエレキ・ギターのサウンドとシモンズの複雑なピッキング・スタイルがブレンドされた。そのサウンドは二人が大ファンだったモビー・グレイプのハイブリッドなサウンドに似ていないことはなかった。

彼らは、そのようにして始まった。

ドラマーのジョン・ハートマンとベーシストのデイヴ・ショグレンと一緒になって、4人組はすぐにサンタクルーズの山深くにある伝説のシャトー・リベルテでギグを行なった。そこは、ハードコアなバイカーからアーティスト、学生まで来るものを拒まないボヘミアンが集うロードハウスだった。けれども、どんなバンドにも名前が必要だ。一番最初のギグの前に、彼らのハウスメイトが冗談めかして「ドゥービー・ブラザーズはどうだ?」と提案した。というのも、バンドがある種の天然素材に飢えていることを考えると、選択肢のひとつになる。その名前ははまった。無名だったプロデューサーのテッド・テンプルマンとともに、ドゥービー・ブラザーズは、モビー・グレイプにインスパイアーされたサウンドを磨き上げた。そのサウンドはすぐにR&B、フォーク、カントリー・ロック、そしてブルーズそのものを含んだ音楽へと広げられた。アメリカン・ミュージックに祝福されたアメリカン・バンドとなったのだ。数年間のノンストップ・ツアーの後、ロードの戦士たちには立ち止まる必要が生じた。ツアーの最中、健康問題がジョンストンをロードから離れさせることになり、マイケル・マクドナルドという名の若いバックグラウンド・ヴォーカリストにその代役が回ってきた。バンドの次のステップはさらにレパートリーとスタイルを押し広げた。長い間、ドゥービーズは活動を休止し、マクドナルドはソロとなった。バンドは再結成しジョンストンはパットともにフロントマンに復帰した。今夜、この信じがたい歴史のあらゆる章が同時に再現される。今まで実に多くのプレイヤーがこのミュージカル・ファミリーの様々なパートを担ってきた。タイラン・ポーター、ジェフ・スカンク・バクスター、キース・クヌードセン、マイケル・ホサック、ボビー・ラカインド、その他大勢。今夜、この新たにロックの殿堂入りしたグループの素晴らしい音楽的遺産を形成するために、彼らが果たした役割のために、彼ら全てを代表して演奏される。彼らは何度も世界中にメッセージを届けてきたオリジナルのロックンロール・カウボーイだ。彼らの世代で最も影響力が強く、エネルギーに満ちたショーを行うことで、何百万人もの人々を楽しませてきた。そして、今夜彼らはあなたのためにここにいる。あなたが彼らのためにここにいるように。

私たちは、あなたが立ち上がり、ともに歌い、あなたが覚えている彼らの歌を感じるため、あなたを招待した。これがあなたが成長してきた人生のサウンドトラックかもしれないし、あるいは、より若いファンとしてドゥービー・ブラザーズを発見したまさに最初の時かもしれないが、何れにせよ、今夜はあなたが決して忘れらない夜の一つになるだろう。そして、音楽に耳を傾けるだけでいい。なぜなら、全てが終わった後、私たちは心配することは何もなく、急ぐことも何もないからだ。    クリス・イプティング」

1.Nobody
2.Take Me in Your Arms (Rock Me a Little While)
3.Here to Love You
4.Dependin' on You
5.Rockin' Down the Highway
6.Easy
7.South City Midnight Lady
8.Clear as the Driven Snow
9.It Keeps You Runnin'
10.Another Park, Another Sunday
11.Eyes of Silver
12.Better Days
13.Don't Ya Mess With Me
14.Real Love
15,World Gone Crazy
16.Minute by Minute
17.Without You
18.Jesus Is Just Alright
19.What a Fool Believes
20.Long Train Runnin'
21.China Grove
(Encore)
22.Black Water
23.Takin' It to the Streets
24Listen to the Music

IMG_9334

Joe Walsh / There Goes The Neighborhood

joewalshneighborhoodジョー・ウォルシュは言わずと知れたイーグルズの後期メンバーです。1968年ジェイムズ・ギャングのギタリストとして頭角を表し、1971年に脱退するとジョー・ヴァイターレやケニー・パサレリとバーンストームを結成。2枚のアルバムをリリースします。この2枚のミュージシャン・クレジットは「ジョー・ウォルシュ」となっており、ソロ作と捉えても良いのかも知れません。1974年には完全なソロとして『So What』をリリースしますが、翌1975年にはバーニー・レドンの後釜としてイーグルズに加入するも、引き続きソロでもアルバムをリリースしたり、ロッド・スチュアート、J・D・サウザー、デイヴ・メイスン、ランディ・ニューマン、ウォーレン・ジヴォンはじめ多くのミュージシャンのアルバムにギタリストとして参加しています。

このアルバムは、イーグルズ解散後の1981年にリリースされたウォルシュの4枚目のソロとなりますが、バーンストーム時代も入れると6枚目となります。自分が好きなのはバーンストームの1枚目です。もちろんCD化された後に聴いた後追い世代ですが、ボトルネック・ギターのサウンドも含め結構お気に入りです。

さて、このアルバムはデヴィッド・リンドレーが参加しているということで、学生時代に中古LPで入手したんだと思います。でも、当時はあんまりピンとこなかったなぁ。今聴くと、ニューウェイヴとか80年代サウンド全盛の時代にあって、結構面白いことをやってる一枚だなぁと結構楽しむことができました。

リンドレーが参加しているのは以下の2曲です。ボトルネックはウォルシュもお得意なので、スライドは弾かずフィドルとコーラスでの参加となっています。

まず、A面の3曲目「Down On The Farm」です。ミディアムながらウォルシュのエレキ・ギターのサウンドが結構ハードな感じを醸し出しているロック・ナンバーなんですけど、リンドレーのフィドルがタイトルに合わせて田舎びたサウンドを出しているのが素晴らしい。通常、こういう曲にフィドルのサウンドは合わないはずなんですが、きっちり”聴かせる”サウンドになっているところが、この二人の凄いところでしょう。また、曲の全編で聴ける口琴が印象的です。曲のタイトルが数年前に出たリトル・フィートのものとかぶってますが、もちろん同名異曲です。

B面2曲目「Bones」は、ちょっともたついてるリズムが素敵なマイナーのブルーズ・ロック。間奏部分のスキャットでジョーの声に呼応する裏声のコーラスを入れているのがリンドレーです。ジャクソン・ブラウンの「Stay」で聴けたあの裏声を少し聴くことができます。この曲にも”Violin”のクレジットがあるけど聞こえないです。もしかしたら、複数入っているエレキ・ギターの一つがリンドレーかも知れませんが、クレジットを間違えたのかも知れません。

他の曲にも簡単に触れてみましょう。冒頭の「Things」は、重いドラムで始まるけれど、ミディアム・テンポの爽やかないい曲です。エレピのサウンドがいかにも80年代の雰囲気を出し、ちょっとばかりAORっぽい香りもします。エンディングのごく短い自由なアカペラ・コーラスも面白いです。「Made Your Mind Up」は、少しばかりハネるリズムの明るいナンバー。ウォルシュのボトルネック・ギターがいい味を出しています。彼のスライドもロング・トーンで本人はデュエイン・オールマンの影響を公言しています。「Rivers(Of the Hidden Funk)」は、ゆったりしたイントロの途中からタイトル通りのファンキーなベースラインでインテンポになります。でも、やっぱりこれはロック・ナンバーですね。「A Life of Illusion」は、印象的なメロディを持つロック・ナンバー。ウォルシュの個性がいい形で発揮されています。間奏はやはり本人のボトルネック・ギターが活躍します。「Rockets」は、タイトルとは裏腹に美しいバラードです。やはりシンセやエレピの音色がいかにも80年代の香りを醸し出しますが、ウォルシュは上手く使って”いますね。ラスト・ナンバーの「You Never Know」は、ちょっと複雑な構成で組曲的展開を見せるマイナー・キーのファンキーなロック・ナンバーです。ウォルシュのギターはもちろん声もこういう曲にも結構ハマるような気がします。

今回、久々にアルバム全曲に耳を通しましたが、なかなかいい作品ですよね。このアルバムが出る頃にはイーグルズは一旦解散してましたが、彼はイーグルズでの活動を経て知名度も向上し、このアルバムもビルボードのチャートで20位を記録しました。アルバム・ジャケットは都市を見下ろす丘の上のゴミの山に停めた戦車に乗ってサングラスをかけ迷彩服を着たウォルシュがなんだか物想いにふけってる写真です。彼のジャケットは古い複葉機だったり、ミラーボールだったり、インパクトが強いものが多いですね。特に西海岸のロック・ミュージシャンはリベラルで平和を望むタイプの人が多い気がするのですが、このアルバムといい、『You Bought It-You Name It 』といい”戦争”を思い起こさせるものがいくつかあります。でも、彼はオハイオ州ケント州立大学の学生で、1970年ベトナム戦争反対デモを行っていた学生に州兵が発砲し4人が亡くなった事件の時、キャンパスにいて衝撃を受けたそうです。この事件はニール・ヤングがすぐさま「Ohio」という歌にして、CSN&Yで急遽シングルをリリースしましたから、ロック・ファンにはよく知られた事件ですよね。そんなウォルシュですから、思想が右寄りということはないと思うのですが、どういうわけか、こんな感じのジャケットが多いです。彼らしいとも言えますけどね。いち早くヴォイス・モジュレーターを導入したり、派手な衣装でステージを飛び回ったり、「I Like Big Tits」という曲を作ったりと結構ロッカーらしい破天荒な側面を持ち合わせているようですね

The Chieftains / Santiago

chieftanssantiago1996年にリリースされたこのアルバムは、主に伝統的なガリシア音楽を取り上げたものです。ガリシア地方というのは、スペインの北西部にある地域で、古くからケルト人が居住しているところです。少し前に取り上げたカルロス・ヌニェスはこの地域の出身で、このアルバムでも活躍しています。ガリシア人は、メキシコやキューバはじめ世界各地へと移民していますが、こうした地域の音楽も取り上げられています。アルバムにはパディ・モローニが執筆したライナーが掲載されています。日本盤にはちゃんとした翻訳が掲載されているのでしょうけど、輸入盤しか持っていないので、ここに拙訳を載せてみようと思います。曲ごとのライナーまでは全部訳しきれませんでした。

「20年以上前、親しい友ポリ・モンジャレは私にスペインの北西隅の緑にあふれた丘陵地帯、ガリシア地方の素晴らしい音楽を紹介してくれた。そこに住む人々は昔から漁業と農業を生業としていたが、ヨーロッパの中でも伝統的に最も貧しい地方の一つである。ガリシアの人々は自分たちの言語(その言葉はスペイン語よりポルトガル語に近い)を話す。彼らの文化、特に音楽はカスティーリャやアンダルシアより、ブルターニュやウェールズやスコットランドとの共通点が多い。ガリシアはかつて”もっとも知られていないケルティック・カントリー”と説明されていた。

1984年、ヴィゴの港で、私はガリシアのバンド、ミラドイロが主催する野外フェスティバルで演奏した。私はそこでその名をカルロス・ヌニェスという物静かで礼儀正しい若者を紹介された。数年後、ブルターニュのプロムールの音楽学校を訪れた時、若く才能のあるガリシア人のパイパーが私たちのために演奏してくれた。私は驚き喜びに包まれた。彼こそ数年前に紹介された、まさにその若者だったのだ。

少しあと、ポリとフェルナンド・コンデの助けで、セニョール・ヌニェスと同様に若く知恵のある仲間とともに、私はヴィゴから来た早熟なパイパーがチーフタンズのステージに参加するようアレンジした。その夕べは音楽スタイルと伝統の栄えある邂逅となった。その瞬間から私はこの経験を再生拡大し、そのエッセンスをとらえレコードにしようと決意した。その数年前、『ケルティック・ウェディング』というブルターニュ音楽のアルバムを出したように。

そのプロジェクトはゆっくりと進んでいった。ヴィゴでの最初の夜には決して想像もしなかった多くの新しいエキサイティングな方向へと我々を連れて行くことになった。カルロスは世界中で我々のステージに出演し、リコーダーとガイタの無類の技術で観客を魅了した。こうして彼は、チーフタンズの”ほぼ7人目のメンバー”と呼ばれるようになった。我々はともに旅し、レコーディングを行った。そして、私たちが訪れた様々な場所の伝統的な巡礼のルートから、サンティアーゴ・デ・コンポステラの魅惑的な大聖堂へと至る我々の音楽活動のためのインスピレーションを導き出した。キリスト教徒はその場所を神聖視し、セント・ジェームズ使徒(聖ヤコブ)の最後の休息所と信じている。古代ケルトの時代には、天の川の星を追って地の果て(フィニステレ岬=イベリア半島北西)まで巡礼したという古い伝説がある。その神秘的な起源を超越して、巡礼は世界中から何千人もの人々をこの遠い地に引き寄せ続けている。旅の間、私たちはブレトンからバスク、アストゥリアスからポルトガルなどの様々な文化の雰囲気や音楽スタイルをサンプリングした。そこには巡礼が最高潮に達した時の中世から続く音楽があり、それは、より遥か昔のもっと曖昧な起源までさかのぼる。

現代史をみると、彼らと同じケルト系の多くの部族同様、ガリシア人が新世界に大量に移民した時、彼らの音楽はより進化した。意図的であれ必然的であれ、彼らは米国南部に一次定住し、メキシコとカリブ海から中央アメリカと南アメリカにルーツを広げた。旅の中で私たちは、カルロスや良き友ライ・クーダーと、そしてのちには南カリフォルニアでロス・ロボスやリンダ・ロンシュタットと共にこの異国情緒あふれる料理の味だけをサンプリングすることができた。

ガリシアの豊かな伝統に裏打ちされた音楽を持つ他の国々が、私たちを巡礼の旅に誘う。残念なことに、今回はここで旅のスケジュールを終えなければならなかった。アルゼンチン、ブラジル、ヴェネズエラ、すべての国々がサンティアーゴに戻る新たな機会、新たなプロジェクト、新たな旅を待っている。

パディ・モローニ 1996年7月」

このアルバムの録音は、1996年7月までには終えられ、この年の後半にリリースされたものと思われます。アルバムにはキューバ録音の曲が2曲収められています。ジョン・グラッドによるチーフタンズの伝記本『アイリッシュ・ハートビート- ザ・チーフタンズの軌跡-』にも、このアルバムのことが出てきます。しかし、エピローグ近くであまり詳しく触れられていませんが、こんな記述があります。

「『Long Black Veil』発売前にすでに、パディ・モローニはチーフタンズの次の企画の仕事を始めていた。これはガリシア音楽のアルバムになるはずだった。『Celtic Wedding』の次のステップとして、モローニはケルト音楽の繋がりをスペイン北西部のガリシア経由でキューバと南アメリカまでたどる野心的な企画に乗り出し、地元のミュージシャンと共演して、とりあえず『チーフタンズのガリシア詣で』と題したアルバムを作りはじめた。」とあり、1994年の11〜12月頃サンティアーゴ・デ・コンポステーラのコンヴェント大聖堂でオーケストラと合唱隊とのセッションを録音したことが述べられています。それが、このアルバムに収録された「Dum Paterfamilias / Ad Honorem」です。また、続いてヴィゴで録音された「Dublin In Vigo」の録音の模様についても触れられています。その約2月後に行われたロス・ロボスとリンダ・ロンシュタットとの録音のことも触れられているのに、不思議なことなぜかキューバ録音のことは出てきません。おそらく、この本の対象が『Long Black Veil』がグラミーを受賞する1996年2月までで、キューバ録音は1996年の4月以降に行われたからでしょう。95年8月はじめ、パディは、ジェリー・ガルシアの父がガリシア地方に出自を持っていたため、ガルシアにこのアルバムへの参加要請を行います。彼は入院中で、次の土曜日なのでおそらく8月12日に彼から電話をもらうことになっていたそうですが、8月9日にジェリー・ガルシアは亡くなってしまいます。そのためガルシアが客演する予定だった曲を彼の追悼の意味を込めて録音したそうです。このアルバムに関する『アイリッシュ・ハートビート- ザ・チーフタンズの軌跡-』の言及はここまでです。

1996年3月、ライ・クーダーは息子のホアキムやスタッフと共にキューバに渡り、エグレム・スタジオで歴史的な『Buena Vista Social Club』の録音を行います。このアルバムのためのキューバ録音はそれ以後、パディがライナーを書いた7月までの間と考えられます。もちろん、ライは一旦ロスに戻り、パディらチーフタンズの面々と共に改めてキューバに渡航したのでしょう。ライが参加している12・13曲目は、エグレム・スタジオで、ゼクシア・トレスのアシストでエンジニア、マット・ケンプにより録音されています。この録音を仲介したのは、すでに『Buena Vista Social Club』でキューバに人脈ができていたライ・クーダーだったと考えるのが自然でしょう。『Buena Vista Social Club』がリリースされるのは1997年の9月ですから、このアルバムの方が先に世に出たことになります。

キューバ録音のゲスト・ミュージシャンは、ウッド・ベースが『Buena Vista Social Club』のリズム隊”カチャイート”・ロペス、トレスがパンチョ・アマット、パーカッションがロベルト・ガリシア。リチャード・エギュエスがフルート、この編成にライがマンドーラで参加します。彼らがチーフタンズとカルロス・ヌニェスと共に曲を作り上げるのですから、世界中どこにもない異種交配音楽になるのは必定。ケルト音楽とキューバ音楽との見事な融合を聞くことができます。

12曲目は「Santiago De Cuba」。印象的なメロディを持つこのインスト曲では、バウロンとコンガがリズムを刻みベースが底支え、主旋律はヴァイオリンが担当します。そこに絡みつくパディのティン・ホイッスルも心地よいです。前半のオブリガードはライのマンドラでとっても心地よいフレーズが次々と繰り出されます。デレクのアイリッシュ・ハープも絡み、後半に隠し味的にヌニェスのガイタも顔を出します。

13曲目「Galleguita / Tutankhamen」はトレスで始まります。マイナー・キーの曲で味わい深い演奏がひとしきり続いた後、女性コーラスが歌いはじめます。続くソリストの歌声もとっても素敵です。エンディングではメジャー・キーに転調。インストになり主旋律をヴァイオリンが奏で、明るい希望の兆しがみえるような展開で曲が終わります。パディのティン・ホイッスルによるオブリが全編で存在感を放ち、マンドラとトレスは終始リズムを刻んでいます。ライナーには以下のような文章が寄せられています。「ガリシア人のキューバへの移民には長い歴史がある。長年にわたってメロディーは、アフロ・キューバのエキゾチックなリズムやコーラススタイルと混ざり合い、不思議な調和を生み出してきた。私たちが最初にキューバに着いた時、6人のミュージシャンに依頼した。最終的に30人以上のシンガーやプレイヤーが現れた。彼らの自発性と友情を交わす際の楽しげなセンス、そして祝賀会は圧倒的だった。スタジオでのセッション終わるまで、ダンスと笑いが夜中まで続いた。」

8曲目の「Guadalupe」は、メキシコに渡ったガリシア人がテーマです。
デレクのアイリッシュ・ハープで幕を開ける軽快な三拍子のナンバー。まさにケルトとメキシコ音楽の融合を示す美しい曲です。メキシコの弦楽器とパーカッションをロス・ロボスが担当、1番をリンダが透き通るようないい声で歌うと、2番はロス・ロボスの面々が合唱します。このセッションはのちに米墨戦争をテーマとしたアルバム『San Patricio』を作る伏線となったことでしょう。ライナーには以下のように書かれています。「リンダと、ロス・ロボスのメンバーとは会うチャンスがなかったが(この曲を録音する時の我々の旅のスケジュールは3つの異なった都市で行うことになっていた)、彼らはこの楽しいデュエットを正しく実行してくれたと思う。まだ未完成だったが、私たちはこの曲を「メキシカン・コネクション」と呼んで親しんでいた。この曲は新世界に移民したガリシア人が故郷に帰ることを熱望してつくった典型的な曲である。」

このアルバムのテーマは、パディのライナーにあるようにガリシア音楽です。世界中に移民したガリシア人の音楽のうちキューバとメキシコの音楽を先にチェックしました。後の曲は、ガリシア地方の音楽ばかりで、中にはパディが作曲したものもあります。ライナーに書かれているように中世に遡る教会音楽もありますから、ロック・ファンにとっては馴染みにくい曲もあるでしょう。でも、多くの曲ではバウロンのビートが効いていて、ダンス・ミュージックとして普通に楽しめると思います。

さて、キリスト教徒には三つの巡礼の道があると言われます。一つ目がエルサレムへの道、二つ目がローマへの道、そして三つ目がこのアルバムのテーマである聖ヤコブを祀るサンティアーゴ・デ・コンポステーラへの道なんだそうです。冒頭の組曲もこの聖地巡礼をテーマとしたものです。1〜5曲目が組曲となっています。3曲目に素朴な男性の歌声が入っています。4曲目はカバキーニョが複雑なリズムを刻み、イベリア半島から南米への繋がりを感じさせます。5曲目のメドレーがアカペラの男性コーラスで始まり、デレクのアイリッシュ・ハープが控えめにオブリガードを奏でます。大聖堂で録音された聖歌で中世の香りが漂います。後半の曲にはチーフタンズの演奏が控えめに重なります。とても美しいナンバーです。大聖堂で合唱やオーケストラを録音するのは難題だったそうですが、ナチュラル・リヴァーヴが幻想的な雰囲気を醸し出し、この場所でしか聴けない荘厳なサウンドになっていると感じます。

6曲目の前半はパディとカルロスの二人だけの共演のようです。イーリアン・パイプとガイタだけで見事なサウンドですが、後半チーフタンズの面々が加わり賑やかに盛り上げます。7曲目はガリシア音楽を基調にパディが作曲した「Galician Overture」です。11分にも及ぶ大曲で、これも組曲構成となっています。ガリシア地方のオーケストラによる幻想的なストリングスで始まり、スパニッシュ・ギターが少し顔を出したかと思うと、パディのイーリアン・パイプが物悲しいソロをとります。それを引き取ってストリングスがひとしきりメロディを奏でた後、イーリアン・パイプと共演。後半バウロンのリズムとともにケヴィンの歌声も少し聞くことができますが、すぐにオーケストラが中心の演奏に移行。ひとしきり演奏が続いたあとは、チーフタンズ中心のプレイに戻り二人のフィドルをフィーチャーします。また、パディやカルロスのホイッスルやリコーダーがリードを取ったかと思うと、また曲想が変化しオーケストラの軽やかな演奏となります。このあたりはクラシックの世界に通じますよね。パディの才能たるや底なしだと思います。

9曲目はフルートで始まる美しいワルツです。アイリッシュ・ハープ、ティン・ホイッスルが重なり、バウロンがリズムを取り始めます。チーフタンズとカルロスだけの素朴だけれど技巧にあふれた演奏です。10曲目は打楽器に乗せてガイタとティン・ホイッスルの共演で始まります。中盤からガリシア地方のオーケストラが加わり壮大な演奏になります。11曲目は、エリオット・フィスクによるスパニッシュ・ギターで幕開けです。スペイン音楽とケルト音楽の素敵なミクスチャーを聞くことができます。

14曲目は「この美しいラブ・ソングは若い女性に男の約束を決して信用するなとアドバイスするものだ。いくつかの事柄は不変である。」との解説があります。物悲しいティン・ホイッスルのアイリッシュ・ハープだけで始まる実に美しいナンバーです。途中からフルートとガイタが加わりますが、打楽器の入らない静謐な演奏です。

ラストは、賑やかに盛り上がります。カルロスの故郷の町ヴィゴのダブリン・バーにミュージシャンを招いて録音されました。パディの弁では「20人のミュージシャンしか呼んでいなかったのに、その小さい狭いバーに150人やってきたんだよ。とにかくもう勝手にやらせたんだが本当に無茶苦茶になったね。本物のパーティの雰囲気を出すために。わめく声や手をたたく音もそのままにしておいたよ。」とのことですが、すごくいい音で録られています。アルバムの楽しいフィナーレとしてこれほどふさわしいものはなかなかないでしょう。

神聖な曲も交えつつも、世界中でふんばって生きているガリシア人のたくましさを感じさせる素朴な演奏も多い好盤。1997年のグラミー賞のベスト・ワールド・ミュージック・アルバムを受賞しました。

Bob Dylan Live At Osaka Festival Hall

IMG_9127IMG_9128昨日、御年81歳のボブ・ディランのコンサートに行ってきました。チケット代26000円は、今まで見たコンサートの中で最高額です。最初は、ディランは1回見てるし、もういいかな、とも思ったのですが、今年に入って70代ミュージシャンの訃報が相次ぐ中、”これが最後になるかも知れない”と急遽出かけることにしました。もう15年くらい前になるでしょうか、ブルーノート福岡がなくなり、少し時を置いてビルボード福岡となった時、こけら落としのスティーリー・ダンのライブが20000円で、”ちょっと高いよな”と諦めました。その後ウォルター・ベッカーが亡くなってしまい、もうスティーリー・ダンを見ることができないので少し後悔しています。その時に比べれば、来日公演の”相場”は全体的に上がっているけれども、それにしてもちょっとなぁ、と思わせる金額です。悩んだ末、ディランの4月8日の大阪公演は、土曜日で仕事は休みだし、17時開演なので終演後福岡に戻れるとあって、この機会に見ておこうと思ったのですが、さすが土曜なので1階席は売り切れていたようです。

会場の大阪フェスティバルホールに行くのは1998年のジャクソン・ブラウンの公演以来です。したがって建て替えられ2012年に完成した新ホールは今回が初めてとなります。大阪出身なので学生時代の1988年までは、何度か”フェス”でコンサートを見ました。1987年、最初にジャクソンを見たのもここだったし、翌年には2階席からレイ・チャールズを見ました。当時彼は57〜8歳だったので、今回のディランよりずっと若かったのですが、1時間少々の公演時間でアンコールもなく物足りなかった記憶があります。98年は社会人になっていましたが休日を利用して大好きなジャクソンを見にいきました。前の”フェス”は1階後方や2階席が急勾配でしたが、それだけにステージが近く見やすかったのですが、新ホールは勾配が緩やかになった分、ステージは遠くなりましたね。座席は赤色、以前もそうだったような気がします。また、多くの女性スタッフが着ているジャケットも赤が映えてまぶしかったです。美しいホールで音響もよく心地よくコンサートを楽しむことができました。

大阪でコンサートを見るのは、2018年以来です。この間コロナ禍のため様々なイベントが中止・延期を余儀なくされ、ディランの来日公演も2020年に決まっていましたが、中止になりました。その後リリースされた最新アルバム『Rough And Rowdy Ways』のツアーが2021年から始まり、昨年11月までのヨーロッパ・ツアーに続いて、今年のツアーが日本からスタートしました。初日は4月6日、この日は3日目で大阪公演の最終日です。携帯電話、オペラグラス禁止とあって、初めての経験でしたが、会場入口で携帯の電源を切り、専用のケースに入れられますが、そのケースは絶対に開かないように細工されます。終演後出口で専用の機器で解錠するという仕掛けです。他にも金属探知機を持った警備員もいて、こういう経費もチケット代に反映されているわけですね。円安もあるし、パフォーマー側からの要請ならば仕方ないかなと思いました。

定時を少し過ぎて、会場が暗転しクラシック音楽が流れミュージシャン達がステージに現れました。少し音出しをした後、いよいよコンサートの幕が上がります。下手からギターのボブ・ブリット。彼の上手側にスタンド・マイクが2本、中央にディランが弾くベイビー・グランド・ピアノ。その真後ろにドラムセット。ドラムはジェリー・ペンテコスト。その上手側に寄り添うようにベースのトニー・ガーニエ。ピアノのすぐ上手側にはギターのダグ・ランシオ、ランシオの真後ろにペダル・スティールのドニー・ヘロンがいます。メンバーは、ほぼ半円形にディランを囲み、彼を凝視しながら彼の歌やピアノのフレーズに反応して演奏しています。ミュージシャンのセッティングは、通常より後ろ目、照明もスポットなどは一切使わず、基本両サイドのフット・ライトのみでメンバーの姿が仄暗く浮かび上がるような”大人な”照明でした。ディランをバックアップするミュージシャン達は前回見た2014年の”ライブハウス・ツアー”の時のメンバーはベースとスティール・ギターの2人はそのままですが、ギター2人とドラムは交代しています。メンバーは全員黒のスーツ。まさに”影”として主役ディランを支えます。

1曲目は「Watching The River Flow」です。シャッフルのリズムが心地よいブルーズにアレンジされて3回しくらいイントロが続きます。ディランもピアノで演奏に参戦です。そして、あの声で歌が始まります。ギタリスト達のアンプも小型のツイード・タイプを使っています。音量は本当に適度、耳に馴染む感じです。ディランの声もよく聞こえます。曲が始まると大きな拍手が会場を包み、1番が終わるとまた拍手が巻き起こるといった具合でオーディエンスがコロナ禍を超えディランと会えた喜びを体現していました。

2曲目は「Most Likely You Go Your Way and I'll Go Mine」です。軽快なアレンジで”彼にしては”比較的原曲に近い方だと思います。この曲の入っている『Blonde On Blonde』はディランの中で1・2を争う好きなアルバムなので、この曲が聴けてとっても嬉しかったです。この曲にも盛んに拍手が送られていました。

3曲目、最新アルバムの冒頭のナンバー「I Contain Multitudes」が演奏されます。ディランが一人でピアノを弾きながらひと回し歌います。その間にベースのガーニエは、ウッド・ベースに持ち替え、ボウイングで演奏します。その音色がとっても素晴らしく、ギターとピアノが織りなすアンサンブル共々とても美しい演奏でした。

4曲目はやはり最新アルバムから、「False Prophet」の登場です。ブルーズですが出だしの重厚なリフのメロが大きく変わってちょっと軽めの印象になっています。

5曲目に「When I Paint Masterpiece」が演奏されます。個人的にはこの曲が最高でした。もともと大好きな曲でメロディもさほど崩さずに演奏されました。リヴォン・ヘルムもリチャード・マニュエルもリック・ダンコもみんな世を去ってしまった今、ディランの声でこの曲が聴けるというのは感無量です。やはりディランがピアノでひと回し歌っている間に、ベースはウッドに、ペダル・スティールはヴァイオリンに、そして上手のギターはアコギに持ち替え、インテンポからリズミックな演奏になります。リード・ギターはブリットが弾いていますがエンディング近くではアコギのランシオもオブリを弾き、実に心地よいアンサンブルでした。

6曲目、最新アルバムから「Black Rider」です。ヘロンはエレクトリック・マンドリンに持ち替えていますが、もしかしたらギターかも知れません。ドラムはリズムを刻まず全編ルバートのような演奏ですが、緊張感のあるプレイです。会場はしんとしてバンドの演奏に聴き入っています。エンディングでのドラムのタイミングは絶妙でした。

7曲目も最新アルバムから「My Version of You」。ガーニエは前曲、前々曲に引き続いてウッド・ベースを弾きます。この曲はワルツですがかなり不気味な内容の曲です。後半に行くに従って1拍目が強調され力強い演奏になっていきます。

8曲目に多くのアーティストにカバーされている「I’ll Be Your Baby Tonight」が登場します。この曲もディランがルバートのピアノの弾き語りでパラードのように歌い始めます。ひと回し終わったところで客席から大きな拍手が送られます。ルバート部分が終わると、ギターがリフを刻み始めちょっとラテン風味のロックンロールになります。そのリズムに乗せてディランもあまり上手くないというか、ドヘタといってもいいピアノで演奏に参加します。しばし心地よいインスト部分が続いたと思ったら、ディランが歌い始めたタイミングで、三連のロッカバラードに変身。ひと回しで曲が終わります。実に凝った編曲になっています。ロックンロール部分ではガーニエが舞台下手に移動し、ブリットともに体でリズムをとるなど、少し”動き”を見せていました。

9曲目は、最新作に戻り「Crossing The Rubicon」が登場です。この曲も粘っこいブルーズ・アレンジですが、アルバム・バージョンの印象的なリフは弾かれず、曲の印象が結構変わっています。この曲でガーニエは再びウッド・ベースを手にしています。「ルビコン川を渡る」というのはシーザーの故事にちなみ「後戻りができない」ことをいいますが、北中正和氏は近刊の新書『ボブ・ディラン』の中でこの曲のことを「一線を越えるという勇ましいタイトルとはうらはらに、むしろ穏やかな諦観さえあるブルースです。」と表現しています。まさにそのような「落ち着き」をはらんだ演奏です。

10曲目は、アルバム『Nashville Skyline』収録の「To Be Alone With You」です。この曲も『Nashville Skyline』の中では一番好きなので、やってくれて本当に嬉しかったです。例によってひと回しディランがピアノ弾き語りで歌い、インテンポになりますが、原曲と違って軽妙なシャッフル。ダグのアコギのリズムに乗せてヘロンのヴイオリンも活躍します。ガーニエはそのままウッドベースで伴奏しています。

11曲目は、最新作から「Key West(Philosopher Pirate)」です。原曲に近いながらも美しくディランのピアノが生かされた渋いアレンジとなっています。ここでも最初のひと回しをディランが弾き語っている間に楽器を持ち替えます。メンバーの楽器はガーニエがエレべに、ヘロンがスティールに、ランシオはエレキに戻っています。ヘロンのスティールがしばしソロをとる場面がありました。

12曲目は、『Slow Train Coming』に収録されておりシングル・ヒットも記録した「Gotta Serve Somebody」の登場です。ここでもひと回しディランが弾き語りで歌うと、バンドが一体となって走り出します。実にカッコいいアレンジです。ブレイクでは、ブリットとランシオの二台のギターがタイミングを合わせリフを決めます。見事です。ノリのいいこの曲が終わると大きな拍手と歓声があがっていました。ディランも拍手に「Thank you」と応えます。コンサートはMCもなく淡々と進んでいきましたが、ディランの「Thank you」は何度か聞くことができました。

13曲目は、最新作から「I’ve Made Up My Mind To Give Myself To You」の登場です。印象的なリフが何度も何度も繰り返されるバラードですが、自由なディランのピアノ以外はほぼ原曲に忠実に再現されていました。本当に心地よく美しい演奏で心が和みます。ガーニエはウッド・ベースに、ヘロンはおそらくエレキ・マンドリンに持ち替えて美しいアンサンブルに貢献しています。

14曲目は、『Fallen Angel』に収録されていたジョニー・ジョンストンの「That Old Magic」が演奏されます。ガーニエはウッド・ベースのまま、ヘロンはスティールに戻ります。スウィング感あふれる演奏に酔いしれました。この曲について北中正和氏は『ボブ・ディラン』の中で詳しく解説しています。少し引用してみることにします。

「1940年代から50年代にかけてのゴージャスなストリングスやビッグ・バンドの音に包まれた歌を、ボブは5人前後のバンドの演奏に変換して、いわば往年のポピュラー音楽の素顔を見せてくれます。たとえばもともと映画『スター・スパングルド・リズム』でジョニー・ジョンストンがオーケストラ伴奏で歌った「ザット・オールド・ブラック・マジック」を聞いてみましょう。ジュディ・ガーランド、グレン・ミラー、フランク・シナトラ、エラ・フィッツジェラルド、サミー・デイヴィス・ジュニア、ビリー・ダニエルズ、ルイ・プリマとキーリー・スミスなど無数の歌手が取り上げてきた曲です。(中略)ルイ・プリマとキーリー・スミスがデュエットするジャンプ/ジャイブ風の遊び心満載のバージョンは58年に発表されてグラミー賞を受賞しました。この曲のドラムはスウィング時代の名手ジーン・クルーパへのオマージュでしょう。ボブの演奏はそれを参考にしていますが、かなりロカビリー寄りで、洗練された都会的な演奏で知られるこの曲の思いがけないルーツを浮かび上がらせます。この曲を作詞した09年生まれのジョニー・マーサーはキャピトル・レコードの創設者の一人ですが、南部ジョージア州の裕福な家に生まれ、父親のスコットランド民謡や母親のパーラーソング、黒人教会の音楽などさまざまな音楽にふれて育った人です。作曲者は05年生まれのハロルド・アーレン。彼は「虹の彼方に」の作曲者として有名ですが、20代の頃はハーレムのコットン・クラブで黒人のジャズの洗礼を浴び、「ストーミー・ウェザー」などを作曲していました。その世代のニューヨークやロサンゼルスの職業的ソングライターの中では黒人音楽に造詣の深かった2人の共作が「ザット・オールド・ブラック・マジック」であり、ボブはそのエッセンスを軽やかに表現しています。」

15曲目は、最新作から「Mother of Muse」が演奏されました。もともととてもいい曲ですが、ディランのピアノを加えたこの日のアレンジも際立って美しかったです。ガーニエはこの曲までウッドベース、ヘロンはこの曲でもおそらくエレキ・マンドリンに持ち替えていました。

この曲が終わると、ディランはメンバーを紹介します。ジェリー・ペンテコスト、ダグ・ランシオ、ボブ・ブリット、ドニー・ヘロン、トニー・ガーニエの順だったように思います。そして、バンドで一斉に最新作収録の「Goodbye Jimmy Reed」に突入します。いよいよコンサートも佳境です。ガーニエはエレキ・ベースを弾いています。比較的原曲に近いアレンジで、キメのフレーズもCDのままありました。

そして、三連のロッカバラードにアレンジされたラスト・ナンバー「Every Grain of Sand」が始まります。イントロ、間奏、エンディングでディランはハーモニカを吹きます。81歳となり、ギターも弾かなくなったディランですが、少しよれてはいるけれど、このハーモニカの音色はまさしくディラン。静かなこの曲が美しい余韻を残して終わると、初めてディランがピアノを離れ、ドラムの前に出てきました。小さすぎてよく見えませんが衣装は刺繍のあしらわれた濃いグレーのカントリースーツのようです。メンバーが横一列に並び、そして、バラバラに袖へ消えていきます。そして、入場のときと同じクラシック音楽が流れ、ステージの終演を告げるのですが、拍手は鳴り止まず、アンコールを求める手拍子へと変わります。しかし、客電がつき、やはりディランがアンコールに応えることはありませんでした。

昨年11月までのヨーロッパ・ツアーなどでは、興に乗ったらピアノの前を離れてスタンド・マイクで歌うこともあったようですが、この日のディランは終始ピアノの前を離れませんでしたが、曲が終わった後の「Thank You」を4〜5回言っていたので、客席の反応が本人に伝わり、結構機嫌が良かったんじゃないかなと推察されます。約1時間50分という演奏時間、アンコール無しはちょっとばかりさみしいですが、81歳という年齢を考えると、”ここまでのパフォーマンスを見せてくれて、ありがとう”と伝えたい気持ちになります。大枚をはたき、福岡から出かけていっただけの甲斐のある十分満足できるコンサートでした。

今回のバンド・メンバーのうち、ベースのトニー・ガーニエと、スチール・ギターその他のドニー・ヘロンは長くディランのバック・バンドのメンバーとして活躍しているので、キャリアにはふれません。ガーニエはギタースタンドに何台かベースを立てていましたが、白のフェンダー系のエレキ・ベース(ジャズベかプレベかは遠くてわかりませんでした。)とウッド・ベースをよく使っていました。ドニー・ヘロンはスティール、ヴァイオリン、マンドリンと多彩な楽器を操ります。自分は二階席の右端の方だったので、ヘロンがディランの方に向かってギターのように抱えて弾く楽器はよく見えませんでした。2014年ディラン・バンドで来日した時はフェンダーのマンドキャスターを弾いていたので、おそらく今回も同じ楽器でしょう。

ギタリストのボブ・ブリットは『Rough And Rowdy Ways』のレコーディング・メンバーです。今回もギター・ソロの多くを担当しているようでした。彼はディランのアルバムでは、すでにダニエル・ラノワがプロデュースした『Time Out of Mind』に参加していたのですね。最近発売された、この時期のブートレッグ・シリーズVol.17でも当然彼のプレイが聞けたりします。ステュ・キンボールの後任として『Rough And Rowdy Ways』のレコーディングに呼ばれたのでしょうけど、ディランやガーニエとはすでに顔見知りだし、気心が知れているのでしょう。今回はダーク・グリーンレスポール・タイプを終始弾いていました。彼の傍らにはもう1本サンバーストのフルアコと思われるギターが置かれていましたが、結局手に取られることなく、最後の曲ではギターテックによって片付けられていました。彼は他にもレオン・ラッセルやジョン・フォガティらのアルバムに参加しています。

『Rough And Rowdy Ways』のレコーディングには参加していた長年のメンバー、チャーリー・セクストンがバンドから外れたので、新たにバンドに加入したのがダグ・ランシオです。彼の名前はジョン・ハイアットのバンド・メンバーとして知っていましたが生で聴くのは今回が初めてです。彼はナッシュビルのミュージシャンらしく、1980年代にクェスチョネイアーズ、91年にベドラムというバンドで活動しアルバムも残しています。セッション・マンとしてはハイアットのほか、ナンシー・グリフィスやパッティ・グリフィンのバックを手掛けており、プロデューサーとしても活躍。ルーツ系の渋いプレイを聴かせます。今回はリズム・ギターが中心でした。彼はディランのピアノのすぐ上手側に立ち、ディランの方を向いて演奏していたので、自分の位置からは持っているギターは確認できませんでした。持ち替えのとき一瞬見えた楽器はサンバーストで白いピックガードのついたストラトキャスターでした。アコギはドレッドノート・タイプを弾いていました。

ドラムのジェリー・ペンテコストは、2010年頃前後に活動を始めたとみられ、おそらくメンバーの中では最年少でしょう。モーリー・タトルやケブ・モの近作に参加しています。やはりナッシュビルあたりを根拠地としているようで、最近オールド・クロウ・メディシン・ショウのメンバーともなっているようです。その若さとは裏腹に、実に抑制の効いたツボを押さえたドラミングを聴かせます。自分の位置からではわからなかったのですが、彼はアフリカ系のようでメディシン・ショウではマンドリンを弾いて歌たっりもするようです。

ディランを盛り立てる5人の手練れのミュージシャン達。彼らの緩急自在の演奏が、この日のコンサートを素晴らしいものにしていました。ディランのパフォーマンスを見て、一番共通点を感じたのが、近年のライ・クーダーと細野晴臣です。ディラン、クーダー、ホソノの3人は皆1950年代以前のアメリカン・ミュージックに精通しています。また黒人音楽に対し、かなり深い理解と洞察を示しています。近年、贅肉を削ぎ落とした少人数編成のバンドで、ルーツ・ミュージックを突き詰めています。40年代頃のカントリー・ミュージックで用いられたスティール・ギター・ミュージックを愛好し、バンドにスティール・ギター奏者を入れるか、自らのボトルネック奏法で、その音楽に影響を受けたサウンドを表現しています。彼らの表現に共通点が多いのはけして偶然ではないはずです。

彼らのサウンドは古臭いスタイルで、ファッションやアルバム・デザインなどもずっと時代遅れの感覚を醸し出しながら、実はアメリカが最も豊かでお洒落だった時代の空気を敏感に感じ取って、自らの表現に取り入れているように感じられるのです。ノーベル文学賞まで受賞し、世界中に影響を与えたディランに比べれば、クーダーとホソノは、そこまでの知名度はありませんが、自らのルーツを突き詰めていった結果、同じような地平に立っているような気がしてなりません。81歳のディランが「いつか終わりが来る」ことを予感しつつも、その歩みを止めないのに対し、6歳若いクーダーは、2018年を最後に自らが中心となるツアーをやめてしまっているようです。昨年リリースしたタジ・マハールとのアルバムはグラミーを受賞しましたが、コンサートは一度きりだったみたいです。ゆっくりしたペースでライブを続けていたホソノは、アメリカやイギリスで公演を成功させましたが、2020年以降、コロナ禍でライブを中止せざるを得ない状況になっていました。今年YMOの盟友二人を相次いで失った今、75歳の細野さんがライブを復活するのか、どのような表現をするのか注目したいと思います。おそらく、細野さんは東京でディランのコンサートを見るんじゃないかな。失意の彼にかける言葉は思い浮かびませんが、81歳のディランのステージが細野さんにとって良い刺激になるといいな、と思っています。このコンサート・レポート、最後は本題から大きく外れてしまいました。81歳のディラン、見れて良かったです。

Warren Zevon / Bad Luck Streak in Dancing School

zevonbadluck1980年にリリースされたウォーレン・ジヴォンの4枚目のアルバムです。エレクトラ/アサイラムでは3枚目になります。

去年の今頃、1976年リリースの彼のアサイラムでの1枚目のアルバムをレビューしました。そして、彼のルーツがウクライナにあることを知りました。あれから1年以上を経過していますが、まだ戦争は続いています。こんなに長く続くとは思わなかった戦争。様々な分野に影響を見せています。資材の高騰などに端を発する物価高、そして懸念される「台湾有事」と日本の軍備拡張、ロシアによる核攻撃の可能性、北朝鮮問題、世界の枠組みが変わってしまい、冷戦時代へと逆戻りしてしまいそうです。バイデン大統領は、核戦争の可能性について「キューバ危機以来」と表現しています。世界はどこへ向かおうとしているのでしょうか。われわれにできることは一体何なのか、考えさせられる毎日です。

さて、このアルバムは1980年にリリースされました。冷戦時代末期です。前々年にはイラン革命、前年にはソ連によるアフガニスタン侵攻が起きています。このアルバムにはベトナム戦争の後遺症に言及する「Play It All Night Long」が収録されており、ジヴォンらしいどぎつい表現で、戦争の悲惨さを日常生活の描写の中に溶け込ませている点が目を引きます。

前作『Excitable Boy』とシングル「Werewolves of London」がヒットし、ジヴォンはシンガー・ソングライターとしての基盤とともに、独特の作風も確立しました。しかしアルコール中毒は一向に改善せず、ツアー中も酒浸りの生活を送っていたようです。ブルース・スプリングスティーンのライブに行って、彼とバックステージで会っておきながら、泥酔状態だったため、そのことを覚えていないというようなこともあったようです。さらには、深夜自宅スタジオで、自身の顔が大写しになった『Excitable Boy』のレコードに向かって発砲するというような事件も起こしています。この頃『Excitable Boy』を絶賛した「ローリング・ストーン」誌のライター、ポール・ネルソンとジヴォンは意気投合し友人関係になります。『Excitable Boy』妻、クリスタルは彼が飲酒問題を起こすとネルソンを頼るようになり、ネルソンや親しい友人のジャクソン・ブラウンらは、ジヴォンの私生活に「介入」して、彼をリハビリ施設に入れることもありました。

1曲目、「Bad Luck Streaks in Dancing School」はタイトルナンバー。ジャケットもこの曲のイメージで、ダンシング・スクールの窓辺にたたずむジヴォンの写真になっていますが、歌詞に深い意味はなさそうで、ただ語呂が良かっただけなのか、別にダンシング・スクールにまつわる物語が出てくるわけではありません。むしろ、歌詞は「バカなことをやってきた、約束を破った」と歌い、「ひざまずき、神に向かって俺は変わる」と何度も何度も繰り返すことから、自身の飲酒癖への決別を誓っているように思われます。とってもカッコいいロック・ナンバーで、シド・シャープ楽団によるストリングスの導入の後、スネア・ショットが一発、そしてウォーレン自身のエレキ・ギターがリフを刻み、リック・マロッタのドラム、リー・スクラーのベースが入って、リンドレーのラップ・スティールが天を駆けるリードをとります。この盤でドラムとベースが入っている曲は、全てマロッタ・スクラーの鉄壁コンビがバックアップしています。この曲の間奏のリンドレーのリードですが、多重録音で低音部を足していてツイン・スライドになっており、より音に厚みが増しています。

2曲目は「A Certain Girl」。”ナオミ・ネヴィル”との作者クレジットがありますが、これはアラン・トゥーサンの変名。上ったニューオーリンズのR&Bシンガー、アーニー・K・ドーのカバーです。リズム・ギターはドン・フェルダー、ホルヘ・カルデロン、リード・ギターはワディ・ワクテルです。ジャクソン・ブラウンとマロッタによるやる気のなさそうな”レスポンス・コーラス”が、ニューウェイヴの波がうねりはじめた1980年という時代を反映しているように思えます。シングル・カットされ57位まで登りました。

3曲目は「Jungle Work」。この曲に出てくるのはM16自動小銃、イングラムM10短機関銃、ステン短機関銃といったところ。裏ジャケにダンシング・シューズと一緒に写っているのはどちらかの短機関銃ですかね。主人公は職業軍人のようで「支払いはいいが、リスクは高い、成功か死か、ということは理解している。」「南西アフリカのオヴァンボランド(今のナミビア)からニカラグアヘ、銃が法律である場所へ俺たちは行く」「力、筋肉、ジャグル・ワーク」なんて歌っています。銃好きのジヴォンらしい曲ですが、3番の歌詞には現在につながるこんなフレーズも出てきます。「ロシア製のトラックに3人の若者が小さなMAC-10を持って乗っている こんな少ない奴らの中に地獄で戦う傭兵のように勇敢な奴はほとんどいやしない。」これは、おそらくニカラグアのことを歌っているんだろうと思います。ニカラグアでは、1979年7月に40年以上続いた独裁政権ソモサ王朝がサンディニスタ民族解放戦線によるニカラグア革命によって倒されます。このようにニカラグアの政情が不安定な時期に書かれた曲だけあって、主人公の言葉は真に迫っています。サンディニスタ民族解放戦線は社会主義革命を目指していたわけではなかったようですが、ニカラグアはキューバやソ連と関係を持ちはじめます。アメリカは共和党のレーガン時代になって、ニカラグアに積極的に介入を始め、旧ソモサ軍の兵士やサンディニスタの反主流派などを組織し、反政府勢力コントラを組織して支援を始めるのですが、それはもう少し先の話です。この曲でリード・ギターを弾いているのはジョー・ウォルシュ。ウエストコーストらしい爽やかさなど微塵もなく、どことなくニューウェイブの香りはするものの、メタリックな肌触りのあるロック・ナンバーです。

4曲目は「Empty Handed Heart」は、妻クリスタルとの別れを題材にしたと思われる美しい曲で、すれ違ってしまった男女関係を歌っています。1・2番は男性の独白。3番でリンダ・ロンシュタットが登場し、カウンター・ボーカルで女性側の気持ちを切々と歌います。男は「俺はダイアモンドを砂に投げてしまった。」と後悔し、女は過去の楽しかった思い出を歌った後「空っぽの心のまま、一人残された。」と嘆きます。ジヴォンのピアノ、そしてドラム、ベースがベーシックなサウンドを固め、ジヴォン 自身が書き、シド・シャープがタクトを振るストリングスが重なります。

5曲目は、短いストリングスのインタールード。そして、間を置かず6曲目、問題曲の「Play It All Night Long」に繋がります。「爺さんは、またズボンにおもらしだ。でも、爺さんはそんなことは気にしちゃいない。ブラザー・ビリーは両手に銃を構える。ヴェトナム以来、正気になったことがない。スイート・ホーム・アラバマ、死んだバンドの曲をかけてくれ。スピーカーをフルテンにしてさ。一晩中かけてくれよ」他にもどぎつい歌詞が続きます。歌に出てくるデュー・ドロップ・インとは、ニューオーリンズの伝説的なライブ・ハウスのことでしょうか。貧しさゆえに多くの若者がヴェトナム戦争に駆り出され、その後遺症に悩む南部が舞台のようです。この曲でも、リンドレーの天に駆け上るようなスライド・ギターが耳をひきます。フェイザーを薄くかけた伸びやかなクリーントーンで印象的なフレーズを連発します。一方、リズム・トラックでも何やら耳慣れない弦楽器が繰り返し聞こえてきます。リンドレーにはラップ・スティールのほかにも「ギター」のクレジットがありますが、おそらく、これはブズーキかサズが、そんな中東のアクースティック楽器で弾いているサウンドに聴こえます。リンドレー自身もこの曲を気に入っており、オフィシャル・ブートレッグの第1集でカバーしています。その後、彼はジヴォンの曲を頻繁に取り上げるようになります。

LP時代のB面1曲目が「Jeannie Needs a shooter」です。ブルース・スプリングスティーンとの共作で、アルバムの中では最も爽やかなイメージの曲です。けれども、タイトルから想像されるのは、やはり「銃」を操る主人公です。最近、ブルースはこの曲について「シューターという言葉は思いやりのある恋人を指す暗喩だ」と言っています。ジニーは奔放な女性で、大抵の男は彼女を不当に扱ったり、あるいは扱いきれなかったりするのですが、歌い手は自分こそがジニーにふさわしいということなのでしょう。この曲はブルースによってすでに1972年に書かれており、1978年ごろ一度録音されていますが、その時はお蔵入りになり、2020年にリリースされた「Letter To You」に収録されましたが、ブルースのバージョンは、全く別の曲と言っても過言ではないくらいメロディも歌詞も異なっています。

2曲目は短いインタールド、3曲目の「Bill Lee」はジヴォンのピアノ弾き語りナンバーで、ハーモニカを交えて演奏されます。サポート・ミュージシャンは的確なハーモニーを歌うグレン・フライのみ。ごく短い曲で、「時に言ってはいけないことを言ってしまう。」という主人公の独白で、なんだか演説の長い上司や顧客を相手にしている労働者の愚痴みたいにも聞こえます。「自分は一人でダイアモンドの真ん中に立っている。」とは、どういう意味なんでしょうか。楽器はピアノですが、ボブ・ディランあたりの影響を強く感じさせます。

4曲目がちょっととぼけたアレンジの「Gorilla, You’re A Desperado」です。この曲はジャクソン・ブラウンがリードのボトルネック・ギターと普通のギターをダビングしており、ジヴォンはストリングス・シンセのみ、リー・スクラーがベースで、リック・マロッタがドラムとパーカッション。ジャクソン、J・D・サウザー、ドン・ヘンリーがハーモニーという布陣で録音されています。ジャクソンのボトルネック、早弾きのテクはないけど、いい感じのフレーズですよね。そういえばジヴォンのファーストでもジャクソンは1曲ボトルネックを弾いていましたよね。ジヴォンの弾くシンセのリフが、この曲の雰囲気を決定づけています。歌詞はちょっとコミカルで、愛するクリスタルと別れ、リハビリ施設に入れられる自分を「檻の中のLA動物園のゴリラ」になぞらえているようにも思えます。離婚という悲劇を笑い飛ばそうとしながら、実は深い悲しみと後悔に苛まれているジヴォン自身の心中が垣間見られるようです。

5曲目は、カントリー調ワルツの「Bed of Coal」です。この曲のみペダル・スティールでゲストのベン・キースを迎え、ジヴォン自身はピアノとオルガンを弾いています。歌詞は主人公の孤独を表現しています。「石炭のベッド」や「釘のベッド」では眠れるわけがないのですが、これもクリスタルを失った苦しみや後悔を表現しているのでしょうか。そして、ここで彼は「若くして死ぬには歳をとりすぎている 今死ぬには若すぎる」と歌っています。ロバート・ジョンソンやジミヘン、ジャニス、ジム・モリソンのように27歳で死んでいった人々を意識しているのかもしれません。

アルバムのラスト・ナンバーが「Wild Age」です。前作『Excitable Boy』のタイトル・トラック同様、主人公は暴力的な人のようです。シンプルなピアノのイントロの後、ロックビートに乗せて歌がはじまります。そして、この曲ではデヴィッド・リンドレーのエレクトリック・ラップ・スティールが大活躍し、ジヴォンとデュエットしています。素晴らしい演奏です。この曲では具体的な暴力行為が描かれている訳ではありませんが、「法律は彼らを止めることができない」なんてフレーズも出てくるし、エンディングではジヴォンのシャウトも聞くことができます。

以上のように、このアルバムもジヴォンの強烈な個性がますます冴え渡っています。学生の頃、確かNHK-FMの洋楽番組の特集で、「ウェスト・コーストの異端児たち」みたいなタイトルものがありました。そこに取り上げられていたのは、ウォーレン・ジヴォン、ヴァン・ダイク・パークス、デヴィッド・リンドレー、あとランディ・ニューマンやニルソンもあったかも知れません。1970年代に人気を博した「爽やか系」の一般的ウェスト・コースト・サウンドの人たちとは、一線を画する「奇才」たちに違いありません。かつてミュージック・マガジンを主宰した中村とうよう氏は、ジヴォンを高く評価しており、「ウェスト・コーストの人脈から離れて、ニューヨークのルー・リードあたりと一緒にやればいいのに」といった意味の発言をしていたように思いますが、このアルバムに参加したウェスト・コーストの豪華ミュージシャンにすれば、ジヴォンは自分では言えなけれど、大事なことを発言してくれる大事な仲間、と思っていたのでしょう。このアルバムでもう一つ重要なのは、ストリングスによる短いインタールードが2曲含まれていることです。ジヴォンは少年期にクラシック・ピアノを学びストラビンスキーと親交を結びました。その才能は、曲作りやピアノなど至る所に顔を出しています。彼のアルバムには、上手くストリングスを使ったナンバーがたくさんありますが、ごく短いとはいえ、ストリングスだけのインスト曲はこの2曲だけです。彼の出自を語る貴重な録音と言えましょう。ジヴォンはこのあと、1982年にも力作『The Envoy』をリリースしますが、売り上げは芳しくなく、エレクトラ/アサイラムから契約を切られ、しばし雌伏期間に入ることになります。

Jackson Browne Live At Hiroshima JMS Aster Plaza Hall

IMG_90683月22日水曜は、初夏を思わせる陽気です。日本時間の午前中WBCの決勝戦があり、日本がアメリカをやぶり見事に世界一になりました。午前中は仕事だったので、もちろん中継は見ていませんが、午後は休暇をもらい一路広島へと向かいました。新幹線に乗るのはもちろん、電車に乗るのもパンデミック以前から3年以上ぶりです。広島到着は15時近く、路面電車で平和公園方面へと移動します。商店街近くのお好み焼き屋で腹ごしらえをし、平和資料館に移動、前回訪れた時とは展示が大きくリニューアルされており、原爆で命を落とした方々のごくごく一部ですが、亡くなった方を一括りにするのではなく、本当はもっとながらえたはずの命を散らした一人一人の顔と名前、そして魂の叫びが聞こえてくるようなリアルなコーナーに胸を打たれました。平日というのに外国人を含む多くの人々が列をなしており、世界中の人がこれほど関心を示しているのに、どうして戦争の災禍がなくならないのだろうと疑問に思いました。5月にはサミットがありますが、それまでにウクライナの戦争が停戦を迎えることを期待したいものです。

さて、開場時間も近づいたので、平和資料館を後にし今回の会場JMSアステール・プラザに向かいます。道すがらや会場前の広場で久々の同好の士と再会を喜び、入場者の列に並びます。コロナ禍で来日ミュージシャンによるホール・コンサートは長らく「おあずけ」となっておりました。マスクをしたままではありますが、本当に久々に生のジャクソンを見ることができます。前回は2017年の10月だったので5年半ぶりですね。そうそう前回のライブ・レポートは結局書かずじまいになってしまいました。グッズを購入し、席に座ってBGMを聞いているとランディ・ニューマンの「Losing You」、タジ・マハールの「Corinna」、ライ・クーダーの「Tattler」が続けてかかり、もしもジャクソンの選曲なら好みが一緒だなぁと嬉しくなりました。次はジャクソンぽいシンガー・ソングライターの曲がかかりましたが、その途中で開演時間となり、客電が落ちます。

下手からジャクソンが登場すると大勢の客が立ち上がって、彼を迎えます。ジャクソンは白い髭を蓄え、長い髪はバックにし、濃いネイビーブルーのシャツにジーンズといういでたちです。足が細いよなぁと思いながら眺めていました。かかえているのはギブソンのジャクソン・ブラウン・モデルのアクースティック・ギターでしょう。ジャクソンは会場の割れんばかりの拍手に「アリガトウ」と応えます。そしてギターを弾きながら歌い始めます。曲は『Late For The Sky』のラストに収められていた「Before The Deluge」です。この曲は通常ピアノを弾きながら歌うのですが、ジャクソンの一人のアコギの弾き語りで最初のコーラスを終えると、バンドが見事なサウンドでジャクソンを支え始めます。この曲ではキーボードのジェイソンがフィドルを弾き、リンドレーが弾いたあのフレーズを繰り出します。グレッグはペダル・スティール、今回初参加のメイソンはテレキャスターを弾いています。終末観を漂わせながらも希望に満ちたこの曲でコンサートの幕を開けるとはニクい演出ですね。

ステージ下手前列にはピアノが置かれています。ミニ・グランド風ですが、おそらくエレピでしょう。フロントは中央やや下手よりにジャクソン、上手よりにギターのグレッグ・リーズ、最も上手側に今回ヴァル・マッカラムに変わって初参加のギター、メイソン・ストゥープスが立っています。グレッグとメイソンの横には7〜8本のギターがずらりと並べられていますが、ジャクソンのギターは下手側のステージ袖に置かれており、持ち替えのタイミングでスタッフがジャクソンに手渡していました。後列は下手からキーボード、フィドルのジェイソン・クロズビー、ベースのボブ・グロウブ、ドラムのモウリシオ・ルウォック、そしてコーラスのシャボンヌとアレセアが並び、ジャクソンを含め8人編成です。キャップをかぶったボブの横にも3本くらいベースが置かれています。前回の来日の時からは、キーボードとギターの一人が交代していますが、20年にわたってジャクソンを支えてきたジェフ・ヤングがこの2月に亡くなってしまいました。昨年夏のツアーからジェフに変わりジェイソンがツアー・バンドのメンバーとなっており、もともとジェフはこのツアーに参加の予定ではなかったようです。

2曲目、ジャクソンはギターをマーティンD28に持ち替え歌い始めたのは「I’m Alive」です。グレッグはギターをラップ・スティールに替えています。メイソンはテレキャスのままです。この曲もよくライブで耳にするナンバーですが、より深みを増した生の歌声に接すると感慨もひとしおです。この曲も、かつてマーク・ゴールデンバーグが弾いていたリフや単音カッティングが後半登場するものの、以前より全体的にルーツより。6年ほど前にリリースされた『Live In Japan』に収録されているものとアレンジはほぼ一緒です。

ジャクソン、自己紹介し、ここに来れてよかった。来てくれてありがとうみたいな挨拶をした後、「The baseball game…」と日本時間で今朝の試合にも触れていました。このあたりで客席から「A Little Soon To Say」のリクエストがかかります。日本では古い曲のリクエストが大半ですが、最新作からのリクエストは珍しいですね。ジャクソンは「OK」と言いながらも「言うのが早すぎるよ」みたいなジョークで、とりあえずはセットリスト通りに進行します。

3曲目、ジャクソンは、エレキ・ギターに持ち替えます。日本に初めて持ってきたもので、ロサンゼルスにある「オールドスタイル・ギター・ショップ」の「ホロウ・チェスナット」と呼ばれるギターのようで、マーティンのエレキに採用されたデュアルモンドのピックアップを搭載し、ボディ・サイズはレスポールより少し大きいくらいでf穴があり、ネックはストラトのラージ・ヘッドを模しています。グレッグは青いエコーパークJでリードをとります。演奏されたのは「Never Stop」です。2002年の『The Naked Ride Home』に収録されているナンバーで日本で演奏するのは久々だと思うのですが、「コロナ禍を経ても立ち止まらない」という決意が込められているように思えました。

4曲目は「The Crow On The Cradle」の登場です。カーター・ファミリーの寓話的なフォーク・ソングでまさに今のウクライナのことを歌っているかのようです。この曲は1979年行われたNo Nukesコンサートでリンドレーのフィドルをバックにグレアム・ナッシュとのデュエットで歌われたもので、『No Nukes, No War』の主張が込められ、このところ3回続けて広島で演奏されています。ジェイソンはフィドル、グレッグはラップ・スティールで参加。1番はジャクソンの弾き語りで演奏され、2番からバンドが一斉に入ってきます。フィドル・ソロに続いて、赤いジャズマスターで奏でられたメイソンのソロは、エフェクトをかけ強烈な印象を残しました。この曲も『Live In Japan』に収録されていますが、2015年の広島公演で披露されたものです。

5曲目、ジャクソンは再びアコギのJBモデルに持ち替え、ドラムスのカウントでアコギを弾き始めます。曲は「The Barricades of Heaven 」。1996年の『Looking East』ツアー以来、ほとんどの来日公演で演奏しているジャクソンお気に入りのナンバーで、コンサートのオープニングに演奏されることも多い曲です。ジャクソンの自伝的な内容でメロディも美しく自分もかなり気に入っているナンバー。この曲も『Live In Japan』に収録されています。グレッグはラップ・スティールでソロを奏でていました。

この曲が終わったあと、客席から「Mr.Browne, Don’t forget Fukuoka」と声がかかります。1998年以来福岡公演が行われてないことを彼は言いたかったようですが、ジャクソンには通じなかったようで、ジャクソンは客席の声を誤解して「ジェフ・ヤング、デヴィッド・リンドレー、わずか数週間の間に二人の盟友を亡くしてしまい、非常に残念だ。」という意味のMCをしていました。リンドレーのことは、このblogに散々書いてきましたが、1993年以来ジャクソン・ブラウン・バンドに在籍し彼を支えてきたキーボーディストのジェフ・ヤングもこの2月に他界してしまいました。彼のスタイリッシュな演奏はジャクソン・ブラウンの来日公演で何度も目にしていただけに非常に残念です。

6曲目、ジャクソンはピアノに座り「Fountain of Sorrow」を歌い始めます。この曲と「The Barricades of Heaven 」は曲調が似ていると思うのですが、続けて演奏されることが多いですね。大好きな曲なので大変嬉しいです。この曲のエンディング間近、ジャクソンがピアノから立ち上がり、後ろに控えていたジェイソンがさっとピアノに座るという「早変わり」が演じられ、ジャクソンはアコギを手にし、「あのフレーズ」をつま弾きます。この曲でグレッグはギブソンのジャンボ・タイプのピッグガードのないアコギで終始心地よいコードストロークを聴かせ、メイソンはエレキで叙情的なリードを弾いていました。

7曲目、ジャクソンは薄いベージュのテレキャスターに持ち替え「Rock Me On The Water 」を歌い始めます。またも代表曲。素晴らしいです。ジェイソンがピアノを担当、グレッグはラップ・スティールで曲を盛り上げます。グレッグはビル・アッシャー、デューセンバーグなど数本のラップスティールを持ってきていましたが、遠目ではどの楽器を弾いているのかなかなかわかりません。ただ、この曲ではペダル・スティール風のフレーズも聞こえたので、デューセンバーグのパームベンダーがついたスティールで奏でていたのかも知れません。

8曲目は、2月に亡くなったジェフに捧げる最新作のタイトル・トラック「Down Here From Everywhere」が演奏されます。ジャクソンはテレキャスのまま、グレッグはラップ・スティール、メイソンはなんとテスコの青いスペクトラム5を弾いているではありませんか。オリジナルか復刻かはわかりませんけど、年若いメイソンが日本製の古いギターに興味を持つというのも面白いところですね。ところどころワウをかけて美しい音色でソロをとっていました。この曲はサビではジャクソンとジェフとのコール&レスポンスがあるのですが、ジェフの役はシャボンヌとアレセアが見事にこなしていました。

9曲目は、3月3日に亡くなったデヴィッド・リンドレーの追悼です。ジャクソンは「デヴィッドとは本当に長い間一緒に過ごした。いつも彼は自分にさまざまことを教えてくれた。彼と共作した曲はたった1曲だけだ。」という意味のMCをし、黒のストラトを弾きながら、その曲「Call It A Loan」をしみじみと歌いました。ジャクソンは赤いジャズマスターのメイソンとツイン・ギターでメインのフレーズをデュエット、グレッグはペダル・スティールで後半曲を盛り上げていきます。やはり思っていた通りこの曲でした。この曲も『Live In Japan』に収録されています。このアルバムが収録された2015年のツアーでは名古屋と東京でこの曲が演奏されていますが、客席からのリクエストに応えて演奏される様子が収録されています。

10曲目は、『The Pretender』に収録されていた「Linda Paloma」です。このところラテン風味の曲をアルバムに入れることが多くなったジャクソンですが、この曲が出た当時は、彼にしてはちょっと異色な風合いの曲でした。グレッグがマーティンと思われるオール・マホ・ボディの小型ギター(1-17か2-17あたりと思われます。)で、甘い音色の美しいフレーズを奏で、ジェイソンはフィドルを弾き、アレセアはマラカスでスティディなリズムを刻んでいました。ジャクソンはアコギのJBモデルでストローク、エンディングではコーラスの二人の美しい歌声が響き渡りました。

11曲目、ジャクソンは楽器を持たずにスタンド・マイクを前に歌います。曲は「Here Come Those Tears Again」、『The Pretender』収録曲が続けて演奏されました。この曲は日本で何度も演奏しているのだろうけれど、最近は正式なセットリストには入れていなかったようで、おそらく自分にとっては生で聴くのは初めてです。間奏ではグレッグとメイソンのツイン・ギターがとても心地よく、エンディングではシャポンヌとアレセアのハリのあるコーラスが見事。この曲がファースト・セットのラストを飾るナンバーとなりました。ジャクソンは「10分ほどで戻るよ」と言い残してステージ袖へ消えていきました。

休憩時間中に、グレッグとメイソンのギターを間近で見ようと、上手ステージ前に行くと、同じように前にきていたお二人がローディから前半のセットリストを受け取っていました。「いいなぁ」と思いながらギターを眺めていると、会場の係員から「黄色い線まで下がってください。」と言われました。足下を見ると、トラロープが無造作にガムテープで貼り付けてあります。「ここまでしなくてもなぁ」と思いながらそれでもロープの内側からギターを眺めていると、さっきのローディが明らかに自分の方にセットリストのコピーを持ってきてくれました。しかし、ロープの内側に下がっていたせいで、そのリストは最前列に座っていた方が一瞬早く手にされてしまいました。残念ですが、その方に写真を撮らせてもらいました。

さて、休憩の後、セカンド・セットの始まりです。バック・ボーカルのシャボンヌとアレセアをフロントに呼んで最新作『Down Here From Everywhere 』収録のアップテンポのナンバー「Until Justice Is Real」で幕を開けます。ジャクソンはお気に入りのアコギ、Gibson CF100Eを手にしています。間奏はグレッグのラップスティールが心地よいフレーズを奏でています。前サビの部分はジャクソンは低音で歌い、シャボンヌとアレセアの方が目立っているし、エンディングにも二人の見せ場があります。「正義が実現するまで」というタイトルのこの曲は、「TVやケータイに踊らされるのではなく、自分自身で大切なものを見つけるんだ。時間は過ぎ去っていく、まるで川のように、列車のように、導火線が日々短くなるように」と歌われる社会的なメッセージ色が強いナンバーです。この曲でメイソンが弾いていたのは、ナチュラル・カラーのグヤトーンLG60Hで、終始リズムを刻んでリードはありませんでしたが、おそらく1950年代末頃の日本製のギターを使うなんて、マニアックでお洒落だと思います。

同じ配置でもう1曲『Down Here From Everywhere 』から「The Dreamer」が登場。ジャクソンはメキシコの小型弦楽器、ビウエラを抱えています。もともとメキシコの領土だったカリフォルニア、その南部に位置するロサンゼルスにはメキシコ系のアメリカ人が多く住んでいます。「The Dreamer」とは、ここでは幼少期に親に連れられて不法入国し、アメリカで育った若者のことだそうです。ライ・クーダーと共演経験のあるメキシコ系の若者たちによるバンド、ロス・センソントレズとの共演で2017年末にシングルでリリースされたナンバーですが、大きくアレンジを変え『Down Here From Everywhere 』に収録されました。若年移民の国外強制退去延期措置を撤廃しようとするトランプ政権への批判を込めて、センソントレズのユージーン・ロドリゲスとの共作で書かれた曲です。国外退去命令が下された若者が自分の人生を築いた土地から無理やり引き剥がされること、そして国境に築かれる「壁」の理不尽さを歌っています。曲調はメキシカン・タイプ。ウォーレン・ジヴォンの「Carmelita」あたりを思い起こします。サビはスペイン語になり、コーラスの二人がオクターブ上の主旋律を歌い、2番ではジャクソンのフレーズに続いて、やはりスペイン語でカウンター・ボーカルをとります。グレッグは「Linda Paloma」でも弾いていた小型のギターで美しいフレーズを繰り出していきます。この曲が終わるとコーラスの二人は定位置に戻ります。

3曲目は「Long Way Around 」。2014年の『Standing In The Breach』に収録されていたナンバーで、お気に入りらしくステージでよく演奏されています。ジャクソンはここで「ホロウ・チェスナット」に持ち替え、ギターをつま弾きながら歌い始めますが、最近こういうタイプの曲によくホロウ・ボディのエレキ・ギターを使っているようです。この曲ではサビでシャボンヌが美声でハーモニーをつけ、グレッグはラップ・スティール、メイソンは赤いジャズマスターで曲を盛り上げていました。

4曲目、ジャクソンはピアノの前に座り、静かなフレーズを弾き始めます。『I’m Alive』収録の「Sky Blue And Black」です。『I’m Alive』ツアーを見に行けなかったので、この曲を生で聴くのは初めてだと思います。本当に素敵なバラードですよね。サポートするバンドの抑制の効いた演奏も本当に素晴らしい。ジャクソンは「傷心」の歌を歌わせたら天下一品です。多くの若いミュージシャンが活躍していますが、この境地を表現できる人はなかなかいないと思います。グレッグとメイソンはエレキ・ギターでサポートです。

5曲目はアコギJBモデルに持ち替え、静かに「Your Bright Baby Blues 」を歌い始めます。バラードが続きますが、曲がいいので飽きることはありません。『The Pretender』ではローウェル・ジョージのボトルネック・ギターをフィーチャーしていましたが、ここではグレッグのラップ・スティールが心地よいリードをとります。

6曲目は、前半客席から声のかかったリクエストに応えて「A Little Soon To Say」が演奏されました。これで最新作からのナンバーは4曲となりました。この曲も美しいバラードで、ジャクソンの孫の世代への希望を託したメッセージがすばらしいです。ジャクソンは薄いベージュのテレキャス、リードをとるメイソンもフロントに別のピックアップを移植したであろうテレキャスを弾いていました。

7曲目でジャクソンは再びピアノの前に座り、ノリのいいリフを弾き始めます。彼のデビュー・ヒット「Docrtor My Eyes」です。間奏はグレッグがエコー・パークのギターでジェシ・エド風のフレーズを繰り出し、アレセアはコンガを叩いて曲を盛り上げます。バンドの一体感がなんとも素晴らしいです。ここからコンサートのクライマックス。代表曲が連続で演奏されます。

続いてジャクソンはピアノに座ったまま、あのフレーズを弾き始めます。8曲目は「Late For The Sky」です。何もいうことはありません。メイソンはリンドレーが弾いたフレーズをなぞるように叙情的なリードで曲を盛り上げます。

曲が終わると、ジャクソンにビル・アッシャー製の薄いベージュのストラト・シェイプのギターが手渡されます。フロントにはゴールド・フォイル、リアにはP90が搭載された2ピックアップ仕様、ピックガードはゴールドで、パンフレットにもこのギターが写った写真があります。このギターをつま弾きながら始まったのは「The Pretender」です。この曲で客席の大半が立ち上がり大歓声をあげます。本当にコンサートは佳境です。ブレイク時のキメはメイソンがあえて原曲とは全く違うフレーズを弾いていたのが印象的でした。観客の多くが手拍子をしていますが、今までこの曲で手拍子があったかなぁ、と思います。コロナ禍でコンサートに飢えていた聴衆の思いが爆発したんだと思います。

ジャクソンがサンバーストのストラトに持ち替え、いよいよ本編エンディング「Running On Empty」です。もちろん客席は総立ちです。ジェイソンがグランド風ピアノに座っています。間奏はグレッグがリンドレーのフレーズをバッチリ決めます。ジャクソンはエンディング近くの「I’d love to stick around but I’m running behind」のフレーズを観客に歌わせようとしますが、自分も含め、周りでは声を張り上げている人はいなかったかな。アウトロは短いソロ回し。メイソン、グレッグ、ジェイソンそしてまたメイソンに回って終幕。エンディングではジャクソンがポーズを決め、メンバーが客席に手を振りながらステージを後にします。

もちろん拍手は鳴り止まず、アンコールを求める手拍子になります。

1分ほどして、下手からジャクソンが登場。ピアノに座ります。もちろん、曲は「The Load Out」です。イントロのフレーズで大きな拍手が巻き起こったあと、観客は静かに席に着き、うっとりとジャクソンの歌に聞き惚れています。もちろん「Tonight’s people are so fine」のところでも大拍手です。最初のソロはグレッグがラップ・スティールで見事に決め、メンバーが徐々に配置について、全体の演奏になります。続いてのソロはジェイソン。今までシンセで奏でられることが多かったのですが、今日はオルガンでエモーショナルなフレーズを繰り出しています。「But the band’s on the bus And they’re waiting to go 」に続いて「We’ve got to drive all night and do a show in Nagoya or Tokyo…」と歌っていました。また、「Now we got country and western on the bus」の連では、「We’ve got Akira Kurosawa on the video」と歌い、日本への親近感を示していました。曲はメドレーで「Stay」に続き観客は再び立ち上がり手拍子を打ち始めます。ジャクソンの歌に続いてアレセアが割れんばかりのシャウトでかつてのローズマリー・バトラーのパートを歌い、再びラフな感じのサビに戻ります。2回目のサビは観客に歌わせますが、この時は自分も声を合わせることができました。そしてメイソンとジェイソンがソロをとり曲が盛り上がっていきます。最後はグレッグのソロですが、ジャクソンが5回しくらいグレッグにソロを振っていました。最後の最後に「Stay! Come on, Come on, Come on」のリフになり10分以上のメドレーが終わりました。

ジャクソンはアコギJBモデルを手に取り、「もう一人の友達、グレン・フライにこの曲を捧げる。一緒に歌ってくれ。」という意味のMCの後、ドラムのカウントで「Take It Easy」が始まりました。もちろん客席は総立ちのまま。ジャクソンの歌に唱和します。ジェイソンはピアノに座り、グレッグはペダル・スティールでスニーキー・ピートが弾いた尺のソロをとります。続いてはメイソンがリンドレーが弾いた部分をファイヤーバードでソロを決めます。大きく盛り上がったこの曲が終わるとモウリシオのハイアットは細かくリズムを刻んだままです。ジャクソンがそれに合わせて「Our Lady of the Well」のイントロを弾き始めます。やはりこちらもメドレーでプレイしてくれました。落ち着いたこのナンバーが本当にラスト。間奏ではジャクソンとメイソンがツイン・ギターを決めます。エンディングはソロ回し。メイソン、グレッグ、ジェイソン、ボブと回り、最後の最後はシャボンヌとアレセア。二人がそれぞれソロをスキャットで歌ったあと、二人のデュオを決めます。二人の美しい歌声がいつまでも耳に残りました。ジャクソンとメンバーは客席に手を振ったあと、全員が定位置について、深々と「お辞儀」をし、舞台袖へと帰っていきました。ジャクソンが愛する日本の習慣を尊重したのでしょう。本当に心温まるコンサートでした。

バンドメンバーは2015年、2017年は全く同じでしたが、今回は2人交代。しかし演奏のクオリティは全くかわりません。年若いメイソン・ストゥープスも確かな技術とルーツよりの音楽性を持った好青年のよう。見事にバンドのサウンドに溶け込んでいました。また、フィドルやコーラスもこなすジェイソン・クロズビーは、電子楽器もアクースティックな音色に徹しており、ジェフ・ヤングとは違った一面を見せてくれました。3人のギター・アンサンブルは美しく、また、3人とも見事な”ギターマニア”で1曲ごとに3人の使用楽器を記録したかったのですが、そこまではできませんでした。

3年前、パンデミックが始まった時や、コロナ禍で多くの重症者が出た時は、もう来日公演なんてないのかも知れない、もし来日公演が復活しても、自分が好きなミュージシャンはもう来てくれないかも知れないと不安に思ったものです。自分にとっての「コロナからの復活」がジャクソンで本当に良かったと思います。74歳という年齢を全く感じさせない素晴らしい歌と演奏に胸が熱くなりました。また来年も来てくれるといいなぁ。

(1st)
1.Before The Deluge
2.I’m Alive
3.Never Stop JB-Fender
4.The Crow On The Cradle
5.The Barricades of Heaven
6.Fountain of Sorrow
7.Rock Me On The Water
8.Down Here From Everywhere J
9.Call It A Loan
10.Linda Paloma
11. Here Come Those Tears Again

(2nd)
1. Until Justice Is Real
2.The Dreamer
3.Long Way Around  
4.Sky Blue And Black
5.Your Bright Baby Blues
6.A Little to Soon to Say
7.Doctor My Eyes
8.Late For The Sky
9.The Pretender
10.Running On Empty

(Encore)
1. The Load Out
2.〜Stay
3.Take It Easy
4.〜Our Lady of the Well

Jackson Browne / Hold Out

holdoutいよいよ明日3月20日からジャクソン・ブラウンの来日公演が始まります。ローリング・ココナッツ・レビューやジャパン・エイドを含めると来日は16回目。本当に親日家ですね。3年前フジロック・フェスティバルへの来日が決まっていましたが、コロナ禍でイベントそのものがキャンセルになったのは記憶に新しいですね。ほとんどのツアーでは広島公演を加えており、たびたび平和資料館を訪れるなど彼の性格がよく表れています。今月3日に盟友のデヴィッド・リンドレーを失ったばかりのジャクソンですが、おそらく今回のコンサートでは、そのことに言及するのではないかと思います。昨日、ようやくジャクソンもリンドレーへの追悼文を公にしました。今回は、リンドレーとの共作曲を含む1980年の『Hold Out』をレビューしたいと思います。この作品は、彼の最初の全米No.1ヒット・アルバムです。にも関わらず、最近のコンサートではこの盤から選曲されることはほとんどないですね。近い時期の作品として、シングルヒットした「Somebody’s Baby」はよく取り上げられるのですけどね。

自分は高校生の時、友人宅でこの盤を聴かせてもらい、非常に衝撃を受けジャクソンのファンになりました。その後、初期の作品を聴いてその素晴らしさに惹かれ、どれか一枚、と言われると『Late for the Sky』を選んでしまいそうですが、このアルバムにも負けず劣らず思い入れがあります。アルバムのサウンドは、当時流行していたAORを多少意識しているのかもれませんが、きわめてソウルフルです。ジャクソンの歌い方もファルセットなどを交え、R&Bやソウルの香りが強く漂っています。バンド・メンバーにリトル・フィートのビル・ペインが加入し、シンセやオルガンをフィーチャーした音づくりとなっているところも統一感のあるサウンドに貢献しています。一方、リンドレーはそれまでのアルバムで必ず入れていたフィドルを封印し、アコギも用いず、エレクトリックサウンドとしています。すなわち、カントリーやフォーク的要素を意図的に排してソウル系の音づくりを目指していたことがわかります。もちろん、アルバムの制作過程では様々な試みがあったでしょうが、当時の市場の動向などにも配慮してこうしたサウンドが選ばれたのでしょう。そして、その意図が間違っていなかったことは、大ヒット・アルバムとなったことが証明していると思います。

アルバムの歌詞に注目すると、シンガー・ソングライター・ジャクソン・ブラウンは健在です。「Hold Out」「Call It A Loan」「Hold On Hold Out」は、『Running On Empty』ツアーで恋仲になり、この頃は一時関係を解消していた恋人、リン・スウィーニーに呼びかけるようなプライベートな内容の作品です。アルバム自体「THIS IS FOR LYNNE」とのクレジットがあります。また、亡き友人ローウェル・ジョージのことを歌った「Of Missing Persons」も個人的なメッセージであり、サウンドが多少変わってもジャクソンの曲作りのスタイルは何も変わっていないことを示しています。ジャクソンは1981年にリンと結婚するのですが、結婚生活は長続きせず1983年には二人は別れてしまいます。1983年の『Lawyers In Love』のツアーまでは、「Hold On Hold Out」はよく歌われていたようですが、その後のツアーでは時折「Call It A Loan」は取り上げられるものの、「Hold Out」「Hold On Hold Out」がコンサートで取り上げられることは滅多になくなってしまいました。もしかしたら、別れた妻に捧げた曲は、もう歌いたくないのかもれませんね。

アルバムのプロデュースは、ジャクソン・ブラウンとエンジニアのグレッグ・ラダニー。レコーディング・メンバーは、ドラム : ラス・カンケル、キーボード : クレイグ・ダーギの「セクション」のうち2人に、ベース : ボブ・グローヴ、ギター : デヴィッド・リンドレー、キーボード : ビル・ペイン、コーラス: ダグ・ヘイウッド、ローズマリー・バトラーに加えジャクソン自身もピアノとエレキ・ギターを弾いています。ゲスト・ミュージシャンとしては「Disco Apocalypse」にパーカッションでジョー・ララが、「Boulvard」にドラムで、「That Girl Could Singにハイハットとタムでリック・マロッタが、Boulvard」にマラカスでダニー・コーチマーが、「Hold Out」にムーグ・シンセでデヴィッド・ホーンが参加しています。ほとんどの曲を同じバンドで演奏するという手法もサウンドの一体感を生む大きな要因となっているのでしょう。基本メンバーの編成でワールド・ツアーを行い、アルバム発売年に来日もしています。その時、自分はまだ中学生でジャクソンの存在もほとんど知りませんでしたが、この時のツアーは本当に見たかったな、と思います。メンバーもすごいですが、『Hold Out』の全曲と代表曲を交えた選曲もあまりにも魅力的です。

アルバムの冒頭に入っている「Disco Apocalypse」は、物議を醸したナンバーですね。1979年にニューヨークで行われたノーニュークス・コンサートで歌われたのですが、その内容が”ジャクソンらしからぬ”とブーイングを受けたというエピソードがあります。ジャソクソンは『The Pretender』のレコーディングを終えた後のインタビューで「今はディスコで思いっきり踊ってみたい」なんて発言もしていたようです。イントロからして、これまでのジャクソンとは異なり、都会の喧騒やネオンサインを連想させます。踊れなくはないですが、ミディアムでそれほど軽快なテンポではありません。サウンドは洒落ていますが、単なるディスコ讃歌ではなく、お得意の死と再生のメッセージを曲の後半に忍び込ませています。そして、エンディングではローズマリー・バトラーのボーカルが炸裂。曲を一気に盛り上げます。この曲にはギターは入っていないようで、アコピ、エレピ、オルガンそしてストリングス・シンセを重ねてバックトラックをつくっています。自分はカッコいいサウンドだと思うのですが、好き嫌いが分かれるところではありますね。

2曲目の「Hold Out」はタイトル・トラックですが、ラストに収録されている「Hold On Hold Out」と対になった作品であることは言うまでもありません。曲調は完璧なソウル・バラードで、ソウル・シンガーのカバーも聴いてみたいものです。栄光を追うのに必死だった自分の元を去った恋人に、自身の満たされない思いを告げています。
 『Hold Out』ツアーの日本公演パンフを随分前に中古で入手したのですが、翻訳家の山本沙由理さんがジャクソンの歌詞についての素敵な文章を寄稿していて、その中で以下のような説明をしています。

「ジャクソン・ブラウン本人に会って説明してもらうまではhold outの意味は「持ちこたえる」と思っていた。ところが真実は、ジャクソン自身の言葉で言えば「いろいろな意味があって、安売りせず、もったいぶって、内面にとどめておく。殻に閉じこもって本心をあかさない。」という意味になるそうだ。従って「ホールド・アウト」では恋人リンに向かって、「愛を安売りしちゃいけない。大切にとっておくんだ。でも僕にはホールド・アウトしないでほしい」と歌っており…。」

 すなわち、この曲でジャクソンはリンに対し、「愛を安売りせず、大切な人のためにしっかりとっておきなさい。」と歌い、その”大切な人”とはジャクソン自身に他ならないことを示唆しています。間奏に響くリンドレーのラップ・スティールのソロもいつになく都会的ですが、美しいフレーズに耳を奪われます。前曲もそうですが、曲中のバッキングにリンドレーのギターは入っておらず、ドラム、ベース、キーボード2本で基本的なサウンドを構成しています。

3曲目「That Girl Could Sing」について、マーク・ビーゴはその著書『ジャクソン・ブラウン ヒズ・ライフ・アンド・ミュージック』で「明らかに10年近く前のジョニ・ミッチェルとの関係を歌ったものだ。」と断言しています。このころの『ローリング・ストーン』誌に掲載されたポール・ネルソンによるインタビューで、ジャクソンは名前は明かさないものの、「実在の人物について歌っている」と語っています。この曲もメロディは美しいですが、ロック・ビートを強調したアレンジでサビではリンドレーのスリリングなカッティングが効果を上げており、間奏では、それに続く空に舞い上がるようなラップ・スティール・ソロが魅力的です。第二弾シングルとして発売されヒットしました。

4曲目は、かっこいロック・ナンバーの「Boulvard」。スリリングなギターリフで始まります。繁華街ハリウッド・ブールヴァードのことを歌っています。ジャクソン自身がかつて一時期この街に住み、あちこちから集まってくる家出少年や少女を観察し彼らの心情にも思いを馳せながら書いた曲です。この曲が第一弾シングルでキャッシュボックスでは13位のヒットとなりました。冒頭からエンディングにかけてリフはジャクソンが弾いているようで、エンディングでリンドレー得意の単弦ミュートによるフレーズと絡み合います。サビではジャクソンとコーラス隊の歌の掛け合いもありソウルフルなアレンジとなっています。

LP時代のB面に行って、1曲目は「Of Missing Persons」です。上にも書いたように、ジャクソンの友人でリトル・フィートのリーダーだったローウェル・ジョージが、ツアー中の1979年6月29日、急死してしまったことを受け、まだ5歳だった彼の遺児イナラに向けてのメッセージの形で書いたトリビュート・ソングです。誰かが、「ジャクソンのアルバムで誰かが死ななかったものがあるだろうか」という意味のことを書いたことがあるようですが、確かにファーストにはインドで亡くなった友人に向けての「Song For Adam」、『Late for the Sky』にはスコット・ランヨンに捧げた「For A Dancer」、そして『The Pretender』は亡くした妻への悲しみを連想させる、といった形で身近な人の死に題材をとった作品が多いのがジャクソンの作品の特徴の一つと言えそうです。医療が発達し核家族化の進んだ現代社会にあっては”死”はかつてのように身近ではなくなりました。それだけに、若者にとっての同世代の”死”はより衝撃的なものです。ジェームズ・テイラーの代表曲「Fire And Rain」も友人の”死”に触発されたナンバーですし、レナード・コーエンの初期の作品「Seems So Long Ago, Nancy」も亡くなった女友達に捧げるもので、自らの心境を吐露する歌が共感を与えるシンガー・ソングライターたちにとって、”死”という重いテーマは避けて通れないもののようです。ジャクソンにとってメンターでもあった年上の友人ローウェルが彼に与えたう影響の大きさを物語るとともに、ジャクソンのローウェルの対する敬意と愛情が強く感じられる作品です。マイナー・キーで始まる曲ながら、サビは明るい旋律になり希望を感じさせる挽歌となっています。間奏はフェイザーの音色が美しいリンドレーのラップ・スティール・ソロ。ジャクソンの心情を代弁するように哀感をたたえたフレーズを紡いでいます。また、2番から入ってくるどこまでも伸びるロングトーンのオブリも耳を惹きます。この曲のタイトルはリトル・フィートの「Long Distance Love」の最初の方に出てくる一節からとられています。もちろん、ローウェルの書いた曲です。イナラ・ジョージは、一時期バード&ビーというユニットを組んでいましたが、今やソロ・シンガーとして大成しています。

B面2曲目は、バラードの「Call It A Loan」です。この曲はジャクソンとリンドレーの共作です。印象的なイントロはリンドレーがエレクトリックの12弦ギターで弾いているものでしょう。おそらく、このフレーズをリンドレーが編み出し、それに歌詞をつけるかたちで、曲の制作が始まったものと思われます。もしかしたら、最初はアクースティック・ギターでつくられたのかも知れませんが、アルバム全体のカラーから浮かないようエレクトリックな演奏としたのだと思うのですが、曲の持つリリカルな肌合いはより強まっていると思います。内容はリンに対する思いをつづったもので、「君の無償の愛をローンで返済させてくれないか。」という内容。おそらく仕事に熱中し、相手にかまうことができず、リンの愛を失ったと感じたジャクソンが、リンに戻ってきてほしいとの思いでつづった歌詞でしょう。それにしても、リンドレーとジャクソンの息の合い方は見事です。1987年のツアーでは、ジャクソンは確かダグ・ヘイウッドと二人だけで、アクースティック・ギター2本にアレンジして演奏していたように記憶しています。

そして、わずか7曲のこのアルバムを締めくくるのは、名曲「Hold On Hold Out」。ピアニストのクレイグ・ダーギとジャクソンの共作です。そのクレイグによるさざなみのようなピアノのリフで始まるこの曲に、次第にバンドの演奏が重なり、ジャクソンの歌で走り始めます。「粘り強く待つんだ。安売りするんじゃない。金がばらまかれ、賭けが始まった。君は我慢できない。」と恋愛を賭け事になぞらえていて、前曲とのつながりを感じさせます。そういう意味では、この盤もリンとの恋愛をテーマにしたコンセプト・アルバムですよね。1番が終わった後の間奏で奏でられるリンドレーのスライド・ギター。たまりません。同じく名演の「Running On Empty」と同じく下からAEAC#EAと、高音にチューニングされたリッケンバッカーのB-6ラップ・スティール・ギターで、伸びやかなフレーズを実に美しく奏でています。歌の後半は、伴奏が静かになり、クレイグのアコピが再びリフを奏でます。その伴奏に乗って、ジャクソンが語り出します。この語りが素敵なんです。時折ファルセットを交え、語りと歌のはざまを行き交うジャクソンの声には魅了されざるを得ないのですが、この語りは、リン・スウィーニーというたった一人だけの女性に向けられたものです。そして、彼はついに「I Love You」と口にするのです。その言葉の後、バンドはドラムの合図で一際演奏を盛り上げ二人のコーラス隊にスポットをあてて後奏へと向かっていきます。もし、この世に「ラブ・ソング列伝」なるものが存在するのであれば、必ずエントリーするであろう素晴らしいナンバーです。メインとなるリフやメロディを考案したのはクレイグでしょうが、そこから歌詞を書き、組曲風のスケールの大きい曲に構成したジャクソンの手法も見事なものです。曲が長いので3枚目のシングルとして12インチ・シングルが切られましたが、残念ながらチャート・アクシションはほとんど見られませんでしした。そうそう、ジャクソンが曲づくりをはじめた1960年代のポップ・ソングはビートルズやモータウンを含め「I Love You」と「Baby」というフレーズがあふれかえっていました。そこでジャクソンは自身に、”この二つのフレーズを使わない”というルールを課したのだそうですが、ついにこの曲で「I Love You」の封印を解き、続いて2年後にシングルでリリースする「Somebody’s Baby」で「Baby」の封印を解くことになります。このアルバムが、パーソナルな愛情をテーマとしたコンセプト・アルバムであるがゆえに、そのリアリティを演出するために封印を解いたのでしょう。

『Hold Out』は、ジャクソンのアルバムの中で転機となった一枚とされるのですが、サウンド的には『The Pretender』や『Running On Empty』の延長線上にあって、カントリー色を排しR&B色を強めた作品と考えてよいと思います。確かにロック /ポップスのマーケット上の”商品”であるがために、”時代の音”が反映されるのはいたしかたないことでしょう。しかし、この『Hold Out』は、その”戦略”が功を奏し、一体感のあるバンド・サウンドと、AOR時代を反映するR&B系の音が、絶妙なバランスで同居している傑作アルバムだと思うのです。寡作で、クオリティの高い作品を常に追求してきたジャクソンですが、『Hold Out』以降は、それに匹敵する完成度を示すアルバムはごく少数のような気がしてなりません。商業的な成功だけがバロメーターではないのですが、このアルバムの売り上げがジャクソンのアルバムの中では最高を記録したということも、その質の高さを物語っているように思うのです。それにしても、このアルバムがリリースされて43年もの年月が流れたのですね。当時リンドレーは36歳、ジャクソンは31歳でした。今の若い人たちに聴かせたらかえって新鮮に感じるかもしれませんね。

Jim Pulte / Shimmy She Roll, Shimmy She Shake

jimpulteshimmyデヴィッド・リンドレーの訃報が届いてから1週間以上経ちましたが、いまだに喪失感は続いています。ライ・クーダー参加作をレビューする順番ですが、今回はリンドレー参加作で行きたいと思います。今回お届けするのはジム・パルトです。彼の1972年作にリンドレーが参加しておりまして、パルトの00年代の復帰作をレビューしたとき、そのことにも触れていたのに、リンドレーのオフィシャル・ホーム・ページのディスコグラフィから漏れていることもあって、レビューするのをすっかり忘れていたので、ここで取り上げたいと思います。

パルトさんの参加していたバンド、サウスウィンドのアルバムが何年か前にVIVIDから再発されていますが、そのライナーでパルトさんの経歴が詳しく紹介されていました。それを参考に、再度彼の経歴を簡単に書いてみたいと思います。彼は1960年代中頃、オクラホマ大学の学生だった時、学生バンド、ザ・ディシプルズを結成。ウィスコンシンでライブ・バンドとして成功し、ロサンゼルスに向かいます。そこで旧知のダグ・ブラウンの後押しもあり、彼のプロデュースでMGM参加のヴェンチャー・レコーズと契約、サウスウィンドと改名し1968年にデビューを果たします。その年、パルトの「New Orleans」がデル・シャノンに、「Junior saw it happen」がスティーヴ・ミラー・バンドに取り上げられるなど、パルトのミュージシャンとしての知名度も徐々に上がって行ったようです。サウスウィンドは1971年までに3枚のアルバムを出して解散。同じ年、パルトはジェシ・エド・デイヴィスのプロデュースでユナイティッド・アーティスツから『Out The Window』でソロ・デビュー。このアルバムが2作目になりますが、そのあと彼は長い沈黙期間に入ります。

このアルバムは、『Out The Window』に比べると知名度の低いミュージシャンを中心に録音されていますが、なかなかの力作です。リード・ギターのトム・デューイは、ライ・クーダーもアルバムにゲスト参加していたポッサムのメンバーです。キーボードのジョン・ヘロンはスワンプの名盤、ブーンドグル&バルダーダッシュのブーンドグルその人です。オクラホマ出身のプレイヤーで、ビーチ・ボーイズ、ティム・バックレイ、エルトン・ジョン、フロ&エディらのアルバムに参加していました。ベースのジム・ポンズはカリフォルニア州サンタモニカ出身。ガレージ・バンド、リーヴズを経て、タートルズのベーシストを務めました。ドラムスのチャック・モーガンはアトランティック期のディレイニー&ボニーwithフレンズのメンバーでした。こうしてみると、このアルバムのレコーディング・メンバーもなかなかの猛者ばかりですね。デヴィッド・リンドレーは、このアルバムに1曲フィドル・プレイヤーとして参加しています。

まず、そのリンドレー参加曲について触れてみたいと思います。

B面3曲目に収録されている「Ten Miles East of Town」です。アコギで幕を開ける曲で、ドラムはシャッフルのリズムを刻みます。まぁ、ちょっとカントリーっぽい小品といったところかな。セカンド・ヴァースからリンドレーの独特な音色のフィドルが重なってきます。結構大きなボリュームでオブガードを奏で、そのまま間奏に突入し、2コーラス心地よいソロを聴かせてくれます。リンドレーのフィドルの見本のような演奏ですね。ホント素敵です。

A面は「Stand Up」と題され、アップテンポの曲が中心です。

ピアノとコーラスで幕を開ける冒頭のナンバーはタイトル・トラック。インテンポからノリノリになるロックンロール・ナンバーです。エレクトリック・ボトルネックも活躍し、曲のカラーに大きく貢献しています。またホーン・セクションも入っていて、まさにスワンプ・ロックの雰囲気満点です。曲を書いたのはジム・パルトとJ.Martin。かつてのサウスウインドの同僚ジョン・ムーン・マーティンのことでしょう。
2曲目「Pocket Chance」は、おおらかなシャッフルのノリを持ったミィデアム・ナンバー。サックスがオブリガードで演奏に絡みつき、サビではホーンセクションも活躍します。パルトとブーンドグルことジョン・ヘロンの共作。間奏では彼のピアノもフィーチャーされます。南部の香りが強く漂ういい曲ですよね。
3曲目「Rags And Old Iron」は、ニーナ・シモンのカバーです。ワウワウによるチャカポコ・カッティングのギターもかっこいいブルージーなナンバーですが、A面では最もシリアスで重厚な曲です。
4曲目「Out In The Light」はシンコペーションを多用した楽しいシャッフルのロック。途中からストレートなリズムになるご機嫌なナンバーです。クレージホースの前身バンド、ロケッツ出身のボビー・ノコトフのエレクトリック・ヴァイオリンも活躍しています。
5曲目「It’s All Comin’ Down」も、前曲に続いて、元気で明るいタイプのロック・ナンバー。ワウをかけているボトルネック・ギターもいい味を出しています。このあたりの曲からは元気をもらえますね。

B面は「Lay Down」と題されています。A面より落ち着いた曲が並んでいて、座ったり、寝転んだりして聴いてください、という意味でしょうか。

1曲目 ボトルネック・ギターがご機嫌なグッドタイム・ミュージック。時折ファルセットの混じるジムの歌も素敵です。ジョニー・マーサーというミュージシャンのカバーだそうです。
2曲目 「Beside The Mountain」 F・ブラウンとの共作、バラード・ナンバー。オルガンやキーボードが目立っています。間奏もピアノ・ソロ、そのバックで聞けるオルガンはまるでガース・ハドソンのよう。ザ・バンドの影響は明らかです。エンディングでリード・ギターが登場。一旦曲が終わった後、美しいピアノ・ソロになり、再びリズム隊が入って曲が終わります。
4曲目「Dancing’ On A Mirror」は、エレピで始まるA.O.R.の走りのようなナンバー。ニュー・ソウルに触発されたアレンジでしょう。ジムの声に意外にもマッチしています。間奏はボビー・ノコトフのエレクトリック・ヴァイオリン。前曲でのリンドレーの演奏に比べれば緊張感が漂い、サイケの肌合いも残しています。こちらもいいプレイですよね。
5曲目「You Can Leave Your Hat On」は言わずと知れたランディ・ニューマンのナンバー。この盤と同じ1972年にリリースされた『Sail Away』収録曲です。本家のバージョンではライ・クーダーがボトルネック・ギターを弾いていました。出だしのピアノなど、本家に敬意を表したアレンジですが、リズム・セクションが入ってからは、こちらの方が元気な感じですね。
6曲目「The Best Year Since ’28」はアルバム・ラストナンバー。ピアノとアクースティックのボトルネック・ギターだけで演奏されるブルージーな作品です。

ジム・パルトのアルバムはジェシ・エド・デイヴィスがプロデュースした1971年の前作『Out The Window』が名盤の誉れ高く、自分も異論はないのですが、この『Shimmy She Roll〜』も負けず劣らず素晴らしい作品だと思うのです。A面では楽しくドライブするロックンローラーとして、B面ではグッドタイムな感覚を持ち、カントリーからブルーズまでをカバーする幅広い音楽性を持ったミュージシャンとして存在感を示しています。

1972年というと、リンドレーにとってはイギリスからアメリカに拠点を移すまさに過渡期です。同年にリンドレーはクリス・ダーロウがプロデュースしたマックスフィールド・パリッシュにも参加しています。こちらのアルバムもロサンゼルス録音ですから1972年のある時点で一時帰国していたときの録音かもしれませんね。カレイドスコープでも活躍ししていたリンドレーですから、ロスの音楽業界ではすでにミュージシャンズ・ミュージシャンとしての地位を確立していたのでしょう。

David Lindley & Wally Ingram / Twango Bango II

lindleytwangoII青天の霹靂です。敬愛するDavid Lindleyが天に召されてしまいました。残念です。本当に残念無念、残念至極です。

3月4日土曜朝のピーター・バラカンのウィークエンド・サンシャインは、これまた大好きなDavid Crosbyの追悼特集でした。この番組を聴きながらfacebookをチェックしてると、David Londleyファン・ページのバックグラウンドの画像が21,March,44〜3,March,23になっているではないですか。慌てて本文を見ると、1時間ほど前からRIPの記事が並んでいます。あと少しで79歳というときに亡くなってしまいました。アメリカ人男性の平均寿命が74歳ですから、それよりは長生きできたのですけれども、ウィリー・ネルソンやボブ・ディランが現役でバリバリ活動しているのをみると、もう少し長生きして、彼の大好きな日本でもう一度ライブをやってほしかったな、としみじみ思います。

体調が良くないことは、そのファン・ページで知っていました。もっとも、彼は腎臓を痛め、透析を受けていたそうですから、すでに重い基礎疾患を持っていた上にcovid19に感染し、肺炎までおこしていたそうです。彼もまたcovid19の犠牲者です。まずはご冥福をお祈りしたいと思います。covid19の流行り始めの頃は、多くの著名人が亡くなりました。アメリカの音楽関係者だけでもエリス・マルサリス、ハル・ウィルナー、ジョン・プライン、リー・コニッツといった名前が並びます。オミクロン株に置き換わった最近では、そのような報道もめっきり少なくなっていたのですが…。

David Lindleyの名前を知ったのはグレアム・ナッシュのセカンドでした。1981〜2年頃。姉の買ってきた『小さな恋のメロディ』のサントラでCSN&Yを知り、グレアム・ナッシュに興味を持って、彼のセカンド・アルバムを日本盤で入手。アルバムを何度も聞き返すうち、2曲で聴ける印象的なスライド・ギターの音色にすごく惹かれるようになりました。その人物こそデヴィッド・リンドレーだったのです。実は彼のプレイはそれ以前に耳にしていました。それ以前に入手していた『金字塔』と題されたCSN&Yのベスト盤にナッシュの「Simple Man」が収録されていて、そこでフィドルを弾いていたのが、リンドレーだったのです。そして、友人から貸してもらったジャクソン・ブラウンの『Hold Out』が決定的でした。そこで聴けるリンドレーのスライド・ギターの音色にはまり、やはり同じ友人からリンドレーのデビュー作を貸してもらって、レゲエ・サウンドに戸惑いながらも、リンドレー&El Rayo-Xの1983年の京都公演に足を運び、衝撃的な影響を受けました。この出会いがなければ、自分は今のような音楽志向、そして音楽嗜好になっていなかっただろうと思います。この時、一曲だけソロで演奏した「Rag Bag」で、ワイゼンボーンの音色に初めて生で触れることになりました。1989年に就職で福岡に来たため、1990年代にリンドレーのライブを見たのは2回だけ(うち1回は、ライ・クーダーとのファミリー・ライブ)ですが、2000年代には、トムス・キャビンが頻繁に彼を招聘してくれたおかげで、何度も彼のライブを見ることができました。自分が最も多くライブに足を運んだ海外ミュージシャンがリンドレーです。

今回は追悼の意味を込めて、まだ紹介していなかったこの盤を取り上げたいと思います。2001年に出たウォリー・イングラムとのデュオ作の2枚目です。
2002年の4月、山口のCS赤煉瓦という文化施設に二人のライブを聴きに行きました。もう21年も前になるのか、時が経つのは速いですね。95年にライ・クーダーと来日した時、1曲目にやった「Promised Land」が大好きなので、ライブの途中にリクエストすると、リンドレーは「5弦バンジョーの曲で持ってきてないよ。」、ウォリーは「CDに入ってるから、買ってね。」と返してくれました。もちろん言われなくても買うつもりでしたし、この頃、ライブ会場で手売りされていた彼らのCDはみんな買ってサインをもらっています。

彼らの前作『Twango Bango Deluxe』は、ドイツのレーベルから出ていましたが、今回はふたたびオフィシャル・ブートレッグ方式に戻っています。しかし、ジャケットにも書かれているように、リンドレーがメジャーを離れてからの3枚は全てライブだったのに対し、このアルバムはスタジオ録音でオーバーダブも施され、厚みのある仕上がりとなっています。

1曲目は、盟友ボブ・フィズ・フラーの作品「King Of Bed」から始まります。3コードのシンプルなナンバーですが、リンドレーは独特のチューニングを駆使し、疾走感のあるロック・チューンに仕上げています。この曲に関して言えば、オーバーダブは最小限に抑えられ、ライブ感の強いレコーディングとなっています。リンドレーのアクースティク・ラップ・スティール・ギターはコーラスを加え、ちょっとエレキっぽい音ですが、ステキな音色です。ベース・プレイヤーがいないのに、ベースがいるようなサウンドはもちろん健在です。

2曲目は、上にも書いた「The Promised Land」。アレンジとしては、1995年のライ・クーダーとのファミリー・ライブでのライのマンドギターとリンドレーの12弦エレキを駆使した演奏の方が好きですが、ここでのバンジョーによる伴奏も面白いです。でも、1曲だけのために日本公演はバンジョーを持って来なかったようですけど。スカの曲にバンジョーを使うというリンドレーの楽器選択眼もすばらしいものがあります。

3曲目は、ニュージーランドのレゲエ・バンド、ハーブズのナンバー「Jah Reggae」です。1986年8月5日〜6日にかけて広島修道大学で行われた広島平和コンサートにハーブスが出演し、素晴らしいステージを披露してくれました。そのコンサートにはアメリカから、グレアム・ナッシュ、J.D.サウザー、カーラ・ボノフ、そしてデヴィッド・リンドレーが参加していました。リンドレーは深夜に出演。ソロでサズのインストを1曲、そして「Rag Bag」をプレイしました。ハーブズの出番はリンドレーよりかなり早かったですが、この時の演奏に影響を受け、リンドレーがこの曲をカバーした可能性があります。ちなみにハーブズの「French Letter」は、タジ・マハールがカバーし、彼の『Everybody Is Somebody』に収録されています。さて、リンドレーのバージョンですが、ウォーリーと二人だけで、見事にバンド・サウンドを再現しています。ワイゼンボーンによるストロークをバックに単音カッティングを重ね、曲の後半に若干ブズーキかサズによるオーバーダブがあります。ライブではワイゼンボーンによるかなりカッコいい演奏でわれわれを堪能させてくれました。

4曲目「 National Holiday」は ブズーキ2本をオーバーダブで録音しています。1本はコード・ストローク、1本はメロやリフを弾いています。ティムブーク3の1989年作『Edge of Allegiance』に収録されている曲のカバーです。ティムブーク3やメンバーだったバット・マクドナルドのアルバムにはウォーリーも参加しており、リンドレーはこの曲をウォーリー経由で知ってカバーすることにしたのかもしれません。原曲はかなり現代的でカッコいいロック・ナンバーですが、リンドレーはブズーキ2本とパーカッションの伴奏に変換し、どこか中東あたりの民族音楽であるかのように聴かせるのですが、これがなかなかの名演です。2002〜3年のツアーではもちろんのこと2005年の単独公演の時も、この曲をやっていたように思います。

5曲目「Oh Death」は、カレイド・スコープ時代のリンドレー、ヴォーカル曲の再演です。この曲はリンドレーのお気にりのようで、1990年や94〜95年のライ・クーダーとのツアーでも取り上げていました。「私の名前は死であり、誰も私を避けることはできない 私は天国や地獄の門を開くことができる 私は昼間の肉体を捨てられる それを捨て去り、あなたを自由にする」という意味深な歌詞で、それにふさわしいブルージーでおどろおどろしい演奏です。リンドレーはこの曲を長く歌ってきましたが、彼の魂は天国の門を通過していることでしょう。

6曲目「Jody」 ダニー・オキーフとビル・ブラウンが書いたナンバーです。このアルバムが2001年リリース、本人たちのバージョンは2003年のアルバム『Don’t Ask』に収録されていますから、オキーフらがリンドレーに提供し、のちにセルフ・カバーしたものと思われます。オキーフ達のバージョンはミディアムのロック調ですが、リンドレーは美しいバラードにアレンジしています。ライブの時、リンドレーはギルドの12弦ギターでこの曲の伴奏をしていましたが、ここでも、そのギターがサウンドの中心です。

7曲目「Sports Utility Suck」はユーモラスだけど、SUV車に対する嫌悪をあらわにしたリンドレーのオリジナル曲です。本格的にレゲエにアレンジされ、間奏ではダブも決まっています。またゲスト・ミュージシャン、ジョニー・ボーン・エルヴィンのトロンボーンがとってもいい感じにはまってるんです。リコ・ロドリゲスあたりを彷彿とさせます。サビではウォーリーが楽しいレスポンス・ボーカルを返しています。この曲もライブの定番曲になっていました。アメリカではSUV車を乗り回す人が多いけど、ウミガメの産卵のシーズンに砂浜を走り回ると、轍にはまって孵化したばかりの赤ちゃんガメが海に帰れなかったり、そもそも卵を潰してしまったりすることもあるんですよね。

8曲目「Methlab boy friend」はリンドレーが娘のロザンヌと一緒に書いたナンバー。この曲もライブでよくやってました。ライブではアクースティックのラップ・スティール一本で伴奏しますが、ここで歪んだエレクトリック・ラップスティールやワイゼンボーンをダビングして厚い音になってますね。さらに、この曲にもトロンボーンが参加しています。曲中ではあまりわかりませんが、エンディングではっきり存在感を示しています。「methlab」の意味について、リンドレーに尋ねているインタビューがあったような気がするのですが、あまり覚えていません。歌詞に出てくる「ボーイフレンド」はタフでハードボイルドなキャラクターのようです。

9曲目「 Little Green Bottle 」シャッフルとレゲエが合わさったような牧歌的なリズムのナンバー。この曲もリンドレー父娘の共作です。ワイゼンボーン、エレキなどをダビングしています。ライブでは取り上げていないようですが、若者の間に蔓延する「クスリ」の問題を取り上げているのでしょうか。

10曲目「Talk To The Lawyer Again 」は、リンドレーのセカンド『Win This Record』収録ナンバーの再演です。ここでは様々な楽器をオーバーダブし、つづれ織りのような美しいアンサンブルをものにしています。ワイゼンボーンも使っているけれど、サウンドは控えめ。リード・ギターは普通のアクースティック・ギターのようです。バッキングには12弦ギターなども使っている模様。サビの部分に高音ハーモニーが聴こえますが、自分の耳にはリンドレー本人のオーバーダブのように聴こえます。

11曲目「 Bonus Track 」は、「National Holiday」の再演ですが、リード・ヴォーカルがおそらくウォーリーなのではないかと思います。

以上のように非常に聴きどころの多い作品です。全体的にブズーキやサズをメインにした曲が少なく、ワイゼンボーンの曲が目立ちます。またウードも使っていないか、使っていても隠し味程度だと思われます。また、レゲエのリズムを取り入れた曲も多く、そういう意味ではエル・ラーヨX時代を少し感じさせるアルバムとも言えましょう。リンドレーのオフィシャル・ブートレッグ・シリーズはどれも好きなのですが、このアルバムは間違えなく上位に入る作品。ウォーリーとのコラボでは、ライブ・イン・ヨーロッパと並んで好きな作品です。もう手に入らないかもしれませんが、リンドレーに興味を持った方には、ぜひオススメしたいアルバムなのです。なお、このアルバムにはスペシャル・サンクスとしてジャクソン・ブラウンの名前もクレジットされています。

下に自分が知っている限りのリンドレーの来日の一覧表を作ってみました。本人の名前が入っていないものは、バッキングのメンバーとして来日したものです。もし「抜け」があったら、コメント欄でご教示いただければ幸いです。また◯印のものは自分が見ることのできた公演です。2002年から2005年の3回は、2公演ずつ見れたので、彼の姿を見ることのできたのは全部で10回ということになります。

1975年 Crosby&Nash
1977年 Jackson Browne
1977年 Rolling Coconuts Review ( Jackson Browne, Warren Zevon, Terry Reid, Steve Gillette,イルカ)
1977年 Terry Reid&David Lindley(大阪ポップフェスティバル)
1979年 Ry Cooder&David Lindley
1980年 Jackson Browne
1983年 David Lindley & El Rayo-X◯
1986年 広島平和コンサート(Solo、with Graham Nash, with Karla Bonoff)◯
1986年 Japan Aid(with Jackson Browne)
1989年 David Lindley & El Rayo-X
1990年 Ry Cooder&David Lindley
1991年 David Lindley and Hani Naser
1995年 Ry Cooder&David Lindley( with Joachim Cooder and Rosanne Lindley)◯
1996年 David Lindley and Hani Naser◯
1999年 David Lindley&Wally Ingram
2002年 David Lindley&Wally Ingram◯
2003年 David Lindley&Wally Ingram◯
2005年 David Lindley Solo◯
2006年 David Lindley Solo(with John Hammond)

デヴィッド・リンドレーは、世界各地の弦楽器に興味を示し、彼が収集した楽器のほとんどを見事に弾きこなしました。アメリカの伝統的なフォーク、カントリー、ブルーズと、世界各地の音楽を融合させ、彼にしか作ることのできない独特の音楽世界を我々に提示してくれました。また、ジャクソン・ブラウン、ライ・クーダー、ウォーレン・ジヴォン、クロズビー&ナッシュ始め、数えきれないほどのミュージシャンをサポートし、独特なスライド・ギターやフィドルで、主役を盛り立ててきました。そのサウンドに触れ、リンドレー自身のファンになった人々は世界中にたくさんおられるでしょう。彼は徹底して観客を楽しませようとするステージ・マナーや抜群のユーモアで周りの人々を和ませ、多くの人々に愛されました。こんなミュージシャンは二度と出て来ないでしょう。本当に天才であり、世界中のポピュラー・ミュージックの歴史にその偉業を刻まれるべき人物だと思います。David Lindleyさん、あなたのおかげで、私の人生は確実に豊かになりました。あなたの音楽に出会っていなければ、今の自分はないと思います。心から感謝します。

Carlos Nunez / Brotherhood of Stars

carlosbrotherfoodライ・クーダーの音楽に接していると、その美しさにため息が出るような演奏に出会うことがよくあります。もちろんカッコよく決まったブルージーな演奏やファンキーの演奏だってたくさんあるのですが、自分の場合、フレーズやアンサンブルの美しさに酔いしれるために、ライの参加作を血眼になって探したり、ライブに出かけたりしてきたんだろうな、と思い返すのです。彼のライブでは、毎回、ギターやアンサンブル、そしてコーラスの美しさを堪能させてくれる瞬間が多々ありました。そして、今回の主題、カルロス・ヌニェスのこのアルバムでも、二人のコラボがえも言われぬ美しい瞬間を演出しているのです。

スペインの北岸、ガリシア地方にはケルト系の人々が住んでいます。ケルト人は紀元前に中央アジアから移動してきたようで、スペインではイベリア半島の北西隅、ポルトガルとの国境に近い地域に住み着き、今でも独特の文化を残しています。彼らが演奏するのがバグパイプの一種、ガイタ。そのガイタやリコーダーを得意とするミュージシャンがこのカルロス・ヌニェスです。彼は1989年、18歳の時に、チーフタンズのアルバムにゲスト参加し、しばらくは「7人目のメンバー」と呼ばれるほど濃密に活動を共にしていました。彼は一度北九州市の「響ホール」でコンサートを行ったことがあります。その時のレポートはこちらです。本当にステキなライブで約2時間があっというまでした。そのカルロスが1996年に発表したメジャー・デビュー・アルバムがこの作品です。

以前に書いたように、カルロスはチーフタンズのアルバム『Long Black Veil』に参加し、1994年3月録音のシネイド・オコナーのバックをライ・クーダーと共に務めています。そのときのツテで、このアルバムに参加することになったのでしょう。ライは2曲に参加していますが、得意のボトルネック奏法は使っていません。アルバムの3曲目に収録されている「Two Shores」はインスト。ライはアクースティック・ギターとマンドラそしてシターンを重ねています。イントロはライのギター。シンプルなフレーズですが、彼にしか出せないニュアンス、間合いです。右側からうっすらと聞こえてくるバッキング中心の弦楽器がシターンのようです。そして、カルロスのリコーダーがメロディを奏で始めます。本当に美しい音世界。こういう出会いがあるので、ライ参加アルバムの収集はやめられないのです。サビではライのマンドラがトレモロ奏法で絡んできます。2コーラス目はライのギター・ソロになりますが、ベースが入って来てリズムを下支えします。ベースも弾いているジェイバー・コリーナは控えめなアコーディオンをダビングして、音に厚みを持たせています。また、ライ・クーダーの弾くシターンですが、やや小型のアイリッシュ・ブズーキのような格好をした楽器のようです。タイトルの「2つの海岸」とは、大西洋の両岸のことを指しているようです。アルバムではこの曲に、次のようなコメントを寄せています。

「メロディは北部ガリシアで採譜されました。しかし、ライ・クーダーによってアメリカン・メキシカンの要素が多分に誘発されています。このような暖かな曲は、しばしば我々のケルトの大地から見出されます。多くのガリシア人の移民が大西洋の反対側に渡り、そのうちいくらかの人々がこうした要素を持ち帰ったのです。」

アルバムの4曲目「Black Shadow」は、スペインの歌姫ルツ・カサルがリード・ヴォーカルの歌ものです。前曲とうって変わって、短調のシリアスな雰囲気。イントロではライ・クーダーのアクースティック・ギターをバックにカルロスのもの哀しげなオカリナが響くと、ルツ・カサルの情感溢れる歌が始まります。間奏はライの短いギターに続いてカルロスのオカリナがリードをとります。あまり目立ちませんが、ライはエレキ・ギターも弾いて曲の陰影をより深く描いています。アルバムのコメントによると、この曲はキューバのハバナにあるオペラ・ハウスで1892年に初めて公表されたガリシア地方を象徴する曲だそうです。ガリシアで最も尊敬を集めた詩人ロザリータ・デ・カストロ(1837-1885)と作曲家ファン・モンテス(1840-1899)によって採集された伝承曲からインスピレーションの結果できあがったものとのこと。このタイプの古いフリー・リズムの曲は、アララスと呼ばれ、ガリシア地方の曲の中でも、最も美しく初源的なものと考えられているそうです。さらに、カルロスは、ライ・クーダーの暗く勇壮なギターとスペインのロック・スター、ルツ・カサルの感動的な歌唱によって、この地の根底にある「強さ」が表現されていると述べています。また、この曲はスタジオで遅い時間に、古くからのやり方で同時に録音されたとのことです。つまり、歌、オカリナ、アコギ、ベースは一斉に録音され、後にティン・ホイッスル、テナー・リコーダーをカルロスが、エレキ・ギターをライが重ね、このトラックが完成したのでしょう。

余談ですが、このアルバムはルツ・カサルのベスト盤にも収録されていまして、自分はその曲名「Negra Sonmbra」が、「Black Shadow」のスペイン語読みであることを知らずに、”未聴のライ・クーダー参加曲がある!”、と勇んで購入したことがあります。

ライが参加しているのは以上2曲ですが、このアルバムでは大半の曲にゲストを迎え、セッション形式でレコーディングされています。タイトルの『Brotherhood of Stars』も空の星と、芸能人の「スター」をかけているのかも知れません。まず、彼の師匠と言ってよいパディ・モローニを擁するチーフタンズが1曲、チーフタンズのメンバーが3曲に参加しています。また、同じアイルランド勢ではナイトノイズのメンバー2人、ポルトガルのファド歌手、ドゥルス・ポンテスなどなど、バンド・メンバー以外のミュージシャンが1曲を除いて何らかの形で参加しています。

1曲目の「Dawn」がとってもいい曲です。ガット・ギターの音色をバックに始まるリコーダーはまさに”夜明け”を思わせる爽やかな音色。Cメロからはガイタがソロをとり、ケルト色がグッと強くなります。チーフタンズのパディとデレク、そしてナイトノイズのメンバーがカルロスをバックアップしています。

2曲目がタイトル・トラックの「Brotherfood of Stars」。この曲はまさにフラメンコです。カルロスが操るケルト系の楽器とフラメンコとの相性の良さに驚かされます。スペイン・バスク地方のボタン式アコーディオンの名手ケパ・フンケラ、フラメンコ・ギタリストのラファエル・リクエニ、そして、カホンのティノ・ディ・ジェラルドの3人がゲストです。

5曲目「The Moonlight Piper」は、カルロスのガイタが主役のリール。ゲストはチーフタンズから3人のメンバーが入っています。イントロでデレク・ベルのアイリッシュ・ハープがバックアップしますが、まるでさざ波のような美しさです。ルバートのメロディではマット・モロイのフルートが、インテンポではシーン・ケーンのフィドルがカルロスのガイタとハーモニーを奏でます。

6曲目「Cantigueiras」はボーカル曲。歌っているクシラデーラは、ガリシア地方の少女数人による合唱隊で独特の歌い回しが印象に残ります。また、自ら演奏するバウロンのようなタンブリンも秀逸。彼女たちは2002年にアルバムをリリースしています。

7曲目「Galician Carol」は心洗われる美しいメロディのナンバー。カルロスはティン・ホイッスルでこの曲を奏でます。パディ・モローニがイーリアン・パイプでカルロスをバックアップします。後半は打楽器なども入り壮大な演奏になります。

8曲目「Dancing With Rosina」は、陽気なケルティク系のダンス・ナンバー。この曲のゲストは2曲目でも弾いていたアコーディオンのケパ・フンケラ。彼のプレイもさることながらバンド・メンバーのパンチョ・アルバレツによるマンドリンのソロも見事です。リバーダンスのバッキングにも使われていそうな軽快な曲です。

9曲目「Lela」はドゥルス・ポンテスがゲストのボーカル曲です。ガット・ギターとアコーディオンの伴奏で歌が始まりますが、マイナー・キーのナンバーをドゥルスが情感たっぷりに歌い上げます。本当に歌の上手い人です。間奏はカルロスのリコーダー。後半バイオリン、ポルトガル・ギター、ブズーキも入って盛り上がりますが、アコーディオンとリコーダーの音色が効いています。

10曲目「The Flight of the Earls」は、カルロスのバンドは演奏に参加せず、チーフタンズにカルロスが参加する形で録音されています。弦楽器はフィドルとアイリッシュ・ハープだけ。バウロンのリズムに乗せて演奏される一糸乱れぬチーフタンズ・サウンド。パディのイーリアン・パイプとカルロスのガリシアン・パイプ=ガイタの共演が聴ける見事なリールです。なお、チーフタンズは同じ年にカルロスをフューチャーし、ガリシアのケルト音楽を取り上げたアルバム『Santiago』をリリースしていますが、このアルバムは近いうちにレビューしたいと思います。

11曲目「The Rainmaker」は、カルロスのソプラノ・リコーダーで奏でられる無伴奏の美しいナンバーです。

ラスト・ナンバー「Para Vigo me voy」は、キューバ音楽のヴォーカル曲。ガリシア人は世界各地に移民しており、キューバのガリシア系の人々は1万人以上おられるようです。ちなみにカストロ首相の父親もガリシア出身です。このアルバムの4曲目に収録されている「Black Shadow」同様、キューバのグラン・テアトロで1935年に初演されたそうです。カルロスはキューバから5人の老ミュージシャンを招き録音しました。楽器はトレスやパーカッション。そしてコーラス陣です。また、ケパ・フンケラもアコーディオンで参加しています。曲はカルロスのホームタウンである「ヴィゴ」について歌われていますが、この港町はラテン・アメリカへの移民の出発点になりました。この曲はブエナ・ヴィスタ・ソシアル・クラブで有名になったコンパイ・セグンドもレパーリーにしており、カルロスとコンパイがこの曲で共演している映像をYoutubeで見ることができます。

カルロスの奏でるリコーダーやホイッスルは、本当に美しく、まさしく「心洗われる」という表現がぴったりです。一方、ガイタの演奏は力強く大地に響き渡るような調べを奏でます。以上のように多彩なゲストを擁する素晴らしいアルバムですが、主役はもちろんカルロス本人です。彼の存在がなければ、ガリシア地方にケルト音楽が根付いていることを知ることもなかったでしょう。このアルバムがリリースされたとき25歳だったカルロスも、今や52歳。パディ・モローニ亡き後、彼の後継者としてケルト音楽界を牽引していってくれることでしょう。

Little Feat / Down On The Farm

featdown自分がリトル・フィートやローウェル・ジョージの存在を知ったのは高校生の時で、1982〜3年頃だったと思います。だから、とっくにローウェルは亡くなっていたし、第二期フィートは解散していたし、完全に後追いのファンです。それでほとんど予備知識もなくランダムに彼らのアルバムを聴いていきながら、バンドの変遷を学んでいきました。手がかりはコンピレーション『Hoy Hoy!』と、この『Down On The Farm』および『Dixie Chicken』のライナーノーツでした。高校3年の頃、輸入盤店の存在を知り、予備校時代にかけてフィートのオリジナル・アルバムは全部入手したのですが、日本盤を買ったのはその3枚だけです。もちろん全部アナログでした。CDプレイヤーを入手したのは1987年で、それ以降は収集の中心はCDになっていきました。

そんなわけで、リアル・タイムのファンの方々は、1978年の第2期フィートの来日公演を見ていたり、1979年春の解散のニュース、ローウェルのソロのリリース、そして同年6月のローウェルの急死のニュースに直に接しておられるでしょうが、自分にとっては後追いのニュースでした。このアルバムは再結成前のフィートの「本当のラスト・レコード・アルバム」となってしまったわけですが、ローウェルが亡くなった時点ではまだ完成されておらず、他のメンバーおよびゲスト・ギタリストやゲスト・シンガーが音を重ね完成にこぎつけたとのことです。日本でのアルバムの発売は1979年の10月だったようです。

このアルバムではローウェルがリード・ヴォーカルの曲が6曲、ポール、ビル、そしてサム・クレイトンが各1曲と、圧倒的ローウェルの歌う曲が多いです。前のスタジオ・アルバム『Time Loves A Hero』では、ローウェル3曲、ポール3曲、ビル2曲、インスト1曲とメンバーがほぼ対等だったのに対してほぼ倍増しています。しかも『Time Loves A Hero』ではローウェルが単独で書いた曲1曲、共作1曲だったのに対し、『Down On The Farm』では、ローウェルが歌う曲6曲のうち5曲を書いています。もっともそのうち4曲が共作で、「Front Page News」に至っては、『Feats Don’t Fail Me Now』録音時にビルが書いていた曲を批判した、まさにそのナンバーをローウェル本人が歌っています。

『Time Loves A Hero』ではローウェルの体調不良とソロ・プロジェクトへ対応によってフィートにさける時間が少なくなり、プロデューサーにテッド・テンプルマンが抜擢されました。この頃ローウェルはバンドの主導権をある程度メンバーと分かち合おうとしていたようですが、ポールの弁によると「口では僕らに”もっとおまえらも前に出てこい、参加してくれ”と言っておきながら、実際にそうしたらショックを受けているみたいだった。」とのことです。

結成当初からのメンバーであり親しい友人同士であったローウェルとビルですが、1970年代半ば頃から頻繁に衝突するようになり、バンドは幾度も解散の危機を迎えます。一方で、4枚目のアルバムから当初芳しくなかったアルバムの売れ行きも次第に向上し、1977年のライブを収録し翌78年にリリースされた『Waiting For Columbus』は彼らのアルバムの中では最大の売り上げを記録しゴールド・ディスクを獲得。ワールドツアーで来日もしています。

1979年の初め、ソロ・アルバムが完成しソロでのツアーを控えていたローウェルは、ワーナーとの契約を果たすためリトル・フィートのアルバム制作に勤しんでいました。そのアルバムのプロデュースは、『Time Loves A Hero』とは異なりローウェルが一人でやる予定でしたが、ビルがローウェルに共同プロデュースを申し出たものの一蹴されてしまい、二人の関係の亀裂がより深くなったようです。一方で、ローウェルとリッチーとの確執も徐々に激しくなっていました。1974年頃リッチーが一時期クビになり、フレッド・ホワイトがドラムスに入った時期が2月ほどあったそうですが、『Waiting For Columbus』が録音された1977年のツアーの際、「暗黒の木曜日」と呼ばれる事件が起こりました。バックステージでローウェルがリッチーを殴り、そのお返しにアンコールでリッチーが予備のドラムスティックをローウェルに向かって投げつけるという事件です。オリジナル・メンバーの確執の間に立って調整をするのは”後輩”ポールの役目でした。

このアルバムのレコーディング中、フィートの解散が公になった時、ローウェルは「自分がバンドにクビにされた」と言い、ビルは「俺は自らバンドを辞めた」と語りました。この行き違いは、二人の言葉の受け取り方の違いだったようですが、ビルにしてみればローウェルの独裁に、もうついていけなくなったようです。その頃、ローウェルを除くメンバーの多くはニコレット・ラーソンのツアーに参加するなどいくつかの共同作業を行なっていたので、ローウェルにしてみれば、「クビにされた」と感じたのだと思います。そして、ソロ・ツアーに出たローウェルはワシントンDCのホテルで、6月29日に心臓発作を起こし34歳の若さで帰らぬ人となってしまいました。

8月4日、ロサンゼルス・フォーラムで、フィートのメンバーをはじめ、ジャクソン・ブラウン、リンダ・ロンシュタット、ボニー・レイット、エミルー・ハリス、ニコレット・ラーソンといった面々が参加して、ローウェルの遺族へのベネフィットを兼ねたローウェルへのトリビュート・コンサートが行われました。このコンサートからは『Hoy Hoy』にリンダが歌う「All That You Dream」が収録されています。コンサート終了後、メンバーは『Down On The Farm』を完成させるべくスタジオに入りました。その中心となったのはビルとポールでした。ベン・フォン=トーレスの『リトル・フィート物語』には「ギター・パートはまだ考え始めたばかりだと思われ、デモと呼ぶにはあまりに未完成だった。」と述べられています。今作では、ロベン・フォード、スニーキー・ピート、フレッド・タケット、そしてデヴィッド・リンドレーの4人のギタリストが参加し、ローウェルの穴を埋めています。そのギターの絡みあいもこのアルバムの聞きどころの一つだと思います。一方、この時期リッチーは交通事故で入院しており、トリビュート・コンサートにも参加できませんでしたので、当初のベーシック・トラックでは叩いていたでしょうけど、ローウェル死後のレコーディングには参加できず、アール・パーマーが代役をこなしました。

このアルバムの冒頭、カエルの鳴き声と足音、そして「黙れ」とカエルに言うローウェルの声が入っていますが、ローウェルの自宅録音でずっと回されていたテープの中に入っていた音だそうです。そして、1曲目タイトルトラックの「Down On The Farm」が始まります。冒頭から滑らかなエレクトリック・ボトルネック・ギターが聞こえてきます。ポールが息子のゲイブと一緒に書いた曲で、農場で暮らしていた田舎娘が都会へ行ってしまい、彼女に思いを寄せる純朴な田舎の青年が、家畜も不思議がっているから帰ってこいと呼びかけるナンバーです。アルバムの中では、もっとも初期のフィートのイメージを保持しているカッコいいロック・ナンバーで冒頭を飾るにふさわしい曲です。もちろん、リード・ヴォーカルはポール、イントロから炸裂するボトルネック・ギターもポールが弾いているものと思われますが、ローウェルの可能性もありますね。

2曲目は、グレイトフル・デッドのキース・ゴドショウとローウェルの共作「Six Feet of Snow」です。ローウェルは1978年にリリースされたデッドの『Shake Down The Street』をプロデュースしており、その繋がりでゴドショウとの共作が実現したのでしょう。スニーキー・ピートのペダル・スティールが印象的ですが、ジェリー・ガルシアのサウンドを意識したのかもしれません。そんなわけで、今までのフィートにはなかった軽やかなカントリー・タッチのナンバーとなっています。ピートは『Sailin’ Shoes』の「Willin’」以来2度目の参加です。

3曲目は、トム・スノウとローウェルの共作「Perfect Inperfection」です。スノウはこの頃ソング・ライターとして定評がありましたが、1971年に彼が組んでいたバンド、カントリーのアルバムにローウェルが客演するなど、以前から交流がありました。スノウはこの頃かなり洗練された曲を書くようになっており、このナンバーにも当時人気のあったAOR的な要素が多分に含まれていますが、ローウェルのエモーショナルなヴォーカルによって凡百のAORの曲とは一線を画しています。エレクトリック・ボトルネックが効果的に使われているのも、その理由の一つですが、弾いているのはローウェルではない可能性が高いですね。1-2番のブリッジのリード・ギターはボトルネックではありませんが、ポール、フレッド、ロベン・フォードの3人のうち誰かが弾いているのでしょう。ここで使われているのはローウェルによるデモ用のガイド・ヴォーカルですが、十分に聞くに耐える内容。それにボニー・レイットがコーラスを重ねています。

4曲目も、コンプの効いたエレクトリック・スライドで始まる「Kokomo」です。この曲だけはローウェルが一人で書き下ろしています。3分弱の短いナンバーでこのアルバムのローウェルの曲の中では、もっとも初期のフィートらしいナンバーです。この曲だけでなく、このアルバムのボトルネック・スライドは最初、全てローウェルが弾いているものと思っていたのですが、上記の『リトル・フィート物語』の記述からすれば、このパートも他のミュージシャンが弾いているのかも知れません。もし、そうだとしても、クリーンでコンプのかかったローウェルの特徴的なエレキ・ギター・サウンドを再現しようとしているのは明白です。曲ごとのクレジットがないので、誰が弾いているのか不明ですが、見事に「ローウェルらしい」プレイを再現しています。

5曲目は、アクースティック・ギターの伴奏が目立つバラード「Be One Now」。この曲はローウェルのソロ・アルバム、ソロ・ツアーに参加し、のちにフィートの正式メンバーになるフレッド・タケットとローウェルの共作です。アルバム冒頭の「カエルとのやりとり」は、この曲のアクースティック・ギター・パートを録音しているときのものだと、タケットが語っています。ソロ・アルバム収録の「20 Million Things」と同様美しいバラード。2番の歌詞はこんなフレーズです。「チャンスを逃すな。危険は伴うが。自分の魂を信じろ。信頼を失うな。いくつかは正しいが、それ以上の間違いがある。間違いは正せると人は言う。異なった灰色の日よけのように。東の空から月が昇る。雲は月を隠そうとするが、隠しきれない。嵐は止むだろう。そして日は昇るだろう。全ての人類のために地球は周り続ける。」

6曲目は大好きなナンバー「Straight From The Heart」。ビル・ペインとローウェルの共作です。左右のスピーカーからエレキ・ギターのリフが始まり、そして、ドラム、ベースが入り曲が走り出すと、すぐさま心地よいスライド・ギターが重なってきます。軽快な曲ですが、ローウェルのボーカルもとってもいい感じです。間奏では2本のスライドが一部でハーモニーを奏でますが、『リトル・フィート物語』に掲載されているポールの言葉では「Straight From The Heartで僕はスライド・ギターを弾いたけど、あれはスライド2本でやりたいとビリーから言われるままにハーモニーを重ねたんだ。僕はそれでいいと思ったよ。リンドレーがすでにスライドを弾いていたけどね。」とあります。と、いうことはこの曲のメインのスライドはリンドレーで、間奏のハーモニー・パートはポールがオーバーダブしたことになります。ポールはこの曲に限らず「(ローウェルが)どう聴かせたがっていたかはあえて考えないことにしたんだ。」と語り、”自分たちの曲”として完成させたと述べています。もし、ローウェルがこのタイミングで亡くならず、アルバムの完成まで関わっていたら、アルバムのサウンドは全く異なったものになっていたかもしれませんが、それは言っても詮無いことでしょう。というわけで、この曲のソロはリンドレー。普段なら、少し歪ませて時にフェイザーをかけるのですが、ここではクリーン・トーンにコンプをかけ”ローウェル・サウンド”を再現しています。

7曲目「Front Page News」は、ビルとローウェルの共作で、『Hoy Hoy』にビルの歌うオリジナル・バージョンが収録されています。こちらではビルのピアノやシンセが活躍するアレンジ。スライド・ギターは入らず、渋いリズム・ギターがサウンドを引き締めています。間奏はビルのシンセが大活躍しています。実にかっこいいアレンジと思いますが、こうした現代的なサウンドに関しては賛否両論あるようですね。

8曲目はビル・ペイン夫妻の共作「Wake Up Dreaming Again」。爽やかでカッコいいロック・ナンバーです。ビルのシンセの味付けで少々AORっぽいですが、フィートらしい骨太のところも十分に残っている軽快な作品。もちろんリード・ボーカルはビルがとっています。間奏は2回あってもいずれもノンスライドのエレキ・ギターがリード。最初の回はきっとポールが弾いていて、2回目のソロはロベン・フォードなんじゃないかと思っています。リズム・ギターも複数入っていて、キレのよいサウンドに仕上がっています。

9曲目「Feel The Groove」は、サム・クレイトンがゴードン・デウィッティと共作したナンバー。最初聴いたときはあまりピンと来ませんでしたが、今では大好きな1曲です。フィートらしいファンキーなリズムの曲で、ソロはないまでもボトルネック・ギターも活躍しているし、アルバムを締めくくるにふさわしいナンバーです。ローウェルがサムに「そろそろお前も曲を書いて、ソングライターとしてのクレジットを手にしていい頃だ。」と語り、「Spanish Moon」の共作者でもあるゴードンと一緒に曲を書くことになったそうです。サムの歌は決して上手くはないのですが、誠実そうな人柄が表れています。近年のライブでは「Spanish Moon」でリード・ボーカルをとっています。

このアルバムは、再結成前のフィートのアルバムの中では、さほど人気がないようです。それは、ローウェルが6曲でリードを歌っているにも関わらず、「Cold Cold Cold」「Fat Man In The Bathtub」「Rocket In My Pocket」のような重厚なタイプの曲が1曲もないからではないか、と考えています。個人的にはフィートを好きになって早い段階で入手したこともあり、当時繰り返し聴いた1枚でそれなりの思い入れがあるので、好きなアルバムではあるのですが、そのように批判したい人の気持ちもわかります。けれども、このアルバムこそは、ローウェルがスタジオに残した最後の録音であり、メンバーがローウェルに思いを馳せつつ作り上げた渾身のアルバムです。ここでの共同作業が9年後の再結成につながったことは、フレッド・タケットがフィートに参加したことからもうかがえます。ローウェル・ジョージという唯一無二の才能は、1979年に散ってしまいましたが、その豊かな遺産は今もフィートの中に受け継がれています。もちろん、リッチーとポールの遺産も含めて。

Clarence "Gatemouth" Brown / Long Way Home

gatemouth2023年のグラミー賞ですが、ベスト・トラディショナル・ブルーズ・アルバム。見事にタジ・マハールとライ・クーダーの『Get On Board』が受賞しました。おめでとうございます。タジ・マハールは今年81歳。元気にライブをやってます。いつまでもお元気でいてほしいものです。

さて、本題に入ります。このアルバムも大のお気に入りです。発売当時、大阪に実家があり、年末の帰省の際、確か小倉駅近くのCD屋で日本盤を入手。新幹線の中、CDウォークマンでワクワクしながら聴いた記憶があります。もしかしたら記憶違いかもしれないけれど。日本盤の発売はおそらく1996年1月1日。数日前に店頭に並んだこの作品を入手したんだろうと思います。多分。

ゲイトマウス・ブラウンの名前はもちろん知っていたけれど、当時は十分な知識がなく、この盤が自分にとっての入門盤となりました。ジタンからの発売です。ジタンといえば、この頃、ジェイムズ・コットン、チャールズ・ブラウン、ラッキー・ピーターソンのアルバムを出すなどブルーズに力を入れていたけれど、もともとはヴァーヴ傘下のジャズ・レーベルのようですね。この盤のプロデュースは長くゲイトマウスのマネージャーを務めたジム・ベイトマンとA&MやCTIのスタッフだったジョン・スナイダーです。この二人によって、ゲイトマウスが好みそうな共演相手でなおかつそこそこの売れ線を狙ったゲストの人選がなされたものと思われます。

まず、ハウスバンドがすごいです。ドラムのジム・ケルトナー、ベースのウィリー・ウィークスは説明不要でしょう。ピアノとオルガンはジョージ・ビッツァー。この人はおそらく南部、多分ルイジアナの白人ミュージシャンで、ボビー・チャールズ、ダグ・カーショウ、ルーサー・ケントらのアルバムのほか、ビージーズ、バーブラ・ストライサンド、ケニー・ロジャース、ホール&オーツといった大物にも曲を提供したり、アルバムに参加したりしています。そして、リズム・ギターはエイモス・ギャレット。この方がカナダからの参加です。こんな豪華な面々が、大半の曲でゲイマウスと多彩なゲストのバックを務めるのだからたまらないですよね。レコーディングが行われたのは、ルイジアナ州ラファイエットの南モーリスのドックサイド・スタジオ。1995年の5月と8月に録音されています。

さて、内容を見ていきましょう。1曲目からワクワクするようなセッションです。クラプトンのファーストに収められていた「Blues Power」の熱い演奏から始まります。この曲はクラプトンとリオン・ラッセルの共作。そのリオンの力強いピアノで幕を開け、1コーラス目をゲイトマウスがスモーキーな声で歌うと、2コーラス目にはリオンのしゃがれ声のボーカルが登場。間奏やエンディングではクラプトンとゲイトマウスのギター・バトルです。。

2曲目は「Somebody Else」はスロー・ブルーズ。これが素晴らしいんです。イントロはゲイトマウスのギターから始まり、1番が終わるとまず、ゲイトマウスがソロをとります。続いてジョージ・ビッツァーのピアノ・ソロ、そしてエイモス・ギャレットのあのトロトロのチョーキング満載のワン&オンリーのソロが登場します。ゲイトマウスとハウスバンドだけの見事なブルーズに、誰もが酔いしれるでしょう。

3曲目はうってかわって、カントリーっぽいインストになりますが、コードはブルーズ進行。ミディアム・アップで気持ち良いテンポです。ライ・クーダーがマンドリンで参加です。ゲイトマウスはフィドルで全体の演奏を引っ張り、途中ソロを回していくラフな感じのセッションです。ゲイトマウスのフィドル→マンドリン→ピアノ→ギター→フィドルの順番でソロが回っていきます。ライのマンドリン・ソロは取り立ててテクニック的にすごいことをやっているわけではありませんが、ゲイトマウスとのセッションを楽しんでいる感じが伝わってくるプレイです。エイモスはアクースティック・ギターのクレジットがあるけれど、おそらくフルアコで弾いているっぽいですね。前曲に比べるとエイモスの個性はあまり出てないけど、2コーラス味わい深いソロが聞けます。そういえば、ライはアリ・ファルカ・トゥーレのアルバムにゲイトマウスを担ぎ出し、何曲かフィドルを弾いてもらっていました。アフリカにはヴァイオリンの元になった擦弦楽器の伝統があります。ゲイトマウスの父親もフィドラーだったそうですが、ライは彼のフィドルにアフリカの香りを嗅ぎ取ったに違いありません。

4曲目はニック・ロウも取り上げていたカントリー・ナンバーの「I’ll Be There」。この曲ではライ・クーダーがエレクトリック・ボトルネック・ギターで大活躍です。イントロ、間奏、エンディングとリードは全編ライ。ゲイトマウスはいい声で心地好さそうに歌っていますが、ギターは弾いていません。エイモスに目立ったプレイはありませんが、バッキングのリフでライのギターをひきたてています。ホント素敵な1曲です。ライのギターもとっても内容の濃いプレイです。ライ・クーダー・ファンは必聴ですよね。

5曲目は、ボビー・チャールズの作品で、1976年のポール・バターフィールドのソロ『Put It In Your Ear』に提供した「Here I Go Again」の登場です。この曲にゲスト参加している作者本人のボビー・チャールズとマリア・マルダーは説明不要でしょう。ファースト・コーラスをゲイトマウスが歌い、セカンド・コーラスではボビー自身がリード・ボーカル。Bメロはマリアが歌います。もちろんボビーもルイジアナの生まれ。ゲイトマウスには前作に「I Wonder」を提供していて気心が知れているのでしょう。自分にとってはたまらない展開です。間奏ではゲイトマウスがビオラを弾いています。

6曲目はゲイトマウス一人のアクースティック・ブルーズのインスト「Deep Deep Water」。ゲイトマウスといえばエレキ・ギターのイメージですが、アコギもすごく達者です。この盤にはドラム・ベースレスのアコギナンバーが4曲も入っています。

7曲目「Blues Walk」は、クリフォード・ブラウンとマックス・ローチによるジャズ・スタンダード。このインスト曲にはリオンがエレピでゲスト参加。ビッツァーはハモンドに回り、ホーンセクションも入る中、ゲイトマウスは心地好さそうにエレキ・ギターを弾いています。

8曲目はリオン・ラッセルのナンバー「Mean And Devil」。もちろんリオンがアコピとヴォーカルで参加です。ブルーズを基調とした渋いマイナーのロック・ナンバーでリオンも力の入った歌声を聴かせます。ゲイトマウスも負けじと歌いますが、彼の声は少し和やかで、こんな曲でもなんだか心が温まりますよね。

9曲目は「Underhand Boogie」。再びアクースティックのインストです。こちらはちょっと速いブギですが、ゲイトマウスは全く乱れない的確なリズムで見事に弾ききっています。ホントかっこいいですよね。

10曲目はディランの名曲「Don’t Think Twice」をロッカバラードにアレンジ。クラプトンがエモーショナルなオブリを全編で聴かせ、ホント素晴らしいソウルバラード風にアレンジしています。さらに2コーラス目はマリア・マルダーが登場し、リード・ヴォーカルを担当。そういえば彼女は約10年後の2006年にディランのカバー・アルバムを出していますね。

11曲目「Tobacco Road」は、白人ミュージシャンのジョン・ラウダーミルクが1960年にリリースしたナンバーです。ジョージア州のタバコ地帯でのプア・ホワイトを描いたアースキン・コールドウェルの1932年の小説を下敷きにしているものと思われます。この曲はゲストのラウダーミルクとゲイトマウス二人のアコギだけをバックに歌われますが、主役のゲイトマウスはギターに徹し、全編ラウダーミルクが歌っています。この曲はジェファーソン・エアプレイン、エドガー・ウィンター、デヴィッド・リー・ロスなど多くのミュージシャンがカバーした名曲です。

12曲目はJ.J.ケイルの「Don’t Cry Sister」の登場です。この曲のゲストはサニー・ランドレス。あの独特な”ビハインド・ザ・スライド”奏法で、エレキ・ギターによるのびやかなボトルネック・サウンドを聴かせています。間奏ではナショナルのリゾネーター・ギターもオーバダブして「一人ギター・バトル」を演じています。さらにマリア・マルダーも2コーラス目でリード・ヴォーカルを担当、華を添えています。

ラスト・ナンバーは自作の「Long Way Home」。クラプトンと二人でアコギ2本だけの伴奏で静かにアルバムを締めくくります。しみじみとした語り口が味わい深い名曲です。

以上のように、アクースティック2曲、バンド編成9曲。クラプトン参加3曲、レオン・ラッセル参加3曲、マリア・マルダー参加3曲、ライ・クーダー参加2曲、サニー・ランドレス、ボビー・チャールズ、ジョン・ラウダーミルク各1曲と、ゲストの活躍が目立ちますが、自分のようにゲスト目当てで買ってゲイトマウスの魅力にはまった人も多くいると思います。ゲストや選曲が自分にとっては「どストライク」。ボビー・チャールズがこんな風にゲスト参加しているアルバムって、ザ・バンドやバターフィールド関係以外にあったかなというくらいレアで嬉しい人選です。加えてハウスバンドのプレイも見事。エイモス・ギャレットも2曲でソロをとってるし、本当に何度聴いても飽きのこない名盤。多くの人にお勧めしたいです。

ゲイトマウスはテキサスとの州境に近いルイジアナ州ヴィントンで生まれましたが、すぐにテキサス州に移り、「テキサス・ブルーズ」のギタリストと呼ばれます。ただし彼のスタイルは本当に多彩で、ルイジアナからテキサス東部で盛んなザディコやケイジャン始め、古いジャズや様々な音楽スタイルを身に付けています。それで本人は「ブルーズマン」と呼ばれることを嫌っていたそうです。1980年代以降のステージ衣装はカントリー・シャツにテンガロンが定番だし、ライブではフィドルをフィーチャーしたナンバーはもちろんジャズのスタンダードなんかもレパートリーにしていました。南部のアフリカン・アメリカンが好みそうな曲はなんでもやってしまう、こういうタイプのミュージシャンは南部にはたくさんいるようで、昨年12月に亡くなったニューオーリンズのウォルター・ウルフマン・ワシントンやディーコン・ジョンはカントリーこそやらないものの、ジャズもブルーズも取り混ぜた魅力あるステージを展開していました。

ゲイトマウスは、晩年ルイジアナに戻っていたようで、このアルバムもルイジアナ州で録音されています。最晩年はニューオーリンズに近いスライデルに住んでいました。彼は2004年に長年のパイプの弊害か、肺ガンと肺気腫と診断され闘病生活に入ります。しかし、翌年8月のハリケーン・カトリーナで自宅が倒壊。幼い頃に住んだテキサス州オレンジに避難しますが、カトリーナの襲来から12日後の9月10日、避難先のオレンジで亡くなってしまいます。享年81歳でした。

David James Holster / Chinese Honeymoon

davidjamesholsterデヴィッド・ジェームズ・ホルスターという方については寡聞にして存じ上げませんでしたが、なんでも、ニッティ・グリッティ・ダート・バンドに一時在籍していたボブ・カーペンターのバンド・スターウッドのメンバーでギター弾きのようですね。ちょっと甘い感じのいい声をしています。彼がカーペンターと共作し、ジョン・デンヴァーに提供した「Cowboy’s Delight」は転調が印象的な美しいワルツでした。その曲もスターウッドのレパートリーになっており、彼らは1976年と翌77年にそれぞれ1枚のアルバムを出しています。

そんな彼のソロ・アルバムがケニー・エドワーズとグレッグ・ラダニーのプロデュースで1979年にCBSからリリースされたました。上記のような経歴からしてカントリーっぽいアルバムかと思ったら、典型的なウエスト・コースト・サウンドです。そうは言いながら、この時期最も「旬」であったTOTO系のスタジオ・ミュージシャンでなく、セクションとローニンの合体チーム。ドラムはリック・マロッタかラス・カンケル、ベースは大半がプロデューサーでもあるケニー・エドワーズ、ギターがダニー・クーチとワディ・ワクテル、キーボードはボブ・カーペンター、アンドリュー・ゴールドといった面々。サックスでデヴィッド・サンボーン、バック・ボーカルでJ.D.サウザーも参加しています。この顔ぶれを見れば、音が想像できると思うのですが、まさに、そんな「サウンド」のアルバムです。ケニー・エドワーズは、同時期カーラ・ボノフのセカンド『Restless Nights』のプロデュースを手掛けていて、J.D.サウザーの『You’re Only Lonely』も含めて似たようなメンバーを配した録音を行なっています。いずれもCBSからのリリースで、同様のヒットを狙って制作されたものでしょう。

1曲目「Constant Love」はホルスターの自作曲。見事なウエスト・コースト・ロック・サウンドです。ハイトーンのヴォーカル心地よく爽やかです。裏声の使い方がいい感じてす。リード・ギターはワディがはめています。

2曲目「Good-Bye Carmelita」も典型的ウエスト・コースト・サウンド。バラードですが、サビはエイト・ビートで力強く、JD・サウザーを含む爽やかなコーラスが包み込みます。ケニー・エドワーズの作品です。複数のギターをオーバーダブしているのはケニー。ドラムはカンケル、ベースはギャロファロが担当しています。

3曲目「Take Me Back」はホルスターの自作曲。ちょっとルーズな感じのミディアム・スローなロック。間奏ではデヴィッド・サンボーンのサックスが炸裂。エンディングでも存在感を見せています。エドワーズの重いベースも良いですね。

4曲目「Blame」はホルスターとエドワーズの共作。出だしがハード・ロック風でなんだか違和感がありますが、サビはどことなくこの時期のCSN風だったりするので、やっぱりウエスト・コースト・ロック・サウンドなんだなぁって思います。エンディングでギターを弾きまくっているのはワクテルでしょう。

1曲目「Gambler」はエドワーズの作品。ストレートなロックンロールです。間奏のギター・ソロは、やはりワディでしょうか。エンディングでは少しボトルネック奏法も使っているようです。

2曲目「All My Understanding」はホルスターの作品。ミディアム・テンポのいかしたナンバー。アンドリュー・ゴールドがピアノで参加しています。後半盛り上がるなかなかいい曲です。

3曲目「Candlelight Stain Gown」もホルスターの自作曲です。ドラムレスのアクースティックなバラード。イントロからリンドレーの穏やかなヴァイオリンで幕を開けます。伴奏はリンドレーと、ホルスターとエドワーズの二人によるアコギだけのシンプルなもの。リンドレーは全編で存在感のあるオブリを弾き、間奏もバッチリ決めています。曲のテーマは、この頃亡くなったホルスターの祖母の思い出のようです。リンドレーは1曲だけの参加ですが、印象に残るプレイですよね。

ラスト・ナンバー「Teenage Tragedy Queen」は エドワーズとホルスターの共作です。この曲もバラードです。本人のアコギをバックに静かに始まり、ワクテルのエレクトリック・ボトルネック・ギターが静かに重なっていますが、前サビあたりから、だんだんワクテルのギターが盛り上げてきて、サビではバンドが大きく盛り上げます。ブリッジから2番は再びし静かになり、サビでまた盛り上げるという構成。間奏も含めリード・ギターで活躍するのはワクテルのギターですが、フェイザーを少しかけた音色が特徴的。ボブ・カーペンターのシンセも隠し味ながら存在感を見せています。

ホルスターさん、1999年に『Cultural Graffiti』というアルバムを出しています。ほとんど全曲が彼の作品ですが、1曲だけ、あのデイヴ・メイスンとの共作が含まれています。さらにアルバムは「フィーチャリング・スザンヌ・パリス」となっています。スザンヌ・パリスという方はよくわからないのですが、『Pink Lipstick』というアルバムを出しているシンガー・ソングライターのようですから、何曲か歌っているだろうと思います。残念ながら未聴ですが、デイヴ・メイスンも結構好きなので、ちょっと気になる所です。肝心のホルスターさんですが、2017年に亡くなっています。1950年前後のお生まれでしょうから、70歳になったかどうかというお歳だろうと思われます。ソロ・アルバムは生涯で2枚。スターウッド時代を入れても4枚しか出していないので、1979年のソロ作を出して以降は、パフォーマーとしての活動はやめていたんだろうと思われます。そんなわけで、アメリカン・ロック史の中では、そしてかえりみられることの少ないホルスターさんですが、亡くなった直後からfacebookページが立ち上がり、昔の写真やスザンヌ・パリスのパフォーマンスなどが紹介されています。めったに更新されないようですが、故人を偲ぶ人々の大切な思い出を多くの人々と分かち合いたいという思いが伝わってくるようです。

Various / Music From And Inspired By The Motion Picture DEAD MAN WALKING

deadmansongsさて、以前この映画の『THE SCORE』の方のサントラのレビューをお届けしましたが、こちらは『Music From And Inspired By The Motion Picture DEAD MAN WALKING』と題されたアルバムです。『THE SCORE』の方が全曲映画に使われたBGMを収録しているのに対し、こちらは、映画に使われたのは3曲のみ。しかも、そのうち2曲、ヌスラット・ファテ・アリ・ハーンとエディ・ヴェダーの「The Face of Love」と「The Long Road」は、倍以上のバージョンが『THE SCORE』に使われています。

冒頭の「Dead Man Walking」はブルース・スプリングスティーンの作品。この曲を聴いたスプリングスティーン・ファンは皆1982年の彼の作品『Nebraska』のことを思い出したでしょう。曲調ならば、シンプルな弾き語り中心ということで、このサントラより少し前に出た『The Ghost of Tom Joad』も似通っているのですが、犯罪者を主人公としている点から言えば、より『Nebraska』に収録された数曲が想起されるのです。もちろん『The Ghost of Tom Joad』も、アメリカのダブルスタンダードの犠牲者を描いているには違いないのですが。ヴァーノン・リードは『Nebraska』を「スプリングスティーンがアメリカン・ドリームの裏側を見ようとした試み」と呼んだそうですが、言い得て妙だと思います。彼の身の回りにはベトナムで命を失ったり、身体の一部を失った者も多くいたし、犯罪へと堕ちていった者もたくさんいたに違いないのです。そのうちの何人かは、ベトナムへ送られる恐怖からクスリに溺れ、犯罪に走った者もいたでしょう。「もしかしたら、自分もそうだったかもしれない」という思いなしに、『Nebraska』のタイトル曲や「Johnny 99」などの曲は書けないと思うのです。自分も感受性の豊かだった10代にこのアルバムに出会い、「ワーキング・クラス・ヒーロー」の彼がどのような思いで、こうした曲を書いたのか思いを馳せたものです。

「Dead Man Walking」は2分半ほどの短い曲ですが、見事に映画の主人公の心情を表現しています。スプリングスティーンは、ロックスターとして自分の前に姿を現しましたが、単なるカリスマ性を持ったロックシンガーであるだけでなく、実に深い人間観察力を持っていて、そのことが彼の作品にある種の深みを与えていることがわかります。幸運にも彼の生演奏を人生で2回経験することができましたが、彼のパフォーマーとしての実力は、卓抜した作品を魅せる力もさることながら、作品を作る力の背後に「アメリカン・ドリームに置き去りにされ、犠牲となった者たち」への深い洞察力があることは論を待たないと思います。この曲には、ひかえめなアクースティック・ボトルネック・ギターが登場しますが、クレジットによると、これを弾いているのはスプリングスティーン本人です。ごくさりげないフレーズですが、ライ・クーダーのプレイに影響を受けているようにも聞こえます。

実は、アメリカには犯罪者の心情を歌った歌が無数にあります。日本にだってあるでしょうけど、おそらくその比は圧倒的に少ないと思います。西武の開拓時代、無法者、アウト・ローは時にヒーローになり、ライ・クーダーがカバーした「Billy The Kid」「Jesse James」などの歌がもてはやされました。これは19世紀のお話ですね。そうした音楽の系譜は現在まで脈々と受け継がれているのですが、黒人のソングスター、レッドベリーは実際に犯罪を何度か犯して刑務所に収監されていて、「Midnight Special」のような歌を歌っていましたし、ブルーズにも犯罪をテーマにしたものが多くあります。ロカビリー〜カントリーのスターで1950年代から90年代に活躍したジョニー・キャッシュは、スプリングスティーンに先立ち、こうした特殊なジャンルを開拓した先駆者です。1955年に録音された「Folsom Prison Blues」は、まさに『Nebraska』の収録曲と同じように銃で人を撃ってしまった男の立場で歌われる作品で、恋愛の歌が多数を占めたロカビリーの世界で、当時としてはかなり異色だったと思われます。

そのジョニー・キャッシュの歌う「In Your Mind」がみのアルバムの2曲目に収録されています。
「お前の心の中では片足をジェイコブズ・ラダーにのせ、もう片足が火で焼かれている気持ちだろう。そして、お前の心の中ではみんなダメになるのさ。」というサビが何回も繰り返されます。これも前曲同様、映画の主人公をテーマにキャッシュが創作した曲と言えましょう。ヴァースはたくさんありますが、その内の一つはこんな感じです。「彼らは、”償い”はナイフを描くという。より高みには静寂の嵐がある。耳を閉じ、目をつむり、”愛の顔”を見つけるようにしなさい。」この映画でいう「愛の顔」はまさにシスターの顔ですが、その愛とは「神の愛」であり、シスターはその媒介なのでしょう。

この曲のプロデュースはライ・クーダーが担当し、珍しくナッシュビルで録音されていますが、一部ロサンゼルスのオーシャン・ウェイでも録音されており、ライ・クーダーの味わい深いエレクトリック・ボトルネックのリードギターはオーバー・ダビングかも知れません。ドラムスはホアキム、ピアノはジム・ディッキンソンに加え、リズム・ギターにスティーブ・アールが参加。さらにマンドリンにローランド・ホワイトが参加しています。ローランドとライは60年代にロサンゼルスのアッシュ・グローヴなどで顔を合わせていたでしょうが、音盤上では初共演。のちの『My Name Is Buddy』での共演の伏線となりました。ウッド・ベースを弾いているロイ・ハスキーはナッシュビルの著名なプレイヤーでチェット・アトキンスやヴィンス・ギル、ジョージ・ジョーンズ、ガース・ブルックスら、著名なカントリー・ミュージシャンと共演がありましたが、1997年に40歳の若さで夭逝しています。ライ・クーダーは、1975年に発表されたキャッシュのアルバム『John R Cash』に続いてキャッシュとは二度目の共演となりましたが、それまでのキャリアの中で4曲彼のナンバーを取り上げており、自らのヒーローの楽曲をプロデュースできるのは感慨深かったことでしょう。セカンド・ヴァースから聞こえてくる透明感のあるエレクトリック・ボトルネックは何とも心地よいです。久々共演のディッキンソンさんのピアノともいい感じて語らっていますね。ライはナッシュビル・ブルーグラス・バンドとともにコーラスでも参加しています。

他のラインナップは、トム・ウエイツが2曲収録されている以外は皆1曲ずつで、ライル・ラヴェット、スティーヴ・アール、スザンヌ・ヴェガ、ミシェル・ショックト、メリー・チェイピン・カーペンター、パティ・スミスの作品が並んでいます。全体的にアクースティックな音色で統一感のある仕上がり。凝ったサウンドのものもありますが、むしろ映画とリンクした「歌詞」の世界をじっくりと聴かせるのが狙いです。

スザンヌ・ヴェガの「Woman On The Tier」は、当時彼女を手がけていた敏腕プロデューサー、ミッチェル・フルームのプロデュースで強調されたリズムに朗読調のメロをのせる現代的なアレンジです。ライル・ラヴェットの「Promises」はしみじみ聴かせる名曲ですね。トム・ウェイツの「The Fall of Troy」は穏やかなワルツ。「Walk Away」の方は少しノスタルジックなアレンジのマイナー・キーのジャジーなナンバーです。ミッシェル・ショックトの「Quality of Mercy」は、現代的なブルーズにアレンジでじっくり歌詞を聴かせます。実にかっこいい演奏です。なんとドラムはジェイムズ・ギャドソン、ギターはワーワー・ワトソンがバックを固めています。メリー・チェイピン・カーペンターの「Dead Man Walkin’ (A Dream Like This)」の歌声、ギター、シンプルでいいですね。スティーヴ・アールの歌も真に迫ってきます。おそらく主人公は看守でタイトルの「Ellis Unit One」は、注射器で死刑囚を死に至らしめる装置のこと。主人公は自分がそのユニットに繋がれてもジーザスに助けてもらえなかった夢を見ます。パティ・スミスの歌声もこのアルバムにマッチしています。彼女が歌う「Walkin Blind」はアクースティックなマイナー・ブルーズで目隠しされ死刑台へと連行されるかのような死刑囚の心情が赤裸々に歌われています。

David Crosby / Oh Yes I Can

crosbyohyes現地時間2023年1月18日、いつかこの日が来るだろうことは、ずいぶん前から予想してはいました。彼が50代だった今から約30年前も、生体肝移植という難手術を受けたというニュースがありました。自分はその頃からですが、彼がハードドラッグにはまっていた70年代から、そんな予想をしていたファンも多かったでしょう。彼の生き方を振り返れば、81歳という享年は、「よくぞこれだけ長く生きてくれた。」と讃えるべきなのでしょうけど、近年元気にアルバムをリリースし、ツアーに出ていたことを考えると、まだもう少しがんばって日本にも来て欲しかったという思いがつのってしまいます。クロズビー、スティルズ、ナッシュ&ヤングの面々の中で、やはり彼が最初に天に召されてしまいました。2015年のツアー中の仲違いで、それ以後、CSNの3人が同じステージに立つことはなくなってししまいましたが、いつかはまた以前のように関係を修復し、3人のライブが見れるのではいかと思っていました。しかし、それも叶わぬ夢となってしまいました。残念です。彼が近年心筋梗塞を起こし、心臓に限界の8個のステントが入っていることは、以前のレビューで、彼のドキュメンタリー作品『Remember My Name』に触れた時にも書いたことがあります。彼の死因について、「長い闘病生活の結果」と伝えられているだけで、今の段階では詳しく伝えられてはいませんが、妻のジャンと息子のジャンゴにみとられて旅立ったというニュースはせめてもの救いです。

彼のライブを見たのは、自分の生涯でたった2回だけ。1995年12月の北九州厚生年金会館(現ソレイユ・ホール)、2015年3月の福岡サンパレスの、いずれもCSNの公演でした。彼の歌声の素晴らしさと堂々たるパフォーマンスには本当に圧倒されました。今回は、追悼の意味で大好きなこの作品のレビューをしたいと思います。

このアルバムは、クロズビーが収監され、ドラッグを絶って復帰した直後1989年1月にリリースされたセカンド・ソロ・アルバムです。前年にはCSN&Yとしてのセカンド『American Dream』がリリースされ、クリーンになったクロズビーが完全復活を遂げ充実した音楽生活に戻ってきた頃の作品です。CSN&Yはワーナーからのリリースでしたが、ソロとしてはA&Mと契約し、その第一弾となった作品です。彼のファーストは1971年のリリースですから、その間にC&NやCSNとしての活動があるとはいえ、実に18年ぶりのセカンド・アルバムです。もちろん自分はリアル・タイムで何度も聴きかえしたお気に入りのアルバムなのです。彼の作品といえば、結構難解だったり、とっつきにくい曲が多かったのですが、このアルバムでは、すっきりと聴きやすい曲ばかりでまとめられ、しかも、2曲美しく壮大なパラードが入っているという構成も好みだったりします。今となっては忘れ去られた作品ですが、再評価を望みたいところです。

このアルバムの冒頭に入っている「Drive My Car」はシングル・カットされ、ビルボードの全米メインストリーム・チャートで第3位というヒットを記録しました。当時、50歳近いミュージシャンがこれほどのヒットを出すのは珍しいというような報道があったことをおぼろげに覚えています。この曲のビデオ・クリップも当時テレビで見た記憶がありますが、今はyoutubeに上がっています。ゲスト参加し、エレクトリック・ラップ・スティールを弾いているデヴィッド・リンドレーの姿もバッチリとらえられています。この曲は実にかっいいロック・ナンバーでスリリングなアレンジがすばらしいです。イントロからリンドレーの少し歪んだラップ・スティールによるルバート、インテンポでクロズビーが静かに歌い出し、サビで一気に盛り上がります。間奏もリンドレーが弾いており、その存在感を見せつけています。リンドレーはこの時期、第二期エル・ラーヨ・エックスを率いてバンド・リーダーとして活躍していた時期ですが、マイティ・ジッターズの一員としてC&Nを支えたよしみか、この1曲だけ参加しています。ほかのミュージシャンはセクションの面々ですが、ドラムはジョー・ヴァイタールがエイト・ビートをガッチリ決めています。なお、この曲は1978年に当時計画されていたクロズビーのソロのためにすでに一度録音されており、そちらにもリンドレーは参加しているのですが、この時はお蔵入りとなりました。90年代にリリースされたCSNのボックスセットに収録されていますので、いずれそのレビューの時に触れたいと思います。

このアルバムのプロダクションは、クロズビー、クレイグ・ダーギ、そしてスタンレイ・ジョンストンの3人が担当しています。ダーギは曲作りにも協力しています。また、エンジニアでもあるジョンストンは、そういえばグレアム・ナッシュのソロ作のプロデュースにも関わっていたので、その繋がりで手を貸すことになったのでしょう。録音された場所は、カリフォルニアのデヴォンシアー、A&M、チェロキーの3箇所に加え、マイアミのクライテリアも使っているので、ツアーなどの合間に少しずつレコーディングが進められたものと思われます。クロズビーのバックを務めるのは、セクションの4人、ドラムにラス・カンケル、ベースにリー・スクラー、キーボードにクレイグ・ダーギ、ギターにダニー・コーチマーという鉄壁の布陣。シンセサイザーにキム・バラードが数曲入ったり、ドラムがジョー・ヴァイタール、ベースがジョージ・チョコレート・ペリー、パーカッションがジョー・ララと、1981〜2年のCSNのツアーを支えた面々が顔を出している曲もあります。それに、超豪華ゲストの参加も目を引くところ。各曲の紹介の中で触れていきましょう。

2曲目「Melody」は、これまでのクロズビーの作風とは異なる親しみやすいメロディを持ったナンバー。曲をクロズビーと共作しているダーギの弾くローズ・ピアノの印象的なリフで始まりますが、サビでは転調しクロズビーらしいコード進行になりますが、すごく自然につながっています。感想はキム・バラードによるシンセ・ソロ。あまり表に出てきませんが、スティーヴ・ルカサーによるエレキ・ギターとともに、この時代の「音」を演出しています。

3曲目「Monkey And The Underdog」は、渋いマイナー・ロック。リズム隊はヴィタール&ペリーです。ダーギのエレピが現代的な香りを醸し出しますが、ヴァイタールとマイク・フィニガンによるオルガンのサウンドも含め、アーシーなサウンドが素晴らしいナンバーです。後半控えめにホーン・セクションも参加しています。この曲は、自らのドラッグ体験とそこから抜け出すための苦闘をモチーフに書かれたナンバーです。このアルバムが発表される前、1987年頃からステージで披露されることがあったようですが、クロズビーの逮捕、収監、釈放は大きく報道されていたので、ファンは彼の魂の叫びを暖かく受け止めていたことと思います。彼自身インタビューで「僕ほどドラッグにのめり込んだ人間は必ずといっていいほど死んでいる。僕も自分がドラッグで死ぬものだとずっと思っていた。」と、当時発言していたようです。

4曲目が、クレイグ・ダーギと奥方のジュディ・ヘンスキが提供したバラード「In The Wide Ruin」。この曲がとにかく素晴らしいです。出だしはダーギのピアノとシンセ、そしてロングトーンで静かにサポートするルカサーのギターだけ始まります。サビではジャクソン・ブラウンがハモりで参加です。2コーラスが静かに終わった後、ドラムがフィルイン。壮大なBメロが始まりますが、ここからジャクソンの声の音量が上がります。これって、ファースト・アルバムの「Music Is Love」で、ニール・ヤングをフューチャーしたのと同じ手法ですよね。エンディングではクロズビーの歌唱で締めますが、ジャクソンとのデュエットと言っても過言ではありません。曲を提供した二人は、CSNの『Daylight Again』でも、クロズビーの歌う「Might As Well Have A Good Time」を提供していました。

5曲目「Tracks In The Dust」は一転してアクースティックなナンバー。クロズビー自身とマイケル・ヘッジズの二人のアクースティック・ギターだけをバックにしみじみと歌われます。コーラスはグレアム・ナッシュとヘッジズ。豊かな時代になり世の中の矛盾に目を向けず、私服を肥やす政治家たちを野放しにしていのか、という疑問を歌にしています。2015年の来日の時、ステージで「アメリカの政治は良くない。」と発言していた姿を思い出します。

6曲目はブルーズ・ナンバーの「Drop Down Mama」。この曲だけはドラムがジム・ケルトナー、ベースがティム・ドラモンドと、ディランやライ・クーダーをバックアップしたリズム隊。全編でライ・クーダーばりのスライドを決めているのはダン・ダグモアです。オルガンはフィニガンでファースト・ソロも担当します。ダーギはアコースティック・ピアノでバックアップ。クロズビー自身もリズム・ギターを弾いています。

7曲目はダーギとクロズビーの共作「Lady Of The Harbor」。2コーラス目から、ボニー・レイットが素敵な歌声でハーモニーを歌います。リード・ギターはマイケル・ランドー、エレピはダーギ、パーカッションはララで、「Melody」と同様、少々AORっぽい親しみやすいサウンドを演出しています。

8曲目は静かな「Distance」。いかにもクロズビーらしいメロやコード進行が出てきますが、エレピも入ってかつての曲よりずっと聴きやすくアレンジされています。この曲のみクロズビーと、ロン・アルバート、ハワード・アルバートのプロデュースです。リズム隊はヴィタールとペリーにパーカッションでララが加わります。サウンドの要はクロズビーのアクースティック・ギター。クーチも参加していますが、あまり目立ちません。ダーギはプロデュースにも演奏にも参加していません。エレピはケニー・カークランドとグレアム・ナッシュです。

9曲目「Flying Man」は、クロズビーお得意のスキャット・ナンバーですが、これがかなり心地よい曲となっています。この曲は特に後半でリード・ギターが結構目立ちますが、なんとラリー・カールトンが弾いています。

10曲目「Oh Yes I Can」は、タイトル・トラック。「In The Wide Ruin」同様、壮大なバラードですが、クロズビーが一人で書いています。こちらも負けず劣らず素晴らしい曲です。この曲のゲストはジェイムズ・テイラー。サビをいい声でハモっとています。アクースティック・ピアノはダーギ、ドラムはカンケル、ベースはスクラー。シンセにヴィタールとバラードが入っており、あえてギターを入れていませんが、クロズビーの歌唱力を存分に堪能することができます。長い服役とリハビリを経て、シーンに戻ってきたクロズビーのまさに復活宣言といえるナンバーです。

アルバムのラストはトラディショナルの「My Country」。バックはヘッジズのアクースティック・ギターとリー・スクラーのベースのみの簡潔な演奏。ギター・アレンジもヘッジズが担当しています。コーラスは、グレアム・ナッシュとJ・D・サウザーです。クロズビーは噛みしめるように美しいメロディを歌います。サビで入ってくる二人のコーラスは見事。ヘッジズのハーモニックスとスクラーの存在感のあるベースのサウンドが余韻を残しながら、アルバムを締めくくります。

それにしてもゲスト、豪華でしょう? それにバックアップするミュージシャン達も本当に凄腕ばかり。クロズビーのソロ・アルバムをどれか一枚、と言われると迷いに迷った挙句、ファーストを推すように思うのですが、負けず劣らず素晴らしい内容のこのセカンド。聴きやすさも抜群で、シングル・ヒットも相まってそこそこの売り上げを記録したんじゃないかと思います。

クロズビーはその後順に活動を続け、1991年にはCSNとして初来日。1993年にはフィル・コリンズのサポートでセカンド・アルバムの『Thousand Roads』をリリースしますが、1994年、長年のドラッグやアルコールの冒された肝機能が急速に低下したため、生体肝移植手術を受けます。この手術が成功し活動を再開。1995年にはCSNとして2度目の来日を果たしました。その後、CSNY、CSN、C&Nそして、自らの息子であるジェイムズ・レイモンドとのユニットCPRと、様々なグループで印象的な作品を披露し、第一線での活躍を続けてきました。2014年には久々のソロ・アルバム『Croz』を発表、2015年にはCSNとして日本公演を含む世界ツアーを行いますが、そこで冒頭に書いたように長年の盟友グレアム・ナッシュと決定的な仲違いをしてしまいます。その後は、2016年に『Lighthouse』、2017年には『Sky Trails』、2018年にはベッカ・スティーヴンス、ミシェル・ウィリスとの共同制作による『Here If You Listen』をリリース。最新のスタジオ・アルバムはジェイムズ・レイモンドのプロデュースによる2018年の『For Free』でした。この頃までは、積極的にツアーを行っており、その様子が2019年公開のドキュメンタリー『Remember My Name』でも描かれていました。その頃までには、長年の不摂生や肥満がたたって、心筋梗塞を何度か起こしており、そのドキュメンタリーの中で、親交を絶ってしまった仲間へ「別れと感謝を伝えられる。」という意味のことを笑顔で語っていました。クロズビーは、この時、来るべき日のことを確実に意識していたことと思います。今は彼が遺した素晴らしい作品の数々に耳を傾けながら、静かに彼を悼みたいと思います。

Priscilla Coolidge Jones / Flying

priscillacoolidgeプリシラ・クーリッジ・ジョーンズのこのアルバムがリリースされた当時、私は中学生で日本のニューミュージックにはまってまして、新譜ジャーナル系のギター雑誌『ギター・ライフ』を買って、まだ超初心者だったアコギをかき鳴らしながら、ヒット曲を合ってない音程で歌っておりました。その雑誌にこのアルバムが紹介されていたことをうっすらと覚えております。その雑誌は邦楽中心ながら、ニュースやレコード紹介には、洋楽ものっておりまして、その年、1979年はノーニュークス・コンサートのことや、ライ・クーダーが来日公演でタカミネのギターを弾いていたことなんかも紹介されていて、自分の今のような音楽的嗜好を形成する一因となっていたのだなぁなんて、今になって思いますが、その雑誌はとっく処分しちゃって手元には残っていません。

で、このプリシラのアルバムについては、主人公がリタ・クーリッジの姉であること、ディスコから、ロックからフォークから、とっちらかった内容で、いったい何をやりたいのかわからないというような、あまり好意的でないような評がのっていたのが妙にひっかかって覚えておりました。デヴィッド・リンドレーが参加していることがその記事にのっていたかどうかは定かではありませんが、まだ、その時期はリンドレーが何者かも全く知らない頃で、ライ・クーダーもCMソングと雑誌の記事がまだ一致して認識していなった頃で、「名前だけ知ってる」程度でした。

1980年代に入って、ライ・クーダーのアルバムを貸レコード屋で借りて聴いたり、リンドレーのファースト・アルバムを友達に借りて聴いたりして、二人に対する認識が高まり、1983年にリンドレーの来日公演に行って彼らへの興味が大爆発し、88年には念願のライ・クーダー&ムーラ・バンダ・リズム・エイセスの来日公演も見れて現在に至るという経過を辿っています。そんなわけで、リンドレーさんが参加しているこのアルバムも見つけたら買おうと思っていましたが、なかなか出会うこともなく、おそらく社会人になってから1990年代に大阪の中古盤屋で入手したと思うのですが、確か300円か500円か、それくらいの安さだったように思います。

プリシラは1941年生まれ。1945年5月生まれのリタが3歳半離れている、と言っていたので41年の12月頃の生まれと思われます。出生地はテネシー州ラファイエット、父はチェロキー族、母はチェロキーとスコティッシュの血をひいていました。父は牧師で幼い頃から教会音楽に親しんで育ったようです。リタ・クーリッジの自伝本によると、プリシラとリタの間には1943年生まれのリンダがいるにも関わらず、幼いプリシラはリタの誕生を心待ちにしていたようで、リタが誕生したとき「この子を待っていたの。」と言ったとのことです。二人は「精神的双子」とリタの弁。ファッションも共通だった模様です。彼女はリタにとって姉であり最も親しい友でもあったようです。リタがフロリダの大学を卒業すると二人はメンフィスで姉妹ユニットを結成、プリシラが金のラメ、リタが銀のラメの衣装を着て、クラブでビー・ジーズの歌を歌っていたとのこと。あまりお金にはならなかったようですが、リタにとっては楽しい思い出だったようです。また、ハリウッドのタレント・スカウトがラファィエットの両親の元を訪れプリシラをデビューさせようとしたけれど、両親は承知しませんでした。これはきっとメンフィス時代以前の話でしょうね。さて、そのメンフィス時代、リタはギタリストのティニー・ホッジスと交際するようになります。彼を通じてアイク&ティナ・ターナーやアル・グリーンとも知己を得ますが、あるとき、ティニーがプリシラをブッカー・T・ジョーンズに紹介したのです。これをきっかけに二人は恋に落ち、結婚することになるのですが、この頃キング牧師の暗殺事件が発生。クー・クラックス・クランの暗躍もあり、ネイティブ・アメリカンの血を引いているとはいえ、白人に見えるプリシラと黒人のブッカー・Tの夫婦は芸能人でもあり、身の危険を感じてカリフォルニアに移住することを決めます。

1970年、ブッカー・Tのプロデュースによりプリシラは「プリシラ」名義で、サセックスよりソロ・アルバム『Gypsy Queen』でソロ・デビューを果たすのです。もちろんプロデュースはブッカー・T、ギターにジョエル・スコット・ヒル、ベースにクリス・エスリッジ、ドラムにジム・ゴードンやアール・パーマーが参加したスワンプ・ロックの名盤として今も人気の高い一枚です。ジャズ・ギタリストのハーブ・エリスが参加していたりします。一方リタは前年にディレイニー&ボニー ウィズ・フレンズのメンバーとなり、ヨーロッパ・ツアーにも参加、そこで出会ったエリック・クラプトンをテーマにした「Superstar」をボニー・ブラムレットと共作します。1970年にはジョー・コッカーのマッド・ドッグス・ツアーで歌った大きな「Superstar」が評判となります。

1971年にはリタはA&Mよりソロ・デビューを果たします。A&Mは『プリシラ』も同レーベルから再発するとともに、『Booker・T&Priscilla』の夫婦デュオ作もリリースします。夫妻のアルバムは、1972年の『Home Grown』、1973年の『Chronicles』と計3枚をリリースします。その後プリシラはいくつかのアルバムにバック・コーラスで参加する以外は表立った音楽活動をしていませんでしたが、1979年、キャプリコーンより久々にリリースした2枚目のソロ・アルバムがこの盤なのです。

まず、リンドレー参加曲を見ていきましょう。

1曲目「Down To The Wire」のイントロから、心地よいリンドレーのエレクトリック・ラップスティールで幕開け。爽やかなロックン・ロールに彼のプレイは本当にマッチしますね。間奏やアウトロはもちろん、全編でリンドレーのラップスティールが存在感を発揮していて、むしろ主役の歌を食っているくらいです。ピアノはクレイグ・ダーギが担当。リンドレー参加曲では全てマイク・ベアードがドラムを叩いています。

3曲目「If You Don’t Want My Love」はジョン・プラインとフィル・スペクターが書いたナンバー。自分はキム・カーンズのバージョンで先に知りました。夫君のブッカー・T・ジョーンズによる美しいストリングス・アレンジ、マリンバ、オルガンも目立つのですが、それ以上にサウンドの要となっているのはリンドレーのアコースティック・ギターです。実に内容の濃いプレイで目立つすぎることもなく、随所に渋いフィルを入れる歌伴の鏡のような演奏です。こちらもピアノにクレイグが入って、いいプレイを聴かせています。

5曲目「My Crew」は美しいロッカ・バラード。もともと、ジョーンズ夫妻がリタのサード・アルバムのためにプレゼントした共作曲のセルフ・カバーです。リンドレーはペダル・スティールような雰囲気を醸し出すエレクトリック・ラップスティールとヴァイオリンをオーバー・ダビングし、抑制の効いたプレイで静かに曲の情感を盛り上げています。この曲では、コーラスに、あのウィリー・ネルソンも参加。プリシラとデュエットしています。ベースはティム・ドラモンドです。

7曲目「Going Through These Changes」も美しいミディアムのバラード。リンドレーは、アコギ、エレクトリック・ラップスティール、フィドルと3種の楽器をオーバーダビングしています。いずれも渋いプレイですが、あまり出しゃばらず、ブッカー・Tがアレンジしたストリングスにマッチしています。この曲ではエミルー・ハリスが参加し、サビでプリシラと見事にハモッています。

8曲目「Sweet Bed Of Feeling」は、ミディアムの心地よいロックン・ロール。リンドレーはエレクトリック・ラップスティールで間奏とエンディングを決めています。ホーンセクションとの相性もバッチリです。

ラスト・ナンバーの「Stranger To Me Now」は、とっても美しいバラードですが、「今は他人」という悲しい別れの歌。ピアノはTOTOのデヴィッド・ペイチ。セカンド・バース以降で彼のピアノに絡む形でリンドレーが実にいいプレイをしています。この曲を含め6、8曲目の作者クレジットに名前のあるドナ・ワイスはリタにも多くの曲を提供しているソングライター。本当にいい曲を書きます。

リンドレーが参加していない曲は残り3曲です。2曲目の「You Got Me Spinnin’」はブッカー・TのペンになるAOR調のナンバーです。なかなかできのいい作品だと思います。4曲目の「Woncha Come On Home」は、ジョーン・アーマトレディングのカバー。ノリの良いロックンロールナンバー。リタのバックもやっていたディキシー・フライヤーズのマイク・アトレーがピアノで参加しています。6曲目が問題のディスコ・ナンバー「Disco Scene」です。ジェイ・グレイドンのギターとデヴィッド・ペイチのピアノをフィーチャーした当世流行りのサウンドを目指していますが、そんなに浮いてもいないように思えます。確かにバラエティに富んだ内容とは思いますが、ブッカー・Tのプロデュースの元、彼のアレンジによる上品なストリングスとプリシラのソフトなボーカルがアルバムの全体の雰囲気を決定づけていて、充実した作品になっているように思えるのですが、中古盤的には上記のような評価になっていたようですね。いい曲が多いんだけどなぁ。プリシラの歌い方は、70年代前半までに比べると、シャウトを封印したようでソフトな歌い方になっています。これはこれで悪くないけど、なんとなく物足りない気もしますね。

リンドレーのプレイは上述のように充実の極みです。この作品とジャクソン・ブラウンの『Hold Out』の後は、セッション参加として全編で充実したプレイを聴かせることはほとんどなくなってしまいます。それは、彼自身がソロとして独立することもありますが、80年代というニューウェイヴの時代の到来ともに、音楽の内容が大きく変化していくこととも相関関係がありそうです。ブッカー・Tはリンドレーのセカンドにゲスト参加していますが、このアルバムで知り合ったのがきっかけでしょうね。

この頃まで夫婦で仲良く音楽制作を続けていた二人ですが、このあと離婚。プリシラは1981年に黒人ニュースキャスターのエド・ブラッドリーと結婚しています(1984年離婚)。1994年にはリタと娘のローラ・サターフィールドとワレラというグループを結成。ネイティブ・アメリカンのチャントやゴスペルの要素を取り入れた独自の音楽性で3枚のアルバムをリリース。ネイティブ・アメリカン・ミュージック・アワードを受賞しています。2014年10月2日、カリフォルニア州ベンチュラ・カウンティのプリシラの隣人から隣家から激しい口論が聞こえるとの通報があり、警察が踏み込んだところ、プリシラは当時の夫だったマイケル・セイバードに撃たれて亡くなっており、マイケル本人も銃で自殺した姿で発見されました。なんとも痛ましい最期です。プリシラも銃社会アメリカの犠牲者の一人と言えましょう。生涯を通じて仲の良かった妹、リタの誕生を予見し待ちわびていたプリシラも、自分の最期までは予見することはできなかったようです。

Various / The Score Dead Man Walking

deadmanwalkingscore先日、新聞でイギリスのジュリア・ロングボトム駐日大使が、杉浦元法務大臣の米寿を祝う会のスピーチで、死刑廃止を呼びかけたとのニュースを読みました。イギリスではすでに1965年に5年間の死刑執行停止を定めた法律が成立。1969年には反逆罪などの一部を除き死刑が廃止となり、1998年には完全に死刑が廃止されたそうです。日本では死刑の存続を望む世論が強いですが、ロングボトム大使によるとイギリスでも、60年代から70年代にはイギリスでも死刑を容認する世論が強かったが、政治主導で死刑廃止を進めた結果、現在では死刑を望む世論は極めて少なくなっているとのことです。

死刑を廃止した国は世界で108カ国、執行停止などで事実上廃止している国は144カ国にのぼるそうです。アメリカでは50州のうち、23州で死刑を廃止しています。中国で違法薬物の販売などで極刑を言い渡される例が日本に紹介されると、「なんて野蛮なんだ」という感情を持ちますが、ヨーロッパなどから日本を見れば、同じように思われているのかも知れません。ロングボトム大使は、死刑を執行してしまえば取り返しがつかないこと、そして、死刑廃止国が死刑がある国に犯罪者を引き渡す際には大きな抵抗感があることが問題だと言います。イギリスは100カ国以上と犯罪者引き渡し条約を締結しているのですが、日本は同条約は米国と韓国の間でしか締結できていないそうです。

『Dead Man Walking』は1995年のアメリカ映画で、原作はシスター・ヘレン・プレイジョン。彼女は死刑廃止論者で実際に死刑囚のスピリチュアル・カウンセラーを勤めた人です。そして彼女の視点から、一人の男に死刑が執行される様子を描いたノンフィクションを著しました。この映画の監督は俳優のティム・ロビンズ、彼の妻のスーザン・サランドンとショーン・ペンが主演でした。ちなみに、テレビ・シリーズの「ウォーキング・デッド」とは何の関係もありません。この映画のサントラは2枚あり、1枚はインスト中心の本当の映画音楽を収録したもの。もう1枚は、映画に使われた曲は少なく映画の内容からインスパイアされた曲をコンパイルしたものです。どちらにもライ・クーダーは参加しているのですが、実は曲は重複しているし、こちらのアルバムにのみ入っている「Isa Lei」は、1993年にリリースされたライ・クーダーとV.M.バットによるアルバム『A Meeting By The River』からの流用です。

けれども、歌もの中心のアルバムに入っている、ライ・クーダー・プロデュース、ヌスラット・ファテ・アリ・ハーンとエディ・ヴェダーによる「The Face of Love」と「The Long Road」は、いずれも5分台なのに対し、こちらのアルバムに入っているバージョンは前者が約10分、後者が16分台というロングバージョンとなっています。歌もののアルバムの方では、ジョニー・キャッシュのナンバーでもライがギターを弾いていますので、ライの熱心なファンの方は、両方とも「買い」ということになります。

音楽を担当したのは、監督ティムの兄、デヴィッド・ロビンズ。彼はアルバムでギターも弾いています。ちなみに、ティム自身もギターとボーカルが達者で、2011年にはデヴィッドを伴ってブルーノート東京で来日公演を行なったこともあるそうです。

さて、このアルバムに寄せられたデヴィッド・ロビンズのライナーの拙訳を載せさせていただきたいと思います。

「『Dead Man Walking』の作曲家そしてスーパーバイザーとして、このプロジェクトのすべりだしから非常に幸運であった。世界中のさまざまな音楽スタイルを探求し、耳にして来たが、普遍的でスピリチュアルな感覚を持つものが、まさにこの作品にふさわしいということが、早い段階で明らかになった。最初期に指し示されたのは、ティムの友達のライ・クーダーとV. M.バットのアルバムの発見だった。このアルバムには「Isa Lei」と呼ばれる素晴らしいレコーディングが含まれていた。私のもう一つのゴールは、たくさんの音楽のフォームが、後に私の作曲に反映され、映画音楽として用いられたり、再録音されたりする「見出された音楽」を補完する希望と期待になることだ。このスコアで聴くことのできる主なスタイルはパキスタンのスーフィの敬虔な聖歌であるカッワーリーだ。それは豊かで伝統的であり数千年も世代から世代へと受け継がれて来たものだ。多くの人が、ほとんどの音楽の形やスタイルは過去数世紀の間に発達したもので、聴覚的に受け継がれたものの末裔と言っている。もちろん、この歌声のフレージングと構成はほとんどそのようなスタイルであり、すべての西洋の作曲家がステレオタイプなサウンドなしで、書き得ないものである。これが、私がヌスラット・ファテ・アリ・ハーンがこのスコアのために演奏し、彼を説得して映画音楽を構築するためのさまざまな制約の中で彼に対するキューや条件を可能にしたということを、大きな幸運だと感じている理由である。これはまた、私が彼が歌った曲のクレジットを彼とシェアした理由でもある。エディ・ヴェダーはこのスコアの中でヌスラットと共演しているが、彼は急遽ニューヨークに来て、一緒にレコーディングを行い、その結果、このプロジェクトに多大な貢献をしてくれた。もしあなたが、もう一枚の『Dead Man Walking』のアルバムを持っているなら、「The Long Road」と「The Face of Love」が同じように収録されていることに気づくだろう。こちらのスコアのアルバムでは、これら2曲は未編集なので、そのままの形で楽しんでいただける。他にこのスコアに参加している記すべき独自のスタイルを持った他のボーカリストはアミナ・アンナビである。私はこのプロジェクトを通して、彼女の才能にふさわしいだけの場を提供することができなかったので、彼女の他のレコーディングを探してみることをお勧めする。このスコアで他の不可欠な要素はゲイル・リマンスキーとデュージング・シンガーズの感動的なパフォーマンスを含んでいることである。彼女たちは、ロシアの合唱曲であるジョージ・スヴィリドフによって書かれた「Sacred Love」を歌っている。他にも、アイリッシュ・ブズーキ、イーリアン・パイプ、中東とケマンチャのようなアフリカの楽器、タンブールとハーモニウム、ドゥドウクと呼ばれるアルメニアのオーボエ、世界中の打楽器、なかんずくタブラとウッドゥが含まれていることも記しておかねばならない。最後に、この音楽の録音とミキシングを担当した技術者たちの重要性と感謝を記さねばならない。彼らは、演奏者とその楽器を、まるでリビングルームで一緒にいるかのように聴かせるという難しい仕事に取り組んだ。楽しんでください。」

以上の内容でお分かりの通り、ある意味「ワールド・ミュージックの時代」だった90年代らしい内容のアルバムと言えます。デヴィッド・ロビンズ自身が語っているように、この映画音楽を印象付けているのは、パキスタンの宗教音楽カッワーリーで、その第一人者のヌスラット・ファテ・アリ・ハーンの強力な歌声が随所に効果的に使われています。あと、ライ・クーダーの穏やかなギターが印象的な「Isa Lei」を含む『A Meeting By The River』は、パキスタンのお隣、インドのV.M.バットとライの共演盤ですが、デヴィッドはこの「Isa Lei」を使うことを決めてから、スコアの構成を検討し始めたようです。そのほかにもさまざまな多国籍のミュージシャンや楽器が登場しますが、隠し味的なものも多いです。

カッワーリーはハーモニウムと打楽器、手拍子だけのミニマムな伴奏の音楽で、『A Meeting By The River』とも共通点が多いことから、その手法を「The Long Road」と「The Face of Love」に持ち込み、ライ・クーダーにプロデュースを依頼したのでしょう。ライは、ニューヨークに信頼の置けるエンジニアのアレン・サイズと息子のホアキムを伴い、ディルダー・ハッサンのタブラと自身のアクースティク・ボトルネックを加えて、カッワーリーのメンバー3人とエディ・ヴェダー、デヴィッド・ロビンズとともにニューヨークのエジソン・スタジオで「The Long Road」と「The Face of Love」を録音しました。その手法は、『A Meeting By The River』のセッションを下敷きにしているようで、両者のサウンドは極めて似通っています。おそらく、ライはヌスラットとレコーディングができるということで嬉々としてニューヨークに向かったのではないかと思います。ロビンズの兄弟のおかげで、ワールド・ミュージックの巨匠二人の貴重な共演が記録されたのですから、彼らに感謝しなければなりませんね。

1曲目が映画のオープニングにも用いられた「The Face Of Love」です。デヴィッド・ロビンズのライナーにある通り、西洋人にはまず思いつかないフレーズです。ヌスラットの歌がメインですが、エディも英語の歌詞で時折リードをとります。ライのアクースティック・ボトルネック・ギターが所々顔を出しますが、あくまで主役はヌスラット達とわきまえいるプレイ。後半のヌスラットの即興の歌は圧巻、息子のラーハットも高音で絡んできます。この曲のテーマは、他の曲にも流用され、この映画のテーマ的なフレーズとなっています。

2曲目は、「Helen Visits Angola Prison」は、タイトル通り主人公の修道女ヘレンが、アンゴラと呼ばれたルイジアナ州立刑務所に死刑囚のマシューをたずねる場面の不安を表した曲。この曲もヌスラットの歌声が印象的ですが、デヴィッド・ロビンズのライナーにあるアミナ・アンナビも参加しています。彼女はチュニジア生まれでフランスで活躍するシンガーですが女優として多くの映画にも出演しています。当時、『ミュージック・マガジン』誌などに紹介されていたはずですが、残念ながら自分はノーチェックでした。今回改めてYoutubeなどを見てみると、いかにもフランスの90年代ワールド・ミュージックらしい、エレクトロ・ポップで、アミナの変幻自在の歌声も素晴らしかったです。この曲では高音でコブシを効かせるボーカルが少し聴くことができますが、ライナーにある通り、もっと活躍の場を儲けてもよかったのでは、と思わせます。

3曲目「Dudouk Melody ( A Cool Wind Is Blowing)」は、ドゥドウクと呼ばれるアルメニアのオーボエのソロ。背後でずーっと同じ音程で鳴っているドローン音も、このオーボエの音色のようです。出だしから3曲は、完全に欧米の音楽の範囲外のサウンド。静謐な演奏が主人公の心情を代弁します。

4曲目「This is the Day the Lord has Made」は、南部のゴスペル風の演奏。何とギターはデヴィッド・スピノザが担当していますが、エンディング以外はあまり聞こえません。目立っているのはオルガンで、クワイヤーの歌声より大きい感じがします。主人公のヘレンが行く教会のシーンで使われますが、彼女は教会の後ろの方で見ているので、クワイヤーの歌声をオフ気味にミキシングしたのかもしれません。曲はトラディショナルで、オルガン奏者のドナルド・R・スミスとデヴィッド・キャンベルがアレンジ、実際にフランシス・デ・セイルズ・カトリック教会で録音されています。

5曲目「The Possum」は、1曲目と同じテーマを持つナンバーです。デヴィッド・ロビンズ自身のギター、サミューズ・イーガンのブズーキが奏でる主旋律のあと、ヌスラットの力強い歌声が響いてきます。

6曲目「Shadow」は、ハーモニウムとヌスラットの歌声のみりのナンバーです。最初は静かにしみじみ聴かせますが、後半はだんだん熱を帯びて、力強く歌われます。

7曲目 激しいパーカッションが印象的なナンバー。曲のタイトル通り映画の後半、主人公が失神するシーンと悪夢を見るシーンで使われます。失神するシーンではパーカッションは主人公の心臓の鼓動を表現しているのでしょう。ヌスラットやアミナの声、タンブールなどもサンプリングされコラージュされ、悪夢のシーンで使われています。

8曲目 「Dudouk Melody ( I Will Not Be Sad In This World)」は、3曲目同様、ドゥドウクによるソロの演奏。いよいよ刑が執行される前日、悪夢から覚めたヘレンに、彼女の母親が語りかけるシーンで使われています。

9曲目 「Sacred Love」こそは、西洋音楽の極致とも言える素晴らしいデュージング・シンガーズのアカペラ・コーラスをバックに、メンバーのゲイル・リマンスキーが実に美しく悲しげな独唱を聴かせます。映画のクライマックスシーンにこれほど最適な音楽はありません。主人公がクリスチャンであり、キリストの存在を通して、主人公と死刑囚とが心を通わせる瞬間にマッチした選曲でしょう。

10曲 「The Excution」は、死刑執行の「執行」を指す言葉。ヌスラットの歌声とデュージング・シンガーズが重なり合い、不気味ながらも荘重な雰囲気が演出されます。

11曲 ライ・クーダーがプロデュースしたナンバーです。爽やかなシンガー・ソングライター調のヴェダーの作品。ヴアコギとハーモニウムで曲が始まり、リズムはタブラとダラプッカ。エディ・ヴェダーが歌い出します。ブリッジでヌスラットが独特の喉を聞かせ、セカンド・バースからライのボトルネックがオブリが絡んできます。基本はシンガー・ソングライター的な明るめの曲なのだけれど、ハーモニウムとハーン一族の歌唱、そしてタブラなどインド&アラブ系の打楽器が加わり、えも言われない異国情緒あふれるナンバーになっています。出だしはエディが主役なんだけれど、中盤から後半にかけては完全にヌスラットたちが主導する即興演奏になっています。これにライのボトルネックが絡んでいくのでたまらないものがあります。エンディングはジャズのセッションのように、再びエディの歌うテーマに戻りつつも、最後はヌスラットの歌声で曲を盛り上げています。ライのアコギの即興演奏を楽しむことができる17分近い長尺ナンバーです。パール・ジャムのバージョンは1995年のシングル盤「I Got Id」に収録されていますが、ハーモニウムが入っておりこちらのアレンジを下敷きにしていることがわかります。

12曲目は「Isa Lei」。もちろん、『A Meeting By The River』に収録されていた曲の流用です。ずっとハワイアンだと思っていましたが、原曲はタヒチアン。実に美しいメロディを持った曲ですね。

そんなわけで、この映画音楽は「Music By Ry Cooder」ではないけれども、ライの参加曲が3曲あり、彼のアンビエントな音楽性にかなり影響を受けた作品です。世界中の楽器を用いて無国籍なサウンドを作っているのも、この時代ならではでしょう。

この映画をみてちょっとびっくりしたのは、「死刑囚が比較的自由に外に電話できる。」「面会の時死刑囚はタバコが吸える。」「手錠や足枷はあるものの、同じ空間で家族と面会できる。」「死刑の執行に被害者遺族が立ち会って、執行の瞬間を見ることができる。」といった日本との違いでした。「同じ空間で家族と面会できる。」というのは死刑囚ではないものの、他のドラマでも知っていましたけどね。「面会の時死刑囚はタバコが吸える。」については、今は面会人の嫌煙権が確立されているかもしれませんが。

ここから後は、ネタバレとなりますので、映画をまだ見てない方で、展開を知りたくない方はここまでにしておいて下さい。続きを読む
ギャラリー
  • Texas Tornados /  4 Aces
  • Micheal Dinner / The Great Pretender
  • Jackson Browne / Looking East
  • The Doobie Brothers Live at Kanazawa Kagekiza
  • The Doobie Brothers Live at Kanazawa Kagekiza
  • Joe Walsh / There Goes The Neighborhood

レシーブ二郎ライブ情報

Archives
Recent Comments
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

QRコード
QRコード
プロフィール

gentle_soul

  • ライブドアブログ