ryprodigalライ・クーダーの待ちに待った新譜が出てから、もう1月を経過。彼は元気に北米ツアーをまわりはじめています。彼がヘッドライナーとして全米ツアーをまわるなんて、一体何年ぶりなんでしょうね。齢71歳にして、まだまだ気力充実のライ御大。ギター・コレクションも大幅に増えているみたいで、新旧織り交ぜたギターをもって、日本にも来てほしいものですが、今年は後半ヨーロッパに行って、寒い間はライブはしないだろうから、来るとしたら、来春ということになるのでしょうか。

ライ御大のオリジナル・アルバムとしては、2012年の『Election Special』以来、実に6年ぶり、その間に『Live』がありますが、こちらは2011年のコンサートをおさめたもので、ライさんのキャリアの集大成的な側面もありました。その間、ライ御大はカントリー・ミュージックにかなり接近しており、ジャズ・ベーシストのチャーリー・ヘイデンの三つ子の娘達、ヘイデン・トリプレッツのアルバムをプロデュースしたり、若手シンガーのサム・アウトローのアルバムに協力したり、2014年にはリッキー・スチャッグスと一緒にグランド・オール・オープリーに出たり、そして、2015年から2016年には、そのスキャッグスとシャロン・ホワイトの夫妻とともに、全米ツアーを回って、数曲で歌声を披露したりという活動を続けておりました。

2017年は4月はロンドンで行われたBBCラジオのフォーク・アワードに出演して、「Jesus On The Mainline」を一人で歌った以外に音沙汰がないと思っていたら、新作のレコーディングに没頭していたようですね。今年2月頃から、ライの新作が出るという情報がネットに流れ出しました。今まで長くノン・サッチ・レーベルに在籍していましたが、新作はファンタジーからの発表、彼のホームページも3月頃新たに立ち上げられました。

そんな風に、満を持して発表された充実作。近年のカントリーよりの活動から、カントリー的なものになるのかと思ったら、ブルーズ、ゴスペルにアパラチアのフォーク・ソングと、ライが若い頃から親しみ、初期作品で盛んに取り上げていたミュージシャンの作品を中心に、自作曲を加えた原点回帰プラスアルファの作品に仕上がっています。近年は新作を発表した後のツアーでも、そのアルバムから1曲もやらなかったり(2009年ニック・ロウとのツアー。前年のアルバムの曲はやらなかった。)、やっても3曲程度だったり(2011年のライブ収録時)という感じでした。ライの弁によると、「最近の曲なんて誰も知らないし…」ということでしたが、今回はツアーがはじまって、すでに4公演以上が行われていますが、全13〜4曲のうち、約半数の6〜7曲はこの『The Prodigal Son』から演奏しており、ライさんの意気込みと自信のほどがうかがえようというものです。もうひとつ嬉しいのは、スタジオ作として、ゴスペル・コーラス隊が完全復活していることです。アルバムには、ボビー・キング、テリー・エヴァンズ、アーノルド・マッカラーという昔なじみのシンガー達をフューチャーしていますが、以前から体調不良をかかえていたテリーが、アルバムのリリースを待たずに他界してしまったことは痛恨の極みです。しかし、ツアーには顔ぶれは変わっているものの、3人の男性コーラス隊を引き連れて充実した演奏を聴かせているようです。

今回のアルバムが、前スタジオ作と共通するのは、ほとんどのバック・トラックを息子のヨアヒムと二人でつくっているところ。ライは、ギターはもちろん、マンドリン、バンジョー、ベースにキーボードと大活躍です。近年、カントリーに接近していたとはいえ、ブルーズやゴスペルを基調としたブラック・ミュージックに基盤をおいているライさんの立ち位置はいささかもゆらぐことはなく、リッキー・スキャッグスらとのツアーでも大半の曲でエレキ・ギターを弾き、フォークやカントリーの曲であっても、ブルージーな味わいを出していた彼のことですから、そのあたりに心配はありませんでした。もちろん、原点回帰といっても、20代前半の頃から半世紀近い年月を経ている「年輪」の功は、彼の演奏、唄、アレンジとアルバム全般にあらわれており、若いころにはなかった、まさに「燻し銀」の味わいは、往年のブルーズ・マン達に相通じるものと思えます。

では、長くなると思いますが、各曲をみていくことにしましょう。

まず1曲目「Straight Street」は、男声ゴスペル・カルテット、ピルグリム・トラベラーズのナンバー。ただ、出だしはマンドリンのコード・ワークで、フォーク・ソングのように聴こえるのがミソ。原曲は低音が独特のフレーズを歌い、ピアノなどの伴奏の入った典型的な男声ゴスペルですが、ライはこの曲のメロディの良さを抜き出し、美しいミディアム・ナンバーに仕上げています。肝心のコーラスは後半でフューチャー。バンジョーも用いた弦楽器の絶妙なアンサンブルにのせてライがしみじみ歌うこのナンバーは、今作の冒頭を飾るにふさわしいものです。この曲ではギター・ソロはなく、トレード・マークのボトルネックも用いていません。けれども、後半やや目立ち始めるエレキのフレーズはまぎれもなく、ライの個性を伝えてくれます。プロモーション用のスタジオ・ライブでは、たくさんのスイッチを備えた黒いエレキ・ギターを弾いています。そっくりのものは見つけられませんでしたが、EKOがOEM生産をしたVALCO系のブランドのように思えます。

2曲目「Shrinking Man」は、2009年のニック・ロウとの来日公演のときも披露していた自作曲。その時よりもぐっと軽快なアレンジになっています。さほど目立たないボトルネックのソロもあります。歌詞はとっても皮肉な内容です。人が縮めば、食料問題も解決されるし、汚染された土地のかわいそうな人々に対する飢餓基金も払わなくていいというようなもの。逆に言えば、そういう犠牲の上に現代社会が成り立っていることを訴えた内容でしょう。でも、この歌のように、朝起きた時、鏡に映らないほど縮んでしまったら、それはそれは大ショック。よくあるブルーズの手法を取り入れたユーモラスな歌詞ですね。

3曲目、まるで鳩時計のようなループ・サウンドに乗って、やはり軽快な感じで始まるのは自作曲の「Gentrification」。このループはヨアヒムの仕業でしょうか? この曲もノン・スライドですが、少しばかりメキシコの香りが漂うライさんならではのフレーズににんまりさせられます。タイトルの意味は「高級化」。アップタウンのIT長者(グーグルマンと揶揄する)達が、ダウンタウンの土地や建物を買い叩いて再開発することを批判的に描いた曲のようです。

4曲目は、ブラインド・ウィリー・ジョンソンのナンバーから「Everybody Ought to Treat A Stranger Right」の登場。ミディアム・テンポの伴奏にのせて、冒頭からゴスペル・コーラス隊が活躍。間奏とエンディングではライによるアクースティク・ボトルネック・ギターが炸裂します。けして音数は多くないですが、これぞライ・クーダーと思わせるツボにはまったかっこいいプレイ。ところどころ、複弦の響きが聴き取れますが、Youtubeにアップされているスタジオ・ライブでも弾いている9弦のレアなアコギによるプレイなのでしょう。ハンス・シーシック&テリー・エヴァンズの2012年のアルバムでも弾いていた、LION&HEALYの9弦ギターと思われます。

5曲目はタイトル・トラックの「The Prodigal Son」。ヨアヒムがエイト・ビートをたたき出し、ロック色満載のナンバーです。「The Prodigal Son」といえば、ロバート・ウィルキンスのナンバーで、ローリング・ストーンズが「Begger's Banquet」で取り上げたことでも有名ですが、どうやらそのトラックで達者なアコギを弾いているのは、若干21歳だったライ・クーダーのようなのです。ただし、今回のナンバーはトラディショナルをアダプトしたものながら、ストーンズがカバーしたものとは同名異曲のようです。こちらでは前曲と異なり、ライのエレクトリック・ボトルネック・ギターにノイズまじりのエフェクトをかけ、現代的な味付けをほどこしています。このあたりもヨアヒムの仕業のように思えます。サビの部分では、コーラス隊とのコール&レスポンス。スリリングな展開です。

6曲目は、やはりブラインド・ウィリー・ジョンソンの曲で「Nobody's Fault But Mine」です。この曲は、ポール・バターフィールドが組んでいたベター・デイズがファースト・アルバムで取り上げていました。ブラインド・ウィリーの「Soul of Man」も似たメロディを持った曲ですが、こちらはデヴィッド・リンドリーがレパートリーにしていました。歌詞の内容にも呼応するおどろおどろしいサウンド・エフェクトにのせて、ライのアクースティク・ボトルネック・ギターが印象的なフレーズを紡ぎます。パーカッションは不参加。ゴスペル・コーラス隊はひかえめに、ライの唄をバックアップします。「Vigilanre Man」に匹敵するライの名演にひとつでしょう。

7曲目、「You Must unload」は、ブラインド・アルフレッド・リードのナンバー。ライの定番曲「How Can A Poor Man〜」や「Always Lift Him Up」を書いた、大恐慌時代のアパラチアのプア・ホワイト・シンガーです。ライは原曲のテンポをぐっと落とし、実に美しいバラードに仕上げています。コーラス隊も活躍し、ソウル・バラードのように聴こえますが、メロディやバイオリンの響きからはフォークの香りがただよってきます。こうしたミクスチャーはライお手のもの。この曲でのヨアヒムのドラミングは素晴らしいの一言。円熟味も増し、前曲からの流れはこの盤のハイライトでしょう。贅沢な人々に対し、余分なものは捨てないと、天国へ行けないと語りかける内容は、今、アメリカで頂点に立つ人をはじめとする、ごく一部の富裕層を揶揄しているかのようです。この曲のみベースはロバート・フランシス、バイオリンはオーブリー・ヘイニーが参加しています。

8曲目、「I'll Be Rested When The Roll Is Called」は再びブラック・ミュージックに戻りルーズヴェルト・グレイヴスという1909年ミシシッピ生まれのシンガーの作品。彼の作風は、ブラインド・ウィリー同様、歌の内容を聴かなければ、ブルーズとほとんど変わらないゴスペルなんです。しかし、出だしからバンジョーのイントロ。カントリー調かと思えば、ゴスペル・コーラス隊も大活躍。前曲同様、黒人音楽と白人音楽の見事なミクスチャーです。と、いうか、バンジョーはもともと黒人がアフリカから持ち込んだ楽器が元になっているし、白人音楽も黒人音楽も、互いに影響を与え合い、複雑にからみあって単純に分けることができないんだということを、まざまざと感じさせてくれます。この曲ではボトルネック・ギターは出てきませんが、バンジョーをバックに数本のギターやマンドリンがからんで、えもいわれぬアンサンブルを聴かせてくれます。

9曲目、「Harbor of Love」は、往年のブルー・グラス・デュオ、スタンリー・ブラザーズのレパートリーで、内容はホワイト・ゴスペル。この曲もギターとバンジョーによる軽快なリズムの原曲を換骨奪胎し、美しいバラードに仕上げています。また、間奏とエンディングではクーダー・キャスターのリア・ピックアップ(ヴァルコ製ラップ・スティールのもの)を用い、彼らしい美しいボトルネック・ソロを奏でています。

10曲目、バラードが続きます。自作の「Jesus and Woody」です。ライは近作で、自身のヒーローが登場する楽曲をけっこう発表しています。ハンク・ウィリアムス、ジョニー・キャッシュ、ジョン・リー・フッカー、そして往年のスティール・ギタリスト達、タイトル曲ではラルフ・ムーニーが出てきます。今作はゴスペルがひとつのテーマとなっているからか、ジーザスがウッディ・ガスリーに語りかける構成。空間的な凝ったサウンドではありますが、エレキ・ギター1本のシンプルなアレンジ。後半の大きな山場です。

君の古いギターをもってきて、そばに座ってくれ、天の王座のそばに
君のオクラホマの詩を引けば、まるで戦争のようだ
私は、戦争について、石油や金や、そんな自明のことを言っているのではない
でも、ふたたび今、自警団員が動きはじめたニュースを耳にしているんだ
そう、「わが祖国」を私に歌ってくれ そしてファシストを打ち負かしてくれ
君はドリーマーだった そして、私もドリーマーだったのだ

かつて わたしは 汝の敵を愛せよ 憎む者を愛せよ と言った
それは努力と緊張を要求する
復讐は、正義の間違った側面だ
それは破滅と苦痛をみちびく
わたしのことを罪人達の友人だという人もいる
しかし、いまやそれは真実となっているよね
わたしはファシストより罪人のほうを愛する
そして、そのことがわたしもドリーマーにしているんだろう

1945年 君はファシスト達が倒れるのを見た
多くの人々が戦って死んだ
その多くが罪なき人々だったことを思い出す
わたしは長い間、救世主だった
わたしは、すべてそれを以前見たことがある
君よ 良きひとびとよ ともに集おう
それとも 君にはもうチャンスはないのか

今や 人々は憎しみのエンジンをスタートさせている
君は さみしく 憂鬱じゃないかい?
そう わたしはドリーマーだった そして君もドリーマーだったのだ

この曲を聞くと、70年代はじめ、ベトナム戦争たけなわの頃に、ウッディ・ガスリー、アルフレッド・リードのナンバーや古いブルーズ、ゴスペルなどを歌いはじめたライ・クーダーの想いを、今さらのように汲み取ることができるだけでなく、再びアメリカの国内外で憎悪の方向に向かおうとしている様々な状況に警鐘を鳴らしたいという思いが伝わります。ライは、多くのステージで「Vigilante Man」を歌い継いできましたが、2012年にフロリダで自警団の男が、無実の黒人少年を射殺した事件に象徴されるように、ウッディの時代と現代が地続きで、根本的な問題が解決されていないことを教えてくれます。そして、今再びライが、この時代の歌を取り上げることは、トランプ政権のもと、アメリカが抱える大きな矛盾に対する告発のように感じられる一方、ジーザスでさえ、ウッディに無力感を吐露しなければならないという、やるせない思いもただよわせています。

ラスト・ナンバーは古くから多くのミュージシャンに歌いつがれ、現代ゴスペルでも、よくレパートリーとされる「In His Care」です。この曲では、70年代のライのナンバーのように、ハネるリズムとコーラス隊の分厚いコーラスに乗せて、ライが力強く歌います。ループするサウンドは少し不思議な響きですが、間奏のソロはライらしさがあふれるシンプルでエモーショナルなフレーズ。きっとクーダー・キャスターのフロント・ピックアップ(テスコ製)で弾いているものだと思われます。この曲は、ライとの共演経験もあるサニー・テリーと、早世したブラウニー・マギーのデュオもとりあげていました。

以上のように、久々にアメリカン・ルーツの核心をつく選曲。息子のヨアヒムとともに、複数の楽器を丹念に折り重ね美しいタペストリーのように凝ったサウンドのをつくりあげた力作です。そういう意味では、シンプルなサウンドで選挙の時期にぶつけてきた前作に比べると、70年代の作風に回帰したともいえるでしょう。そして、長年のパートナーであり、病身のテリー・エヴァンズとの最後の共演であろうことも彼らはわかっていたのかもしれません。11曲中7曲でゴスペル・コーラス隊をフューチャーしていますが、このアルバムが彼の最後の録音となりました。病を感じさせない力強い歌声に涙を禁じまえません。なお、本作のエンジニアは長年のつきあいとなる、マーティン・プラウドラーが務めています。

今、ライのツアーに同行している3人のゴスペル・コーラス隊、ハミルトンズには、写真や映像を見る限り、ボビー・キング、アーノルド・マッカラーといったレコーディング・メンバーでなく、もっと若いアフリカン・アメリカンのようですが、結構肉薄した歌声を聴かせています。なお、ベーシストはロバート・フランシス、このアルバムのプロモーション・ビデオに参加しているエフェクターでさまざまな音色を奏でるサックス・プレイヤーに加え、キーボード・プレイヤーも同行しています。また、ライは、今回のツアーにたくさんのギターを持って行っています。おなじみの愛器クーダー・キャスター2台(1台は、往年のダフネ・ブルーのストラト・プロトタイプを改造したもの)、カスタム・ショップのバホセスト・テレキャスター、ワイマン・ベースを改造したエレクトリック・ブズーキに加え、カワイVS-180と思われるバイオリン・タイプのエレキ、ナチュラルのプレミアE-722、キンバリーのグリーンのダブルネック・ギター、フルアコースティックのエレキなど、日本製を含むたくさんのギターを持ち運んでいる模様です。

このアルバムは、ヨアヒム・クーダーの奥さんジュリエット・コマジェアとロバート・フランシス姉弟の父で、2017年に亡くなったロバート・フランシス・コマジェアに捧げられています。彼はクラシックやラグタイムのレコーディングをてがけただけでなく、クラシックのシート・ミュージックのコレクターとしても知られていました。そして、レコーディングのあと、今年亡くなったテリー・エヴァンズにも捧げられています。

最後に、ライの私生活についても少し触れなければなりません。アルバムのサンキュー・クレジットには「Muchas Gracias to Susie and Juliette for their support and enthusiasm」とあるのですが、続いて「Joachim for his originality, and especially Paloma who always cheers me up when I'm having trouble with my lyrics.」という言葉が出て来ます。そして、今までスーザンが撮影していたライのポートレート(ジャケ裏)を撮っているのは、Paloma Seychelle Cooderという人物に変わっています。このパロマこそ、おそらく2016年頃生まれたヨアヒムとジュリエットの娘。ライの初孫なのです。2歳やそこらで、おじいちゃんの写真をこんな風に撮影できるのか、少々疑問ですが、最近は精度の高いデジカメもあることだし、クレジットどおり彼女が撮影したものでしょう。ライにとっては目にいれても痛くないほどかわいい孫だと思います。一方で、このアルバムのプロモーション・ビデオを見ると、ライの左手薬指から結婚指輪が消えていることから、ライは長年おしどり夫婦として連れ添ってきたスーザンと別れたのではないかという説もあります。金婚式まであと数年というところなのに、もしもライとスーザンがパートナーシップを解消してしまったのだとしたら、結構感慨深いですね。