レシーブ二郎の音楽日記

レシーブ二郎の音楽ブログにようこそ。マイペースでぼつぼつ更新していきます。

Ry Cooder

Ry Session 122 Bobby King / They Don't Know

BobbyKing-TheyDontKnowfeat
ブログ更新、ずいぶんご無沙汰してしまいました。もう間もなくライ・クーダーの新譜も発売ですね。その前にライ・クーダーさん参加の近作、いっときましょう。今年6月に発売されたボビー・キングさんの新作です。

ボビー・キングさん。お久しぶりですね。言わずと知れた、ライ・クーダーのゴスペル・コーラス隊の一員のテナー担当。1974年、リプリーズよりライ・クーダーも参加したシングル、『Looking For A Love』でデビュー。ライの『Paradise& Lunch』レコーディングから『Get Rhythm』ツアーまで、一貫してライさんをバック・アップし続けた人です。この間、ワーナーとモータウンからソロ・アルバムを各1枚リリース、1988・1990年にはバリトンの相方テリー・エヴァンズとのデュオ作2枚(双方にライ・クーダー参加)も出しているのですが、1994年のニューオーリンズ・ジャズ&ヘリテイジ・フェティバルでライ・クーダー&デイヴィッド・リンドレーのステージのバックに登場して以降、なかなか姿を見かけることはありませんでした。90年代前半はテリーさんやウィリー・グリーン・ジュニアさんたちと組んで、ジョン・リー・フッカーやら、ポップス・ステイプルスやら、エアロン・ネヴィルやらのアルバムにもよく参加していたんですけどね。思うに、この頃、ショウ・ビジネスの世界に見切りをつけて、教会のゴスペル歌手としての生活をはじめたんじゃいかなぁ。最近のことを記した詳しいバイオを見つけられなかったんで、想像に過ぎないのですが。来日は多分一度きり、1988年ライ・クーダーの『Get Rhythm』ツアーにコーラス隊で参加。大阪公演のアンコールでサム・クックの「Chain Gang」を熱唱した姿は目に焼き付いております。

ボビーさん、1943年生まれということで、今年69歳なんですね。リプリーズからシングルを出した時はすでに30歳を過ぎていたわけだ。あれれ、ウィキでは1944年ルイジアナ州レイク・チャールズの生まれとなっているけど、itunesのプロフィールやallmusicでは43年ミシガン州デトロイト出身になってます。どっちが本当なんでしょうかねぇ。さらには彼のファースト・アルバムがCD化された際の解説には、サウス・カロライナ州レイク・チャールズ出身となっておりますが、サウス・カロライナにレイク・チャールズなんて町ありませんよね。多分。この方、とっても南部の香りがするんで、やっぱりルイジアナ出身であってほしいところです。そんな彼が、本当に久々のアルバムを出しました。ソロ・アルバムとしては1984年以来だから、なんと28年ぶり、デュオ・アルバムから数えても22年ぶりです。もちろん、地元のローカル・レーベルから何らかの作品は出しているのかもしれないし、今回もCDbabyやitune store以外での取り扱いはないみたいですけど、今やネットの時代。ライ・クーダーさん参加ということで、ワールド・ワイドに知られ、多くの人がダウンロードなどして楽しんでいることと思います。

タイトルは『They Don't Know』。高層ビルの上に暗雲が立ちこめる写真と、何かのフェスティバルで撮影したであろう群衆の写真をコラージュしたジャケット。まるで、「ハルマゲドンの到来を人々は知らない」と告げているかのようです。内容はというと、それはそれは、全編神を讃えるゴスペル曲集となっております。まず、曲名を眺めると、冒頭から「Don't Play With The Devil」。「悪魔とプレイするな」ですから、ブルーズを演奏しないでゴスペルを歌いましょうといっているような気になります。5曲目には「Jesus Calling」、7曲目には「You Delivered, Sanctified Me, You Saved Me」なんてタイトルの曲が続きます。

この方は、なんといっても女性かと思うような美しいファルセットでハーモニー高音部を歌うのが印象的だったのですが、普通に歌うときはけっこう野太い声だったりして、その落差に驚いたものです。久々に彼の声が聴けたこのアルバムでは、年齢のせいもあるんだろうけど、その素朴で無骨な歌い方に磨きがかかっていてなかなか味わい深いものがあります。ファルセットも時折顔を出しますが、さすがに昔の切れはちょっとばかり減退したように感じました。

曲調はけっこうバラエティに富んでいて、かつてのソロ・アルバムを彷彿とさせるようなおしゃれな曲もあれば、素朴なR&B調もあって飽きさせません。本人の声はいいんだけど、ほとんどの曲の演奏は典型的なコンテンポラリー・ゴスペル・スタイルになっていて、個人的には少しばかりものたりないです。「Good Time, Sad Time, Same Time」などは、ちょっとラップも出てきます。今の時代だから仕方ないのかもしれませんけどね。

2曲目「Don't Take Your Love Away」は美しいバラードでかなり好きな曲ですが、ここで聴かれる少々エフェクトのかかったアクースティック・ギターはライ・クーダーの手によるものでしょう。ソロもなく、ボトルネックもありませんが、このフレージングはライに違いないと思われます。ボビー・キングのバックで奏でられるアクースティック・ギターというと、『Bop Till You Drop』に収録された「I Can't Win」を思い出しますが、このナンバーはその時のプレイを彷彿とさせるものです。4曲目のタイトル・チューン「They Don't Know」は、さわやかなサックスの音色で幕をあけるコンテンポラリー・ソング。80年代頃のブラコンと言われたら信じてしまいそうなサウンドですが、1番のサビから、聞き慣れたエレクトリック・ギター・サウンドが響き始めます。2番では、そのギターがボトルネックでオブリガードを奏でます。もちろん、ライ・クーダーのギター・プレイですが、ソロもなく引き立て役に徹している印象が強いです。サビのメロディもなかなか良くて、「Don't Take Your Love Away」同様、気に入ったナンバーです。ライ・クーダーの参加曲は以上2曲だけのようです。

そのほかのナンバーは、たいてい元気のいい曲とバラードが並んでいる感じです。69歳という年齢を感じさせないパワー全開の曲もあって頼もしい限り。曲調もコンテンポラリーといいつつも、60〜70年代のソウルのにおいを感じさせてくれるナンバーもあって割合好感が持てます。ベースやキーボードは、けっこう現代的ですが、ギターはけっこういい感じのリズム・バッキングのナンバーが多かったりします。

ラスト2曲がかなり異色。9曲目「Change Me」は、アクースティック・ギター2本とシンセサイザーの伴奏ではじまり、白人とおぼしき男性が歌いはじめます。ゴスペルというより、CCMに聴こえてくるきれいなバラード。もっとも、1番からボビーのカウンター・ボーカルと黒っぽいコーラスが入って、かろうじてゴスペル・カラーを感じることができます。深い信仰を表しているであろう、このナンバーは神のもとでは「白」も「黒」も関係ないというメッセージととらえることができるかも知れません。それにしても、ブリッジのところだけ、ボビーのソロ・ボーカルになりますが、この部分は強力ですね。しかし、全くクレジットが手に入らなかったので、不明なのですが、「ボビー・キング」のアルバムで1曲のほとんどをソロで歌っているこの方、いったい誰なんでしょうか? ラスト・ナンバー「Am I Right, Am I Wrong」は、レゲエのリズムをもつマイナー・キーのナンバー。少々濃すぎる演奏で個人的にはあまり好みではありませんが、アフリカン・アメリカンの間でレゲエが根強い人気を保っていることを背景した作品でしょう。

そんなわけで、ボビー・キングさん名義のこのアルバム、ちょっと辛口なことも書きましたが、バラエティに富んでいて、けっこう楽しむことができました。おそらく彼は90年代前半にショウ・ビジネスの世界から離れて、ゴスペルの世界に戻ったのではないかと想像します。そして、教会などで地道に活動してきたけど、今回久々にアルバムを出すにあたって、同じ信仰を持つ仲間とのデュオを収録したり、かつてのバンド・リーダー、ライ・クーダーに参加してもらって、2曲ほどゲストで演奏してもらったというところではないでしょぅか。「フィーチャリング・ライ・クーダー」と謳うには、ちょっと地味すぎる参加ではあるけれども、おそらくゴスペル大好きなクーダーさんのことですから、かつての僚友のアルバムへの参加を二つ返事で引き受けたことでしょう。そうそう、ライさん、来月発売のテリー・エヴァンズとハンス・シーシックのアルバムにもゲストで入っているようです。テリー・エヴァンズといえば、クーダー・ゴスペル・コーラス隊のバリトン。彼はショウビズ界で地道な活動を続けており、かつてゲスト参加したハンスさんとデュオのアルバムも出しております。ハンスさんと言えば、言わずと知れたクーダー・フォロワー。こちらもどんなサウンドになっているか期待が高まるところです。

Ry Session 121 Robert Francis / Strangers I The First Place

robertfrancis3
ロバート・フランシスの3年ぶり3枚目のアルバムが出ております。今年5月下旬発売で先月には入手しておりましたが、ニューオーリンズ旅行記をアップし続けておりましたので、紹介が遅くなってしまいました。この方、ライ・クーダーさんのご子息、ヨアヒムの奥方、ジュリエット・コマジェアの弟であることは毎回書いております。前作の時は21歳でしたが、今回は24歳に成長してます。前作はアトランティックからの発売でしたが、今回はフォークの名門ヴァンガードからリリースです。中ジャケの写真も往年のヴァンガードっぽくてフォーキーな雰囲気のショットがいっぱいです。アクースティック・ギターで幕は開け曲調はフォークっぽいものの、前作・前々作に比べると、U2あたりを連想させる空間的なアレンジがほどこされ、かなりアーシーさが減って姉のジュリエットや義兄のヨアヒムの音楽性に近づいているような気がします。これはプロデューサーがD.サーディからマーティン・プラウドラーに変わったことが大きいでしょうねぇ。前作に参加していた彼のバンドは健在のようですが、ペダル・スティールのグレアム・ラスロップは不参加。ベースのアレックス・クェスキンはエレピやキーボードにコンバート、ロブ・ダグラスというベーシストを迎えています。義兄のヨアヒムは数曲パーカッションとドラムで参加。ジュリエットは不参加。もう一人の姉のカーラが参加しているのですが、まるでHello Strangerみたいな5曲目「Eighteen」で聴こえてくるノンクレジットの不思議チックな女声コーラスはジュリエットのような気がしてなりません。

「Alibi」なんかはブルース・ハープも入ってディランやレナード・コーエンに傾倒するフランシスの資質がよく表れているのですが、プラウドラーは徹底してこのアルバムに現代的味付けをしたいみたいに感じます。思いっきりカントリー・ロックっぽくはじまる「Star Crossed Memories」もサビで出てくるバンジョーがほかの楽器みたいにお洒落に響き、間奏ではヴァイオリンも出てきてアーシーな世界でなく、美しく壮大な感じの曲になっていきます。最後にはフランシス自身のハーモニカやエレクトリック・ボトルネックも入ってくるのですが、これだけ伝統的な楽器を使いながら全く泥臭さを感じさせず、きわめてお洒落に響かせてしまうプラウドラーの手腕は見事です。それにしても、この曲はフランシスの一人ハモリのはずですが、ここでもジュリエットっぽい女声コーラスが聴こえてきます。

「It First Occurred To Me」にはジム・ケルトナーが参加。さすが他の曲とはひと味違うドラムを聴かせてくれますが、全く脇役に徹して歌を邪魔していないのはさすがです。この曲ではマイク・ボルジャーという人のミュートしたトランペットが印象的だったりします。マイナー・キーのロック「Heroin Lovers」(なんというタイトル)には、姉のカーラがコーラスで、トム・ペティのバンド、ハートブレイカーズのマイク・キャンベルがエレクトリック・ボトルネック・ギターとヴィブラフォンで参加しております。彼のスライドもまた違う味わいでよろしいですなぁ。

9曲目の「I Sail Ships」にライ・クーダーが参加。この曲のドラムはヨアヒムです。ライはけっこう地味なエレキ・ギターを弾いていて意識して聴かなければ気づかないでしょう。特に後半たくさんの楽器が入ってくると聴きとれません。ヴァイオリンや女声コーラスが印象的な幻想的なナンバーです。ラスト・ナンバーの「Dangerous Neighborhood」にも、ライさんは参加しております。なんだか東洋的な響きのキーボードと本人の弾くエレキ、そしてバンジョーのイントロでちょっと牧歌的にはじまるのですが、やはりこの曲も伝統的な楽器を使いながら、きわめてお洒落にアレンジされております。その要となるのがとっても空間的な響きのするライさんのエレクトリック・ボトルネック・ギターです。たっぷりギター・ソロを楽しめるわけではありませんが、「I Sail Ships」と違ってばっちりその存在感を示してくれます。特に間奏の転調するあたりの抑制の効いたスライドの美しさといったらありません。姉のカーラ、義兄のヨアヒムといったファミリーも演奏に加わって曲を盛り上げていきます。いいメロディをもった曲なのですが、「よくなろうと努力するんだけど、ぼくの心は危険な隣人のようだ。」というサビのフレーズ。たぶん自分自身で自分の心を制御できないことを歌っているんだろうなぁ。

アルバム全体としては、フランシス本人の歌い方なども含めて前作・前々作の方が圧倒的に好きなのですが、これはこれでよく出来た作品だと思います。前作・前々作もアーシーながら、一筋縄ではいかない凝った音づくりがなされていました。今回はそれがヨアヒム達に近いパワー・ポップよりのサウンドになっただけだと感じました。彼が持っているシンガー・ソングライター的な資質は根底にしっかりあります。次作では、また違ったサウンドを聴かせてくれることでしょう。それにしても、姉のジュリエットに対してサンキュー・クレジットはあるんだけど、どうしてミュージシャン・クレジットがないのか気にかかるところではあります。

Ry Session 120 Jorge Calderon / 「Blue City」「On A Mardi Gras Day」

2IDD15-1
ホルヘ・カルデロンさんを知ったのは確か1983年4月だった思いますが、デイヴィッド・リンドレー&エル・ラーヨ-Xの初来日コンサートに行ったとき。会場は京都の磔磔でした。もう一人のギターにバーニー・ラーセン、ドラムにイアン・ウォレス、そしてベーシストがホルヘ・カルデロンさん。このときのライブはとにかく個人史の中でもエポックメイキングな"事件"でした。はじめての目にしたアメリカン・ロックの生演奏でしたが、とにかくそれまで経験したどんなライブとも違うエキサイティングなのもので、1時間半ほどのステージに熱狂しまくりました。考えてみれば、その後の自分の音楽志向がこんな感じになったのも、この時の経験がとても大きかったと思います。カルデロンさんは「Your Old Lady」など曲によっては6弦ベースを弾いていましたが、たいていはフェンダーのプレジョン・ベースでときおりいい声でリンドレーとハモっていたのが印象に残っています。

さて、そんなわけで自分にとって彼ははじめて生で見たアメリカン・ロックのベーシストになったわけですが、その頃よく聴いていたアサイラムから出ているウォーレン・ジヴォンのスタジオ作4枚すべてにハーモニー・ボーカルで参加していることにすぐ気づきました。さらに予備校生時代から学生時代にかけて中古レコード屋によく通うようになり、そこで彼の1976年作『City Music』を発見。試聴させてもらったけど、当時毛嫌いしていたAORサウンドだと思って、その時は購入しませんでした。後にこのアルバムは日本盤でCD化したときに入手しています。

大学生だった1986年にはジャクソン・ブラウンのアルバム『Lives In The Balance』がリリースされますが、その中でもお気に入りの一曲「Lawless Avenue」を共作し、素敵なハーモニーで参加しているのがホルヘさんでした。この曲にはスペイン語の歌詞がでてきますが、おそらくホルヘさん、そのあたりを共作したんだろうなぁ。思い返せばウォーレン・ジヴォンの「Carmelita」や「Veracruz」といったスペイン語が出てくる曲でコーラスをつけていたのがホルヘさんだったことに思い至りました。後者では作曲にもからんでいますね。ロサンゼルスはメキシコにかなり近くメキシコ系の住民もかなり多いわけですが、ジャクソンのようなメジャーなミュージシャンもスペイン語の曲を歌うほど、両者の生活って隣合ってるんだなぁと感じました。その頃すでにロス・ロボスは活動をはじめていましたし、ライ・クーダーは遠くテキサスまで出かけていってフラーコ・ヒメネスのテックス・メックスを自己の音楽に取り入れますが、後年ロサンゼルスのメキシコ人居住地をテーマにした『Chavez Ravine』をリリースします。同じ1986年にリリースされたライ・クーダーのサントラ『Crossroads』『Blue City』、そして翌年のスタジオ作『Get Rhythm』にも、ホルヘさんはベース奏者としてクレジットされています。

1988年、ライ・クーダーがバンド、モウラ・バンダ・リズム・エイシスを連れて久々に来日しました。この時はじめて彼の生の演奏に接することができたわけですが、この時のベーシストがホルヘさんでした。フラーコ・ヒメネスやジム・ケルトナー、ヴァン・ダイク・パークスといったスター・プレイヤーの影に隠れてしまいがちですが、ホルヘさんのプレイはとっても的確で、バンド全体の音をぐぐっとひきしめていたことを記憶しています。『Get Rhythm』のブロモーション・フィルムにはウッド・ベースを弾いているものもあったようですが、確か来日ステージではエレキ・ベースのみを弾いていたんじゃないかなぁ。その翌年の1989年、彼は再び第二期デイヴィッド・リンドレー&エル・ラーヨ-Xの一員として来日を果たしますが、自分は就職で福岡に居を移していたため、この時は残念がら見ることができませんでした。さらに、この頃、ボビー・キング&テリー・エヴァンズのアルバムにベーシストとして参加。二人がたもとを分った後はテリー・エヴァンズのアルバムに必ず参加するなど完全にライ・クーダー・ファミリーの一員となったわけですが、思えばワーナーからリリースされた1976年作『City Music』は、ライの義兄、ラス・ティトルマンによるプロデュースだったわけですね。彼はこの頃一方で、ジェニファー・ウォーンズを通じてレナード・コーエン・バンドに参加したり、相変わらず旧友のウォーレン・ジヴォンに協力するなどセッション・ミュージシャンとしての活動を地道に続けています。そのウォーレンが癌に冒され余命宣告がなされた2002年、彼の最後のアルバム『The Wind』のプロデューサーを務め、彼の死後の2004年にリリースされたトリビュート作『Enjoy Every Sandwitch』でもプロデュースを担当。彼自身もジェニファー・ウォーンズとのデュエットで、「Keep Me In Your Heart」を歌っています。

そんなホルヘさん、最近あまり活動をみかけないなぁと思っていたところ、先日たまたま見ていたジャクソン・ブラウンのサイトからリンクで飛んだ彼のレーベル、インサイド・レコーディングスのホームページでダウンロードのみで2曲を発表しているのを発見しました。なんと2011年9月6日リリースということですから、もう一年くらい前になるのですが、全然気づかなかったなぁ。彼を最初に見た1983年リンドレーのライブでは、銀縁の眼鏡をかけとっても若々しい印象だったのですが、最近の風貌から察するにこの時すでに30歳を過ぎていたものと思います。彼はロサンゼルス生まれのチカーノ系の人だとばかり思っていたのですが、今回調べてみたら何とプエルトリコのサン・ファン生まれであることがわかりました。年齢は残念ながら分かりませんでした。彼は1960年代後半に2年間ほどニューヨークで活動したあと、1969年にロサンゼルスに来て、プロデューサーのキース・オルセンと出会い1972年にはバッキンガム=ニックスのアルバムに参加することになります。その後上記のように1976年ソロ・アルバムをリリース。ウォーレン・ジヴォンと知己を得て、彼のバックを通じてロサンゼルスのミュージック・シーンで確固たる地位を築いていくことになるわけです。

今回のシングル「Blue City」と「On Mardi Gras Day」は、自己単独名義の作品としては、1976年の『City Music』以来、実に35年ぶりとなるわけですが、両曲ともセルフ・プロデュース。ライ・クーダーがエレクトリック・ボトル・ネック・ギターでバック・アップ。ルイ・コンテがパーカッションで参加しています。ホルヘさん自身はギターとベース両方をプレイしていて、ドラムはドン・ヘフィントン。「On Mardi Gras Day」の方にはジョン・トーマスというミュージシャンがハモンドで参加しています。ライ・クーダーのかつてのサントラと同じタイトルをもつ「Blue City」の方は、マイナー・キーの落ち着いたナンバー。本人による渋いバッキングのエレキ・ギターの上にライ・クーダーによるアーシーなエレクトリック・ボトルネックがかぶります。間奏、エンディングとたっぷりライのギターを楽しむことができます。曲調や歌は黒っぽくてちょっとお洒落なところもあるのですが、キーボードがいないことと、クーダーのギターのカラーのおかげでかなり泥臭い演奏です。ニューオーリンズがテーマの「On Mardi Gras Day」の方は、ラテンのリズムがかなり強調されたノリがいい曲。ルイ・コンテも複数の打楽器で活躍しております。こちらでもすべてのリード・ギターはライ・クーダーによるエレクトリック・ボトルネック。間奏からエンディングに至るまで大活躍です。久しぶりに『City Music』も聴きかえしてみました。曲調はやはり『City Music』の方がお洒落度が高いものの、声質があんまり変わっていないことに驚きです。彼の声って同じような資質をもつピーター・ゴールウェイにちょっと似ていますよね。おそらく現在の年齢はライ・クーダーとほぼ同じ65歳前後くらいかと思います。これをきっかけにアルバムもつくってほしいものです。

それにしてもライ・クーダー元気ですね。ニュー・アルバム『選挙特集』は8月下旬に発売ですが、彼の参加作はほかにもいくつかあり、いまから順次レビューしていくつもりです。

ライ・クーダーのバーバンク・サウンドへのかかわりを検証する

Tom-Northcott-blue-10
いやぁ、ノン・クレジットのギター・プレイの主を耳だけで聴き分けるってのは難しいですね。2005年12月の記事で、ここで取り上げたトム・ノースコットのアルバム『The Best of Tom Northcott』にあたかもライ・クーダーが参加しているかのような書き方になってしまっていましたが、先日ライノ・ハンドメイドから発売されたこのアルバムの拡大盤『Sunny Goodge Street - The Wanner Bros Recordings』のライナーを見ていると、自分がライのプレイだと思い込んでいた「Landscape Grown Cold」について、トム自身が「この曲はレニー(・ワロンカー)が選んだ曲のひとつで、リオン(・ラッセル)の自宅スタジオでレコーディングした。ジェームス・バートンがユニークなドブロのパートを弾いてくれた。」とコメントしているではありませんか。いや、ほんとにすいません。ちょっと聴いたらドブロの音だと気づくはずです。「ライに参加していてほしい」という強い思い入れが「思い込み」を誘発するのでしょう。初歩的なミスで申し訳ないです。そうやって聴いてみると、冒頭の「1941」のアクースティック・スライドもドブロに聴こえるし、やはりバートンのプレイなのでしょう。「Who Planted Thorns In Miss Alice's Garden」のイントロがライ・クーダーの『Johnny Handsome』のサントラにおさめられた「Cajun Metal」のリフに近似しているとは言え、このアルバムにライが参加していない可能性も出てきました。もっとも、カナダ人のトム・ノースコットは1967年4月に「Sunny Goodge Street」でアメリカ・デビューし、いわゆるバーバンク・サウンドの一翼を担い数枚のシングルを発表するものの売れず、このアルバムはそれらのコンピレーションの形でカナダのみで発売になったものですから、録音時期は66年から69年の間とバラけております。

ライ・クーダーといえば、日本ではバーバンク・サウンドの一員というイメージが強く、その成立時点からかかわっていたような印象があります。その理由として、ライ・クーダー自身がポール・リヴィア&ザ・レイダースのレコーディングでヴァン・ダイク・パークスと知り合い、彼がかかわったレコーディングに参加するようになったとの発言していることでしょう。そのころのレコーディングを振り返って「マンドリンやボトルネックギターもロックンロールスタイルで弾けるようにしました。他にギターがいれば、彼らのパートに割り込んではいけないし、彼らのやらないことをやらければいけない。つまり、ギターが3人いたら自分はマンドリンを弾くとか、皆がピックを使ったら指で弾くとか、とにかくまわりと違うことをやるのです。」とも言っています。

さらに、バーバンク第一弾と言われるモジョ・メンについて小西康陽氏によるレコードコレクターズ1987年1月号の対談の中での以下のような発言があります。「多分レニー・ワロンカーがプロデュースするようになってからのモジョ・メン名義のレコードでは彼らはボーカルとコーラスだけで、バックはヴァン・ダイク・パークスとかライ・クーダーがつくってると思うんだ。」

こうしたことから、1966年後半期には、オータム・レコードが倒産。ワーナー・ブラザーズに買収され、ティキスとヴェジタブルズからハーパーズ・ビザールが生まれ、モジョ・メンやボー・ブラメルズのサウンドも大きく様変わりする時点、すなわちバーバンク・サウンドが生み出された時点で、最初からライ・クーダーがかかわっている印象が強くなったわけですが、最近、一部ですが再発CDなどに当時は公表されていなかったミュージシャン・クレジットが掲載されるようになってきました。それを検証してみると、確実にライがバーバンクのスタッフとしてレコーディングに参加するのは、どうやら1969年まで下るようなんです。まず、1967年リリースのハーパーズ・ビザールのデビュー・アルバム。昨年NEW SOUNDSから再発された前身のティキス音源を多量に含む拡大判で、詳細なクレジットが公開されました。ドラムは全曲ハル・ブレイン、ベースはジョー・オズボーン、キャロル・ケイ、ライル・リッツほか、ギターはグレン・キャンベル、マイク・ディージー、アル・ケーシー、トミー・テデスコほか、キーボードはヴァン・ダイク・パークス、ラリー・ネクテル、マーク・メルヴォインといった面々でライの名前は出てきません。蛇足ですがアレンジャーのリオン・ラッセルも楽器は弾いてないみたいです。そして、同年リリースのボー・ブラメルズの『Triangle』。このバンドには、もともとロン・エリオットという優秀なギタリストがいるのですけど、ライノ・ハンドメイドから出た『Magic Hollow』というコンピレーションで全曲ではないもののクレジットが公開され、ギターに1曲だけジェームス・バートンが参加していて、ドラムの多くはジム・ゴードンが叩いていることがわかります。上記のトム・ノースコット、ハーパーズ・ビザール、ボー・ブラメルズいずれにもライは参加しておらず、1967年の時点でライ・クーダーがかかわっていた可能性の残されるものとしては、詳細なクレジットが不明なモジョ・メンだけというのが現状です。

上にも書きましたが、ライの名前が確実にバーバンク系のセッションでクレジットにあらわれるのは、ハーパーズ・ビザールの4枚目の冒頭曲「Soft Sounding Music」やボー・ブラメルズ解散後、サル・ヴァレンチノが最初に出したシングル「Aligator Man」、また同じくブラメルズのロン・エリオットのソロ・アルバム『Candlestickmaker』の出た1969年なんですね。エヴァリー・ブラザーズにしたってワロンカー・プロデュースの典型的バーバンク、1968年の『Roots』には参加していなくて、そのアルバムがリリースされた直後の同年12月のセッションにジャック・ニッチェがらみで参加しています。このセッションはお蔵入りしましたが、いわゆる「バーバンク・サウンド」の音ではありませんよね。もっとも、クレジットはないものの、1968年リリースのハーパーズ・ビザールの3枚目『Secret Life of Harpers Bizarre』には、ライ・クーダーが弾いているものと断定したくなるような、独特なアクースティック・ギター・プレイが収録されております。

その1968年の時点では、かつて日本盤ライナーに「ギターはライ・クーダーのような気がする」と書かれていたランディ・ニューマンのファースト・アルバム「Bet No One Ever Hurt This Bad」でのプレイはロン・エリオットであることがわかっています(1998年リリースのランディ・ニューマン・ボックスのクレジットから)し、バーバンク・スタッフに多くの謝辞があるロジャー・ニコルズ&スモール・サークル・オブ・フレンズの「Just Beyond Your Smile」のボトルネック・ギターも、同様にライ・クーダーの可能性が指摘されていましたが、メンバーのマレイ・マクリオードが弾いていることが明らかになっています。

上記のようなことを念頭に1967年頃のモジョ・メンの音を聴きかえしてみると、「Sit Down I Think I love You 」のスライドはドブロのように聴こえてきますし(これもジェームス・バートン?)、「Beside Me」のギターもライとは言い切れないかもしれない( マイク・ディージー? 2本入ってるから、もう1本はライじゃないんだろうか?)。でもやっぱり「Me About You」や「Make You At Home」のマンドリンはコード・ワークとかなんだかライっぼいんだけどなぁ….確信までは持てません。このように、ライがバーバンク・サウンドに深くかかわりはじめたのは、その成立当初ではなく、1968年以降である可能性が強いなぁ、なんて感じるようになってきました。本当のところは本人かヴァン・ダイクか、メンバーに聞くしかないんでしょうけどね。

ここで、1960年代のライ・クーダーの足跡を振り返ってみましょう。(2005年6月に、同様の記事を書いておりますが、勘違いなどが目立ちます。こちらの方に改訂することとします。)
1962年、ライ・クーダーはハイ・スクールの学生でしたが、その達者なギターの腕前でバメラ・ポーランドのバックでロスの著名なクラブ、アッシュ・グローヴのステージに上がっていました。同じ頃、一度アイドルとしてレコード・デビューしていたジャッキー・デシャノンの目にとまり、パメラと同じようにアクースティック・ライブでブルーズを歌う彼女の伴奏を務めます。そのジャッキーのレコーディングが、彼にとってプロフェッショルなはじめての仕事でした。クレジットはありませんが、1963年にリリースされた彼女のフォーク調のファースト・アルバム『Jackie DeShannon』では、ライがアクースティック・ギターで参加しているように思うのですが確認はとれていません。ライの発言では彼女はブルーズをレコーディングしたがっていて、ライが呼ばれたようですが、PPMやディランが大ヒット中のこの時期、その路線でつくられたアルバムにブルーズは収録されていません。もしかしたらコンピレーション『Breakin' it up n the BEATLES tour!』のボーナス・トラックに収録されている「Mean Old Frisco」で聴かれるアクーステイック・ギターのブルージーなプレイがライなのかもしれません。ここで注意しておかねばならないのは、初期のジャッキーのキャリアにアレンジャーとしてジャック・ニッチェがかかわっていることです。またまた「もしかしたら」になりますが、当時新進気鋭のプロデューサー兼アレンジャーだったニッチェの目に、早熟なギター少年ライ・クーダーの姿を印象づけたのは、早くもこの時期であった可能性があります。

さて、1964〜5年になると、ライはアッシュ・グローヴで東海岸からやってきたタジ・マハールに出会い意気投合。二人を中心にライジング・サンズを旗揚げします。彼らのライブ活動は注目を集め、コロンビアとの契約を勝ち取り、テリー・メルチャーのプロデュースのもと、1965年9月から翌年6月までアルバムのレコーディングを行いますが、結局アルバムは完成せずお蔵入りとなり、シングル1枚を発表しただけで、あえなく解散の憂き目を見ます。この頃、ライはスタジオ・ミュージシャンとしての仕事もはじめており、ポール・リヴィア&ザ・レイダースのレコーディングに参加しています。翌1967年のはじめには、キャプテン・ビーフハート&マジック・バンドに参加。ブッダからのデビュー・アルバムのレコーディングではサウンド面で中心的な役割を果たすものの、7月にはバンドを脱退します。上記のように初期バーバンク・サウンドが成立する時期は、まさにライのマジック・バンド時代にそのまま重なってしまいます。その後、らいはタジ・マハールのレコーディングに参加するなどセッション・ミュージシャンとしての活動を本格化させていきますが、問題は、果たしてこの時点でモジョ・メンのレコーディングに参加したか、どうかです。どこかで詳しいクレジットが出ないかなぁ。

1968年になるとジャック・ニッチェがらみのセッションが急増。モンキーズ、パット・ブーン、エヴァリー・ブラザーズといったポップス界の大物のレコーディングに呼ばれ、ライの個性的なギターやマンドリンが業界関係者に知られ、ニッチェ関係以外でもレッキング・クルーの面々に混じってマーク・リヴァインやジェントル・ソウルなどのセッションに顔を出すようになります。この年には、ニッチェの補佐としてニール・ヤングのデビュー・アルバムに収録された3曲でプロデュースも経験、そしてライの運命を大きく左右するマリアンヌ・フェイスフルとのレコーディングに参加したのも、ニッチェのブレインとしてでした。このセッションをきっかけにライは1969年4月、渡英しローリング・ストーンズの『Let It Bleed』のレコーディングに参加、有名な『ジャミング・ウィズ・エドワード事件』が勃発することになるのです。

60年代バーバンク・ポップスのサウンドは、プロデューサーのレニー・ワロンカーやヴァン・ダイク・パークス、ロン・エリオット、ランディ・ニューマンらのスタッフ・ミュージシャンやアレンジャーによって独特の色彩が与えられていますが、「音」そのものは、ママス&パパスあたりのダンヒル系のポップスやビーチ・ボーイズなどと同様リオン・ラッセルとかグレン・キャンベル、マイク・ディージー、ハル・ブレイン、ラリー・ネクテルらロサンゼルスの名うてのミュージシャン達がつくっているわけです。そうした百戦錬磨のミュージシャンの中に年若いライ・クーダーが本格的に入り込んでくるのは1968年頃のようなのです。その後の親交を考えると、上記の小西氏の発言のように、バーバンクの「音」をつくったメンバーの一人がライであってほしい…という気持ちは、私も同じなのですが、「すでに完成していたバーバンク・サウンドに、ライは後から参加して、少し個性的な彩りを添えた」というのが本当のところなんじゃないかなぁ、とつらつら考えております。(写真はトム・ノースコットのライノ・ハンドメイド盤『Sunny Goodge Street - The Wanner Bros Recordings』)

Ry Cooder New Songs

ry-cooder-guitar-vincent-valdez


ライ・クーダーという人は、今までずっとアルバム中心に活動してきたのですが、少し前からその兆候が変わってきました。まずはメディアの大きな変化。LP時代からCD時代になり、今やダウンロード中心の時代で、「お皿」がなくても音楽を楽しめるようになりました。発表する側も「アルバム」という形式にこだわらず、曲ができたら、それを配信することが可能になったし、買う側も気に入った曲だけ購入できるという聴き方もできるようなりました。自分のような世代は、今までずっとジャケットやライナー、インナー・スリーブ等も含めたパッケージとしてのLPやCDというメディアに対する愛着があり、なかなかこういう新しい時代には順応できないでいるのですが、ライさんの方は60歳を過ぎて、これまでの「アルバム単位」の活動と平行しつつ、ネットを活用した新しいコミュニケーションに大きく足を踏み入れたようです。

彼は近年、きわめて強い政治的オピニオンを持つ作品を多くリリースしていますが、ネット配信だと何か事件がおきると、即座に自身の意見をこめた作品を発表できるという利点があります。最初に彼がこの手法をとりいれたのは、2010年6月に「Quick Sand」を発表したときで、アリゾナ州で成立した移民法に強く抗議する内容でした。彼はこの曲ではじめてitune storeのみでのダウンロード販売という手法をとりいれました。

そして2011年8月末には、ひとにぎりの富裕層やイラク戦争を痛烈に批判した、現在の政治・経済に対するプロテスト中心のアルバム『Pull Up Some Dust And Sit Down』を発表。この作品は、CD、そしてLPという今までの手法でリリースされましたが、発表直後の9月17日、このアルバムの冒頭の曲「No Banker Left Behind」にまさに呼応するかのように、ニューヨークで「ウォール街を占拠せよ!」というデモがおこります。これは2008年のリーマン・ショック以来、アメリカで不況が続き、20代の若者の多くに職がないという状況に対する抗議行動で、大きなうねりは2月ほどで終息しましたが、2012年3月現在でも活動は続いていると伝えられています。

ライ・クーダーはこの動きに賛同して、すぐさま新曲「Wall Street Part of Town」を書き、11月15日にレコーディングして11月21日にはホームページに公開して無料でダウンロードできるようにしました。曲はノリノリのロック・ナンバーでエレキ・ギターのリズムがとっても気持ちよいです。おそらくドラムは息子のヨアヒムでしょう。間奏はボトルネックではなく、マンドリンがフューチャーされています。エレキ・ギターとマンドリンをこんな風にかけあわせるといのは、デビューの頃からのライ・クーダー独自のアイディアだと思いますが、それにしてもめちゃちゃかっこいいですよね。

http://www.nonesuch.com/journal/free-download-ry-cooder-new-song-wall-street-part-of-town-in-support-of-occupy-wall-street-2011-11-21

2012年はアメリカ大統領選挙の年です。ライ・クーダーの今までの言動を考慮すれば、彼が反共和党であることは容易に理解できると思いますが、2月には、その意思表明のような曲をホームページで公開しています。まずは、2月14日に公開されたのが「Going To Tampa」。今年8月にフロリダ州タンパで行われる共和党全国大会で、党の大統領候補者が最終決定されることをにらんでの曲。美しい副大統領候補として話題を集めたサラ・ペイリンや1988年の選挙で死刑制度が争点となったときに象徴的にとりあげられたウィリー・ホートンが歌い込まれています。この曲は「Wall Street Part of Town」とは対象的に『My Name Is Buddy』に収録されていてもおかしくないアクースティックでフォーク調のナンバー。本人のアクーステイック・ギターとマンドリン、そして自身でオーバーダビングしたであろうコーラスと、息子ヨアヒムと思しきブラシのドラムによるシンプルな楽曲です。この曲でもライの達者なマンドリン・ソロがフィチャーされているのですが、「Wall Street Part of Town」とはずいぶん雰囲気が違います。「Wall Street Part of Town」はダウンロードできたのに、こちらは聴くだけで、落とすことはできません。

http://www.nonesuch.com/journal/hear-ry-cooders-new-song-going-to-tampa-premiered-via-the-new-yorker-2012-02-14

「Going To Tampa」公開の3日後の2月17日。続いて「The Mutt Romney Blues」を動画で発表します。こちらは共和党の大統領候補として有力視されているマット・ロムニーが、30年ほど前に起こした事件について歌っています。その内容とは、車に愛犬を入れるスベースがなかったため、車の屋根にケージごと犬をくくりつけ、ボストンからカナダのオンタリオ州まで数日をかけて旅行し、動物虐待と批判されていることを揶揄している内容。1分40秒ほどの短いブルースですが、ロムニーのインタビュー映像や「再現アニメーション」があったり、ライ自身が犬になって歌っているようです。これ、まさにネガティブ・キャンペーンですね。そんなわけで、じっくり楽曲として楽しみにくいものですが、ちらりと聴こえるアクースティック・ギターは、さすがライ・クーダー。キラリと光るものがありますね。

http://www.nonesuch.com/journal/watch-ry-cooder-sings-mutt-romney-blues-2012-02-17

そんなわけで、昨年8月にアルバムを発表したあとも、非常にアクティブなライ・クーダーさんです。先日御年65歳の誕生日を迎えられましたが、こういう新曲を抱えて再び来日してほしいものです。そうそう、そのアルバム『Pull Up Some Dust And Sit Down』は、今年のグラミー賞アメリカーナ部門にノミネートされておりましたが、惜しくも受賞はリボン・ヘルムに奪われてしまいました。しかし、現在「ソングラインズ音楽賞」のベスト・アーティストにノミネートされているようで、こちらの動きも気になるところですね。

Ry Session 119 Grandpa Banana / Even Grandpas Get The Blues

grandpabanana
みなさん、すいません。ずいぶんご無沙汰しております。お元気ですか。このブログ、4月もお休みしてしまいましたが、わたくし、元気です。11月、12月はそうでもなかったのですが、年明けからめちゃめちゃ仕事が忙しくなり、書きたいネタがあっても更新する気力がありませんでした。どうもすみません。仕事ではなんとか長いトンネルを抜け出しました。冒頭にも書いているように、無理せずマイペースでぼちぼち復活するつもりですので、よろしくお願いします。

さて、復活最初の記事は、久々のライ・クーダー参加作です。ライさん、最近自身の活動が充実しておりまして、他人の作品への参加は減っておるようですが、グランパ・バナナさんのアルバムに参加です。この方本名ローウェル・リヴィンガー、1946年生まれというから、ライさんと同世代。「Get Together」のヒットで有名な、あのヤングブラッズのオリジナル・メンバーだった方です。1972年にヤングブラッズが活動を停止したあとは、ミミ・ファリーニャやノートン・バッファロー、スティーブ・キモックといったフォーク・カントリー系の人たちのバックミュージシャンをしていたようです。グランパ・バナナ名義、ソロ・アーティストとしての活動はでは2009年頃からのようで、このCDが3枚目です。 ヤングブラッズのジェシ・コリン・ヤングとジェリー・コービットは大好きなのですが、この方はノーチェックでした。

グランパというだけあって髭も髪も真っ白。大きなお鼻から「バナナ」の愛称があるのでしょうか、外見から想像される野太い声ではなく、わりと軽めの声ですが、年齢からかいい具合にしわがれております。このアルバムタイトルどおりブルージーな曲が多いですが、曲にあったいい声です。ブルースが中心ですが、アクースティック・ミュージックにこだわっているようで、ツアー・バンドのメンバーとしてウッド・ベースとマンドリンを従えており、このアルバムも全編でアクースティックな風合いでつくられております。グランパさん自身もリゾネーター・ギターのボトルネックを得意としているようで、普通のアクースティックと共に彼のギターテクを楽しめるアルバムになっております。そんなわけで、ライ・クーダーは彼にとっては業界の後輩であり、年下ながら「あこがれ」のミュージシャンだったのでしょうか。アルバムの冒頭にゲストで招いています。

冒頭の1曲目「Married To The Blues」にライ・クーダーが参加。二人のボトルネック共演です。グランパはリゾネーター、ライはエリクトリックでございます。「俺はすでにブルーズと結婚している。」というこの曲を書いたジョー・ニューさんはオレゴン州の白人シンガー・ソングライターみたいですが、なかなかいいブルーズですね。グランパのボトルネック・リフで曲が幕開け。サビあたりからライのギターが絡んできて、間奏ではフル・コーラスまるまるライのソロです。これが、もう余裕たっぷりですね。別に騒ぎ立てるほどの演奏ではないでしょうけど、近年の彼の充実ぶりが反映されているかのごとく、かめばかむほど味が出るプレイです。

ほかの収録曲も興味深いものが多いです。ジョン・ハイアットの「Riding With The King」は、原曲よりややテンポを上げアクースティックでカバーしているので、かなり軽めの仕上がりですが、こういうアレンジも面白いですね。それからジェリー・ガルシアが取り上げた、ドン・ニックスとダン・ペン共作の望郷ソング「Like A Road」。これ大好きなんですが、サックスがフューチャーされていて、けっこう素敵な仕上がりです。あとカントリー・タッチでシンプルなマイケル・ハーレーの「Blue Driver」もグッド。タジ・マハールのレパートリーとしても有名な「Corrina Corrina」もマンドリンをフューチャーしたリフが効いていてナイスなアレンジです。唯一の自作曲。「Just Can't Quit The Blues」は「Married To The Blues」と呼応してブルーズへの愛情を歌い上げているかのよう。この曲での本人のアクースティック・ギター・ソロ、めちゃかっこいいですよ。

そんなわけで、60代に突入してからソロ活動に目覚めたグランパ・バナナさんの新作。なかなか気に入っておりますです。

The Beau Brummels / Bradley's Barn (Expanded)

wqcp-1066
ライノ・ハンドメイドって、貴重な発掘音源をたくさんつけてアルバムを再発してくれるレーベルとして有名ですが、今まで不明だった参加ミュージシャンのクレジットを公開してくることもありますね。そのあたりも大変重宝しております。今回取り上げるのは7・8月に長くブログをお休みしている間に入手したこのアルバム、ボー・ブラメルズが1968年に発表し、彼らのラスト・アルバムとなった『Bradley's Barn』の拡大版です。まずは、昨年シングルで入手していたサル・ヴァレンチノのソロ作「Silkie」と「A Song For Rochelle」が収録されています。ライ・クーダーがなかなかよいギターを弾いておりますが、昨年にレビューしておりますので、ここでは割愛です。それから、ワーナーのサンプラー・アルバム『Song Book』にも収録されていた、やはりサル・ヴァレンチノのソロ作「Alligator Man」も収録されています。こちらも2005年9月の記事で、アクースティック・ボトルネック・ギターがライ・クーダーではないかと推測しておりましたが予想どおりでした。プロデュースがレニー・ワロンカーとヴァン・ダイクというとこまではわかっていましたが、ギターはライ・クーダーとロン・エリオット、ドン・ベックがマンドリン、カービィ・ジョンスンとヴァン・ダイクがキーボード、マイク・ボッツがドラム、トミー・モーガンがハーモニカ、このほかにもサックス、ハープなどなどの面々で録音された典型的バーバンク・サウンドのドリーミーな作品になっております。こういう貴重な音源がCD化されるというのはなかなか意義深いことだと思いますよ。

ボー・ブラメルズについては、かなり前に『Magic Hollow』なる4枚組が同じライノ・ハンドメイドから出ていまして、未発表曲も満載だし彼らのキャリアの全貌がわかる上に、アルバム・アウトテイクもたくさんついていて、バーバンク・サウンドをこよなく愛する自分のような輩にとってはとっても嬉しい内容でした。したがって今回の2枚組とは少々ダブる曲もあるのです。でも『Bradley's Barn』はもともとロサンゼルスのスタジオで録音さされていたのが、バーズの『Sweetheart Of Rodeo』あたりに触発され、ナッシュビル録音を敢行。現在のような形になったので、もともとロサンゼルスで録られていたアウトテイクなどがまだ残されており、上記のようなサル・ヴァレンチノのソロ作まで含めて、今回のコンピレーションが世に出ることになりました。バーバンク・ミュージックのファンとしては嬉しい限りです。

このアルバムについて、かつてどなたかが「70年代のロック・アルバムのサウンドを先取りしたしたかのような音」みたいな表現を雑誌上に書かれていたことがあると思いますが、まさにそのとおり。70年代前半を席巻したカントリー・ロック調のサウンドがかなり洗練された形で収録されており、その意味ではヴァン・ダイク色がとっても強かった前作『Triangle』とは大きな方向転換です。このアルバム、学生時代にエドセルからの再発LPを入手し愛聴していましたが、こういう形での復活は大歓迎です。聴いていると、ナッシュビルの連中の骨太ながら、センスのいい演奏にささえられ、ヴァレンチノもエリオットも存分に力を発揮しているように思うのです。でも時代を先取りしすぎていたのかなぁ。商業的にはこれも失敗作に終わりました。クレジットをながめていると、オリジナル・アルバムでも最後に収録されたランディ・ニューマンの「Bless You California」だけは、ロサンゼルス録音だったことがわかります。もっともフロントの二人以外のサポート・ミュージシャンの名前はunknownで残念ですが…。エレキ・ギターがロン・エリオットでピアノはランディっぽいんだけど、バンジョーとか誰が弾いているのかなぁ? 1枚目ではハーパーズ・ビザールに提供した「I Love You Mama」のブラメルズ・バージョンが聴けるのも嬉しいです。こちらでのエリオットのギターも秀逸です。もう一曲、今回はじめて日の目をみた「Just A Little Bit Of Lovin'」と「Black Crow」のデモも簡潔なアレンジながら、なかなかの完成度を示しています。

2枚目の方は全曲レアトラック集。冒頭の「Deep Water」の別バージョンはすでに『Magic Hollow』で公開されていたものですが、ロサンゼルス録音、ジム・ゴードンがドラムを叩くタイトな演奏です。今回日の目を見た中で耳をひくのはディランの「I' ll Be Your Baby Tonight」と同時期にザ・バンドもとりあげた「Long Black Veil」が入っていること。前者はブラメルズの二人にジム・ゴードンのドラム、レッド・カレンダーのウッド・ベースだけの簡潔な演奏ですが実に味わいがあります。後者はアコギ2本によるフォーク調のアレンジでザ・バンドのものよりずいぶんおだやかな印象を受けます。8曲目収録されているライオネル・リーヴス&ステラ・パーカー名義の「42nd Street」もとってもいい感じの曲。女性ボーカルも入った懐かしいフォークの香りがしますが、ドラムスがハル・ブレインにランディ・ニューマンのピアノも入って、サウンド的には当時の最先端のものなのです。

12曲目から18曲目までは、ブラメルズ解散後のヴァレンチノの試行錯誤を記録したもの。「A Little At Time」と「Home of The Blues」はジョニー・キャッシュのナンバーですが、ヴァレンチノは自己のハイトーンを生かして料理しています。後者は特に胸に沁みますねぇ。「Down In The Flood」も言わずと知れたディランのナンバーで多くの人にカバーされていますが、もちろんこの時期には未発表。『Basement Tapes』が関係者のみに配られたアセテート盤の段階のものを彼も入手しカバーを試みているわけですが、よくあるブルース・ロック調でなく、ランディ・ニューマンとエレピとロン・エリオットのエレキを軸に少しばかりフシギチックなブルーズに仕上がっています。というわけで、ちょっと地味ですが個人的には評価したいライノ・ハンドメイドの今年の仕事の一つを紹介しました。

この盤、ワーナー・ミュージック・ダイレクトから解説の日本語対訳つきのが出ておりますが、日本盤は出ないだろうとたかをくくり高い送料を負担して先に外盤を入手してしまいました。日本発売待てばよかった…と思ったのですが後の祭りです。限定版なのでなくなったら買えなくなるし、安くて対訳のついた日本盤が後で出たら悔しいし、こういうセットを買う時はなかなか悩ましいですね。

Ry Cooder / Pull Up Some Dust And Sit Down

cooderpullup
すいません。長らくブログを書く気が起きず、気がついたら2月近くもほったらかしにしておりました。こういうことは過去に2度ほどあったのですが、今回が一番長かったんじゃないかな。年齢を重ねるとともに気力が減退していくことはいたしかたないことでしょうけど、やはり、このブログ、一回一回の記事を短くしても続けていこうと思っています。

さて、この二月あまりの間にジョン・ハイアット、ライ・クーダー、ニック・ロウと、かつてのリトル・ヴィレッジの面々が相次いで新譜を出しております。一番最初に発売になっているのはジョン・ハイアットですが、DVD付の盤を6月終わり頃に注文しているにもかかわらず、まだ届きません。届いたらレビューしたいと思います。そういうわけで、3年ぶり、待望のライ・クーダーのアルバムが先に届きました。ご存知のとおり、彼は1980年代から映画音楽家としての活躍が目覚ましく、90年代にかけて多数のサントラを残しています。一方90年代後半にはキューバのブエナ・ヴィスタ・ソシアル・クラブのプロジェクトに大きくかかわってきました。多くのゲストが参加し歌っている「a record by Ry Cooder」と記された2005年の『Chavez Ravine』を彼の「ソロ」に含めるのかどうかは議論が分かれそうなところですが、それを含めて通算15枚目となる本作。御歳64歳の作品であります。

ライさん、その『Chavez Ravine』から、ウッディ・ガスリーの時代へと先祖帰りしたかのような2007年の『My Name Is Buddy』へと、ますます枯れた味わいを深めていったような気配があったのですが、2008年の『I Flathead』では、ひさびさに豪快なロックがよみがえり、その勢いを保ったまま2009年、息子のヨアヒムを引き連れニック・ロウとのトリオ編成で来日公演。1曲を除いて立ったままプレイするという元気な姿を見せてくれました。今回の新作でも、その勢いは続いています。もっとも、全14曲約62分の大作。同時に発売されるアナログLPは2枚組。今までの彼のキャリアの集大成のおもむきすら感じさせる充実した内容です。もちろんセルフ・プロデュース。しかも前作に続いてほとんど全曲が自作曲です。

収録されている14曲はいくつかのタイプに分けられます。まず、ライ・クーダーらしい美しいバラード。は#4 Dirty Chateau、 #12 Simple Tools、#14 No Hard Feelingの3曲。そしてゲストのフラーコ・ヒメネスのアコーディオンが入るテックス・メックス・タイプが、#2 El Corrido de Jesse James、#6 Christmas Time This Year、#11 Dreamerの3曲。ロック的なアレンジが#3 Quick Sand、#5 Humpty Dumpty World、#8 Lord Tell My Why、#9 I Want My Crown、#13 If There's a Godの5曲。残る3曲は冒頭のNo Banker Left Behindが『My Name Is Buddy』を思いおこさせるフォーク調。#7 Baby Joined the Armyが、近作でよく聞かれるようになったゆるい語り調。#10 John Lee Hooker for Presidentは、その曲名のとおり初期のジョン・リーを彷彿とさせるギター1本のトーキング・ブルーズとなっています。

このアルバムの幕開けのナンバー。「No Banker Left Behind」は、金融危機をテーマにしたウッディ・ガスリー調のナンバー。このメロディとこのテーマで、どうしたって、彼の初期のテーマ、大恐慌時代のことを思い起こさずにはいられません。そしてこれは数年前のリーマン・ショック、そしてまさに現在進行形のアメリカのデフォルト問題を予見するような内容。ひるがえれば資本主義の矛盾を鋭くついた曲とも言えるでしょう。2009年の来日の際もアメリカの不況のことを語りながら「How Can A Poor Man Stand Such Time And Live」を歌っていた姿を思いおこしました。70年代の彼は、1930年代の恐慌時代の歌を歌っていて、多くの人々が彼を「懐古趣味の人」とみなしていましたが、まさに、彼は40年も前から、21世紀にアメリカ資本主義が行き詰まることを予見していたかのようです。当時、彼はほとんどオリジナルを書かず、古いナンバーを独自の解釈で歌っていましたが、打って変わって、近年急激に自作曲を多く発表しはじめています。まさに、かつて恐慌時代のナンバーに代弁させていた「自己の思い」を自らの言葉で語らねばならない時代になったということでしょうか。この曲でライはマンドラを持ち出し、トレモロ奏法を用いてオールド・タイミーな雰囲気を醸し出し、息子のヨアヒムもスネア・ロールでそれに応えています。

続く「El Corrido de Jesse James」はうってかわってテックス・メックス調のワルツ。フラーコのアコーディオンがとっても心地よいナンバーです。この曲も彼の作品に繰り返し表れるアウトローの英雄、ジェシー・ジェイムスをテーマとしていますが、銀行やウォール街が歌い込まれており、何やら「No Banker Left Behind」と呼応しているように感じられます。間奏では分厚いホーンセクションが登場。今までのテックス・メックスとは少々おもむきを異にしています。3曲目に「Quick Sand」が収録されています。この曲は、昨年6月にitunesのダウンロードのみで発売され、このブログでも翌7月7日に取り上げているので、詳しくは述べません。ただ、その時と同じライとヨアヒム二人による多重録音ですが、全くバージョンが違います。今作に収録されたものの方が、結構明るいアレンジになっており、冒頭の導入部もありません。

4曲目「Dirty Chateau」は特に美しいバラードです。しかし「汚れた館」というタイトルから、やはり資本主義の矛盾を浮かび上がらせた曲のように思われます。曲が美しいのは、ライのボトルネックのサウンドはもちろんですが、前作やチーフタンズとの『San Patricio』にも参加していたジーザス・ガルマンらのストリングスと、息子ヨアヒムの嫁、ジュリエットによるハーモニーが入っているという要素も大きいでしょう。ただクレジットにないピアノが入っています。これを弾いているのは、ジュリエットでしょうか、ヨアヒムでしょうか、はたまたエンジニアのマーティン・プラウドラーでしょうか。

5曲目の「Humpty Dumpty World」をロック的なナンバーに分類しましたが、演奏は少々レゲエがかっています。メロディはとってもシンプルで、むしろ冒頭の「No Banker Left Behind」の仲間でフォーク調の曲とした方がいいのかもしれませんが、ナチュラル・ディストーションのかかったエレキの演奏を聴いていると、やはり、「ロック」だなぁと感じいった次第です。この曲にも少しばかりマンドラとマリンバも入っていますが、これらはライによる多重録音です。この曲もハンプティ・ダンプティの童謡にあるように、塀の上からおっこちたら、王様も家来も元に戻せないという資本主義社会の危うさをテーマにしているように感じられます。

6曲目の「Christmas Time This Year」と7曲目「Baby Joined the Army」は、広義の反戦歌です。「Christmas Time This Year」はフラーコのアコーディオンがフューチャーされた明るいメロディとは裏腹に、クリスマスに戦争から帰省した子供達がテーマ。再びに戦場に戻り、ジョニーは足を失い、ビリーは顔を失い、トミーは心を失ったようだと歌われる強烈な内容となっています。続く7曲目は戦場に娘を送り出す父の心情を歌った曲。ベトナム戦争の時、ライは兵士達と同世代でしたが、今や兵士の父の世代となったのだなぁと感じます。こちらの曲はすでに2005年書かれており、このアルバムにもコーラスで参加しているテリー・エヴァンズの『Fire In The Feeling』に収録されています。こちらのバージョンにはライは参加せず、代わりに盟友のデヴィッド・リンドレーがエレキ・ギターとラップスティールをダビングして美しいサウンドをつくっていましたが、ここに収録された本人のセルフ・カバー・バージョンは、フリーテンポの弾き語り。ライがエレキ・ギターをつま弾きながら語るやや不気味なアレンジになっています。後半では空間的なギターもオーバーダビングされ、主人公のやるせない気持ちが、より強く伝わってくるのです。

8曲目「Lord Tell Me Why」は、アルバムで唯一の共作曲。その相手はジム・ケルトナーで、この曲のみ参加。逆にヨアヒムは参加していません。このリズム・アレンジ、まさにケルトナー独特のサウンドです。この盤の中ではもっともR&B色の濃いナンバーで、テリー・エヴァンズ、ウィリー・グリーン、アーノルド・マッカラーの男声ゴスペル・コーラス隊も最も活躍しています。この曲も神に「なぜ?」と問いかける形のプロテスト・ナンバーと考えて間違えないでしょう。9曲目、ボトルネック・ギターで幕をあける「I Want My Crown」はストレートなロック・ナンバー。前作の「Ridin' With the Blues」の系譜をひく豪快なサウンド。ボトルネックのオブリガードや隠し味的なホーンも入り、ゴスペル・コーラス隊も活躍します。

10曲目は一転して渋いブルーズになります。曲は「John Lee Hooker for President」。こういうタイプのトーキング・ブルーズはライの作風にはかつてありませんでしたが、以前はどんな曲にも彼一流の「ヒネリ」を加えてきたけれども、近年は年の功か、余裕が出てまるで敬愛するミュージシャンのコピーのようなサウンドもたまに出てきますね。もちろんこの曲はジョン・リー・スタイル。また『My Name Is Buddy』では「Hank Williams」、『I, Flathead』では「Johnny Cash」、そして今作ではJohn Lee Hookerと、ミュージシャンをタイトルにしたナンバーを続けて創作し、彼らに対するリスペクトを表現しています。

11曲目はテックス・メックスのボレロ。なんだかこの曲のボーカルだけとっても上手く感じてしまうのは、発声がちょっと違うからでしょうか。この曲も美しいサウンドですが、リズム・ギターは基本的にバホ・セスト。これに空間的なボトルネックや隠し味的なエレキを加えてライならではのサウンドに仕上がっています。エンディングではアコーディオンとアルト・サックスがユニゾン。テックス・メックスの王道サウンドとなります。12曲目も美しいバラードが続きます。この曲ではアクースティック・ギターが間奏の主役。エレキとマリンバが隠し味となっています。ジュリエットもコーラスで参加していますが、「Dirty Chateau」ほど目立ってはいません。

13曲目に再びロック・ナンバーの「If There's A God」が登場。ちょっとコミカルな味わいもあるのですけど、かっこいいサウンドですね。刻まれていたリズムが止まり、空間的なサウンドだけをバックに3番のヴァース部分全体をライが歌い上げるところなんてとっても素敵です。エンディングあたりで低音のホーンが聴こえてくるのですが、クレジットはありません。あとライはマンドリンをオーバー・ダビングしているのですが、リズムに徹して使っているようです。

ラスト・ナンバーは「No Hard Feeling」。この曲も美しいバラードですが、冒頭の「No Banker Left Behind」と呼応してアルバムの核心をなすナンバーでしょう。この曲に登場する二人の登場人物のうちの一人は、街に豪邸を建て、さらにモハヴェ砂漠に刑務所を建て、若者を戦場に送り込む資本主義の権化のように描かれ、主人公は彼との決別を宣言します。けれど、主人公は「君は時間の砂の中に投じられる波紋のようなもの」とも、「君は時間の砂のなかでささやかれる、つぶやきのようなもの」とも言っています。さしずめ石川五右衛門の「浜の真砂はつきるとも、世に盗人の種はつきまじ」といったところでしょうか。一種の諦観がテーマなのですが、それでも主人公は前向きな気持ちを失っていません。悪感情や犯罪や悪業に対してNo!と宣言しているのです。この曲ではボトルネックは使わず、指弾きのエレキでサウンドの核を構成していますが、エンディングではクレジットにないオルガンのような響きも聴くことができます。

と、いうわけで充実の全14曲。今回も快心の作品です。今回はライ・クーダー・サウンドの集大成的なサウンドとなっています。まずは男声ゴスペル・コーラス隊が帰って来て、4曲で素敵な喉を聴かせてくれますし、フラーコのアコーディオンも3曲ですばらしい蛇腹さばきを聴かせています。彼のルーツであるフォークやブルーズの味わいも入っているし、派手なプレイは多くないですが、実に彼らしいボトルネックも随所で味わうことができます。多くの曲でライ自身の多重録音と息子のヨアヒムのドラムでサウンドをつくっていますが、ヨアヒムの義弟となるロバート・フランシスが3曲。レネ・カマチョが1曲でベースを弾いています。前々作、前作が自らの小説のサウンド・トラック的な様相でしたが、今作はプロテスト・ソングを中心にした辛口のつくり。もちろん前々作の労働運動を寓話化した『My Name Is Buddy』の路線も引き継いでいます。アメリカン・ロック界の至宝とも言えるサウンド・クリエーター、ライ・クーダー。彼の根っこの部分が幼い頃から親しんでいたフォーク・ソングやブルーズであり、常に労働者、メキシカン、黒人といった弱者の立場に立って音楽を作り続けてきたことが、今回の作品にも強く反映されているように感じます。ライ・クーダーの3年ぶりの新作。必聴ですよ。

Ry Cooder / Paris, Texas

paristexas
このアルバムは、ライ・クーダーの数ある映画音楽の中でも最高峰に位置する作品でしょう。ライ・クーダーのソロ作を含めても最高だという人もいるくらいです。映画がカンヌ国際映画祭でグランプリを受賞したというのもあるでしょうけれど、ライ・クーダーのボトルネック・ギター、デヴィッド・リンドレーの弦楽器、ジム・ディッキンソンのピアノというミニマムな編成で、登場人物の心理を余すところなく表現し映画音楽の常識を覆したエポックメイキングな作品に違いありません。そういう意味では語り尽くされた観のある一枚ですが、自分なりに感想を綴っていくことにしたいと思います。

この映画音楽に使われている主題はたった二曲。ブラインド・ウィリー・ジョンソンの「Dark Was The Night」と、古いメキシコ民謡の「Cancion Mixteca」の二曲。アルバム大半の曲が前者の変奏曲で、ライ・クーダーのボトルネック・ギターが主役。不安、緊張、期待そして絶望といった心理、そして心の闇を見事に表現しています。「Cancion Mixteca」の方は心温まる回想シーン、そして決定的なクライマックスに用いられています。

ライはインタビューでこの映画に使ったギターは、ニュー・メキシコ州の日干し煉瓦の民家の地下室でみつけた、ハーモニー製の古いオール・マホガニーのギターだと語っていた記憶があります。状態はよくなかったけどすごい音がしたので持ち主から借りてレコーディングに使うことにしたようです。裏ジャケットの写真がライが抱えているのがそのギターでしょう。リヴァーヴなどの処理はされていますけれども、ギターの音色そのものも深く美しいですね。一方、リンドレーさんが裏ジャケでかかえている楽器、当時は見当もつきませんでした。バンジョーにしてはネックも細すぎるし、ヘッドもボディもおかしいし、この楽器がトルコのジュンブシュという楽器と知り、リンドレーさん本人の演奏を目にするのは10年以上後のことでした。あと「She's Leaving The Bank」の後半、重要なリズム楽器として用いられるマンドリンを弾いているのもリンドレーさんでしょう。今は亡きジム・ディッキンソンは、裏ジャケでガムテープのようなものをピアノの鍵盤の上に転がしています。ピアノ本来の音でなく、効果音的に用いようとする試みなのでしょうか。もちろん「Cancion Mixteca」では彼本来の美しいピアノを聴くことができます。また、このサントラのレコーディングは、ハリウッドのオーシャン・ウェイ・スタジオで録音されましたが、エンジニアのアレン・サイズはライの意図をくみとりギターの間近、70cm、1.5mくらいと三カ所に2本づつのマイクを置いて厚みのある音づくりを模索したといいます。ライとアレンは『Southern Comfort』以降、深い信頼関係を結びこのスタジオでさまざまな映画音楽を録音しています。

冒頭のナンバー、タイトル・トラックの「Paris, Texas」は、なんだか揺れているようなドローン音、不気味な教会の鐘のような音ではじまります。ドローン音はリンドレーがジュンブシュをボウイングしている音だと思います。鐘のような音もリンドレーが何かゴングのような打楽器を振っているのでしょうか、それともデッキンソンがピアノに何らかの細工をしてこの音を出しているのでしょうか。ピアノ線を直接はじいているのかも知れません。この不思議なサウンドに、ライ・クーダーのボトルネック・ギターが切れ込んできます。このバックグラウンドの音があるのとないのとでは、効果は全く違います。実際、映画ではライのギターとともに「Paris, Texas」のタイトルが表示されますが、それまでメイン・キャストの表示などの背後に流れるドローン音の効果は絶大です。クーダーさんのギターばかりが取りざたされるこのアルバムですが、リンドレーさんとデッキンソンさんの役割、けして小さくはありません。また、この三人の信頼関係こそが、このような素晴らしい映画音楽を生んだ大きな要因のように感じられるのです。曲はライのペンになっていますが、「Dark Was The Night」のフレーズが使われる変奏曲。この曲を昔から愛していて、ボトルネック・ギターのオーソリティである彼だからこそできる見事なアレンジです。この曲をバックに美しいテキサスの山並みが映され、砂漠を歩く主人公トラヴィスが登場。死の不安に直面しつつも行くあてなくさまよう男の心理をみごとに描ききった演奏です。中盤からはデッキンソンのハーモニウムも顔を出します。

2曲目のタイトルは「Brothers」。映画のサントラでは曲名が映画のシーンを表していることがよくありますが、このアルバムでもその法則が当てはまります。4年間も行方不明だったトラヴィスが見つかり、ウォルトがロスからテキサスに飛ぶシーンでこの曲が使われます。ウォルトの不安はここでも「Dark Was The Night」のフレーズで表現されます。この曲は最初ライの指弾きのギターで始まりますが、途中でボトルネックと入れ替わります。そのあたりからデッキンソンのハーモニウムと、前曲で使われた鐘のような音色も聴こえます。タブラのようなパーカッションも入っていますが、これはリンドレーが演奏しているのでしょう。心に沁み入る演奏です。

3曲目「Nothing Out There」は、トラヴィスとウォルトが車でテキサスからロスへと旅をする途中にもトラヴィスが行方をくらまそうするシーンで使われるナンバー。低音弦から始まるライのボトルネック・ギターが冴える曲ですが、例の鐘のような打楽器が効果音として使われて不気味な雰囲気を盛り上げています。

4曲目「Cancion Mixteca」の登場です。なんという美しいワルツなんでしょう。ギターは最低2本、バッキングはリンドレーが弾いているのかも知れません。そしてディキンソンのやさしく語りかけてくるようなピアノ。1コーラス、インストの演奏が続いたあと主演のハリー・ディーン・スタントンが切なく歌いはじめます。リード・ギターにはガットが用いられてる模様。後半うっすらと入っているアコーディオンはライ自身の多重録音でしょう。この曲、映画の冒頭トラヴィスが砂漠を横断したあと意識を失って倒れるうらぶれた店のシーンでBGMにうっすら流れてきます。映画がはじまって5分ほどで二つの主題が両方出てくるわけです。そして旅の途中、レストランでウォルトが息子のハンターの話題を持ち出すシーン、ハンターが学校に迎えに来たトラヴィスを無視して友達の車で帰宅するシーン、そして5年前のウォルトとアンがトラヴィス一家を訪ねたときの8ミリを流す重要なシーンで使われています。

5曲目「No Safety Zone」は、不気味なテンション・コードをアルペジオつま弾くギターと、弦上にボトルネックを滑らせる摩擦音、さらにかなり低音のスライドが聴こえてきます。ライさん、このころすでにFloor Slideを開発していたのか、それともベースにボトルネックをはわしているのか判断がつきかねるところです。そして、例の鐘のようなゴングもからんできます。タイトルどおりかなり不気味な演奏です。ハイウェイにかかる長い橋の真ん中で、気のふれた男が一人演説しているところをトラヴィスがとおりがかるシーンで使われます。彼は言います「呪われたモハベ砂漠にも、さらに遥かなバーストウにも、アリゾナに至るすべての谷間にも、安全地帯などどこにもない。安楽の地と信じたところには、安楽でないものが待っている」と。

6曲目「Houston In Two Seconds」は、旅するトラヴィスとハンターが、間もなくジェーンの住むヒューストンにつこうという期待と不安の入り混ざった気持ちを代弁するかのような曲。このアルバムにあっては希望の持てる明るい調子のボトルネックが響きますが、前曲と同じテンション・コードのギターも入って不安も表現されています。トラヴィスとハンターがジェーンを探しに行く旅の途中。トラックの荷台に乗ったハンターがトラヴィスにトランシーバーで語りかけるシーンに使われます。「光速ならカリフォルニアからヒューストンまで3秒くらいかな。」

7曲目「She's Leaving The Bank」は、ジェーンの乗った赤い車を追跡するシーンで使われる動的なナンバー。ライのボトルネックで始まりますが、インテンポからリンドレーのマンドリンが参加しリズムを強化します。ライは多重録音で普通のアクースティック・ギターとボトルネックを多重録音。うっすらとタブラなどのパーカションも聴こえてきます。トラヴィスが空港でパニックをおこし車でロスに帰るシーンのはじまりでも、少しばかりこの曲のテーマが流れます。

8曲目「On The Couch」はライのボトルネック・ギター1本だけで演奏される短いナンバー。やはり「Dark Was The Night」の変奏曲で、タイトル・トラックとかなり共通しフレーズを持つ曲です。ヒューストンのいかがわしい店で、トラヴィスが妻のジェーンを発見したあと車の中でハンターと会話するシーンの背後に流れます。このシーンではハンターの不安な気持ちを音楽が見事に代弁しています。その後トラヴィスはバーでやけ酒。夜が更け暗闇になったシーンでもこの曲が流れますが、トラヴィスが呑んでへべれけになったことに対するハンターの不安と、トラヴィス本人の途方に暮れた気持ちを余すところなく音楽が表現しています。

9曲目「I Know These People」は、映画の核心部分となるトラヴィスに扮するハリー・ディーン・スタントンのセリフです。ナスターシャ・キンスキー演じるジェーンに語りかけるシーンですが、最初はセリフのみ、後半から「Cancion Mixteca」のインストが実に効果的に入ってきます。

アルバムのラストは、ライ・クーダーにとって三度目のレコーディングとなる「Dark Was The Night」です。映画『Performance』のサントラ、自身のファースト・ソロ、そしてこの盤ですが十数年の歳月と経験が、ライのプレイをさらに陰影の深いものにしているよう。この曲も、リンドレーとデッキンソンのサポート無しで、ライのボトルネック・ギターだけが夜の闇に消えていくように絶望を表現しています。映画ではジェーンとハンターの再会を駐車場から見届けたトラヴィスが、人知れず姿を消すラストシーンでフルコーラスが使われています。

この映画のサントラ盤はリリースと同時に購入しましたが、映画の方は半年くらいたって低料金になってから京都の祇園会館という映画館で見ました。最初に見たとき映像の美しさに強い感銘を覚えたのを記憶しています。現在はDVDで所有しているからいつでも見れるけれども、こういういい映画はやっぱり大きなスクリーンで楽しみたいものです。ただ恋愛経験もほとんどなかった当時の自分には理解に苦しむ内容だったのか、第一印象は「やや冗長」、「どうしてグランプリなのかわからない」といった感想でした。今なら、子役も含めきわめて自然な役者の演技、カメラワーク、そして音楽とどこをとっても最高の映画だと思うのですけどね。唯一解せないのは、トラヴィスの声をジェーンがすぐに聞き分けられないことです。仕事柄たくさんの男の声を毎日聞いているとはいえ、4〜5年一緒に暮らした男の声は1分も話さないうちに分かるものでしょう。それとも、放浪のせいで声やしゃべり方まで変わってしまったという設定なのかなぁ。

ライはインタビューで、この映画音楽の制作は監督のヴィム・ヴェンダースの都合もあって、わずか4日間で仕上げなければならなかったと語っています。タイトル・トラックの「Paris, Texas」の録音にかけた時間はわずか45分。映画史上に残る革新的なサントラの制作がそれほどの短期間で仕上げられたとは、ちょっと驚きです。もっとも『Buena Vista Social Club』にいたっては、アーティスト探しから選曲、録音の終了までわずか一週間だったといいます。偶然でしょうが、期限をギリギリに切られたこの二つの仕事が結果的にライの知名度を大きく押し上げているなんて不思議な気がします。もっとも、この『Paris,Texas』に関してはテーマが明確だったからやりやすかったとライは語っていましたが。さらに「Dark Was The Night」を使いたいというのはヴィム・ヴェンダースのアイディアだったようです。ヴィムはライのバージョンはもちろんのこと、ブラインド・ウィリー・ジョンソンのオリジナルまでさかのぼってこの曲を聴いていて、撮影中からひとつのイメージを持っていたのでしょう。たしか、インタビューでライが完成させた音楽を聴いて、自分が夢想していたとおりの音楽で満足したという意味のことを語っていた記憶があります。

Ry Session 118 The Textones / Midnight Mission

textonesmission
ライ・クーダーの参加作を集めよう、とい気になったのはたしか高校3年のころ。アーロ・ガスリーの『The Last Of Brooklyn Cowboys』の日本盤を買ったことがきっかけだったと思います。この盤は10年くらい売れ残ってたみたいで、その頃廃盤だったと思いますが、自分が通っていたレコード屋の棚にありました。前にも書いたけど、この盤には小倉エージ氏による「バーバンク・サウンド」についての解説リーフがあり、その後の私の音盤収集傾向に大きな影響を受けました。

この盤はその翌年くらい、自分にとっておそらくはじめてリアル・タイムで買ったライ・クーダー参加盤だと思います。どうやってその情報を入手したのかは、今となっては思い出せませんが間違えなくライさんが参加していることが購入の動機です。このアルバム、日本盤も出ていて天辰保文氏による詳しいライナーが掲載されています。その文章でバンドのバック・グラウンドを知ることができました。カーラ・オルソンはテキサス州オースティン生まれ。あの音楽の都の出身なんですね。1977年にキャシー・ヴァレンタインとともにバイオレーターズというバンドをやっていたそうですが、後にカーラとキャシーはロサンゼルスに出てきてテクストーンズを結成。シングル盤をリリースするなどして徐々に活動を広げていました。しかし、1980年の末キャシーがゴーゴーズのベーシスト、マーゴットの後がまとしてメンバーに抜擢されたためテクストーンズを脱退。幾度かのメンバーチェンジを経て、ギター・ボーカルのカーラを一枚看板とし、他の男性メンバー4人(ギター、ベース、ドラムス、サックス)が彼女をサポートする形態となりました。また、彼女はピーター・ケイスとも親交があったり、ボブ・ディランのPVに出演したり(このPVで彼女はエレキ・ギター・ソロを弾いている役なんだそうですが、実はそのフレーズを実際に弾いているのはミック・テイラーなんだそうです。)、ドン・ヘンリーのアルバムにコーラスで参加するなど、ロサンゼルスのシーンで活躍していることも天辰氏のライナーで触れられています。

そうした経緯があったおかげで、このメジャー・デビュー盤には、ロック界の重要人物がかかわっているのでしょう。ライ・クーダーにしても、このころは映画音楽中心の生活を送っており、めったなことでは他のアーティストのレコーディング・セッションに参加することはなくなっていたけれど、こういう人脈を通じて参加することになったのでしょうね。ボブ・ディランも自身のアウトテイクをテクストーンズに提供していますが、ライも2年前の『Slide Area』で同様にディランの曲「I Need A Woman」を収録していました。アルバムのプロデュースを担当しているのは、バリー・ゴールドバーグとブラッド・ギルダーマン。バリーさんは、キーボード奏者としても著名で、あの「It's Not Spotlight」をジェリー・ゴーフィンと共作した人。マスル・ショールズで録音されたソロ作も名作の誉れが高いですね。ブラッドさんの方はトム・ペティやジョン・メレンキャンプのアルバムにエンジニアとして参加していた人で、このアルバムの音づくりの方向性がわかります。この方、後にマドンナ、ボーイズ・II・メン、ダイアナ・ロス、ベイビーフェイスなど、錚々たる顔ぶれのエンジニアを務めることになります。

カーラは、スレンダーでブロンドの長いストレート・ヘアー。少しばかりクリッシー・ハインドを思わせ、ギターをもったらさまになる風貌です。もちろんギターの腕もなかなかのもので、このアルバムでも切れ味のいいリード・ギターを聴かせてくれます。後年、ミック・テイラーとの共演盤も出していますが、歌だけでなくギターの腕前もあってのことでしょう。アルバムの内容は一言でいってルーツの匂いを感じさせるストレートなロック・サウンド。シングル・カットされた「Standing In The Line」などは、シンセサイザーを使ったりして、多少時代の音を感じさせますが、他の多くのナンバーはギター・オリエンテッドな統一感あるバンド・サウンドになっています。サックスがフィーチャーされる「Upstet Me」あたりには少しばかりブルース・スプリングティーンの影を感じたりするのですが、それとて彼女達のルーツへの愛情の現れと感じられます。

ライ・クーダーが演奏に参加しているのは2曲。いずれの曲でもエレクトリック・ボトルネック・ギターで参加しています。A面ラストの「Number One Is To Survive」は、ミディアム・スローのナンバーで、2コーラス目のオブリガードでカーラのボーカルをサポートしていますが、それほど目立った演奏をしているわけではありません。この曲ではカーラ自身が間奏でリード・ギターを弾いていて、ライは引き立て役といったところでしょうか。B面4曲目の「Clean Cut Kid」は、ボブ・ディランのナンバーで『Infidels』のアウトテイク。ディラン自身が「ストーンズ風の演奏がいいだろう。」とアドヴァイスしたとのことですが、まさにそんな感じのブルージーなホンキー・トンク調で、ライのボトルネックもソロもあって前者よりずっと目立っています。ただ、彼のギターだけを突出させて音を大きくしているわけでなく、ギター・アンサンブルの中にうまく溶け込ませているあたりのアレンジはさすが。バリー・ゴールドバーグのピアノもいい感じです。後にカーラはインタビューでこの時のセッションのことを振り返り、ライ・クーダーのことを「クレイジーな人」と表現していました。ギブソンの古いボロボロのアンプをもってきて、それでレコーディングしようとするんだけど、トラブルが続いてなかなかうまく録音できない。それでも、そのアンプを変えようとしなかったという意味のことを言っていたと記憶します。おそらく、「この音」と決めたら、どんなことがあっても貫き通そうとするライ一流のこだわりを感じさせるエピソードです。

このアルバムは、プロモーションと豪華な参加ミュージシャンという話題のおかげか1984年のビルボード・チャートで176位を記録、そこそこのヒットとなりました。テクストーンズは80年代の終わり頃まで、あと2枚のアルバムをリリースしますが、いずれもチャート入りせず、結局は解散してしまったようです。カーラ・オルソンは、このアルバムに参加した故ジーン・クラークとの共演盤を出したり、90年代にはミック・テイラーとの共演盤をリリースし、そちらの活動の方でよく知られています。
ギャラリー
  • Dan Penn & Spooner Oldham Live at Billboard Live Osaka
  • Dan Penn & Spooner Oldham Live at Billboard Live Osaka
  • David Lindley & El Rayo-X / Live at Winnipeg Folk Festival
  • Afro Cuban All Stars / A Toda Cuba le Gusta
  • Terry Talbot / Cradle of Love
  • Terry Evans / Come To The River

レシーブ二郎ライブ情報

Archives
Recent Comments
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

QRコード
QRコード
プロフィール

gentle_soul

  • ライブドアブログ