レシーブ二郎の音楽日記

レシーブ二郎の音楽ブログにようこそ。マイペースでぼつぼつ更新していきます。

Ry Cooder

Ry Session 65 Maria Muldaur / Maria Muldaur

08c95cf6.1973年は、ライ参加作には力作が多いです。
中でも白眉の一枚がこの、マリア・マルダーのソロ・デビュー作。

マリアは、東海岸の人。1960年代、ジョン・セバスチャン、ステファン・グロスマン、デヴィッド・グリスマン、スティーブ・カッツらを擁したイーヴン・ダズン・ジャグ・バンドに参加。ジョンと一緒に見に行ったジム・クェスキン・ジャグ・バンドのジェフ・マルダーに一目惚れ。マリアもジム・クェスキン・ジャグ・バンドに参加し、ジェフと結ばれます。バンド解散後は、夫婦のデュオ・アルバムを2枚発表。長じてシンガーになるジェニーという娘にも恵まれますが、72〜3年頃離婚。リプリーズ・レーベルから心機一転、ソロ・デビューを果たしたのがこのアルバム。制作はレニー・ワロンカーとジョー・ボイドが当たりました。広い意味ではバーバンク・サウンドに入りますね。

夫婦デュオの頃から彼女の歌には、大人の色香が漂っていましたが、ジャケットのとおり、ここでも、そのお色気路線は全開です。それをサポートするミュージシャンがまた、キラ星のごときスターばかり。出てくるサウンドも非常に多彩ですが、それでいて、統一感がとれている。ファーストにして彼女の最高傑作と断言できる逸品です。

まず、何といっても、冒頭の「Any Old Time」です。ジミー・ロジャースがブルー・ヨーデルをからめて歌った素朴なナンバーですが、これをライ・クーダーが自身のアルバムのように秀逸なギター・アレンジをほどこします。とにかくライらしい複雑なフィガリングで美しい響きのアコースティック・ギターがアレンジの基本。ライのギターだけをバックにマリアがファースト・ヴァースを歌いきると、サビから、ホーンやリズム隊がかさなり、にぎやかに盛り上げます。バンドの編成をみると、ベースにトミー・マックルーア、ドラムスにジム・ケルトナー、ピアノにジム・ディッキンソンと、ライの3作目『Boomer's Story』の基本メンバー(前年にはこのメンバーでタウンホールにおいてライブが披露されました)。それに、デヴィッド・リンドレーがハワイアン・ラップ・スティールで参加しています。ライとリンドレーは60年代、ともにアッシュ・グローヴなどコーヒー・ハウスの常連でしたから、多くの共演経験を持っているでしょうけど、公式なアルバム上での共演はおそらくこれが最初でしょう。間奏では、ライの鮮やかなアコースティック・ギターが主役ですが、リンドレーのサポートもなかなか乙なもの、とにかく、数多いライのノン・スライド生ギター・プレイの中でも、最上級に位置するものではないでしょうか。ライ・ファンには、マスト・アイテムです。

2曲目は、流れるようにモダンでジャジーな大ヒット曲「Midnight at the Oasis」。この曲においてのエイモス・ギャレットの活躍は語り尽くされた感がありますから、ここでは詳しく述べませんが、ほんとタメ息のでるほど美しいプレイ。ドラムのジム・ゴードンとベースのフリーボも好サポートです。

一転して、カントリー調べの「My Tennessee Moutain Home」では、クラレンス・ホワイト、デヴィッド・ニッチターンのギター、かつての僚友デヴィッド・グリスマンはマンドリンで参加。

このほかにも、ドクター・ジョンが参加してニュー・オーリンズ色が濃くなる「Don't You Feel My Leg」や「Three Dollar Bill」「Vaudeville Man」、典型的アコースティック・スィングの「Walkin' One&Only」では、達者なレイ・ブラウンのウッド・ベースにのって、リチャード・グリーンのフィドルが夜の闇を切り裂いていきます。また、スワンプの雄、ロン・デイヴィスが書いたゆったりした名曲「Long Hard Clmb」も秀逸。ここにあげなかった曲も一切捨て曲なし。発売当初は日本の著名な音楽評論家にこの盤を酷評する方がいらっしゃったようですが、30年以上たっても全く色あせていません。これぞ名盤の正しいあり方です。

Freddy Fender / The Hits & More

211bf740.フレディ・フェンダーさんが亡くなりました。
69歳。死因は肺ガン。うーん、若いなぁ。非常に残念です。

最近、仕事が忙しくて今朝は7時過ぎに出発。車に乗り込みラジオをつけたら、ピーター・バラカンさんのウィークエンド・サンシャインで「Wasted Days And Wasted Night」がかかってました。一瞬、いやな予感。当たってました。曲が終わると、バラカンさんが先週14日、フェンダーさんが亡くなったことを告げました。しばし、絶句。

テキサス・トーネードズは、ダグ・サームを失い、そして、フレディを失いました。結成がついこの間だったような気がしたのですが、世の無常を感じますね。チカーノとして、メキシコ国境に近いテキサス州サン・ベニートに生まれ、「Wasted Days And Wasted Night」でデビュー。ブレイク寸前に麻薬不法所持で服役するなど、不遇の時代を経て、75年「Before the Next Teardrop Fall」が大ヒットし、テックス・メックスのヒーローとなりました。

フレディさんと言えば、何と言っても、ライ・クーダーさんのサントラ『The Border』で、かの名曲「Across the Borderline」を歌ったことがまず思い出されます。フレディさんの名前を初めて知ったのも、このサントラでした。このサントラのレビューはいずれ詳しく書こうと思います。

彼の曲では、何と言っても「Before the Next Teardrop Fall」が大好きです。ライの「Across the Borderline」や「Go Home Girl」「Tattler」などと同種の香りが感じられます。ほかにも、マール・ハガードの「Silver Wings」や「Mathilda」など、名唱がいっぱい。その名のとおり、ロッキン・カントリーや三連のバラードも得意としてました。曲の一部をスペイン語で歌うパターンが多く、メキシカン・アメリカン圧倒的に支持されるだけのことはあります。日本での感覚に例えるとド演歌の世界なんでしょうけど、「いいものは、いい! 」のですよ。

彼のオリジナル・アルバムは91年にリプリーズから出た「COLLECTION」を持ってます。過去の名曲を再録音したものが中心で、「Vaya Con Dios」「Pledging My Love」とかいい曲がたくさん入ってますが、音色がいまひとつ気に入らず、さほど聴いていません。あと、日本盤ではかつてリプリーズから出た「涙のしずく」というコンピレーションをよく聴いたなぁ。ほんと、寄せ集めで音質もバラバラだけど、いいコンピでした。ライナー読みたいなぁ。Hくんに貸したまま返ってきません。今度返してね。75年盤のオリジナルの再発と勘違いして買ったSUNDOWNというレーベル(日没レーベルだな)の「Before the Next Teardrop Fall」というアルバムは、BBCラジオで放送されたライブが音源のよう。権利関係も怪しそうです。AMGなんかで調べると、そんな感じのコンピが山のようにあります。印税、ちゃんと渡ってないんだろうなぁ。もともとブルース・マンやメキシコ・ルーツの貧しいミュージシャンは一回の吹き込みがナンボの単発契約が大半だろうしなぁ。

そんなワケで、やっぱり権利関係が怪しそうな写真の超廉価版三枚組をよく聴いてます。42曲も入ってるし、代表曲は結構そろってるし、3枚目のライブでは、スティービーの「I Just Called.....」なんかも歌ってる。そんなベタな選曲がまた、フレディらしいです。しかし、この哀愁を帯びた歌声。唯一無二です。

どうぞ、安らかに。

Ry's Instrument3 Fender Stratocaster Prototype

7ae320bd.jpgライ・クーダーは多彩な弦楽器を操るマルチ・プレイヤーです。70年代のソロ・アルバムでも、ギター以外に、マンドラ、マンドセロ、ティプレ、アコーディオンなど、さまざまな楽器を演奏していますが、それは、例外的に使っている感じ。77年までの基本楽器といえば、今までに紹介した、マーティンのアコギ2本、Gibson F-4マンドリン。そして、今回紹介するFender Stratocasterプロトタイプ。この4本がメインだったと思われます。数少ない当時のライブ映像でも、この4本のうちのどれかを使っています。

ライのエレキ・ギターの音色って、69年頃から急にシャープになる感じがするんですよね。もちろん腕をあげたこともあるけど、このFenderを手に入れたのがこの時期じゃないかなぁと思うんですよ。Fender社が、Ryに自由に選んでいいって言ったらしくて、このプロトタイプを選んだらしいです。「私がはじめて手に入れたエレクトリック・ギターだ」そうですが、Rising Sonsの写真ではマーティンのエレキを持って写ってます。このころ、自己所有のエレキがなくて、借り物だったのかもしれません。

さて、このギターですが、色は薄いソニック・ブルーでマッチング・ヘッド。ネックにはFenderのギターには珍しくバインディングが施されています。ライは、このギターが貴重なプロトタイプとは知らなくて、改造を重ねますが、「この世に二本とない代物だ。オリジナルのままにしておけばよかったよ。」と後悔しています。1970年頃のライブ写真では、手元でリア・ピックアップが隠れて見えないのですが、セレクター・スイッチは、そのままです。それが、後にはリアにギブソンのP-90を搭載。ピックアップのスイッチは、それぞれを自由にON-OFFできるようにミニ・スイッチ3個に変えていました。

80年代前半までは、一番のお気に入りだったようで、レコーディングにライブに活躍していました。80年代後半になると、フロントにテスコ、リアにオアフのピックアップをつけて大幅に改造したストラトを愛用するようになり、88年の来日の時もプロトタイプは持ってきてなかったようです。79年のリンドレーと二人の時は持ってきてたのかな?

最近は、またまた大改造しているようです。もう3年も前になりますが、Warren Zevonのラスト・アルバムとなった『The Wind』のときの写真に写ってます(右)。当初のピックアップは全部取り外され、2ピックアップになりトレモロアームまでついてます。この写真に写ってるってことは『The Wind』のセッションで使ったのかもしれませんね。

Ry Session64 Billy Mernit / Special Delivery

db714d4a.jpgこのアルバムは1973年に発売された、ビリー・マーニットのソロ・アルバムです。数年前、名盤探検隊シリーズで日本でも発売されたのですが、自分はLPを持っているので買わなかったんですね。だからライナーの内容知らないんです。それで、今回レビューしようと思ってAMGで検索したら、一応紹介はあったんですが、バイオも何ものってないじゃないですか。わー、経歴も何もわからんぞ、と思ってたら、きよさんのadd some music to your dayという素敵なブログ(リンク欄にあり)に、1971年にBILLY & CHARLESとしてアルバム・デビューしていることがわかりました。当時なんと18歳。とうことは1953年生まれくらいになりますな。当時の相方、チャーリー・ドミニシは後にドリームシアターの初代ボーカリストになる人だそうで、このアルバムは二人のピアノとギターを中心にしたシンプルなものだそうです。ぜひ聴いてみたいなぁ。

さて、本作ですが、MFQやラヴィン・スプーンフルのメンバー、ジェリー・イエスターのプロデュース。トム・ウエイツの、あの名作『CLOSING TIME』をプロデュースした人です。トムの作品と同じく都会的なセンスが光りますが、こっちはいたって明るい内容。冒頭のタイトル曲。そして2曲目「Here Beside The Water」。この2曲はカフェ系のコンピレーションに似合うおしゃれなナンバー。ビリーのピアノの上手さが光り、後者ではエイモス・ギャレットのとろけるギターがよい隠し味になっています。

本作はソングライターとしての才能あふれるビリーのオリジナルが大半ですが、1曲だけのカバーはスモーキー・ロビンソンの「You’ve Really Got a Hold on Me」。ビートルズはじめ幾多のミュージシャンがカバーした名作ですが、ビリーのカバーもなかなかけだるくていいです。アルバムの雰囲気にマッチしてます。

A面ラストの「Mad Love」1曲のみにライ・クーダー参加。ブルージーな曲で、冒頭からライの切れ味の鋭いエレクトリック・ボトルネック・ギターが曲にからみつきます。後半はホーンなども登場し、ライのプレイに派手さはありませんが、十分ライらしさを発揮したセッションといえましょう。

アルバムはジェリーのプロデュース作らしいグッドタイム感覚で統一感がありますが、おしゃれで都会的な雰囲気も漂っています。これはビリーのソングライティングやピアノの資質によるものでしょう。ビリーの声はけして美声ではなく、少しくせがありますが、自分には味のあるいいボーカルだと感じられます。

ビリーのプレイからはクラシックの素養が感じられますが、「Mad Love」「I’m Open」「You’re Great When You Get Drunk, Honey」などを聴くと ランディ・ニューマンの曲を連想します。もしかしたら、ランディの影響を受けていて、ライをゲストに呼んだのかなぁ、なんて想像してしまいます。

ビリーは映画好きのようで、アルバムの裏ジャケットにはフィルムのコマ送りを模して、このアルバムをあたかも1本の映画作品のように扱っています。制作はジェリー・イエスター、監督はビリー自身とクレジットされています。アルバムラストの「You’re Great When You Get Drunk, Honey」などは古い映画音楽のよう。このあたりもまた、ランディ・ニューマン的だったりしますが。

基本的なバック・ミュージシャンは、ジョン・セイター、デヴィッド・ヴォート、ピーター・クリムズの3人。ドラムのジョン・セイターはスパンキー&アワ・ギャングおよび、ジェリー・イエスターが在籍したローズバッドメンバー、また、ベースのデヴィッド・ヴォートもローズバッドのメンバー。この二人のリズム隊で、アズティック・トゥー・ステップやマック・マクルーアのアルバムにも参加しています。また、セイターは、トム・ウエイツ、シーナー&コス、ピーター・ゴールウェイといったシンガー・ソング・ライターの名作でドラムを叩いています。ヴォートはロジャー・マッギンやスニーキー・ピートのアルバムに参加しています。ギターのピーター・クリムズはスタジオ・ミュージシャンのようで、やはりアズティック・トゥー・ステップのアルバムでバンジョーを弾いたりトム・ウエイツのアルバムに参加しており、近年はディレイニー・ブラムレットのアルバムに協力しています。彼らはジェリーのお気に入りミュージシャンだったんでしょうね。当時。

ほかにホーンや、ライ、エイモスなどゲストが参加していますが、冒頭の2曲に参加しているヴィック・フェルドマンのビブラホーンはとても心地よく、曲をおしゃれに演出しています。

ビリーは現在もミュージシャンや作曲家として活動していて、数は多くないですがCDも発売しています。それだけでなく、小説や音楽コンサルタント、映画音楽などもてがけるマルチな才人として活躍しているようです。

Ry Session63 Various Artists /「DOWN HOME」(Delta Experimental Projects Compilation, Volume 1, The Blues)

f93c9ca1.jpgこのアルバムは、NEW ROSE RECORDのレーベル、FAN CLUBから1988年にリリースされました。ジム・ディッキンソンによって録音され、編集されたアルバムであることは明記されていますが、年次については記述がありません。しかし、1977年に世を去ったスリーピー・ジョン・エステスの演奏が収録されていることから、それ以前の録音であることは確実です。

ライが録音に参加しているのは2曲。両者ともにスリーピー・ジョン・エステスが演奏に参加しています。スリーピーは、1900年頃、テネシー州の生まれ。幼い頃、野球ごっこをしていて右目を失明。16歳ごろから、農夫のかたわらミュージシャンとしての活動をはじめ、1929年、ビクターにレコーディング。1935年〜40年にはデッカでの録音も残しています。素朴なスタイルや哀切感ただようヴォーカルは、評判を呼びましたが、その後、消息不明状態に陥り、1962年に「再発見」された時には極貧状態で、左目も失明していました。エステスは、ライだけでなく、エリック・クラプトン、タジ・マハール、マイク・ブルームフィールドはじめ、多くのブルース・ロック系ミュージシャンに大きな影響を与えています。

1972年、ライのセカンド・アルバムのレコーディングにあたって、ワーナーのプロデューサー、レニー・ワロンカーは南部のピアノ弾きで、ディキシー・フライヤーズを率いていた、ジム・ディッキンソンを共同プロデューサーに抜擢します。ライは、スリーピーをたいへん気に入っており、ファースト・アルバムでも「Going to Brownsville」をとりあげていました。ジムにエステスが存命であることを教えられたライは、「スリーピー・ジョンに会いたい」と申し出るのです。スリーピー・ジョンの家を訪ねたライは、その様子を次ぎのように話しています。「スリーピージョンの家は、豆畑の真ん中にあった。窓にはガラスが一枚もないし、電気もなかった。あるものは、流しと冷蔵庫、電話といすとベッドだった。壁には穴があいていた。家と呼んでいいか、そういう代物だった。だけど、それがスリーピージョンの住まいだった。」

ライは、ハワイのギャビー・パヒヌイや、テキサスのフラーコ・ヒメネスにしても、そしてブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブでも行われたように、敬愛するミュージシャンのもとに出向いて、まず、一緒に演奏するというスタイルを、この時確立したのです。「僕は、彼の曲を知っていたし、マンドリンで弾くことができた。ディキンソンはピアノで同じ曲を弾くことができたし、これにスリーピー・ジョンの歌が加われば、昔の曲がそのまま再現できる。これは、ぞくぞくすることだった。」ライは、エステスのビクター録音時代からの相棒でマンドリン弾きのヤンク・レイチェルに多大な影響を受けており、ライ独自のブルース・マンドリン・スタイルはレイチェルのコピーから出発しています。

ライはメンフィスでのスリーピーとのセッションのうち、「President Kennedy」を『Boomer's Story』に収録します。この「DOWN HOME」に収録されたセッションは、同じ時の演奏と思われますが確証はありません。「Holly Sprit」は、スリーピーと、彼の長年の相棒でハーモニカのハミー・ニクソン、ボビー・レイ・ワトソン、リー・ベイカーに、ライとジムが参加する形で録音されています。ハミーはここでは、ハーモニカは吹かず、歌のみで参加。カントリー・ブルースマン数人の合唱はえもいわれぬ心地よさです。もう一曲、「Blind Man in the Tear Gas」は、スリーピー、ライ、ジムの演奏で、「President Kennedy」と同じスタイルです。いずれの曲もライのマンドリンはいい隠し味になっていますが、けしてでしゃばることなく、バックに徹しています。また、どちらも、充分なリハのない即興に近い演奏と思われます。テネシー州、コリアヴィルでの録音です。

以上2曲は、ライのソロ・アルバムには収録されませんでしたが、ステージでは取り上げられていました。「Holly Sprit」は、前に紹介したプロモーション・オンリーのオフィシャル・ライブではジムのピアノをバックにアコースティック・ボトルネックの伴奏で歌っていましたし、「Blind Man in the Tear Gas」はマンドリンの弾き語りで演奏していました。

ライとエステスの親交は、77年にエステスが亡くなるまで続きました。ライは、仕事などでテネシーを通るたびに、エステスの家に立ち寄り「あんたの著作権料だ。」と数百ドルを手渡していたそうです。彼の曲は多くのミュージシャンにレコーディングされているのに、本人の手には金が渡らないシステムになっていました。ライは多くのブルースマンがそのように搾取されていることを知っていました。

「彼は、もう死んでしまった。彼が死んだとき、誰かが電話をかけてきて、葬式の費用が足りないことを知らせてくれた。『棺を埋める土が足りない』 そんな言い方でね。僕とマイクブルームフィールドは出かけていって、足りない費用を払った。彼は、財産と言えるような物を何一つ持っていなかった。弁護士もついていなかった。死んで残せるようなものは何一つなかった。」

『Down Home』には、エステスだけでなく、ファリー・ルイス、ジョニー・ウッズ、トーマス・ピンクストンらの素晴らしい演奏がおさめられています。とくに、アルバムのラストにおさめられたジョニー・ウッズの「Blue Moon」、ジムのピアノとの相性も抜群です。今注目されつつあるノース・ミシシッピ・オールスターズのディッキンソン兄弟の父、ジム・ディッキンソンは、単なるスタジオ・ミュージシャンでなく、ブルースやR&Bという南部音楽に精通し、それを血肉化してロックに注入することのできる、希有のミュージカル・クリエイターなのです。

Ry Session62 Arlo Guthrie / Hobo's Lullaby

fa8624f3.jpgアーロ・ガスリーの西海岸時代の5作はどれも出来がいいのですが、中でも72年の本作と73年の次作『The Last of Brooklyn Cowboys』は、アーロのキャリアの中でも最も充実した2枚ということがでるのではないでしょうか。セールス的にも結構成功したと思うんてすよ。本作の「City of New Orleans」とか。内容も前作に比べるとぐっと多彩になってるし、一曲一曲の印象が違っていて楽しめる作品になってます。アルバム・コンセプトは父、ウッディの生き様でもあるホーボー暮らしでしょうか。そうすると、ライの初期三枚とも共通するテーマになります。

まずはレコードのA面から、
ハーバート・ローソン作「Anytime」。エディ・アーノルド、パット・ブーン、ローズマリー・クルーニーらが録音したスタンダードを思いっきり土臭くノベルティ調にアレンジ。左のスピーカーから出てくるボトルネックは紛うことなきライのフレーズ。右側からも味のあるリード・ギターが聞かれるのだけど、ライの存在感が圧倒的。妙な音のパーカッションはケルトナーの仕業に違いない。イントロが結構長いかわりに間奏はないけど、ライのアルバムに入っていてもおかしくないほど、ライっぽい演奏です。「君がさみしい時、落ち込んでいる時、僕の愛が本物だって証明するよ」という、友達ソングの元祖的な曲。 2曲目は、スティーヴ・グッドマン作のトレイン・ソング、「City of New Orleans」。落ち着いたアレンジ。ピアノがいい感じで、ブラックベリーズの厚いコーラスもすてき。このアルバムでも聞き物です。ジョン・デンバーまで取り上げていました。 3曲目、ホイト・アクストン作の「Lightning Bar Blues」。いきなりアコースティック・スライドで始まりますが、ドブロかナショナルのリゾネーターなので、おそらくライではないでしょう。しかし、それにかぶさってくるホーンは素敵。間奏はウィルトン・フェルダーのサックス・ソロ。単純な繰り返しの曲だけど、全然飽きさせないいいアレンジ。「ダイヤモンドの指輪もキャディラックもいらない。今は光り輝くバーでなみなみとつがれたワインを飲みたい」という曲。ホイトさん酒飲みですな。落ちは「死んでも墓に埋めなくていいよ。骨をアルコール漬けにしてくれた方がうれしい。」なんてね。 4曲目は、ジミー・デイヴィスの「Shackles and Chains」はアーロ自身のオートハープで幕を開けます。フィドルはギブ・ギルボーか?間奏のマンドリンは、これはライに違いないでしょう。この少しモタったブルージィなタイム感、美しいトレモロ。いやぁ、心地よい。これは枷をはめられ鎖に繋がれた男のプリズン・ソング。一生を囚われの身で過ごす嘆きを愛する人に、「長い旅に出て帰らない」と告げています。作者は「You Are My Sunshine」をつくった人。 5曲目は「1913 Massacre」は、偉大なる父、ウッディの曲。ハーモニウムとギターだけを伴奏にしみじみとアーロが歌います。ハーモニウムはニック・デカロの演奏かな。 A面ラストは「Somebody Turned on the Light」スケールの大きなピアノ・バラード。2コーラス目から目立ってくるかっこいいアコースティック・リード・ギターはクラレンス・ホワイトと思われます。サビでのコーラス陣とのかけあいも決まってます。作者のホイト・アクストン本人も演奏に参加していると思われます。

続いてB面。
1曲目は「Ukulele Lady」。ノベルティ感覚あふれるナンバーです。もともとはガス・キャノン・ジャグ・ストンパーズのレパートリーですよね。ウクレレも軽快です。ここでのエレキ・ギターは実はベンダーをつかったクラレンスではないかと思えるのですが、いかがでしょう。 2曲目はディラン・ナンバー、「When the Ships Comes In」。オルガンではじまり、歌とともにベースと味わい深いアコースティック・ギターが入ってきます。このギターはライでしょう。独特なフレージングです。リード・ギター・ソロはないのですが、全編にわたってオブリガードが冴えてます。味のあるオルガンはスプーナー・オールダムかな?
3曲目は自作インスト「Mapleview(20%)Rag」は、ピアノ、フィドル、バンジョーの入った結構うるさいブルー・グラス風ナンバー。バンジョーはダグ・ディラード、フィドルはギブ・ギルボー。 4曲目「Days Are Short」もアーロのオリジナル。新しい一日、新たな旅立ちがテーマ。ライのエレクトリック・ボトルネック・ギターが大活躍するファン必聴のナンバーです。まさに、『Into The Purple Valley』と共通する音色で、同様のフレージングが随所にあらわれます。間奏及びエンディングのソロもいかにもライらしいフレーズ。ブラックヘベリーズのコーラスもかっこいいです。ドラムはおそらくジム・ケルトナー、ベースはクリス・エスリッジでしょう。 ラストは、父ウッディも愛唱したホーボー・ソングの代表作「Hobo's Lullaby」。ここでは、美しいアルペジオでアーロ自身の弾き語りに、静かにビオラがからみます。年老いて死んでいったホーボーに、「天国にはポリスマンはいないから、静かにおやすみ」と語りかける、この名作を締めくくるにふさわしい演奏です。

以上のように、このアルバムで聴けるライの演奏は4曲。どれも充実したプレイで、大きな存在感を示しています。
アルバムに参加したミュージシャンも非常に豪華。上に書いただけでも豪華な面子なのに、ほかにもたくさんのゲストが参加してます。ジャズ・ドラマーのコージー・コール、ジャズ・ベーシストのビル・リーやマックス・ベネット、このころライのアルバムをプロデュースしていたジム・ディッキンソン、リトル・フィートのリッチー・ヘイワード、リンダ・ロンシュタット、フリッツ・リッチモンド、スワンプ・ウォーターのチャド・マックスウェル、カントリー・ガゼットのロジャー・ブッシュなどなど。変化に富んであきさせないサウンドの陰には、これだけの名手の力があるのですね。

Ry Session61 Gordon Lightfoot / Don Quixote

496b2fb3.jpgゴードン・ライトフットのプロフィールについては、以前紹介したので省略しますが、カナダの国民的シンガー・ソングライター。1970年代前半はリプリーズ・レーベルに所属しており、バーバンクのスタッフが制作にあたりました。このアルバムのレニー・ワロンカーがプロデュース。ライ・クーダーは前々作にあたる『If You Could Reed My Mind』にも参加していました。

今作もゴードンらしい、親しみやすいメロディを持ち、アコースティック・ギター中心の素朴なアレンジの曲が目立ちます。「Christian Island」なんて、名曲だよなぁ。ニック・デカロのコンサーティナがとってもいい味を出してるし、のーんびりした気持ちでこういうサウンドに浸るって至福の時間だろうなぁと思わせてくれます。このアルバムでは、こういう感じの曲が多くて、ニック・デカロやボブ・トンプソンが趣味のいいストリングス・アレンジで脚色しています。バーバンクの仕事って、一言で言い表せないんですよね。
録音の中心は、日頃ゴードンとともにライブでも演奏していると思しき、ギター2人、ベース一人のドラムレスの4人組。過剰なアレンジを施さず、アーティストの意向を尊重するっていうのも、このころのバーバンクの方針だったんですね。それでいて、各アルバムに共通するある種の雰囲気がたちあがるのが不思議なところ。このアルバムからも、たしかに、そういうセンスが感じられるんですよねぇ。ちょっと聞くと何の変哲もないシンガー・ソングライターのアルバムに聞こえるだけれども。B面にも地味だけど、良い曲がいっぱいありますね。「Secound Cup of Coffee」や「Beautiful」とか唄が上手くないとここまで聞かせられない曲だなぁと思います。

A面3曲目「Alberta Bound」でライ登場。軽快なカントリー調の曲でけして、ライが得意とするサウンドではないはずなんですけど、さすがと思わせるプレイ。随所に味のあるフィル・インを入れてます。ソロはないのだけれど、間奏の前半では、テリー・クレメンツのリード・ギターに寄り添うようなメロディをプレイ、後半レッド・シアーがドブロでリードを取り始めるとトレモロで盛り上げるといった具合。いい仕事してます。

Pamela Polland&Ry Cooder Live at Ash Grove #2

40e3a954.gifさて、今回は1962〜3年、ロサンゼルスはアッシュグローブでの、パメラ・ポーランドとライ・クーダーの演奏についてのレビューです。一般人が聴くことのできるライの最古の音源ですが、これが聴けるようになった経緯については先日書いたのでそちらを参考にして下さい。

パメラが17〜18歳、ライが15〜16歳の時の演奏というのだから驚きですね。パメラはいかにも育ちのいい白人のお嬢さんという感じです。本人自身「私たちは、ベッシー・スミスやマ・レイニーを聴いたわ。そして、ロサンゼルス出身で17歳のユダヤ系白人の女の子が思いつく限りの表現で唄ったわ。」と回想しているとおりですが、彼女の歌にある独特の深みは、このようにブルースを「学習」する過程で身についた一面もあるのでしょうね。ブルースやR&B系の歌唱を学ぶことを「歌の基礎体力」と表現した方がいらっしゃいましたが、本当にそう思います。

ライのギターにもういういしさが感じられます。タジ・マハールは「やつは15歳だったが、まるで50歳のように演奏したよ」と語っていました。確かに、15歳の若者にしては老獪なプレイが随所にみられます。しかし、「こんなブルースが大好きなんです」というひたむきな若さが感じられるプレイなのです。二十数年後、映画「クロスロード」の音楽監督を担当したとき、ラルフ・マッチオ演ずるブルース少年の姿に、このころの自分を重ねていたに違いないのです。もっとも、このときすでに、ライはすでにボトルネック・ギターの存在に気づいてトライしていたでしょうが、ここには一切収録されていません。おそらくはレギュラー・チューニングのギターでバッキングに徹しています。ギターは音色からも写真からも、Martin D-18と思われます。

冒頭に収録されたベッシー・スミスの「Send Me To The Electric Chair」恋人の喉をかき切った女性が、刑務所の中で99年の刑に服するのはたえられない。地獄への旅に出たいから電気椅子に送ってくれと裁判長に懇願するブルース。たしかに、裕福な17歳の少女には荷が重い歌でしょう。ライのリズム感は抜群です。2曲目マ・レイニーの「Walkin’ Blues」。「朝目覚めると〜」、で始まる典型的なブルース。ロバート・ジョンソンらもとりあげていますね。間奏で聴けるライのソロ、ソロも非凡さが出ているけど、目を瞠るほどではないですね。余談ですが、マ・レイニーはライお気に入りのブラインド・ブレイクと3曲レコーディングを残してますね。ここではとりあげてないですけど。こんな調子で前半の演奏が続いていきますが、やはりレイニーのスロー・ブルース「Oh Papa」はふたりのお気に入りというだけあってできがいい。ベッシーのバージョンは比較的軽快なピアノの伴奏ですが、ライのギター・アレンジも見事です。「Young Woman Blues」はベッシーのナンバー。オリジナルはピアノとホーンが伴奏のスロー・ブルースですが、ライはギター1本でなかなか味わい深いプレイを展開しています。「99 1/2 Won't Do」は作者がはっきりしないゴスペル・クラシックということですが、初期のブルースとゴスペルが共通した音楽土壌の上になりたっていることを、すでに二人は気づいていたのでしょう。

後半に行って、メンフィス・ミニーの「Me and My Chauffeur Blues」。Chauffeurとはリムジンの運転手のこと、少しセクシャルなイメージの曲ですが、原曲はギター2本、1本はミニー自身のリズムギターです。ライはノリのよさはそのままにギター1本にアレンジ。驚かされるのは、「Bill Bailey」。オールドタイミーなジャズのジャンプ・ナンバーをなんとギター1本の伴奏で聴かせてしまうのだから。恐るべき早熟なプレイ。これで15〜6歳?と耳を疑いたくなります。聴衆の大喝采もすごい。「2-10 Train」はジェントル・ソウルがシングルとして録音しているだけでなく、ライジング・サンズもオクラ入りとなったアルバムでレコーディングしています。パメラが語っているようにタジ・マハールのお気に入りになったようです。ブルース風味がほどよいブルース。ライのギター1本でもなかなかに聴かせますね。そして、ライのソロ、「Instrumental Rag」。ブラインド・ブレイクの「Sweet Papa Low Down」と「West Coast Blues」を足したものですな。これは、しかもかなりテンポが速い。この年にして、これほど完璧にブレイクをコピーしてしまうとは。タジの驚きも無理ないですね。ラストの「Corinna」はマイナー・ブルース。パメラ自身が気に入っているだけあって、とってもキャッチーです。

ふたりのユニットは1年足らずで解消し、ライはアッシュグローブのオーナーに声をかけられジャッキー・デシャノンのレコーディングに参加。プロとしての一歩を踏み出します。パメラは、リック・スタンレーらとジェントル・ソウルを旗揚げし、ジャクソン・ブラウンやニッティ・グリッティ・ダート・バンドと交流を深めていきます。

1950年代の終わりに巻き起こったフォーク・リバイバル。ライとパメラはその申し子ですよね。このころ、エルヴィスはソフト路線に転向しメインストリームはローズマリー・クルーニー、ドリス・デイ、パット・ブーンらポップスのアーティストで占められていました。一方、アンダーグラウンドからフォーク・ブームが巻き起こり、再発見されたサン・ハウス、ミシシッピ・ジョン・ハートや、ライトニン・ホプキンス、ブラウニー・マギー&ソニー・テリー、ゲイリー・デイヴィスらがコーヒーハウスを賑わせていました。彼らの演奏を目の当たりにした10代前半のライは多感な思春期に、せっせとブルースのレコードを買いあさり、ビートルズ・ブームもそっちのけでコピーに励んでいたのです。そのすばらしい成果が、このアッシュグローブでの演奏に現れています。ホント渋い趣味ですよね。

それにしても、よくぞこのような音源を保存しネット上で公開してくれました。パメラに大感謝です。

Pamela Polland&Ry Cooder Live at Ash Grove #1

いんやー、すごいですねー。mixiに入っててよかったなぁと思いますねぇ。
Ry Cooder&David Lindleyのすばらしさを教えていただいた、Ryo Keikiさんが、mixiのRy Cooderコミュニティでパメラ・ポーランドとライ・クーダーのライブ音源が紹介されている、との情報を提供してくれたのです。ホント、聴けました。今まで聴いたライの演奏の中では最も古いものです。

http://www.pamelapolland.com/er.html

ジェントル・ソウルの再発CDに、当時を振り返ったパメラのコメントが出ていました。「ライを、私の最初の歌の先生として信頼してるわ。彼は私にどういう風に音楽聴けばいいか教えてくれたの。彼は古いブルースの曲を正確に現在に蘇らせて弾いてみせてくれた。彼の耳はまるで顕微鏡だったわ。ブラインド・レモン・ジェファソン、ミシシッピ・ジョン・ハート、ゲイリー・デイビスの微妙なニュアンスを聞き分けたもの。彼はシャイで自分では唄わなかった。それで彼は私をボーカリストとしてステージに連れ出したのよ。私たちは、ベッシー・スミスやマ・レイニーを聴いたわ。そして、ロサンゼルス出身で17歳のユダヤ系白人の女の子が思いつく限りの表現で唄ったわ。」これを読んだときから、ぜひ聴いてみたいもんだと思っていましたが、ウェッブ上で聴ける日がくるなんて思ってもいませんでした。
 その上、丁寧に曲目解説や歌詞までついてます。今日のところは、解説を意訳してみました。あまり英語が得意でないので、間違ってたらすみません。感想はまた後日書きます。

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ロサンゼルスはいつの時代もミュージシャンにとってはすばらしい「温床」です。60年代、音楽コミュニティはしっかりした絆をもっていました。ロサンゼルスでプレイしていた人はほとんどみんな、この十年間に互いに知り合うか、すくなくとも、いくつかの場所に集まってきました。トルバドールとアッシュグローブは当時ロサンゼルスで最も熱かった二つのナイトスポットでした。アッシュグローブは、オーナーの本物のブルースとカントリーのミュージシャンへの深い傾倒によって、きわだった存在でした。事実、ここに集まるギター好きをあてこんでマッケイブス・ギター・ストアはアッシュグローブの入り口近くに店を構えました。マッケイブスは、ミュージシャンであれば初心者から熟練者まで、すべての可能性をもった者、すべてのスタイルを受け入れました。そしてミュージシャンは店に出入りし、店で演奏したのです。おそらく1962年、ここで、17歳のパメラ・ポーランドと15歳のライ・クーダーは出会いました。彼らの青春時代でしたが、ライはすでに深い技術を持ったミュージシャンでした。しかし、彼は歌う準備はできていませんでした。彼らは出会い、互いに20世紀初頭の偉大なエスニック音楽への愛情を高く評価していることを知りました。マッケイブスをぶらついたり、ジャム演奏をしている合間に、78回転のレコード・プレイヤーでベッシー・スミス、マ・レイニー、ジョセフ・スペンス、ライトニン・ホプキンス、ミシシッピ・ジョン・ハート、レイヴァランド・ゲイリー・デイビス、偉大なロバート・ジョンソン、ゴスペル・シンガーのマヘリア・ジャクソンやドロシー・ラブ・コーツやほかに本当にたくさんのミュージシャンを聴きました。パメラとライは、こうした素材をつかって彼ら自身で歴史的かつ敬意あふれる演奏を生み出しました。パメラはライのことを「最初の音楽の先生」として信頼しました。なぜなら、この時ライは、真剣に聴くことについて教え、自身の音楽的影響に注意を払うようにアドバイスしたからです。アッシュグローブのオーナーは、ほんもののエスニックなミュージシャンだけをステージにあげていました。けれども、彼は、この二人のティーンエイジャーの演奏を聴いて、慣習をやぶりアッシュグローブのステージのスポットに、この二人の誠実な若者を迎え入れることにしたのです。1963年から64年の間、パメラとライは何度かアッシュグローブのステージに立ちました。このページで聴ける音楽は、そんなショウのひとつで、目を見張るお宝音源です。

1.) Send Me To The Electric Chair
ベッシー・スミスは、1920年代の偉大なクラシック・ブルース・シンガーのひとりです。チャタヌガーのストリート・ミュージシャンとしてキャリアをスタートし、17歳のときに旅回りの一座にダンサー兼シンガーとして参加しました。一座は、ベッシーの指導者となるマ・レイニーをフィーチャー・シンガーとしていました。数年後、ベッシーは一座を辞め、T.O.B.A.に参加しました。ボードビルのサーキットで南部や東海岸をまわり、ベッシーは次第に経験を重ねました。20代の半ばで、彼女はもっとも有名なブルース・シンガーであり、1920年代のボードビル界で、もっとも著名なアフリカン・アメリカンのスターになりました。彼女は白人にもアフリカン・アメリカンにも人気がありました。しかし、1937年、彼女は自動車事故で他界します。ライはパメラにベッシーの曲を紹介しました。「Send me to the Electric Chair」はいつも観客をしんみりさせていました。

2.) Walkin' Blues
この曲はマ・レイニーによって1923年にレコーディングされました。マ・レイニーはベッシー・スミスの偉大な指導者で、「ブルースの母」と評価されることの多いシンガーです。彼女の悲しげで心にしみいるスタイルは、1920年代、彼女の歌を聴いた多くの人々の琴線に触れました。パメラとライは、このブルース・ジャイアントから完全に影響をうけています。パメラは、ライとデュオを組んでいた2年間の間、マ・レイニーのスタンダードを数多くカバーしました。ここに収められたもう1曲のお気に入りは「Oh Papa」です。

3.) Oh Well I Wonder
悲しいことに、パメラは甘くやさしいこの曲のオリジナル・アーティストを覚えていません。スタイルは完全に1920年代のブルース発生期のものを思い起こさせます。ベッシー・スミスのレパートリーだったのかもしれませんし、パメラとライの、エスニック音楽に対する共通の果てしない興味によって見出された、ベッシー・スタイルの無名のミュージシャンの作品かもしれません。

4.) Goin' Away Blues
パメラとライは互いに古いブルースに興味を持っていました。それで、ときどき彼らは「コンレーション」を作り出しました。2曲以上のブルース・クラシックからヴァースを借用して、12小節の彼ら独自のブルースを創作したのです。

5.) Oh Papa
ライとパメラがもっとも気に入っていたマ・レイニーの曲です。

6.) Young Woman Blues
まだ、声がしわがれていない時代のベッシー・スミスの曲です。

7.) 99 1/2 Won't Do
作者がはっきりしないゴスペル・クラシックです。パメラは、ドロシー・ラブ・コーツの大ファンですが、ドロシーは明らかにこの曲をもっと古くにレコーディングしたアーティストのひとりです。しかし、誰がこの曲を書いたか、オリジナル・アーティストが誰かは不明です。

8.) Chauffeur Blues
マリア・マルダーやジェファーソン・スターシップがレコーディングしたことによって多くの人に人気のあるこの曲です。しかし、パメラとライが発見するまでは長く忘れさられていました。二人はこのメンフィス・ミニーのナンバーでアッシュグローブの聴衆の喝采を浴びています。

9.) Bed Bug Blues
この曲もベッシー・スミスのナンバーで、ファリー・ルイスもレコーディングしています。パメラは、オリジナル・レコーディングや作者について確証がもてないようでしたが、ベッシーの曲で間違えありません。ライのプレイは正確無比です。

10.) Bill Bailey
ヒューイ・キャノンによってかかれ、1902年に出版された「Bill Bailey」はディキシーランドや伝統的ジャズのスタンダードになりました。ルイ・アームストロング、エラ・フィッツジェラルド、パッツィ・クライン、コールマン・ホーキンス、最近ではマイケル・バブルなど、さまざまなジャンルの多くのミュージシャンにレコーディングされています。ここで、パメラとライはエンジンを全開にして疾走しています。

11.) 2-10 Train
トム・キャンベルと共作者のリンダ・アルベルタノは1960年代前半、パメラのよき友人でした。それで二人がこの悲しげな曲を書いたとき、パメラは誰よりも熱望してこの曲を習いました。数年後、パメラはジェントル・ソウルでこの曲をレコーディングしましたが、ライ・クーダーとタジ・マハールがスタジオに来て協力しました。そのバージョンは、このウェッブサイトのジェントル・ソウルのページで聞けます。タジはこの曲を大変気に入っており、長い間レパートリーにしていました。パメラが歌うのを聴いたあと、リンダ・ロンシュタットはこの曲をとりあげ、ストーン・ポニーズとともにレコーディングしました。確かに、この曲のライブバージョンはもっとも初期のライブ音源で聴くことができます。

12.) Instrumental Rag
悲しいことに、ライの協力が得られなかったので、パメラはこのラグを特定し、オリジナルに言及することができません。

13.) Goin' To German

14.) Corinna
10年以上の間に、たくさんの「コリーナ」の歌が書かれ、歌われ、レコーディングされました。これは、レアな「コリーナ」のひとつで、おそらく、エルモア・ジェームズやブラインド・レモン・ジェファーソンを意識したものでしょう。パメラはこの二人の「コリーナ」を煮詰め、まぜあわせて、誰のものとも決められないひとつの「コリーナ」を生み出しました。この特別なステージの記録の中で、パメラ自身がもっとも気に入っているボーカル・パフォーマンスがこの曲です。

Ry Cooder Radio Show Live 1972

12732e58.gifBoomer’s Storyのプロモーションつながりで、続いてこれいっときましょう。72年、リプリーズが出した、プロモ・オンリーのラジオ・ショウ・ライブ。昔からよく海賊盤化されてるやつですね。A面のみが未発表ライブ。B面は『Boomer’s Story』からのセレクトで構成されてます。

A面の1〜4曲目は、クラブ、メイン・ポイントでのソロ・ライブの模様。おなじみの「Police Dog Blues」につづいては、マンドリン1本のみの伴奏でスリーピー・ジョン・エステスの「Clean Up at Home」と「Liquor Store」をメドレー。貴重なアルバム未収録曲。さらに続いて「President Kennedy」をやはりマンドリン1本で。下の記事のバンド・バージョンもよかったけど、一人でも十分説得力のある演奏で観客を引き込んでしまうところがすごい。そして、この時期はまだアルバム未収録だった、「Ditty Wah Ditty」。後年ほどスピードは出てないけど、ブレイク節のライ・バージョンを楽しめます。

5・6曲目は、メンフィスのアーデント・スタジオでのライブ。2曲ともジム・ディッキンソンがピアノとボーカルで参加してます。ハミー・ニクソンの「Holly Spirit」で、のちにディッキンソンのアルバムで、ブルースマン探訪の旅の中のニクソン自身とのセッションの様子が公開されました。思えば、ライって、このころから現在にいたるまで、あらゆるジャンルの先達に敬意を表すやりかたで音楽に取り組んできてるんだなと実感させられます。ライのバージョンでは、Martin D-45と思しきアコースティック・ギターのボトル・ネック奏法で伴奏してます。ライブのラストは、定番曲、「Jesus On The Mainline」。ゴスペル・ナンバーですがディッキンソンのピアノが入ってますますブルージーな味わいが増しています。

と、いうわけで、70年代前半の貴重なオフィシャル・ライブ音源。いつの日か、きちんとした形で出してほしいと思います。ちなみに、B面収録曲は「Boomer’s Story」「Dark End of The Street」「Maria Elena」「Cherry Ball Blues」「Ax Sweet Mama」の5曲です。
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