二階堂奥歯という名前をご存知だろうか?
いまもWEB上に残る日記「八本脚の蝶」を残し、若くして世を去った女性編集者だ。
幻妖ブックブログを主宰する文芸評論家/アンソロジストの東雅夫さんも、彼女を知る一人だった。
その彼女の日記が、同名タイトルで単行本化された。
編集を担当したのは、生前の彼女と面識はなかったものの、同い年で同じ大学の同学年だった女性編集者、斉藤尚美さん。
不思議な縁によって編まれた一冊の本が世に出るまでを、お二人に語っていただいた。

文/タカザワケンジ

──まず、二階堂奥歯さんとはどんな方なのか教えてください。

斉藤 1977年生まれ。早稲田大学第一文学部哲学科卒です。大学時代は哲学研究会に所属し、幹事長としても活躍していました。大学卒業後は出版社に就職して編集の仕事に就きます。しかし、2003年の4月26日にビルから飛び降りて、自らこの世を去ってしまいました。
 2001年から亡くなる直前まで、「八本脚の蝶」というタイトルの日記をインターネット上で公開しており、その日記を、生前に近しかった13人の方に寄稿していただいた文章とともに全文収録したのがこの本です。
──東さんはいつごろから奥歯さんをご存知だったんですか?

東 『八本脚の蝶』に寄稿した文章のなかでも書いているんですが、2000年7月3日の『山尾悠子作品集成』(国書刊行会)の出版記念パーティーで会ったのが最初です。パーティーの最後に、出版社の方が締めの挨拶をする。ふつうなら編集部の代表者とか直接の担当編集者が登場する場面ですが、なぜか、初々しい様子のお嬢さんが壇上に立って、こんなふうに挨拶を始めたんですよ。

 自分は国書刊行会に入社して間もない。たまたま編集部に配属後、初めて取り組んだ仕事が『山尾悠子作品集成』の編集実務のサポートだった。以前から山尾悠子さんの作品が好きだったので、今回、編集者として作品集成に関わることができて、とても嬉しい……。

 それが奥歯さんだったわけですね。山尾悠子作品のどこに魅力を感じるか、自分の読書体験を交えて、とても理知的でしっかりした調子で話していたのが印象的でしたね。

 あの文章からは想像がつかないかもしれませんが、ふだんの彼女の話し方はわりとキャピキャピ系というか、タテノリなんですね(笑)。二次会で直接、会話したときも、本当にその場でぴょんぴょん跳ねながら、「わぁ~『幻想文学』愛読してます!(ぴょんぴょん)」みたいな感じでした。いろんな分野の本をとてもよく読んでいることがわかって、若いのに感心だな、と思ったのが第一印象でしたね。

――彼女が「二階堂奥歯」として書評を書いたり、ネット上で日記を書いたりすることになった経緯も、東さんはご存知なんですよね。

東 二階堂奥歯というペンネームは、彼女が「幻想文学」の幻想ブックレビューという書評ページに投稿するときに考えた名前なんですね。電話かメールだったか忘れましたが、「ペンネームを二階堂奥歯にしたんですけど、これって、すっごくイイ名前だと思いません?」と、なんだか威張ってましたよ。

――「幻想文学」の編集長としての眼から見て、奥歯さんが書いた書評はいかがでしたか?

東 今回出版された『八本脚の蝶』に、幻想ブックレビューに掲載した書評もすべて収録されているので、ぜひ読んでほしいのですが、年齢からは信じられないくらい、的確で閃きのある書評ですね。ある意味、老獪といってもいいくらい。しかも、取り上げる本がバラエティーに富んでいる。毎号のように異なる分野から、他の寄稿者が絶対に取り上げないような意表をつく本をセレクトしてくる。そういうところにも、彼女の読書体験の蓄積がうかがえましたね。

斉藤 奥歯さんがインターネットで日記(「八本脚の蝶」)を書き始めたときにはどう思われました?

東 周りからは、大丈夫か? と心配する声もあったようですが、本人はクレバーな人ですから、ネットで日記を公開することのリスクも意識しつつ書いていたと思うんですけどね。そのうちに、知り合いの編集者のなかにも、あの日記で二階堂奥歯を知って、注目しているという人が出てくるようになって……。

斉藤 自分が二階堂奥歯だってことは周囲の人に公にしていたんですか?

東 特に隠してはいませんでしたね。でも、本人のなかでは、編集者としての自分と、ネットで日記を書いたり、「幻想文学」で書評を書いたりする自分はきっちり分けていたんじゃないかと思いますよ。

――斎藤さんが「八本脚の蝶」の存在を知ったきっかけはなんだったんですか?

斉藤 「八本脚の蝶」そのものについて知ったのは、奥歯さんが亡くなった後でした。奥歯さんの恋人がたまたま大学時代の友人で、彼に教えてもらったのがきっかけです。でも、実はその前に、奥歯さんとはちょっとした因縁があったんです。

 2003年の5月上旬に、ある作家さんと打ち合わせをしていたんですが、その作家の方がどこか上の空だったんです。どうされたんですか? とお聞きしたら、自分を担当していた若い編集者が、つい先日これこれこういう亡くなり方をして、現実感がないんだよね、とおっしゃって。

 私は彼女のこともサイトのことも当然知らなかったんですが、無性に腹が立ったんですよ。嫉妬したっていうのかな。生きている私の邪魔をしないでよ、って。亡くなられてしまった方に嫉妬しても仕方ないんですが、そのときはすごくそう思ったんです。でも、その気持ちは一時的なもので、すぐに忘れてしまいました。

 その半年後くらいだったと思います。私の大学時代の同級生の吉住哲くんから、「ぼくの亡くなった彼女がネット上にずっと日記を書いていた。ぼくは客観的には読めないから、編集者として、どんなものなのか感想を聞かせてくれないか」と相談されたんです。

 同い年で、同じ大学だったという興味もあったので読み始めたら、どうやら時期的にも、あのただならぬ感情を抱いた編集者と同一人物だってことがわかったんです。

 それを知ったときには、まさかこんなところで再会するなんて、と頭をゴツンと殴られたような衝撃が走って鳥肌が立ちました。

 私は、かなり思い込みが強いたちなので、そのときに「これは私が本にしなければ」みたいな変な使命感を持っちゃったんですね。でも、まだちょっと怒りも継続しているわけです。死んじゃうなんてバカだよなぁ……というような。

 正直に告白すると、生きている私がなんとかしてしまおう、という邪悪な気持ちもありました。もう手出しできまい、みたいな。

 ほんと、怖いですよね、女性の嫉妬って(笑)。

 でも、最初の思い込みだけでは、本を出そうというところまでたどりつけなかったと思います。あらためて「八本脚の蝶」をじっくり読むと、読書傾向のほとんどかぶらない私が読んでも面白いし、身に迫るものがある。これはただ者じゃないと思いました。このままこの文章を埋もれさせてはいけない。それで、吉住くんを介して、東さんをはじめとする、生前、彼女にゆかりのあった方々にお会いしていったんです。

──単行本にするうえで、大変だったのはどんなことでしたか?

斉藤 「八本脚の蝶」には、奥歯さんが愛読書からおびただしい数の引用を書き記していて、そのうえ書誌関係の情報も多いので、それが正確かどうかをどうやってチェックするかがいちばんの問題でした。困ったあげく、東さんにご相談したら、文芸評論家の石堂藍さんをご紹介いただいたんです。たいへんなことをお願いするという引け目もあって、おっかなびっくりお電話したんですが「やりましょう」と言っていただいて。最終的には膨大な量の実物にあたっていただき、引用箇所を探し出してコピーを取ってもらい、こちらでももう一度確認しました。

――単行本の『八本脚の蝶』には、奥歯さんの日記のほかに、生前近しかった13人の方からの寄稿が収録されていますね。

斉藤 関係者の方にお会いして、いろいろとお話をうかがう間に、私のなかにはだんだん奥歯さん像ができていったんですね。そうすると、彼女自身が書いた「八本脚の蝶」を読んだだけでは、彼女がごく一面的にしか見えてこないことがわかってきたんです。それをなんとかフォローできないかと思って寄稿をお願いすることにしました。

――彼女の部屋に残された本やぬいぐるみなどの写真も掲載されています。

斉藤 WEBではリンクを張ることで文章の内容の補足をすることができますが、本ではそれができないので、代わりに彼女が愛したものの写真を入れることにしたんです。日記に登場するぬいぐるみや、お気に入りのものたちを一緒に本に収められたら、彼女にも喜んでもらえるかな、とも思いました。

――東さんは、「八本脚の蝶」がこういうかたちで出版されたことについて、どんな感想をお持ちですか?

東 奥歯さん自身は、最後まで編集者たらんとしていたわけで、本づくりに並々ならぬ思い入れがあった。あれだけ本が好きだったのだから当然ですけどね。でも、実際に彼女が企画段階から発刊まで丸ごと手がけることのできた本は、本当に少ないんですよ。その意味で、彼女自身が「書き手」としての総てを込めたといってもいい「八本脚の蝶」を、いずれ書物の形で世に出すことは、残されたものの責務じゃないのか……という気持ちはありましたし、彼女とゆかりがあった同業者(=編集者)たちとも折に触れそういう話をしていたんです。

 ですが、ご承知のように昨今の出版状況下では、無名にひとしい、しかも今はもういない書き手の著作を単行本で出すことは相当に難しいわけです。だからといって、よくありがちな、自ら命を絶った若い女性の手記みたいなね、センチメンタル先行の本にはしてほしくない。私は『八本脚の蝶』というのは、一種のセルフ・アンソロジーだと思っているので、彼女の死とは関わりないところでこそ、正当に評価されるべき仕事だと思うんですね。

 そんなこんなで、出版に漕ぎつけるまでにはハードルの高い本だと思っていましたから、哲くんから、ポプラ社の斉藤さんという編集者が手を挙げてくれたと聞いたときには、晴天の霹靂というか、空から救いの女神が降りてきてくれたというべきか。

斉藤 邪悪な意図の下に(笑)。

東 黒い天使が舞い降りた、みたいな(笑)。
 で、哲くんの紹介でお会いした斉藤さんは、若いに似合わず、しっかりしていて、これはやってくれるんじゃないかと思いました。おや、この人は見かけによらず、豪腕タイプのエディターだな、と思ったんですよ。

 1冊の本は著者と編集者の協働作業で出来上がるものですよね。その著者が存命であろうと、仮に100年前に亡くなっていようと、著者が書き残したものを編集者がどう本にするか、ということでは同じなんです。

 そういう意味では、奥歯さんと斉藤さんという組み合わせは面白い。持ち味がぜんぜん違うから。奥歯さんの生前に二人が出会っていたとしても、おそらく話はかみ合わなかっただろうと思うんですよ。お互い内心、なんだこの女は……と暗黙の火花が散っていたりしてね(笑)。

 だからこそ、よかったんじゃないかな。編集者としてのタイプ、人間としての価値観、世界観も違う。しかも生前の彼女を知らない。けれど同い年で共通の知人がいて――そういう人の手できちんと、ある意味ドライに編集されたことによって、結果的にこの本は、ほぼ理想的なかたちで世に出ることになったのだと思います。

斉藤 会社で、『八本脚の蝶』の企画を通すときに、何度かダメ出しをされたんですね。

 いちばん、大きなダメ出しだったのが「彼女は才能もあるし、文章も素晴らしい。でも、これを読んで彼女に傾倒して、自ら命を絶つ人がいないとも限らない。そういうとき、どう責任をとるの?」というものでした。

 私はこう思ったんです。

 『八本脚の蝶』読んでいて、いちばん強く感じたのは、生きているとこんなすごいことがあるんだってことなんです。彼女はある意味、誰とでも合わせられるタイプの人じゃなかったと思うし、辛いことも多かったと思います。だけど、自分を理解して受け入れてくれる、さまざまな人に出会えた。この世の中に、本当に、そういう出会いってあるんだなって。

 自分のことをわかってくれる人が身近にいないって悩んでいる人がいたとしたら、この本を読んで、自分も彼女みたいに誰かに出会えるかもしれないと思ってくれるんじゃないか。

 それに『八本脚の蝶』を読んでいると、彼女の生きる姿勢が伝わってくるんです。ものすごく真剣で、まじめで、一生懸命。これは私が生前に彼女と会っていなかったり、ある程度距離感を持っているから言えることかもしれないですけど、読んでいて励まされるんですよね。最後は自分の命を絶ってしまうという結果になってしまいましたが、「生きる」ということに本当に誠実な人だったと思うんです。人を励ます文章って、一生懸命生きている人しか書けないと思うんですよ。

──どんな読者におすすめしたいですか?


斉藤 幻想文学系の本をよく読まれる方はもちろんですが、私のような、その方面に縁がなかった人にとっても面白いと思います。本当にいろいろな本に関する感想や言及が織り込まれているので、書評集のような感じでも興味深く読めます。日記形式なので、拾い読みするだけでも伝わってくるものがありますし、悩んだり、息詰まったりしているときに、ふと目線を変えてくれるようなヒントもたくさん詰まっているので、いろいろな人に読んでほしいですね。

 それに、呼吸をするように文章を読んでいた人ならではの、するすると入ってくる文章がとても心地いいんです。文章を味わうという目的だけでも十分に満足できると思います。

東 WEB上で「八本脚の蝶」を書いていたとき、奥歯さんに「どうしてこういうものを書いているの?」と訊いたら、「WEBで発信しておくことで、自分と同じような悩みを持つ人や同じような嗜好を持っている誰かに、いつか自分の言葉が届くかもしれない。その人たちのためにも、私は日々、書き綴っているんです」と言っていたんですよ。本になったことで、そういう人たちの手元に届く可能性が広がったことは、良いことだと思います。

 それに、こうして本になった『八本脚の蝶』をめくってみて、あらためて驚かされたのですが、縦組みの活字になったときの彼女の文章が、またいいんですよ。WEBは当然、横書きでしょう。それが横のものを縦にしただけで、彼女の言葉がよりいっそう迫力を持って起ち上がってくる感じがする。彼女の文章は、縦書きで読むほう
が個性と凄みが出るように思いますね。

──では、最後に斉藤さんに、本を編集し終えての感想をうかがいたいと思います。

斉藤 最初にもくろんでいたような、著者が亡くなっているからどうにかしてしまおう、というのは絶対にできないということがよくわかりました。

 どう表面的なものを動かそうと、彼女が書いた文章の根っこに流れているものは変わらないし、逆に読み手のコンディションでいかようにも読めるというところがあって、それは生身の人間と接しているのに近いところがあるんですね。

 私は、生前の彼女とは面識がありませんでしたが、本を作る過程で、生きている人よりも身近に感じるくらい、彼女と深いやりとりができたような気がしています。

 『八本脚の蝶』は、たまたま私が担当させてもらいましたが、私が出さなくても、なるべくしてなった本だと思います。私はたまたま、何かの縁でこの本作りに引き込んでもらったという気がするんですよね。彼女とこうして出会えて、幸運だったな、と。

 この本を通して、「二階堂奥歯」という人と、一人でも多くの人に出会ってほしいと心から思っています。



『八本脚の蝶』著者宅訪問記
ポプラ社第三編集部 斉藤尚美

2005年も残りわずかとなったある日曜の朝、私は東京駅でカメラマンの田中流(たなか・ながれ)さんを待っていた。バッグの中には、奥歯さんのお気に入りたちがひしめいていて、重くはないけれどけっこうな荷物。この日のために、形見分けなどでばらばらになっていた、アノマロカリス、チビクトゥルーちゃん、ゴシッククトゥルーちゃん、ナイアルラトホテップちゃん、木の葉虫の模型を、現在の持ち主の皆さんからお借りしてきたのだ。

すこしして流さんがやってきた。久しぶりにお会いしたが、全身から発するおっとりオーラも、穏やかな笑顔もぜんぜん変わらない。

本に写真を入れることと、その写真を流さんに撮っていただくことは、ほぼ同時に思いついたと思う。私は編集者になって間もない2001年に別の本で流さんにお世話になったことがあり、それ以来、折にふれ流さんの写真を拝見しては、静謐な世界の中で被写体が微かに生命を帯びて見えるような作品に惹かれていた。それに、人形作家・清水真理さんの本の写真などもお撮りになっていたから、人形を愛し、特別な思い入れをもって接していた奥歯さんの本の写真を撮っていただくにはぴったりだと思ったのだ。

私が撮影の依頼をするまで「八本脚の蝶」のことは知らなかったという流さんは、さっそくウェブで日記を読んで、こんなふうに話してくれた。

「私と似ている部分も多く、心に重くのしかかってくるので、上手く撮れるか心配です」

流さんは、人を攻撃したりしない代わりに、自分自身に対してはシビアで、突き詰めてものを考えたり動いたりされるところがあるように見える。もしかしたら、そんなところが奥歯さんと通じるのかもしれない。

急なお願いを快く引き受けていただいた御礼を伝えつつ、東北新幹線に乗り込む。流さんと車内販売のコーヒーを飲みながら、奥歯さんの日記についてあれこれとお話をしているうち、あっという間に下車駅に着いた。

以前この駅に降り立ったとき、転んで機材を壊したことがあるという流さんは、駅前の通りをそろそろと慎重に進んでいった。私もシャーベット状の雪に足をとられないよう気をつけて歩いていたが、この日はなんだか不思議なお天気で、どうしても空に目がいく。日が射しているのに粉雪が舞っているのだ。

ロータリーからタクシーに乗り、奥歯さんの家の住所を告げる。私は相変わらず空を見上げずにはいられなかった。都心では考えられないほどゆったりと広い並木道をいくタクシーの両側には、枝の先端までくまなく雪をまとった背の高い木々が、風に揺れるたびに銀色の粉を撒き散らしていた。蛇行する山道を上がっていくときも、真っ白い木々のあいだから射す柔らかい光がチラチラと幻想的な影をつくって、無心に眺めているだけでも胸が痛くなる。山道を抜けると、目の前に開けた空の真ん中に、世界を二分するような飛行機雲があった。タクシーに乗ってから、道を確認するために奥歯さんのお父さんと携帯でやりとりした他は、流さんも私もほとんど無言だった。

そうやって、何か神聖なものに包まれたような気分で奥歯さんの家に着いた。ご両親と妹さんがいつものように笑顔で迎えてくださった。

リビングに通していただくと、目の前に大きな出窓があって、そこからよく手入れされたお庭が見える。2002年5月6日の日記にも出てくる日本庭園。穏やかな日差しのなか粉雪はまだ降り続いていて、庭全体が非日常的な光を湛えている。

仏壇の写真立ての奥歯さんに挨拶をして、お線香をあげる。その後、紅茶とケーキをいただきながら、大まかな段取りや被写体のことなどお話をして、さっそく撮影に入った。まもなく正午になろうとしていた。

まずは出窓のところに、連れてきたぬいぐるみや模型を無造作に並べていく。仏壇のそばにいたホームズとクリプキにも参加してもらった。なんだかみんなはしゃいでいるように見える(特にチビクトゥルーちゃん)。すかさず流さんがシャッターを切った。あんまり唐突に始まったので私がびっくりしていたら、流さんは「こういうのは意識して手をいれないほうがいい」と次々撮っている。一通り終えて、次は、テーブルに石神茉莉さんからの贈り物だというポッピンアイとさくらんぼ紅茶の缶、ピノコの模型、奥歯さんが読んだ本を記録していたノート(古いものは、表紙に小学生の頃集めていたという鯨のスタンプが押してある)、口琴(本人のものは形見分けの際もらわれていったので、これは後からご家族が求めたもの)を、これまた無造作に並べて撮った。それから、今度は、奥歯さんがよく日向ぼっこをしながら読書していたというお気に入りのスペース、庭に面した引き戸の床のところにノートを置いた。びっしりと書き込まれた何冊ものノートはどれも年季が入っており、ガムテープで補強されているものもある。流さんは、2003年のある日を最後に白紙になっている!
ページと、ファインダー越しに長いこと向き合っていたと思う。その後、庭に出てお母様が大事に育てていらっしゃる薔薇の花と棘を撮っていただいた(2002年12月19日の日記に、薔薇の棘にまつわるエピソードが出てきます)。

ひと思いにそこまで終えると、次は本棚を撮らせていただくために二階へ。奥歯さんが東京で住んでいた部屋の本の中には、親しい方々に引き取られていったものもあり、すべては残っていないが、彼女の世界が散逸してしまわないよう、ご家族の手によって丁寧なリストが作られていた。また、一部はご自宅の離れに収納されているとのことだったが、ここでは日記の中に登場する本や大切にされていた本の多くを目の当たりにさせていただいた。棚全体が、大事に読まれたことのある本独特の存在感に満ちていた。

二階には本の他に、面白いものをたくさんご用意いただいていた。箱入りの鉱石標本、いくつもの水晶玉、香水、アクセサリー、万華鏡、お気に入りの服を繕うための色とりどりの糸、宝石箱、タロットカード、メダイ、小さい頃通っていた図書館の貸し出しカードの束、ぬっぺっぽうやナメゴン、三葉虫のフィギュア、だちょうの卵……。それらはまるで、ここではない、どこか別の世界から持ってこられたパーツのようだった。前の世界ではきっと、もっと強い光を放ち、生き生きと動きまわっていたのだろう。今はおとなしくしているけれど。

こちらは自然光が入らない部屋だったので、ライティングしながらの撮影となった。

一通りカメラにおさめると、一階にいくつか持って降りて、出窓の光の中でも少し撮った。それから、当時のまま保存してある奥歯さん愛用のパソコン(デスクトップはTerri Weifenbachの写真)と、触れると青紫色
に発光するマウス、金魚のマウスパッドも撮らせていただいた。しばらくすると、開始以降、すっかり無口になっていた流さんがふと表情を和らげて「もう大丈夫です。夢中になって撮りすぎちゃいました」とおっしゃって撮影は終わった。13時半くらいだった。

その後、たったいま撮影したデジタル画像を、流さんは持参したパソコンにインストールして上映会をしてくださった。さっきまで自分で見ていたのとは微妙に、しかし決定的に表情を変えた光景が次々と画面に映し出されていく。

「お姉ちゃんの目には、こんなふうに見えていたんだ……」

妹さんがぽつりと言った言葉が忘れられない。

──紙幅の都合で、本にはごく一部の写真しか掲載できませんでしたが、今回、読者の皆様にこのような形でご覧いただける機会に恵まれ、幸せです。

本作りを終始温かく見守ってくださり、惜しみなくお力添えをいただいた奥歯さんのご家族の皆さん、形見の品々を快く貸し出してくださった東雅夫さん、松本楽志さん、吉住哲さん、そして写真家の田中流さんに心より感謝申し上げます。