よくこんなふうに言われます。

「人生の質は感情の質に比例する」

感情とは、ある出来事の結果として生じる、いわば受け身的なものではなく、逆に(ある出来事に対して)どのような感情を生み出すのかによって、その出来事の意味、そしてひいてはその人の人生の質が決まるというのです。

わかりやすい例をあげると、ここに水が半分入ったコップがあるとします。それを見て

「あ~あと半分しか残っていない」

と感じるのか

「よしまだ半分あるぞ」

と感じるのかで、そのコップ(と中に入っている水の)意味は全く変わってきますネ。

人生においても同じ。自らの身の回りに生じる出来事そのものが吉凶禍福を決めるのではなく、その出来事に対して

「自分がどう感じるのか」
「どんな感情を自ら生ぜしめるのか」

それにより出来事の意味が180度変わり得ます。そしてその積み重ねが人生だとすれば、人生自体の意味、幸不幸も同じように180度変わり得るのです。

ですから、これからは出来事そのものよりも、その出来事に対して自身がどんな感情を抱くのか(持ったのか)、その事を常に意識して生活をするといいでしょう。

そして感情についてあともう一言言うなら、「美味い」「痛い」「むかつく」「いやだ」「好き」「嫌い」という、本能レベルの感情より上のレベルの感情を一日の中で何回感じたか意識してみるといいでしょう。
"上のレベル"とは具体的に言うと

「(美しさ・優しさ・壮絶さ・崇高さ…に)感動した」「新しい一歩を踏み出そうと思った」「もっと素晴らしい人間になりたいと思った」「いとおしいと思った」

そんな感情です。
私達は振り返ってみると一日を意外に本能的なレベルの感情・言葉・思考で終始してしまっていることが多いものです。でもそれは動物でも感じるもの。

「人生の質は感情の質に比例する」

とするなら、一日の中のまずは1パーセントでもいい。それ以外の感情が生じる瞬間を作るべく意識をすると良いでしょう。それが今より上質な人生を生きるヒントとなってくれるでしょう。

このような習慣を

「起きた出来事に対し受け身的に(本能的なレベルの)感情で応え、生きる人生」

から

「起きた出来事に対し能動的[積極的]に、一つ上のレベルの感情で応え、生きる人生」

に転換するのです。それは自らの意志で自身の人生を切り開く生き方であり、目先の出来事、世情に流されない軸がぶれない根の張った、そして成長と(ゆるぎない)幸福へとつながる生き方となるでしょう。

最後にもう一つだけこんな例えを。

みなさんは車に乗っていて酔ってしまった経験はありませんか(車に乗りなれていない人はよくあるものです)? しかし車の運転をするドライバーが車に酔ったという話を聞いたことがありません(バスの運転手が酔って「ゲ~ッ」とか…あったら面白いでしょうけど聞いたことありませんネ(~_~;))。なぜでしょうか。
その理由は、ドライバーは自分でハンドルをにぎり、アクセル・ブレーキを踏んでいるからです。
人生も同じ。自分の人生という車のハンドル・アクセル・ブレーキを切り、動かす主導権をあなた自身がしっかり握っていれば、人生に振り回されることは無くなります。あなたはあなたの人生という車を運転できる権利を持っています。しかしこの車はレンターカーで、今日乗り終えたらお店に返さなければなりません。そんな車のあなたは助手席に座って一日を過ごしますか?それとも運転席に座って自らハンドルをにぎり自らの設定した目的地を目指しますか? 言い方を変えればあなたは(一回だけ、しかもあなたしか演じることのできない)人生というショーの脚本家であり、そしてなにより主人公なのです。