元コートジボワール大使の日本人の方が書かれたトーゴの現代史の記事を見つけました。
とても分かりやすいです
その1
その2
その3
簡単にまとめると、1960年の独立後、
トーゴの初代大統領になったのはシルバヌス・オランピオ(Sylvanus Olympio)ですが、
1963年、エヤデマ(Etienne Gnassingbé Eyadéma)らがクーデターを起こし、彼を暗殺。
その後、エヤデマは死去するまで38年もの間大統領の座についたとのことです。
(彼は現大統領、ニヤシンベのお父さんですね )
2005年、エヤデマが死去した際、ナチャバ国会議長が暫定大統領になるはずでしたが、
彼はベナンにいたので、トーゴ軍が陸海空の国境を閉鎖し、戻ってこられないようにして、
エヤデマの息子のフォール・ニヤシンベを無理矢理大統領にしました
その後、2005年、2010年に大統領選挙が行われましたが、
どちらもニヤシンベが当選し、与党「トーゴ人民連合(RPT)」による
政権が続いているということです。
その間反対勢力が全くいなかったのかというとそうではなく、
暗殺されたシルバヌスの息子であるジルクリスト・オランピオは、
27才でアメリカに亡命した後、1991年にトーゴに戻って「変革への結束党(UFC)」を結成し、
1993年、1998年に大統領選挙に立候補しました。しかし、力及ばず
2003年、2005年の選挙では、エヤデマがわざと「過去1年にトーゴに在住していること」を
大統領の立候補資格に加えていたため、当時暗殺を恐れてパリに住んでいた
ジルクリストは立候補できませんでした。
2010年の選挙では、立候補資格はありましたが、持病の腰痛が悪化し、辞退
ところが、2010年、ニヤシンベがジルクリストと和解し、
国の経済社会成長のために協力することを決めたため、
長年に亘るオランピオ系(南部)とエヤデマ系(北部)の国内対立は
収まったとのことです
なるほどー
では
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簡単にまとめると、1960年の独立後、
トーゴの初代大統領になったのはシルバヌス・オランピオ(Sylvanus Olympio)ですが、
1963年、エヤデマ(Etienne Gnassingbé Eyadéma)らがクーデターを起こし、彼を暗殺。
その後、エヤデマは死去するまで38年もの間大統領の座についたとのことです。
(彼は現大統領、ニヤシンベのお父さんですね )
2005年、エヤデマが死去した際、ナチャバ国会議長が暫定大統領になるはずでしたが、
彼はベナンにいたので、トーゴ軍が陸海空の国境を閉鎖し、戻ってこられないようにして、
エヤデマの息子のフォール・ニヤシンベを無理矢理大統領にしました
その後、2005年、2010年に大統領選挙が行われましたが、
どちらもニヤシンベが当選し、与党「トーゴ人民連合(RPT)」による
政権が続いているということです。
その間反対勢力が全くいなかったのかというとそうではなく、
暗殺されたシルバヌスの息子であるジルクリスト・オランピオは、
27才でアメリカに亡命した後、1991年にトーゴに戻って「変革への結束党(UFC)」を結成し、
1993年、1998年に大統領選挙に立候補しました。しかし、力及ばず
2003年、2005年の選挙では、エヤデマがわざと「過去1年にトーゴに在住していること」を
大統領の立候補資格に加えていたため、当時暗殺を恐れてパリに住んでいた
ジルクリストは立候補できませんでした。
2010年の選挙では、立候補資格はありましたが、持病の腰痛が悪化し、辞退
ところが、2010年、ニヤシンベがジルクリストと和解し、
国の経済社会成長のために協力することを決めたため、
長年に亘るオランピオ系(南部)とエヤデマ系(北部)の国内対立は
収まったとのことです
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