土木の風景

from civil engineers 築土構木、土木技術は社会生活の基盤をささえています。

鯉の季節 番外編

 五月は気持ちの良い季候、そして大型連休があり、さわやかな風が堪りません。
 とは言いながら、真夏のような気温だそうです。
 
 プロ野球のカープも好調、鯉のぼりも良く泳いでいます。

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5月




 
 さて、近年は鯉のぼりをあまり見なくなりました。公園や河川、池などに連なる鯉のぼりを映像で見ることは多いのですが、個人のお宅では少ないのが現状です。

 
 子供が少なくなっている?
 鯉が泳ぐような大きなお宅が少なくなっている?
 風習・行事など無駄なことはしない?
 
 使わないから使って・・・とたくさん集まります。

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 親御さん達が子供の健やかな成長を願って行って来た、良い風習だと思います。
 しかし、「個人情報を知らせてしまう・・・」という話を聞いたことがあります。何とも世知辛い話が多い現代社会であります。
 
 そういえば、どこぞの首長が公私混同、せこい話になっているようです。こういう性癖は育つ中で体に染みつくものでしょうから普通は治りません。権力にもしがみつきたくなりましょう・・・品格と潔さの対極にありそうです。
 
 
 なお、
 文明社会が進歩するというのは良いことなのかどうか・・・「きらきらした目をした子供達」はどこへ行ってしまったのでしょうか。
 
 きっと、未開の地(文明人が勝手に思っている)にたくさんいてくれるはずです。そして彼らの方こそ豊かな生活をしていると思う、サツキの空・・・。

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バラの季節 番外編

 稲毛海浜公園の5月です。
 一面のバラ・・・かおりが充満しています。
 
 よくぞ集めたものです。なお、写真は by shitara(拡大できます)。

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 ばら【薔薇】 <広辞苑より>
(1)「いばら(茨)」に同じ。
(2)バラ属の観賞用植物の総称。いくつかの原種が東西で古くから観賞されてきたが、一九世紀以後に莫大な数の品種が作られ、世界中で栽培される。つるばらと木ばらに分けられ、花の形は大輪・小輪、一重咲・八重咲、剣咲き・平咲きなど、花色は深紅・黄・白、また四季咲、小形のミニチュア‐ローズなど極めて多彩。花の王と言われる。香料用にも栽培。また、バラ科バラ属の落葉低木の総称。高さ一〜二メートル。葉は有柄、托葉があり、羽状複葉。花は高い香りをもち、基本型では萼片・花弁は各五。北半球の温帯を中心に約二百種が分布。しょうび。そうび。ローズ。<季・夏>

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 なお、<大百科全書>のバラの記述は膨大な量があります。
 ここではバラの歴史について拝借しました・・・が、随分古くから人間との関わりがあるのには驚きであります。
 
 紀元前3000年・・・シュメールやバビロニア、エジプト、古代ギリシャ等々・・・昔も今も、バラの色香と美しい姿に人々は魅せられたのでしょう。

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 <大百科全書より、ほんの一部を抜粋>
 バラ【文化史】
 〔西洋〕
バラは農耕文明の始まりとともにあった。紀元前2000年以前の、シュメール人の『ギルガメシュ叙事詩』に、「この草の刺(とげ)はバラのようにお前の手を刺すだろう。お前の手がこの草を得るならば、お前は生命を得るのだ」という意味のくだりがある。ここにあるバラは野生または栽培バラ、あるいは、一般に刺のある植物をさしているものと思われるが、この叙事詩に出ている女神イシュタルについては、マリ出土の「花をかぐイシュタル」の塑像(前1800以前?)の花はバラの花であると推定されている。
 古代エジプトでは、石器時代の発掘物にはバラらしいものは見当たらないが、古い書物には記載があり、バラは東方からも移入されたと考えられる。これらには、ローザ・フェニキア、ローザ・サンクタ、ローザ・モスカータなど四季咲き性を含む芳香種もあった。
 前3000〜前2000年のバビロニアでは、隣国ペルシア、トルコなどがガリカ系などのバラの原種自生地であるうえに、バラなどを原料としたと思われる香料も加工されていたので、バラの栽培は盛んであったと考えられる。すなわちバビロン宮殿にはブドウやイチジクの果樹園とともにバラが栽培され、香料や薬用とされていたと推定される。
 エーゲ海文明期、エーゲ海諸島がバラ栽培にもっとも適した気候であったこともあり、バラが栽培され香料や医薬用として利用された。クノッソス宮殿のフレスコの家とよばれる洞窟(どうくつ)内の壁画にバラらしい絵が発見されている。古代ペルシアでもガリカ系やフェティダ系も豊富に自生し、ペルセポリスの彫刻にはバラを頭に飾ってあるものや、大建築の円柱にアカンサス模様のようにバラの模様が残されている。
 ヘブライ王国では、ソロモンの栄華にバラが出現しているが、ソロモン詩篇(しへん)や『旧約聖書』にあるバラは、現在のバラの祖先であるか否かは明らかではない。
 古代ギリシアでは、多くの詩人によってバラが詠まれており、ホメロスは若い人の美しさを「バラの頬(ほお)」と表現しており、バラ水(バラ油)も記述している。またサッフォーは「花の女王バラ」と歌っている。さらにアナクレオンは「恋の花なるバラの花、いとしき花のバラの花」と詠んでいる。ビーナス(アフロディテ)のバラの花は愛と喜びと美と純潔を象徴していると信じられた。バラの英語名ローズroseは、古アルメニア語のバールドvardに発し、古いギリシア語ブロードンbrodonがロドンrodonになり、ローズになったとされる。バラを意味するロードス島に当時のものと思われるバラ模様の硬貨が伝えられ、オリンピア競技の人々の頭の装飾にバラと思われるものが使われていた。
 歴史家ヘロドトスは「ウラニア」のなかに八重のバラを記載している。マケドニア地方のミダス王の花園にバラが栽培され、「60枚の花弁を有し」とあるのはローザ・センティフォーリアで、「他をしのぐ芳香」とあるのはローザ・ダマスセナである。これが歴史書に現れた正確なバラとして最古のものである。
 ギリシアのテオフラストスは、「バラには花弁の数と粗密さ、色彩の美、香りの甘美さなどの点でいろいろな相違があるが、普通のものは5枚の花弁をもっている。しかしなかには12〜15枚あるいはそれ以上、なかには100枚の花弁をもつものさえある」と述べている。また、「そのころギリシアにあったバラは大きさはスイレンの半分くらいで、ローザ・ダマスセナ、ローザ・アルバ、ローザ・センティフォーリア」とその種類を記載している。
 エジプトでは、プトレマイオス王朝の織物や壁画にバラの花が描かれている。クレオパトラがアントニウスを迎えるため、室内をバラで飾ったのは有名で、アントニウスは死にあたって、墓場をバラで飾るように遺言したという。
 ローマのプリニウスは『博物誌』のなかで、当時栽培されていたガリカ、ダマスセナ、アルバ、センティフォーリアなど12品種をあげている。当時ローマでは「バラの中に暮らす」ということがいわれたが、これはぜいたくに暮らすという意味である。
 シルク・ロードを通して盛んに東西交易が行われたが、正倉院宝物にある尺などに現れる宝相華(ほうそうげ)の類はシルク・ロードを経てもたらされた文様で、それらにはローザ・シネンシス、ローザ・ギカンティア、ローザ・モスカータの仲間が描かれており、バラ栽培が広く普及していたことを知ることができる。
 ルネサンス期、とくにボッティチェッリの『春の寓意(ぐうい)』『ビーナスの誕生』『バラのマリア』に描かれたバラは、ガリカ系のダマスク、アルバ、センティフォーリアなどの品種の特徴がはっきり描かれている。また「ばら戦争」としてよく知られているヨーク家とランカスター家の王位継承戦争は、それぞれ白バラ、赤バラを紋章に用いたのでその名がある。このほか、宗教画やミニアチュールにもよく描かれている。
 
 〔中国〕
ローザ・シネンシスすなわち中国のバラ(月季花、庚申(こうしん)バラ、長春花などといわれる種類)は、遣隋(けんずい)使や遣唐使によって日本にもたらされたが、当時すでに多数の園芸品種があったらしく、絵画には長春花とみなされるものが多数描かれている。栽培の起源は明らかではないが、ボタンやキクと同様、かなり古くから栽培されていたと思われる。しかも、西欧のバラ栽培が香料や医薬、装飾用であったのに対し、中国では観賞用としての栽培が最初であった。

 〔日本〕
日本でバラが最初に記されているのは『万葉集』で、「うまら」「うばら」とある。『枕草子(まくらのそうし)』『源氏物語』『古今和歌集』『新古今和歌集』では「さうび(薔薇)」と記されているが、これらはローザ・シネンシスの類であろうと思われる。また『明月記』や『栄花(えいが)物語』にもバラの記述がみられ、源義経(よしつね)の兜(かぶと)にもバラが描かれていたと伝えられている。『春日権現霊験記(かすがごんげんれいげんき)』には明らかに長春花と思われるものが描かれている。また、室町時代には各種の装飾にバラが描かれている。江戸時代、岩崎灌園(かんえん)の『本草図譜』には長春花、月季花が描かれており、当時すでにバラ栽培がかなり普及していたことを知ることができる。〈鈴木省三〉

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断層地震・・熊本震災お見舞い no.453

 熊本震災で亡くなられた方々、また被災された方々に哀悼の意とお見舞いを申し上げます。地震の収束と出来るだけ早期の帰宅と復旧、復興を祈念いたします。
 
 
 今回の地震は規模の大きな断層帯が全体で動く、そして継続するという経験知の少ない形でした。余震、本震、・・・その見極めは収束してからの結果論でしかありません。

九州



 
 本震が終わったと思い、帰宅して被災した人もおられたようです。
 直下型地震のこわさは神戸で経験済みのはずですが、今回これだけ継続して発生するということは地震の専門家も想定外だったと言うことです。
 
 熊本地震の地質図、震源分布図を「産業技術総合研究所」から拝借しました。

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地質図



 上の二枚から、幅と長さを持つ大規模な断層帯であることがわかります。
 この断層帯は西日本を縦断する中央構造線に含まれます。大古からの亀裂というか、構造的に弱い地溝帯のようなものです。

地質構造



 今回の熊本地震は南九州と北九州の地塊が断層帯でこすれ合っているというイメージを持っていただくとわかりやすいかもしれません。
 
 断層の定義は次の微細な写真で・・・。

だんそう


 上の写真のように地層が大規模にずれ動く時地震をひき起こします。
 日本には有名な断層遺跡(痕跡)が多くありますが、有名な根尾谷断層を紹介します。
 
 <ウィキペディアより
 『 1891年(明治24年)10月28日午前6時38分50秒に、根尾地域を震央として発生した濃尾地震(マグニチュード8.0)の震源断層である。

この地震により数十kmに渡って地表地震断層が現れた。総延長距離約 80km、活動一回あたりの最大左横ずれ変位量 8m、最大上下変位量 6mに及ぶ大規模な断層である。』
 
 地震発生直後の根尾谷断層写真(ウィキペディアより)です。

地震直後




 
 そして近年の姿と断層そのものの切り取り断面は次の通りです(いずれもウィキペディアより)。

根尾



ねお





ねお2



根尾谷


根尾谷断層


 今回の熊本地震も相当規模の断層であると解析されてくると考えます。
 
 
 人間の時間と地質の時間は単位の桁が全く違います。
 それでも、地震の機構と実態は多くの体験と長い時間を経ながら、科学的な知見を蓄積し、少しずつ解明されて行くものと期待を致します。
 
 
 なお最後に、改めまして被災された方々にお見舞いを申し上げます。

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富士山 no.452

 富士山は独立峰、あらゆる方角から見てもすばらしいものです。
 NTTドコモの山梨定点観測サイトが随分前に閉鎖されました。
 
 
  NTTドコモの山梨定点観測サイト;2013/04/01(月)07時14分の富士山です。
 維持管理には大変なご苦労があったものと推察します。

20130401_0714_Web



 
 さて、夏の富士山頂はどうでしょうか。
 これも過去記事;長崎特派員さんの登山記録2009年から拝借。
 
 富士山が活火山であることがよくわかる写真です。
 いつの日か、目を覚まし噴火することもあり得ます。それでもこの美しい姿を残してもらいたいものです。

IMG_7900剣ヶ峰と旧富士山頂観測所眺望



IMG_7908吉田口ルートの山頂久須神社と山荘



 なお、新しい年度が始まりました。
 何か不安定な世界情勢ですが、「景気」は人々の「気」から・・・と申します、元気に行きたいと存じます。また、良い一年になりますよう八百万の神々に祈りましょう。
 
 (写真は拡大できます)

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倒木 no.451

 房総半島の中心部は深い丘陵地が広がっています。標高はせいぜい300m、最高点もやっとこさの400m(一箇所のみ)です。その丘陵地を縫うように走るのが林道横瀬線、林業事務所が管理をしています。

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 今日の主題は「倒木」、それも根こそぎという情景を示します。
 「根こそぎ」という言葉はここから来ているのではないかと思いたくなりますが、人間の作用ではないので違うようです。

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 <広辞苑より>
 ね‐こそぎ【根刮ぎ】
(1)根までこそげること。すっかり抜きとること。
(2)(副詞的に用いて) 少しも余す所がなく。ことごとく。「家財を―持っていかれた」

 「刮」という字を漢字辞典で調べると
 「カツ」 こそぐ ,韻困襦´△┐阿襦,琉嫐
 元々は小刀で汚れを落としきれいにするということらしいです。
 
 そこで、上の写真も次の写真も刮ぐという表現は当たりませんでした。

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 さて、なぜこのような倒木になるのか、写真を見れば答えが出ています。
 そうです、地盤に問題がありそうです。
 
 このあたりの地層は第三紀の泥岩又は砂層が分布しています。第三紀も古い時代になると固結度が増し、樹根が侵入できなくなります。このため、写真のように横に広がりながら岩に張り付く形となります。
 
 樹木が小さいうちは何ら問題はないのですが、大木になってくると風の影響が大きくなってきます。また、自生している地形と場所も重要です。
 
 周囲に多くの大木があれば風の影響も小さい。しかし、小高い場所にあって風をまともに受ければ写真のように倒れます。
 
 日当たりよし、眺め良し、好条件の土地ですが・・・、リスクもありました。人間世界でもありそうな話ですね(笑い)。
 
 
 なお最後に、この大木は今なお生きています。倒れはしましたが残りの樹根でしっかりと生き延びています。この生命力には敬意を表したいと思います。
 
 何事もあきらめず、しぶとく生きたいものであります。

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追悼! 3.11 no.450


5年が経過したことになります。
東北各県、また福島の本格的な復興がなりますよう祈念いたします。

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  関連記事はこちらにあります。

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富津岬 明治記念展望塔 no.449

東京湾の中央部に突き出た岬があります。
地形用語で言えば砂州・・・海流によって形成されたものです。

東京湾




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この岬先端は公園になっており、明治記念展望塔があります。
天気が良い日には富士山を望むことが出来、また眺望抜群と言えます。

富津




周辺は県立公園となっており、多くの行楽客を集めています。
夕方、夜間の風景は格別のようです。

次の写真は梅雨の頃・・・もやが立ちこめていました。

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メコンの恵み (ラオス・ルアンパバーン編)

メコンの恵み (ラオス・ルアンパバーン編)

 *メコン

 メコン川は、チベットを水源とし、中国、ミャンマー、タイ、ラオス、カンボジア、ベトナムを約4,200kmに渡って流れ、南シナ海に注ぐ東南アジア最長の河川です。
 高低差5,200m、流域面積795,000 ㎢となっています。
 
 メコンは、流域に豊饒な土壌を生むだけでなく、約500種類の淡水魚が生息していると云われ、海に面していないラオスでは、重要な水産資源の河川となっています。また、河川の高低差を利用した水力発電電力をタイに輸出しているそうです。

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     [ 図―1 メコンの流れ google map に上書き ]

 図-1にメコン川の流れを大雑把に青く表示しました、利根川 322kmの約13倍の長さを流れ下っています。
  
 ルアンパバーン水道公社の話では、メコン上流に中国のダムが建設されており、急激に水位が変化したり、漁獲量が減少しているそうです。更に多くのダム建設計画があるようで不安な様子でした。
 
 日本は、島国で国際河川はありませんのでラオスのような苦労は知りません。将来にわたって、ラオス、タイ、カンボジア等がメコンの恩恵に浴することができるかは不透明のようです。


 *ルアンパバーンの概要

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     [ 図―2 ラオスの地図 google map より ]



 ルアンパバーンは、首都ビエンチャンの北方約400kmに位置し、1353年にラーンサーン王国が誕生した古都であり、日本に例えると京都のような都市です。
 
 山間で地理的条件が悪いことが幸いし、ラーンサーン王国やフランス植民地時代の美しい街並みが残っており、1995年に世界遺産に登録されています。

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         [ 写真―1 ルアンパバーンの街とメコン ]




 *ルアンパバーンの朝

 ルアンパバーンは、世界遺産としてメコンと街並みが有名ですが、敬虔な仏教徒の街で早朝の托鉢が観光資源となっています。

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      [ 写真―2 托鉢風景(現地パンフレットより) ]


 
 私が宿泊したホテルは中心部から少し離れたところなので、パンフレットのような行列にはなっていませんでしたが、ホテル周辺で撮影した私の写真を少し紹介します。

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      [ 写真―3 夜明け前、托鉢に出かけます ]


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        [ 写真―4 少し明るくなってきました ]



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     [ 写真―5 雨宿りしながら、托鉢僧を待っています ]


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      [ 写真―6 毎日、この托鉢が行われています ] 
 
 僧列を見ると、年長者が先頭で年齢順に歩いているように見えます、写真7の僧は、小学生に見えます、学校に行かず、お寺に行くという選択肢がラオスにはあるようです。

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       [ 写真―7 最後尾の僧が最も若く見えます ]



 *ルアンパバーンの浄水場

 ラオス訪問の目的は、観光旅行ではありません、水道の視察です。浄水場の写真を少し紹介します。

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      [ 写真―8 山間を水源としたブープン浄水場 ]

 ブープン浄水場は、山間の沢水を原水としておりきれいな水でしたが、硬度が高いようで、炭酸カルシウムの結晶に悩まされていました。


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          [ 写真―9 ナムカン浄水場 ]

 ナムカン浄水場は、メコン支流のナムカン川を水源とした浄水場です。横流式の沈殿池と急速濾過池の浄水場で、処理能力以上の供給を余儀なくされ、過負荷運転をしていました。



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        [ 写真―10 タイ・アジア浄水場 ]

 タイ・アジア浄水場は、ルアンパバーン県に水道水を供給している浄水場です。タイの民間企業が建設、運営しています。原水は、ナムカン川からポンプアップしていました。




 *ルアンパバーンのにおい

 川のりが名産となっています、昼食時に油で揚げたのりが出されます。大変おいしいです。
 この川のりは、薄く広げた川のりにトマトやニンニクのスライスを乗せ乾燥させてあります。街の土産物店で売っています。

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           [ 写真―11 川のり ]


 次は、漁業の写真です。私のお気に入りの一枚の写真となりました。川も人も時間もゆったりと流れていました。

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       [ 写真―12 ナムカン川の漁業 ]



 フランスの植民地が永かったルアンパバーンでは、娯楽として、ペタンクが定着しています。浄水場の片隅にペタンクコートが作ってありました。

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      [ 写真―13 ペタンクコート(ナムカン浄水場) ]


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    [ 写真―14 ペタンク競技 真剣です(ナムカン浄水場) ]

<ウィキペディア記事>
ペタンク(pétanque)とは、フランス発祥の球技である。名称は南フランス・プロヴァンスの方言「ピエ・タンケ(両足を揃えて)」に由来する。スポールブールやプロヴァンサルゲームをベースに1907年に考案されたとされている[1]。

テラン(コート)上に描いたサークルを基点として木製のビュット(目標球)に金属製のブール(ボール)を投げ合って、相手より近づけることで得点を競うスポーツである。

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     ウィキペディアより拝借


 *あとがき
  
 ルアンパバーンでも、アメリカが300万人のラオス人に300万トンの爆弾で攻撃したとガイドが説明していました。ベトナム、インドシナ戦争が終結(1975年)して40年・・・いまだ、ラオス人の傷は癒えていないようです。
 
 観光客としては、中国、韓国人が多く、欧州人と思える若者も見かけました。敬虔な仏教国に配慮を欠いた服装で多少驚きました。

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      [ 写真―15 クワンシーの滝にて ]


 帰りのルアンパバーンからハノイに向かうプロペラ機で、一人旅の日本人に初めて出会いました。
 彼も久しぶりに日本語が喋れたと感激していました。
 
 ビエンチャン、ルアンパバーンと短期間ですが訪問して、独断と偏見で感想を述べました。経済的には中国に頼らざるを得ない国ですが、日本もJICAを通じて様々な技術支援を行っています。
 
 話半分にしても、旅行におすすめの国です。日本人の旅行客が増えることと、メコンの流れが将来に渡ってゆったりと流れ続けることを願い、むすびとします。

     (水道特派員 M.N)

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メコンの恵み (ラオス・ビエンチャン編)

メコンの恵み (ラオス・ビエンチャン編)

* ラオスの概要

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        [ 図―1 ラオスの地図 google map より ] 

 正式名称「ラオス人民民主共和国」は、日本の本土ほどの面積で人口は、約660万人(2013年外務省基礎データ)です。東にベトナム、南にカンボジア、西にタイ、北に中国、ミャンマーに囲まれた海に面していない国です。
 国民は敬虔な仏教徒です、歴史的には、1893年フランスの植民地となり1945年日本軍に占領され、その後、1946年再びフランスの植民地となり1953年独立しラオス王国となりました。
 その後、ベトナム戦争と同時並行的にアメリカ軍の攻撃を受け、1975年にラオス人民共和国が成立し現在に至っています。

 日本からの直行便(2015年)はなく、日本からの観光客は多くありません。
 ビエンチャンのワッタイ国際空港の出口には(写真1)、空港ビル等整備を援助した日本への感謝の碑がありました。第二次世界大戦末期に日本軍に占領されていた歴史はありますが、大きな戦闘がなかったのか日本人への反感を感じることはありません、むしろJICAを通じての様々な援助に感謝しているように感じました。
 
 現地ガイドの話では、アメリカは、300万人の国民に300万トンの爆弾を投下し、一人1トンの攻撃を受けたと説明があり、現在もアメリカに対しての反感が大きいように感じられました。
 同様の理由からか、ベトナム、タイ、カンボジアとは仲が良いとのことでした。

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   [ 写真―1 ワッタイ空港正面玄関 ]


* ビエンチャンの朝

 ビエンチャンは、他の東南アジアの国々に比べ治安が非常に良く、日本人とみると物乞いや土産物の押し売りに取り囲まれるようなことはラオスでは全くありません。
 
 ラオスの朝は、托鉢から始まります。写真2は、午前6時頃に撮りました。住民は、5時前からもち米を蒸したり準備し、6時前には歩道に座り托鉢僧を待ちます。
 なお、観光客は、托鉢僧に触れたり、フラッシュでの写真撮影は慎むように云われています。

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        [ 写真―2 朝の托鉢 ]


 次の写真3〜4は、朝市の風景です。フランスの植民地が永かったラオスは、フランスの匂いが沢山残っています。フランスパンもその一例で朝市で売られています。山菜や果物などの山、畑ものが多く並んでいました。

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        [ 写真―3 朝市の風景 ]


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        [ 写真―4 朝市の風景 ]



* ビエンチャンの街中

 ラオスには鉄道や高速道路はありません(2015年)、バスが唯一の公共交通となっています。
 写真5のようにバスがターミナルから各方面に次々と出発していきます。

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   [ 写真―5 ターミナルから出発するバス ]


 バスの正面、側面、背面に日本の国旗が表示されています、日の丸の下に「From the People of Japan」と書いてあります。JICA支援のバスです。

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        [ 写真―6 日の丸の表示 ]



 パトゥーサイ(写真7)は、パリの凱旋門をモデルとした戦没者慰霊塔で高さは45mと云われ、ビエンチャンのシンボルです、市内の建物はパトゥーサイより高く建設することができないそうです。

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        [ 写真―7 パトゥーサイ(凱旋門) ]       


 次の写真8は、パトゥーサイの展望台から南の方角を望んだ写真です、この正面約2km先にメコン川が流れています。
 その向こうはタイ国です。

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        [ 写真―8 パトゥーサイから南の風景 ]



* メコンの流れ

 写真9は、チナイモ浄水場の取水口とメコン川です、川の水は赤茶に濁ってますが、土による濁りで、工場排水や生活排水による汚濁には見えませんでした。対岸は、タイ国です。

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        [ 写真―9 メコン川(チナイモ浄水場取水口) ]



 下の写真10、11は、メコン支流ナムグム川の水上レストランとその料理です。食材は川魚、エビ、なまず等メコン流域の恵みです。

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                [ 写真―10 ナムグム川の水上レストラン ]


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       [ 写真―11 水上レストランの料理 ]


 ラオスの料理の特徴は、写真12のように竹で編んだ「ティップ・カオ」に入ったもち米の「カオ・ニャオ」です。うるち米よりもち米の方が腹持ちが良くエネルギー源になり、力仕事をする人はカオ・ニャオを食べるそうです。

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        [ 写真―12 もち米(カオ・ニャオ) ]



* 中国の動向

 メコンも人も時間もゆったりと流れているラオスですが、大きな違った風が吹いています。ラオスには国際試合ができるサッカー場がありませんでした。チャイナタウン建設と引き換えに中国がビエンチャンにサッカー場を建設しました。他にもインフラ支援と引き換えに5〜6か所のチャイナタウン特区がビエンチャン当局から許可されているそうです。
 
 写真13は、ドンマンカイ浄水場の航空写真です。この日量10万トンの浄水場も中国が建設していました。見返りは、ビエンチャンに6万人規模のチャイナタウンの開発許可だったそうです。

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        [ 写真―13 ドンマンカイ浄水場 google map より ]



 次の写真14,15は、建設中のドンマンカイ浄水場の写真です。用地費が安いので、広い敷地にシンプルに建設されていました。

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        [ 写真―14 ドンマンカイ浄水場 建設現場 ]

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        [ 写真―15 ドンマンカイ浄水場 建設現場 ]



 中国は、ラオス以外の国でも、インフラ整備と引き換えにチャイナタウン建設を進めています。「一帯一路」、陸のシルクロード、海のシルクロード構想を邁進しています。

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        [ 図―2 一帯一路構想図 ]



* あとがき
  
 JICAラオス事務所の村上所長の話では、「日本は交通や水道等の社会インフラ、農業や森林、教育環境、保健医療サービス等の技術支援を行っており、ラオスに対して具体的な見返りは要求していない」とのことでした。
 
 ビエンチャンの街を短期間ですが訪問してみて、メコンの恵みを生活の糧として(ラオスの人達が)ゆったりと生活されているように感じました。



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        [ 写真―16 ビヤ・ラーオ ]

 ビール会社は国営のため、ビア・ラーオは、どこでも売っています。国策?なのか、昼も結構飲まれていました。こんな風土が永く続けばと願うばかりです。
 
(次回は、メコンの上流、世界遺産のルアンパバーンを紹介します)
        
                      (水道特派員 M.N)


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謹賀新年

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 新年あけましておめでとうございます。

 本年もよろしくお願いいたします。
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