土木の風景

from civil engineers 築土構木、土木技術は社会生活の基盤をささえています。

2008年04月

校倉造り no.163

 あぜくらづくり・・・学校で習ったのは遠い昔になってしまった・・・。
 正倉院はつとに有名、その荘厳な洗練されたたたずまいには引き込まれてしまう。
 正倉院宝庫の建立時代は、奈良時代<756年(天平勝宝8)前後とみるのが通説である>と聞く。
 
 そんな校倉造りの建物を香取神宮で見た。
 規模は小さいが、しっかりとした校倉造りである。

香取神宮宝庫

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 辞書やネットで調べると、校倉造りは数が少なく神社仏閣などに多く残っているそうである。
 
 そして、重要なことに気がついた。横に積み上げていく木組みを校木アゼキというが、奈良時代の建築では正面と側面で校木が交互に組まれる。これに対して鎌倉室町の中生以降には互い違いではなく各面をそろえて組まれているという。

正倉院校倉

<正倉院校倉>

ウィキペディアの記事から拝借;正倉院。

 

 

 

香取校倉

<香取神宮校倉>

 そこで、香取神宮の宝庫をよくよく見ると、木組みがそろっているのが分かる。

ということで、この築年は中世以降として良さそうである。
 

 なお、<校木が乾湿に従って伸縮し、校倉内部の湿度を調節するという俗説は誤りである。>ということらしく、当初は、穀物倉庫が始まりであったものという。


 
 なおまた追記。
 千葉県立「房総のむら」に、古い農家建築が展示公開されている。小さい小さい平凡な農家だが、その木組みは懐かしさとある種の安定感を持っている。公的機関が造った校倉造りと対比してみるのもおもしろいと思う。

農家

 

 

 

 

 

 

 

 

 

農家木組み

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 最後に、辞書の記述を参考に・・・。
 
 校倉 あぜくら <大百科全書>
(大図鑑 P929参照)
壁面が校木(あぜき)で井籠(せいろう)組に積み上げられた倉。一般に高床(たかゆか)とする。校木は三角材または角材の角を平らに削り落として積まれる。古くは甲倉、格倉、叉倉とも記される。正倉院宝庫、唐招提寺(とうしようだいじ)経蔵・宝蔵など奈良時代の校倉は、正面と側面の校木が段違いに組まれるが、高野山金剛三昧院(さんまいいん)経蔵(鎌倉時代)や厳島(いつくしま)神社宝蔵(室町時代)など中世以降の校倉には、校木が稜(りよう)を各面そろえて組まれるものも現れ、さらに日光東照宮神庫のように江戸時代の校倉では、校木と柱を併用するものもみられる。校木のかわりに丸太材や板材を積み上げた倉は、それぞれ丸木倉、板倉とよばれる。現在、校倉は宝蔵や経蔵として社寺などに残されているが、奈良時代には中央官庁をはじめ国・郡の地方官庁でも、丸木倉や板倉に比べて数は少なく、穀倉として建てられている。なお、校木が乾湿に従って伸縮し、校倉内部の湿度を調節するという俗説は誤りである。〈工藤 圭章〉

 あぜ‐くら【校倉】 <広辞苑>
部材を横に組んで壁を作った倉。部材の断面は三角・四角・円など。甲倉。叉倉。あぜり。
→井楼(せいろう)組。
―‐づくり【校倉造】


 あぜくら‐づくり【校倉造】
校倉風の建築様式。古代に多い。正倉院のほか、東大寺・唐招提寺・東寺などに遺構が存する。

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農業政策に理念を・・ no.162

 今、一年中で一番水を使う季節である。
 知っている人は知っている「代かき」の時期・・・水は、いくらあっても良い。

農業用水

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 田起こしをし、畦畔ケイハン(あぜ道)を直し、水を引いて、ならす・・・。
 しばらく置いて田植えが始まる。

代かき

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 農業は、自然相手の商売である。どうしても耕作のサイクルがみなさん同じになってしまう。だから、農機具もそれぞれの農家が所有し、借金までして大型機械を購入している。
 
 われわれ外部の人間から見ると、共同購入して有効活用すれば・・・と思うが、さにあらず。時期がかち合うと機械が足りなくなり、また、使い方の順序やルールも難しいとしたものらしい。もたもたしていると時機を逸してしまう・・・遅れれば一年間を棒に振ることになるのだ。うまく行かない農業経営・・・。


 
(1) 農業の現状 
 さて、
 米価が高い時代は良かったが、今の農家は大変である。食生活の変化や市場経済の変貌によって、農業は厳しい経営環境に置かれているのが現状である。若い人が去り、後継者不足になるのが当然の帰結となっている。
 
 国は、減反政策を強化すると言うが、小手先の施策でしかない。
 政治も、官僚も、地方自治体も、農協も、農家も、決定的な農業政策を見いだせずに苦しんでいる。
 
 米を基盤とした日本の農業がひょっとして崩壊しつつある「厳しい時代」にわれわれは遭遇しているのかも知れない。水田放棄、そしてその結果の放棄水田増加、そうした風景は日本農業がかかえる苦しい姿を見せつけているようである。
 
 
 何かがおかしい国家の農業政策ではないかと思わずにはいられない。国民のため、そして農家のための農行政になっているのだろうか。時代が変わったはずなのに、われわれの頭がついて行っていないのではないだろうか。
 
 『 貿易立国日本は工業製品を輸出して成り立っている。そのためには食料の輸入はやむを得ない。農業を犠牲にしても、安い食糧はいくらでも手にはいる。食の安全も現地に出向き指導すれば何とかなる・・・日本は、いま繁栄しているのだから。』
 
 「繁栄」は論外としても、そのように思う日本人が多いとしたら問題である。
 
 
(2) 基本理念を・・
 根本的に、日本人の食は本当に大丈夫なのだろうか。
 国家としての防衛的な視点を含め、自給率を上げるための基本理念が必要ではないのか。
 経済だけで国家を論じてよいのか・・・。
 
 この、基本的な理念、スタンスを議論しなければすべての施策が小手先のこととなり、時だけが過ぎて行くことになる。農業が崩壊してからでは遅い・・・残された時間はそんなにないはずだ。
 
 そのためには、甘えだけを生むような従来の補助金政策ではなく、農業を本気でやりたいという若者が定着できるような政策を立案し、また、日本国の食を守るプライドを持つ農業従事者を作る必要がある。
 
 農業の楽しさ面白さ、自然を相手にする仕事のすばらしさを感じられる職業にすると共に、生活の面でも良好な環境が得られる基盤を用意することである。その結果として、若者の農業継承が可能となり、意欲ある農家を創ることが出来る。
 
 
(3) 意識改革を・・
 それには、国民の意識変革が必要である。
 少々高くとも国内産を購入する気持ち、また、最低限の補助を許容する国家感覚が欲しいものである。そのためには、農業側からの基本理念打ち出しと、しっかりとした国家論と農業政策の青写真を、国民に示すことである。
 
 具体的な細部の議論ではなく、今必要なことは、大局・長期の視点に立った国家的な議論である。厳しい現状なればこそ、こういう議論を堂々と出来るのではないかと思う。
 
 このままでは農業は崩壊してしまう。「農業は、工業です・・・」という笑うに笑えない未来が現実のものにならないとも限らない。そうなると、結局は 高い食糧を押しつけられる時代が来るのではないだろうか。
 
 農業を経済性だけで論じることは、おかしいことである。食は、一般商品のように市場経済に乗せる種類のものではないことを言いたい。農業政策を立案する基本理念に「食は市場経済から独立する国家政策である」くらいには、してもらいたいものである。国家としての何らかの関与があってしかるべきと考える。
 
 
(4) まとめ
 なお、
 世界的な人口増と、アメリカのバイオ燃料政策によって地球規模の食糧不足が起こっている。自国の穀物を輸出規制する動きもあるという。重要基幹作物の小麦、大豆、トウモロコシ、米の値上がりが激しく、日本人の食も脅かされそうだ。東南アジア諸国ではデモも頻発しているという。
 
 日本が繁栄していると信じている人は少ないと思うが、生活に直結する食品・日用品の値上がりは、一般国民を苦しめる。そして、いつも弱者が泣かされるのが歴史だ。
 
 大企業優先の産業政策が戦後、いや、明治以降連綿と続いている現状は、すでに時代遅れになっていないだろうか。私見として極論をすれば、大企業・産業保護のあおりを受けているのが農業・食ではないのか。
 
 これまでの国家運営はさび付きが多くなり、現実にマッチしていないと思う。政治も、官僚も、そして国民も頭の切り替えが必要な時代であると考える。

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犬吠埼・岩盤亀裂 no.161

 犬吠埼は、太平洋に突き出た岩盤の岬、犬吠埼灯台は有名である。
 一年中、観光客が来ている観光名所。

犬吠埼灯台犬吠地形図

<すべて拡大できます>

 

 岩盤に打ち寄せる荒波の風景、そして君ヶ浜の砂浜は、人を惹きつけるようだ。
 また、遊歩道を下りて岩の波打ち際が楽しめる・・・というのはむかしの話である。
 
 遊歩道の灯台直下の海岸はずいぶん昔から閉鎖され、コンクリートも落ちてしまっている。だが、近くまでは行けたものだ(その時の記事はこちら)。

なみ岩

下から灯台

 

 

 

 

 

 ところが、岩盤そのものに大きな亀裂が発見され(08/1/20記事)、大規模な崩壊が予測されている。先端まで行けなくなってしまった。また、下にも回れなくなっている。
 
 今の写真がこれ。
 最終的には、いつの時代か分からないが崩落することは確実である。
 なお余談だが、10万年、100万年後には灯台も危ない・・・。右端のガードレールから左へは入れない。亀裂部は中央の写真。

磯がけ亀裂

 

 

 

 さて、犬吠のもう一つの「有名」は地質である。
 
 07/04/07記事の抜粋から。
 【「犬吠埼の白亜紀浅海堆積物」が正解で、この岩や地層そのものが国指定天然記念物である。
 白亜紀は、1億4400万年前〜6500万年前の時代で、この地は1億2000万年前の浅い海に堆積した地層(堆積物)と言う。
 随分古い時代だが、恐竜やアンモナイトの中生代である。
 もちろん、人間などは存在しない・・・。】  これは、犬吠灯台地区の地質である。
 
 もう一つ有名なのが地球展望館のある愛宕山(標高74m)の基盤が、古生代ペルム紀(二畳紀;今から約2億9,000万年前から約2億5,100万年前までを指す地質時代)だということ。
 今は、採掘していないが、立派な石切場跡地がある。良質の砂岩の石材が生産されていたようだ。ずいぶん昔には切り出し作業を見た記憶がある・・・。
 
 この銚子地塊は関東平野の東端にぽつりと島状に残っている。同じ時代の地質は、はるか西方、関東山地(奥秩父方面)に行かないとないものである。東京湾を中心とした地区が大きな大きな盆状の凹みとなって、新しい時代の堆積物が数千メートルも堆積している。
 
 関東平野を見ていただくと銚子地塊の特徴、そして地質時代の価値を認識できるかも知れない。時には、煩瑣な実生活を忘れ、悠久の地質時代にロマンを感じていただければ幸いなり。 

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水路の堆積風景 no.160

合流工

<拡大できます>

 何の変哲もない千葉市郊外田園の大きめの水路をエントリー。
 写真の左から右へ水は流れる・・・。
 
 この写真の下側から支流が合流し、落差工となっている。
 
 この合流工でおもしろいことに気が付いた。
 河川の堆積物のたまり方である。
 支流による浸食で、この合流部に曲線の堆積風景が見えている。
 
 支流が落差をもって合流することによって、この堆積風景が出来たのだろうと思う。
 同じ河床レベルであれば、水量の差が大きいのでこの形にはならないはずだ。
 
 その程度がどれくらいかは予測の範囲だが、こういうつまらないことを考えるのは楽しい・・・。
 
 最近の学校で、地理・地形を習うのかどうか分からないが、知識が入ると地形モデルが良く理解できる。子供の頃、砂浜で水の流れを見ると、河川の浸食、堆積のモデルを知らず知らずのうちに見ていたものだ。
 
 河岸段丘、三角州、扇状地・・・懐かしい地形を砂浜に生で見ることが出来る。
 砂浜の時間軸をずっとずっと延ばして1000年、2000年にすれば現実の地形になるものだ。
 地理や地質を専攻する人たちは気が長いというのは、分かりそうだ・・・(笑い)。
 今後は、小学校高学年から地理の授業をやってもらいたいものだ。それでなくても理工離れが深刻な昨今なのだから・・・。

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嶺岡 蛇紋岩 no.159

 鴨川市の南部を東西に走る山脈?がある。山脈というのはオーバーだが、嶺岡山地だ。
 航空写真(Yahoo)で見ると、東側の鴨川市街地から西方へ細長い鴨川(長狭)平野があり、その南側を平行に走るのが嶺岡山地である。
 
 その峰沿いに嶺岡林道が東西に走っており、全線が舗装されている。通行車両もなく、ゆっくりドライブを楽しめる(道は狭い)。ただ、植生の繁茂があるので眺望は今ひとつである。ゆえに、露頭も少なく、楽しめないとしたもので残念なり・・・。    <嶺岡林道から長狭地区を見る>

長狭地区眺望

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この嶺岡山地の基盤地質が蛇紋岩であり、この山地の斜面は千葉県でも有数の地すべり地帯と言える。国道128号線は鴨川市街地から嶺岡トンネルでこの峰を南へ抜ける。この嶺岡トンネルも常時観測しているほど要注意の隧道である。
 
 そこで、林道に転がっていた蛇紋岩をエントリー。

蛇紋岩

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 これは、くすんでいるが、青っぽい色が特徴で、硬くてもろい・・・。
 
 ボーリングで採取したコアは濃い青緑色をしており、きれいである。しかし、風化されやすく、崩壊とすべりを発生させやすい岩石である。
 
 ただし、千葉県の地すべりは構造的な大規模地すべりではなく、泥岩風化による浅層地すべりが多い。嶺岡山地の斜面も泥岩が多く混在し、大規模地すべりとはなっていない。
 
 追記。
 参考として、ウィキペディアの記事と、広辞苑、大百科全書の記事を追加。

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枯木二題に土木を思う no.158

枯木

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

枯木2

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 二本の枯木、前者は自然の中の針葉樹か・・・。
 後者は、人里の常緑広葉樹であろうか。
 
 どちらも枯死してずいぶん時間が経っているものと思う。
 何かが違うと見ていると、広葉樹の枯木は枝を切り落とされ、天然自然の姿ではないのが分かる。それ故にこそ、どこか痛々しい姿を見せているように見えてしまう。
 
 生きている時には価値ある大木なのかも知れないが、今、植木屋さんは見向きもしない。朽ち果てるのを待つのみ・・・。
 
 一方、針葉樹は天然自然の姿のまま枯死している。何の理由なのかは分からないが、どこか凛として風格を感じてしまう。これは、枝の張り方と自然のままが良いのであろうと思う。
 
 
 さて、この枯木二題を見て土木を思う。
 これと似たような土木施設がないだろうか。ごてごてとお金ばかりを掛けた構造物は、見るに堪えないものだ。作った人間達の浅ましい欲がにじみ出ている土木・建築構造物はないだろうか・・・。
 
 一方、お金を掛けなくとも、じっくり丁寧の構造物は品格と風格を備えており、何時までも人々に愛されているように思う。
 
 時代が違う!という前に、
 現代土木は長〜い世代を念頭に置いて考える「土木の基本理念」を忘れているのではないかと考えるが、いかがだろうか。
 
 土木屋による、土木屋のための、土木構造物を造っている現代ではないのか。本来の目的を忘れた土木屋・・・それを許すほど、世間は甘くないとしたものである。
 
 ただし、針葉樹の枯木のように、品格あるプロジェクトの方が実際は多いと信ずるものである。だが、重箱の隅をほじくるマスメディアを別にしても、「土木屋のための土木」に関する世間の批判が出るのは当然である。不正があるなどはもってのほかであろう。
 
 
 土木は社会の基盤を支える技術である。歴史的に見ても、この技術が無くなると社会は間違いなく崩壊して行く。土木は必要欠くべからざる技術であり、われらの世代は子々孫々のためにこそ、基盤を残していく責任があるはずである。
 
 そのためには、土木の原点に立ち、崇高な目的を再確認することが必要だ。「欲」を脱した発想と生き方を、(社会からバッシングを受けている今こそ)土木屋が取り戻す好機ではないかと考える。
 
 必要な技術であると社会から認められること、それがなければ土木は存在理由を無くしてしまう。土木本来の役割と目的、必要性を世に訴える努力を、われわれもしたいと思う。
 
 土木屋は、建築と違って個人の名前が残らない。たとえれば、トライをした時のラガーマンと同じである。ゴールをした時のストライカーとの違いを考えれば土木と建築の違いが分かりそうだ。
 
 シャイで控えめ、縁の下の力持ち、それが土木屋である。
 しかし、
 時代は、土木屋からの情報発信を要求しているのかも知れない。良いことも悪いことも、可能な限りオープンに出来る「土木ワールド」を造りたいものである。
 
 そのためには、改革すべき「官のあり方」があるように思うが・・・、話しはここまで。

鏑木古墳群 鏑木神社 no.157

 千葉県旭市の西北部、九十九里平野と丘陵部の境目あたりの高台に古墳が集まっている。
 ここは、大昔、大きな湖の縁にあったはずである。波荒い内海を見下ろしながら、古墳時代の人たちは何を思ったのだろうか・・・。
 
 地理・地形に興味のある人、古文化に詳しい人はよく知っている「椿海(つばきのうみ)」があった場所だ。市町村合併の前は香取郡干潟町であり、現在は、本当に広い見渡す限りの水田地帯である。
 江戸時代の干拓によって水田化されたもので、ウィキペディア「椿海」に詳しい。 <生まれ変わる湖,関東平野;農業土木学会

  航空写真でこの場所を見ると右下が椿海方向。


 さて、古墳である。
 むかし干潟町、今は旭市教育委員会の管理のようだが、管理状況は見ての通り、予算も掛けられないようである。前方後円墳が多く、円墳もあるようだ。
 
 古墳紹介サイトによると
 御前鬼塚古墳 長熊古墳 滝の台古墳 鏑木大神古墳 法王塚古墳 泥内古墳等があるそうで、ここでは後の3カ所をご紹介。
<小さい画像は拡大できます>

案内

法王塚

 

 

 

 

 下は泥内古墳(円墳)

泥内古墳

 

 

 

 

 

 鏑木大淡妬は神社境内にあることから管理が一番良いようだ。原形をかなりとどめているという。土木の風景は専門ではないので、雰囲気をエントリー。<小さい画像は拡大できます>

案内板

 

 

 

 

 

 

 

 

 

鏑木大淡妬その2その3

 

 

 

 なお、鏑木神社の拝殿、本殿(伊勢神宮と同じ神明造、建築年代不明・・かなり古そうだ)もご紹介。

鏑木神社鳥居

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

拝殿本殿

鏑木神社本殿

 

 

 

 

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