土木の風景

from civil engineers 築土構木、土木技術は社会生活の基盤をささえています。

2008年05月

ラバーダム no.169

 ここは、千葉県袖ヶ浦市。
 袖ヶ浦フラワーライン(広域農道)と名付けられた道路を走っていて妙な河川を見た。
 農業用水の必要な時期だから河川の堰止めはどこにも見られる・・・、が、少し変だ。

堰止め

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 場所は、小櫃川に注ぐ松川が袖ヶ浦フラワーラインと交差するあたりです。車を止めて見ると・・・、納得しました。堰止めの構造物はいろいろとありますが、小規模の堰止めに良く使用される形式;ラバーダムでした。

ラバーダム

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その2

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その3

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ラバーダムは、やさしく言うと風船を横にして、ふくらませて堰止め、しぼんでそのまま越流させる可動堰で、〔起伏堰〕と分類されています。規模が小さく操作が簡単、農業用の可動堰に多用されています。
 
 その長所は、^き上げ式に比べて工事費が安価。 空気量によって、堰止めの高さを調整できる(農業用揚水に最適)。ただし、短所は、‖腟模河川には不向き。 ⇔下土砂の多い河川には不向き。
 
 一般的に多いのは引き上げ式堰です。この形式は、止水の安定性、正確な操作性などは抜群なのですが、いかんせん工事費が高い。また、小規模では水位の微調整が難しく、固定的な水位管理となってしまいます(一級河川など大規模は別です)。
 
 本地区のラバーダムは支線排水路合流部の直ぐ下流に立地し、本流松川からの揚水と支流での揚水も出来る形です。本流写真の左側(右岸側)に操作室が設置されています。

本流揚水

 

 

 

 

 

 

 

 

 

支線揚水

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 <ラバーダムの概要、施工説明などはこちらメーカーに詳しくあります> また、ウィキペディアにも堰の記事がありますので、参考に添付しました。

 ウィキペディアの記事

 [編集] 可動堰
門扉などの可動部をもつ堰。固定堰の最大の欠点は、流量を制御できないことにあったが、可動堰は流量を随意に制御し洪水時には水を迅速に流下させることができる。

可動堰は可動部の構造によってさらに起伏堰と引上堰に大別される。

起伏堰(きふくぜき)は、水中の構造物を起てたり倒したりして水を制御する。堰が比較的小規模で、なおかつ制御する水位幅が狭い場合に採用される。鋼鉄製の扉体を操作するものもあるが、耐久性のあるゴム引布などでできた筒型の袋に空気や水を入れて膨らませて水をせき止めるものもある。

後者の方式は、ラバーダムなどと呼ばれ、倒伏の確実性が高いことや動力がわずかで済み、費用がかからないことなどから起伏堰として近年よく採用されている。

引上堰(ひきあげぜき)は、上下に開閉する門扉をもつ。止水が容易で操作の信頼性が高いため、大規模な可動堰のほとんどはこの方式である。

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放棄水田 no.168

 米農家の集約化が進み、大規模耕作農家が増えているといいます。
 水田を買収して増やすのではなく、借り受け面積を増やすやり方です。三ちゃん農家も、やりきれないから専業農家に任せるというわけです。
 
 ただし、専業農家も、20町歩以上はやらないと採算が合わないとか・・・。むかしの三反農家が食べられるわけがありません。
 
 なお、広大な平野地帯では大規模化の効果は出ます。しかし、山間部などの谷津田はどうするのでしょうか。棚田を有名な観光名所に出来るところはよろしいが、一般の山間部は取り残されてしまいます。
 
 市場原理だけに曝された農業は、水田放棄、そして放棄水田の急激な増加となって崩壊して行きます。次の写真は同じ放棄水田の秋と春の違いを並べてみました。一年が経過しております(勝浦市山間部)。

谷津田

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

春

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 極端な話しですが、食料輸入が止まり、食糧危機が来た時、この水田はまた開かれるでしょうか・・・。おそらくむかしの「苦しい開墾時代」と同じになるはずです。
 
 千葉県南房地区の地すべり地帯は、水田の維持管理を放棄した数年後には山がすべりはじめます。5年もすれば、修復不能、10年もすれば山(水田)が無くなってしまいます。いまは、普段の維持管理で現状地形を保っているのです。
 
 今もこれからも、高齢の農家は山を下り、無人の部落が出来ていくのでしょう・・・。これも時代だ!と、簡単に切り捨てられるほど社会は単純ではないはずです。病んだ都会の住人は逃げ場を無くしてしまうかも知れません・・・田舎あっての都会なのです。
 
 近年の妙な事件は、病んだ都会の明らかな兆候ではないかと思うわけです。ギスギスとして効率とお金ばかりを求める都市住民が多くなっているように見うけられます(都会化した田舎人もたくさんおりますが・・)。農業を、田舎を、もっと考えてもらいたいと切に願うものです。
 
 また、都会人が造ったリゾート地、行楽地、観光地、いずれもその実態は「都会の延長」のように見えます。いきとし生きる小さな生命や植物たちと、「共に生活をして」こそ意味があるのではないかと考えます。
 
 このままでは、バーチャルな自然しか知らない、かたわの子供達がたくさんできてしまいそうです(すでになりつつあるのかも知れませんが・・)。

秋

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

春・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結局言えることは、資本主義の原理に100%乗った生き方は、危険だということです。市場原理に乗って、農業も、農家も切り捨てる日本国のあり方は、どこかで大きな反動があるはずです。いや、これは、世界的なことではないかと・・・。
 
 そして、資本主義そのものが、行き詰まりを感じる今日この頃です。この資本主義体制が永遠に続くと思ったら、大きな間違いです。われわれが生きている間に崩壊するのかどうか、それは分かりませんが、きっと別のよい体制が生み出されるものと確信しています。

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農業用水 no.167

田園風景<すべて拡大できます>

 千葉市郊外の田園風景です。
 こういう美しい風景を提供してくれる農業に、感謝をしたいものです。
 多くの都市住民が、気持ちよさそうに散策を楽しんでいます。
 
 
 さて、今日の主題は農業用水です。
 むかしの「水」は命よりも大切にされてきたもので、争いの元はしばしば水の問題だったと聞きます。渇水時の水争いは、命のやりとりを辞さないものであったとか・・・。
 
 現在はどうでしょうか。
 耕地整理の基盤整備が行き渡り、農業用水の確保は大体完了したのかも知れません。
 千葉県の場合は、大規模・広域の農業用水が構築され、佐原・利根川を起点として延々と九十九里平野の南端まで達しています(両総用水)。

用水桝用水桝2

 

 

 

 開水路あり、暗渠あり、河川あり、パイプラインあり、最後の末端用水路まで、しっかりとした用水計画に基づいて運用されています。また、各地区に於いては地区域内の用水計画が確立されて、この千葉市郊外のように井戸、ため池、パイプラインが整備されています。

深井戸用水桝3

 

 

 

 

 ですから、水に関する限りむかしの苦労がほとんど無くなっているのが現状です。この地区は家庭の水道と同じように、蛇口をひねれば水が出る!・・訳です。
 
 ただ農家の皆さんは使う時期が重なりますので、ふんだんに使えるかどうかは難しいところです。しかし、いまはむかし!・・・ありがたい基盤整備でした(ただし、農業の根本問題は別の話です)。
 
 
 ところが良いことばかりではありません。
 この農業用水の施設が全国的に老朽化し、補修、改良、取り替えなどの必要性が急激に増加し、緊急の課題となってきました。農水省は、ストックマネジメント事業として全国の老朽化施設の補修改善を計画し、実施し始めました。
 
 造る時代から、維持補修・管理の時代に移行しているわけです。
 
 これは、土木の分野に於いても同じような流れです。社会基盤の整備に関する時代的な国民的要請と言えます。ガソリンの特定財源問題や「建設」に対する世間のバッシングはその象徴ではないでしょうか。
 
 箱物行政に代表されるような安易な「建設」は、国民からNO!を突きつけられているわけで、農業も例外ではありません。
 
 既存の施設を有効活用しながら、本当の意味で国民のためになる活動をしたいものです。そのためには関係者が真剣に知恵を出し合い、情報発信と公開をすべきです。
 
 われわれは今、時代の大きな転換点にいることを自覚したいと考えます。

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海蝕風景 no.166

 陸と海の境界には独特の地形が生まれ、風景としてみると素晴らしいところが多い。
 千葉県房総半島は、太平洋の外海と東京湾の内海、それぞれに魅力があります。
 
 自然の外力は凸形の地形を削り、凹形の地形を埋める作用を果たすものです。
 外洋の房総では、いすみ市岬町太東を境として、北は堆積の九十九里浜、南は浸食の急崖が続く・・・。

九十九里

 

 

 

 

 

 

 

 

 

釣り師海岸

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この写真は、鴨川から勝浦付近の海岸です。
 今、海面から頭を出している岩の平坦面、これが海食台(棚)といわれるもので、海水で浸食され切り取られた痕です。切り立った崖が海蝕崖、現在削られている山というわけです。

かつうら

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 海食台は満潮になると水没します。海上を見ると棚の位置が波浪の出来具合でよく分かるものです。広いところは、かなりの沖合まで平坦面が続き、海の恵みの宝庫となるようです。

海食台

 

 

 

 

 

 

 

 

 

海食台2

 

 

 

 

 

 

 

 

 

釣り師海岸2

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おせんころがし

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 浸食海岸の代表は屏風ヶ浦、大原の釣り師海岸などで層理が明確に分かるほどに新鮮な露頭が見られます。その道の人にとってはすばらしい研究素材というわけです。崖下に立ってみると、迫力ある自然の営みを実感することが出来ます。

屏風ヶ浦・銚子側

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

屏風ヶ浦

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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畑の風景 no.165

 春本番から初夏へ・・・、早いものです。
 農家は、田植えが終わり、ホッとする間もなく畑仕事が大変です。
 
 この畑は、トウモロコシ。
 ビニールを敷くことは当たり前のことになっているようです。地温を高め、雑草の繁茂を防ぐ効果があります。農家にとっては二度おいしいビニール敷きというわけです。

畑の風景

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、水田は日本の原風景を思い起こしますが、畑はそうではないのはどうしてだろうか。北海道などの地平線が見られる畑は、やはり日本的ではないのかも知れません。
 また、畑作の歴史は新しいからでしょうか。やはり、日本人の原点は水田にあるようです。
 
 水田は、代かきから田植え、中間の草取り、秋の稲刈りと毎年決まったサイクルです。機械化も進み人間の労働も少なくなっています。兼業農家やサラリーマンも簡単に?出来る形となっています。ただし、米で食べられるには大変な耕作面積を必要としますから、専業米農家が激減するのは理解できそうです。
 
 一方、畑の方はどうか。都市近郊では畑作が一般的です。大都市への野菜供給基地として自立した農家が多くいます。しかし、こちらの方は北海道のような大規模農家ではなく、大型機械を使えない小規模畑作農家も多いのです。
 
 庭の草取りをしている人には分かると思いますが、水田に比べて雑草の繁茂はスゴイものがあります。除草剤も使えず、畑作は手間の掛かる労働を強いられるわけです。「水田より畑が大変」、これが普通の農家がもつ常識です。
 
 こうした農家の努力に報いるためにも、日本産の野菜を食べて欲しいものです。また、形や見栄えにこだわらない「本当にうまい野菜」をわれわれは知るべきだと思います。

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橋脚工事完成・・一提言 no.164

 基本的な仕様は、不明。
 つい近所で橋梁工事を延々とやっていた・・・。
 
 写真右のアバット(橋台)から左へ、橋脚を一式ずつ構築して、ようやく写真左のアバットに到達した。3径間の橋梁である。

橋梁工事その2その3

 

 

 

 

 

 上部工はこれから・・・、完成は何時のことだろうか。
 写真の左側の道路はまだ出来ていない。ということは片側だけの架設は当然のことのようだ。

その4<すべてクリックで拡大できます>

 

 都市計画道路というのは、完成までにずいぶんと時間が掛かるものである。われわれが生きている内にお目にかかれるか・・・というスパンも多い。
 
 昔のようにお金もないし、住民パワーも強くなっている。行政の担当窓口のご苦労が分かるというものである。
 
 それでも、全国の都市計画道路がゆっくり・ジックリと建設整備されていくのはよく見るし、一軒一軒と家屋が消え、ある時一挙に完成することも多い(立ち退きをされる住民の方にはご苦労が多い)。
 
 都市計画道路の線引きについては、利害損得が絡み困難を極めると言うが、本来的に必要な路線は当然整備されてしかるべきである。公共のための道路整備は、街作りの基本的な都市計画であり、ある種の強制力を持っている。しかし、欧米に比べて日本の強制力は非常に弱いと聞いている。
 
 強くすればよいと言うものではないが、これまでの行政の姿勢にも問題があったのではないかと感ずる。日本の行政は、むかし御上、今でも中央官庁は権限と威信?を持っている。そのために、情報をオープンにして市民に相談するというステップを踏んでこなかったのではないだろうか。住民が知った時は計画が完成した後が多く、トラブルの元となってきた。
 
 「計画段階で住民を参加させると工事費はかさむし、注文も多い。意見は交錯するし大変なことばかりで困難だ。まとまりはしない!」これが行政側の意見であろうか。
 しかし、これは古い御上の発想である。
 
 住民や市民は昔の”民”ではない。少ないながらも、住民の中には専門家もいたり、相談できる機関も多くなっている。一概に意見を聞くだけの素人相手、とするのは時代遅れかも知れないのだ。
 
 最近は、住民の意見を計画段階から聞こうとする住民参加型事業計画や行政マンが出てきているという。そういう体験をした行政マンに聞くと『 とにかく手間暇掛かるし、苦労も多い。しかし、事業そのものと”行政と住民の信頼感”において良い成果を得られた。』という。
 
 情報公開も捨てたものではない。
 
 都市計画道路の線引きについても、縦覧期間を設けて市民に公開しているように見えるが、その実態は形式的なものが多いように思う。欧米の強制力は市民の公共意識がしっかりとしていることから来るのであろうが、日本に於いても遠い将来には努力次第で可能性があると考える。
 
 徹底した情報公開を行い、住民・市民との討議・協議を通じて信頼関係を築くこと、それが結局は早道である。大変に苦労が多く困難な手法だが、行政の勇気と英断を待ちたいものである。
 
 すでに、”むかしながらの建設行政”は頓挫していることを肝に銘ずべき時代に来ているはずである。

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