土木の風景

from civil engineers 築土構木、土木技術は社会生活の基盤をささえています。

2008年09月

亀山ダム no.188

 千葉県で最初の多目的総合ダムです。
 洪水調節、都市用水の確保、流水の正常な機能の維持を目的として昭和55年に完成したものです。
 
 小櫃川上流部、JR久留里線の終点・上総亀山駅のすぐそばにあり、亀山湖として、観光、リゾート地として有名です。春、夏、秋とにぎわいます。釣りは一年中大丈夫のようです。 
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亀山ダム亀山ダム2

亀山ダム3

 

 

 

 

 さて、ダム本体です。
 
 ダムの種類;重力式コンクリートダム
 高さ;34.5m 長さ;156m
 体積;81,000立方メートル
 放流施設;主放流設備・ホロージェットバルブφ1100
     ;クレソトラジアンゲート 8m×8m
 千葉県内にあっては、規模の大きなダムと言えます。
 貯水池諸元は管理事務所の記載と案内板でどうぞ。
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亀山ダム4亀山ダム5亀山ダム6

 

 

 

 ダム本体上部の放水施設は、開閉式のゲート(クレソトラジアンゲート)となっており、これが亀山ダムのアクセントになっているように見えます。
 大雨、洪水時に来なければ見られませんが、開いた時は絵になりそうです。ワイヤーで吊り上げて回転させる構造です。 
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亀山ダム7亀山ダム8

 

 

 

 また、ダム本体内部の監査廊写真が管理事務所サイトにあります。

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上総国分寺遺跡 no.187

 市原市役所周辺は上総台地が広がり、平坦な地形をしています。
 この広大な地区を区画整理事業で開発し、現在は市街地となっているところです。その時の遺跡調査で上総国分寺と上総国分尼寺の詳細が分かったそうです。
 
 区画整理事業もこの貴重な遺跡をしっかりと残し、区画も上手に線引きされています。国分尼寺は資料館もあり、当時の朱色の建物も復元されており、のんびり散策するのも良いかも知れません。<上総の古代について(国分寺・国分尼寺跡)> <市原市役所の案内>。

上総国分寺上総国分寺2

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 時は奈良時代・天平13年(西暦741年)に、聖武天皇の建立詔勅が全国へ発されたようで、千葉県では、ここ上総国分寺、下総国分寺(市川市)、安房国分寺(館山市)が建設されたとか。当然、この上総が関東の有力な中心地の一つだったようです。
 
 しかし、時は遷り、平安時代の後期(11世紀)には律令国家の力も衰え、上総国分寺、上総国分尼寺とも衰退したようです。国家が自己の権力のために建立した寺院は、民衆の支持を得ていませんから、権力が無くなると寺院もなくなる道理でした。
 
 現在は、上総国分寺の山門跡、七重塔の基礎が保存されています。広大な敷地も部分的に公園として残し、その敷地内には現在の上総国分寺があります。
 
 七重塔の礎石は何という大きさ・・・滑り止めの突起が何とも親しみを覚える夏の空・・・でした。  
<拡大できます>

上総国分寺3上総国分寺4上総国分寺5

 

 

 

 

上総国分寺6

 

 

 

 

 

 

 

 なお、現在の上総国分寺は広い敷地の一部にあり、山門の仁王像(木造)と、薬師堂が素晴らしい姿を見せています。

上総国分寺7

 

 

 

 

 

 

 

 

 

上総国分寺8

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

上総国分寺9

 

 

 

 

 

 

 

 

 

上総国分寺10上総国分寺11

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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落石防護柵 no.186

 ここは、君津市亀山地区の三石山(神社)登山道の途中です。
 房総丘陵の中では急峻な地形が連続しており、亀山ダムなどの人造湖も多くある地区です。
 
 真夏は三石神社を参拝する人も少なく、景観も最高です。
 
 さて、その登山道の一角におもしろい形の落石防護柵を見つけました。
 腐食防止をしたような鋼製の柵です。
 
 かなり大きな落石も止められそうです・・・が、背後は完全にコンクリート吹きつけを施工しています。必要なのか・・・?
 と、上を見上げて納得でした。吹きつけの上に、まだまだ崖が続いています。そういえば、この場所むかしはトンネルであったかも知れません。

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落石防護柵落石防護柵2落石防護柵3

 

 

 

 

 三石山には神社参拝が目的でなければ来ることはありません。
 むかしむかしは奥深い敬虔な神社で、参拝する人も大変だったでしょう。
 今は、車で神社まであがれます・・・ありがたさが半減するようです。

三石より樹林

 

<拡大できます>

 

 それにしても、岩に包まれ、大木の樹林に抱かれるような三石神社は魅力的です、房総にも、こういうところがあります、是非どうぞ。

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木下貝層 no.185

 ここは、千葉県北総地区・印西市です。
 市街地の東側、印旛高校の隣に木下万葉公園があり、その一部崖面を残しています。

木下貝層

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 有名な?木下貝層(きおろしかいそう)です。
 平成14年に国指定の天然記念物に登録されています。その説明・案内板は次の写真ですが、小さくてよく見えません。

木下貝層2

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

木下貝層3

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 説明によれば、古い昔・・・この地区が古東京湾(関東平野の広い範囲で、霞ヶ浦も江戸もすっぽり・・です)だったころの浅い海に積もりたまった地層だそうです。
 その当時を見ておりませんが、利根川も海の底、この木下も浅い海の底だったわけです。
 
 その後、海面下降、陸地の上昇を経て現在の姿になったもので、茨城県側にも同じような貝化石層が見られます。地質的な名称は第四紀・洪積世・成田層(木下層はその最上部)となり、12〜13万年前の堆積層に当たります。
 
 この貝層は、人間の関与は全くありませんで、沖積世(約1万年前以降)の縄文人が作った貝塚遺跡とは違います。貝塚遺跡は至る所に見られる当時のゴミ捨て場と解釈すれば良さそうです。ですから、木下貝層が格上だし天然記念物指定もうなずけるものです。

木下貝層4

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ここで出てくる貝殻は、バカガイ、キオロシアサリ、サラガイなど、現在でもたくさん見られる貝だそうです。貝化石が好きな人には一見の価値あり・・です。
 
 素人には、何の貝やら・・・証拠写真を添付します(拾ってはいけません)。

木下貝層5

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

木下貝層6

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

木下貝層7

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 最後に、ここは木下万葉広場の一角ですから、広場についての記事はこちらへどうぞ。
 
 追記
 先日の読売新聞に『地層の「第三紀」「第四紀」』と題して時代境界の論争を紹介していました。現在の学会結論は、その境界を180万年前と260万年前と併記する(案)だそうです。いずれは、260万年前が定着するようで、いろいろな分野で影響が出そうです。
 
 なお、ヒト属の出現がどんどん古くなっています。第三紀の終わり頃には出現したような研究発表もあるそうです。100mの記録と同じで、どこまで記録が伸びるのか楽しみです・・・とはいいながら、「そんな前のことは分からない」が本音です。

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館山市稲村の堰 no.184

 館山市は房総半島の南端に位置する古い城下町です。
 里見家の居城、館山城が今も城山公園にそびえています。<館山城の紹介記事
 
 その館山平野を東から西の館山湾に注ぐ平久里川(ヘグリ)、その支流に滝川があり、滝川の中流域にこの堰はあります。

稲村の堰

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

稲村の堰1

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ここは、旧九重村(ココノエ)と旧館山市の境界付近にあり、九重村は昭和28年に館山市に合併吸収されています。稲村には里見の居城だった稲村城の遺跡があり、また山本部落には木幡神社もあります。
 
 木幡神社には館山市の文化財「滝川のびゃくしん」があり、「樹齢は 800年前後と推定されており、幹周約4m、樹高約11mで、形の良い樹冠をしている大樹」だそうです(残念ながら、実物をまだ見ていません)。
 
 さて、名もない堰です。
 場所は、館山市街地を東に3.5km離れた郊外の田園地帯になり、稲村の堰というのは筆者が付けた仮称で、正式の名前は不明です。ちなみに、平行して架けられている橋は「箱橋」だそうです。 <map

稲村の堰2

 

 

 

 

 

 

 

 

 

稲村の堰3

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

稲村の堰4

 

 

 

 

 

 

 

 

 

稲村の堰5

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 このコンクリートの状況を見れば、とっくに耐用年数を超えているはずです。
 それでも、いまのところ現役バリバリです。
 ここでせき止められた水は「館野の滝川用水」と称し、ここから館山平野の広い地区に水を配っています。堰の築造年代は分かりませんが、昭和初期??でしょうか。
 
 なお、「館野の滝川用水」そのものは、江戸時代の仕事のようですが、紹介がおもしろいのでご紹介。
 『悪政をした川井藤左衛門(かわいとうざえもん)でしたが、滝川から国分の下まで水を引く用水を作ったことは、その後とても人々の役にたちました。』そうです。

稲村の堰6

 

 

 

 

 

 

 

 

 

稲村の堰7

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 こういう古い土木構造物が現役で活躍しているのを見ると、うれしい気持ちがわき起こります。上の写真のように、もともと滝状の落差が生じていた場所のようで、岩盤が露出しています。設置場所が何とも心憎いものです・・・だから、これだけ長寿なのでしょう。

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