土木の風景

from civil engineers 築土構木、土木技術は社会生活の基盤をささえています。

2010年07月

猿田神社参道橋 no.277

 「さるだじんじゃ」と読みます。
 銚子市猿田町にあり、由緒ある神社です。
 
 小高い丘の上に鬱そうとした天然樹林があり、その中に建立されています。
 巨木が林立する境内の森は千葉県指定の天然記念物です。

猿田神社


神社


猿田



 さて、今回の主役は参道の階段途中にある橋です。

011


004


 その橋の下を、なんと電車が通過して行きます。JR総武本線のようです、なぜ、こういう形になっているのか・・・調べてみました。
 
 神社は高いところにありますから、階段は分かりますが、明らかに線路を跨ぐことを目的として築造されています。水路を渡るのにこれほど高くする必要はありませんから・・・。

005


 
 そこで、横に回ってみました。
 JR総武本線から、参道を見ると、橋がはっきり分かります。それも、年代物です。
 赤い煉瓦造りが懐かしい・・・明治の建造物でしょうか。

009


 そして、はっきりしていることは、鉄道があとから来た、という事実でしょう。

地図


地形図



 上の地形図を見ると、谷沿いに通過する鉄道路線が集落を避け、猿田神社の参道を切る形を選択したことが分かります。
 
 ウィキペディアの記事から抜粋すると、
 【 参道に先神橋というJR総武本線をまたぐ橋がある。これは、1897年(明治30年)総武鉄道が銚子まで開通したときに参道を分断してしまうことになったため鉄道会社により造られたものである。】
 と、あります。
 
 それにしても、113年前の構造物です。上部工(新しい)はともかくとして、しっかりした橋台を見てください。丁寧な良い仕事をしていることが分かります。
 
 この時代の土木は骨太ですね〜、いかがでしょうか・・・。

010


013



014


012


047


 ウィキパディア記事
 由緒 [編集]
社伝によれば、垂仁天皇25年(BC5年)11月25日の創建とされ、神功皇后の御世に生田神社の摂社になったという。康平年間(1058年〜1065年)には源頼義が神田を寄進し、鎌倉時代以降も武家の信仰が篤く源頼朝も寄進したと伝えられ、足利晴氏は金印を奉納をし当時のものという印が現存する。

永禄9年(1566年)海上氏と安房正木氏との合戦で社殿を焼失、元亀年間に再建するも天正元年(1573年)にふたたび焼失、翌天正2年(1574年)に再建し、現本殿は延宝8年(1680年)に改築されたものである。なお、天正19年(1591年)には徳川家康も朱印地30石を寄進した。

庚申の年(60年ごと)に式年大祭神幸祭がある。

  <土木の風景TOPへ>

耐候性鋼材裸使用の橋梁桁 no.276

 梅雨が空け、気持ちの良い真夏が始まりました。
 気持ちだけでも、ぎんぎら太陽のように元気に行きたい建設業界です。
 
 さて、
 鋼製橋梁の防錆は、昔からランニングコスト上昇の重要課題でした。
 定期的なメンテナンスが欠かせなかったわけです。
 
 新設・工事中のランガー桁橋を見て、鋼材の進歩著しいことを知り、調べてみました・・・もちろん、素人の記事ですから「お話し」であります。
 
 まずは、川田工業(株)の技術資料から鋼材防錆の種類を拝借してきました。

種類

 上のように、種類は多いようですが、鋼材としてみると
 ”當鵡欹燹↓普通耐候性鋼材、1茣濛儻性鋼材
 という3種類になるようです。
 
 次の写真は、千葉県北総台地(内陸部)の谷津を横断する橋梁です。上部工完了直後といえましょうか。

110



 これで工事は終わっています。
 「塗装はどうしたの?」と、聞きたくなってしまいます(笑い)。
 説明を聞いて、なるほど納得、『 耐候性鋼材裸使用によるライフサイクルコストの低減 』なのだそうです(-裸使用)。
 
 潮風が吹いてくる地方でもなく、良質の錆が定着して防錆効果を発揮するとか・・・、メンテナンス無しです。
 まだ新しいので、錆むらが出ているとか。

166



167




 さて、これで終われば何のことはない、ただの紹介記事です。
 
 そこで、やはり
 土木の風景は土木屋サイトですから、建設後数年経過した橋梁を追跡してみました。
 同一路線の供用開始している区間に、同じような橋梁があります。

193


194



 なるほど、桁鋼材は裸使用です。そして、錆の色調もずいぶん渋い色に変化しています。少し安定期に入っているのでしょうか。
 近づいてよく見てみました、かくの通りです。

195


192



188



190


191



 こういう鋼材自身による防錆が海岸地方でも使えるとは、まったく驚きです。
 細かいルールや仕様ばかりが整備されて、土木屋本来の仕事が出来なくなっている現代社会ですが、
 こういう進歩は、実にありがたいことであります。
 
 なお、
 橋梁の寿命は、今後、何で決まりますでしょうか・・・、橋梁の専門家にお聞きしてみたいものです。

   <土木の風景TOPへ>


海食地形・・太海 no.275

 鴨川市太海地区は仁右衛門島などを残す景勝地の海岸線です。
 
 太海漁港には新鮮な魚介類も揚がり、旅館、民宿言うことなし・・・仁右衛門島の由緒・由来も、源頼朝、日蓮上人の伝説など豊富です。
 
 平野仁右衛門さん個人所有の島ですが、一度どうぞ・・・(渡し船は有料)。

太海



 さて、太海の海食海岸は荒波に耐えるくらいですから、硬い岩が露出するものです。岩質によって景観は違ってくるわけで、ごつごつとした岩盤が続きます。
 
 その風景は次の通りです。

061クリック拡大できます。

062


 ここで問題です。
 この岩盤の種類は何でしょうか・・・。海岸に降り立たないと何とも言えない・・・ははは・・、当然のご回答でした。
 
 「土木の風景」ですから地質に関する文献をコピーして回答を載せました。
 この地区は、曽呂川を挟んで嶺岡丘陵があり、複雑な地形地質で有名です。嶺岡の方は地すべり地帯にもなっています。
 
 断層が多く、地層の傾斜も複雑です。

地質



 もっと詳細に見ると海岸の地質は第三紀の古い方、江見層群になります。
 岩質は主として凝灰質砂岩および凝灰岩というわけで、固いわけでした。

地層


 さて、太海海岸のように固い岩層ではないところは海食がどんどん進行し、陸地がなくなって行きます。その代表格が屏風ヶ浦でしょう・・・ひどいときは年間数mも後退したといいますから、おちおち生活できません。
 
 現在はテトラポッドの敷設で浸食は止まっています。
 同じ第三紀でも、新しい時代の、軟らかい地層群なのです。

屏風ヶ浦


 関連記事は
 no.61 no.166 no.194 no.203 no.215 no.261 にあります。
 時間に余裕のある方は、Categories「土木の風景目次」から、番号選択して頂ければリンクが張ってありますので、どうぞ・・・。
 
 
 凝灰岩 ぎょうかいがん   <大百科全書>

tuff 火山学では、構成粒子の大部分が直径4ミリ以下の火山灰よりなる火山砕屑(さいせつ)岩を凝灰岩とよび、直径2ミリ以上32ミリ以下の火山礫(れき)よりなるものを火山礫凝灰岩、構成粒子が2ミリ以上の軽石であれば軽石凝灰岩、2ミリ以上の岩滓(がんさい)であれば岩滓凝灰岩として用いているが、これらを総称して凝灰岩として用いることもある。非火山性地域の堆積(たいせき)岩中の凝灰岩は、遠方から運ばれるため細粒であることが多い。凝灰岩が主として火山ガラスの細片よりなるときはガラス質凝灰岩、主として結晶よりなるときは結晶凝灰岩、すでに存在していた火山体の岩片よりなるときは石質凝灰岩とよぶ。色は淡緑色、緑色、白色、淡紅色、赤色、褐色、黒色とさまざまで、形状も緻密(ちみつ)なものから、すきまが多いものまでいろいろある。凝灰岩は火山灰に由来するので、水平方向の連続性のよいものが多く、とくに白色の酸性凝灰岩は地質構造調査の鍵層(かぎそう)として、地層の対比に利用されることが多い。
〔溶結凝灰岩〕火山噴火の際、火砕流のような形で高温の火山灰、軽石、岩滓などが大量に厚く堆積すると、高熱と自重による圧力のため溶結作用がおこって緻密、偏平な岩塊をつくる。岩質としては石英安山岩質ないし流紋岩質であることが多い。このようにしてできた溶結凝灰岩はかなり大規模に分布し、垂直に近い崖(がけ)や柱状節理の発達のためみごとな景観を示す。日本では十和田湖(青森・秋田県)周辺、大雪山の層雲峡(北海道)、阿蘇(あそ)(熊本県)などに分布する。
〔グリーン・タフ〕日本の新第三系の地層の中には淡緑色の凝灰岩が特徴的に発達していて、グリーン・タフとよばれている。これは、海底火山活動で堆積してできた凝灰岩類が熱水変質によって緑色を帯びたものである。北海道南西部から本州の日本海側、フォッサ・マグナ地域にかけて分布しており、この地域をグリーン・タフ地域とよぶことがある。黒鉱鉱床を伴うことがあるのが特徴の一つである。〈矢島敏彦〉

   <土木の風景TOPへ>

自噴井(井戸) no.274

 ここは、銚子市猿田地区です。
 千葉県北総台地の東縁というのでしょうか、犬吠埼に至るまで台地面が続きます。
 
 その台地面を、細長い谷津地形が切り込んでいきます。

地形図



 千葉県の北総台地ではごく普通の地形です。
 この谷津の谷底は狭い平坦地が連続し、おいしいお米が出来る水田が広がっていたものです。粘土質の水田土壌はおいしいお米が出来ます。
 
 しかし、最近の農業は苦しい状況にあり、耕作放棄水田が拡大しています。
 高齢化は進み・・・、
 機械化できない狭い水田を、若い人は見放してしまうのです。
 
 途中で出逢った初老のお百姓さんは、嘆きながらも自分が出来るまでは・・・と語っておられました。
 日本農業の縮図であります。
 
 さて、次の写真は、話を聞かせてくれたお百姓さんの田んぼです。ずぶずぶと深い水田(普通の長靴ではOUT)らしいですが、それだけおいしいお米だそうです。
 
 水田の先が狭い谷津になり、そこから先は耕作放棄水田が延々と続きます。

134



 このポールから先がすべて耕作放棄地・・・、このままでは、いずれ山林になっていくはずです。

137



 地形図に見るように、長い谷津には周辺の平坦地から雨水が集まってきます。雨が降らなくとも、いつも湧水があり、豊かな水が流れてきます。
 
 恵みの水・・・、大昔から大切にしてきた「水」なのです。

地図


136



 さて、
 水路の中央部に古い土管を見つけました。地面から突き出しており、塩ビのパイプが倒れかけています。土管からは蕩々と水がわき出して絶えることがありません。
 
 自噴井(井戸)です。
 地下水位が地盤面より高くなると自然に湧き出てくることから自噴という言葉をあてます。
 
 こういう自噴井を見つけると、うれしくなってしまうのはなぜか・・・、農耕民族のDNAなのでしょうか。
 
 こういう谷津地形では自噴井が必ずあり、地形図に湧水マークが付いていたりしたものです。地元の人たちにとっては重要な場所であり、大切にされてきました。

自噴井



 ただし、打ち棄てられたような自噴井を見るとため息も出てくるのです。耕作放棄地が増え続け、水があまっているという現実は全国の至る所に見られます。
 
 機械化できないような狭い谷津地形の現実は、下の写真のような風景になって行きます。
 見方によっては、開墾された水田が自然の姿に還って行くと言うことでしょう・・・が、複雑な気持ちです。

037


 辞書記事は、参考です。
 
 自噴井 じふんせい   <大百科全書>
揚水を行わなくとも地下水が自然に地上へ湧(わ)き出す井戸。扇状地の扇端部、火山の山麓(さんろく)、堆積(たいせき)盆地の中心部などで深さの異なる井戸を掘ると、井戸の水位は深い井戸ほど高くなり、一定の深さを越える井戸では地下水が自噴する。小規模な自噴井は砂丘の縁辺部や沖積谷の谷底でもみられることがある。英語では自噴井をフローイング・ウェルflowing wellのほかにアーテジアン・ウェルartesian wellともよぶが、この名は北フランスの有名な自噴地帯であるアルトアArtois地方に由来する。一般にわが国は地下水が豊富で、前述した地形の地域には多数の自噴井が存在した。上総(かずさ)掘りで知られる千葉県の五井(ごい)や市原地区にはかつて1万本以上の自噴井があった。これらの井戸は海岸部の工場地帯における地下水の大量揚水によって一時自噴を停止したが、最近では地下水の揚水規制の効果が現れ、自噴を再開する井戸が多くなった。地下水が自噴するには、帯水層の上に不透水性の加圧層の存在が必要と考えられていたが、地下水流動のシミュレーションによって、加圧層がなくても自噴しうることが明らかになった。〈榧根 勇〉

 被圧地下水 ひあつちかすい   <大百科全書>
→地下水
帯水層の上部および下部を水を通しにくい加圧層で挟まれた、地下水面を有しない地下水。被圧地下水が地下深部にある場合、深層地下水とよばれる。ただし深層は浅層に対する相対的な用語として用いられており、浅層地下水と深層地下水を学問的に区分することは困難である。二つの加圧層の間に閉じ込められた地下水は、涵養(かんよう)地域からの水圧によって加圧され、大気圧以上の圧力を有している。被圧帯水層中に井戸を掘ると、その井戸の水位はその帯水層の上面よりはるか上まで上昇するのが普通であり、場合によっては地表面より上まで上昇する。この場合、その井戸を自噴井、自噴井の存在する地域を自噴帯という。自噴帯は扇状地の扇端部、鑽井(さんせい)盆地の中央部、砂丘の周辺部、火山体の山麓(さんろく)、侵食谷の谷底などのような、地下水が地表へ流出する地域にみられる。しかし自噴井がすべて被圧地下水であるとは限らない。均質な地層からなる砂丘や波丘状の地形では、地表面の標高が高い所ほど地下水面も高く、地下水面の起伏が大きいので、加圧層が存在しなくても地形的な制約だけで不圧地下水が自噴することがある。したがって自噴するかしないかは被圧地下水の本質にかかわりはない。オーストラリアの大鑽井盆地、パリ盆地などは被圧地下水盆地の代表例で、関東平野にも地下水開発の初期には多数の自噴井がみられた。
 被圧地下水の地域的流動状態は被圧水頭面の形から推定できる。被圧水頭面とは、ただ一か所にだけスクリーンを切り、水の漏れないように鉄パイプなどでケーシングした井戸の水位を連ねた面である。鉛直方向の水頭勾配(こうばい)がない場合には、地下水は被圧水頭面の傾斜の方向に流動している。自噴井や揚水井があると被圧水頭面の形は乱される。深さによって井戸の水位の異なる帯水層や帯水層群では、特定の面を明確にしない限り被圧水頭面を描いても意味をもたない。
 三次元の流動場をもつ地下水の流動方向を知るには複数の被圧水頭面が必要である。不圧地下水を揚水すると揚水量に応じて地下水面が低下する。地下水面の低下は地下水貯留量の減少を示している。しかし被圧井の水位変化は地下水の圧力変化を示しており、地下水貯留量の変化とは直接的な関係はない。被圧井の水位は揚水のほか気圧や潮汐(ちようせき)の変化にも敏感に反応する。被圧地下水を自然の涵養量を超えて揚水すると、粘土などからなる加圧層が圧密収縮して地盤沈下が生じる。被圧地下水の流速は非常に遅く、その滞留時間は数十年ないし数万年であり、大陸にはさらに古い地下水もある。一般に古い被圧地下水ほど溶存物質の量が多く水質が悪い。→地下水〈榧根 勇〉

   <土木の風景TOPへ>

Recent Comments
訪問者数
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

QRコード
QRコード
Archives
  • ライブドアブログ