土木の風景

from civil engineers 築土構木、土木技術は社会生活の基盤をささえています。

2010年11月

利根川(3)

・利根川上流域の水道水源

図1に利根川上流域のダム群と利根川の位置関係を図示しました。

利根川から水道用水を取水するためには、水利権(河川から水道用の水を取水する権利)が必要となります。

首都圏の水道事業者は、昭和30年代後半から、水道用の水利権を取得するため、多くのダム建設に参画しました。

こうして取得した水利権の水道用水をどの地点から取水するかが、次の課題となり、農業用水等他の関係者との調整が必要になります。
利根川上流ダム群の位置概念図



・見沼代用水
八代将軍徳川吉宗は、新田開発のため、見沼代用水の整備をすすめました。

利根川からのかんがい用水の取り入れ口は、利根川左岸の埼玉県行田市(現在)付近です。写真1の看板に当時の状況が示されています。(なお、江戸時代の利根川は、太平洋ではなく、江戸湾に流れていました。)


見沼代用水の看板
 
  写真1:元見沼代用水元圦公園の看板


・利根大堰

東京都や埼玉県が、利根川から水道用水を取水するため、昭和38年(1963年)から利根大堰や武蔵水路の建設が始まり昭和43年(1968年)に完成しました。

都市用水の取水箇所について、建設省(当時)は、当初、八ッ斗島下流の埼玉県本庄市付近で取水し、東京都東村山浄水場へ導水する出来島案を計画しましたが、農林省(当時)は、都市用水が農業用水より上流で取水し優位性を持つことに断固反対し、見沼代用水を利用し都市用水は板橋北部へ導水する見沼代用水利用案を提案しました。

そこで、昭和37年(1962年)に設立された水資源開発公団(当時)が、見沼代用水取水箇所に、農業用水と都市用水の合口の取水堰を設け、武蔵水路を建設し荒川に注水する荒川利用案を提案、国、関係都県の合意を得て、利根大堰の位置や武蔵水路が決定されたようです。

利根大堰の位置は、利根川河口(千葉県銚子市)から154km地点の利根川中流部となります。

利根大堰看板ガイドマップ
  写真2:利根大堰周辺ガイドマップ(利根導水総合管理所看板より)

 図2に、農業用水と都市用水の系統の模式図を書いてみました。
利根導水路用水系統模式図

武蔵水路は、都市用水専用の水路で、利根大堰で取水された用水が荒川に注水されています。

武蔵水路の建設当時の流量は50/S で、内訳は、新河岸川・隅田川浄化30/S、東京都上水道用水16.6/S、埼玉県上水道用水1.6/S、埼玉県工業用水道用水1.8/Sとなっています。(なお、武蔵水路は、平成22年度(2010年)から改築工事が行われており、水量が若干変更されています、詳しくは水資源機構のHPをご覧ください)


利根大堰 屋上からトリ
写真3:利根導水総合管理事務所屋上から見た利根大堰と沈砂池



・ 
利根大堰の魚道

利根川は、農業用水だけでなく、水運としても、江戸時代から重要な河川でした。

利根大堰は閘門機能(運河)を持たない堰として設計されたことで、堰上流への水運による物資の輸送路としての利根川の役目を終わらせたと云えます。

また、堰の建設は、上下流の生態系に大きなダメージを与えます。特に、鮭や鮎など、河口から上流まで河川を縦に泳ぐ魚にとっては、影響が重大です。(ドジョウやナマズは、河川と圃場を行き来する横に泳ぐ魚と云えるでしょう)

利根大堰には、3箇所の魚道が設置してあり、右岸側の魚道には観察窓が設置してあり、自由に見学することができます。

大堰魚道 名入り
写真4:利根大堰右岸下流から

魚道縦
写真5:魚道

鮭の遡上 トリ
写真6:魚道を遡上する鮭

大利根大堰鮭遡上経年変化

水資源機構では、鮭や鮎の遡上数を、毎日カウントしています(お疲れ様です)。平成7年〜平成9年にかけて魚道の改築がなされ、その効果が平成17年以降顕著にあらわれています。

この勢いであれば、近い将来、みなかみ町付近の利根川で鮭を捕っている熊を見かけることになるかもしれませんね。



ライバル語源


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成田ニュータウンセンタービル解体 no.289

 成田ニュータウンは1968年(昭和43年)に着工し、つい最近までアクセス道路などの工事を継続していたものです。当時、成田空港開港を控え、関係者の住宅地供給を目的として千葉県企業庁が造成開発したものです。
 
 計画面積487ha、予定人口6万人でした。
 現在2010年8月で約34,000人だそうです。成田空港が開業したのが1978年(昭和53年)ですが、その頃も造成工事は継続中でした。
 
 今日の主役センタービルは1973年(昭和48年)の完成ですから空港開港時には威容を誇っていたものです。周辺はまだまだ開発中でしたから目立ったわけです。
 
 そのセンタービルが役割を終えて解体されています。

 思い入れの深い人たちがたくさんいるのです。

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CenterBuilding


センタービル



 なぜなら、成田空港建設反対の嵐が吹きすさぶ厳しい時代の象徴的な存在でもありました。開港に向けた時期には厳重な警備体制が敷かれ、建物内部にはいるのも大変な事でした。
 
 官庁、民間を問わず、ビリビリとした空気が張りつめておりました。
 このセンタービルにはニュータウンや空港の建設工事を指揮する千葉県関係の事務所が多くあり、ねらわれやすいという事もあったでしょう。それと、建物が目立っていたというのもあるかも知れません。
 
 さて、
 時は遷り、センタービル周辺は人影も少なく閑散としていました。銀行や商店も撤退し、解体撤去は時間の問題であったわけです。
 
 解体は低層部から始まって、いよいよ高層部に手を付けはじめています。
 あの部分は、あの部屋だった・・・そのように感ずる方も多いはずです。主に、団塊の世代とその前の世代が頑張った建物でしたか・・・。
 
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 センタービル、御年37才となります。
 少々若い最後のような気がしますが時代の波にのまれるような一抹の寂しさがあります。
 「ご苦労さん!!」 と声を掛けてきました・・・。

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大田代・熊野神社 no.288

 房総半島南部、太平洋側の鴨川市小湊から北上すると内浦山県民の森があります。
 そこを通過すると大多喜町・麻綿原高原にいたり、その中心に妙法生寺があり、太平洋を一望する事が出来ます。
 
 アジサイの季節にはたいそう賑わうところです。6,7月は一方通行の規制もありますからご注意を・・・。それでなくとも、すれ違いには冷や汗が出るくらいです。
 
 さて、まずは、妙法生寺の高みからの眺望です。南方の太平洋を見ながら、東から西へと視線を移したものです。

10 272すべてクリック拡大できます。

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 麻綿原よりさらに北上するには林道横瀬線を走ります。せいぜい、自転車並みの速度ですが・・・(笑い)。→「野猿との遭遇
 
 山を下り、大田代バス停が近くなると里の匂いがしてきます。
 養老川を右手にしながら山を降りると、小さな小さな神社があります。

養老川熊野神社









 
 初めてお参りをしてきました。
 お願いではなく、お礼参りです・・・。

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 地元集落は大多喜町大田代の部落のようです。手入れが良く行き届いて、気持ちのよい空気です。
 決して豪華ではありませんが、小さいながらも風格を感じさせてくれました。
 苔むしたような石の階段が魅力的です。

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 なお、熊野神社というのは全国に3000以上あると言う事です。
 「熊野」という言葉が古い由緒のあるもののようで、ネット(goo教えて)から拝借。
 
 ?「奥まった聖地」
 ?「ゆや」とも発音する
 ? 熊野は「こもる」の意、木々が生い茂っている様。 熊の古語は「神」を意味し、神聖な土地を「くまくまし」と古代の人は呼んでいたという。奥深く、神秘な処。神の里という意味になるのでしょうか。
 
 後、色々ありましたが、何となくイメージとしては分かりそうです。
 出雲が本家か、紀伊が本家か・・・よく分かりませんです。

 たいがいの地方に熊野神社は存在します。
 気がつかれたら寄ってみて下さい、意外に楽しめるかも知れません。

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浦安海岸アサリ漁 no.287

 浦安は東京に隣接し、ディズニーランドがあったり都市化が急激に進んだ町で全国的に名前が売れています。
 むかしは干潟が広がるひなびた漁村でした。
 
 今は、
 高層マンションが林立し、浦安の町並みは近代的な様相を見せています。
 東京に一番近い立地が発展させたものです。
 
 さて、旧市街地を除けば浦安の町は大半が埋め立て地です。千葉県企業庁が浚渫土を主体として埋め立て造成したもので30年以上が経過しています。

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 地理的に見ていただくと、荒川と江戸川の三角州地帯になっており、軟弱層が厚く堆積し、支持地盤は深い状況です。軟弱層の圧密沈下も大きく、いろいろな問題を起こすのです。

浦安


三番瀬


 Yahooの航空写真で見るように浦安沖合に海水の色が薄い場所が広がっています。
 市川沖を含め、「三番瀬」という浅い海が広がっており、環境問題の象徴のように有名な海です。→[三番瀬]
 
 
 さて、今日の主題はアサリ漁です。
 浦安の高洲海岸に立っていると、小さな漁船が横切りました。

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 よく見ていると100mくらい沖合に停泊し、準備を始めています。さて、何を釣るのかねらっているのか・・・。
 
 そして、はじめました・・・長いさおを持って海底をかき回しています。
 アサリ漁です。
 三番瀬に代表されるように浅い海が広がっているのです。

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 竿の先にはかごのような網(捲き籠・ジョレン)が付いており、アサリをすくいだすやり方です。ヘドロや砂、小さいアサリは網からすり抜けます。この作業は、ものすごい重労働であるといいます。
 
 一般には腰まで浸かって漁をしますが、船からのアサリ漁は経験がものをいうそうで、当たりはずれも大きいとか。プロの技のようです。
 
 
 なお、土木の風景としては土木的な推論を・・・。
 
 ここの水深はどれくらいでしょうか?
 ヒントは走る船に横たわっている竿の長さ、そして漁師さんの持っている竿の残尺(水上部分)です。
 
 竿の長さ=約5m 残尺=約3m 
 水深=5.0 - 3.0=2.0m(+籠の長さ0.5m)
 こんな所でしょうか。
 潮は満潮に近いところでしたから、ずいぶん浅い海だということが分かります。
 
 こういう浅い海は「瀬」といい自然生態系には重要な場所だそうです。
 大切にしたいものです。
 
 なお、浦安から千葉方面を見るとついこの前日本シリーズで盛り上がった幕張メッセ・千葉マリーンスタジアムがよく見えます。
 ただいま、激闘を繰り広げているようです・・・。

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