土木の風景

from civil engineers 築土構木、土木技術は社会生活の基盤をささえています。

2011年01月

両総用水・・栗山川(2) no.293

 栗山川の第二弾です。
 本稿は、河川としての栗山川ではなく、両総用水の幹線水路の一部として紹介します。
 ゆったりとした流れを見せる現在の栗山川ですが、むかしはひどかった・・・と古老が語っておりました。(→栗山川その1

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 さて、両総用水というのは千葉県東部(当時;3市12町2村)の広大な耕地(19,885 ha)を灌漑する国営の大事業でした。
 正式には両総用水かんがい排水改良事業として、昭和18年から昭和40年まで、佐原(現在の香取市)から一宮まで延々と幹線水路や隧道を使って80km・・・気の遠くなるような事業です。(下の模式図は関東農政局

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 現在は施設の老朽化が進み、「見直し」事業が進められている現状です。
 
 両総用水の水源はもちろん利根川です。千葉県は関東北部のダム群に水利権を持ち、それを上水道、農業用水として活用しています。八ッ場ダムにも多額の出資をしているのです。
 
 
 まずは利根川から取水する第一揚水機場、これは香取市に昔からあります。
 形式は「両口吸込式渦巻ポンプ」口径1,200mm×5台 
 所用水量は14,470立米/秒 
 これは一日フル運転で12.5億トンを揚水できる能力です(ピンときませんね・・)。
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 香取市で揚水された利根川の水は北部幹線に乗り、栗山川上流へ落とされます。
 自然河川を幹線水路として活用しているわけです。これは、利根川にしても同じ原理になりますが・・・。
 
 おかげで、栗山川は立派に整備されたわけです。
 そして、そのまま流下したのでは太平洋に行ってしまいますので、第二の揚水機場が登場します。
 それが新装なった新しい機場です。

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 さらに、吸い込み口はよく見えませんが、コンクリート構造をエントリーしてみました(渦巻ポンプ;口径1,200mm×4台 所用水量は11,703立米/秒)。

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 さて、新機場ができたわけですから、旧機場はどのように・・・、当然の疑問です。
 答えは次の写真で・・・。新旧の位置関係もわかります。

地形


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 しかし、二万五千分の1の地形図では導流路からそのまま隧道でつながっていくような表現になっています。これには異論あり! 新機場からポンプアップしておりますから念のため・・・。
 
 なお、長い導流路は閉鎖して水田に・・・との考え方もあったようですが、旧機場部は排水施設にもなっており、致し方なくそのままの状態にしてあるそうです。おかげで、太公望にはうってつけの釣り場になっております。
 
 また、新機場の敷地に旧機場のポンプと管が展示されています。これは、一般の方にもわかりやすく好評です(口径1,200mmです)。

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 最後に栗山川のおまけ施設の紹介です。
 県道45号八日市場八街線が栗山川を横断する場所に「新井橋」があります。
 
 その築年は昭和36年、そろそろ50歳になる老橋はがんばっています。重量車両もよく通過していますが足に包帯を巻くも、現役ばりばり・・・見習いたいものです。

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 なお、本当のおまけ。
 こちらは成田空港への航空機通過地点になります。短い間隔ですと2~3分に一機が通過、車輪を出してすでに着陸態勢に入っています。よくぞこれだけ多くの飛行機が飛ぶものと感心している冬の空・・・。

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首都高速中央環状線 no.292

 バスの窓からパチリ・・・。
 堀切ジャンクションであろうと想像します(半分居眠り・・)。
 
 このあたりを下車して歩けば、おもしろい写真がたくさん撮れそうです。

堀切



 調べる時間もなく、土木の風景としてエントリー。

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利根川(4)

利根大堰で取水され、武蔵水路へ導水された利根川の水は、埼玉県、東京都の重要な水道水源となっています。
利根大堰をそのまま、利根川本川を流れた水も、江戸川を経て、埼玉県、千葉県、東京都の大きな水道水源となっています。

写真1は、埼玉県加須市のカスリ-ン公園の写真です。

今回は、水道とは直接関連しませんが、首都圏の皆さんが水道で大変お世話になっている、利根川の変遷を見てみることにしましょう。
カスリーン公園パノラマ2
【写真1】カスリーン公園(パノラマ合成写真)


・ 利根川の東遷

江戸時代以前、利根川は、江戸湾(東京湾)に注いでいました。徳川家康は江戸の町を洪水から守るため、利根川を東へ東へと流れを替える工事を始めました。
こうした一連の事業を「利根川の東遷」と云います。
非常に多くの東遷事業が行われ、どこまで東遷事業に含めるか見解も多くあります。

ここでは、主な四事業を簡単に説明します。

  1)1594年 徳川家康の4男松平下野守忠吉(まつだいらしもつけのかみただよし)(忍城主:現在の埼玉県行田市)は、会の川(現在の埼玉県羽生市付近)を締め、利根川の流れを浅間川に東遷させました。

  2)1621年 関東郡代伊奈半十郎忠治(いなはんじゅうろうただはる)(1592年~1653年 玉川上水など多くを手掛けた)は、浅間川から東へ約8kmの新川通、赤堀川を開削し、利根川の流れを渡良瀬川に合流させました。

  3)1624年~1654年 江戸川の開削や赤堀川の拡幅等の治水工事が行われました。

  4)1665年 権現堂川が締め切られ、江戸川が境町・関宿間に瀬替され、現在の鹿島灘、銚子、霞ヶ浦、常陸川、関宿、江戸川、江戸湾と繋がる水運の動脈が完成しました。

 (千葉県立関宿城博物館展示、利根川の歴史:金井忠夫:日本図書刊行会、アーカイブス利根川:信山社サイテックを参考にしました)

利根川 カスリーン公園 航空写真 文字入り
【写真2】 航空写真(利根大堰から関宿:yahoo map)

tousen3_4 東遷 利根川ダム統合管理所Hp 河川情報センター
【図1】 利根川東遷図(河川情報センター パンフレットより)

・ 徳川家康(1542年~1616年)
徳川家康は、豊臣秀吉の命令で江戸大名に領地替され、1590年、駿府から江戸に入府、その後、秀吉の死去、関ヶ原の合戦などを経て、1603年、江戸に幕府を開いたとされています。

利根川の東遷事業の目的は、第一に、江戸の町を洪水から守ること、第二に、新田の開発、第三に、東北から房総半島をぐるっと廻っていた江戸への水運ルートを内陸で確保する水上交通網の整備と考えられます。その他には、北の伊達藩に対する、江戸の外堀と云った説もあり、地政学や気候風土を考慮に入れた、徳川家康の壮大なリスクマネージメントが感じられます。

こうした徳川家康の設計思想が受け継がれ、没後約50年を経て利根川の東遷事業が完成したことになります。

また、こうした思想が、見沼田圃等の関東平野の用水や圃場整備を行った八代将軍徳川吉宗(1684年~1751年)等に引き継がれていきました。

・ カスリーン台風(利根川決壊)
1947年(昭和22年)9月16日、カスリーン台風による洪水で、埼玉県東村新川通り地先(現埼玉県加須市)において、堤防が、約340m決壊し、埼玉県、東京都に甚大な被害をもたらしました。
 

被害規模は、死者・行方不明者1,100名、浸水家屋約30万戸と云われています。

決壊地点は、渡良瀬川との合流から約2km上流右岸で、江戸時代、新たに開削された箇所となります。

現在、堤防上は、カスリーン公園として記念碑などで整備されています。(写真1、2、5、6参照)
IMG_3911 カスリーン浸水写真1
【写真3】 浸水状況(カスリーン公園)

IMG_3919カスリーン浸水2
【写真4】 浸水状況②(カスリーン公園)

IMG_3899 カスリーン決壊口跡
【写真5】 決壊口跡(カスリーン公園)

IMG_3895 カスリーン台風の碑
【写真6】カスリーン台風の碑「台風の雨雲のモニュメント」(カスリーン公園)

・ 今後 利根川決壊の可能性は?
1783年の浅間山大噴火による火山灰の影響で、利根川などは、氾濫しやすくなってしまいました。

1947年(昭和22年)9月16日、利根川決壊の直前に、渡良瀬川が川辺村(現:北川辺町)付近で決壊し、新川通に流れ下り、利根川本川の濁流と相まって、利根川堤防を決壊させ、埼玉県東部の低地を東遷以前の利根川の流れのように流れ下り、東京都東部低地(葛飾区、足立区、江戸川区)までも浸水しました。

カスリーン台風時の八斗島(やったじま)流量は、17,000/sと発表されています、当時の流量計測の技術や精度を考慮すると、決壊箇所の流量は想定出来ません。現在は、八斗島、下流の栗橋などに流量計測地点があり、流量は随時インターネットで知ることができます。

河川は、力ずくで人工的に流れを変えても、元の流れに戻りたがると云われています。

国土交通省では、利根川水系河川整備計画や、仮に決壊した場合のハザードマップの作成等を行っています。(詳しくは、国土交通省のHPを参照してください)

大洪水が起きないことを祈るばかりです。



coffee-break


                                                  by m.nakao


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栗山川(1) no.291

 明けまして、おめでとうございます。
 今年もよろしくお願い申し上げます。
 
  さて、栗山川です。
 千葉県東部北総台地(成田市大栄町付近)を発し、九十九里海岸に流下する中小河川です。まずは、航空写真で栗山川の全景です。
 北総台地は平坦な地形ですが、そこを最上流地にしているくらいですから大河川というわけではありません。

栗山川



 九十九里海岸平野は隆起平野です。縄文期には完全に海の底、縄文時代の海進は相当に内陸深くにまで達していました。現代の繁華街はほとんどが海の底です。

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 ゆえにこそ、栗山川の流域は低地が連続し、土地改良などの整備が進んでも低地は低地です。千葉県がまとめた災害関連の浸水区域は栗山川周辺に集中しています。
 干拓をし、水田として開発しても低いところは低いものです。
 
 千葉県の防災情報ではしっかりその状況を捉えています。栗山川流域が高くなるわけではありません。

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 さて、現在の姿です。
 河川堤防は整備され、水田も立派に区画整理をされています。
 洪水時にはしっかりと排水機場が機能し、洪水にならないように出来ています。

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 しかしです。
 江戸時代、明治時代には河川堤防のない中小河川の哀しさ、洪水時には大氾濫し、また干ばつ時の水不足は大変なものだったそうです。百姓にとっての水は、命より大事・・・水争いは生きるための闘争でした。

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 このように、明治27年には死者が出たようです。
 そこでまずは、栗山川の河川堤防の築造から始まりました。低湿地だったこの周辺の栗山川に堤防を築いていったそうです。もっこ、トロッコ・・・もちろん、人力です。
 
 地元の古老の記憶では、昭和10年から始まったとか・・・。
 まずは低湿地を堤防で遮断し、農地化して行きます。
 
 そして、重要な対策は河川の流水制御です。
 それが篠本堰、これは洪水対策と農業用水確保が目的です。古い施設を改修し、現在の堰が出来たのは昭和41年です。

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 今でも立派に活躍しており、その勇姿をご紹介・・・。


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 なお、栗山川の役割は両総用水事業の導水路を兼ねています。
 それは次回へ・・・。   →その2

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