千葉県香取市小見川に一ノ分目という地名があります。
読み方は、いちのわけめ です。
そして、板東太郎はもちろん利根川の別称です。
香取市あたりは下流域になりますが、悠然とした雰囲気があります。
昔は屈曲した流れを見せていた板東太郎も整備されてどこか直線的・・・味がなくなっているような昨今です。一級河川の宿命でしょうか。
さて、一ノ分目です。
現在では部落の住所地名になっているのですが、板東太郎の両岸に存在しています。妙な地名だし、利根川をはさんで同じ地名があるというのは何かの原因がありそうです。
そこで調べてみましたら、むかしの新田開発の時に付けられた地名であるようです。
区画の分かれ目(地割り)が地名として残っているのです。
三ノ分目も隣接して存在します。
時は嘉永元年(1848年)、下総国の相馬源右衛門が苦労して新田開発を行い、当時の家数(戸数)が30だったそうです。当時は霞ヶ浦などに通ずる沼地が広がっていたものです。
ちなみに、嘉永6年にはペリーが来航した年でした。
そして、徳川家康に始まる利根川東遷事業が明治後期に完成し、現在の利根川となっています。
ウィキペディアより拝借
ウィキペディアより拝借
むかしの利根川は茨城県と千葉県の県境あたりにあり、相馬源右衛門の新田開発は下総国つまり千葉県内の区域であったというわけです。その後、利根川が開削されて一ノ分け目も三ノ分目も分断された・・・これが真相のようです。
その一ノ分け目の、ある場所に排水機場(香取土木事務所小見川支所)があります。
機場の内部は撮影出来ないため、利根川に面した護岸に注目してみました。
何でもない風景ですが、とても気に入っている形があります。
利根川に面する放流口の出口です。
この曲線がそうです。拡大できます。
土木技術は日進月歩、どんどん進歩していますが、余裕という意味では退化しています。効率化と経済性、これが大きな足かせとなって直線主体の味のない姿が多くなっています。
「ここは、こういう形でなければいけないのだ!!」 そんな会話は冷笑され、消えて行きます。長い歴史を考えれば、瞬間の効率化や経済性など吹き飛んでしまう本来の土木の文化なのです。しかし、ただいまの重大な問題点は、土木の世界が市民への説得性を持ち得ず、我田引水・・・自分のことしか考えていないと見られていることです。
そのため、文化としての土木技術が市民権を失いつつあるのではないかと危惧します。
過去の土木遺産を見てください、何という深みがあることでしょうか。
そういう土木施設(建築も)こそが人類の遺産であります。
現在は余裕と豊かさの土木が成り立ち得ない厳しい時代なのかも知れません。
空白の平成時代・・・そのように言われる時代になりそうです。
しかし、いつの日にか
必ずや復権してくると信じましょう。拡大できます
ばんどう‐たろう【坂東太郎】‥ラウ <広辞苑>
(1)(「坂東にある第一の川」の意) 利根川の異称。
→筑紫次郎
→四国三郎。
ばん‐どう【坂東】 <広辞苑>
(1)足柄・碓氷(うすい)以東の諸国の称。東国。関東。今昔一二「事の縁有るに依りて―の方に下るに」 □坂西(ばんさい)。
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