土木の風景

from civil engineers 築土構木、土木技術は社会生活の基盤をささえています。

2011年10月

利根川(6) 江戸川分流

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 【図1:関東平野の鳥瞰図(千葉県立関宿城博物館展示より)】

 図1は、江戸時代を想定した鳥瞰図です。

利根川が、東北伊達藩に対する外堀であったことや、銚子から利根川を上り、関宿から江戸川を下る水運であったことを読み取ることができます。

今回は、東へ東へと流れを変えてきた利根川が、渡良瀬川と合流した後、関宿で江戸川と分流する話です。

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【写真1:千葉県立関宿城博物館(千葉県野田市関宿)】

 写真1は、関宿堰の約400m東にある関宿城博物館です、冬の晴れた日には、最上階から東京スカイツリーが望めるそうです。


・江戸川分流
利根川東遷事業の中で重要な箇所が、関宿の江戸川分流箇所です。

江戸の町を利根川の洪水から守るため、江戸川の水量を制限する必要がありました。

文政5年(1822年)頃に江戸川の流頭部に棒出しが設置されました。(両岸から突き出した堤で川幅を狭める手法)

この棒出しにより、権現堂川から江戸川に流れる水を減少させ、更に、逆川に押し上げ利根川に流入するようにしました、この結果、江戸川中、下流域の水害を緩和することができました。

また、利根川・逆川・江戸川の水量が安定し、河川交通の面でも利用が可能となりました。

こうして、利根川と江戸川は、鹿島灘と江戸湾を連絡する水運路となったのです。

江戸川水閘門図
【図2:江戸川分流部(利根川の歴史 金井忠夫著より)】

関宿堰付近航空写真
【写真2:江戸川分流箇所の航空写真(yahoo)上が北です】

その後、江戸川改修工事として1927年(昭和2年)に現在の関宿水閘門が完成しました、低水量調節のための8門の水門と船の航行を可能とする閘門が設けられており、土木遺産として登録されています。

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【写真3:関宿堰(写真右が水閘門)

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【写真4:関宿堰の模型図(千葉県立関宿城博物館展示より)】

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【写真5:関宿堰・遠くに千葉県立関宿城博物館(城)が見えます】

江戸川分流ヤフー航空写真文字入り
【写真6:江戸川分流村付近の航空写真(yahoo)】


・船運路が水道水源となった江戸川

利根川や江戸川を帆掛け船が往来した期間は、残念ながら余りなかったようです。(私的には、復活して欲しいと願っています。)

しかし、利根川東遷を始めた徳川家康も想定していなかったでしょうが、現在、江戸川は、首都圏の重要な水道水源となっています。

図3の江戸川流域図に示されますように、庄和浄水場(埼玉 35万/日)、新三郷浄水場(埼玉 36.5万/日)、古ヶ崎浄水場(千葉:現:野菊の里浄水場 6万/日)、栗山浄水場(千葉 18.6万/日)、北千葉浄水場(千葉 52.5万/日)、三郷浄水場(東京 110万/日)、金町浄水場(東京 150万/日)の大規模浄水場が、江戸川から水道水を取水しています。

合計施設能力は、408.6万/日となります。

一人一日の平均給水量を300リットルとすると、給水人口は、江戸川だけで1,362万人にもなります。

江戸川水系図
【図3:江戸川の説明図(利根川の歴史 金井忠夫著より)】




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・ハクレンのジャンプ
利根川と渡良瀬川の合流地点から約3km下流付近で、毎年ハクレンのジャンプを見ることができます。
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 【写真7:ハクレンのジャンプ(茨城県五霞町)】

ハクレンは、戦時中に中国から食料源として輸入されたと云われています。今では、霞ヶ浦に生息し1年に一度、産卵のため川をさかのぼり、卵は流されながら孵化していきます。

梅雨明けの水量が多く水かさが増すと、一斉に産卵のため無数のハクレンが飛びはねます。毎年同じ場所で産卵が行われる理由は、卵から孵化した稚魚がちょうど霞ヶ浦に流下できるためと云われています。

産卵箇所の下流で、利根川は江戸川と分流しています、江戸川にもハクレンの卵が大量に流れてきます。

江戸川は、埼玉県、千葉県、東京都の重要な水道水源です、ハクレンの卵が流れてきた浄水場では、魚卵対策として通常とは異なる浄水処理を行う必要があります、いつハクレンがジャンプするか、重要な情報となっています。

 

By : m.nakao

 

 

東日本大震災被災地視察報告(6) 女川 2 no.322


 女川町被災の続きです。
 市街地すべてが壊滅的な被災をしてしまいました。
 
 
 小高い地区から平坦地に入ると、息をのみます。
 市街地がなくなっているのです。がれき撤去が終わり、そのままの姿でした。

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 夕暮れに近くなっていますから、なおさら自然の猛威を感じてしまったものです。
 路線バスも復活し走っていますが、壊滅した町役場の前を通過する車内には乗客がみられません。

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 そして、湾内は水浸し・・・地盤が沈下したことが一目瞭然でした。

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 次の写真は町の西方、一番高い場所に建っている病院です。

 この病院の一階にいた人たちも被災しています。駐車場にいた人たちは助かっていません。
  こんなに高いところまで!!・・・ついつい想定外と言いたくなってしまいます。

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 津波の圧力はコンクリート構造物も押し倒し、すべてを飲み込んでしまったことがわかります。

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 最後は、立ち位置から周辺の風景を写してみました。

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 しばらくいただけですが大潮のこの日はあっという間に安全であるはずの地盤をひたひたと海水が進入してきました。車の所有者も驚いたことでしょう。

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 なお最後に、
 女川町の再建計画では完全な防災ではなく減災を目的として復興計画を立案したそうです(第一番です)。その予算、3,000億円だそうです。
 
 町単独でやると百年単位の年月がかかるとか・・・。一つの小さな町でこの政策です。国全体の話となるとそれはどうにも、膨大な話となりましょう。取捨選択を含めて、東北各地の再建計画がそろい、地元に合った実際的な行動計画にして欲しいものです。
 
 
 それには、予算です。
 国が何とかしなければならない責任です。
 100%みることはできませんが、できる限りの応援をしたいものです。
  
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東日本大震災被災地視察報告(5) 女川1 no.321


 東日本大震災被災地視察報告の続きです(2011.09.30夕刻)。
 紹介したい写真が多いので、女川地区は二回に分けました。


まず、女川の湾と地形をみていただければ一目瞭然、津波にもっとも弱い形をしています。平坦地ばかりではなく、谷筋の小高い地区にまで津波は駆け上っています。

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町中心部は壊滅、死者数571名、行方不明者409人、合計980人です。
町の人口が10,723人ですから、9.2%の人が亡くなったのです。

石巻から女川にはいるとすぐに、小高い丘までが被災を受けていました。「こんなに高いところまで・・・」、言葉が出てきません。

後ほど調べた結果、津波高さ14.8mで 遡上高さ15.6m・・・実感としてはこれ以上の感覚です。残っている家屋の一階部分は浸水しているのです。

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 ことばは、でてきません。

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東日本大震災被災地視察報告(4) 地盤沈下 no.320


 東日本大震災被災地視察報告の続きです。

石巻から女川方面(国道398号線)に動きましたが、海岸線の道路、鉄道路線は水浸しです。

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海が攻めてくる・・・そんな表現もおかしくないような現状でした。
水路や側溝のフタから海水がわき出てくるという異常な状態があります。これが毎日二回です。

バスは海水の中を走ります。

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ちょうど、満潮・・・それも大潮と聞きました。

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この修復をどのように考えるのか、根本的な施策が必要です。
地方や自治体が対応するにはあまりにも大きな問題です。

これは、国の問題でありますが、国家に財源がないといいつつ「増税論議」が表舞台に出てきます。勘ぐれば、財務省あたりは「チャンス!」とみているような・・・。


政治家(官僚)の目が自分自身の方に向いていることを、国民は知ってしまいました。
自分で責任をとるという覚悟と責任感が欠如ずると震災直後のような行動になってしまいます。
東電も、官僚も、政治家も「責任を負いたくない!」・・・それだけでした。
中枢にいる人たちがこれですから、関連する組織も似たようなものです。

 

本当にがんばったのは、また、がんばっているのは現場のおじさんおばさん、作業員の人たちではないかと思うのです。黙々と、地に足をつけて働く皆さんに敬意を表するものです。

最後の一枚をみてください。
八百屋さんか、雑貨屋さんかわかりませんでしたが、おじさんと目が合いました。
自分にこの表情ができるのかどうか、自信がありません。

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東日本大震災被災地視察報告(3) 石巻市街地 no.319

 仙台平野を除けば、石巻周辺が最も広いエリアの浸水を見ています。
 
 まずは、yahooの航空写真を見てください。震災前のものが残っています。

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 つぎは、さすがGoogleです。
 はやくも震災後の写真に切り替わっています。

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 そして、国土地理院が公表している浸水地図を見ると石巻地区の浸水エリアが如何に広いかが分かります。

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 丸い印が撮影の場所ですが、浸水エリアの中に空白部分があります。
 これが台地部になるものです。
 高い場所・・・、高級住宅地という言葉も浮かびますが、まったく被災を受けていません。
 
 平野部は中心市街地まで含めて浸水し、海岸部は壊滅的な被災です。
 小学校は火災にも見舞われたそうです。

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 また、海岸部の護岸などは沈下をしています。
 東北地方一帯の海岸部が同じような現象となって、復興の足かせ、根本的な対応策が見いだせていない現状があります。

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 なお、立ち位置から
 海岸方面を見た現況の風景を紹介してこの項終わりとします。

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 石巻市人口    160,704人
    死者     3,168人
    行方不明者   759人
    合計     3,927人(人口比 2.44%)
 
  深く、哀悼の意を表し、また一日も早い復興を願うものです。


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東日本大震災被災地視察報告(2)がれき撤去 no.318

 石巻市に入って圧倒されるのは、被災エリアの広さです。
 北側の高速道路から南下して市街地に入るのですが、津波の到達距離におどろいてしまいます。
 
 がれき撤去の現状をエントリー致します。

 
 がれきとは瓦礫と書きます。
 <広辞苑>の記事では次の通りです。
 
 が‐れき【瓦礫】グワ‥
(1)瓦と小石。「―の山」「―と化す」
(2)価値のないもののたとえ。
 
 確かにそうかもしれませんが、深いため息が出ます。
 被災者の人生・生活のすべてが詰まった「がれき」です。
 
 港の方に集積場があり、今現在もダンプトラックが集まって大渋滞を来しています。毎日のことだそうです。延々と列をなすダンプトラックを見ると、まだまだ、震災復興に至る初期の過程にあるように見えます。

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 そして、被災した車も積み上げられたまま・・・。

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 がれき集積場はあちらこちらにあり、処分を待っている現状です。国として、県として、対策がいまだに未定です。政権の内輪もめをしている場合か・・・!!

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 生活の臭いがなくなった町・・・何としても早い復興を願わずにはおられません。
 美しい石巻の風景・・・がれきと地盤沈下が無言の抗議をしているようです。

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東日本大震災被災地視察報告(1) no.317

  6ヶ月が過ぎた今頃・・・そんな気持ちも起きる時期です。
 ボランティアで現地入りした仲間もいました。
 東北出身者の仲間も多くいます。
 
 千葉県の被災状況報告は震災直後からブログに載せてきましたが、東北の被災は千葉県とは桁が違います。報道から知る感覚と現場に立つ実感とは違うはずだという思いがありました。
 
 物見遊山で行くのではなく、津波の被災の現実を見ておくことが今後のわれわれの仕事にも役立つものと信じ、小団体での被災地視察の実行と相成りました。

 今回は視察最初ですから恐縮ですが、こちらをご参照頂ければ幸いです。

 http://blog.livedoor.jp/ynakamura1/archives/52882914.html 「土のうた」

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