土木の風景

from civil engineers 築土構木、土木技術は社会生活の基盤をささえています。

2013年03月

屏風ヶ浦と刑部岬 no.387

 千葉県東部は東端に銚子市犬吠埼があり、西方へ切り立った崖が飯岡まで連続しています。その名を屏風ヶ浦といい、西南端・飯岡に刑部岬があります。
 
 まずは航空写真で位置関係を整理します。
 仝に丙襦´戸川漁港 L樟(銚子マリーナ) し塞岬
 と、それぞれの地点から見た風景です。

航空写真



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 犬吠埼灯台は長崎鼻方面から見たものです。
 中生代・古生代の地層が露頭しており、千葉県では珍しく特別天然記念物に指定されています。

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 そして、犬吠埼の反対側に位置する外川の漁港から、今日の主役・屏風ヶ浦が見えてきます。写真の右側は犬若の大岩です。

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 さらに移動すると名洗の銚子マリーナに来ました。3.11東日本大震災の大津波では大型ヨットだけがかろうじて残り、中小ヨット・ボートは全て流されてしまったものでした。
 ここまで来ると屏風ヶ浦の始まりですから、崖の連続がよく見えます。

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 銚子から飯岡に海岸沿いを県道286号線を走りますと、途中で屏風ヶ浦の海岸に出られる場所が数カ所あります。その中の雄大・迫力のある眺めは春日町の過去記事から紹介します。→no.348

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 さて、屏風ヶ浦の南西端、刑部岬(ぎょうぶみさき)です。
 屏風ヶ浦が切れただけなのに岬とはこれ如何に・・・ということで地形図を見てみましょう。

その3



その2


 上の絵に見るように東から来た屏風ヶ浦の崖面が突然北上しています。海水面が高かった頃を想像すると、なるほど、刑部岬が海上に突き出しているのが想像できます。
 昔の海岸線は九十九里海岸平野(隆起平野)の奥の方に連なっている崖面にあったものでしょう。ということで、刑部岬の呼称に納得でした。

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 最後は刑部岬からの眺望です。

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 なお、最後の一枚は、大津波が死者・行方不明者15名を飲み込んだ海岸です。
 大震災からあっという間の二年間でした。被災者のご冥福をお祈りいたします。

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銚子大橋・最後の撤去工事 no.386

 銚子大橋の工事はようやく最後の撤去工事となっています。平成24年度がそろそろ終わり、最後の切り回しと橋脚一基が残っているだけです。
 
 雰囲気のある歩道用階段も撤去されています(→no.311)。
 
 今回は、土木の風景として2013.03.12の現況写真をアップします。
 写真で想像がつくと思いますので、解説はなしです。

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 最後に、ここの主はカモメであります。

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追悼! 2011.3.11

 もう二年が経過しました。
 テレビの画像を見ても、以前見た残像とそんなに変わってはおりません。
 
 亡くなられた方々、未だ不明の方々、そして避難され、また生活にご苦労されている方々に哀悼の意を表させていただきます。
 

 復興というのは非常に難しいことです。
 お金があればすむというものではありません。予算を付ければそれでヨシ・・・そんなに単純なものではありません。
 
 将来の村や町、市や県が力強く復活するために何をどのように構築して行くのか・・・大きなビジョンが欠かせません。
 
 そのことに関し、日本人は不得手か・・・そんなことはありません。
 
 長い歴史を見てください。
 長期的な視点で発想し、国を造ってきたのです。
 
 現在が混迷の時代にあり、政治も官僚も国民も先が見えていなかっただけです。これから大震災を機に日本は変化をしてくるはずです。いつの時代も危機的な状況から新しい発想と変化はやってきています。
 
 東北とともに復興をして行くことが日本国の再興につながります。
 
 願わくば、田老地区のような防潮堤ばかりを造らないようにしたいものです・・・人間が住む場所を残し、ここに住みたい!と思うすばらしいふるさとの環境を取り戻して欲しいのです。奥尻島はハード主体の対策をして過疎化が止まりません。観光客も少なくなってしまっているそうです。
 
 数百年後に同じ規模の地震と津波が来た時、命だけは助かるシステムを作ってもらうこと、それが、日本人らしい自然とのつきあい方です。
 
 人間が大自然に勝てるわけがないのです、ハード主体の復興だけは避けて欲しい春の朝・・・。
 
 一日でも早く、普通の生活に戻られることをお祈りします。

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蓮沼開拓樋門 no.385

 千葉県九十九里浜の中央部に蓮沼海浜公園があります。
 夏の海水浴、テニス、行楽には良いところで、今でも繁盛しています。
 
 最下流には「no.381東部排水機場」で紹介した新鋭機場があり、この流域の湛水防除、洪水抑止はできています。

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 その上流域に小さな水門があり、それが今日の主役です。
 その名を蓮沼開拓樋門・・・どうも「明治・大正の臭い」がしますね〜。

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 いろいろ調べたのですが、よく分かりません。
 しかし、
 「水土整備の歴史年表・千葉県」を見ると、昭和30年(1955年)に蓮沼開墾建設事業着工という記事が見えました。ということは残念ながら明治・大正ではなく昭和中期の建造であるようです。
 
 それでも、55年以上が経過しているわけですから納得です。
 今は使われていませんが含みの多い施設であります。

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 開拓時代の排水樋門、この時代に今の時代にも通用するような水利理論を駆使しているようなこの施設、これは驚き・・・です。
 
 施設としての機能は終わっており、また現在、管理活用はしておりません。
 スピンドルなどの保護カバーは腐食し、ゲートは開いたままとなっています。

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 さて、当時は、この樋門が2番目の下流であったのかも知れません(最下流は旧東部排水機場)。当時は重要な機能を持っていたはずです・・・そして、特殊な装置の痕跡を見つけました。
 
 樋門下流側の断面が傾斜しています。上流側垂直のゲートと違い斜めになっています。

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 ここがミソです。
 フラップゲートの痕跡ではないかと考えます。この当時から逆流防止の考え方があったのですね。外水位が高い時は流入を防止し、逆に低い時は自然に流れるように考案されたものです。
 
 専門家の方にご意見をいただきたい初春の風・・・であります。

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 ひ‐もん【樋門】    <広辞苑より>
用水の取入れや悪水の排除のため堤防を横断して作られた暗渠およびゲートの総称。
 
 樋門 ひもん       <大百科全書より>
sluiceway, sluice
用水の取水、内水の排除、舟運などのために堤防を横切って暗渠(あんきょ)構造として設けられる工作物。断面の小さいものは樋管(ひかん)という。樋門、樋管にはゲートをつけ、洪水時に河川の水位が高くなるとゲートを閉め、河川水が樋門、樋管を通して堤内地に侵入するのを防ぐ。排水樋門の場合には、ゲートを閉めたのちに内水を排除するために排水ポンプを設置することがある。〈すけ川 登〉
 
 フラップゲート  <ネットより>
 河口部の防潮、河川の逆流防止のため設けられる、ヒンジ式ゲートの代表的なゲートの形式です。 開閉は扉体上部に設けた軸を中心として、水圧荷重により水流方向に回転する事により行われます。・・・

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