メコンの恵み (ラオス・ルアンパバーン編)
*メコン
メコン川は、チベットを水源とし、中国、ミャンマー、タイ、ラオス、カンボジア、ベトナムを約4,200kmに渡って流れ、南シナ海に注ぐ東南アジア最長の河川です。
高低差5,200m、流域面積795,000 ㎢となっています。
メコンは、流域に豊饒な土壌を生むだけでなく、約500種類の淡水魚が生息していると云われ、海に面していないラオスでは、重要な水産資源の河川となっています。また、河川の高低差を利用した水力発電電力をタイに輸出しているそうです。
[ 図―1 メコンの流れ google map に上書き ]
図-1にメコン川の流れを大雑把に青く表示しました、利根川 322kmの約13倍の長さを流れ下っています。
ルアンパバーン水道公社の話では、メコン上流に中国のダムが建設されており、急激に水位が変化したり、漁獲量が減少しているそうです。更に多くのダム建設計画があるようで不安な様子でした。
日本は、島国で国際河川はありませんのでラオスのような苦労は知りません。将来にわたって、ラオス、タイ、カンボジア等がメコンの恩恵に浴することができるかは不透明のようです。
*ルアンパバーンの概要
[ 図―2 ラオスの地図 google map より ]
ルアンパバーンは、首都ビエンチャンの北方約400kmに位置し、1353年にラーンサーン王国が誕生した古都であり、日本に例えると京都のような都市です。
山間で地理的条件が悪いことが幸いし、ラーンサーン王国やフランス植民地時代の美しい街並みが残っており、1995年に世界遺産に登録されています。
[ 写真―1 ルアンパバーンの街とメコン ]
*ルアンパバーンの朝
ルアンパバーンは、世界遺産としてメコンと街並みが有名ですが、敬虔な仏教徒の街で早朝の托鉢が観光資源となっています。
[ 写真―2 托鉢風景(現地パンフレットより) ]
私が宿泊したホテルは中心部から少し離れたところなので、パンフレットのような行列にはなっていませんでしたが、ホテル周辺で撮影した私の写真を少し紹介します。
[ 写真―3 夜明け前、托鉢に出かけます ]
[ 写真―4 少し明るくなってきました ]
[ 写真―5 雨宿りしながら、托鉢僧を待っています ]
[ 写真―6 毎日、この托鉢が行われています ]
僧列を見ると、年長者が先頭で年齢順に歩いているように見えます、写真7の僧は、小学生に見えます、学校に行かず、お寺に行くという選択肢がラオスにはあるようです。
[ 写真―7 最後尾の僧が最も若く見えます ]
*ルアンパバーンの浄水場
ラオス訪問の目的は、観光旅行ではありません、水道の視察です。浄水場の写真を少し紹介します。
[ 写真―8 山間を水源としたブープン浄水場 ]
ブープン浄水場は、山間の沢水を原水としておりきれいな水でしたが、硬度が高いようで、炭酸カルシウムの結晶に悩まされていました。
[ 写真―9 ナムカン浄水場 ]
ナムカン浄水場は、メコン支流のナムカン川を水源とした浄水場です。横流式の沈殿池と急速濾過池の浄水場で、処理能力以上の供給を余儀なくされ、過負荷運転をしていました。
[ 写真―10 タイ・アジア浄水場 ]
タイ・アジア浄水場は、ルアンパバーン県に水道水を供給している浄水場です。タイの民間企業が建設、運営しています。原水は、ナムカン川からポンプアップしていました。
*ルアンパバーンのにおい
川のりが名産となっています、昼食時に油で揚げたのりが出されます。大変おいしいです。
この川のりは、薄く広げた川のりにトマトやニンニクのスライスを乗せ乾燥させてあります。街の土産物店で売っています。
[ 写真―11 川のり ]
次は、漁業の写真です。私のお気に入りの一枚の写真となりました。川も人も時間もゆったりと流れていました。
[ 写真―12 ナムカン川の漁業 ]
フランスの植民地が永かったルアンパバーンでは、娯楽として、ペタンクが定着しています。浄水場の片隅にペタンクコートが作ってありました。
[ 写真―13 ペタンクコート(ナムカン浄水場) ]
[ 写真―14 ペタンク競技 真剣です(ナムカン浄水場) ]
<ウィキペディア記事>
ペタンク(pétanque)とは、フランス発祥の球技である。名称は南フランス・プロヴァンスの方言「ピエ・タンケ(両足を揃えて)」に由来する。スポールブールやプロヴァンサルゲームをベースに1907年に考案されたとされている[1]。
テラン(コート)上に描いたサークルを基点として木製のビュット(目標球)に金属製のブール(ボール)を投げ合って、相手より近づけることで得点を競うスポーツである。
ウィキペディアより拝借
*あとがき
ルアンパバーンでも、アメリカが300万人のラオス人に300万トンの爆弾で攻撃したとガイドが説明していました。ベトナム、インドシナ戦争が終結(1975年)して40年・・・いまだ、ラオス人の傷は癒えていないようです。
観光客としては、中国、韓国人が多く、欧州人と思える若者も見かけました。敬虔な仏教国に配慮を欠いた服装で多少驚きました。
[ 写真―15 クワンシーの滝にて ]
帰りのルアンパバーンからハノイに向かうプロペラ機で、一人旅の日本人に初めて出会いました。
彼も久しぶりに日本語が喋れたと感激していました。
ビエンチャン、ルアンパバーンと短期間ですが訪問して、独断と偏見で感想を述べました。経済的には中国に頼らざるを得ない国ですが、日本もJICAを通じて様々な技術支援を行っています。
話半分にしても、旅行におすすめの国です。日本人の旅行客が増えることと、メコンの流れが将来に渡ってゆったりと流れ続けることを願い、むすびとします。
(水道特派員 M.N)
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