土木の風景

from civil engineers 築土構木、土木技術は社会生活の基盤をささえています。

2016年01月

メコンの恵み (ラオス・ルアンパバーン編)

メコンの恵み (ラオス・ルアンパバーン編)

 *メコン

 メコン川は、チベットを水源とし、中国、ミャンマー、タイ、ラオス、カンボジア、ベトナムを約4,200kmに渡って流れ、南シナ海に注ぐ東南アジア最長の河川です。
 高低差5,200m、流域面積795,000 ㎢となっています。
 
 メコンは、流域に豊饒な土壌を生むだけでなく、約500種類の淡水魚が生息していると云われ、海に面していないラオスでは、重要な水産資源の河川となっています。また、河川の高低差を利用した水力発電電力をタイに輸出しているそうです。

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     [ 図―1 メコンの流れ google map に上書き ]

 図-1にメコン川の流れを大雑把に青く表示しました、利根川 322kmの約13倍の長さを流れ下っています。
  
 ルアンパバーン水道公社の話では、メコン上流に中国のダムが建設されており、急激に水位が変化したり、漁獲量が減少しているそうです。更に多くのダム建設計画があるようで不安な様子でした。
 
 日本は、島国で国際河川はありませんのでラオスのような苦労は知りません。将来にわたって、ラオス、タイ、カンボジア等がメコンの恩恵に浴することができるかは不透明のようです。


 *ルアンパバーンの概要

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     [ 図―2 ラオスの地図 google map より ]



 ルアンパバーンは、首都ビエンチャンの北方約400kmに位置し、1353年にラーンサーン王国が誕生した古都であり、日本に例えると京都のような都市です。
 
 山間で地理的条件が悪いことが幸いし、ラーンサーン王国やフランス植民地時代の美しい街並みが残っており、1995年に世界遺産に登録されています。

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         [ 写真―1 ルアンパバーンの街とメコン ]




 *ルアンパバーンの朝

 ルアンパバーンは、世界遺産としてメコンと街並みが有名ですが、敬虔な仏教徒の街で早朝の托鉢が観光資源となっています。

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      [ 写真―2 托鉢風景(現地パンフレットより) ]


 
 私が宿泊したホテルは中心部から少し離れたところなので、パンフレットのような行列にはなっていませんでしたが、ホテル周辺で撮影した私の写真を少し紹介します。

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      [ 写真―3 夜明け前、托鉢に出かけます ]


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        [ 写真―4 少し明るくなってきました ]



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     [ 写真―5 雨宿りしながら、托鉢僧を待っています ]


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      [ 写真―6 毎日、この托鉢が行われています ] 
 
 僧列を見ると、年長者が先頭で年齢順に歩いているように見えます、写真7の僧は、小学生に見えます、学校に行かず、お寺に行くという選択肢がラオスにはあるようです。

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       [ 写真―7 最後尾の僧が最も若く見えます ]



 *ルアンパバーンの浄水場

 ラオス訪問の目的は、観光旅行ではありません、水道の視察です。浄水場の写真を少し紹介します。

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      [ 写真―8 山間を水源としたブープン浄水場 ]

 ブープン浄水場は、山間の沢水を原水としておりきれいな水でしたが、硬度が高いようで、炭酸カルシウムの結晶に悩まされていました。


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          [ 写真―9 ナムカン浄水場 ]

 ナムカン浄水場は、メコン支流のナムカン川を水源とした浄水場です。横流式の沈殿池と急速濾過池の浄水場で、処理能力以上の供給を余儀なくされ、過負荷運転をしていました。



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        [ 写真―10 タイ・アジア浄水場 ]

 タイ・アジア浄水場は、ルアンパバーン県に水道水を供給している浄水場です。タイの民間企業が建設、運営しています。原水は、ナムカン川からポンプアップしていました。




 *ルアンパバーンのにおい

 川のりが名産となっています、昼食時に油で揚げたのりが出されます。大変おいしいです。
 この川のりは、薄く広げた川のりにトマトやニンニクのスライスを乗せ乾燥させてあります。街の土産物店で売っています。

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           [ 写真―11 川のり ]


 次は、漁業の写真です。私のお気に入りの一枚の写真となりました。川も人も時間もゆったりと流れていました。

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       [ 写真―12 ナムカン川の漁業 ]



 フランスの植民地が永かったルアンパバーンでは、娯楽として、ペタンクが定着しています。浄水場の片隅にペタンクコートが作ってありました。

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      [ 写真―13 ペタンクコート(ナムカン浄水場) ]


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    [ 写真―14 ペタンク競技 真剣です(ナムカン浄水場) ]

<ウィキペディア記事>
ペタンク(pétanque)とは、フランス発祥の球技である。名称は南フランス・プロヴァンスの方言「ピエ・タンケ(両足を揃えて)」に由来する。スポールブールやプロヴァンサルゲームをベースに1907年に考案されたとされている[1]。

テラン(コート)上に描いたサークルを基点として木製のビュット(目標球)に金属製のブール(ボール)を投げ合って、相手より近づけることで得点を競うスポーツである。

wiki
     ウィキペディアより拝借


 *あとがき
  
 ルアンパバーンでも、アメリカが300万人のラオス人に300万トンの爆弾で攻撃したとガイドが説明していました。ベトナム、インドシナ戦争が終結(1975年)して40年・・・いまだ、ラオス人の傷は癒えていないようです。
 
 観光客としては、中国、韓国人が多く、欧州人と思える若者も見かけました。敬虔な仏教国に配慮を欠いた服装で多少驚きました。

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      [ 写真―15 クワンシーの滝にて ]


 帰りのルアンパバーンからハノイに向かうプロペラ機で、一人旅の日本人に初めて出会いました。
 彼も久しぶりに日本語が喋れたと感激していました。
 
 ビエンチャン、ルアンパバーンと短期間ですが訪問して、独断と偏見で感想を述べました。経済的には中国に頼らざるを得ない国ですが、日本もJICAを通じて様々な技術支援を行っています。
 
 話半分にしても、旅行におすすめの国です。日本人の旅行客が増えることと、メコンの流れが将来に渡ってゆったりと流れ続けることを願い、むすびとします。

     (水道特派員 M.N)

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メコンの恵み (ラオス・ビエンチャン編)

メコンの恵み (ラオス・ビエンチャン編)

* ラオスの概要

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        [ 図―1 ラオスの地図 google map より ] 

 正式名称「ラオス人民民主共和国」は、日本の本土ほどの面積で人口は、約660万人(2013年外務省基礎データ)です。東にベトナム、南にカンボジア、西にタイ、北に中国、ミャンマーに囲まれた海に面していない国です。
 国民は敬虔な仏教徒です、歴史的には、1893年フランスの植民地となり1945年日本軍に占領され、その後、1946年再びフランスの植民地となり1953年独立しラオス王国となりました。
 その後、ベトナム戦争と同時並行的にアメリカ軍の攻撃を受け、1975年にラオス人民共和国が成立し現在に至っています。

 日本からの直行便(2015年)はなく、日本からの観光客は多くありません。
 ビエンチャンのワッタイ国際空港の出口には(写真1)、空港ビル等整備を援助した日本への感謝の碑がありました。第二次世界大戦末期に日本軍に占領されていた歴史はありますが、大きな戦闘がなかったのか日本人への反感を感じることはありません、むしろJICAを通じての様々な援助に感謝しているように感じました。
 
 現地ガイドの話では、アメリカは、300万人の国民に300万トンの爆弾を投下し、一人1トンの攻撃を受けたと説明があり、現在もアメリカに対しての反感が大きいように感じられました。
 同様の理由からか、ベトナム、タイ、カンボジアとは仲が良いとのことでした。

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   [ 写真―1 ワッタイ空港正面玄関 ]


* ビエンチャンの朝

 ビエンチャンは、他の東南アジアの国々に比べ治安が非常に良く、日本人とみると物乞いや土産物の押し売りに取り囲まれるようなことはラオスでは全くありません。
 
 ラオスの朝は、托鉢から始まります。写真2は、午前6時頃に撮りました。住民は、5時前からもち米を蒸したり準備し、6時前には歩道に座り托鉢僧を待ちます。
 なお、観光客は、托鉢僧に触れたり、フラッシュでの写真撮影は慎むように云われています。

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        [ 写真―2 朝の托鉢 ]


 次の写真3〜4は、朝市の風景です。フランスの植民地が永かったラオスは、フランスの匂いが沢山残っています。フランスパンもその一例で朝市で売られています。山菜や果物などの山、畑ものが多く並んでいました。

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        [ 写真―3 朝市の風景 ]


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        [ 写真―4 朝市の風景 ]



* ビエンチャンの街中

 ラオスには鉄道や高速道路はありません(2015年)、バスが唯一の公共交通となっています。
 写真5のようにバスがターミナルから各方面に次々と出発していきます。

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   [ 写真―5 ターミナルから出発するバス ]


 バスの正面、側面、背面に日本の国旗が表示されています、日の丸の下に「From the People of Japan」と書いてあります。JICA支援のバスです。

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        [ 写真―6 日の丸の表示 ]



 パトゥーサイ(写真7)は、パリの凱旋門をモデルとした戦没者慰霊塔で高さは45mと云われ、ビエンチャンのシンボルです、市内の建物はパトゥーサイより高く建設することができないそうです。

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        [ 写真―7 パトゥーサイ(凱旋門) ]       


 次の写真8は、パトゥーサイの展望台から南の方角を望んだ写真です、この正面約2km先にメコン川が流れています。
 その向こうはタイ国です。

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        [ 写真―8 パトゥーサイから南の風景 ]



* メコンの流れ

 写真9は、チナイモ浄水場の取水口とメコン川です、川の水は赤茶に濁ってますが、土による濁りで、工場排水や生活排水による汚濁には見えませんでした。対岸は、タイ国です。

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        [ 写真―9 メコン川(チナイモ浄水場取水口) ]



 下の写真10、11は、メコン支流ナムグム川の水上レストランとその料理です。食材は川魚、エビ、なまず等メコン流域の恵みです。

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                [ 写真―10 ナムグム川の水上レストラン ]


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       [ 写真―11 水上レストランの料理 ]


 ラオスの料理の特徴は、写真12のように竹で編んだ「ティップ・カオ」に入ったもち米の「カオ・ニャオ」です。うるち米よりもち米の方が腹持ちが良くエネルギー源になり、力仕事をする人はカオ・ニャオを食べるそうです。

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        [ 写真―12 もち米(カオ・ニャオ) ]



* 中国の動向

 メコンも人も時間もゆったりと流れているラオスですが、大きな違った風が吹いています。ラオスには国際試合ができるサッカー場がありませんでした。チャイナタウン建設と引き換えに中国がビエンチャンにサッカー場を建設しました。他にもインフラ支援と引き換えに5〜6か所のチャイナタウン特区がビエンチャン当局から許可されているそうです。
 
 写真13は、ドンマンカイ浄水場の航空写真です。この日量10万トンの浄水場も中国が建設していました。見返りは、ビエンチャンに6万人規模のチャイナタウンの開発許可だったそうです。

ドンマイカイ 航空写真 (2)
        [ 写真―13 ドンマンカイ浄水場 google map より ]



 次の写真14,15は、建設中のドンマンカイ浄水場の写真です。用地費が安いので、広い敷地にシンプルに建設されていました。

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        [ 写真―14 ドンマンカイ浄水場 建設現場 ]

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        [ 写真―15 ドンマンカイ浄水場 建設現場 ]



 中国は、ラオス以外の国でも、インフラ整備と引き換えにチャイナタウン建設を進めています。「一帯一路」、陸のシルクロード、海のシルクロード構想を邁進しています。

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        [ 図―2 一帯一路構想図 ]



* あとがき
  
 JICAラオス事務所の村上所長の話では、「日本は交通や水道等の社会インフラ、農業や森林、教育環境、保健医療サービス等の技術支援を行っており、ラオスに対して具体的な見返りは要求していない」とのことでした。
 
 ビエンチャンの街を短期間ですが訪問してみて、メコンの恵みを生活の糧として(ラオスの人達が)ゆったりと生活されているように感じました。



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        [ 写真―16 ビヤ・ラーオ ]

 ビール会社は国営のため、ビア・ラーオは、どこでも売っています。国策?なのか、昼も結構飲まれていました。こんな風土が永く続けばと願うばかりです。
 
(次回は、メコンの上流、世界遺産のルアンパバーンを紹介します)
        
                      (水道特派員 M.N)


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謹賀新年

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 新年あけましておめでとうございます。

 本年もよろしくお願いいたします。
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