土木の風景

from civil engineers 築土構木、土木技術は社会生活の基盤をささえています。

2016年05月

鯉の季節 番外編

 五月は気持ちの良い季候、そして大型連休があり、さわやかな風が堪りません。
 とは言いながら、真夏のような気温だそうです。
 
 プロ野球のカープも好調、鯉のぼりも良く泳いでいます。

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5月




 
 さて、近年は鯉のぼりをあまり見なくなりました。公園や河川、池などに連なる鯉のぼりを映像で見ることは多いのですが、個人のお宅では少ないのが現状です。

 
 子供が少なくなっている?
 鯉が泳ぐような大きなお宅が少なくなっている?
 風習・行事など無駄なことはしない?
 
 使わないから使って・・・とたくさん集まります。

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 親御さん達が子供の健やかな成長を願って行って来た、良い風習だと思います。
 しかし、「個人情報を知らせてしまう・・・」という話を聞いたことがあります。何とも世知辛い話が多い現代社会であります。
 
 そういえば、どこぞの首長が公私混同、せこい話になっているようです。こういう性癖は育つ中で体に染みつくものでしょうから普通は治りません。権力にもしがみつきたくなりましょう・・・品格と潔さの対極にありそうです。
 
 
 なお、
 文明社会が進歩するというのは良いことなのかどうか・・・「きらきらした目をした子供達」はどこへ行ってしまったのでしょうか。
 
 きっと、未開の地(文明人が勝手に思っている)にたくさんいてくれるはずです。そして彼らの方こそ豊かな生活をしていると思う、サツキの空・・・。

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バラの季節 番外編

 稲毛海浜公園の5月です。
 一面のバラ・・・かおりが充満しています。
 
 よくぞ集めたものです。なお、写真は by shitara(拡大できます)。

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 ばら【薔薇】 <広辞苑より>
(1)「いばら(茨)」に同じ。
(2)バラ属の観賞用植物の総称。いくつかの原種が東西で古くから観賞されてきたが、一九世紀以後に莫大な数の品種が作られ、世界中で栽培される。つるばらと木ばらに分けられ、花の形は大輪・小輪、一重咲・八重咲、剣咲き・平咲きなど、花色は深紅・黄・白、また四季咲、小形のミニチュア‐ローズなど極めて多彩。花の王と言われる。香料用にも栽培。また、バラ科バラ属の落葉低木の総称。高さ一〜二メートル。葉は有柄、托葉があり、羽状複葉。花は高い香りをもち、基本型では萼片・花弁は各五。北半球の温帯を中心に約二百種が分布。しょうび。そうび。ローズ。<季・夏>

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 なお、<大百科全書>のバラの記述は膨大な量があります。
 ここではバラの歴史について拝借しました・・・が、随分古くから人間との関わりがあるのには驚きであります。
 
 紀元前3000年・・・シュメールやバビロニア、エジプト、古代ギリシャ等々・・・昔も今も、バラの色香と美しい姿に人々は魅せられたのでしょう。

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 <大百科全書より、ほんの一部を抜粋>
 バラ【文化史】
 〔西洋〕
バラは農耕文明の始まりとともにあった。紀元前2000年以前の、シュメール人の『ギルガメシュ叙事詩』に、「この草の刺(とげ)はバラのようにお前の手を刺すだろう。お前の手がこの草を得るならば、お前は生命を得るのだ」という意味のくだりがある。ここにあるバラは野生または栽培バラ、あるいは、一般に刺のある植物をさしているものと思われるが、この叙事詩に出ている女神イシュタルについては、マリ出土の「花をかぐイシュタル」の塑像(前1800以前?)の花はバラの花であると推定されている。
 古代エジプトでは、石器時代の発掘物にはバラらしいものは見当たらないが、古い書物には記載があり、バラは東方からも移入されたと考えられる。これらには、ローザ・フェニキア、ローザ・サンクタ、ローザ・モスカータなど四季咲き性を含む芳香種もあった。
 前3000〜前2000年のバビロニアでは、隣国ペルシア、トルコなどがガリカ系などのバラの原種自生地であるうえに、バラなどを原料としたと思われる香料も加工されていたので、バラの栽培は盛んであったと考えられる。すなわちバビロン宮殿にはブドウやイチジクの果樹園とともにバラが栽培され、香料や薬用とされていたと推定される。
 エーゲ海文明期、エーゲ海諸島がバラ栽培にもっとも適した気候であったこともあり、バラが栽培され香料や医薬用として利用された。クノッソス宮殿のフレスコの家とよばれる洞窟(どうくつ)内の壁画にバラらしい絵が発見されている。古代ペルシアでもガリカ系やフェティダ系も豊富に自生し、ペルセポリスの彫刻にはバラを頭に飾ってあるものや、大建築の円柱にアカンサス模様のようにバラの模様が残されている。
 ヘブライ王国では、ソロモンの栄華にバラが出現しているが、ソロモン詩篇(しへん)や『旧約聖書』にあるバラは、現在のバラの祖先であるか否かは明らかではない。
 古代ギリシアでは、多くの詩人によってバラが詠まれており、ホメロスは若い人の美しさを「バラの頬(ほお)」と表現しており、バラ水(バラ油)も記述している。またサッフォーは「花の女王バラ」と歌っている。さらにアナクレオンは「恋の花なるバラの花、いとしき花のバラの花」と詠んでいる。ビーナス(アフロディテ)のバラの花は愛と喜びと美と純潔を象徴していると信じられた。バラの英語名ローズroseは、古アルメニア語のバールドvardに発し、古いギリシア語ブロードンbrodonがロドンrodonになり、ローズになったとされる。バラを意味するロードス島に当時のものと思われるバラ模様の硬貨が伝えられ、オリンピア競技の人々の頭の装飾にバラと思われるものが使われていた。
 歴史家ヘロドトスは「ウラニア」のなかに八重のバラを記載している。マケドニア地方のミダス王の花園にバラが栽培され、「60枚の花弁を有し」とあるのはローザ・センティフォーリアで、「他をしのぐ芳香」とあるのはローザ・ダマスセナである。これが歴史書に現れた正確なバラとして最古のものである。
 ギリシアのテオフラストスは、「バラには花弁の数と粗密さ、色彩の美、香りの甘美さなどの点でいろいろな相違があるが、普通のものは5枚の花弁をもっている。しかしなかには12〜15枚あるいはそれ以上、なかには100枚の花弁をもつものさえある」と述べている。また、「そのころギリシアにあったバラは大きさはスイレンの半分くらいで、ローザ・ダマスセナ、ローザ・アルバ、ローザ・センティフォーリア」とその種類を記載している。
 エジプトでは、プトレマイオス王朝の織物や壁画にバラの花が描かれている。クレオパトラがアントニウスを迎えるため、室内をバラで飾ったのは有名で、アントニウスは死にあたって、墓場をバラで飾るように遺言したという。
 ローマのプリニウスは『博物誌』のなかで、当時栽培されていたガリカ、ダマスセナ、アルバ、センティフォーリアなど12品種をあげている。当時ローマでは「バラの中に暮らす」ということがいわれたが、これはぜいたくに暮らすという意味である。
 シルク・ロードを通して盛んに東西交易が行われたが、正倉院宝物にある尺などに現れる宝相華(ほうそうげ)の類はシルク・ロードを経てもたらされた文様で、それらにはローザ・シネンシス、ローザ・ギカンティア、ローザ・モスカータの仲間が描かれており、バラ栽培が広く普及していたことを知ることができる。
 ルネサンス期、とくにボッティチェッリの『春の寓意(ぐうい)』『ビーナスの誕生』『バラのマリア』に描かれたバラは、ガリカ系のダマスク、アルバ、センティフォーリアなどの品種の特徴がはっきり描かれている。また「ばら戦争」としてよく知られているヨーク家とランカスター家の王位継承戦争は、それぞれ白バラ、赤バラを紋章に用いたのでその名がある。このほか、宗教画やミニアチュールにもよく描かれている。
 
 〔中国〕
ローザ・シネンシスすなわち中国のバラ(月季花、庚申(こうしん)バラ、長春花などといわれる種類)は、遣隋(けんずい)使や遣唐使によって日本にもたらされたが、当時すでに多数の園芸品種があったらしく、絵画には長春花とみなされるものが多数描かれている。栽培の起源は明らかではないが、ボタンやキクと同様、かなり古くから栽培されていたと思われる。しかも、西欧のバラ栽培が香料や医薬、装飾用であったのに対し、中国では観賞用としての栽培が最初であった。

 〔日本〕
日本でバラが最初に記されているのは『万葉集』で、「うまら」「うばら」とある。『枕草子(まくらのそうし)』『源氏物語』『古今和歌集』『新古今和歌集』では「さうび(薔薇)」と記されているが、これらはローザ・シネンシスの類であろうと思われる。また『明月記』や『栄花(えいが)物語』にもバラの記述がみられ、源義経(よしつね)の兜(かぶと)にもバラが描かれていたと伝えられている。『春日権現霊験記(かすがごんげんれいげんき)』には明らかに長春花と思われるものが描かれている。また、室町時代には各種の装飾にバラが描かれている。江戸時代、岩崎灌園(かんえん)の『本草図譜』には長春花、月季花が描かれており、当時すでにバラ栽培がかなり普及していたことを知ることができる。〈鈴木省三〉

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