上流から下流

 

 

 

ダムサイト裏ダムサイト正面

 

 

 

 千葉県を事業主体として養老川沿岸の洪水防止、農業用水、工業用水の確保を目的として戦後の経済成長時代(昭和33年)に企画立案され、長い準備段階を経て具体的に着手されたのは、昭和49年である。
 
 ダム工事は部落の集団移転、用地買収、遺跡や墓地、諸事情の解決、無数の補償問題、予算確保、法的整備等々、気の遠くなるような事前処理事項が存在し、かような長期間を準備作業に費やすことになる。
 
 本体工事は昭和61(1986)年から始まり、4年の歳月を経て平成2(1990)年にようやく完成した。

ダムサイト正面2管理道路

 

 

 

ゲート案内板ゲート

 

 

 

 脱ダム宣言などが全国的に吹き荒れ、
 ここ10年は国土保全の動きが完全にストップした時代である。
 
 しかし、長期的な視点を欠いた経済効率だけの議論でいくと、総合的な国土保全をないがしろにすることになり、緊急時の災害に対応できないことになる。
 
 もちろん、バブル時代のような技術者集団のおごりと無駄を許すことは出来ないが、白か!黒か!的な議論のみで国家政策の基本を決めることは、将来へ禍根を残すことになる。
 
 無駄をしないような適正な監視は必要であるが、国土を総合的な見地から見て企画推進していくことが重要なことである。
 
 アメリカ・ミネソタの橋梁崩壊は、社会基盤・構造物に対する「その社会の認識」を示していると考える(日本のバブル時代を思わせるようなアメリカ経済、その基本がぐらつく予兆のような落橋事故であると思う)。
 
 
 この高滝ダムを総合的に評価して、否定できるのかどうか、今では難しいと言えるが、これからの計画についてどの程度のスパンで評価するのか、できるのか、非常に難しい問題である。酷評された感のある東京湾横断道路も、本当の評価はずっと先であるはずだ。
 
 土木の建造物は歴史に含まれるような長い時間スケールで評価すべきであろう。その意味で、この高滝ダムが築後15年経過し、地元の風景としてなじみ始めているのは嬉しいことである。
 
 ただし、こうした大構造物の建設にはマイナスの要素が必ずあるはずで、その事もしっかりと公表し、公平な評価をすべきである。そして、特に目先だけの判断を無くして欲しい現代社会である。
 
 視点が近くなればなるほど長期の判断が出来なくなり、目先の利益ばかりを追うようになろう。その結果は、我々の時代ではなく子孫の時代が泣くことになってしまうのである。
 
 目先の利益を追う政治家、官僚、学者、経済人が幅をきかせ、起こす事件の低レベル化(追求するメディアも同じ)は目を覆いたくなる平成の時代だ。
 
 全てを経済性のみで判断することは、ことの本質をはずすことになり、社会のためにならないと危惧するものである。また、ゆえにこそ土木屋の情報発信が重要な時代になっていると考える。
 
 大災害が起こってからでは遅い国土建設なのである。

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