「水と空気はタダ(無料)。」と云われていたのは、ほんの一昔です。 
最近は、安心、安全でおいしい水への要求が強く、「低廉」 「豊富・安定」 「清浄・安全」が
水道にたずさわる者の理念となっています。

今回は、日本の水道の歴史を紐解いてみましょう。


・江戸時代
 江戸時代以前の16世紀半ば小田原の早川上水が我が国最初の水道といわれています。
 その後、徳川の時代となり、江戸の人口が増え、井戸水だけでは、生活用水が不足し、
幕府による公共インフラ整備が必要となりました。
 「小石川水道」、「神田上水」、「玉川上水」、「青山上水」、「三田上水」、「亀有上水」、
「千川上水」などは、東京都の水道歴史館にその歴史が詳しく展示されています。
 また、それぞれの上水建設に関する苦労話は、玉川上水建設の玉川兄弟(庄右衛門、清右衛門)の
偉業を代表として、多くの文献や小説となって、今日に伝えられています。
 その他では、金沢の辰巳上水、水戸の笠原上水が歴史に残っています。
 これらの江戸時代の水道は、水が高いところから低いところに流れる、重力方式の「導水路」
「配水路」による水道施設として出発しました。

7 水道歴史館
【東京都水道歴史館】

・明治時代
 明治政府が生まれ、近代水道の歴史の幕開けとなりました。
 明治18年(1885年)琵琶湖から京都に導水する琵琶湖疎水の建設が始まり、明治23年(1890年)
南禅寺水路閣が完成しました。 この建設に当たっては、21歳の若い田邊朔朗技師がローマの水道橋を
参考にして建設に当たったと、歴史に残っています。

8 水路閣
【南禅寺水路閣】


9 ローマ水道橋
【ローマ市内の水道橋】

 生活用水不足は、人口が急増した横浜も同様でありました。
 また、明治10年頃から流行した、コレラなど伝染病対策も近代水道の発展に拍車をかけました。
 日本初の浄水場として、明治20年(1887年)横浜に野毛山浄水場が作られた建設にあたっては、
イギリスからヘンリー・スペンサー・パーマーという技師を雇い、伝染病の防止、安全な水の確保、消火用水の
確保を目的として建設されました。

10 野毛山線路図 【横浜市水道局HPより】

 外国人の技術者として忘れてならないのは、明治政府の招聘により、1887年(明治20年)31歳の若さで
来日したウイリアム・K・バルトンです。
 バルトンは、帝国大学衛生工学の教授として上下水技術者を育成するとともに、今日の日本の衛生工学、
環境工学の基礎を築きました。また、日本最初の高層建築である、浅草凌雲閣も設計しました。

 こうした状況の中、明治政府は、明治23年(1890年)水道条例を制定、水道経営は自治体が行うことや、
消火栓の設置の義務化などの水道に関する規制を開始しました。
 この水道条例が、現在の水道法の前身となっています。

20091117155343_00001

By :  m.nakao


<千鉱エンジニアリング(株)HOMEへ> <土木の風景TOPへ>