戦後日本の水道の歴史を振り返って見てみましょう。

日本の歴史を語る上で、大きく梶が切られたこの期間を避けて通ることはできません。水道分野に於いてもグランドデザインを決定付ける大きな転換点でありました。

 

1945年(昭和20年)8月6日広島に、8月9日長崎に原子爆弾が投下され、8月14日にポツダム宣言受諾を通告し、8月15日には玉音放送が国民に放送され、戦後が始まりました。

多くの戦争がありましたが、戦後と云う表現は、この第二次世界大戦を指すことでご理解して頂けると思います。

8月30日にはD.マッカーサーが厚木飛行場に到着、9月16日に連合国軍本部(GHQ)が横浜から東京日比谷の第一生命相互ビルに移転しGHQによる間接統治が本格的に始まりました。間接統治とは言え、憲法改正、農地解放、派閥解体、戦争犯罪裁判など政治、経済などすべての占領政策が実施されました。
マッカーサー写真

【写真】GHQ入口のD.マッカーサー司令官
     (戦後史大事典(三省堂)P362より)


GHQは、公衆衛生の向上のため、防疫・保健・衛生行政を公衆衛生福祉局に担当させました。

ある程度の年齢の方は、しらみ対策として、DDTを頭に散布された経験や写真を見た記憶があるのではないでしょうか、水道に於いても水系感染症対策として、塩素消毒の徹底がGHQ指令として出されています。(DDT:有機塩素系の殺虫剤、農薬。日本では1971年から製造・輸入禁止)

 

 

*GHQ指令


当時アメリカ合衆国では、塩素添加が常識で義務付けされていました、なお、ヨーロッパ諸国は塩素注入を義務付けしていませんでした。

アメリカのものはすべて手本として見習うべきであるとのマッカーサー司令官の考えから、あらゆるものがアメリカナイズしていったと考えられます。

水道に関して、GHQは、「東京、川崎、横浜、横須賀水道」に対し塩素2ppm注入し塩素消毒の強化を図ることや、飲料水の供給は進駐軍の命令に基づいた水圧、水量、水質とするよう、昭和21年1月、2月に指令を出したことが他の文献で報告されています。

 進駐軍の塩素消毒は、浄水場で2ppm、末端で0.4ppm以上、上限はなく、当時の米軍野戦基準が踏襲されたものと考えられます。(ppm:百万分の一)



*関連資料 

GHQの行政資料は、SCAPIN番号が振られ整理されています。写真を参考までに紹介しましょう。
本資料は、国会図書館で正式に複写したもので、7June1946の日付で、飲料水用の液体塩素300トンを準備する、塩素を用いて米標準の水処理を行う事、等が指示されています。
SCAPIN JPEG-1
    《拡大できます》
【写真】SCAPIN-1419-A
    (SCAPIN全集P1590より)


 

*日本国憲法制定


水道に限らず、一般教養として忘れてならないものとして、憲法制度があります。日本国憲法は、1946年(昭和21年)11月3日に公布され、翌1947年(昭和22年)5月3日(憲法記念日)に施行されました。
賛否は別にして、これまで戦後65年経ちましたが、改正された履歴はありません


 

 

*日本の水道水質基準


厚生省は、昭和21年5月16日付け衛生局長通知で「給水栓において残留塩素が百万分中0.1〜0.4になるよう注入消毒すること」と行政指導がなされました。

昭和32年に公布された水道法は、度重なる改正がなされていますが、水道水の消毒についてはこの通知が踏襲され、2010年(平成22年)の現在も給水末端の残留塩素濃度0.1ppm以上が水道水質基準として堅持されています。

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By:m.nakao



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