昭和の中期から後期の歴史を見てみましょう。

この時代を反映するキーワードとしては、ベビーブーム、所得倍増、列島改造、公害、為替の変動相場制、オイルショック等が思い出されます、水道もこうした社会の中で急成長しました。

 

 

* 人口増加と給水量の推移

当講座2の水道の普及率と重複しますが、戦後昭和の水道関連の推移を少し細かく見てください
図1

人口の増加及び水道普及率の向上に引っ張られる形で、給水量がうなぎ登りに増加していることが読み取れます。この時期は、水量の確保が最優先事項でした。

昭和40年前後から日本全国で水道施設や送配水管網の建設ラッシュが始まりました、その結果、昭和45年から昭和50年頃までの給水量は驚異的に増加しました。若干ネガティヴですが、成長そして成熟の後には施設の更新ラッシュが将来待っていることも想定することができます。

 

 

 

* 大規模浄水場の建設

都市部を中心に、需要に対応するため、多くの大規模浄水場が建設されました。建設に当たっては、用地費の高騰により、敷地を効率的に活用し、処理量を確保する手法が多くとられました。狭い敷地に階層式浄水場も建設されました。

広い敷地を必要とする緩速ろ過池は見送られ、急速ろ過の浄水方式が採用されました、急速ろ過の浄水処理方式は、凝集剤を注入した凝集沈殿池、鉄・マンガン除去等のため塩素注入を必要とします。全国の浄水場が概ねこの方式で一斉に整備されました。水処理量が日量で50万超の大規模浄水場を表1にまとめました。
表1

写真1は、東京都葛飾区の航空写真です、映画「ふうてんの寅さん」でおなじみの葛飾柴又帝釈天の北側に、金町浄水場がみえます。東京ドームの5倍以上の広さと云われています。空き地があるように見えますが、地下には多くの池や配管などが設備されているとのことです。

写真1
写真1:東京都金町浄水場付近の風景(Yahoo Map)

* 水資源の確保

東京砂漠と云われた大渇水が、昭和39年に発生しました。東京オリンピック間近で、関東の多くの地域で給水制限が行われました。この時期以降多くの水道事業者は、河川やダムに水源を求めることとなりました。

全国総合開発計画(全総:新全総、三全総、四全総、五全総)をご存じでしょうか、交通整備、用水確保、土地利用、電力確保等の産業基盤整備を目的とした計画で、この期間は「全総」をインフラ整備の基本計画として、空港、高速道路、新幹線、ダム、原子力発電所等のビッグプロジェクトが押し進められました。

ダムは、洪水調節、水資源の確保、農水の確保、水力発電等多目的ダムとして建設が計画推進されました。


ブレイク

by:m.nakao


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