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 【図1:関東平野の鳥瞰図(千葉県立関宿城博物館展示より)】

 図1は、江戸時代を想定した鳥瞰図です。

利根川が、東北伊達藩に対する外堀であったことや、銚子から利根川を上り、関宿から江戸川を下る水運であったことを読み取ることができます。

今回は、東へ東へと流れを変えてきた利根川が、渡良瀬川と合流した後、関宿で江戸川と分流する話です。

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【写真1:千葉県立関宿城博物館(千葉県野田市関宿)】

 写真1は、関宿堰の約400m東にある関宿城博物館です、冬の晴れた日には、最上階から東京スカイツリーが望めるそうです。


・江戸川分流
利根川東遷事業の中で重要な箇所が、関宿の江戸川分流箇所です。

江戸の町を利根川の洪水から守るため、江戸川の水量を制限する必要がありました。

文政5年(1822年)頃に江戸川の流頭部に棒出しが設置されました。(両岸から突き出した堤で川幅を狭める手法)

この棒出しにより、権現堂川から江戸川に流れる水を減少させ、更に、逆川に押し上げ利根川に流入するようにしました、この結果、江戸川中、下流域の水害を緩和することができました。

また、利根川・逆川・江戸川の水量が安定し、河川交通の面でも利用が可能となりました。

こうして、利根川と江戸川は、鹿島灘と江戸湾を連絡する水運路となったのです。

江戸川水閘門図
【図2:江戸川分流部(利根川の歴史 金井忠夫著より)】

関宿堰付近航空写真
【写真2:江戸川分流箇所の航空写真(yahoo)上が北です】

その後、江戸川改修工事として1927年(昭和2年)に現在の関宿水閘門が完成しました、低水量調節のための8門の水門と船の航行を可能とする閘門が設けられており、土木遺産として登録されています。

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【写真3:関宿堰(写真右が水閘門)

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【写真4:関宿堰の模型図(千葉県立関宿城博物館展示より)】

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【写真5:関宿堰・遠くに千葉県立関宿城博物館(城)が見えます】

江戸川分流ヤフー航空写真文字入り
【写真6:江戸川分流村付近の航空写真(yahoo)】


・船運路が水道水源となった江戸川

利根川や江戸川を帆掛け船が往来した期間は、残念ながら余りなかったようです。(私的には、復活して欲しいと願っています。)

しかし、利根川東遷を始めた徳川家康も想定していなかったでしょうが、現在、江戸川は、首都圏の重要な水道水源となっています。

図3の江戸川流域図に示されますように、庄和浄水場(埼玉 35万/日)、新三郷浄水場(埼玉 36.5万/日)、古ヶ崎浄水場(千葉:現:野菊の里浄水場 6万/日)、栗山浄水場(千葉 18.6万/日)、北千葉浄水場(千葉 52.5万/日)、三郷浄水場(東京 110万/日)、金町浄水場(東京 150万/日)の大規模浄水場が、江戸川から水道水を取水しています。

合計施設能力は、408.6万/日となります。

一人一日の平均給水量を300リットルとすると、給水人口は、江戸川だけで1,362万人にもなります。

江戸川水系図
【図3:江戸川の説明図(利根川の歴史 金井忠夫著より)】




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・ハクレンのジャンプ
利根川と渡良瀬川の合流地点から約3km下流付近で、毎年ハクレンのジャンプを見ることができます。
IMG_2946 ハクレンジャンプ
 【写真7:ハクレンのジャンプ(茨城県五霞町)】

ハクレンは、戦時中に中国から食料源として輸入されたと云われています。今では、霞ヶ浦に生息し1年に一度、産卵のため川をさかのぼり、卵は流されながら孵化していきます。

梅雨明けの水量が多く水かさが増すと、一斉に産卵のため無数のハクレンが飛びはねます。毎年同じ場所で産卵が行われる理由は、卵から孵化した稚魚がちょうど霞ヶ浦に流下できるためと云われています。

産卵箇所の下流で、利根川は江戸川と分流しています、江戸川にもハクレンの卵が大量に流れてきます。

江戸川は、埼玉県、千葉県、東京都の重要な水道水源です、ハクレンの卵が流れてきた浄水場では、魚卵対策として通常とは異なる浄水処理を行う必要があります、いつハクレンがジャンプするか、重要な情報となっています。

 

By : m.nakao