*セイロンからスリランカへ

 紅茶で有名なセイロンは、1972年にスリランカ共和国に、1978年にスリランカ民主社会主義共和国に国名が変更されています。国も国民も日本に非常に友好的です。

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[ 図―1 スリランカ全図 現地パンフレットより ]


 スリランカの面積は北海道の約80%、人口は約2,000万人で宗教は仏教徒(70%)ヒンドゥ教徒(12%)イスラム教徒(10%)となっています。主要産業は、農業(紅茶、ゴム、ココナッツ、米)、繊維業、その他宝石などの鉱業です。
 日本との貿易では、自動車、機械、電気機器、プラスチック等が日本から輸出されている一方、紅茶、魚介類、植物性原材料、非金属鉱物を日本が輸入しています。
 名目GDPは191か国の中で65位と決して裕福な国ではありません。


*セイロンと日本の敗戦

 戦前、日本軍は、東南アジアを、オランダ、スペイン、イギリス、アメリカといった西欧諸国の占領から開放するため侵攻しました(異なる意見もあります)。
 
 イギリス占領下のセイロン島については、真珠湾攻撃5ヶ月後の1942年4月コロンボ基地とトリンコマリー軍港を空襲しイギリスから解放しました。空襲時にゴム林などに損害を与えましたが、上陸することはなかったとされています。
 
 その後1945年8月15日日本が無条件降伏し終戦となり、セイロンは再びイギリス占領となりましたが、1948年12月独立しました。

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   [ 図―2 スリランカの位置 google map より ] 


*ポツダム宣言後の日本分割統治案とサンフランシスコ条約

 日本は1945年8月14日ポツダム宣言を受諾9月2日に発効され、マッカーサーが1945年8月30日に厚木に降り立っています。1952年4月28日サンフランシスコ条約が発効されました。
ポツダム宣言受諾後、戦勝国のアメリカ、イギリス、ロシア、中国等は日本列島を各国がどのように分割統治するか陣取り合戦が始まりました。図―3は様々な案の一つだそうです。

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[ 図―3 日本分割統治案図 ウィキペディアより ]


 しかし、この危機を、セイロン代表のJ.R.ジャワルデネ氏が救いました。1951年サンフランシスコ平和会議の対日平和条約会議でJ.R.ジャワルデネ氏が「憎しみは憎しみによって止まず、ただ愛によってのみ止む」とブッダの言葉を引用し、日本の分割統治に反対されました。また、同条約において、日本に課された戦後賠償を他国に先駆け放棄し、同条約締結後、世界で最も早く国交関係を結びました。(興味のある方は、J.R.ジャワルデネ講演内容を検索ください)
 
 日本や日本人を尊敬するJ.R.ジャワルデネ氏の演説がなければ、日本列島が東西ドイツや朝鮮半島のようになっていたかもしれません。


*中国の影響拡大
 中国は、一帯一路政策の一環として、多額の借款や港湾整備をスリランカで行っています。写真−1、−2はコロンボ港の整備工事中の写真です。
 写真−3はコロンボ市街に蓮の蕾をイメージしたシンボルタワーが建設されていました。現地ガイドの話では、資材も労働者も全て中国から入ってきており、労働者は中国の刑務所から連れてきているらしいと、不愉快そうに話していました。

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[ 写真―1 コロンボ港湾整備中 ]

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[ 写真―2 コロンボシーサイドのオフィスビル建設中 ]

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[ 写真―3 コロンボ市街の建設中のシンボルタワー ]

 スリランカ政府は、親中国派と親インド派で対立しているようで、どちらが主導権を執るかで将来のスリランカの方向が決められるでしょう。


*コロンボ市内の三輪タクシー(ツクツク)
 公共交通機関が整備されていないコロンボ市内の道路は三輪タクシーがあふれています、一台80万円ほどで購入し個人営業できます。最近はあまりの多さで交通渋滞の原因ともなっており、タクシー営業できる年齢を引き上げる規制を当局が考えているとのことでした。

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[ 写真―4 コロンボ市街の三輪タクシー ]


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[ 写真―5 コロンボ市街の三輪タクシー ]


*スリランカの食事(カレー)
 日本人がスリランカを旅行する場合、食事に閉口される人が多いと思います、1日3食カレーです。朝はホテルにパンがありますが、昼、夜はホテルもレストランも全て同様にカレーのバイキングスタイルとなっています。場所により味や辛さは若干違います。大皿の中央に数種類の主食のライスを盛り、周囲にチキンカレー、フィッシュカレー、野菜カレー等を自分の好みで盛り付けます。

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[ 写真―6 毎日カレーです ]


 スリランカでは様々な魚が取れますが、全てカレーの具材にするそうで、日本のように美味しく調理すればいいのにと、ガイドさんが不平を言ってました。

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[ 写真―7 市場の魚屋さん ]


 『仏教は宗教ではない、哲学である』が口癖のガイド兼通訳のニヘル氏を紹介します。年齢は50歳位、授業が全て英語で行われるコロンボ大学経済学部卒業後、宝石会社の経理として就職、何度も日本に来る間に、日本語を習得、大の日本ファンになったそうです。
 ラーメン、寿司などの日本食も大好きと云ってました。宝石会社を退社し、観光業に転職し、何度も来日して仏教寺院を多く訪れ住職と親しくなったりしているそうです。昨年(2018年)大学一年の次男モモタロー君を連れて名づけ親の仙台の住職に息子を見せに行き、その後は、JR周遊切符で日本訪問初めての息子と楽しい旅行をしたと云ってました。ちなみに、次女の名前はサクラさんだそうです。

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[ 写真―8 ガイドのニヘルさんの横顔(左) ]

    (Jan.2019  水道特派員  M.N)

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