土木の風景

from civil engineers 築土構木、土木技術は社会生活の基盤をささえています。

水道雑学講座

 【セイロン島はどこへ行く(その1)】

*セイロンからスリランカへ

 紅茶で有名なセイロンは、1972年にスリランカ共和国に、1978年にスリランカ民主社会主義共和国に国名が変更されています。国も国民も日本に非常に友好的です。

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[ 図―1 スリランカ全図 現地パンフレットより ]


 スリランカの面積は北海道の約80%、人口は約2,000万人で宗教は仏教徒(70%)ヒンドゥ教徒(12%)イスラム教徒(10%)となっています。主要産業は、農業(紅茶、ゴム、ココナッツ、米)、繊維業、その他宝石などの鉱業です。
 日本との貿易では、自動車、機械、電気機器、プラスチック等が日本から輸出されている一方、紅茶、魚介類、植物性原材料、非金属鉱物を日本が輸入しています。
 名目GDPは191か国の中で65位と決して裕福な国ではありません。


*セイロンと日本の敗戦

 戦前、日本軍は、東南アジアを、オランダ、スペイン、イギリス、アメリカといった西欧諸国の占領から開放するため侵攻しました(異なる意見もあります)。
 
 イギリス占領下のセイロン島については、真珠湾攻撃5ヶ月後の1942年4月コロンボ基地とトリンコマリー軍港を空襲しイギリスから解放しました。空襲時にゴム林などに損害を与えましたが、上陸することはなかったとされています。
 
 その後1945年8月15日日本が無条件降伏し終戦となり、セイロンは再びイギリス占領となりましたが、1948年12月独立しました。

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   [ 図―2 スリランカの位置 google map より ] 


*ポツダム宣言後の日本分割統治案とサンフランシスコ条約

 日本は1945年8月14日ポツダム宣言を受諾9月2日に発効され、マッカーサーが1945年8月30日に厚木に降り立っています。1952年4月28日サンフランシスコ条約が発効されました。
ポツダム宣言受諾後、戦勝国のアメリカ、イギリス、ロシア、中国等は日本列島を各国がどのように分割統治するか陣取り合戦が始まりました。図―3は様々な案の一つだそうです。

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[ 図―3 日本分割統治案図 ウィキペディアより ]


 しかし、この危機を、セイロン代表のJ.R.ジャワルデネ氏が救いました。1951年サンフランシスコ平和会議の対日平和条約会議でJ.R.ジャワルデネ氏が「憎しみは憎しみによって止まず、ただ愛によってのみ止む」とブッダの言葉を引用し、日本の分割統治に反対されました。また、同条約において、日本に課された戦後賠償を他国に先駆け放棄し、同条約締結後、世界で最も早く国交関係を結びました。(興味のある方は、J.R.ジャワルデネ講演内容を検索ください)
 
 日本や日本人を尊敬するJ.R.ジャワルデネ氏の演説がなければ、日本列島が東西ドイツや朝鮮半島のようになっていたかもしれません。


*中国の影響拡大
 中国は、一帯一路政策の一環として、多額の借款や港湾整備をスリランカで行っています。写真−1、−2はコロンボ港の整備工事中の写真です。
 写真−3はコロンボ市街に蓮の蕾をイメージしたシンボルタワーが建設されていました。現地ガイドの話では、資材も労働者も全て中国から入ってきており、労働者は中国の刑務所から連れてきているらしいと、不愉快そうに話していました。

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[ 写真―1 コロンボ港湾整備中 ]

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[ 写真―2 コロンボシーサイドのオフィスビル建設中 ]

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[ 写真―3 コロンボ市街の建設中のシンボルタワー ]

 スリランカ政府は、親中国派と親インド派で対立しているようで、どちらが主導権を執るかで将来のスリランカの方向が決められるでしょう。


*コロンボ市内の三輪タクシー(ツクツク)
 公共交通機関が整備されていないコロンボ市内の道路は三輪タクシーがあふれています、一台80万円ほどで購入し個人営業できます。最近はあまりの多さで交通渋滞の原因ともなっており、タクシー営業できる年齢を引き上げる規制を当局が考えているとのことでした。

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[ 写真―4 コロンボ市街の三輪タクシー ]


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[ 写真―5 コロンボ市街の三輪タクシー ]


*スリランカの食事(カレー)
 日本人がスリランカを旅行する場合、食事に閉口される人が多いと思います、1日3食カレーです。朝はホテルにパンがありますが、昼、夜はホテルもレストランも全て同様にカレーのバイキングスタイルとなっています。場所により味や辛さは若干違います。大皿の中央に数種類の主食のライスを盛り、周囲にチキンカレー、フィッシュカレー、野菜カレー等を自分の好みで盛り付けます。

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[ 写真―6 毎日カレーです ]


 スリランカでは様々な魚が取れますが、全てカレーの具材にするそうで、日本のように美味しく調理すればいいのにと、ガイドさんが不平を言ってました。

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[ 写真―7 市場の魚屋さん ]


 『仏教は宗教ではない、哲学である』が口癖のガイド兼通訳のニヘル氏を紹介します。年齢は50歳位、授業が全て英語で行われるコロンボ大学経済学部卒業後、宝石会社の経理として就職、何度も日本に来る間に、日本語を習得、大の日本ファンになったそうです。
 ラーメン、寿司などの日本食も大好きと云ってました。宝石会社を退社し、観光業に転職し、何度も来日して仏教寺院を多く訪れ住職と親しくなったりしているそうです。昨年(2018年)大学一年の次男モモタロー君を連れて名づけ親の仙台の住職に息子を見せに行き、その後は、JR周遊切符で日本訪問初めての息子と楽しい旅行をしたと云ってました。ちなみに、次女の名前はサクラさんだそうです。

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[ 写真―8 ガイドのニヘルさんの横顔(左) ]

    (Jan.2019  水道特派員  M.N)

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ヤンゴン(ミャンマー)上下水道の風景(その2)no.458

ヤンゴン(ミャンマー)上下水道の風景(その2)

***ヤンゴン市の下水道の状況

ヤンゴンの下水道は、イギリス植民地時代のシステムが現在も使用されています。メインコンプレッサーステーション2か所、縦横に張り巡らした下水道管の要所34箇所にエジェクターステーションがあり、唯一の下水処理場に送られています。空気による圧送方式です。

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[ 写真―17 メインコンプレッサーステーション ]


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[ 写真―18 メインコンプレッサー ]

コンプレッサーステーションには、1888年建設の名板あります、日本であれば産業遺産指定間違いありません。苦労してメンテナンスしているようです。

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[ 写真―19 メインコンプレッサーステーション建屋の名板(1888年) ]


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[ 写真―20 エジェクターステーション ]


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[ 図―2 下水圧送システム図 出典YCDC ]



***ヤンゴン市内の観光名所

現在一番の観光名所は、アウンサンスーチーさんが軟禁されていた自宅前だそうです。軍事政権時、自宅前まで一切の外国人の立ち入りは禁止されていたそうですが、現在は、道路から写真撮影も可能です。

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[ 写真―21 アウンサンスーチーさんの自宅前 ]


仏教の総本山シュエダゴォン・パゴダは、約100mの金箔の寺院です。チャット・ジー・パゴダは、約70mの寝仏です。ボージョー・アウンサン・マーッケットは、衣類や土産物の市場です。男性用の腰巻(ロンジー)も沢山売っていました。

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[ 写真―22 シュエダゴォン・パゴダ ]


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[ 写真―23 チャット・ジー・パゴダ ]


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[ 写真―24 ボージョー・アウンサン・マーケット ]


***おわりに

街中では、民主化を歓迎し期待する市民の喜びを感じることが出来ました。数年前には写真を掲示しただけで逮捕されたと云ううことですが、カレンダーが自由に売られています。

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[ 写真―25 カレンダー売り ]



日本は途上国支援としてODAや技術支援を継続的行っており、国民の親日に貢献しています。国連やASEN等の国際的な場でミャンマーが日本側に賛同の立場をとれば、国益につながりますが、東南アジアにはJICA等の支援を受けながら、中国寄りの国がいくつかあります。
今後どうなるか不明ですが、ミャンマーの国民生活、公衆衛生、交通インフラ等の民主的な向上のため、JICA等が日本方式を押し付けるのではなくミャンマーの文化を尊重し、支援を継続していくことを望みたいと思います。(完)
   (Nov.2016  水道特派員  M.N)

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ヤンゴン(ミャンマー)上下水道の風景(その1)no.457

ヤンゴン(ミャンマー)上下水道の風景(その1)

***ミャンマーの概要

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[ 図―1 ミャンマーの地図 google map より ]


ミャンマーは、図―1のようにバングラデッシュ、中国、ラオス、タイと国境を接しています。
歴史的には、11世紀に仏教国としてバガン王朝が栄え現在のミャンマーの基礎が築かれたとされています。19世紀にはイギリスが侵攻しイギリス領インドに併合されました。1941年頃から日本軍が侵攻しましたが、1944年には抗日運動が起き再びイギリス領となりました。
第二次世界大戦終結後独立しますが、1947年アウンサン将軍が暗殺されるなど、社会主義政策、民主化運動、軍事政権のせめぎあいが続きました。また、1986年当時の軍事政権は、国名をビルマからミャンマーに変更しました。

1990年アウンサンスーチーさん率いるNLD(国民民主連盟)が総選挙で圧勝しますが、アウンサンスーチーさんの自宅軟禁が2010年に解かれ、やっと民主国家への歩みを始めました。
尚、2006年に首都がヤンゴンからネーピードーに遷都していますが、現在もミャンマーの主要都市はヤンゴンとなっています。
ミャンマーの人口は、5000万人強でその約1割の500万人がヤンゴンに住んでいます。


***ヤンゴンの市街地の風景

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[ 写真―1 早朝の托鉢風景(ヤンゴン中央駅前) ]


ミャンマーは、敬虔な仏教徒の国で、男子も女子も出家することが義務付けられています。
上の写真1は、早朝のヤンゴン中央駅前を托鉢で廻る「はだしの少女」たちです。

次の写真2、3、4は、朝市の風景です、朝市が路地路地で開かれています、肉、魚、野菜、花、果物等あらゆるものが売られており、市民の生活をうかがうことが出来ます。

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[ 写真―2 朝市の風景 ]


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 [ 写真―3 朝市の風景



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[ 写真―4 朝市の風景 ]

 

ミャンマーの女性たちは、ほほに「タナカーという木」を石の台で擦ったトノコのような物を自然派コスメとして塗っています。下の写真5も朝市の写真です。

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[ 写真―5 朝市の風景 ]


***ヤンゴン市内はバイク、自転車禁止です

次の写真6は、JICAヤンゴンが入居しているサクラタワーから撮った写真です。ヤンゴン市内は、バイク、自転車が禁止されているそうです、理由は(噂ですが)、軍事政権時、政府高官が路上でバイクの集団に取り囲まれ怖い思いをしたため禁止にしたそうです。

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[ 写真―6 サクラタワーからの風景(ヤンゴン中心部) ]


リヤカーは大丈夫です、写真7は、水売りの風景です。尚、市内を走っている車のほとんどは日本車です、20年以上前の日本の古い「・・交通」とか書かれたバスが後ろのエンジン部分を開けっ放しで走っています。

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[ 写真―7 リアカーを押す水売り(ヤンゴン中心部) ]


***ミャンマーの人たちは親日です

戦時中はともかく、現在は親日に感じました、JICAミャンマー事務所の話では、軍事政権時から日本はインフラ等の技術支援を行ってきており、非常に信頼されているとのことでした。

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[ 写真―8 JICA事務所 ]



現在は、国民の生活向上、人材育成、制度整備、経済成長支援を目的として、鉄道、上下水、灌漑等のODA(政府開発援助)や技術支援を行ってます、中国も活動しているようですが内容が公表されていないため実態は不明とのことでした。


***ヤンゴン市の水道の状況

今回視察の目的である上水道状況は、ヤンゴンで稼働している浄水場が1か所、建設中のものが1か所あります、その各々にJICAの技術支援やODAの援助が入っています。

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[ 写真―9 ニャウナピン浄水場(唯一の稼働中の浄水場) ]


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[ 写真―10 ニャウナピン浄水場の水質監視 ]


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[ 写真―11 ラグンピン浄水場 (建設中 ODA案件) ]


現在は、上流の貯水池の水がそのまま送水されている状況であり、浄水場で水処理された水が送水されているのは一部の地域のみとなっています。日本のように飲める水が各家庭に給水されていません。

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[ 写真―12 ローガ貯水池 ]


レストランなどはボトル水を利用しています、街中や寺院等人が多く集まる場所には水飲場が設置されており、無料で市民が利用することが出来ます。

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[ 写真―13 店先のボトル水 ]


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[ 写真―14 街中の浄水器が付いた水飲場 ]


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[ 写真―15 寺院(シュエダゴォン・パゴダ)の浄水器が付いた水飲場 ]


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[ 写真―16 寺院(チャット・ジー・パゴダ)の浄水器が付いた水飲場 ] 

 

次回は下水道の状況他をアップします。

   (Nov.2016  水道特派員  M.N)

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利根川(7) 下流域

関宿で江戸川と分流した利根川は、茨城県と千葉県の県境の役割を果たしながら、
東へ東へと流れていきます。
利根川河口までの距離(水資源機構)
【 図1:利根川のかたむきと河口までの距離 】(水資源機構HP資料より)
利根川は、守谷市で鬼怒川と更に取手市で小貝川と合流します、図1で明らかですが利根川下流域は、
河川勾配はほとんどなく、太平洋に向かってゆったりと流れていきます。
江戸時代は、舟運が盛んでした。

・河川はだれのもの
 ところで河川はだれのものでしょう、考えてみましょう。
 明治29年(1896年)施行の河川法では、かんがい用水(農業用水)や洪水から生命財産を守る治水が目的でした。
その後、昭和39年(1964年)河川法が改正され、治水に利水の整備が加わりました。
利水とは、農業用水、工業用水、水道用水、他の河川浄化用水等です。
更に、平成9年(1997年)に改正された
河川法では、河川環境の保全が加わり、地域の意見を反映した河川整備の計画制度が導入され、地域住民も意見を
述べることが可能となりました。
「河川はだれのものか」答えは、地域住民、魚貝類や河川敷の植物、河川敷をねぐらとする鳥など全ての動植物のものと云えます。
河川が河川であるためには、それなりの流水が確保される必要があります。上流で多く取水され、下流で流水が消えてしまう瀬切れや、
流量低下による塩水遡上などが発生すると正常な河川機能とは云えません。
図2で判かりますように、河川と湖沼、運河、導水路、用水路等が一体で運用管理され、利根川の水が農業用水、
水道用水、工業用水等に活用されています。
利根川の地図(利根下流河川事務所)
【 図2:利根川下流域の用水図 】(利根下流河川事務所HP資料より)

・霞ヶ浦や利根川河口堰が、東京、埼玉の水道水源?

水道水源施設は、上流のダムや遊水池等の施設だけではありません。

利根川下流域では大規模な河川整備が行われています。

その目的は、治水だけでなく首都圏の水道水源開発も含まれています。霞ヶ浦導水事業や利根川河口堰は東京、埼玉など
の水道水源施設となっています。

霞ヶ浦の水が直接、東京や埼玉の浄水場に送られている訳ではありません。下流域で河川整備が行われ、
北千葉導水路などが整備され、河川の機能を維持しながら水の融通ができるようになります。

こうした事業に水道事業者が参画することで、江戸川などで取水する権利、水利権を得ることになります。
図3は、霞ヶ浦導水事業の計画図です、平成24年度現在まだ完成していません。
課題が多く完成の目処も立っていません。
霞ヶ浦 虹の塔
《 写真1:霞ヶ浦の風景 》(行方市玉造 霞ヶ浦ふれあいランド 虹の塔より撮影)

霞ヶ浦導水事業概要
【 図3:霞ヶ浦導水事業の計画の概要 】(国交省 霞ヶ浦導水工事事務所HPより)

・利根川河口堰

利根川河口堰は、昭和46年(1971年)に竣工した利根川最下流の堰で総延長835m、調節門2門、
制水門7門等を擁しています。
目的は、塩害の防止と東京をはじめとする首都圏の水道水源と
なっています。

鹿島灘からさかのぼってくる海水の状況に合わせて河口堰のゲートを操作することで利根川下流域を塩害から守っています。

こうしたゲートの制御や船の運航の閘門など運転管理は水資源機構が行っています。
利根川下流航空写真 文字入り
《 写真2:利根川河口堰付近の航空写真 》(Google Mapより)
利根河口堰 水利権
【 図4:利根川河口堰の水利権 】(水資源機構HPより)
図4は、利根川河口堰に参画している用水事業者の水利権の一覧です。利根川河口堰から遠くの東京都や埼玉県に
水道水利権が与えられています。

・利根川河口
銚子 航空写真1 文字入り
《 写真3:利根川河口付近の航空写真 》(Google Mapより)
銚子 パノラマ 文字入り
《 写真4:利根川河口の風景(パノラマ合成) 》(銚子市 銚子ポートタワーより撮影)
鮭の遡上
【 図5:利根大堰のサケ遡上グラフ 】(水資源機構HP資料より)

写真3は、利根川河口付近の航空写真です。

写真4は2月中旬の、河口の写真です、鹿島灘にゆったりと注ぎ、大水上山の源流から322kmの「利根川の水」
の旅が終わりました。
ここから大海に旅立つ鮭もいます。
図5は、河口から約150km上流の利根大堰の鮭の遡上状況のグラフです。

鮭は、10〜12月にかけて上流の川で産卵し、その後3〜4月にかけ8cm程度に成長し、鹿島灘に降海し、
1〜6年後に、母川利根川に回帰してきます。

鮭が、喜んで帰ってこられる環境を作ることが求められてます。



【 Coffee−Break 】

 

利根川は、1783年、1938年の浅間山大噴火で下流に多くの被害を出した記録があります。
また、1890年前後の足尾鉱毒事件にも見舞われました。そして、2011年3月には放射性物質が広範囲に飛散しました。
環境や生態系に与える影響は現時点では判断できません。

この講座では、利根川について、源流から下流域まで7回に分けて駆け足で見てきました。

奥利根の矢木沢ダムをはじめとしたダム群、利根大堰、利根川河口堰など全て水道にとって重要な施設であることを説明しました。

こうして見ると利根川そのものが、水道の幹線と云って過言ではないでしょう。

利根川に限らず、我々を取り巻く全ての環境が改善されていくことを願って、利根川編をひとまず終了します。

 

 
By : m.nakao



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利根川(6) 江戸川分流

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 【図1:関東平野の鳥瞰図(千葉県立関宿城博物館展示より)】

 図1は、江戸時代を想定した鳥瞰図です。

利根川が、東北伊達藩に対する外堀であったことや、銚子から利根川を上り、関宿から江戸川を下る水運であったことを読み取ることができます。

今回は、東へ東へと流れを変えてきた利根川が、渡良瀬川と合流した後、関宿で江戸川と分流する話です。

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【写真1:千葉県立関宿城博物館(千葉県野田市関宿)】

 写真1は、関宿堰の約400m東にある関宿城博物館です、冬の晴れた日には、最上階から東京スカイツリーが望めるそうです。


・江戸川分流
利根川東遷事業の中で重要な箇所が、関宿の江戸川分流箇所です。

江戸の町を利根川の洪水から守るため、江戸川の水量を制限する必要がありました。

文政5年(1822年)頃に江戸川の流頭部に棒出しが設置されました。(両岸から突き出した堤で川幅を狭める手法)

この棒出しにより、権現堂川から江戸川に流れる水を減少させ、更に、逆川に押し上げ利根川に流入するようにしました、この結果、江戸川中、下流域の水害を緩和することができました。

また、利根川・逆川・江戸川の水量が安定し、河川交通の面でも利用が可能となりました。

こうして、利根川と江戸川は、鹿島灘と江戸湾を連絡する水運路となったのです。

江戸川水閘門図
【図2:江戸川分流部(利根川の歴史 金井忠夫著より)】

関宿堰付近航空写真
【写真2:江戸川分流箇所の航空写真(yahoo)上が北です】

その後、江戸川改修工事として1927年(昭和2年)に現在の関宿水閘門が完成しました、低水量調節のための8門の水門と船の航行を可能とする閘門が設けられており、土木遺産として登録されています。

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【写真3:関宿堰(写真右が水閘門)

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【写真4:関宿堰の模型図(千葉県立関宿城博物館展示より)】

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【写真5:関宿堰・遠くに千葉県立関宿城博物館(城)が見えます】

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【写真6:江戸川分流村付近の航空写真(yahoo)】


・船運路が水道水源となった江戸川

利根川や江戸川を帆掛け船が往来した期間は、残念ながら余りなかったようです。(私的には、復活して欲しいと願っています。)

しかし、利根川東遷を始めた徳川家康も想定していなかったでしょうが、現在、江戸川は、首都圏の重要な水道水源となっています。

図3の江戸川流域図に示されますように、庄和浄水場(埼玉 35万/日)、新三郷浄水場(埼玉 36.5万/日)、古ヶ崎浄水場(千葉:現:野菊の里浄水場 6万/日)、栗山浄水場(千葉 18.6万/日)、北千葉浄水場(千葉 52.5万/日)、三郷浄水場(東京 110万/日)、金町浄水場(東京 150万/日)の大規模浄水場が、江戸川から水道水を取水しています。

合計施設能力は、408.6万/日となります。

一人一日の平均給水量を300リットルとすると、給水人口は、江戸川だけで1,362万人にもなります。

江戸川水系図
【図3:江戸川の説明図(利根川の歴史 金井忠夫著より)】




################## Coffe-Break ##################

・ハクレンのジャンプ
利根川と渡良瀬川の合流地点から約3km下流付近で、毎年ハクレンのジャンプを見ることができます。
IMG_2946 ハクレンジャンプ
 【写真7:ハクレンのジャンプ(茨城県五霞町)】

ハクレンは、戦時中に中国から食料源として輸入されたと云われています。今では、霞ヶ浦に生息し1年に一度、産卵のため川をさかのぼり、卵は流されながら孵化していきます。

梅雨明けの水量が多く水かさが増すと、一斉に産卵のため無数のハクレンが飛びはねます。毎年同じ場所で産卵が行われる理由は、卵から孵化した稚魚がちょうど霞ヶ浦に流下できるためと云われています。

産卵箇所の下流で、利根川は江戸川と分流しています、江戸川にもハクレンの卵が大量に流れてきます。

江戸川は、埼玉県、千葉県、東京都の重要な水道水源です、ハクレンの卵が流れてきた浄水場では、魚卵対策として通常とは異なる浄水処理を行う必要があります、いつハクレンがジャンプするか、重要な情報となっています。

 

By : m.nakao

 

 

利根川(5) 渡良瀬川合流

・渡良瀬川合流

今回の講座は、カスリーン台風決壊地点のわずか数百メートル下流の渡良瀬川合流の話です。

利根川東遷以前の江戸時代、渡良瀬川は、現在の江戸川である太日川(ふといがわ)を経由し江戸湾に流れていました。

現在は、渡良瀬川も鹿島灘に流れる利根川の支流として、埼玉、東京、千葉、茨城の重要な水道水源となっています。

渡良瀬川は、栃木県日光市足尾町と群馬県沼田市との境にある皇海山(すいかいさん)を源とし、草木ダムを経て巴波川(うずまがわ)、思川と一緒になり渡良瀬遊水池を経て、利根川に合流しています。

草木ダム
【 写真1:草木ダム 】

1977年(昭和52年)に草木ダムが竣工しました。ダムより上流は正確には松木川ですが、足尾町の源流から渡良瀬川と呼ぶ人が多いようです。草木ダムの下流は、紅葉が美しい渡良瀬渓谷となっています。

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図1は、利根川上流域のダム群と利根川の位置関係の概念図です。本講座の利根川(3)で使用した図に利根大堰より下流を加えて図示しました。

渡良瀬遊水池航空写真 文字入り
〔 図2:渡良瀬遊水池付近の航空写真(google mapより 〕

図2は、渡良瀬川が利根川に合流する付近の航空写真です。


     足尾鉱毒事件

渡良瀬川を語る上で、足尾鉱毒事件は歴史的に避けて通ることは出来ませんので、簡単におさらいをしておきます。たくさんの文献や小説などがあります、詳しくは、皆さんで調べてください。

 

*事件1 足尾銅山の精錬過程で排出された鉱毒ガス(主成分は二酸化硫黄と云われています)や酸性雨により、上流の松木渓谷の水源林はすべて枯れ、日本のグランドキャニオンとも呼ばれるようにすべての植物が完全に死枯してしまいました。

足尾砂防堰堤
【 写真2:昭和52年当時の松木渓谷(親水公園看板より)】

足尾銅山閉山後40年を経て、現在も回復工事、植林工事が行われています、一般の人は、ゲートがあり親水公園より上流の松木渓谷に立ち入ることはできません。

造林工事看板
【 写真3:松木渓谷植林工事(工事説明書看板より2011.8撮影) 】

*事件2 足尾銅山の下流では、鉱毒によるものと思われる稲の立ち枯れ、住民の健康被害などが多く発生しました。

田中正造【1841年〜1913年、足尾銅山鉱毒事件を告発した政治家、衆議院選挙当選6回】を中心とした農民運動が起きました。また、田中正造は、国会でたびたび質問しますが、政府の第一次の調査委員会では、原因、被害調査は進みませんでした。そこで、明治34年(1901年)足尾鉱毒事件について明治天皇に直訴を試み、失敗しますが、号外が発行され、多くの東京市民が直訴状の内容を知るところとなり、あわてた政府は、翌年、第二次鉱毒調査委員会を設置しました。

 

*事件3 第二次鉱毒調査委員会の報告を受け、政府は、鉱毒沈殿用の渡良瀬貯水池を作ることにしました、場所は、田中正造が住んでいる谷中村となり、1906年(明治39年)谷中村は、強制収用、強制廃村となりました。渡良瀬遊水池は、1905年(明治38年)着工され1989年(平成元年)完成しています。


谷中湖(国交省HP)
【 写真4:第一調整池(谷中湖)(国土交通省HPより) 】

     渡良瀬川は水道水源として支障はないか

鉱毒事件当時の群馬県の調査では、鉱毒の主成分は、銅の化合物、亜酸化鉄、硫酸、カドミウム、鉛などとなっています。

戦後、首都圏の自治体は利根川に水源を求めます、渡良瀬川も同様で、水道用水の水源となりました。

1977年(昭和52年)治水、水道用水、発電等の多目的ダムとして、草木ダムが竣工しました。

水道水源として支障があるのではと、一部では危惧されましたが、ダム竣工が足尾銅山の閉山後だったこともあり、下流浄水場で浄水処理された水道水の水質検査では水質基準を満たしています。

水質浄化と若干関連しますが、渡良瀬遊水池では、毎年3月下旬、湿地環境の保全や害虫駆除を目的として葦焼きが行われています。写真5.6は、葦焼きの様子です。

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【 写真5:渡良瀬遊水池の葦焼きの風景1 】

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【 写真6:渡良瀬遊水池の葦焼きの風景2 】


     カビ臭などのくさい水

水源を河川表流水に求める様になり、昭和の中頃から、琵琶湖水系、霞ヶ浦水系などで、水がくさい、

墨汁のような臭いやカビ臭がするといった、苦情が多くなりました。

くさい水は、(湖沼の富栄養化により繁殖した)藍藻類を含んだ原水を浄水処理した場合に発生するとされています。

渡良瀬遊水池では、毎年1月から4月にかけ、第一調整池の谷中湖を干し上げ、異臭の原因となるプランクトンを死滅させる作業を行っていますが、上流域の館林付近の沼などにも藍藻類の発生源があり、利根川に影響を与えています。

上流河川で臭気原因物質が確認された場合、下流の浄水場では、活性炭の注入や高度浄水処理などの対策を行い異臭味水の発生を防止しています。




【 Coffee−Break 】

1995年(平成7年)、福井県敦賀市にある高速増殖炉「もんじゅ」がナトリウム漏れの事故を起こしました、その後、2010年(平成22年)8月には原子炉内で装置の落下事故が起きています。

一部の水道関係者は、福井の原発銀座で放射能事故が発生すると、琵琶湖の水が飲めなくなると警鐘していましたが、福島で現実に起こってしまいました。

水道利用者、水道事業関係者の水道に対する感情が、福島第一原子力発電所事故で一変してしまいました。

環境や地域住民を犠牲に行われた足尾銅山の国策事業と原子力発電事業のリスク管理の杜撰(ずさん)さが重なって感じられます。

安心、安全、信頼と云った水道に関する評価が揺らいでいます、否、失ってしまったのかも知れません。

厚生労働省は、原水に塩素消毒を行い、速やかに活性炭を添加すれば、放射性ヨウ素はある程度除去できる。放射性セシウムは、粒子として挙動するため、濁質と共に沈殿させ、水道水の指標値を上回らないように水道事業者を指導しています。

本講座は、水道の蛇口の向こう側を様々な視点から眺め「水道」に少しでも親しんでもらえれば、との思いで始めましたが、放射能汚染が、顕在化するとは全く想像していませんでした。

放射性ヨウ素の指標値は、大人300Bq/Kg、乳幼児100Bq/Kgとされていますが、本当に指標値以下は安全なのか、他の水道水質基準項目についても、信頼を崩してしまったのではと心配しています。

厚生労働省のHPでは、『 指標値を超える水道水を一時的に飲用しても健康影響が生じる可能性は極めて低く、代替飲用水が確保できない場合には飲用(乳児による水道水の摂取を含む)しても差し支えありません。また、手洗い、入浴等の生活用水としての利用は可能です。 と発表しています。

浦安 飲料水の列
【 写真8:スーパーマーケット前の風景(2011.3新浦安駅前にて)】


今回は、大変ブルーな講座となってしまいましたが、本講座も始めたことですから、拙生も気を取り直し、時間の経過で新しい明るい情報が出てくることを期待して、もう少し続けてみようかと思っています、お付き合いの程、宜しくお願いします。



               
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利根川(4)

利根大堰で取水され、武蔵水路へ導水された利根川の水は、埼玉県、東京都の重要な水道水源となっています。
利根大堰をそのまま、利根川本川を流れた水も、江戸川を経て、埼玉県、千葉県、東京都の大きな水道水源となっています。

写真1は、埼玉県加須市のカスリ-ン公園の写真です。

今回は、水道とは直接関連しませんが、首都圏の皆さんが水道で大変お世話になっている、利根川の変遷を見てみることにしましょう。
カスリーン公園パノラマ2
【写真1】カスリーン公園(パノラマ合成写真)


・ 利根川の東遷

江戸時代以前、利根川は、江戸湾(東京湾)に注いでいました。徳川家康は江戸の町を洪水から守るため、利根川を東へ東へと流れを替える工事を始めました。
こうした一連の事業を「利根川の東遷」と云います。
非常に多くの東遷事業が行われ、どこまで東遷事業に含めるか見解も多くあります。

ここでは、主な四事業を簡単に説明します。

  1)1594年 徳川家康の4男松平下野守忠吉(まつだいらしもつけのかみただよし)(忍城主:現在の埼玉県行田市)は、会の川(現在の埼玉県羽生市付近)を締め、利根川の流れを浅間川に東遷させました。

  2)1621年 関東郡代伊奈半十郎忠治(いなはんじゅうろうただはる)(1592年~1653年 玉川上水など多くを手掛けた)は、浅間川から東へ約8kmの新川通、赤堀川を開削し、利根川の流れを渡良瀬川に合流させました。

  3)1624年~1654年 江戸川の開削や赤堀川の拡幅等の治水工事が行われました。

  4)1665年 権現堂川が締め切られ、江戸川が境町・関宿間に瀬替され、現在の鹿島灘、銚子、霞ヶ浦、常陸川、関宿、江戸川、江戸湾と繋がる水運の動脈が完成しました。

 (千葉県立関宿城博物館展示、利根川の歴史:金井忠夫:日本図書刊行会、アーカイブス利根川:信山社サイテックを参考にしました)

利根川 カスリーン公園 航空写真 文字入り
【写真2】 航空写真(利根大堰から関宿:yahoo map)

tousen3_4 東遷 利根川ダム統合管理所Hp 河川情報センター
【図1】 利根川東遷図(河川情報センター パンフレットより)

・ 徳川家康(1542年~1616年)
徳川家康は、豊臣秀吉の命令で江戸大名に領地替され、1590年、駿府から江戸に入府、その後、秀吉の死去、関ヶ原の合戦などを経て、1603年、江戸に幕府を開いたとされています。

利根川の東遷事業の目的は、第一に、江戸の町を洪水から守ること、第二に、新田の開発、第三に、東北から房総半島をぐるっと廻っていた江戸への水運ルートを内陸で確保する水上交通網の整備と考えられます。その他には、北の伊達藩に対する、江戸の外堀と云った説もあり、地政学や気候風土を考慮に入れた、徳川家康の壮大なリスクマネージメントが感じられます。

こうした徳川家康の設計思想が受け継がれ、没後約50年を経て利根川の東遷事業が完成したことになります。

また、こうした思想が、見沼田圃等の関東平野の用水や圃場整備を行った八代将軍徳川吉宗(1684年~1751年)等に引き継がれていきました。

・ カスリーン台風(利根川決壊)
1947年(昭和22年)9月16日、カスリーン台風による洪水で、埼玉県東村新川通り地先(現埼玉県加須市)において、堤防が、約340m決壊し、埼玉県、東京都に甚大な被害をもたらしました。
 

被害規模は、死者・行方不明者1,100名、浸水家屋約30万戸と云われています。

決壊地点は、渡良瀬川との合流から約2km上流右岸で、江戸時代、新たに開削された箇所となります。

現在、堤防上は、カスリーン公園として記念碑などで整備されています。(写真1、2、5、6参照)
IMG_3911 カスリーン浸水写真1
【写真3】 浸水状況(カスリーン公園)

IMG_3919カスリーン浸水2
【写真4】 浸水状況②(カスリーン公園)

IMG_3899 カスリーン決壊口跡
【写真5】 決壊口跡(カスリーン公園)

IMG_3895 カスリーン台風の碑
【写真6】カスリーン台風の碑「台風の雨雲のモニュメント」(カスリーン公園)

・ 今後 利根川決壊の可能性は?
1783年の浅間山大噴火による火山灰の影響で、利根川などは、氾濫しやすくなってしまいました。

1947年(昭和22年)9月16日、利根川決壊の直前に、渡良瀬川が川辺村(現:北川辺町)付近で決壊し、新川通に流れ下り、利根川本川の濁流と相まって、利根川堤防を決壊させ、埼玉県東部の低地を東遷以前の利根川の流れのように流れ下り、東京都東部低地(葛飾区、足立区、江戸川区)までも浸水しました。

カスリーン台風時の八斗島(やったじま)流量は、17,000/sと発表されています、当時の流量計測の技術や精度を考慮すると、決壊箇所の流量は想定出来ません。現在は、八斗島、下流の栗橋などに流量計測地点があり、流量は随時インターネットで知ることができます。

河川は、力ずくで人工的に流れを変えても、元の流れに戻りたがると云われています。

国土交通省では、利根川水系河川整備計画や、仮に決壊した場合のハザードマップの作成等を行っています。(詳しくは、国土交通省のHPを参照してください)

大洪水が起きないことを祈るばかりです。



coffee-break


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利根川(3)

・利根川上流域の水道水源

図1に利根川上流域のダム群と利根川の位置関係を図示しました。

利根川から水道用水を取水するためには、水利権(河川から水道用の水を取水する権利)が必要となります。

首都圏の水道事業者は、昭和30年代後半から、水道用の水利権を取得するため、多くのダム建設に参画しました。

こうして取得した水利権の水道用水をどの地点から取水するかが、次の課題となり、農業用水等他の関係者との調整が必要になります。
利根川上流ダム群の位置概念図



・見沼代用水
八代将軍徳川吉宗は、新田開発のため、見沼代用水の整備をすすめました。

利根川からのかんがい用水の取り入れ口は、利根川左岸の埼玉県行田市(現在)付近です。写真1の看板に当時の状況が示されています。(なお、江戸時代の利根川は、太平洋ではなく、江戸湾に流れていました。)


見沼代用水の看板
 
  写真1:元見沼代用水元圦公園の看板


・利根大堰

東京都や埼玉県が、利根川から水道用水を取水するため、昭和38年(1963年)から利根大堰や武蔵水路の建設が始まり昭和43年(1968年)に完成しました。

都市用水の取水箇所について、建設省(当時)は、当初、八ッ斗島下流の埼玉県本庄市付近で取水し、東京都東村山浄水場へ導水する出来島案を計画しましたが、農林省(当時)は、都市用水が農業用水より上流で取水し優位性を持つことに断固反対し、見沼代用水を利用し都市用水は板橋北部へ導水する見沼代用水利用案を提案しました。

そこで、昭和37年(1962年)に設立された水資源開発公団(当時)が、見沼代用水取水箇所に、農業用水と都市用水の合口の取水堰を設け、武蔵水路を建設し荒川に注水する荒川利用案を提案、国、関係都県の合意を得て、利根大堰の位置や武蔵水路が決定されたようです。

利根大堰の位置は、利根川河口(千葉県銚子市)から154km地点の利根川中流部となります。

利根大堰看板ガイドマップ
  写真2:利根大堰周辺ガイドマップ(利根導水総合管理所看板より)

 図2に、農業用水と都市用水の系統の模式図を書いてみました。
利根導水路用水系統模式図

武蔵水路は、都市用水専用の水路で、利根大堰で取水された用水が荒川に注水されています。

武蔵水路の建設当時の流量は50/S で、内訳は、新河岸川・隅田川浄化30/S、東京都上水道用水16.6/S、埼玉県上水道用水1.6/S、埼玉県工業用水道用水1.8/Sとなっています。(なお、武蔵水路は、平成22年度(2010年)から改築工事が行われており、水量が若干変更されています、詳しくは水資源機構のHPをご覧ください)


利根大堰 屋上からトリ
写真3:利根導水総合管理事務所屋上から見た利根大堰と沈砂池



・ 
利根大堰の魚道

利根川は、農業用水だけでなく、水運としても、江戸時代から重要な河川でした。

利根大堰は閘門機能(運河)を持たない堰として設計されたことで、堰上流への水運による物資の輸送路としての利根川の役目を終わらせたと云えます。

また、堰の建設は、上下流の生態系に大きなダメージを与えます。特に、鮭や鮎など、河口から上流まで河川を縦に泳ぐ魚にとっては、影響が重大です。(ドジョウやナマズは、河川と圃場を行き来する横に泳ぐ魚と云えるでしょう)

利根大堰には、3箇所の魚道が設置してあり、右岸側の魚道には観察窓が設置してあり、自由に見学することができます。

大堰魚道 名入り
写真4:利根大堰右岸下流から

魚道縦
写真5:魚道

鮭の遡上 トリ
写真6:魚道を遡上する鮭

大利根大堰鮭遡上経年変化

水資源機構では、鮭や鮎の遡上数を、毎日カウントしています(お疲れ様です)。平成7年〜平成9年にかけて魚道の改築がなされ、その効果が平成17年以降顕著にあらわれています。

この勢いであれば、近い将来、みなかみ町付近の利根川で鮭を捕っている熊を見かけることになるかもしれませんね。



ライバル語源


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利根川(2)

・川は市民のもの

写真1,2は、夏に撮ったみなかみ町の利根川の風景です。通常時は、矢木沢ダムや奈良俣ダムからの放流がコントロールされ利根川の水量は安定し、市民が安心して楽しんでいます。

この水も、下流で農業用水や水道用水の一部として取水されています。
水遊び
 写真1:川遊び(群馬県みなかみ町)

ラフテイング
 写真2:ラフティング(群馬県みなかみ町)


・ダムからの放流

コンクリートのダムについては、賛否両論、様々な意見がなされていますが、ここでは議論を避けることにします。

ダムの主な目的は、洪水調節、渇水対策、河川の機能維持等となっています。利根川水系のダムの場合、ダムからの放流は、出水時はダム毎のルールに従い、灌漑期や渇水時は、利根川上流ダム群全体の貯水状況等が考慮され、必要水量を河川に補給し、貴重な水資源が無駄に放流されるようなことがないように管理されています。

現在(平成22年10月5日 0時)の首都圏の水瓶である利根川上流8ダムの貯水状況を見てみましょう。


表1を見ると、河川への補給や貯水がダム毎に異なっていることが読み取れます、貯水率は62%と少なく見えますが、夏期制限容量で見れば、84%に相当します。夏期制限容量とは、7月1日から9月30日までの3ヶ月は台風等の出水に備え、各ダムの貯水水位に余裕を持たせた容量です。


・渇水

渇水と云えば、ある程度年配の人は、「東京砂漠」を思い出すでしょう、昭和39年東京渇水(東京オリンピック渇水)とも云われ、これ以降、利根川上流の水源開発(ダム建設や農業用水の合理化等)が盛んに行われ、現在も八ツ場ダム(?)など進行中です。

 図1:利根川上流8ダム貯水容量(平成22年10月5日0時)(利根川上流河川事務所HPより)


利根川上流ダム群の貯水状況は、利根川上流河川事務所のホームページで毎日更新され、公表されています。

図1は、利根川上流8ダム貯水容量です、毎年6月の下降線は、7月1日の夏期制限容量へ向けた計画的放流の所以です。渇水になるかどうかは、7〜8月の水源地の降水量に係っています。

近年の大渇水は、平成6年、平成8年に発生しました。図1のみどり色、ピンク色の線に見られるように、利根川上流8ダムの貯水量が8月に1億を下回り、段階的に利根川からの取水制限が実施されました。

近年、渇水は発生していませんが、台風の発生状況の変化や、集中豪雨の発生など、過去には見られなかった異常気象が懸念されます。

また、河川の水量が減少すると、水質も悪化し、浄水場の水処理も難しくなります、河川環境の更なる改善を期待するばかりです。





by:m.nakao

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利根川(1)

 利根川は、群馬県と新潟県の県境にある大水上山(1831m)を源とし、群馬県、埼玉県、
茨城県、千葉県を経て太平洋に注いでいる全長約322km(信濃川に次ぐ日本2位)、
流域面積約16,840
(日本最大)の日本を代表する河川です。
この利根川は、首都圏の水道にとって、非常に重要な河川となっています。
今回は、水道の視点から利根川を見てみたいと思います。
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水上の地図
図1:利根川源流域の地図(GoogleMap)

天神平からの奥利根源流
写真1:天神平から望む奥利根源流域(3つの頂き、左から笠ヶ岳、朝日岳、白毛門)


    暴れ川

明治のころ、日本に招かれたオランダの河川技師ヨハネス・デレーゲは、日本の川を見て、「滝のような川」であると云ったとされています。
日本の河川は急峻で、頻繁に洪水を起こし、民を苦しめました。利根川を例にしますと、1kmで平均5.7mの勾配を流れ下っていることになります。

板東太郎(利根川)、筑紫次郎(筑後川)、四国三郎(吉野川)は、日本3大暴れ川と称され恐れられていました。

古来より「水を治める者が国を治める」と云われ、利根川も幾多の治水事業や東遷事業が行われ、現在は、関宿で江戸川に分流し、利根川本川は、千葉県銚子市と茨城県神栖市の境の鹿島灘へ注がれています。


 

    利根川最上流部

利根川の最上流部の源流域は、ブナ林など落葉樹に覆われた原生林で豊かな水源林となっています。水源林は保水能力が高く、森林への降雨を森林土壌などで滞留し、河川への流出量をコントロールしています。しかしながら、自然の保水能力には限界があり、治水、都市用水の確保、電源開発といった日本の高度成長に伴う需要のため、この一体には、矢木沢ダムや奈良俣ダムが建設されました。

20100819142253_00002

奈良俣ダムの実施計画認可は、昭和53年(1978年)です、水需要の逼迫を反映し、多くの都県が参画(ダム乗り)し短期間に完成しています。

水道用水の参画事業体を水資源機構の資料(2009年版)から、詳しく見てみますと、群馬県、高崎市、みどり市、茨城県、埼玉県、千葉県、印旛郡市広域市町村圏事務組合、長門川水道企業団、東総広域水道企業団、神埼町、九十九里地域水道企業団、北千葉水道企業団、東京都となっています。

ダム事業に参画することで、利根川から、水道用水を取水する権利(水利権)が確保され、取水できる地点(開発地点)の下流から、配分(アロケーション)に従った量の水道用水を取水できることになります。

水道事業にとって、上流の水源林、ダム、河川は一連なのです。

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写真2:矢木沢ダム(奥利根湖)

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写真3:奈良俣ダム(ならまた湖)

水源涵養林

ブナ林の保水能力は一番とよく耳にしますが、保水能力は、その地勢、樹種、樹齢などで一概にブナ林が一番と決めつけることは、どうかと思いますが、ブナの特徴が水源涵養林に向いていることは間違いありません。

ブナは、成長が遅く、実生から5年でも樹高1m程度、100年で直径40cm高さ30m程度となり、原生林では、樹齢200年と想定される高木も見られます、枯れると、腐りやすい性質から、そのぽっかりと空いた空間に、実生からブナの新しい芽が育ち、世代交代していきます。こうして、ブナの原生林が何世紀と受け継がれていきます。(極相林:森林の樹木群集構成が変化しない状態になった事を極相に達したといい、こうした森林を極相林といいます、白神山地の原生林が世界遺産に指定されたのも頷けます。)


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写真4:ブナ太郎(奥利根水源の森)

 様々なところで、植樹、植林が行われていますが、豊かな森になるためには、地勢にあった樹種を選ぶ必要があるでしょう。日本には、いろいろな地域に、ブナなどの原生林が残っています。これらの原生林を乱開発から守り続けることが、水循環には最も重要ではないかと思っています。


 

・ ブナの芽吹き

参考までに、5月頃のブナの芽吹きを紹介します。

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9.水道水はどこから?

厚生労働省健康局水道課の発表では、日本の水道普及率は、総人口1億2796万人に対して給水人口1億2474万人で97.5%(平成21年3月31日)となっています。

今回は、水道水がどこからきているか見てみましょう。

 
 * 水道事業の種類別給水人口
蛇口まで水道水を給水しているのは水道事業者です。水道法で定める水道事業者別の給水人口を見ると、95.4%が上水道事業となっています。
上水道事業者とは、都県市町村やいくつかの市町村がまとまって運営している水道企業団等です。
資料1



 * 水道用水供給事業とは
水道用水供給事業とは、水道事業者に水道用水を供給する事業を云います。多くの市町村では、人口増加や地下水の汚染等により、住民に安定して供給する水道水を独自で確保することが困難となっています。
そこで、水道用水供給事業者が浄水処理し、各市町村の水道事業者へ飲み水を卸供給してい
ます。
平成19年度のデータでは、年間総給水量約160億
に対して用水供給の量は約47億なっており、水道事業者は約30%の水道水を用水供給事業者から供給を受けていることになります。


 * 水道水源の種別割合

水道用水としての水源内訳を見てみましょう。井戸水の利用は約20%の一方、ダム、河川水、湖沼水、伏流水で約80%となっています。
日本の水道の水源は、広い意味で河川に頼っていることが解ります。
資料2
資料3

水道協会の調べでは、昭和50年度の年間取水量に対するダムへの依存率は約22%でしたが、平成20年度には46.5%となっており、ダムへの依存率が増加しています。
良質な地下水が期待できない大都市では、ほとんどの水源をダムや河川水等の表流水に頼っています。

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写真1:鬼怒川水系 川治ダム(栃木、千葉県等の都市用水の水源の一部)

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写真2:利根川水系 利根大堰(東京、埼玉県等の都市用水の取水堰)


 * 海水を水源としているところ

中東の産油国では、豊富な資金により海水の淡水化が行われています。また、シンガポールではマレーシアからの水の輸入費用の高騰により、再生水の活用や一部海水の淡水化が進められています。
我が国では、沖縄県や福岡地区など限られた地域で海水の淡水化が行われています。
HPによると沖縄県北谷浄水場では平成20年度15,500
の海水を取水したと報告されています。


 * 水道水はどこから? ・・ 答

家庭の蛇口の向こうには、市町村の水道事業者が見えます。
その上流には水道用水供給事業者の浄水
場が見えてきます。更に上流に河川やダムがあります。

河川やダムに安定した良質の水を供給しているのは、森林です。

今回の講座の正解は、「水道水は森の恵み」としましょう。



資料4

by:m.nakao

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8.水はどうして「液体」なんだろう?

そもそも、どうして水が常温で液体なのか(私だけかも知れませんが)不思議でしようがありません。
専門的になりますが、少し調べてみましたので報告しましょう。


 

 * 水の星 地球の誕生

 地球は、太陽系星雲の中で無数の微惑星が衝突と合体を繰り返しながら、約46億年前、原始地球が誕生したとされています。
微惑星の衝突の衝撃で高温・高圧中で、ガス化し易い水や炭素化合物が蒸発し地球をおおうようになり、寒冷化と温暖化が繰り返され、約41億年前には陸と海が形成されたようです。
恐竜の謳歌や類人猿の登場は1億年前頃とされています。

 

 さて、地球の水の分布ですが、地球上の全水量は13.86億kで海水が96.5%、淡水は2.5%の0.35億kで、そのほとんどが地下水や氷河となっています。
農業用水や飲み水など我々が利用できる湖水や河川水は全水量のなんと0.008%、地下水を含めても0.768%しかありません。

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 大気圏の中で、オゾン層に守られた地球上の水分は、海面から太陽のエネルギーを得て水蒸気となり、上空で雲となり、雨や雪となって地球上に再び戻ってきます。
たまたま、森林に降った雨や雪が、森林を涵養し、河川を形成し、農業用水、飲料水、工業用水、発電用水など人間の生活のため利用され、再度海に放流されています。
こうした水循環が、数十億年以上繰り返されています、目の前のコップの水は、古代人が使っていた水かも知れません、と思うとロマンを感じます。
しかしながら現実に目を向けると、酸性雨やオゾン層破壊、CO
2
による地球温暖化は直近の大事件なのです。

写真
【写真:空と森林からの循環水(竜頭の滝:栃木県日光)】



 * 水の三態(気体、液体、固体) 
 水の星地球上には1気圧(1013hPa)の圧力があり、この状態で水は、液体で存在しています。100℃を超えると沸騰し水蒸気となり気体になります。
標高が1000m高くなると約100hPa気圧が低下すると云われています。
富士山の山頂では、気圧が約632hPa、水の沸点は88℃となり、圧力鍋でなければ、おいしいご飯は炊けません。
ちなみに、標高8848mのエベレストでは、気圧316hPa,沸点70℃と云われています。

 水は、圧力や温度により、液体であったり、個体の氷や気体の水蒸気となったりします。
水は、生物にとって、非常に都合の良い形態なのです。


 

 * 水の分子式

 昔、水の分子式はH、分子量18g/molと教わりました。
空気は酸素と窒素の混合物で、平均分子量28.9g/molと云われています。そうです、水は空気より軽いのです。

 気体の水素や酸素や窒素などは、加圧冷却することで液化され工場などで利用されています。しかしながら、水蒸気は結露などに見られるように、簡単に液化します。

 見たことはありませんが、水の分子は、一つの酸素原子と二つの水素原子が図のような変な三角形の構造となっているそうです。

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 この変な三角形の水分子は、酸素原子はマイナス、水素原子はプラスの電荷を帯びています。
このように偏った電荷を持った分子を極性分子と云うそうです。
この電気的に分極した水の分子は、水素結合と呼ばれる弱い力で周囲の同じ水の分子と結ばれ巨大な集合体(クラスター)となり液体の状態となります。
水素結合の力は弱く、水素結合の相手は、絶えず滑って変わっています。
コップの中の水は、目には見えませんが勝手に動き回っていて、少し熱エネルギーを加えると、いくつかの水分子はバラバラになり、空中を遊泳し始める仕組みです。

 水の特性を利用したものに、防水スプレーがあります。電気的に中性の無極性分子は、極性分子と仲が悪いので混じり合いません、こうした電気的性質が利用されています。



 * ワカサギ釣り

 不思議な物体「水」の特徴はたくさんありますが、一つとして、液体である水は、水素結合の性質に起因し4°Cの状態で最も密度が大きくなります。

湖周辺の気温がだんだん下がり、湖の表面から凍り始めました、湖の一番底は最も重たい4°Cの水ですから、湖の魚は、底の方へ逃げていけば凍ってしまうことはありません。
湖面の氷の厚さを確認し、穴を開けてワカサギ釣りができるのです。

 
 
 H
Oと云う物質の不思議は、尽きることがありません、いづれにしても、
人間の体重の60%は水分と云われています、「水の星の地球人」は、水の不思議に感謝しましょう。


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by:m.nakao

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7.日本の水道の歴史(その5)

水道の歴史シリーズも今回で、区切りにしましょう。

平成の20年間の水道は、「質の向上」の時代と云えるでしょう。

 

* リスク管理の導入

 この平成の20年で思い出されるのは、平成13年(2001年)9月11日の米国同時多発テロではないでしょうか。
一方、我が国での最も大きな出来事は、平成7年(1995年)1月19日に発生した阪神淡路大地震ではないでしょうか。6400人を超える尊い命を奪った大災害でした。応援給水活動中の写真を何枚か紹介しましょう。
(アナログ写真の複写)
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 写真1:倒壊店舗(東灘区)

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 写真2:橋脚の座屈(東灘区)

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写真3:給水車に並ぶ市民(東灘区)

地震国日本でこのような被害が発生し、技術立国日本の自信が揺らぎ、インフラ関連のすべての分野で、耐震や免震等の対策強化がはじまりました。

以前は事故が起こった後の対応として、緊急連絡体制やマニュアルの整備、訓練などの危機管理対応が中心でしたが、ISOの影響もありリスク管理の考え方が導入され、事故の発生確率から、事故の回避や被害を低減化するリスク管理の重要性が指摘されました。リスク管理を実践するためには、どこまでリスクを許容するかで異なりますが、それなりの費用を必要とします、水道に限らず、優先順を定め、取り組みが始まりました。

 

       安心・安全の水道

我が国では、水俣病やイタイイタイ病のような甚大な災害(人災)の経験があります。国民の健康被害は絶対に避けなければなりません。健康意識の高まりや水道水質への不安から、ボトル水や家庭用浄水器が普及しました。

国は、日本の水道水は、直接飲用に差し支えない「安全な水道水」とし、厳しい水質基準を定めています。このため、水道事業者は、水質基準に適合する水質管理を行い給水を行っています。

水質基準では、重金属や大腸菌群など、検出されてはならない項目や、毎日飲み続けても健康被害を起こさない項目の基準値を定めています。また、健康被害の可能性のある物質が新たに発見された場合などは、水質基準の改正を行っています。最近では、トリハロメタンや塩素酸の例があります。トリハロメタンは、発ガン性物質とされ、水処理中の有機物と消毒用の塩素が化合して発生します、汚染が進んだ河川を水源とするような浄水場では、塩素消毒の仕方を工夫して、発生を低減化したり、オゾンなど他の消毒方式を採用するなど、浄水場ごとに、取り組んでいます。

水道水を直接飲まない、あるいは、飲みたくない人へのアンケートでは、水道水への不満として、多くの人が塩素臭やカビ臭を上げています、オゾン処理や活性炭処理や生物処理を組み合わせた高度浄水処理によるカビ臭原因物質の除去の外、塩素濃度の低減化なども行われるようになってきています。また、高性能の膜の開発が進み、中小の浄水場で使われるようになりました。

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 写真4:膜処理浄水場(今市市)

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写真5:膜の展示品(今市市)

       安心と安全の違い

安全性は、基準値を定め基準値内を安全としています。

水道水質基準について、簡単に説明しましょう。水質基準値は、厚生労働省の厚生科学審議会・生活環境水道部会・水質管理専門委員会で改正等も含め審議決定されています。例えば、化学物質であれば、WHOの飲料水の基準設定を参考に、生涯に渡る連続的な摂取をしていても人の健康に影響が生じない水準として設定されます。閾値がある物質については、*1日に飲用する水量を2リットル、*人の平均体重を50Kg(WHOでは60Kg)の条件で値が算出されています。

安全性は、科学的に説明されますが、安心は概念のため基準では説明できません。イギリスの医師ジェンナーの種痘や胸部X線なども当初はリスクが過大評価されましたが、現在は社会的に受容されています。社会的受容は、時代や地域によって変化し、基準のように数値化できません。

安心は、長期間の信頼の上に構築されるものです。信頼の構築には何年もかかりますが、失うのは1回の事故で充分です。水道の安心も同様です、水道水は、関係者の不断の努力を経て家庭の蛇口に届けられています。

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6.日本の水道の歴史(その4)

昭和の中期から後期の歴史を見てみましょう。

この時代を反映するキーワードとしては、ベビーブーム、所得倍増、列島改造、公害、為替の変動相場制、オイルショック等が思い出されます、水道もこうした社会の中で急成長しました。

 

 

* 人口増加と給水量の推移

当講座2の水道の普及率と重複しますが、戦後昭和の水道関連の推移を少し細かく見てください
図1

人口の増加及び水道普及率の向上に引っ張られる形で、給水量がうなぎ登りに増加していることが読み取れます。この時期は、水量の確保が最優先事項でした。

昭和40年前後から日本全国で水道施設や送配水管網の建設ラッシュが始まりました、その結果、昭和45年から昭和50年頃までの給水量は驚異的に増加しました。若干ネガティヴですが、成長そして成熟の後には施設の更新ラッシュが将来待っていることも想定することができます。

 

 

 

* 大規模浄水場の建設

都市部を中心に、需要に対応するため、多くの大規模浄水場が建設されました。建設に当たっては、用地費の高騰により、敷地を効率的に活用し、処理量を確保する手法が多くとられました。狭い敷地に階層式浄水場も建設されました。

広い敷地を必要とする緩速ろ過池は見送られ、急速ろ過の浄水方式が採用されました、急速ろ過の浄水処理方式は、凝集剤を注入した凝集沈殿池、鉄・マンガン除去等のため塩素注入を必要とします。全国の浄水場が概ねこの方式で一斉に整備されました。水処理量が日量で50万超の大規模浄水場を表1にまとめました。
表1

写真1は、東京都葛飾区の航空写真です、映画「ふうてんの寅さん」でおなじみの葛飾柴又帝釈天の北側に、金町浄水場がみえます。東京ドームの5倍以上の広さと云われています。空き地があるように見えますが、地下には多くの池や配管などが設備されているとのことです。

写真1
写真1:東京都金町浄水場付近の風景(Yahoo Map)

* 水資源の確保

東京砂漠と云われた大渇水が、昭和39年に発生しました。東京オリンピック間近で、関東の多くの地域で給水制限が行われました。この時期以降多くの水道事業者は、河川やダムに水源を求めることとなりました。

全国総合開発計画(全総:新全総、三全総、四全総、五全総)をご存じでしょうか、交通整備、用水確保、土地利用、電力確保等の産業基盤整備を目的とした計画で、この期間は「全総」をインフラ整備の基本計画として、空港、高速道路、新幹線、ダム、原子力発電所等のビッグプロジェクトが押し進められました。

ダムは、洪水調節、水資源の確保、農水の確保、水力発電等多目的ダムとして建設が計画推進されました。


ブレイク

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5.日本の水道の歴史(その3)

戦後日本の水道の歴史を振り返って見てみましょう。

日本の歴史を語る上で、大きく梶が切られたこの期間を避けて通ることはできません。水道分野に於いてもグランドデザインを決定付ける大きな転換点でありました。

 

1945年(昭和20年)8月6日広島に、8月9日長崎に原子爆弾が投下され、8月14日にポツダム宣言受諾を通告し、8月15日には玉音放送が国民に放送され、戦後が始まりました。

多くの戦争がありましたが、戦後と云う表現は、この第二次世界大戦を指すことでご理解して頂けると思います。

8月30日にはD.マッカーサーが厚木飛行場に到着、9月16日に連合国軍本部(GHQ)が横浜から東京日比谷の第一生命相互ビルに移転しGHQによる間接統治が本格的に始まりました。間接統治とは言え、憲法改正、農地解放、派閥解体、戦争犯罪裁判など政治、経済などすべての占領政策が実施されました。
マッカーサー写真

【写真】GHQ入口のD.マッカーサー司令官
     (戦後史大事典(三省堂)P362より)


GHQは、公衆衛生の向上のため、防疫・保健・衛生行政を公衆衛生福祉局に担当させました。

ある程度の年齢の方は、しらみ対策として、DDTを頭に散布された経験や写真を見た記憶があるのではないでしょうか、水道に於いても水系感染症対策として、塩素消毒の徹底がGHQ指令として出されています。(DDT:有機塩素系の殺虫剤、農薬。日本では1971年から製造・輸入禁止)

 

 

*GHQ指令


当時アメリカ合衆国では、塩素添加が常識で義務付けされていました、なお、ヨーロッパ諸国は塩素注入を義務付けしていませんでした。

アメリカのものはすべて手本として見習うべきであるとのマッカーサー司令官の考えから、あらゆるものがアメリカナイズしていったと考えられます。

水道に関して、GHQは、「東京、川崎、横浜、横須賀水道」に対し塩素2ppm注入し塩素消毒の強化を図ることや、飲料水の供給は進駐軍の命令に基づいた水圧、水量、水質とするよう、昭和21年1月、2月に指令を出したことが他の文献で報告されています。

 進駐軍の塩素消毒は、浄水場で2ppm、末端で0.4ppm以上、上限はなく、当時の米軍野戦基準が踏襲されたものと考えられます。(ppm:百万分の一)



*関連資料 

GHQの行政資料は、SCAPIN番号が振られ整理されています。写真を参考までに紹介しましょう。
本資料は、国会図書館で正式に複写したもので、7June1946の日付で、飲料水用の液体塩素300トンを準備する、塩素を用いて米標準の水処理を行う事、等が指示されています。
SCAPIN JPEG-1
    《拡大できます》
【写真】SCAPIN-1419-A
    (SCAPIN全集P1590より)


 

*日本国憲法制定


水道に限らず、一般教養として忘れてならないものとして、憲法制度があります。日本国憲法は、1946年(昭和21年)11月3日に公布され、翌1947年(昭和22年)5月3日(憲法記念日)に施行されました。
賛否は別にして、これまで戦後65年経ちましたが、改正された履歴はありません


 

 

*日本の水道水質基準


厚生省は、昭和21年5月16日付け衛生局長通知で「給水栓において残留塩素が百万分中0.1〜0.4になるよう注入消毒すること」と行政指導がなされました。

昭和32年に公布された水道法は、度重なる改正がなされていますが、水道水の消毒についてはこの通知が踏襲され、2010年(平成22年)の現在も給水末端の残留塩素濃度0.1ppm以上が水道水質基準として堅持されています。

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4.日本の水道の歴史(その2)

 明治時代から大正時代を経て、第二次世界大戦までの水道の変遷を見てみましょう。
 この時代は、近代水道の発祥と基礎の黎明期と言えるでしょう。


 横浜、函館が近代水道の発祥として有名ですが、東京、大阪といった人口集中地のみならず、全国各地において水道の整備が一斉に始まりました。

 代表例として横浜水道、函館水道、東京水道についてホームページから取り組みの概要をまとめてみました。

年表 

村山貯水池取水塔《拡大できます》
【写真】:日本で一番美しい取水塔(村山貯水池又は多摩湖)中央遠くに西武ドームが見えます。右側の第一取水塔は大正14年7月に建設された「日本で一番美しい取水塔」と説明看板があります。


 近代水道発展の特徴


 この時代は、人口の増加、コレラなどの感染症対策、消火用水、生活水準の向上といった需要に引っ張られ水道が発展していきました。
 明治時代以前と大きく異なる点は有圧水道と砂ろ過等の浄水処理の導入があげられます。
 原水の汚染が比較的少なく砂ろ過(緩速ろ過)で充分清涼な水道水を得ることができました。



 

 すばらしい緩速ろ過の浄水能力


 緩速ろ過の原理は非常にシンプルで、流入と流出の水位差を利用し、1日4〜5mで非常にゆっくりとろ過します。
 砂層で懸濁物質が除去されるのは単純に理解できます。
  
 緩速ろ過のすばらしい機能は、砂層と砂層表面の微生物群によって水中の懸濁物質や細菌を除去し、アンモニア性窒素、臭気、鉄、マンガン、合成洗剤、フェノール等を取り除くことができることです。
 しかしながら、緩速ろ過はろ過速度が非常に遅いため必要な水処理量を確保するためには、広大な敷地が必要となります。(新宿の東京都庁や高層ビル群の用地は、そのほとんどが淀橋浄水場の緩速ろ過池だったのです、
仮に現存していれば世界遺産候補となったでしょう

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【図】:緩速ろ過池概略構造図  水道施設設計指針・解説(日本水道協会)より


コーヒーブレイク

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3.日本の水道の歴史(その1)

 「水と空気はタダ(無料)。」と云われていたのは、ほんの一昔です。 
最近は、安心、安全でおいしい水への要求が強く、「低廉」 「豊富・安定」 「清浄・安全」が
水道にたずさわる者の理念となっています。

今回は、日本の水道の歴史を紐解いてみましょう。


・江戸時代
 江戸時代以前の16世紀半ば小田原の早川上水が我が国最初の水道といわれています。
 その後、徳川の時代となり、江戸の人口が増え、井戸水だけでは、生活用水が不足し、
幕府による公共インフラ整備が必要となりました。
 「小石川水道」、「神田上水」、「玉川上水」、「青山上水」、「三田上水」、「亀有上水」、
「千川上水」などは、東京都の水道歴史館にその歴史が詳しく展示されています。
 また、それぞれの上水建設に関する苦労話は、玉川上水建設の玉川兄弟(庄右衛門、清右衛門)の
偉業を代表として、多くの文献や小説となって、今日に伝えられています。
 その他では、金沢の辰巳上水、水戸の笠原上水が歴史に残っています。
 これらの江戸時代の水道は、水が高いところから低いところに流れる、重力方式の「導水路」
「配水路」による水道施設として出発しました。

7 水道歴史館
【東京都水道歴史館】

・明治時代
 明治政府が生まれ、近代水道の歴史の幕開けとなりました。
 明治18年(1885年)琵琶湖から京都に導水する琵琶湖疎水の建設が始まり、明治23年(1890年)
南禅寺水路閣が完成しました。 この建設に当たっては、21歳の若い田邊朔朗技師がローマの水道橋を
参考にして建設に当たったと、歴史に残っています。

8 水路閣
【南禅寺水路閣】


9 ローマ水道橋
【ローマ市内の水道橋】

 生活用水不足は、人口が急増した横浜も同様でありました。
 また、明治10年頃から流行した、コレラなど伝染病対策も近代水道の発展に拍車をかけました。
 日本初の浄水場として、明治20年(1887年)横浜に野毛山浄水場が作られた建設にあたっては、
イギリスからヘンリー・スペンサー・パーマーという技師を雇い、伝染病の防止、安全な水の確保、消火用水の
確保を目的として建設されました。

10 野毛山線路図 【横浜市水道局HPより】

 外国人の技術者として忘れてならないのは、明治政府の招聘により、1887年(明治20年)31歳の若さで
来日したウイリアム・K・バルトンです。
 バルトンは、帝国大学衛生工学の教授として上下水技術者を育成するとともに、今日の日本の衛生工学、
環境工学の基礎を築きました。また、日本最初の高層建築である、浅草凌雲閣も設計しました。

 こうした状況の中、明治政府は、明治23年(1890年)水道条例を制定、水道経営は自治体が行うことや、
消火栓の設置の義務化などの水道に関する規制を開始しました。
 この水道条例が、現在の水道法の前身となっています。

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2.水道の普及率

 水道協会誌第899号(平成21年8月号)が届いた、毎年この時期になると前年度の統計資料が整理され発表されます。(※2009.9受稿当時)

 平成19年度の統計資料を見ながら、水道普及率など水道の現況や今後の課題等を考えてみましょう。


 

・水道普及率

平成19年度の総人口1億2789万6千人に対し、給水人口は1億2457万7千人で普及率は97.4%となっています。都道府県別では、東京、大阪、沖縄が100%で最高となっており、以下、神奈川、愛知、兵庫、埼玉と続き、低いほうでは、熊本、秋田、大分、が90%前後となっています。ちなみに、千葉県は、人口612万3千人に対し給水人口577万2千人で普及率94.3%となっています。

明治23年(1890年)に水道条例が施行され67年後の昭和32年(1957年)現在の水道法が公布され、幾多の改正を経て現在に至っています。この間、水道は自治体が責任を持って運営する原則が貫かれ、国民皆水道を目標とし普及率向上が図られてきました。
癸
【厚生労働省HPより】

1980年頃までは、急速な普及率拡大が読み取れます、しかしながら、その後は高原状態となり、直近の10年では、毎年0.1ポイントの増加にとどまっています。
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水道協会誌第899号より

この97.4%の普及率をどう捉えるかですが、日本人1000人のうち974人は、すぐそこの蛇口をひねると水道水にありつけると言うことです。この日本の水道普及率は、降雨に恵まれた国であることや先人達のたゆまぬ努力と評価できます。

 

一方、世界に目を向けると、水道普及率が、エチオピア24%、カンボジア30%、アンゴラ38%など水道年鑑2008に記載されていますが、調査さえままならない南アフリカの多くの国々は悲惨な状況となっています。

UNICEFの報告では、2004年の時点で、安全な飲み水を利用できない人の割合は17%となっています。国連ミレニアム開発目標では、2015年までにこの割合を12%(約7億6千万人)に引き下げる目標を掲げています。水運びを日課とし、このため学校に行けない子供達もこの地球上に沢山いることも現実です。

 



・給水量の推移

次に、給水量の推移を見てみましょう。
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水道協会誌第899号より

給水量は、1995年(平成7年度)をピークとし、右肩下がりが読み取れます。給水量の減少は、節水意識の高まりや節水機能の蛇口、洗濯機、トイレ等の普及が反映したものと考えられ、今後は人口減少が続くと思われるため、給水量の減少は当分続くと想定されます。



 

・管路延長

管路延長は、普及率と同様に毎年、僅かではあるが増加していますが、管種の分布では石綿セメント管が減少し、ダクタイル鋳鉄管が増加しており、布設替えが進んでいることがうかがえます
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水道協会誌第899号より


・今後の課題

今後の課題としては、普及率の向上の優先順位は低いように思われます。現在、多くの水道事業者の課題は、経営問題となっているようです、ハード的には老朽化対策、ソフト的には水質の向上や水道料金の低減化です、多くの水道事業者は、計画的な施設更新や業務のアウトソーシングの導入等に取り組み経営の効率化を図っています、また、最近では効率化の延長として集中化、広域化が表面化してきています。

 


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1.おいしい水とは 《後編》

 

「おいしい水研究会」は、人口10万人以上の都市から32都市を水道水のおいしい都市として選定し、公表しました。

おいしい水の探求(小島貞男1985)のデータを見ると
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残留塩素は省略しましたが、的が絞れてきたようではありませんか。

 

では、平均値に比較的近い(±20%を2項目以上含む)9代表都市を見てみましょう。

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ちなみに、他の23都市名は、

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となっており、近くに名山がある地域の深井戸、伏流水が多いように感じられます。

水道は水道管を使った産地直送ですので、こうした土地に行かなければ、飲むことができません、旅行等で訪ねる機会があれば、味わってみてください。

4 黒部ダム

 初夏の北アルプスと黒部ダム

 

おいしい水について、少し掘り下げてみました、不純物が適度にブレンドされていることが、必要のようです。

いずれにしても、のどが渇いたときに飲む水が一番おいしい!!

 

将来、水の「ソムリエ」が誕生し、もっと解りやすい説明を期待しましょう。

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1.おいしい水とは 《前編》

1 おいしい水とは

 

 おいしい水とは、結論から言うと「非常にのどが渇いたとき飲む水」の一言である。

そうは云っても、何らかしら水道に関係のある仕事をしていると、もう少し、数値化された表 現でおいしい水の正体に近づきたい。

少し理屈っぽくなるが、「おいしい水」について掘り下げてみましょう。

 

 信頼性が高いところでは、昭和60年(1985年)4月厚生省(当時)が「おいしい水研究会」の提言としてその要件を発表しています。

 

そもそも、なぜ、国がこのような研究会を行うかは、国の水道行政の要求であることは理解出来るがミクロ的、マクロ的な目的は図り知るところではありません。

公表されている委員には、水道の学識経験者の他にドラエモンの声優等でよく知られている大山のぶ代さんなどとなっており、一般国民へのアピールも意識されているように思われます。

 具体的な、おいしい水研究会の提言は、環境条件、水質要素、水質条件の他に「水道水のおいしい都市(32都市)」を選び公表しています。

かいつまんで、内容を紹介しますと、

 

環境条件

・水温が体温とくらべ20〜25℃低いときが最もおいしく感じる。

・気温が高いとき、湿度が低いとき、おいしく感じる。

・健康状態のよいとき、運動したとき、おいしく感じる。

・水を飲む容器、周囲の雰囲気等によってもおいしさが左右される。

・においの感覚は朝が一番鋭敏で、においがあるとことさらまずく感じる。

 

水質要素

・不純物を全く含まない水はおいしくない。

・含まれている成分とその量のバランスにより水の味は微妙に変化する。

  他に10項目詳細が発表されていますが、水質要件に概ね集約されていますので,ここでは省略します。

 

水質要件

・蒸発残留物:30〜200mg/l

  水中に浮遊、溶解しているものを蒸発乾固したときの残渣で、カルシウム、マグネシウム、シリカ、ナトリウム、
  カリウム等の塩類や有機物で、味に影響しほどよく含まれると水の味がまろやかになる。

・カルシウム、マグネシウム等(硬度):10〜100mg/l

  ミネラルの主要成分で、適度にあると水の味をまろやかにし、硬度が低すぎると淡泊でコクのない味がする、
  高いと胃腸を害する場合もある。

・遊離炭酸:3〜30mg/l

  水に溶けている二酸化炭素で、水にさわやかな味を与えおいしくするが、多すぎると刺激が強くなる。

・有機物等(過マンガン酸カリウム消費量):3mg/l以下

  水中の有機物濃度(汚染)の指標となる数値、多いと渋みを付け、消毒用の塩素消費量も大きくなりその分、
  水の味を損なう。

・臭気強度(TON):3以下

  水につく臭いの強さで、「カルキ臭」「カビ臭」が代表例である。

・残留塩素:0.4mg/l以下

  水道法では、給水末端で0.1mg/l以上の残留塩素が義務化されている、高すぎると「カルキ臭」を与え、
  水の味を悪くする。

・水温:最高20℃以下

  水温は水のおいしさを大きく左右します。



以上でおいしい水がイメージ出来る人は、それなりの専門家ではないでしょうか。

次の記事《後編》ではもう少し、実態に近づくため、「おいしい水研究会」が選んだ代表を考えてみましょう。

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