土木の風景

from civil engineers 築土構木、土木技術は社会生活の基盤をささえています。

3.11東日本大震災

追悼! 東日本大震災

 
 3.11がまた来ました。
 5年目に突入することになりますが、復興は遅々として進まないと聞きます。
 
 元の暮らしに早く戻られますよう祈念いたします。

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 なお、女川町はうまくいっている自治体だそうです。

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震災から三年半 復興は 今(2014.9) no.426

*2011年3月11日 14:46 発災 マグニチュード9.0


図1図1−1
[ 図-1 震度分布 気象庁HPより ]


図2
[ 図-2 津波の高さ調査状況 気象庁HPより ]

図2津波の高さの現地調査報告では、宮城県南三陸町、岩手県陸前高田市付近では、16mを超えた津波が来襲しています。


*宮城県県南浄化センター
あの東北大震災から約3年半経ちました。
地震発生後、最も早く津波被害を受けた下水処理場を中心にその後の復興状況を急ぎ足で廻ってきました。
地図1
[ 地図-1 県南浄化センター 右下 Goole Mapより ]

仙台空港滑走路を襲う津波の映像がテレビでライブ放映され、日本中の人々がテレビにくぎ付けになりました。
実は、その時間には、県南浄化センターも津波の襲来を受けていました。
県南浄化センターは、処理能力148,000㎥/日の大規模下水処理場です。
津波の高さは、6mを超え、処理施設は壊滅的被害を受けました。ガスタンクは、数km上流まで流されたそうです。

写真1 写真2
[ 写真-1、-2 津波襲来中 県南浄化センター資料より ]

写真1,2が当日の状況です。
震災後、上流の水道は、思いのほか復旧が早く、下水処理センターへ通常のように流入してきたそうです。
処理場は受け入れできず、市中で下水マンホールからの下水噴出を避けるため、管路途中の中継ポンプ所に緊急の
貯水池を設け消毒薬を注入しバイパス放流、処理場への流入を防ぎ、浄化センターの復旧に務めたそうです。
復旧過程は、ステップ1:仮沈殿池+簡易消毒3週間、ステップ2:仮沈殿池+簡易消毒3か月、ステップ3:仮沈殿池+
簡易曝気+簡易消毒4か月、ステップ4:本復旧7か月、との説明がありました。
発災後、概ね1年半で主要水処理を復旧させたことになり、驚異的なことであると感じました。
写真3 写真4
[ 写真-3、4 復旧後の状況]

写真−3、4は、今回、管理棟屋上から撮った写真ですが、津波被害を感じさせません。
津波の浸水対策として、1階の設備で電気設備など重要な建物には、非常に立派な防水扉
が取り付けられていました。
写真5 写真6
[ 写真-5、6 防水扉 ]

写真7
[ 写真-7 津波の被害に耐え抜いた松 ]

津波以前の写真を見ると、浄化センターの東側(太平洋側)には立派な松原が写っています。
現在は、写真7のように、少しだけ生き残っていました。

*仙台市南蒲生浄化センター
仙台市蒲生浄化センターは、処理能力433,000㎥/日の大規模下水処理場で、仙台市内の7割の汚水を処理しています。
今回の津波は、10.4mに達し、壊滅的な被害となりました。
地図2
[ 地図-2 南蒲生浄化センター Google Mapより ]

現在は、応急仮施設を運用しながら、本復旧エリアに水処理施設本体を建設しており、平成27年度の完成を目指しています。
しかしながら、作業員不足や資材不足、資材の高騰等により、進捗が遅れています。
東京五輪の準備と重なり、更に遅れるのではと、現場の職員の方は心配されていました。

写真8
[ 写真-8 津波襲来の瞬間 南蒲生浄化センター資料より ]
写真9
[ 写真-9 津波到達 南蒲生浄化センター資料より ]

写真8、9は津波襲来時の南蒲生浄化センターの写真です。
写真10、11、12は、現在も残っている被害の爪跡です。
津波の破壊力は想像を超えています。
写真10
[ 写真-10 津波の被害 外壁 ]

写真11 写真12
[ 写真-11 津波の爪跡 ]            [ 写真-12 津波の爪跡 ]

写真13 写真14

[ 写真-13、14 応急仮施設での水処理状況 ]

現在の、南蒲生浄化センターの水処理状況は、被災した既設の施設を応急仮施設として、運用しています。
市中に埋設されている、下水管の幹線は、ほとんど被害を受けなかったとのことでした。
復旧工事に中心は、浄化センターの耐震、耐津波化となります。
今回の津波の高さでも、影響を受けない構造、高さで本復旧エリアに水処理施設本体と建設しています。

写真15 写真16
[ 写真-15 復旧建設工事 ]         [ 写真-16 復旧建設工事 ]

写真17
[ 写真-17 立派な防水扉 ]

写真18
[ 写真-18 見せよプロ根性東北復興のために ]


* 石巻市沿岸部と石巻地方広域水道企業団
地図3
[ 地図-3 石巻市 Goole Map より]

石巻市役所職員の案内で海岸線に出ました、職員の話では、海岸線を中心に約1.5m地盤沈下し、
市全体の道路、河川、上下水等、復興計画策定に苦慮しているとのことでした。
写真19
[ 写真-19 がんばろう!石巻 ]

写真20
[ 写真-20 合掌 ]

写真21
[ 写真-21 海岸沿いは、地盤が高盛土でかさ上げされます ]

その後、石巻湾を一望できる日和山公園へ向かい、被災時の状況などの説明がありました。

日和山公園の見晴らしの良いところに震災以前の様々な方向の風景写真がありました、現在の光景と
左右に並べてみました、日和山公園から見る限り、浸水被害地のガレキはなくなっていますが、地盤のかさ上げなどの復旧は、
全く手についていないように見受けられます。

写真22 写真23
[ 写真-22 震災前の風景          写真-23 現在の風景 ]

写真24 写真25
[ 写真-24 震災前の風景           写真-25 現在の風景 ]

写真26 写真27
[ 写真-26 震災前の風景           写真-27 現在の風景 ]

写真28 写真29
[ 写真-28 震災前の風景            写真-29 現在の風景 ]

海岸線の排水ポンプ所2か所に立ち寄って見ました、3年半経った今でも、津波の爪跡が残っていました。

写真30 写真31
[ 写真-30 釜排水ポンプ所           写真-31 門脇排水ポンプ所 ]

写真32
[ 写真-32 仮説の橋梁を見かけました ]

次に、石巻地方広域水道企業団の蛇田浄水場に行きました。
下水処理設備は、どうしても海に近いところに建設されます、津波の被害を諸に被ります、その点、浄水場は、
比較的高いところで取水地点に近いところに建設されます。
蛇田浄水場は海岸線からは距離があり、津波の被害はなかったものの地盤沈下、場内の液状化、
建屋の被害が発生しました、耐震化の効果か埋設配水管の漏水等の被害はなかったそうです。

写真33 写真34
[ 写真-33 蛇田浄水場 ]           [ 写真-34 蛇田浄水場 ]

写真35 写真36
[ 写真-35 蛇田浄水場 操作盤 ]     [写真-36 蛇田浄水場 フレシキブル管 ]


写真34では、地盤沈下で階段が地面から60cm浮いていることが解ります、写真36では、フレキシブル管が
役に立っていることが解ります。

蛇田浄水場の復旧計画は、蛇田浄水場を改修するのではなく、応急復旧にとどめ、約4km北西にある
須江山浄水場に蛇田浄水場の機能を拡張することになりました。

現在、拡張工事中でしたが、作業員の確保や資材の調達と、工事の進捗を職員の皆さんは心配していました。

写真37
[ 写真-37 須江山浄水場 Goole Mapより ]

写真38写真39
[ 写真-38 須江山浄水場拡張工事中]  [ 写真-39 須江山浄水場拡張工事中] 


* 石巻東部浄化センター

次に、石巻東部浄化センター向かいました。

石巻東部浄化センターは、処理能力55,909㎥/日で、石巻市、東松島市を処理区域としています。
会議室で、津波の状況や復旧の説明がありました、会議室に上がる階段の壁には、津波浸水の跡がはっきり残っていました。 

石巻東部浄化センターだけではありませんが、被災後のガレキ撤去の苦労話が印象的でした。

写真40 写真41
[ 写真-40・41 被災時 東部浄化センター資料より ]

写真42 写真43
[ 写真-42 東部浄化センター資料より] [ 写真-43 東部浄化センターの現在]

写真44 写真45
[ 写真-44 東部浄化センターの現在 ] [ 写真-45 東部浄化センター津波浸水の記録]


* BRT 鉄道の復興
鉄道インフラの復興状況です、地元住民は鉄道での復旧を望んでいましたが、JR気仙沼線とJR大船渡線は、
軌道をアスファルトとし、一般道を併用した、バス路線(BRT)に復旧されました。


写真46 写真47
[ 写真-46 津波で流出した線路 ]   [ 写真-47 被災線路 BRT資料より]

写真48
[ 写真-48 BRTルートマップ BRTパンフレットより ]

写真49
[ 写真-49 BRT 陸前戸倉駅 ]

写真50
[ 写真-50 BRTバス路線 陸前戸倉駅 以前は線路でした ]

震災以前は鉄道でした、線路の高台部分やトンネル箇所は、被害を免れましたが、盛土箇所や河川横断の
鉄橋箇所は、線路が流出してしまいました。
鉄道として復旧する場合、津波の影響を受けない高い箇所または
、頑丈な構造への復旧となります、様々な検討の結果、BRTと云うバス路線での復旧となったようです。


写真51
[ 写真-51 以前の駅・ホーム 旧本吉駅 ]


* 南三陸町 志津川

写真52 写真53
[ 写真-52 震災前の風景 写真-53 震災後の風景 南三陸町パンフレットより]

写真54
[ 写真-54 南三陸町パンフレットより ]

写真54は、南三陸町志津川に防災庁舎のパンフレット記事です。
町職員の女性が、町民へ津波避難を最後まで呼びかけ、犠牲者となってしまいました、メディアも、
彼女の避難を呼びかけ続ける放送を何度もとりあげました。


写真55
[ 写真-55 震災遺構保存のアピールパンフレット ]

写真55は、防災庁舎を震災遺構として、保存してほしいとのパンフレットです。
復興計画の中では、保存するかまだ決まっていいないそうですが、周囲は盛土かさ上げ工事が進んでいました。


写真56 写真57
[ 写真-56 現在の防災庁舎      [ 写真-57 防災庁舎周辺の盛土工事]
今も訪れる人が多い]

写真58
[ 写真-58 ボランティアセンター ]

写真58は、途中で見かけたボランティアセンターです。
テントにはWFPのロゴがありました、土曜日でしたが、数名のボランティアが集合していました。


* 気仙沼から陸前高田へ

写真59
[ 写真-59 BRT気仙沼駅 ]

陸前高田方面に行くためには、気仙沼駅でBRT大船渡線に乗り換える必要があります。
なお、気仙沼から一ノ関方面のJR大船渡線は、以前と同様の鉄道が走っています。


陸前高田の「奇跡の一本松」に到着しました、バス停(失礼)JR奇跡の一本松駅には、売店や津波被害の展示室がありました。


写真60
[ 写真-60 津波時の写真 陸前高田展示室写真より ]

写真61
[ 写真-61 津波災害の写真 陸前高田資料より ]

写真62
[ 写真-62 道の駅 高田松原 ]

写真63 写真64
[ 写真-63 道の駅 内側の被災状況] [ 写真-64 追悼施設 道の駅 高田松原前]

写真62,63は、道の駅 高田松原です、震災遺構として、残っていましたが、この周辺は、盛土でかさ上げ復興の
計画と聞きました、将来的にどうなるか不明です。


写真65
[ 写真-65 津波の写真 陸前高田展示室写真より 松の周囲はすべて海水]

写真65を見ると、一本だけ松が残っています、海側のユースホステルが津波の威力を和らげたのではと云われています。
しかしながら、写真で分かるように周囲は全て海水です、松に不案内ですが、海水に取り囲まれても松は生きていけるのでしょうか?


写真66
[ 写真-66 津波災害後の奇跡の一本松 陸前高田資料より ]

写真66は、被災後2か月の一本松の写真です、このときは、青々とした葉を付けた生きた松でした。
一本だけ生き残った松として、「奇跡の一本松」と名付けられました。
しかしながら、その年の12月には、蘇生不可能とされ、その後、レプリカで現在に至っています。

写真67
[ 写真-67 盛土工事 陸前高田 ]

写真68
[ 写真-68 奇跡の一本松(レプリカ) 陸前高田 ]


写真69
[ 写真-69 陸前高田 航空写真 朝日新聞電子版より 2014.9.3 ]

写真67,68の写真は、2014.9.6に撮影したものです。
写真69は、9月11日の朝日新聞の一面の写真で、電子版からお借りしました、9月3日撮影とありました、
縦長の真ん中右側に「奇跡の一本松」が写っています。
新聞記事では、写真下部の山を掘削し、被災住民の高台移転用地とし、掘削した土は、巨大なベルト
コンベアーで海岸線の盛土に使われています。
この高台で被災住民の生活が始まる頃、陸前高田も少し復興したと云われるようになるのでしょう。

* 震災から3年半、復興は
三陸海岸は、過去に何度も津波の襲来を受けています。

869年 

貞観地震(津波発生?)

1611年 

慶長地震(津波発生?)

1896年 

明治三陸地震津波

1933年 

昭和三陸地震津波

1960年 

チリ地震津波

2011年 

東北地方太平洋沖地震津波


東北地方太平洋沖地震を主因とする最も大きな被害となったのは、福島県須賀川市の農業用藤沼ダムの
決壊でしょう、死者7名、行方不明1名、家屋被害74棟の大きな被害となりましたが、東北の津波被害や
福島第一発電所の事故に隠れあまり報道されていません、このようなダムは日本全国にたくさんあると
思われます、関係者はしっかり評価する必要があるでしょう。

今回、宮城県から陸前高田までの三陸沿岸を短時間で見てきました、被害のほとんどは、地震ではなく津波によるもので、
沿岸部で少し高台の建設物、構造物に地震による阪神淡路大震災のような被害や、痕跡は見当たりませんでした。
宮城県、仙台市、石巻市の職員の皆様のお話を伺うと、津波想定の甘さについては同様に反省されておられましたが、
復旧についての考えや手法については、地域、地勢
ごとに様々でした。
復旧の状況ですが、電気、ガス、上下水、道路、橋梁等のインフラの整備が最も優先して行われます。
震災から3年半、仮設の送電線も見受けられましたが、電気、ガス、上下水については、当面、社会生活に
制約を与えない程度に復旧が進んでいるように感じました。
道路、橋梁、河川等の復旧工事は、とりあえずの暫定工事も含め現在進行形のようでした。
移動中のバスの車窓から何か所かの仮設住宅を見ることができました、最も復興が遅れている代表でしょう。
食堂などで地元の方々の話を聞いていると、現在の復興状況を感じることができます。
東北の復興は、福島第一発電所の2番目だった、それが東京五輪で3番目になった、いや、辺野古が入った
ので4番目となってしまった、と云った話が聞かれました。
東北の人々は、物静かで我慢強いと云われていますが、諦めにも似たものを感じているのではと侘しい思いがしました。

平成26年9月11日付、警察庁発表の東北地方太平洋沖地震の被害状況は、死者15,889名、行方不明2,601名、
建物全壊127,367件、建物半壊273,335件、道路損壊4,198箇所、橋梁損壊116箇所となっています。

最後に一言、「頑張ろう東北!!」


(By:M.Nakao)




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福島県相馬市の今・・(3) no.400

 相馬市最後は港湾、
 津波で壊滅状態になっています。
 
 今も復旧工事が進んでいますが、完成するまでには後5年が必要だとか・・・。

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 バスは北から南へ海岸を移動します。
 相馬港には何も残っていませんでした。護岸の工事と防波堤の修復など、やることがあまりにも多いそうです。

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 そして、美しい原釜尾浜海水浴場は復活するのが難しいと言うことでした。
 地盤沈下と施設破壊、砂浜も半減しています。

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 なお、この付近では建物の2階まで津波が来たことが分かります。
 海水浴場に隣接する漁港に来て、九死に一生を得た漁協職員の話を聞きました。

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 漁港の地盤沈下は1m、このままでは使い物にならず、地盤を上げた計画高さに建物基礎を合わせる・・・ということは、撤去して再建築となります。
 
 撤去工事最中でありました。

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 なお、美しい姿を見せている松川浦大橋も桁が動き、通行止めになっていました。
 修復はいつのことか・・・。

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 最後に、この相馬市でも高さ7mの防潮堤を計画していると聞きました。
 美しい海と人間の生活スペースが切り離されてしまいます。
 
 
 現代人はどうしてもハードに頼る・・・
 巨大地震と津波が500年、1000年に一回とすれば、命だけは助かるソフト対策にする方がよっぽど合理的かと思うのですが、簡単ではありません。
 実際に被災をした人たちの気持ちを考えるとやみくもに防潮堤に反対もできません。
 
 地元の人たちの選択であります。
 
 ただ、田老地区のようにそびえるような防潮堤も簡単に破壊され、津波は襲来しています。安心していた住民が多数犠牲になっています。防潮堤がなければ皆さん逃げたものを・・・。
 
 人間が自然を押さえつけるという発想は西洋のもので、日本人の発想ではないと考えます。自然と一体となり、自然に畏敬の念を保って接してきたのが日本人です。
 
 最低限のハード対策は致し方ないとしても、自然と共生していくようなやり方はないものでしょうか。高台移転も、防潮堤も、長い長い歴史の中で考えると目先の判断のように見えます。
 
 コンクリートで固めた国土に住みたいと思う人は少ないと思います。
 緑多く、春夏秋冬の自然を愛する日本人が、技術で自然に立ち向かおうというのはいかにも傲慢です。原子力の村社会がまさにそれでした。
 
 この大震災は「日本人よ謙虚になれ!」という神の啓示であったのではと感じます。
 よりよい町ができるような復興を願うのみです。
 
 
 被災された方々、
 亡くなられた方々に
 改めて哀悼の意を表させていただきます。

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福島県相馬市の今・・(2) no.399

 相馬市の東日本大震災被災状況二回目です。
 下手な説明はいらないのかも知れません。
 
 津波による被災を受け、平坦地はそのままです。
 建築制限がかかり、どうするのか未だ決まっていないそうです。

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 この一帯で唯一稼働しているのが相馬共同火力発電(株)新地火力発電所です。
 
 うなりを上げていました。
 
 相馬共同火力発電(株)は東北電力と東京電力の折半出資した石炭火力発電の会社です。

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 その発電所敷地内に地元住民用のコミュニケーション施設(PR施設;わくわくランド)があり、いろいろな形で地元の人たちに活用されています。もちろん発電所の寄付であります。
 
 今回の視察も相馬市の観光協会が案内と解説、説明、ありがたいことでした。
 淡々とした語り口に、かえって被災の重みを感じました。

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 そして、次は「がれき集積場と処理施設」の紹介です。
 広い土地があることから周辺地域からのがれきも受け入れ、被災地でも数少ない焼却施設が稼働しています。
 
 新地火力発電所の近くにあります。

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 未処理のがれきはまだまだ残っています。

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 そして、集積し、分類し、移動運搬、粉砕、焼却処理・・・大変な作業であります。
 立派な焼却炉です。

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 いつ果てるのか・・・がれきの山はこれでも小さくなってきているそうです。

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  ただただ、頭が下がります。

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福島県相馬市の今・・(1) no.398

 福島市から相馬へ・・・雨の国道115号線です。
 福島県の浜通りと中通りを隔てる阿武隈山地も、山深く、なかなか険しいものがありました。
 
 
 阿武隈の峰を過ぎて下りが続きますと何かが目に付き出します。
 想像は付きます・・・。
 
 相馬市の南は南相馬市、そして浪江町、双葉町です。
 福島第一原発の事故地帯に連なっています。

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 黒い袋・・・・この土のう袋は数こそ違いますが、あらゆる場所に見られます。
 除染が続いているのかも知れませんが、除染物質の行き先がありません。

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 相馬市の海岸には大きな松川浦があり相馬の景観を特徴付けています。
 波もない静かな風景でありました。

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 そして、海岸です。
 松川浦は海苔の養殖やアサリなどの魚介類が豊富だとか・・・。
 海水が流入する浅い内海は豊かな恵みを与えていたそうです。

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 今は・・・養殖もなく、漁もなし・・・護岸は50cm以上の沈下だそうで被災時そのままです。無傷の漁船も、「福島の魚介類」ということで休漁やむなし。なにがしかの補償は出ているけれど、つらい生活が続いているそうです。

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 昼食のお店は、福島県外ナンバーの車で一杯でした。看板の魚介類はどちらから仕入れているのか分かりませんが、豊かな漁場を前に、出漁できない地元のいらだちがよく分かります。
 
 つらいお話も聞いて・・・、お昼の空き時間には付近を歩いてみました。
 偶然、房総が本場のビワを見つけました。
 
 相馬でも実がなることを知り、うれしくなったものです。
 おいしそうです!!

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 最後に、
 ボートもあり、漁船もあり、人間もいるのに、当たり前の「漁」をできないという現実、これは厳しいものがあります。目の前に見て初めて、放射能汚染が現実のものであると理解することができます。
 
 復興のプランにはいろいろな方策があるそうです。
 何ごとも単純なものはなく複雑な人間関係があります。すべてにうまく行く「落としどころ」はないのかも知れません。
 
 震災を乗り越えてきたマンホールふたは無言でありました。

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追悼! 2011.3.11

 もう二年が経過しました。
 テレビの画像を見ても、以前見た残像とそんなに変わってはおりません。
 
 亡くなられた方々、未だ不明の方々、そして避難され、また生活にご苦労されている方々に哀悼の意を表させていただきます。
 

 復興というのは非常に難しいことです。
 お金があればすむというものではありません。予算を付ければそれでヨシ・・・そんなに単純なものではありません。
 
 将来の村や町、市や県が力強く復活するために何をどのように構築して行くのか・・・大きなビジョンが欠かせません。
 
 そのことに関し、日本人は不得手か・・・そんなことはありません。
 
 長い歴史を見てください。
 長期的な視点で発想し、国を造ってきたのです。
 
 現在が混迷の時代にあり、政治も官僚も国民も先が見えていなかっただけです。これから大震災を機に日本は変化をしてくるはずです。いつの時代も危機的な状況から新しい発想と変化はやってきています。
 
 東北とともに復興をして行くことが日本国の再興につながります。
 
 願わくば、田老地区のような防潮堤ばかりを造らないようにしたいものです・・・人間が住む場所を残し、ここに住みたい!と思うすばらしいふるさとの環境を取り戻して欲しいのです。奥尻島はハード主体の対策をして過疎化が止まりません。観光客も少なくなってしまっているそうです。
 
 数百年後に同じ規模の地震と津波が来た時、命だけは助かるシステムを作ってもらうこと、それが、日本人らしい自然とのつきあい方です。
 
 人間が大自然に勝てるわけがないのです、ハード主体の復興だけは避けて欲しい春の朝・・・。
 
 一日でも早く、普通の生活に戻られることをお祈りします。

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木戸川護岸復旧 no.384

 東日本大震災は2011.3.11(金)でした。
 復興は未だ手つかずの地方が多い状況ですが、そろそろ二年となります。
 
 千葉県の災害は地盤の液状化と津波被害でありました。
 過去に記事をアップしておりますが、木戸川についても紹介しています(2011.5.11 no.300)。

 その木戸川河口部の修復が進んでいます。
 完全とは行かなくとも、重要な部分の修復が年度内に完了の予定です。
 
 まずは、位置関係と被災当時の2011.03.15(火)の写真を・・・。

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 このとき、緊急の復旧を山武土木事務所が行っています。
 素早い対応でした。

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 そして、約二年が経過して、復旧あとも時間の経過を感じさせています。
 土のうも良く耐えていますね〜・・・。

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 さて現在です。
 ほぼ工事が完了間近ですが、2013.3.25までの工期なのでしょうか、敷き鉄板の片付け移動を行っていました。

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 一言あいさつをして、完成直後の護岸堤防を見せてもらいました。

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 なお、標準断面は次の図で・・・堤防高さYP+4.0m、HWL+1.5m、余裕高さは2.5mあるようです。図面は山武土木事務所からご提供をいただきました。

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 最後は海岸砂防の前線は未だ復活しておりません。
 砂地への植物進出で津波の傷が癒えるのかも知れません。松は、枯木となっておりました。印象的な風景です。

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 東北地方の復興は困難な道のりですが、できるだけ早く元の生活に戻られることを祈るのみです。

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災害復旧 小野川 no.340

 3.11東日本大震災から、一年以上が経過しました。
 各地の被災報告をしてきましたが、復旧が少しずつ進んでいます。
 
 今回は、千葉県香取市の小野川を紹介します。
 大規模な液状化と側方流動が発生し、小野川は壊滅的な被害を受けました。
 (関連記事;土木の風景 no.302
 
 まずは、小野川被災区間の航空写真です。
 河口部(右上)から国道356号線の橋梁までの区間が被災しています。

全景



 また、当時の被災写真は次の通りです(河川中央部は応急浚渫をしています)。

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 そして、今の状態です。

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 復旧方法については親切な案内板が設置されています。こういう案内板は市民目線の内容になっていて、イメージが湧きやすいように感じます。

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 さて、復旧の基本は鋼矢板による護岸工という結論となり、早期に打設が終わっています(施工中の取材が出来ませんでした)。延々と、全延長に渡り両岸に鋼矢板が打設されており、河床はきれいに浚渫し、舟の通行、洪水流下いずれも問題が解消しています。ただし、建物の撤去や修復は終わっていないところも多い現状です。

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 ちなみに、残された矢板一本の長さは歩測で15.5m、矢板長の詳細は不明ですが、軟弱地盤ですからこんなものでしょうか。

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 なお、下流部小野川排水機場付近は国土交通省の管轄になり、大型土のうによる応急修復中でした。

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 本格的な復旧にはまだまだ時間も掛かりますが、歴史の町佐原の観光客も増えつつあります。小野川には水上観光の舟も運航していました。
 
 舟に「こたつ」が置かれていたのがいかにも・・・うれしい光景です。
 また、漁師さんの舟も活躍中であることがよく分かります。

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  小野川の復旧が早期に終わり、歴史の町佐原の完全復興を期待したいものです。

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追悼!! 3.11東日本大震災

追悼!! 3.11東日本大震災


 あっという間の一年間でした。
 なくなられた方、未だに行方不明の方、被災された方々に深く哀悼の意を表します。
 
 一日も早い復興をお祈りいたします。
 長い年月を必要としますが、じっくりと復興計画を練り、以前にも増した生活基盤を築かれることを願うばかりです。

 
 復興は気から!
 前向き元気のお気持ちを維持され、復興を成し遂げていただきたいと存じます。

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 なお、3.11東日本大震災関連の記事をカテゴリーにまとめました。

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 里の小さな社に合掌・・・。

東日本大震災被災地視察報告(8) 笹かまぼこ復活 no.324


 東日本大震災被災地視察・最終稿です。
 被災地のがれき撤去もそろそろ完了し、これから復興へ向けての計画立案、予算確保そして実行・・・何年かかることでしょうか。
 
 最低10年は必要なのかも知れません。
 
  
 最後の訪問地は港町・塩竃でした。
 港周辺は大きな被災を受け、市街地の奥深くまで浸水したと聞きます。

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 被災を受ける前のyahooの航空写真と
 被災後のgoogleの航空写真を並べてみました。
 
 建物の流失は少なかったそうですが、1階部分は壊滅的な被災だったそうです。

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 まだ、小型のボートが放置されていますが、この護岸を悠々と乗り越えてきたとか・・・。

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 さて、航空写真にも写っている笹かまぼこ工場は、必死の復活操業を早期に実現しています。女性のオーナー社長さんが、「被災した状況、その後の被災者保護収容、そして復活に向けての社員や経営者の意気込みなど」を語ってくれました。
 
 外国のメディアにも紹介され、観光バスも少しずつ寄ってくれるようになり、工場はフル操業だとか。工場周辺は未だ被災の跡が残っていましたが、うれしい復活です。
 
 ここの笹かまぼこは、関東で食べるものとおいしさが違いました。
 焼きたてだからではなく、持ち帰ったものもそうでしたから・・・。
 
 笹かまぼこの製造は至って簡略、手作業も含めてラインを紹介します。

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 8回にわたって紹介してきました宮城県北部の被災地訪問でした。
 見て頂いた方々に深く感謝を申し上げます。

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 宿に泊まり、おみやげを買うことしかできなかった視察でしたが、人の来ることが地元の復興には必要です。笹かまぼこ工場のように製品が売れ、観光客も来てくれることが地元経済には大きなプラスです。松島観光もしかり・・・です。
 
 
 半年が経過し、被災地は落ち着いてきているのですが復興への足がかりは未だついていない状況でした。
 石巻市ではまだ全壊と思われる家がたくさん残っていました。ある程度の期限までは行政が無償で処理をしてくれるのですが、踏ん切りがつかない人たちも多いそうです。
 
 岩手県でも仮設住宅よりは、残った二階に住む人が多いと聞きます。
 若い人は新たな再建エネルギーが湧くのかもしれませんが、年配者には厳しい現実です。
 
 しかし、復興に向けての気力がなければどんな補助を受けても本物の「地元の復興」にはなりません。厳しいようですが、その気力を振り絞る勇気とエネルギーを持つことが大切ではないかと思います。
 
 そして、われわれも普通に儲けてしっかり税金を払う、それが復興財源として生きてきます。普通の生活をすることが結果的に被災地の役に立っているはずです。萎縮したり、遠慮することの方が復興を遅らせます。
 
 出来れば東北へ旅をし、おみやげを買うことが復興の一助になるはずです。被災しなかった観光地も温泉地も、7割8割減の状況が続いたとか聞きます。
 
 未曾有の大震災は日本のどの地域に発生してもおかしくないのです。関東、東海、南海沖・・・列島全体が活動域にあることを忘れてはならない日本国です。
 
 日本全体として、
 復興支援を致したい、平成23年秋です。

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東日本大震災被災地視察報告(7) 悲しみの体育館 no.323

 東日本大震災被災地報告の続きです。
 ほんとうに気の重くなるような、東松島市の被災でした。
 
 
 石巻市と同じような位置関係にありますから、浸水地域も広い範囲に及んでいます。
 平地部にあるところは全てさらわれてしまった・・・そんな印象です。

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 そして、大変なことに陸地がなくなっているのです。むかしの海岸線は遠く・・・途方に暮れる風景といえます。

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 平地部の現在は次のように、何もない風景を見せています。こちらはがれき撤去がすでに終了していますが、石巻と同じ被災状況です。

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 さて、この周辺の地形状況を見てください。
 平地の裏に山がせり出しているのです・・・そこに悲劇が生まれました。

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 ここの小学校は避難場所に指定されていました。

 大勢の住民が歩きで、そして車で避難してきたそうです。
 子供(生徒)たちもたくさんいたのですが、ここで問題が発生しました。
 
 『 避難場所の指定は体育館であり、本校は指定されていない!! 』
 校長の命令が発せられ、4階建ての本校は閉鎖されたとのことです。
 
 汚されたり、荒らされたくない・・・これが学校管理者のそのときの本音だったと聞きます。

 
 しかし、相手は津波です。
 知っている人は『 高い場所へ!! 』 当然の行動だったのですがかなわず、体育館に集まり、残りは車の中にいたそうです。
 
 津波の高さは次の写真です。

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 体育館の狭い二階にいた人たちは助かり、大勢の人が津波に呑まれてしまった・・・本校を開けていれば!!・・・誰もが思った瞬間だった。
 

 裏山を見て思いました。
 これでは登れない・・・厳しい崖面がありました。

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 線香を上げさせていただくのが精一杯のこと・・・。
 女性の校長先生は今、苦悩の中におありだと聞きました。
 

 
 
 ここで思うのです。
 個人に責任はあるのかもしれませんが、
 その前に、
 こんな場所を避難場所にした責任は誰にあるのか、また、体育館のみを指定するなど論外です。行政が津波の恐ろしさを認識していなかった・・・また、住民も、また校長先生も同じです。
  校長先生は津波を知らなかったけれど、職務には忠実だったのです。
 
 とっさの正確な判断を誰もができるとは思いません。被災後、そして原発事故後の政府、官僚の不甲斐なさはあきれるばかりでしたから・・・。
 
 
 我々だって、大きなことは言えません。
 普段の危機管理意識がいかに重要か・・・安穏な生活にどっぷりと浸かった日本人に衝撃的な神の鉄槌が下ったのかもしれません。

 
 個人を責める前に、我々日本人が大いに反省すべきことを思います。

 

 なお、
 悲しみの体育館を後にして仙石線・野蒜駅にきました。
 
 仙石線は廃線になり、山の方に新設されるそうで、バス会社の社長さんも参加してボランティアの皆さんが草刈り、片づけ、耕して花を植える活動をしている姿でした。

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 日本も捨てたものではない・・・うれしい光景を見ながら海岸線を離れ、北上・・・ぽつりと残された電車が「がんばるぞ!」と語ってくれるようでした。

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東日本大震災被災地視察報告(6) 女川 2 no.322


 女川町被災の続きです。
 市街地すべてが壊滅的な被災をしてしまいました。
 
 
 小高い地区から平坦地に入ると、息をのみます。
 市街地がなくなっているのです。がれき撤去が終わり、そのままの姿でした。

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 夕暮れに近くなっていますから、なおさら自然の猛威を感じてしまったものです。
 路線バスも復活し走っていますが、壊滅した町役場の前を通過する車内には乗客がみられません。

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 そして、湾内は水浸し・・・地盤が沈下したことが一目瞭然でした。

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 次の写真は町の西方、一番高い場所に建っている病院です。

 この病院の一階にいた人たちも被災しています。駐車場にいた人たちは助かっていません。
  こんなに高いところまで!!・・・ついつい想定外と言いたくなってしまいます。

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 津波の圧力はコンクリート構造物も押し倒し、すべてを飲み込んでしまったことがわかります。

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 最後は、立ち位置から周辺の風景を写してみました。

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 しばらくいただけですが大潮のこの日はあっという間に安全であるはずの地盤をひたひたと海水が進入してきました。車の所有者も驚いたことでしょう。

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 なお最後に、
 女川町の再建計画では完全な防災ではなく減災を目的として復興計画を立案したそうです(第一番です)。その予算、3,000億円だそうです。
 
 町単独でやると百年単位の年月がかかるとか・・・。一つの小さな町でこの政策です。国全体の話となるとそれはどうにも、膨大な話となりましょう。取捨選択を含めて、東北各地の再建計画がそろい、地元に合った実際的な行動計画にして欲しいものです。
 
 
 それには、予算です。
 国が何とかしなければならない責任です。
 100%みることはできませんが、できる限りの応援をしたいものです。
  
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東日本大震災被災地視察報告(5) 女川1 no.321


 東日本大震災被災地視察報告の続きです(2011.09.30夕刻)。
 紹介したい写真が多いので、女川地区は二回に分けました。


まず、女川の湾と地形をみていただければ一目瞭然、津波にもっとも弱い形をしています。平坦地ばかりではなく、谷筋の小高い地区にまで津波は駆け上っています。

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町中心部は壊滅、死者数571名、行方不明者409人、合計980人です。
町の人口が10,723人ですから、9.2%の人が亡くなったのです。

石巻から女川にはいるとすぐに、小高い丘までが被災を受けていました。「こんなに高いところまで・・・」、言葉が出てきません。

後ほど調べた結果、津波高さ14.8mで 遡上高さ15.6m・・・実感としてはこれ以上の感覚です。残っている家屋の一階部分は浸水しているのです。

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 ことばは、でてきません。

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東日本大震災被災地視察報告(4) 地盤沈下 no.320


 東日本大震災被災地視察報告の続きです。

石巻から女川方面(国道398号線)に動きましたが、海岸線の道路、鉄道路線は水浸しです。

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海が攻めてくる・・・そんな表現もおかしくないような現状でした。
水路や側溝のフタから海水がわき出てくるという異常な状態があります。これが毎日二回です。

バスは海水の中を走ります。

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ちょうど、満潮・・・それも大潮と聞きました。

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この修復をどのように考えるのか、根本的な施策が必要です。
地方や自治体が対応するにはあまりにも大きな問題です。

これは、国の問題でありますが、国家に財源がないといいつつ「増税論議」が表舞台に出てきます。勘ぐれば、財務省あたりは「チャンス!」とみているような・・・。


政治家(官僚)の目が自分自身の方に向いていることを、国民は知ってしまいました。
自分で責任をとるという覚悟と責任感が欠如ずると震災直後のような行動になってしまいます。
東電も、官僚も、政治家も「責任を負いたくない!」・・・それだけでした。
中枢にいる人たちがこれですから、関連する組織も似たようなものです。

 

本当にがんばったのは、また、がんばっているのは現場のおじさんおばさん、作業員の人たちではないかと思うのです。黙々と、地に足をつけて働く皆さんに敬意を表するものです。

最後の一枚をみてください。
八百屋さんか、雑貨屋さんかわかりませんでしたが、おじさんと目が合いました。
自分にこの表情ができるのかどうか、自信がありません。

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東日本大震災被災地視察報告(3) 石巻市街地 no.319

 仙台平野を除けば、石巻周辺が最も広いエリアの浸水を見ています。
 
 まずは、yahooの航空写真を見てください。震災前のものが残っています。

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 つぎは、さすがGoogleです。
 はやくも震災後の写真に切り替わっています。

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 そして、国土地理院が公表している浸水地図を見ると石巻地区の浸水エリアが如何に広いかが分かります。

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 丸い印が撮影の場所ですが、浸水エリアの中に空白部分があります。
 これが台地部になるものです。
 高い場所・・・、高級住宅地という言葉も浮かびますが、まったく被災を受けていません。
 
 平野部は中心市街地まで含めて浸水し、海岸部は壊滅的な被災です。
 小学校は火災にも見舞われたそうです。

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 また、海岸部の護岸などは沈下をしています。
 東北地方一帯の海岸部が同じような現象となって、復興の足かせ、根本的な対応策が見いだせていない現状があります。

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 なお、立ち位置から
 海岸方面を見た現況の風景を紹介してこの項終わりとします。

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 石巻市人口    160,704人
    死者     3,168人
    行方不明者   759人
    合計     3,927人(人口比 2.44%)
 
  深く、哀悼の意を表し、また一日も早い復興を願うものです。


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東日本大震災被災地視察報告(2)がれき撤去 no.318

 石巻市に入って圧倒されるのは、被災エリアの広さです。
 北側の高速道路から南下して市街地に入るのですが、津波の到達距離におどろいてしまいます。
 
 がれき撤去の現状をエントリー致します。

 
 がれきとは瓦礫と書きます。
 <広辞苑>の記事では次の通りです。
 
 が‐れき【瓦礫】グワ‥
(1)瓦と小石。「―の山」「―と化す」
(2)価値のないもののたとえ。
 
 確かにそうかもしれませんが、深いため息が出ます。
 被災者の人生・生活のすべてが詰まった「がれき」です。
 
 港の方に集積場があり、今現在もダンプトラックが集まって大渋滞を来しています。毎日のことだそうです。延々と列をなすダンプトラックを見ると、まだまだ、震災復興に至る初期の過程にあるように見えます。

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 そして、被災した車も積み上げられたまま・・・。

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 がれき集積場はあちらこちらにあり、処分を待っている現状です。国として、県として、対策がいまだに未定です。政権の内輪もめをしている場合か・・・!!

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 生活の臭いがなくなった町・・・何としても早い復興を願わずにはおられません。
 美しい石巻の風景・・・がれきと地盤沈下が無言の抗議をしているようです。

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東日本大震災被災地視察報告(1) no.317

  6ヶ月が過ぎた今頃・・・そんな気持ちも起きる時期です。
 ボランティアで現地入りした仲間もいました。
 東北出身者の仲間も多くいます。
 
 千葉県の被災状況報告は震災直後からブログに載せてきましたが、東北の被災は千葉県とは桁が違います。報道から知る感覚と現場に立つ実感とは違うはずだという思いがありました。
 
 物見遊山で行くのではなく、津波の被災の現実を見ておくことが今後のわれわれの仕事にも役立つものと信じ、小団体での被災地視察の実行と相成りました。

 今回は視察最初ですから恐縮ですが、こちらをご参照頂ければ幸いです。

 http://blog.livedoor.jp/ynakamura1/archives/52882914.html 「土のうた」

3.11東日本大震災 被災報告(11)液状化・・農地調査 no.307

 ***農地液状化対策現地調査報告***

 千葉県農林水産部耕地課主導による液状化被災状況調査が実施されました。
平成23年6月15(水)16日(木) の二日にわたり神崎西部地区と香取市石納地区において大規模な液状化対策現地調査を行ったものです。
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千葉県農林水産部耕地課内に「液状化対策プロジェクトチーム」を設置し、(独)農村工学研究所の協力のもと、液状化のメカニズムや対策工法について検討を重ね、関係機関に呼びかけて実施される運びとなりました。

 参加人数は
 6/15(水);神崎西部地区  76名(89名)
 6/16(木);香取市石納地区 64名(87名)
参加団体は19団体に及び、それぞれを4グループに編成して調査活動を行ったものです。

 第一日目、神崎西部地区については神崎グリーンサービスライスセンターに参加者全員が9時に集まり、千葉県農林水産部次長 森田氏から調査活動の趣旨と意義が説明され、参加者全員への御礼とプロジェクトの開始が告げられました。

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次に今回のプロジェクトチーム総括責任者・耕地課基盤整備室長井上氏から今回の液状化調査の目的、意義、そして、本地区の地形的な特徴などの説明があり、グループ編成の発表、調査作業内容などの発表がなされました。

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神崎西部地区のグループ分けと作業内容は次のとおりです。

第1グループ(山口主査) 噴砂調査(4人)
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第2グループ(鈴木主査) 田面均平調査
2-1班(5人)2-2班(5人)2-3班(6人)2-4班(6人)

第3グループ(小関主査) 管排水、暗渠排水調査 
3-1試掘班(6人)3-2管排水・暗渠調査班(7人)3-3試掘班(6人)
3-4管排水・暗渠調査班(7人)3-5管排水追加測量班(6人)

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第4グループ(坂本班長) 天の川公園調査(6人)

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 なお、研究者や見学者もその都度作業に参加されていたのが印象的でした。
また、テレビ局、新聞社の取材も多く、今回のプロジェクトに対する関心の高さが伺えます。

 調査結果は液状化対策プロジェクトチームにおいてとりまとめられ、今後の災害査定及び本格復旧に向けて役立てられるはずです。 作業は各グループ、各班の進捗状況により随時解散、夕方まで作業を行いました。
*****


第二日目、香取市石納地区は石納ファームライスセンターに9時集合、本地区の地形的特徴や被災状況の説明があり、同様のグループ編成の発表、そしてグループ各班の作業部隊がそれぞれ現地に向かいました。

なお、本地区は茨城県と接し、関係が深いことから茨城県の関係者も参加しています。

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第1グループ(山口主査) 噴砂調査(5人)

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第2グループ(鈴木主査) 田面均平調査
2-1班(6人)2-2班(6人)2-3班(6人)

第3グループ(小関主査) 排水路、道路調査 
3-1班(5人)3-2班(5人)3-3班(5人)

第4グループ(坂本班長) 暗渠、パイプライン調査
  4-1試掘班(4人)4-2暗渠調査班(6人)4-3試掘班(4人)
4-4管排水・暗渠調査班(5人)

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 本地区は地下水位が非常に高いことから、管や暗渠掘削には排水ポンプを用意して行ったのですが、苦戦を強いられたようです。
最後に、今回調査の目的と調査項目は次のとおりで、二日間にわたり一斉調査として実施したものです。
【目的】  災害査定の資料及び今後の復旧方法の検討資料を得る
【調査項目】農地の褶曲状況、耕盤厚、暗渠の状況、用排水路及び配水管の状況、噴砂の塩分調査など

なお、今回の大震災による液状化被災は広範囲に及び、またその噴砂規模も甚大でした。農業施設、水田の復旧に今回の調査が大いに役立つことを願うものです。
こうした実践的な液状化対策現地調査を計画実施された千葉県農林水産部耕地課はじめ関係各位に深く敬意を表するものです。

参加団体は次のとおりでした(順不同)。
農村工学研究所、茨城県、神崎町、香取市、北総東部土地改良区、千葉県県土整備部、千葉県農林水産部(生産販売振興課、担い手支援課、農村環境整備課、耕地課)、千葉農業事務所、東葛飾農業事務所、香取農業事務所、海匝農業事務所、山武農業事務所、長生農業事務所、夷隅農業事務所、君津農業事務所、安房農業事務所、農村総合研究センター、千葉県土地改良団体連合会、NPOちば水土里支援パートナー、一般社団法人千葉県農業土木コンサルタンツ協議会
平成23年6月20日
一般社団法人千葉県農業土木コンサルタンツ協議会

 以上、千葉県農林水産部耕地課による「農地液状化対策現地調査」の参加報告でした。
 
 *****


 さて、
 本サイトは、「土木の風景」ですから、第一グループの液状化噴砂調査の断面写真を追加して、簡単に解説を行います。
 
 まずは、水田に発生した液状化噴砂口の模式的な形状です。
 完全な円形状をしていますから耕盤層及び作土層を「点」で突き破って噴出したものです。

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 そして、規模が大きくなりますと、線状に亀裂が入り、大量の噴砂をした場所があります。噴出した砂層が連続した姿を見せます。
 上が水田、下が畑です(農道ではありません)。

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 噴砂の激しかった麦畑の事例を紹介します。
 噴砂口は点状、線状複雑に発生していますが、砂が残っていない孔も見られています。

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 次は、円形の噴砂跡、模式的ですから断面調査が楽しみです。
 なお、以後の写真はクリックすると拡大できますのでどうぞ・・・。

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 中心部を慎重に掘り起こして行きますが、明瞭な噴出口の形状が見えてきません。その写真が次の写真です。ただし、赤白のピンポールは1.5mの長さがありますから、非常に軟らかい道筋があることは確かのようです(噴出口の探査にはピンポールが有効です。刺してみればすぐに分かります)。

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 また、堆積した砂層には腐レキが混入しており、かなり深いところから液状化・噴出したことを予測させます。本地区は旧利根川の川筋であった場所です。

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 これでは消化不良・・・模式的な噴出口の証拠写真を・・(笑い)。
 
 広いほ場をあちらこちらと歩き回り、らしい写真を撮ってきました。ただ、地下水位が非常に高いことに苦慮し、理想的な姿までは無理でした。
 
 漏斗を逆さまにしたような形が噴出口の断面です。噴出した砂がそのまま残る形になっています。

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 また、直接の噴出口ではありませんが、液状化したあと、作土層の下に空洞が出来、陥没している箇所もありました。

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 なお、噴砂堆積層は20cm以上の場所が広範囲に分布していました。浦安市では30cmと言いますから、今回震災は液状化の規模が甚大であったことが分かります。
 最後は、帯状噴出で規模の一番大きな断面を掲載して、本稿の終わりとします。
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 3.11東日本大震災 被災報告はひとまずお休みし、被災箇所の追跡調査を追々お届けしたいと思います。
 
 今後は通常の記事に戻る予定です。シリーズをごらんいただきありがとうございました。

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3.11東日本大震災 被災報告(10)液状化・・小見川地区 no.306

 前回と同じく利根川の旧河川域の被災状況報告です。
 利根川本堤が同じような被災でありました。
 
 まずは、例によって小見川地区の地図上の位置と旧利根川の状況写真です。

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古地図


 古地図に見るように小見川大橋とその周辺は沼地のまっただ中にあります。
 軟弱な地盤が予想されるのは当然です。
 茨城県側、千葉県側ともに、広域の液状化被災を受けています。
 
 電柱の傾斜がそのことを物語っているようです。

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 小見川の団地もマンホールの浮き上がりや上下水道に大きな被害を受けています。
 周辺一帯が激しい噴砂現象が見られたとか。
 
 『 昭和40年代の鹿島臨海工業地帯の開発に伴い、小見川には住金団地が造成された<ウィキペディア>』というくらいにこの団地は古く、住民の方もおどろいたはずです。
 
 「とにかく、被災状況を見ていってくださいよ!」と、明るく言っていただいたおじさんに感謝! こちらが元気をいただきました。

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 さて、小見川大橋は堤防の取り付け部に段差が出来た以外は大丈夫のようです。
 『小見川大橋は、1973年(昭和48年)8月1日に開通。工期は5年8ヶ月間、総工費は21億円。6連のランガー橋である。』・・・鹿島臨海工業団地へのアクセス用でした。

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 利根川堤防の千葉県側の被災状況を紹介します。
 まずは、路面の陥没はあちらこちらで見られました。結果、通行止めです。

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 次の写真は、歩道部に敷設されている光ケーブルの埋設部です。
 施工が云々という問題より今回の地震動の巨大さ、振動時間の長さ、そうした事実が浮き彫りになるような被災状況でした。

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 最後は側道部の崩壊状況です。
 堤体下部は液状化し、本堤も円弧状に崩壊したものです。各所で同じような被災を受けています。

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3.11東日本大震災 被災報告(9)液状化・・香北地区 no.305

 利根川を渡り茨城県側に香取市香北地区があります。
 本来ですと茨城県に含まれるのでしょうが、歴史的な経緯があるようです。
 
 まず、その地理的な状況を見ていただくと一目瞭然、大昔は霞ヶ浦などとつながっていた内海と見なすことが出来ます。現在は干拓により豊かな水田地帯が広がっています。

kahoku


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 この付近一帯、激しい液状化現象が発生し、茨城県側も大きな被災をしています。
 今回は、画像を600picに縮小していますが、クリックで拡大できるようにしております。
 
 こういう被災写真は、拡大すると大地の巨大なエネルギーを感じ取ることが出来ると考えたものです。一部、茨城県側の写真も含まれています。
 
 
 なお、今回の被災で大きかったのは、地下埋設のため目に見えない農業用パイプラインです。復旧にめどが立たないという現実に、休耕を決意された農家の方々が多かったと聞きます。
 
 また、千葉県農林水産部では液状化被災の現状把握を大々的に行う予定です。実際に掘り起こしてみるという単純なことが簡単にできることではありません。
 
 この結果は、取材し、本報告にアップの予定です。

 
 それでは、解説なしで大きな画像を14枚をアップします。

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3.11東日本大震災 被災報告(8)液状化・・香取新市街地区 no.304

 香取市の被災は小野川を代表するように激しい液状化に見舞われたものです。
 
 その液状化の被災範囲は小野川でも述べましたが、旧利根川の河床に立地した地区です。これは、神崎地区も全く同じ条件といえます。
 
 まずは、航空写真や古地図を見てください。

香取


佐原


古地図

 上に見るように、国道356号線より利根川沿いは現在市街化していますが利根川旧河床であった地区です。もっと言えば、JR成田線から北側は地盤条件はよくないと判断せざるを得ません。
 
 今回の液状化被災地区はJR成田線ではなく、国道356号線より北側の利根旧河床にあった場所にあたります。
 この地区に、市役所、利根下流河川事務所、多くの家屋、そして、十間川があります。
 
 次の順序で被災状況を紹介します。
  々畆荵毀鮟蠎辺
 ◆〕根本堤防と利根下流河川事務所
  橋脚浮き上がり
 ぁ―輯崟
 
 
  々畆荵毀鮟蠎辺部の被災状況
  建築物はしっかりした基礎構造を持っていることから、建物の沈下や傾斜は起こっていません。それ故に、周辺地盤の沈下が目立つ事になります。
  
  箱物が大丈夫でも、上水道、下水道などのライフラインが損傷すると使えなくなります。これは、都市部の被災でも同じ状況が発生しています。

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 ◆〕根本堤防と利根下流事務所の被災状況
  利根川の本堤防はあちらこちらで損傷を受けています。通行止めの区間も発生しました。香取地区では甚大な被害にはなっていませんが、大きなクラックが入り、円弧滑り状の破壊が見られます。砂地盤の液状化が原因です。

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 そして、香取市役所と同じく利根下流河川事務所の建物周辺と敷地が大きな被害を受けています。

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  橋脚浮き上がり被災状況
  十間川と市役所の通りに掛かる小さな橋梁に異常が発生しています。
 液状化によって中央橋脚部が浮きあがっています。橋台も動き、損傷していますが、基礎から浮上しているのかどうかは確証を得られません。橋脚に残った痕跡から見ると浮き上がったようにも見えます。
  
 凸状に上がっている路面ですが、支障なく通行していました。

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 ぁ―輯崟遒糧鏈匸況
  小野川合流部から西へ歩きました。
 コンクリート矢板の上下移動や傾斜、倒壊が見られ、また噴砂の激しさがよく分かります。小野川と違って、河川としての役割は低い公園的な水路ですから、浚渫排土は最低限に施工されていました。
 
 なお、両側の住宅や建物が離れていたのが不幸中の幸いでした。

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  枚数が多くなってしまいました、ご容赦を。

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3.11東日本大震災 被災報告(7)液状化・・神崎地区 no.303

 香取市の隣町・神崎町天の川公園の紹介です。
 液状化被災の香取市と同じような現象がそのまま残っていたものです。
 
 前回紹介の小野川と同じ液状化、側方流動、噴砂の一連の現象です。

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 香取市小野川の震災直後の写真は上の写真を大規模にしたものでした。
 そこで、この神崎町・天の川公園地区を詳細に調べてみました。
 
 その結果は、香取市と全く同じ条件、利根川の旧河川敷にあります。

利根


地形図神崎



神崎古地図


神崎



神崎2



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 そして、千葉県が自慢してよい「地質環境インフォメーションバンク」から地質柱状図を拝借。

infobank


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 軟弱層が随分厚い地層であり、かつ、液状化しやすい砂層が柔らかい状態で上部に堆積しています。今回のような長時間の地震動には耐えきれないはずです。

 
 以下、被災状況写真を紹介します。
 周辺一帯の水田は軒並み液状化し、噴砂跡が残っていました。

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 水路の被災状況は以下の通りです。

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 また、施設も大きな被災状況でした。
 建物が残り地盤は沈下する・・・よくあるパターンになってしまいました。

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 なお、「こうざき天の川公園」は竹下登首相の時、ふるさと創生資金1億円(昭和63年〜平成元年)を使って造られたそうです。管理人さんもいて、ここまで継続し施設運営をしてきたもので、敬意を表します。

 追記。
 むかしの利根川がこの天の川公園あたりを流れていたという地元の人の話がありました。古くからの地元人は知っていますが、新しい住民は知りません・・・、これが問題です。近年の災害について回る重要な課題ではないかと感じます。
 
 『 土地のことは古老に聞け! 』
 このことの重要性を災害時に思い知らされます。

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3.11東日本大震災 被災報告(6)液状化・・香取市小野川地区 no.302

 利根川中下流域の沖積平野では、広い範囲に液状化被害が発生しています。
 印旛沼や手賀沼も同じ範疇に入ります。
 
 今回は、その中でも激しい被災をした小野川を紹介します。
 小野川というのは茨城県にもあり、そちらの方は大河川です。紹介するこちらの小野川は香取市内を流れる都市河川的な小河川です。
 
 まずは、yahooの航空写真から利根川と小野川を見てください。
 水田地帯に見えるところが軟弱な地盤状況にあります。

利根川


利根川2



香取


小野川2



小野川



 上に見るように小野川も利根川が形成した沖積地に含まれています。
 香取市は佐原と言い、水郷、小江戸の町並み、伊能忠敬の生誕地など観光の町でもあります。
 
 小野川には屋形船が浮かび、観光客を楽しませていました。

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 その小野川が甚大な被害を受けたものです。もともと、利根川流域はゆれやすさ度合いが高い地区です。防災マップと揺れによる被害写真を見ていただければ分かりますが、地震動による被災はそれほど大きくなかったのです。

ゆれやすさ


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 しかし、小野川下流域の被災は河川護岸と言うより周辺一帯の人家を巻き込んだ大規模なものでした。地割れは人家の庭や家屋内を走り、一列目だけではなく後ろの人家も壊滅的です。

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 防災マップの液状化予測は最悪レベルではないようです。

液状化マップ

防災マップ


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 なぜこれほどの被害が出たのか・・・、砂層の軟弱地盤であったと言うだけでは説明がつきません。この一帯に集中して液状化が発生しているのですから。
 
 そこで登場するのが地形図や土地条件図、古地図です。
 ボーリングの地質調査データは「千葉県地質環境インフォメーションバンク」にもありますが、ジャストポイントはありません。
 
 まずは、その資料類を並べてみます。

地形図香取


土地条件



古地図


 古地図を見て分かることは旧市街地は随分山側に寄っていたと言うことです。また、利根川の川筋が動いています。昔の人は危険な場所に家を立てませんし、住んだりしないものです。
 
 利根川改修で平坦地が広がった・・・、湾岸の埋め立て地と構造は同じなのです。
 軟弱な河川跡地を埋め立てて市街地が進出したというわけです。今回の香取市液状化範囲は古地図で見る旧河川敷内に当たります。
 
 そして、柱状図を見てください。
 A地点は小野川と国道356号線の交点にあたり液状化していません。砂層が薄いことと厚い粘性土に挟まれています。砂層はわずかに液状化したと思われますが、逃げ場がなく収まったと推定されます。

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 一方、B地点は十間川(小野川と同じく激しい液状化被災)のポイントで、砂層が厚く、表層の粘性土が非常に薄い状況です。このため、激しい液状化をしたものです。

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 さらに、被災状況写真です。
 被災直後には小野川の川底が道路面と同じまで盛り上がっています(通水断面確保のため、直後には中央部の浚渫排土を行っています)。
 液状化、側方流動、ボイリング(噴砂)が連続して発生したと考えられます。

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 なぜ、これほどまでの被災になったのか、簡単な模式図と地震波形を示し、この項を終わりにいたします。メモ書きですから説明は省略します。
 なお、地震動の振動時間が異常に長い・・・これが今回地震の大きな特徴です。

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波形気仙沼

波形千葉

 なお最後に、参考の資料は下記のサイトから借り受けました。
 
 農業環境技術研究所 歴史的農業環境閲覧システム 
 
http://habs.dc.affrc.go.jp/index.html 
 
 千葉県環境インフォメーションバンク
 
http://wwwp.pref.chiba.lg.jp/pbgeogis/servlet/infobank.index
 
 地形図 
 
http://watchizu.gsi.go.jp/index.aspx
 
 土地条件図 大地の解体新書
 
http://www.kanto-geo.or.jp/kaitai/
 
 内閣府防災情報
 
http://www.bousai.go.jp/oshirase/h17/yureyasusa/

   
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3.11東日本大震災 被災報告(5)津波・・飯岡地区 no.301

 千葉県で津波被災のもっとも激しかった地区です。
 津波は北方から来たわけですから影になっているような飯岡地区が甚大な被害を受けるというのは考えにくいことです。
 
 しかし、実際には茨城県の津波高さを優に超える7.6mという局所的な大津波が来たのです。東大:郡司準教授によれば、「浅海域に岬などが突き出ていて、その後背地にある都市は、屈折現象によって津波のエネルギーが集中して津波高が大きくなる」(日経コンストラクション2011.4.11)ということです。
 
 旭市飯岡地区の地理的な位置関係をYahooの地図で見ると津波の方向からは真裏に当たります。
 銚子で3.0m、飯岡漁港で3.4m・・・これは普通です。
 ところが矢指川でなんと、7.6mを示しています。

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 その理由は次の推論が成り立ちます。
 『 水流は深い海ほど抵抗が少なく速度が大きくなり、浅くなると速度は低下する。
 北から来た津波は銚子沖から九十九里に掛けての浅い海を右に、左には深い海に接することになる。
 すると、津波は進行方向の左右に速度差が出来、右にカーブを描くように方向を変える帯が出来る。遅くなった波に、さらに後から波が被さりエネルギーが集積して行く。
 
 その結果、飯岡の市街地から矢指川に掛けて局所的な大津波となった。また、津波は南から海岸線に直角に近い形で浸入している。』
 
 
 被災状況写真は西から矢指川、目那川、飯岡市街と紹介します。

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 ,泙彩雹慇邁聾部です。
 郡司準教授の7.6mがどのあたりか特定出来ませんが、広い範囲で海岸砂丘や護岸を乗り越えています。水産加工場の一階部分も大破、県道30号線より上流部もかなり被害を受けています。

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 なお、県道そばの海水浴場ですが、公衆トイレがあります。県道と同じ高さに建っている建物の内部、その洗面台には厚く砂が堆積していました。

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 ⊆,呂發辰箸盞磴靴被害を受けている目那川河口です。
 こちらは、矢指川と同じくらいの津波高さと推定されるほど、コンクリート護岸や矢板が破壊されています。人家の被災もかなり出ていました。

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 そして、県道より上流側の広い範囲の水田に海水が浸入しています。

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 最後は死者行方不明者を多数出した飯岡市街地です。

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 海岸の道路(県道30号線)がようやく選択規制で街にはいることが出来る状態になったばかりです。黙々とがれき撤去をされている地元の方々に言葉も掛けられません。
 
 
 なお、飯岡漁港よりも西側の方が甚大な被害を受けています。まずは、市街地から飯岡漁港方面を見ると5m以上の津波が来ればひとたまりもない風景に見えます。

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 そして、その痕跡は護岸上に設置されている金属製の手すりに残っています。
 あっという間に大波が乗り越えたことを示しているようです。

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 津波の襲来は家屋を全壊させ、旧県道方面にまで達したようです。車が逆立ちをしているものも何台も見かけました。
 本地区を歩いて言えることは、津波の猛威と東北各県の惨状がいかにすさまじいかということです。自然の猛威に対し、人間の無力さをつくづくと知らされます。

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 最後に、津波被害が一番大きいと予想していた銚子は、魚市場などへの浸水はありましたが大きな津波被害は発生していません。
 
 その代わり、犬吠埼の真裏に当たる名洗のマリーナが一掃されてしまいました。大きなヨットなどは倒された程度ですが、小さいボート類は流されてしまったとか・・・。
 
 こちらも参考に写真を載せます。

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3.11東日本大震災 被災報告(4)津波・・九十九里地区no.300

 報告が遅くなってしまいました。
 今回の被災地報告は九十九里地区の一回目です。
 
 九十九里海岸は北へ行くほど被害が大きくなっています。
 特に、河川部は津波の進入を容易にすることから、河川部だけではなく周辺にも大きな被害をもたらしています。
 
 まずは、位置関係から・・・。

九十九里


かわ


 
 南の方から紹介します。
 作田川と片貝漁港は施設そのものへの被害は微少でした。
 しかし、漁船の転覆や浚渫工事中の運搬船が上流へ大きく流されて大きな被害をだしています。

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 浚渫土運搬船は引き船の回航到着が遅れ、津波に巻き込まれたものです。毎年定期的に片貝漁港の浚渫を行っているとのことでした(銚子漁港事務所)。
 ガス管橋の橋脚を一本とばしてしまい、管路を切断しています。

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 運搬船はすでに解体撤去されています。
 
 
 次は木戸川ですが、こちらは河川堤防の破壊が大きく、内陸部への津波進入が顕著です。2km以上内陸の水田がやられていました。
 木戸川堤防と周辺の現状は以下の通りです。

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 そして、木戸川と栗山川に挟まれる蓮沼地区も大きな被災をしています。津波に抵抗する地形状況になかったことが被害を大きくしています。

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 この項の最後は栗山川河口の屋形漁港です。
 小さな防潮堤もなすすべなし・・・簡単にやられています。
 まずは全景から・・・船が見あたりません・・・。

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 そして、漁港裏の住宅には津波高さの痕跡が残っています。奥のお宅では玄関までの床下浸水で助かった・・・とおじさんが語っておられました。もう少し盛り土をしておけばよかった・・・と(高くしているお宅もありました)。

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 さて、防潮堤が倒壊しています。しかし、古い簡易なもので基礎部分も特に加工をされていないようです。昔の防潮堤にコンクリートを打ち増した、と言う構造です。
 これでは津波の圧力に負けてしまいます。ただ、この地区でこれほどの津波が来るとは誰も考えなかったかもしれません。

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 最後に一枚の写真をおまけです。
 2011.3.15に撮ったものですが、一宮町(九十九里海岸の南端地区)の海岸から1km内陸に立っている案内板です。

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 元禄時代を知る人は生きていませんが、こういう記憶はいつまでも生かして頂きたいものです。ただし、この高さがMAXというわけではないので念のため・・・大昔は「想定外」の高さもあったことでしょうから。
 
 自然災害を力で押さえようという考え方では人間に勝ち目はありません。まずは逃げること、そのための手法を考えたいものです。
 
 
 なおまたおまけ。
 東京湾内も水位が随分あがったようです。木更津港のボート係留地区です。

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3.11東日本大震災 被災報告(3)液状化・・浦安地区no.299

 東京隣接、交通の便は最高のベイタウン・・・高層マンションからの眺望は最高です。浦安市は不動産価値も千葉県内では最高クラスでした。
 
 その近代都市が思わぬ伏兵に苦しめられています。
 ハザードマップにも、また一般にも言われていたのですが、いざ発生してみると恐ろしい災害であることが分かったのです。
 
 その被災状況写真を紹介します。
 まずは3/17(木)、直後ではありませんが、風にあおられ砂漠状態・・・。

浦安市明海地先2


浦安市富岡地先5



 次は、3/23(水)の写真です。復旧工事も急ピッチで進んでおりました。とにかく、上下水道を使えるようにする工事です。本格的な復旧工事は後にして仮復旧が先となります。

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 3/23(水)の被災現場写真は次のとおりです。

浦安


浦安9



浦安2




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浦安3



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浦安4



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 近代に入ってから埋め立てた海岸の土地は全国同じような条件を抱えています。元々の地盤は海浜の細砂やシルトを主体とした地層のため、液状化しやすいものです。また、埋め立てた土砂も浚渫土と山砂が多く、地下水位以下にあればどうしても液状化してしまいます。
 
 たまたま、地震発生前の2月、浦安海岸の護岸検討の一環として対象となる砂層の粒度試験を実施していました。3試料のデータしかありませんが、参考にはなりそうです。
 
  ┸偲截苅蹇 嶌什じり粘性土(シルト)」
 ◆┸偲截苅蹇 嶌充素汗土(シルト)」
 ;深度4m 「細粒分質砂(微細砂)」

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IMG_0001


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 むかしシルトは液状化しにくいとされていましたが、今回の浦安は、最近の研究通り激しく液状化したものです。

 噴出してきた砂は粒径のそろった形で見られますが、シルト分は噴出水とともに流失したものと考えられます。また、風によっても運び去られています。

浦安5



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 なお、都市のライフラインの重要性は寸断されて初めて体で理解できるものです。普段全く考えない災害について徹底して論じるよい機会ではないかと感じます。今後、現況復旧ではなく、よりよい形の復興を成し遂げたいものです。
 
 
 浦安には東京ディズニーランドがあります。この施設は、駐車場などの広い場所を除き、地盤改良を行っていました。被害も最小限に出来て早期の再開を果たしています。液状化現象も、投資をすればある程度は押さえられます。
 
 しかし、一般の個人住宅ではなかなか難しいことです。道路についてもすべてを地盤改良するだけの予算措置は不可能です。と言うことは、災害を完全になくすという発想から、被災を少なくする工夫と、被災への事後対応をしっかり作っておく方が現実的です。
 ハード面で災害を押さえ込むのではなく、ソフト面での整備をしておくことが重要ではないかと考えます。その意味では、現在の法的な整備は中途半端であると聞きます。
 
 知識人やリーダーたちの見識に期待したいと思います。
 
 
 なおまた、原子力発電のあり方も、推進ありきの強引なものだったのかもしれません。責任が一企業に行くようなお粗末な幕引きはして欲しくないのです。誰が主導したのか、知る人は知っている・・・と考えます。
 
 社会の基礎基盤を担う各種組織は襟を正し、真剣にその役割を担う必要があります。われわれ土木の業界もまったく同じです。

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3.11東日本大震災 被災報告(2)液状化・・船橋地区no.298

 液状化という言葉がこれほどメジャーになるものか・・・地震災害の時、必ず発生する自然現象です。
 
 この液状化という現象が土木・建築関係者に衝撃を与えたのは昭和39年(1964)6月、新潟地震の時でした。がっしりとした箱状のアパートが転倒し、また大きな橋が落橋するなどの大被害をもたらしたものです。
 
 その後、研究は進歩し、基準や指針も対応策も発展しています。
 しかし、構造物に対する対策を行うことは普通となりましたが、埋め立て地全体を改良することは不可能なことです。お金がいくらあっても足りません。
 
 今回の巨大地震は東京湾岸の千葉県側に甚大な被害を及ぼしました。液状化現象のもっとも厳しい被害を受けたのが浦安市です。テレビや新聞で大きく報道されており、一度は見られたことと思います。千葉市側も幕張メッセを中心とした埋め立て地がやられています。

湾岸



 今回は、少し専門的な用語も出しながら液状化現象について船橋海岸を紹介します。
 
 船橋市は海岸寄りの地区で噴砂がたくさん見られました。道路や駐車場の沈下は液状化によるものです。風が吹くと砂漠のような状態がしばらく続きました。

船橋


 現在は砂の片づけが終わり、道路や構造物の修復待ちの状態です。

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 さて、ふなばし三番瀬海浜公園の道路を挟んだ反対側の空き地に液状化現象噴砂跡を発見しました。全くそのままの状態です。地面の割れ目に沿って噴砂したもので、模式的な形状をしています。

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 さて、液状化現象とはなんでしょうか・・・
 簡単な説明は<ウィキペディア>の記事を。
 【 液状化現象(えきじょうかげんしょう)とは、地震の際に地下水位の高い砂地盤が、振動により液体状になる現象。これにより比重の大きい構造物が埋もれ、倒れたり、地中の比重の軽い構造物(下水管等)が浮き上がったりする。単に液状化(えきじょうか、liquefaction)[1]ともいう。 】で、いかがでしょうか。
 
 ただし、噴砂(ボイリング)については上記の説明では不足です。
 
 そこでまた、<ウィキペディア>の記事を。
 【 下層の地盤が砂質土で表層を粘土質で覆った水田等で液状化が起きた場合は、液状化を起こした砂が表層の粘土を突き破り、水と砂を同時に吹き上げるボイリング(噴砂)と呼ぶ現象を起こすことがある。1964年の新潟地震では県内の各地でボイリングが観測された。】
 と言うことで、液状化した層が過剰間隙水圧(一時的な高い圧力)を発生し、逃げ場を求めて噴出してくると理解して頂く方がわかりやすいかもしれません。
 逃げ場で一番近いのが地表面というわけです。都市部の場合は舗装やコンクリートが地面にふたをしていますからその隙間や舗装を破壊して噴出してくるわけです。
 
 噴砂直後の周辺一帯は一面の海となります。砂は水と同じように動き、粒子が大きくて重いものが噴出口近くに堆積し、軽いものは遠くへと流されます。今度は護岸近くの噴砂跡をもう一度見てください。

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 公園から海岸の護岸近くに行くと同じような液状化現象が異なる被害をもたらします。がっしりとした構造物も、支えている地盤そのものが流動化すると変状を来してしまいます。構造物は、支えのない方向に動く・・・ごく当たり前の変位をするのです。
 
 まずは、この付近の液状化現象はこのようになっています。

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 護岸から遠いと公園近くの噴砂と同じですが、護岸に近い場所では地割れを起こし、構造物を押し出す動きとなっているようです。この場所では地割れの深さが最大60cm、延長は30m位でした。
 
 この水平方向への砂の流動(側方流動)が護岸構造物を押しだし、また液状化による噴砂で地盤に空隙が生じて地盤や構造物の沈下を起こしています。
 
 以下、船橋港護岸(大型ブロック積み擁壁・トライアン型)の被災状況を紹介します。
 明らかに護岸が張り出し、また傾いているのが分かります。

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 さらに、護岸裏のコンクリート舗装は液状化現象によってがたがたの状態です。もちろん、大きな空洞も発生しています。

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 最後は、破壊の激しい場所です。

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<ウィキペディア>記事
 液状化のプロセス [編集]
緩詰めの砂粒子が振動によって液状化する様子(模式図)砂を多く含む砂質土や砂地盤は砂の粒子同士の剪断応力による摩擦によって地盤は安定を保っている。このような地盤で地下水位の高い場所若しくは地下水位が何かの要因で上昇した場所で地震や建設工事などの連続した振動が加わると、その繰り返し剪断によって体積が減少して間隙水圧が増加し、その結果、有効応力が減少する。これに伴い剪断応力が減少して、これが0になったとき液状化現象が起きる。この時、地盤は急激に耐力を失う。また、この時間隙水圧は土被り圧(全応力)に等しい。この状態は波打ち際などで水が押し寄せるまでは足元がしっかりとしていても水が押し寄せた途端に足元が急に柔らかくなる状態に似ている。また、雨上がりの地面 を踏み続けると、地面に水が吹き出てくる状態にも似ていると言える。

地震や建設工事などで連続した振動が砂地盤等に加わると前記の液状化現象が生じる場合があり、地盤は急激に支持力を失う。建物を地盤に固定する基礎や杭の種類は地質や土地の形質に合わせて多種にわたるが礫層や岩盤等の適当な支持層に打ち込む支持杭と異なる摩擦杭等では建物を支えていた摩擦力を失い、建物が傾く不同沈下を生じる場合がある。重心の高い建物や重心が極度に偏心した建物ではより顕著に不等沈下が生じ、阪神・淡路大震災による中高層建物のように転倒・倒壊に至る場合がある。

地震に伴って液状化が発生しうる地点の震央距離R(km)とマグニチュードMの関係はlogR=0.77M-3.6 で表す事が出来る[2]とされている。


 また、より詳しい解説を知りたい方は、吉見吉昭氏 東工大名誉教授の記事をどうぞ。

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3.11東日本大震災 被災報告(1)津波・・釜石地区no.297

 一ヶ月近くの休稿でした。
 3.11東日本大震災から一ヶ月を過ぎています。
 
 被災された方々、死亡された方々、行方不明の方々に深く哀悼の意を表させて頂きます。一日も早い震災復興を願わずには居られません。
 
 まさに、未曾有の大災害というこの現実に、落ち着きを取り戻す余裕すらありませんでした。北は北海道から南は神奈川県まで被災し、何という広いエリアでしょうか、自然の脅威にただただ驚き、畏敬の念を覚えてしまいます。
 
 今回はまた、福島原発が天災と言うより人災に近い形でくすぶっています。周辺住民の方々や世界に与える影響はそれこそ甚大です。こちらは出来るだけ早い収束を願いたいものです。

20110311144600_acmap

 
 さて、
 千葉県も大きな被害を受けており、その結果も整理して報告をいたしたいと考えてきました。
 
 東北三県や茨城県の被災地から比べると比較的浅いとはいえ、東京湾岸の埋め立て地は都市の弱点をさらすことになってしまいました。また、東部九十九里海岸では想定外の大津波が押し寄せており、13人の死者(行方不明者2人)を出しています。さらに、利根川周辺の軟弱地盤では激しい液状化が発生し、死者こそ少なかったのですが、壊滅的な被災を受けています。
 
 こうした千葉県の被災状況を土木の風景として少しずつ紹介してゆく予定です。次の地図におおよそのエントリー予定場所を記入してあります。回数は未定です。

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 ただし今回は、第一回目ですから千葉県ではなく、釜石市の被災状況写真をエントリーしました。仲間が釜石出身のため、3/19(土)から一時帰郷していたものです。自宅も大破、町全体がやられています。親類の方もなくなっています。
 
 
 リアス式海岸の弱点は津波が二倍三倍になるという地形構造です。近代的な防潮堤も効果が少なかった自然の威力でした・・・。
 
 震災当日から約10日経過している写真です。
 解説は無しにしてエントリーすることにしました。
 
 水位や死亡者発見箇所、場所については写真の中に注記をしています。
 釜石市の中心街です。
 
かまいし



釜石市



kamaisi



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 なお、最後に
 昨日(4/13)には、新日鐵釜石が操業再開といううれしいニュースが流れていました。
 震災復興に向けて元気を出して頂きたい釜石の町・・・。

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