2016 1.15 kasugayama 055皆様方あけましておめでとうございます。
昨年中は多くの皆様方に、大変お世話になりまして誠にありがとうございました。

いよいよ新たな令和3年の幕開けです。
今年こそは気持ちを新たにし、より良い年にしたいですね。ただ残念ながら未だに新型コロナの猛威は収束するめどが立っていません。そんな中でも、われわれの心までは侵されないように気持ちを強く持っていきたいと思います。

さてここ1~2年、特に昨年度から上杉謙信公の人気が急上昇しています。
昨年末、ネットのあるサイトで戦国武将人気投票が約1カ月間行われました。その結果が年明けに公表されました。なんと上杉謙信公がダントツの第1位に輝きました!1,000票を超える圧勝でした。
今までは、織田信長や豊臣秀吉・伊達政宗・真田幸村などが上位を独占していましたが、ここ1~2年特に昨年度から上杉謙信公の人気が急上昇してきています。

スクリーンショット (48) 全世界を虜にしている日本の至宝・羽生結弦選手が、昨年末の全日本選手権大会で上杉謙信公の大河ドラマテーマ曲「天と地と」を選曲し、鳥肌が立つような圧倒的パフォーマンスで劇的勝利を飾りました。
羽生結弦選手は、「背景に謙信公の精神性や芯の強さがあった」とコメントをされていました。

現代の超一流選手である羽生選手がリスペクトする、上杉謙信公の精神性は、混迷する現代の人々の心の琴線に触れるのでしょう。

 ここで上杉謙信公をよく知らない方々に、多くの現代人を魅了する謙信公の精神性・哲学・生き方について少しお話ししたいと思います。

 上杉謙信公は群雄割拠する戦国時代に越後・上越市に生まれ、関東一円にわたり活躍し、二度の上洛を果たし関東管領にまで上り詰めました。
 戦国時代とは力のある者がのし上がっていく、まさに下剋上の時代でした。多くの戦国武将は領土を拡大することを至上命題にかかげていました。甲斐の武田信玄公もその一人です。しかし上杉謙信公は戦国最強でありながらも決して私利私欲の戦いはせず、領土拡張もしませんでした。27年「GACKT謙信公祭」 312
 謙信公は戦国武将でありながら、一方で真言宗と曹洞宗に帰依する僧侶でもありました。幼いころより林泉寺で仏教の神髄を学びました。

 現代の言葉でいうとまさに『ヒューマニズム』(人道主義)を実践した人物と称してよいと思います。人が人を忘れた戦国時代に、「義」という信念を人一倍大切にした人です。現代でもなかなか出来ないことです。

 例えば、当時の城下(直江津)町に、応化橋(おうげのはし)が一つだけありました。当然ながら橋を渡る通行料を取る有料の橋でした。しかし謙信公は、目の見えない者・身体に障害のある者・身分の著しく低い者・そして僧侶からは、絶対に通行料を取ってはならぬ、と厳命しました。
 身分の低い民や百姓を虫けらのように粛清した戦国武将もいた時代に、謙信公は規格外の対応をしていました。そしてその者たちを自活させるために、春日山城の普請工事を与えました。現代でいうダイバシティ社会の先駆けを行っていたといっても過言ではありません。
P1080557
 また謙信公は戦国武将の中でも有数のお金持ちでもあったといわれています。そのドル箱だったのが「青苧(あおそ)」です。当時の着物の主たる原料ですが、カラムシともよばれ全国どこにでも自生するものです。
 越後の主たる産業は他にもいくらでもありました。金山・銀山、米(本格的には明治に入ってからですが)、そして清酒も謙信公の時代に精製酒が完成したといわれています。
 ではなぜ、青苧にしたのか? ―答えは、女性の地位向上のためといわれています。
 越後では冬、男は出稼ぎに行く一方で、雪国で女性はまったく仕事の糧とならずその地位は低く、人格すら認められない状況でした。謙信公は、先述したように社会的弱者が蹂躙される社会はあってはならないという主義です。お母さんの虎御前が観音様信仰に深く帰依していたのも影響しているようです。
青苧を主産業とすることで、手先の器用な女性が得意とする機織り・染物・縫製などでその地位を向上させました。しかも青苧を機織りから縫製まで一か所でさせず、村から村へ移動させて完成品にすることで、越後国内の全経済を潤わせる政策を展開したのです。経営者としても卓越した才能があったといえます。

 甲斐の武田信玄公とは、川中島で5回も相まみえた宿敵でした。
しかしそんなライバルであっても、塩封鎖され困窮しているとき、いわゆる「情けの塩」を送ったのです。逸話といわれていますが、歴史資料にも出てきます。
ただし無償で塩を送ったのではなく、便乗値上げをすることなく適正な価格で販売したという事実です。(上杉家研究に詳しい乃至政彦氏の所見でも述べられています)しかしあの時代に適正価格で販売することは異例中の異例でした。現代のコロナ時の品薄状態だったマスク価格でもわかりますよね。
 そして武田信玄公が亡くなる寸前、信玄公は息子の勝頼を呼び「わしが死んだら越後の謙信を頼るのだぞ」と言い残して去ります。(甲陽軍鑑に記載)
 またもう一人のライバル・北条氏康からも「謙信だけは最後まで義理を貫き通し、信頼できる唯一の武将」と敵将からも絶賛されています。(名将言行録に記載)

 戦国最強の武将でありながら領土欲をもたない。きっと他の武将から、上杉謙信公はミステリアスな存在に感じたことと思います。
 そんな上杉謙信公でも、人間臭く、苦悩したり葛藤したこともありました。
 次の後編では、人間・上杉謙信公について語っていきます。

 (後編へつづく)