4月27日(土)上越市市民プラザにて4月例会を開催しました。乃至政彦氏
今年度第2回目の例会となりましたが、遠方は阿賀野市よりご参加いただいた方もいらっしゃいました。本当にありがとうございました。

 第1部は「謙信公ファンが望む春日山の通年観光~拠点施設について~」と題して、会長の私石田よりプレゼンしました。
 第2部は、歴史家の乃至政彦氏をお迎えし「上杉景勝の義の精神」と題して記念講演会を行いました。
 
 上越市の通年観光が市内で話題になっておりますが、当会では前回2月第1例会で通年観光についてのシンポジウムを開催し、核心に迫る内容で盛況のうちに終了しました。
 特に焦点になったのが、上杉謙信公の名前を冠した拠点施設についてです。当会では独自に「謙信公ミュージアム」という成果物の名称を従来から用いて、その内容にも言及してきました。
 今回は上越観光のフラッグシップとなるこの拠点施設の建設場所や内容にフォーカスして、提言内容をプレゼンさせていただきました。

乃至政彦氏観光庁が採択事業として採択した「春日山城の復元」は、残念ながら再現が困難という結論になりました。元来、春日山城の図面も不明なことから当初から不透明な雲行きであることは感じていましたが…。
また、謙信公時代の遺構とそれ以降の遺構を精査して取り組む配慮も今後求められるのではないでしょうか。
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 いずれにしても謙信公祭100回記念、謙信公生誕500年祭も目前に控え、春日山エリアに観光振興を傾注していることは千載一遇のチャンスであります。
 なかでも観光拠点施設となるハコモノに、全国の謙信公ファンの熱い期待がかけられていることは事実です。当会がその謙信公ミュージアムのモデルとかかげる岐阜県・関ケ原古戦場記念館に視察に行ってきたことを報告ならびに提言をいたしました。
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 関ケ原と春日山は歴史的に重要な場「プレイス」という意味では重なります。
 謙信公が生涯にわたり戦へ出陣した防衛拠点でもあり、義の心を紡いだ聖地でもある唯一無二の場所、それが春日山です。ぜひ、拠点施設からその春日山を一望できる展望室をつくってもらいたいことをあげました。関ケ原記念館は5階建ての展望室から関ケ原を360度パノラミックに眺望できます。
またVR施設も完備、レストラン土産エリアも充実した施設を完備していました。

 そして最後に「もし謙信公が現代に再生したならば…」として会長の私からひとこと。
 謙信公はきっと『わしを神格化するでない。義の心を皆の心に伝え、豊かな社会をつくってほしい』と言うでしょう、と話しました。
 春日山そして上杉謙信公の最大の遺徳は、戦乱の中でかかげた「義の心」こそが燈明であり、真の宝です。新たに出来る観光拠点施設は「義の心」を感じることが出来る施設であってほしいと思います。

 第2部は、人気歴史家・乃至政彦氏をお招きし記念講演会を行いました。乃至政彦氏
 演題『上杉景勝の義の精神』と題してご講演いただきました。
 乃至政彦先生は昨年も当会4月例会でご講演いただきました。今回は3回目となります。
 戦国史はじめ上杉家や上杉謙信公などの研究では随一で、新進気鋭の歴史家です。テレビ出演ではNHKBS「武将温泉」「歴史秘話ヒストリア」、ご著書も「上杉謙信の夢と野望」「謙信越山」「戦国大変」など多数のぼります。その豊富な知見と緻密な歴史検証は高く評価されています。

 今回は謙信公の跡を継いだ上杉景勝の真の姿についてお話しいただきました。
 上杉景勝は謙信公の死後、三郎景虎と御舘の乱があり勝利して後継者となりました。その活躍の裏には直江兼続の貢献があったといわれています。
 直江兼続はNHK大河ドラマ「天地人」で有名でもあります。その一方で上杉景勝は寡黙な武将として知られ、あまり表舞台には出てきませんでした。

 しかし乃至先生のお話しでは、イメージと全く違う景勝の姿が浮かび上がりました。若い時の景勝はとても快活で、明るい青年だったとのことです。
 景勝の生涯は波乱に富んでいました。謙信公の甥っ子として、少年期から謙信公の采配のそばで付き添っていた経緯があり、謙信公の帝王学を肌で感じてきた唯一の継承者でもあります。しかし御舘の乱後、敵味方に分かれ身内でさえも敵になるという試練を体験します。

IMG_7802 そして謙信公死後、豊臣政権下では景勝の器量を買われて五大老の地位に昇りつめます。しかし秀吉の死後、徳川家康が台頭をあらわし幾多の理不尽な所業を目の当たりにし、家康に対して敵意をあらわにしていきます。
 乃至先生は、この様々な修羅場をくぐりぬけてきた経験から景勝は「寡黙」な性格になっていたのだろうと推察。
 そして関ケ原のきっかけとなった有名な「直江状」に言及しました。
この直江状は、あくまでもプライベートな手紙であり家康本人へ兼続が出したものとは到底思えない(史実から)。家康側近の僧侶とのやり取りの手紙であることがわかっています。
 実は関ケ原のきっかけを作ったのは直江状ではなく「景勝状」であろうと推察しました。
景勝が家康に対して出した手紙で、相当な敵意をむき出したものではなかったか?その証拠に、当時の宣教師であるルイス・フロイスが残したものに「景勝が内府(家康)はものの数ではない!」と申したという記録があることを披露。それが、景勝状につながったのではなかったかとお話しされました。

 景勝はまさに家康と「一戦まみえる覚悟」であったと乃至先生は推察しました。
 幻の巨大な神指城を築城する予定であったことがわかっていますが、多くの浪人を集めていたことも有名です。かの有名な前田慶次郎も景勝のもとに駆け付けています。
 そんな景勝は「論語」にとても傾倒していたとのことです。
 息子定勝に論語をつよく推奨していたことがわかっています。「まずは実行して、考えをのべなさい」「饒舌なのは信用がならない」など、孔子の言葉を重んじていたようです。
これは謙信の晩年、謙信公が高野山へ多額の寄付をした際に「現世に名声を求めてのことではない」と伝えている姿を景勝が見ていたことも影響しているのでは、とのお話しでした。

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 最後に、謙信公ミュージアムへの抱負についてお話しいただきました。
乃至先生は「地元で謙信公の遺徳を顕彰し、拠点施設ができるのはすばらしいことです。特に謙信公は知名度と実績は他の武将と違い、圧倒的で次元を超えています。」
「謙信公は日本中のあらゆる階層と深い関りがあります。様々なジャンルにオープンなコラボを展開する、いわゆる敵に塩を送る精神を基底することが可能です」としたうえで、

「謙信公が後世に求めるのは、自分への賞賛ではなく、義の精神を意識する人々が、より豊かな世の中を作っていくことではないでしょうか。」
「謙信公が大切にしてきた人間の『心』を継承すること。これを第一義に考えることで、ミュージアムの未来を開いていけるのではないかと考えます」

 そして春日山城復元についても言及されました。
「復元を望む声も聞きますが、かなりハードルが高いです。もし作るのであれば、近くの別の山の上に模擬の天守『実城(みじょう)』ドラマや映画などに出てくるモデルのようなものを復元して、みんなが望む春日山城とする方が良いと思います。これなら両方のファンも満足、皆了満足されるはず」と話されました。

 最後の質疑応答では、やはり「春日山城の復元」についての質問や、謙信公が「第一義」とだけ抜粋した理由、「愛のかぶと」は実は謙信公のかぶとだったなどについて多くの質問が出ました。
 また会員報告では永見顧問から、加賀市との参勤交代うぉーくについて加賀市との交流の報告がなされました。会員の高津さんからは、滝川毘堂作の木造の謙信公座像を持参していただき披露致しました。

 以上、あっという間の例会でしたが盛況のうちに終了しました。乃至先生本当にありがとうございました。またたくさんの皆様にご参集いただきましてありがとうございました。今後とも当会の活動をどうぞよろしくお願いいたします。IMG_9376