1月11日は「塩の日」ということをご存知でしょうか?
なぜ、この日が塩の日か?というと「敵に塩を送る」故事で有名な、上杉謙信公が武田信玄公へ塩を送った日にちなんで制定されたそうです。
1569年(永禄11年)1月11日、武田信玄公が今川氏と北条氏から塩封じをされて困窮しているのを見かねて、謙信公が越後から塩を送った(正規価格で販売)というのがこの逸話のもととなっています。
ただ、あまりの美談なので、はたして本当にあった事実なのかどうかを疑う記事等が多いです。
しかし、当会の例会で講演いただいている歴史家・乃至政彦氏の著書「謙信越山」に『敵に塩を送る史実性』と題して記述されています。(以下、著書より抜粋記載)

「安心してほしい。この逸話は物語でなく史書に伝えられてきたものである」と明記。
「享保5年に片島武矩の『武田三代軍記』に、「塩止上杉謙信書通之事」と題する項に塩送りの逸話があり、このときすでに謙信の塩の値上げを規制する筋書きとなっている。
なお「謙信公御年譜」にも塩の値段を規制する内容となっている。
いわゆるこの謙信公御年譜は、上杉家内部のみで閲覧するための公式文献なので民間に流通することはない。なので片島武矩が上杉御年譜を参考に書いたとは考えられない。
さらに調べると、より古い文献がみつかった。山鹿素行の言葉を書き残した『山鹿語類』である。
この『山鹿語類』において、塩送りの話しを「風流」の項に入れた。(原文より抜粋)」
乃至政彦氏の著書に書かれている内容が、やはり真実であろうと思います。
前置きをしておきますが、謙信公は無料(タダ)で塩を送ったのではなく、決して値上げをせず正規価格で販売したというのが事実です。
しかし正規価格で販売というのは驚くべきことなのです。みなさまコロナ禍でマスクが不足したことを覚えていると思いますが、あの時はマスクが通常価格から2倍から3倍で販売されていましたね。
しかもこの塩封じをされた当時の山梨県では、かなりの死亡者が出たとの記録があります。ビジネスの世界では消費者の足元をみて儲けるのがセオリーですが、人の弱みをみてつけこまないのが義の心ではないでしょうか。
このとき謙信公も悩んだようで、林泉寺の益翁宗謙和尚に相談したとの逸話もあります。
この塩送りの爪痕として、今でも残る松本市の「あめ市」、「牛つなぎ石」、「北から来た旅人には道を譲れの風習」などが残っています。武田信玄公も謙信公へ備前長船一文字の名刀「弘」を返礼品として贈っています。

武田信玄公が臨終の間際に、息子・勝頼を呼んで「わしが死んだら、越後の謙信を頼れ」と遺言しました。
天才マーケター・森岡毅さんも昔から上杉謙信公ファンだといいます。
本物のリーダー、器の大きい人間は多くの人々の心をつかみます。それは、カネやモノではありません。なお上杉御年譜には、ひとつも塩を送ったことを恩に着せるなど、ひけらかす記述はみられません。まさにそこが「風流」というものなのでしょう。現代ならば「粋(いき)」と言うのかもしれません。
「敵に塩を送る」故事の本当の価値とは、そこにあるのだと思います。
現代人にこそ、謙信公の本物の「義の心」の価値に気づくことが必要なのかもしれません。

なぜ、この日が塩の日か?というと「敵に塩を送る」故事で有名な、上杉謙信公が武田信玄公へ塩を送った日にちなんで制定されたそうです。
1569年(永禄11年)1月11日、武田信玄公が今川氏と北条氏から塩封じをされて困窮しているのを見かねて、謙信公が越後から塩を送った(正規価格で販売)というのがこの逸話のもととなっています。
ただ、あまりの美談なので、はたして本当にあった事実なのかどうかを疑う記事等が多いです。
しかし、当会の例会で講演いただいている歴史家・乃至政彦氏の著書「謙信越山」に『敵に塩を送る史実性』と題して記述されています。(以下、著書より抜粋記載)

「安心してほしい。この逸話は物語でなく史書に伝えられてきたものである」と明記。
「享保5年に片島武矩の『武田三代軍記』に、「塩止上杉謙信書通之事」と題する項に塩送りの逸話があり、このときすでに謙信の塩の値上げを規制する筋書きとなっている。
なお「謙信公御年譜」にも塩の値段を規制する内容となっている。
いわゆるこの謙信公御年譜は、上杉家内部のみで閲覧するための公式文献なので民間に流通することはない。なので片島武矩が上杉御年譜を参考に書いたとは考えられない。
さらに調べると、より古い文献がみつかった。山鹿素行の言葉を書き残した『山鹿語類』である。
この『山鹿語類』において、塩送りの話しを「風流」の項に入れた。(原文より抜粋)」
乃至政彦氏の著書に書かれている内容が、やはり真実であろうと思います。
前置きをしておきますが、謙信公は無料(タダ)で塩を送ったのではなく、決して値上げをせず正規価格で販売したというのが事実です。
しかし正規価格で販売というのは驚くべきことなのです。みなさまコロナ禍でマスクが不足したことを覚えていると思いますが、あの時はマスクが通常価格から2倍から3倍で販売されていましたね。
しかもこの塩封じをされた当時の山梨県では、かなりの死亡者が出たとの記録があります。ビジネスの世界では消費者の足元をみて儲けるのがセオリーですが、人の弱みをみてつけこまないのが義の心ではないでしょうか。
このとき謙信公も悩んだようで、林泉寺の益翁宗謙和尚に相談したとの逸話もあります。
この塩送りの爪痕として、今でも残る松本市の「あめ市」、「牛つなぎ石」、「北から来た旅人には道を譲れの風習」などが残っています。武田信玄公も謙信公へ備前長船一文字の名刀「弘」を返礼品として贈っています。

武田信玄公が臨終の間際に、息子・勝頼を呼んで「わしが死んだら、越後の謙信を頼れ」と遺言しました。
天才マーケター・森岡毅さんも昔から上杉謙信公ファンだといいます。
本物のリーダー、器の大きい人間は多くの人々の心をつかみます。それは、カネやモノではありません。なお上杉御年譜には、ひとつも塩を送ったことを恩に着せるなど、ひけらかす記述はみられません。まさにそこが「風流」というものなのでしょう。現代ならば「粋(いき)」と言うのかもしれません。
「敵に塩を送る」故事の本当の価値とは、そこにあるのだと思います。
現代人にこそ、謙信公の本物の「義の心」の価値に気づくことが必要なのかもしれません。
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