コペルニクスは惑星退行という特異現象を、太陽が地球のまわりを回っているとする天動説では説明できないことに気が付き、180度発想を転換して、地球が太陽の周りを回っていると考えれば易々と説明がつくことを発見した。
アンノー君は28歳の頃、模型吹雪風洞実験で、従来定説となっていた模型の風速は地形模型縮尺のルートになる、すなわち100分の1の地形模型なら模型風速は10分の1となる、すなわち実物で風速が10メートル/Sなら、風洞内模型風速は1メートル/Sになるという学説では、模型現象を説明できないという現実に直面し、思考を重ねた結果、模型の設定風速は地形模型の縮尺には関係なく一定であるというANNO模型理論を完成した。従来からの定説をおシャカにして、新説を固定化したわけである。これも発想の転換である。この時アンノー君は既存吹雪学会からいじめられた。
アンノー君は36歳の頃、戦勝国であるアメリカが、自発的外人部隊のように敗戦国日本を守り、敗戦国であるはずの日本が戦勝国アメリカにに金を貸して利息を貪っている、日本製品に押されてアメリカの労働者が失業に追い込まれているという現実は従来の戦勝国敗戦国という枠組みでは説明できないことに気がついた。 そこでアンノー君は得意の発想の転換を行った。その結果、戦勝国は日本で、敗戦国はアメリカであると仮定するなら、上記の矛盾はすべて説明がつくことを発見した。アメリカは表向きの戦勝国で実質敗戦国、日本は表向き敗戦国で実質戦勝国であると規定すればすべてを説明できる。
原爆投下が昭和天皇に対して、まだ負けてもいない戦争、すでにアジア解放という戦争目的を達成している戦争を、核戦争から人類を救済するため、負けたことにするという決断に至らしめた。そのため、勝敗が表向き逆転し、勝敗の捻れが生じたのである。いくら負けた振りをしたとしても、歴史結果まで誤魔化すことは出来ない。反植民地主義、人種平等という戦後世界体制は実質戦勝国である日本によって成し遂げられた。この説を歴史事実の論理的解析によって証明し発表したが、この時もアンノー君は既存・宴会・自己満・老害保守からいじめられた。アンノー君はいつもいじめられている。
アンノー君は36歳の頃、戦勝国であるアメリカが、自発的外人部隊のように敗戦国日本を守り、敗戦国であるはずの日本が戦勝国アメリカにに金を貸して利息を貪っている、日本製品に押されてアメリカの労働者が失業に追い込まれているという現実は従来の戦勝国敗戦国という枠組みでは説明できないことに気がついた。 そこでアンノー君は得意の発想の転換を行った。その結果、戦勝国は日本で、敗戦国はアメリカであると仮定するなら、上記の矛盾はすべて説明がつくことを発見した。アメリカは表向きの戦勝国で実質敗戦国、日本は表向き敗戦国で実質戦勝国であると規定すればすべてを説明できる。
原爆投下が昭和天皇に対して、まだ負けてもいない戦争、すでにアジア解放という戦争目的を達成している戦争を、核戦争から人類を救済するため、負けたことにするという決断に至らしめた。そのため、勝敗が表向き逆転し、勝敗の捻れが生じたのである。いくら負けた振りをしたとしても、歴史結果まで誤魔化すことは出来ない。反植民地主義、人種平等という戦後世界体制は実質戦勝国である日本によって成し遂げられた。この説を歴史事実の論理的解析によって証明し発表したが、この時もアンノー君は既存・宴会・自己満・老害保守からいじめられた。アンノー君はいつもいじめられている。
著者経歴
氏名:安濃 豊(あんのうゆたか)
1951年12月8日午前2時(真珠湾攻撃から丁度10年後)札幌にて誕生
1962年4月11日(10歳と4ヶ月)深夜
知らない初老の紳士が亡霊として枕元に立つ。(20年後、その亡霊が雪氷学者 中谷宇吉郎であったことを知る。4月11日は中谷の命日)
1967年4月
道立札幌北高校入学
1968年4月
物理学教師疋田裕先生に師事、疋田氏は北大理学部物理学科、低温研出身で中谷宇吉郎の弟子。
1975年3月
北大農学部農業工学科卒業
1975年4月
内閣府(北海道開発庁)キャリア
1976年12月
吹雪風洞実験法・理論を世界で初めて実用化。
1978年5月
黒岩大助北大低温研所長に師事。黒岩氏は中谷宇吉郎の弟子。
1982年2月
10歳の時枕元にたった初老の亡霊が中谷宇吉郎であったことを雑誌ニュートンの特集により知る。直ちに黒岩先生に報告。中谷は吹雪実験のための風洞を未完のまま残置して死去したことを知る。
1985年5月
北大農学部に残置された中谷宇吉郎制作の風洞実験装置を吹雪風洞に改良。
1985年6月
米国CRRELへの赴任が決まり、中谷宇吉郎の自宅(東京 原宿竹下通り近く)を訪問、中谷の霊前に報告。
1985年8月
米国陸軍寒地理工学研究所(CRREL)研究員
吹雪風洞実験法・模型理論を米軍に供与するため、米陸軍より招聘され渡米。CRRELは中谷宇吉郎がマッカーサー将軍の依頼を受けて設立した、米国版”北大低温研”。
1985年8月
ニューハンプシャー州立大学土木工学科研究員
米国陸軍が安濃の研究就労ビザ取得を容易とするため、大学に研究ポジションを創設し、陸軍と兼務とする。招請窓口となったマルコム・メラー博士は中谷宇吉郎の弟子。
1986年6月
北大農学部より農学博士号取得:博士論文「邦訳;吹雪模型実験による農業施設の防雪」全英文)、学位担当教授は北大理学部物理学科出身で中谷宇吉郎の弟子。
1986年11月
米陸軍参謀長 ウィッカム大将が安濃が制作した吹雪風洞施設を視察、重要研究に指定。
1987年2月
参謀長視察後、研究所内での人種差別、嫌がらせが酷くなり、それに嫌気がさし帰国。対米開戦はこの人種差別が原因であるとの確信を得る。
1989年1月
アイオワ州立大学(アイオワ州エームズ)航空宇宙工学科客員研究員。
火星表面の砂嵐研究のため招請される。
2000年4月
戦勝解放論普及のためラヂオノスタルジア(FM78.6MHz)を開局。
2006年5月
小説「戦勝国は日本だった」を上梓、内容はGRRELでの人種差別体験談。
2012年8月
歴史書「大アジア解放戦争」を上梓。
http://annoyutaka.wook.jp/
2014年5月24日
靖国神社にて公演、演題「有色人種を解放した大日本帝国」
2014年8月
北大博物館に保存される中谷研究室を訪ねる。中谷が制作した風洞装置制作図面を確認。
2015年8月11日
札幌護国神社にて公演、演題「国家神道こそ世界最強信仰」
現
ラヂオノスタルジア(FM78.6MHz)代表取締役
評論家、歴史家、作家、雪氷科学者,ラヂオDJ
2007年6月
難病ギランバレー症候群を発症、後遺症のため重度2級障害者となり、歩行困難者に認定される。移動には杖、車椅子を必要とする。
安濃豊
授業料振り込み口座です。
ゆうちょ銀行 振替口座 02770984615
口座名 ラヂノス倶楽部
北洋銀行東屯田支店 普通口座 3572609 口座名 ラヂノス倶楽部
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