アジア解放戦勝史観の起点は昭和16年12月8日午後0時20分発表の帝国政府声明文である。この声明文は昭和16年12月8日(発行日付は12月9日)の各紙夕刊に掲載された。
大東亜戰爭の開戦目的を開戦時に表明した政府文書はこの帝国政府声明文が唯一のものである。

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この声明文の後段に次のような記述がある。

 「而して、今次帝国が南方諸地域に対し、新たに行動を起こすのやむを得ざるに至る、なんらその住民に対し敵意を有するものにあらず、只米英の暴政を排除して、東亜を明朗本然の姿に復し、相携えて共栄の楽を分かたんと祈念するに外ならず。帝国は之ら住民が我が真意を諒解し、帝国と共に、東亜の新天地に新たなる発足を期すべきを信じて疑わざるものなり」

解りやすく書き直すと次のようになる。

「そのため、今回帝国は東南アジア地域に武力進攻せざるを得なくなったが、それは決して東南アジア住民に対して敵意を持つからではない。ただ、米英から東南アジア住民に対し加えられてきた暴政を排除し、東南アジアを白人によって植民地化される前の、明白なる本来在るべき姿へ戻し、ともに協力して繁栄することを願うからである。大日本帝国は東南アジアの住民たちがこの戦争目的を了解し、東亜に新たなる政治経済体制の構築を目差し共に行動することを疑わない」

平たく言えば、
「アジアを白人植民地から解放して、白人が支配する前の状態に戻す。即ち独立国家とする」と言って居るわけである。私はこの一文をアジア解放宣言と名付けた。

アジア解放宣言
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ここで、注目すべきはこの”アジア解放宣言”において東南アジアの人々を「住民」と表し「国民」とは呼称していないことである。その理由は明白で、当時東南アジアにタイ王国国民以外に「国民」など存在しなかったからである。タイ王国以外の現地住民は「植民地の住民」だったのである。

開戦目的はアジア解放であったし、実際にアジアは解放されたとなると、大日本帝国はアジア解放国家で有り、侵略国家ではないことになる。すなわち、それの意味するところは東京裁判史観の転覆である。