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6 日ソ中立条約(日ソ不可侵条約とも呼ばれる。1941年4月13日調印)を関特演 実施により先に破ったのは日本であり、日本にソ連を非難する資格はない。
関特演とは関東軍特別演習の呼称である。関東軍特殊演習と呼ぶこともある。
関東軍特別演習とは、1941年(昭和16年)7月に満蒙国境警備、ソ連軍進攻阻止を名目に、関東軍の兵力を増強し、独ソ戦に呼応した対ソ牽制行動である。実際に軍事演習をした分けではない。
日本政府は1939年夏に勃発したノモンハン事変の結果、在満日本軍は満州国防衛には不十分と判断し、既存兵力(九五式軽戦車、軽装甲車等の車輌約90輌、航空機約50機、兵員約28万名)を、戦闘車両約300輌、軍馬約400頭、人員などの増強を行い74万以上の大兵力とする事に成功した。
戦後、左翼はこの関東軍の増強を、日ソ不可侵条約に違反する行為として、ソ連軍よる対日参戦(1945年8月9日)を条約違反として非難する権利は日本側にはないと、ソ連スターリンを擁護した。その主張者は後に東京都知事に就任する美濃部亮吉である。
要するに、最初に日ソ不可侵条約を破ったのは日本であるから、ソ連に何をされようと日本側にソ連を非難する資格などないと言う論理である。
関東軍特別演習において日本軍が行った行為は戦力増強であって、ソ満国境を越えたことなど一度もない。と言う事は、日本軍が日ソ不可侵条約破ったことには成らない。左翼はその御主人様であるソ連共産党による不法行為を”正義の行為であった”と真実をねじ曲げるため、またも、日本を悪者に仕立て上げたのである。
不可侵条約とは読んで字の如しで、互いに国境を越えて進軍はしないと言う条約である。満州国防衛を条約によって任せられていた大日本帝国が満州国内において、どんな演習を行おうと日本の勝手である。
日ソ国境を先に越えてきたのはソ連である以上、日ソ不可侵条約を先に破ってきたのはソ連である。実際、ソ連は1945年8月8日、駐モスクワ日本大使に対し翌年まで効力があるとされた日ソ不可侵条約の一方的破棄と宣戦布告を伝えており、史実はソ連側による一方的不法行為であったことを証明している。
歴史的事実の隠蔽、捏造、曲解により、独裁者であり、虐殺者であるスターリンを弁護するとは、日本左翼はスターリンと同類であることを自ら証明している。美濃部亮吉はスターリンの忠実なるポチ犬なのである。
7 日本は大東亜戦争によりアジア各国に迷惑を掛けた。子供が生まれてから親が生 まれた。
左翼が得意とする言説に
「旧大日本帝国陸海軍はアジア各国に迷惑をかけた」
と言うものがある。この言説ほど左翼の出鱈目さを言い表す文章はないであろう。何故なら
「子供が生まれてから親が生まれた」
と言う科学的にあり得ないことを言っているのと同じ事だからである。
日本軍進攻前のアジア地域に各国など存在しなかった。存在したのは白人植民地ばかりであった。完全独立国家と言えるのは、大日本帝国、タイ国、チベット、半植民地と言うべき存在は支那、東トルキスタン、それ以外の地域はすべて完全に白人植民地であった。
アジア各国が誕生したのは、大日本帝国がアジアへ進攻し、白人たちをアジアから追い出した後である。即ち、大日本帝国陸海軍が進攻したからアジア各国が生まれたのであり、すでに生まれていた各国に日本軍が進攻したわけではない。日本軍進攻こそがアジア各国誕生の生みの親であるのに、親より先に子が生まれる筈などあるわけがない。
左翼の常套手段は自分たちの歴史観を正当化するためには、タイムマシーンの様に時代の前後を入れ替えることである。左翼の論理が科学的に正しければ、子供が生まれてから、親が生まれることも科学的に可能となる。
宇宙空間では時間を前後で差し替えることは不可能である。ももSF映画のようにそのようなことが可能となれば、時代を遡って、自分を生む前の親を殺害することも可能となる。しかし、その行為は自らの存在を抹消するわけであり科学的矛盾を発生させる。それゆえ、過去に遡って物事をなすなどと言う事は不可能なのである。と言うわけで、タイムマシーンの存在など科学的に否定されるのである。現に、未来から来たと言う確たる科学的証拠を有する未来の人類になど出合ったことはない。
タイムマシーンなど未来永劫存在しないのである。そんなものが発明されては、宇宙が宇宙である意義はなくなる。空間を自由に移動できて、更に時間も移動できると成ると宇宙空間など必要なくなるであろう。他の銀河へ移動したければ、銀河が近隣で密集していたビッグバン直後の昔にタイムマシーンで移動して、ひょいと隣の銀河に乗り移ればよい。そんなことを簡単にされては宇宙様はお困りになるのである。
左翼論理の非科学性は底なしであるが、私のような物理学者にかかれば、かくの如く、意図も簡単に論破される。左翼はバカ丸出しである。
8 残留日本義勇兵など脱走兵に過ぎず、脱走した段階で日本軍とは何の関係もない 唯の民間人であり、日本軍が独立を支援したことには成らない。
これも左翼特有の論理展開である。彼らはベトナムやインドネシアで現地独立軍と共に旧宗主国軍と戦った残留日本義勇兵が日本軍の一部であっては困るのである。何故なら、そうなると日本軍はアジア解放の英雄となり、その英雄に弾圧摘発されていた左翼は唯の悪党になってしまうからだ。
左翼は前述の通り、「子が生まれてから親が生まれる」と言う、アインシュタイン先生もビックリする、時間の前後入れ替えというトリックを使った。さて、今度は軍籍がないからそれは日本兵ではないと言うトリックを作りあげようとしている。
戦後に於けるアジア各国の独立に旧日本軍が協力していたことが認められると、日本共産党はその存立基盤を失う。アジア解放の英雄は日本軍であり、英雄たる日本軍のその憲兵に追われていたのが日本共産党であったからだ。
結論から言うと、現地日本軍は敗戦前からアジア独立に邁進していたし、現実に日本軍アジア独立支援年表に示されるとおり、6ヶ国を戦中に独立させている。戦争中に民度や部族争いなどが原因で日本軍が独立を実現できなかったインドネシアでは、戦中に郷土防衛軍(ペタと呼ばれる)が設立され、戦後に成って宗主国であるオランダ軍が戻ってくると、ペタは抵抗運動の主体と成って独立戦争を勝ち抜いた。ペタを作戦指導したのが残留日本義勇兵である。祖国への復員を拒否し、アジア独立に身を投じたのは、日本軍が開戦目的はアジア解放であることを個々の兵隊に教え込み、また兵たちもそれに応えて行動していたからである。
「アジア解放のためにベトナムまで来て、負けたからと言っておめおめ帰れるか」
ある、ベトナム残留日本義勇兵の言葉である。
ポツダム宣言受諾により米英蘭仏軍に降伏し、武器弾薬を”戦勝国軍”へ引き渡す予定であった日本軍はベトナムでもインドネシアでも、武器保管庫を無施錠とすることにより、現地民族軍へ武器を引き渡した。インドネシアでは3万丁もの軽火器が民族軍へ渡ったと言う。また、降伏後、現地日本軍は脱走して民族軍に加わった兵士の軍籍離脱を敢えて黙認し、憲兵隊による摘発を行わなかった。日本軍は降伏後もアジア独立のための協力を惜しまなかったのである。脱走しようがしまいが、軍籍を離脱しようがしまいが、日本兵は日本兵である。それとも、脱走扱いになったから日本兵ではないと言うなら、日本兵ではないが、”日本人の兵隊”と呼べばよいのであろうか。いずれにしても、独立支援年表はアジア独立の仕掛け人は日本軍であったことを示しているから、左翼が言うところの「日本軍が独立を支援したことには成らない」と言う指摘は間違いである。
9 日本帝国主義と軍国主義こそ諸悪の根源であった。
日本軍アジア独立支援年表を見れば明らかなとおり、日本軍はアジアを解放し植民地隷属下にあった地域を次々に独立させた。
帝国主義とは武力によって他国を侵略隷属させ、植民地とすることを意味する。まさに大英帝国が地球上の広い範囲で行ってきたことを大英帝国の”帝国”を取って”帝国主義”と言うのである。
植民地を解放する事を帝国主義とは言わない。それは植民地解放主義と呼ぶべきである。帝国主義とは真逆の行為(植民地解放)を行った大日本帝国を帝国主義と断ずるなら、その前に左翼は”帝国主義”と言う言葉の意味を再確認した方が良い。
次に”日本軍国主義”と言う語彙についてであるが、これは左翼のみ成らず、所謂”白人戦勝国”が大日本帝国を貶める度に使用する常用単語と成っている。
サムライの国は遍く”軍国主義”なのである。武士道を国家レベルに押し上げると軍国主義となる。日本は1192年の鎌倉幕府開府以来、武士が政を執り行ってきた。政治が武士道に基づくことは当たり前ではないか。日本と言う国は鎌倉以来、軍国主義の国なのである。何が悪い!
日本の軍国主義が悪であると言うなら、
英米は軍国主義ではないのであろうか?
戦争中、英米に言論統制は情報隠蔽は無かったのだろうか?
国家と言うものは存亡の危機に直面すると国民の自由を制限するのが常である。それを軍国主義と言うなら英米も軍国主義国家と成る。なにも、日本だけが非難される筋合いはない。
だいいち、軍国主義から日本を解放すると言う”触れ込み”で進駐してきたGHQこそ、その専制ぶりを見る限り”軍国主義”ではないか。米英そして日本左翼に軍国主義を批判する資格などないことは明らかである。日本共産党こそ党内軍国主義ではないか。
10 アジアは独力で独立できた、日本軍の力など必要なかった。
二者択一と言う言葉がある。
AとBと言う事象があれば、何れか一方を選択しなくてはならない、両方を選択するとか、両方とも選択しないと言う事は許されないと言う意味である。 欧 米白人国家は数百年から数十年に亘って植民地支配を行ってきた。それに対して大日本帝国はアジア解放を旗印に掲げて進攻し、目的通りアジアを植民地から解放した。
左翼の論理は大日本帝国陸海軍悪者論を基盤にしなくては成り立たないから、大日本帝国陸海軍を侵略者として規定する。ところが、ここで大きな論理的矛盾が発生する。 大日本帝国陸海軍が侵略者と言うことになると白人国家は侵略を受けた披侵略者と言うことになる。
左翼が言うところの”大日本帝国陸海軍の侵略行為”を”悪”とするなら、白人による植民地支配は”善”であると言うことになる。 左翼の論理は白人による植民地支配を論理的に肯定する結果となるのである。
この論理的矛盾を突かれると左翼は次のように反論する。
「白人植民地を肯定などしていない。大日本帝国陸海軍が進攻しなくても植民地住民は独力で独立を勝ち取ったはずである」
「はずである」と言う予測、希望的願望を此処でも左翼は使う。科学の世界で希望的観測などと言うのは何の価値もない。「林檎は木から落ちるかも知れない」では引力の法則を確立出来ないからである。
ガリレオやコペルニクスが「地球は太陽の周りを廻っているかもしれない。いや、そのはずである」と実証実験もせずに語るのと同じ事である。そんなことでは何時まで経っても地動説が認定されることはなかったのである。
数百年間に亘る植民地支配の間、現地人たちは何度も独立の火の手をあげたが、ことごとく白人が持つ近代兵器の前に潰されてきた。棒きれ、弓矢、ナタ、斧、槍では勝てないのである。
ビルマの小学校では子供たちに教師がこう教えている。
「日本軍が来るまでにもビルマ人は何度もイギリス人に対して立ち上がった。しかし、い
ずれも英軍に潰されてしまった。その理由は簡単である。ビルマ人は手近なナタや斧で戦
った。それに対して大日本帝国陸海軍はイギリス人と同じ武器で戦った」 棒きれしか持たない現地人が、独力で独立を勝ち取ることなど、当時の常識ではあり得な
いことなのである。左翼は此処でもあり得ない虚構を捏造している。
現地人に独立の力がないとしたら、残されるのは外部からの力を導入することである。その外部からの力が大日本帝国陸海軍だったのだ。
A=「アジアを白人植民地のまま捨て置く」か、それともB=「進攻して解放する」か、
当時は二者択一しかなかったのである。AとBを同時に選択すれば、”植民地のまま捨て
置きながら進攻して解放する”と言う矛盾が生じる。AとBを両方選択しなければ”植
民地のまま捨て置かずに解放もしない”と言う矛盾が生じる。
二者択一しかない状況で大日本帝国陸海軍によるアジア解放を否定することは白人による植民地支配を肯定することである。 左翼は白人植民地を肯定しているのである。論理的にはそうなる。左翼の底知能は底なしである。
以上、私なりに左翼史観を論破してみた。賢明なる読者諸兄であればもうお気づきであろう。
左翼歴史観とは捏造、妄想、推測、推量、隠蔽、非科学性、時間軸交換の塊である。120%嘘の塊である。
左翼による”必死なる嘘の上塗り”は私の戦勝国論に対して多くの自信を与えてくれた。それは
1 戦勝国論が左翼にとってのアキレス腱であることを、彼等が自ら実証してくれた。
2 精神的に植民地化されてしまった日本人を救う道は歴史的事実であるところの戦勝解 放論しかない。
と言うことである。
現在、アジア.アフリカ諸国は破竹の勢いで経済発展を遂げている。それは大日本帝国帝国がアジア解放戦争を戦い、アジア.アフリカの白人植民地を独立させ、さらに戦後日本は、自ら貧しいにも拘わらず、アジア.アフリカ諸国へ膨大な経済技術援助を行ってきたからである。また、近年は日本の企業が工場進出し、現地に於ける生活の向上に役立っている。
欧米白人による収奪の場であったアジアとアフリカは今繁栄の渦中に飛び込み、まさに、大東亜共栄圏が実現された。
左翼歴史観への私による批判以降、しつこく反論をよこしていた左翼は沈黙してしまった。どう屁理屈をこね回しても解放戦勝史観には勝てないことを悟ったのであろう。
左翼は歴史捏造が得意である。ただし頭が悪いからボロがでる。
不肖 安濃豊 講演中 平成22年12月8日 文教区民会館にて