講話条約締結のために東京裁判史観を政府として容認する必要があったとしても、そんな講和条約など結ぶべきではなかった。ここにも本土決戦をを避けたことによる白人への隷属化が視られる。
たとえ講話を受け入れたとしても、政治的歴史観と真正学問的歴史観を使い分けるべきだった。学問的歴史観とは当然アジア解放となる史観となる。このように政治歴史観と学問歴史観を分離せずに、政治歴史観を学問レベルまで持ち込んだことが戦後の我が国における自虐敗戦侵略史観の過度な増長を許した。
政治用途歴史観と真正学問歴史観は使い分けなくてはならないという発想が日本の戦後歴史学会には存在しなかった。
日本国学の伝統から言ってもこれほどみっともないことはない。みっともなくしたのは東大歴史閥と自民党である。