イロコイバナシ
2006年06月03日
ただの「すき」
だれか、すきなひとができた時。
「加点法」でそのひとを見ますか?
「減点法」でそのひとを見ますか?
あたしは、初対面のひとはゼロ。
そこからいいとこを見つけようとするみたいです。
ひとめぼれの場合は別だけど…。
友達に彼ができて、毎日のろけ話をしてたかと思ったら。
ある日突然、ものすごいトーンダウン。
「なにかあったの?」って聞くと。
「あんな人だと思わなかった!」
「理想の人だと思ってたのに…」
彼のイヤなところが、見えちゃったらしいんですが。
内心、「そりゃしかたないよ…」と、思ってしまいます。
あたしだって、彼に対して。
全く不満がないわけじゃないですよ。
並べていったら、それこそきりがないわけで。
めったにひとには言いません。
だって、そんなのお互いさまだし。
イヤなとこ考えて、イライラするなら。
いいとこみつけて、相殺してしまえばいいんじゃないのかな?
1コ、イヤなところを見つけちゃったら。
1コ、いいところを見つけるようにする。
プラス・マイナス・ゼロにしちゃうのが。
あたしにとって、なかよしでいるコツなのかも。
相手が彼でも、友達でも。
イヤなところばっかり見てたら、マイナスにしかならないでしょ?
もちろん、それでもすきになれないひとも。
申し訳ないけど、もちろんいます。
どんなに相殺しようとしても、マイナスが勝ってしまうひと。
相手も自分のこと、すきじゃないんだろうなあ…ってひと。
ひとに嫌われたくない、嫌われることが怖い性格だから。
人を嫌いになることも、できれば極力避けたい小心者です。
そういう時は、印象を極力ゼロに近付けて。
そ〜っと距離を置くことにしています。
「すごく嫌い」って、「すごく好き」と同じくらい、体力のいることだから。
「すごく嫌い」になっちゃって、どうにもならなくなる前に避難します。
距離を置き直すことで、もう一度、ココロをゼロに戻したい。
もう一度、最初から関係を築き直そうーそう思いながら。
自分のすきなひとに対しては。
「相対評価」ではなく、「絶対評価」でいいと思うんです。
誰かと比べて、いいとか悪いじゃなくて。
自分の思い描いてるビジョンと比べるんじゃなくて。
「あたしにはいいひと」
「すきだからすき」
それでいいんじゃないかな?って。
「すき」って気持ちは、へこたれやすいから。
難しく考えたら、すぐに見失っちゃうものだから。
単純に「すき」
理由はないけど「すき」
イヤなとこなんて、吹き飛んじゃうくらい「すき」
あれこれ、ことを難しく考えて、勝手に悩みがちなあたしとしては。
「すき」って想う気持ちくらいは。
ココロの赴くままに生きたいなと思うんですけど…。
2006年04月30日
カタオモイはつづく
ついこないだ。
いっこりんと話をしてたら。
ひょんなことから。
「片想い」について考えることに。
片想いって懐かしい響き…。
なんて、その時は言ったんだけど。
彼といっしょにいるようになって10年。
思えば、おたがい、学生の頃からいっしょにいるわけで。
まわりの状況は、ほんとにいろいろ変わってきたのに。
それでも「ほんとに10年も経った?」と思うのは。
10年間「どこかで彼に片想いをしてたからなのかも?」と。
片想いのことを考えてて、ふと思った。
つきあう前に2年、友達だった期間があるので。
彼と初めて逢ってからは、12年、経ってることになる。
彼は、前の彼の友達だったので。
いっしょにいる前のあたしのことも、たいてい知っている。
だって彼は、一番の相談相手だったから。
逆にいっしょにいる前に、彼が好きだったコのことも知ってる。
やっぱり、あたしとは似ても似つかぬタイプのコで。
「やはりなりゆきか!?」とつっこみたくなるけど。
まあ、べつに今では笑って話せることで。
思えばその頃から、あたしは彼に片想いをしていた。
たぶん、彼は他の誰よりもあたしのことを知ってて。
たぶんあたしも、他の誰よりも彼のことを知ってる、と思う。
でもそれは、一番知ってるだけで。
何もかも解り合えてる、と思ったことはない。
あたしが解ってるのは「あたしが知っている彼」であって。
「彼が自分で知っている彼」とは、たぶん違うと思うから。
逆だってそう。
「彼が知っているあたし」を、あたしは知らない。
確かめることも、訂正することもしないから。
「どう思ってるんだろう?」と思うことはある。
気にならないって言ったらウソになるけど、敢えて聞くことはしないできた。
「10年経って何か変わった?」と聞かれることがあると。
「ほとんど何も変わらない気がする」って、答えるんだけど。
その答えに、相手はたいてい意外そうな顔をする。
でも、いまだに「そんなこと考えてたの!?」ってこともいっぱいあるし。
「なんでそう思うのか、わからない…」ってこともいっぱいある。
「ほんとはどう思ってるのかなあ?」と思いつつ。
聞かずにいることも、いっぱいあるし。
思い違いも、すれ違いも絶えないから、ケンカだってする。
たしかに、誰よりも長い時間、いっしょにいる。
それでも、わからないところもあるけど好き、とか。
相手が自分のこと、どう思ってるのかな?って、想像したりするのって。
片想いしてるのと、なんにも変わらないような気がする。
いっしょにいるけど、片想い。
一番の友達に、片想いしてるのに近い感じ。
だからいっしょにいても、「飽きる」ことがなかったのかも。
解り合えてる気になってたら、たぶんダメになってた。
相手をほんとに理解しようと思ったら、10年なんて全然短い。
きっと、いつまでたっても、片想い。
2006年04月21日
ふたりのカタチ
あたしと彼は、似てないふたり。
顔立ちも。
あたしはぼんやり、彼ははっきり。
性格も。
あたしは、思い立ったら一直線。
彼は、石橋を叩いても渡らないタイプ。
同じ部屋にいながら、全然別のことをするふたり。
PCに向かうあたしのななめ後ろで。
彼はギターをひいている。
いっしょにいるのに、生活リズムが全くちがうふたり。
それぞれが、それぞれのペースで。
それぞれの時計を持って、一日をすごす。
どうでもいいことほど、相手に決めさせたがるふたり。
どこに行きたい? なにが食べたい?
どうする? どうしようか? いつまでたっても決まらない。
でも肝心なことは、必ず自分の意志で決めるふたり。
自分で選んだことにつまずいた時に。
誰のせいにもしないように、自分のことは自分で決める。
仕事もいっしょ ふだんもいっしょ。
お互いのことを考えない時など、まずないのだけれど。
いっしょにいる時が、一番ワガママになれるふたり。
どんなにいっしょにいても、どんなにコトバを重ねても。
ココロの中の、わからないところは、わからないまま。
完全にわかりあえるなんて、ないことを知っているふたり。
どこまでいっても「ひとり」と「ひとり」
だから、いっしょにいられるように、がんばるふたり。
「ひとり」と「ひとり」で、「ふたり」になれるように。
似てないふたりが ふたりで選んで
ふたりでつくった 「ふたりのカタチ」
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2006年03月31日
ふたりのきょり
ふと気がついたら。
まりゅがいない。
どこ行ったのかなあ?と思ったら。
リビングを出たとこ。
廊下のかたすみで。
ちょこんとくつろいでいた。
冬場のまりゅはたいていリビングにいる。
あたしもここにしかいないから、あったかい所が他にないからだと思うんだけど。
ひざの上、ソファの上、テーブルの下と場所を変えても。
ぐるっと見回せば、見つかるところでいつも寝ている。
それが、自主的に廊下でのんびりしてる、ってことは。
あったかくなってきたからかなあ、と思いつつ。
たまにはひとりになりたかったのかなあ、なんてふと思ったりもした。
あたしはひとりになる時間がないとダメな性格で。
「結婚したら夫婦間二世帯住宅がいいなあ」と言って、友達の度肝を抜いたことがある。
どんなに気を許していても、全く気を遣わない、っていうことができないから。
悩んでたり、落ち込んでたりして、人を気遣う余裕のない時は。
ひとりになりたいなあ、と思う。
相手にイライラしている、とばっちりを喰わせるのもイヤだし。
そもそも、自分が荒れているところ、弱っているところを見られたくない。
ひとりでやりたいこともあるし、ひとりじゃなきゃできないこともある。
ずいぶん前のことだけど。
ワンルームのアパートで大げんかをして。
どうしてもひとりになりたっくって、思わずベランダに出てしまったことがある。
イライラが治まってくるにつれて。
「なんであたしの方が追い出されたみたいになってるんだろう…?」と。
すごく疑問に思ったんだけど、自分で出て来てしまった手前中にも入りにくく。
しばらくベランダですごすはめになったことがあったっけ。
基本的にはいっしょにいるけど、ひとりでいたい時はひとりになれる。
半径1メートル圏内に常にいるのでもなく。
スープの冷めない距離ほど離れているのでもない。
どこかにいるという気配を感じる距離でいっしょにいたい。
そう思ってしまうあたしは、やっぱり「変わり者」なんだろうか?
2006年03月13日
センソウとヘイワ
最近、恋愛を含めて「人間関係って何なんだろう…?」と、ふと考えた時、「欺瞞に満ちた平和と真実としての戦争」という言葉が、どうしてもアタマに浮かんでくることに気が付いた。
この言葉、【PATLABOR 2 The Movie】の中に出てくる、後藤の「欺瞞に満ちた平和と真実としての戦争。…だがあんたの言う通りこの街の平和がにせものだとするなら、奴が作り出した戦争も所詮はにせものにすぎない。この街はリアルな戦争には狭すぎるんだよ。」というセリフの一部で。
このシーンの、荒川と後藤の一連のやりとりを見るたび、胸が痛くて涙せずにはいられないのだけれど。
この映画自体は、けっして恋愛モノというわけではない。
「正義の戦争と不正義の平和の差はそう明瞭なものじゃない」今。
柘植という一人の男によって創り出された、横浜ベイブリッジ爆破に端を発する「戦争」という状況。
その中で、戦争とは、平和とは、そして正義とは何なのか?
アニメとは思えないくらいリアルに問いかけてくる、そんな作品なんだけれど。
これって国家とか世界とか、そんな大きな単位じゃなくてもあてはまることなんじゃ…。
映画を見れば見るほど、そう思ってしまう。
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2006年03月12日
ふたりのカンケイ
まりゅといっしょにいるようになって、もうすぐ2年。
ブログを書き始めてから、今までよりもずっとまりゅを見ている時間が長くなった。
毎日毎日、何かしら、おもしろいことや、ヘンなことをしでかしてくれるから。
ついついねたに使ってしまう、今日このごろだけど。
たぶんまりゅは、あたしのことを「飼い主」だとは思っていない。
「世話係」または「同居人」っていったとこだろう。
よくて「ともだち」かな。
まりゅは、自分よりあたしの方がえらい、なんてちっとも思ってないから。
かまってほしいときは「かまえー」と主張し。
おなかがすいたら「ごはんー」と起こしに来る。
眠いときにちょっかいだすと「何すんだよ!」と怒るし。
でも、あたしがリビングから出て行こうとすると「どこいくのー?」ってついてくる。
けど、まりゅが一番すきなのはあたしじゃないんだよね。
まりゅは、自分を最初にひろってくれたひとが大好きで。
いっしょにいると、もうそれはそれはべったりくっついている。
「そばにいる時間の長さ」と「愛の深さ」って、決して比例するものじゃないのね、と。
改めて再認識ー。
だからって「かわいくない!」というわけでもなく。
あたしはあたしでやりたいことも、やらなきゃならないこともあるから。
一日中かまってやることもできないし、あたしがほっといて欲しい時もある。
同じ場所にいるけど、別々に生きてて。
でも二人で楽しむ時間もある。
「ひとり」と「ひとり」だけど、いっしょにいられる。
恋愛もこうありたいね。
2006年03月11日
ふいうち
起きてからも思考回路がフリーズしたままで。
ぼーっとしてたら【耳をすませば】が始まった。
うわあ、懐かしい…。
これ見るの、10年ぶりぐらいかも。
ふいうちくらった、ねぼけたままのアタマに。
記憶のフィルムがカタカタ回り始めた。
この映画が公開された時、あたしは3回、映画館に足を運んだ。
1回目は大学の友達と。
2回目はその時すごく気になってた男の子と。
3回目はその時つきあってた彼と。
つきあってた彼と、うまくいってなかったわけではなかったけど。
彼の好みやペースに合わせて、あらゆる考えや行動を決めている自分に「あれ?」と思っていた頃だった。
「ピアスを開けるな」と言われれば、しぶしぶあきらめ。
「俺の友達と飲みにいくぞ」と言われれば、「それって誰?」と思いながらも、「いいよー」と笑ってついていったり。
「彼女」ってそういうもんだ、と思っていた。
「あれ?」と思ったのは、「逆もまた真なり」では決してないんだ、ということに気付いてしまったから。
あたしが「嫌だからやめて」っていうことでも、彼は自分がやりたければ、あたしのことはおかまいなし。
あたしには大事な友達なのに、その子が自分の気に入らないタイプの子だったら、彼は意地でも逢おうとしない。
ーあたしって、もしかして彼の「おまけ」なの?
そう思ったら、自分なんてどこにもいないような気がして。
気が付いたら、足下にぽっかりとあいた大きな穴のふちに、今にも落っこちそうになりながらつま先立ちしている自分がいた。
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