タイトルにある【アリス】とは、イギリスの数学者チャールズ・ラトウィッジ・ドジソンが、ルイス・キャロルの筆名で書いた児童小説『不思議の国のアリス』の主人公のこと。1865年に発表された同作は、これまでに170を超える言語に翻訳され、発行部数は1億を数える大ベストセラーである。
そうなると当然、それをネタにしようという輩も出てくるわけで、かの有名なアメリカの推理作家エラリー・クイーンは、自身の作品『キ記ぞろいのお茶会の冒険』でそれを題材にしており、日本でも辻真先や北村薫といった多くの小説家がこの名作をモチーフにした作品を発表している。
ちなみに小生の場合、それを聞いて真っ先に思い浮かんだのは、3人組のフォークグループのほうである。ま、それはさておき、まずは著者の紹介から。

アリス殺し (創元推理文庫)
小林 泰三
東京創元社
2019-04-24


著者の小林泰三(こばやしやすみ)は、1962年、京都府生まれ。大阪大学大学院修了。95年『玩具修理者』で第2回日本ホラー小説大賞短編賞を受賞し、デビュー。98年『海を見る人』が第10回SFマガジン読者賞(国内部門)を受賞し、同短編を表題作とした2002年刊の短編集は、第22回日本SF大賞候補作となった『ΑΩ(アルファ・オメガ)』に続き、第23回日本SF大賞候補作となる。『天国と地獄』、『ウルトラマンF』でそれぞれ第43回、第48回星雲賞(日本長編部門)を、また、『アリス殺し』で2014年啓文堂書店文芸大賞を受賞する。他に『密室・殺人』『大きな森の小さな密室』『安全・犯罪』『クララ殺し』『ドロシイ殺し』『人外サーカス』などの著書がある。

 

 向こうから白兎が走ってくる。
 チョッキから時計を取り出す。「大変だ! 遅れてしまう!」
 この兎が特別時間にルーズなのか、そもそも兎という種族自体時間を守るという能力に欠けているのか、とにかく彼はいつもこの調子だった。
 そもそも彼との最初の出会いの時も時間に遅れそうだったんじゃなかったかしら?
 アリスは呆れながら白兎を眺めた。
 と言っても、どれが最初の出会いだったのか、今ではもうはっきりとしない。相当前のことだったからだ。それ以前のことはもっと曖昧模糊としていて、殆ど思い出すこともできない。なんだからもっと退屈なだけれども落ち着いた日常があったような気もする。

女子大生の栗栖川亜理は、毎晩不思議な夢を見ていた。それは、ある物語の登場人物になっておとぎの国に迷い込む夢。彼女が見るその夢とは、まさしく『不思議の国のアリス』そのものの世界だった。亜理は、夢の中の自分(【アーヴァタール(分身)】)がアリスだと自覚する。
そんな夢の中で事件が起きる。卵の姿かたちをしたハンプティダンプティが、塀の上から何者かに突き落とされて死亡したのだ。目撃者の白兎は、現場を立ち去る人物を見たと言い、それはアリスだったと証言するが、アリスにとって、それはまったく身に覚えがない話だった。
夢から醒めた亜理は、蜥蜴のビルがアーヴァタールだという同級生の井森から、夢と現実との間に奇妙な一致点があることを聞かされる。その証拠に、ハンプティダンプティが死んだ翌日には、同じ大学の研究生・王子玉男がキャンパスの屋上から転落死し、さらに今度は、海象のグリフォンが生牡蠣を喉に詰まらせて窒息死したあと、教授の篠崎が生牡蠣にあたって急死したのだ。

こうした不可解な事件が続く中、不思議の国では、ついに女王の命令により三月兎と頭のおかしい帽子屋が犯人探しに乗り出していた。彼らが犯人と疑うのは、目撃証言があるアリス。このままでは、彼女は裁判で死刑を宣告されて首をちょん切られてしまい、そうなると現実世界の亜理も……。

裁判まで1週間の猶予を与えられたアリスは、蜥蜴のビルと一緒に夢と現実の両面から調査を開始する。聞き込むのは公爵夫人がアーヴァタールだという広山准教授や、ドードーの田畑助教授などなど。
はたしてアリスこと栗栖川亜理は新犯人を見つけ出し、身の潔白を証明できるだろうか──?

不思議の国のアリス (角川文庫)
ルイス・キャロル
角川書店(角川グループパブリッシング)
2010-02-25


卵のような胴体のキャラクターや、常に眠そうにしているネズミ、気が狂った帽子屋、人語をしゃべる獣などユニークなキャラがたくさん出てくるルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』は、世界でもっとも有名な児童小説であり、本作はそんなファンタジーの世界観にミステリー要素を取込んでいる。そこで、そんな特殊なミステリー小説を語る前に、まずはルールと登場人物を整理する。

【ルール・特長】
・亜理と井森の夢「不思議の国」に出てくるキャラは、【アーヴァタール(分身)】として現実の世界にも存在する。
・夢の世界と現実世界はリンクしており、アーヴァタールが死亡すれば、それとリンクしている人間も、同じか近い方法で死んでしまう。
・アーヴァタールと現実世界の人間とはお互いに意識を薄らと共有している。
・アーヴァタールは基本「ウスノロマヌケ」である。

【登場人物(左側がアーヴァタール)】
アリス        ・・・ 栗栖川亜理。ハムスターのハム美を可愛がっている。
蜥蜴のビル      ・・・ 井森建。亜理の同級生で彼女の協力者。
ハンプティダンプティ ・・・ 王子玉男。大学の研究生で建物から転落死する。
グリフォン      ・・・ 篠崎教授。生牡蠣の食中毒で死亡。
公爵夫人       ・・・ 広山衡子准教授。次期教授の座を狙っている。
ドードー       ・・・ 田畑順二助教授。広山からパワハラを受けている。
三月兎        ・・・ 田中李緒。亜理の一つ上の先輩。

あらすじにもある通り、主人公はアリスこと有栖川亜理で、どうやらその彼女が探偵役であることは間違いなさそうだ。そこで気になるのがそのタイトルである。つまり、その探偵役であるアリスが殺されると言っているのだ。これは前代未聞の大事件である。

ネタバレ注意!

実際、アリスはタイトル通りに殺されてしまう。もっと言ってしまえば、ワトソン役となる蜥蜴のビルも殺される。これはいったいどういうことなのか。ここでもしその直前の言葉(あらすじにもある通り〜以降の部分)で誤解を生じたとしたなら、著者ともども素直に謝らなければいけない。たしかにヒントはあったのだが……(95ページ)。
alice_goroshi[1]

ところで、真犯人についてだが、ちょっとでもミステリー小説を読んだことがある人ならば、まずこう考えるに違いない。「もしかしてアリスは、アーヴァタールと現実世界の人物を取り違えているのではないか?」と。
その考えは間違っておらず、そこにこそトリックのすべてがある。だが実のところ作者の狙いはそこではなく、やはりポイントはタイトルにあったのだ。もうここまで言ったらピンとくるはずだが、実はここにアンフェアが隠されている、と感じる部分がある。それは後半で明かされるまた別のルールのことである。
それは、「現実世界の人物が死んでも、アーヴァタールが死ぬことはない」「アーヴァタールが生きている限り、現実の世界の人間はリセットされて生き返ることができる」という追加のルールだ。

「まさか。ゲームのキャラクターはただ操作しているだけなんだから、キャラクターが死んでも本人は死なない。『死んでしまうとは情けない』とかなんとか、メッセージが出るだけ。キャラクターが自動的に再生して、ゲームの続きを……」アリスははっと息を飲んだ。「つまり、この世界の人や動物が本物で、地球の人たちの方がアーヴァタールなの?」(306ページ)

 この世界で○○が死んだとしても、不思議の国で本体である△△が生きている限り、何度でもリセットされて、○○は復活する。別にわたしだけが特別じゃない。それが赤の王様の夢のルールなのよ。(337ページ)

この「○○(アーヴァタールが△△)」の部分に真犯人の名前が入るのだが、さらに著者は、ラストにもう一つの仕掛けを施していた。つまり主人公は……。
alice_goroshi[2]

本書は『不思議の国のアリス』を知っていることが前提の上に、文章が全体的にこのブログのようにクドく、言わずもがなの部分をご丁寧にも延々と説明してくれている箇所が随所に見られる。このためかなりまどろっこしく感じ、何度もイライラさせられた。オビの文言「どれだけ注意深く読んでも、この真相は見抜けない。」は、たしかにその通りではあったが、なんともスッキリしない一冊である。