スプリング・ウインド

ルカゼと視線が切れた事に慌てたのはフルーラだった。彼女は十歳にして既に他人の言動の意味がかなり解る少女だった。ルカゼの一連の行動が、目の前に現れたこの少女に全く興味を持たなかったという事を感じ取ったからである。
フルーラは直ぐさま立ち上がると、無用心にルカゼに近付く、警戒心よりも好奇心が、疑問よりも憧れが勝ったからである。
一瞬の出来事にルカゼは不意を付かれる形になった。相手が子どもと侮っていたのもあった。あまりにもあっさりと懐に入られたのはルカゼの油断と言っていい。
「お姉ちゃん。今、飛んでたよね?浮いてたよね?」
フルーラは詰め寄った。その勢いにルカゼは押され、立ち去るタイミングを逃した。だが、ルカゼを知る者であれば、この時の彼女の行動に驚いていただろう。少女がいくら摺り寄ってきたとしても、彼女であれば容易に振り払えるはずであったし、振り払うような性格だったからである。
ルカゼ自身、気が付いていなかったが、フルーラの瞳に何かを感じ取っていた。
「ここは軍の敷地で、一般人は立ち入り禁止のはずだが?君は軍事機密を知った。この意味が判るな?」
ルカゼはフルーラに応えた。案に自分が浮いていた理由を軍の機密に仕立てあげた訳だが、あながち間違いではない。
「軍の・・・。」
フルーラは考えた。軍の敷地であれば、通常フェンスに仕切られている。森をさ迷った際にそのような場所に何度か当たった事もある。
だが、今回はフェンスを乗り越えたりはしていないので、軍の敷地に侵入したつもりはなかったからだった。
事の真相は、小さな川の跡にあった。フルーラは干上がった川の跡を辿る内に、軍の敷地に侵入していたのである。フルーラは悩んだが、この時は答えを見付ける事は出来なかった。
「私は?どうなるの?」
代わりに次の疑問を訊ねた。軍事機密を知った自分。少女の想像力ではとても恐ろしい結論が連想された。
「ここで見た事を誰にも言わないと約束出来るか?約束出来るのなら、見逃してやる。」
ルカゼは表情を変えずに言った。特に年下に甘いわけではない。ただなんとなくきつくあたる必要を感じなかった。フルーラの素直さを無意識に感じ取ったのかもしれない。
「話さないよ。話をする相手なんていないから。」
フルーラの表情が曇る。ルカゼはその言い方と表情の変化に気付いた。「それならいい。行け!」と言うつもりだったが、タイミングを逃すと、言葉を続けたのはフルーラだった。
「お姉ちゃん、森の妖精さんだよね?軍人さんじゃないよね?」
更にルカゼの前に歩み寄った。
「私を連れ出してくれるんでしょ?いいよ!私、お姉ちゃんと行きたい!」
フルーラは真顔だった。ルカゼも動かなかった。軍の立ち入り禁止区域まで山道を一人で歩いてきた少女である。何かしら理由があって当たり前だった。そして目の前に現れた不可思議な光景に何の躊躇もなく受け入れ、尚且つ助けを求めると言う事は、少女が常日頃からそれを想像し、求めていたという事である。
森の妖精に出会い、自分を連れ出してくれる事。それを何度も何度も空想していたのであろう。ルカゼはフルーラを見つめた。彼女には力があった。そして、フルーラの苦しみを理解出来る立場であった。彼女もまた、世界から拒絶された存在だからである。
だが、ルカゼは首を振った。
「私は軍人だよ。軍の兵器だ。妖精なんかじゃない。」
ふわっ!とルカゼの身体が浮く。あっ!とフルーラは慌てて手を伸ばしたが、少女が助けを求める存在はヒラリとその手をすり抜けた。
ルカゼは空に舞い上がった。同時に何処に隠れていたのか、周囲より小鳥が空にあがる。まるで桜吹雪のようにルカゼを中心に舞う。
「そんな・・・。」
空中を鳥たちが舞い、フルーラの視界からルカゼを隠すと、森の木々の先に消えてゆく。フルーラの瞳に涙が滲んだ。泣こうと思ったわけではないが、自然に涙が瞳に貯まっていくのだった。
「お姉ちゃん・・・私・・・私ね・・・。」
聞こえるはずもない声をフルーラは一人、ルカゼに語りかける。無駄なのはフルーラにも判っていた。 

「春の風は、大地と融合し、息吹く
命の瞬きに、光を見出す」

少女は、この地に伝わる古い詩を口ずさんだ。
春という季節がある。
それは宇宙開発が進んだこの時代では、特殊な土地だと言って良かった。
多くの星では季節はほぼ一定で、四季の営みはない。四季がある星は、バイタルゾーンと呼ばれる生命が住める惑星の、更にその一部に限られるからだった。そのような星以外では、人工的に惑星を人が住める土地にし、作物なども品種改良が進んだお陰で、わざわざ寒暖の差を人工的に作り出すメリットを見出せなかったからである。 
むしろ、四季がある土地は自然条件が厳しい土地であるとの認識のほうが強く、恵まれた土地であるとは言えなかったのである。従って、そのような土地に住む人々は宇宙移民の中でも上流家庭と呼ばれるには程遠く、中流以下の家庭が多かった。
少女の家庭も例外ではなかったが、 少女はこの季節の移り変わりを大変愛おしく思っていたし、ここから離れて暮らすことを望んでいなかった。
そんな彼女が森へ向かっている。
春の森は命の息吹を感じさせてくれた。そして新鮮な空気をくれた。彼女は春の森が大好きだった。そして何か落ち込むことがあると、彼女は森に向かうようになっていた。二年前に森でリスを見かけたのがきっかけだったが、四季に関係なく足を運ぶようになっていた少女も、春には再び、あの時のリスに出会えるのではないかと心を躍らせたのである。
舗装されたとは言い難い山道を歩く。木の根が足元まで伸びていた。これほどの森林に育つのに、何百年とかかったであろう人口の森は、少女を優しく包むように広がっていた。
ふと、少女の口元にかすかな笑みがこぼれる。風が軽く頬を撫でたからだ。
しかし、少女の心が晴れ渡っているわけではなかった。
少女の名はフルーネと言う。
彼女はこの時代、社会問題になっていた人工子宮から産まれた子どもだった。人工子宮で産まれた子は、親が育児放棄をする可能性が高いことがデータとして認知されており、またその事で学校で虐められていた。人工子宮からの出産は母親が妊婦状態を経験せずに産まれてくるため、周囲にすぐに判る。そのために近所の家庭から忌み嫌われる結果を引き起こす。
このような社会現象を「人工児問題」と言い、哲学や宗教の観点からも批判が根強い問題となっていたのである。
このような問題は、フルーネにも当てはまった。
10歳の少女にとって、それは受け入れがたい、過酷な現実だったのである。
彼女は山道を歩いた。
いつもより朝早く出た事もあって、かなり遠出をした。
山道に慣れていた事もあるし、何度か迷子になった時もあるが、川の跡を伝って歩けば麓に辿り着ける事を理解していたので、深くは考えなかった。
結果的に、彼女は一般人が立ち入り禁止の区域まで足を伸ばしていた。この辺りには軍の研究所があり、一般人の立ち入りを禁止する区域が存在していたのである。
そして、彼女はその立ち入り禁止区域を一キロほど入り込んだ辺りで、生き物の気配を感じた。
気配を感じるぐらいだから、小動物の類いではない。
「何かしら?この星には大きな動物は居ないはずなのに…」
惑星移民の際に、人間と一緒に多くの生物が連れてこられた。特に生物の環境適応を調べるために哺乳類の類いが多く連れてこられた訳だが、それは小動物に限られた。だから彼女は、いたちやキツネ以上の動物を生で見たことはない。
ただし、中には例外があるのだが、現時点で彼女はそれを知らなかった。
少女は恐る恐る気配のするほうへ近付いた。身の丈ほどある草むらや幼木がフルーネの視界を塞ぐ。
細い獣道らしき跡を通る。程なく草むらが切れ、開けた場所に出た。小鳥のさえずりが聞こえ、彼女が顔を上げると、五羽ほどの小鳥がまるでダンスを踊るかのようにクルクル回っていた。
「わぁ・・・。」
ため息のように漏れた言葉。その光景に目を奪われ、彼女の反応は少し遅れた。だがむしろそれが良かったのかも知れない。
彼女はゆっくりと視界を横にずらすと、探していたものをみつけた。
それは人間だった。 
フルーネに気付いていないのだろうか?目を閉じ瞑想しているかのように立っている。いや、立っているように見えたが、身体は空中に浮いていた。
彼女は先に小鳥のダンスを見ていたおかげで、その不思議な光景も受け入れる事が出来た。それはこの場面全てが幻想的で、何もかもが不自然であったからである。
元々四つんばいに近い形で獣道を歩いてきた彼女は、草むらの獣道を抜けた所でペタンと腰を落とした。正座の若干崩れた形で、宙に浮く人を見つめる。
幻想的な空間にいた人間はフルーネより若干年上で年齢は十四歳から十五歳ぐらいだろうか。ショートカットで中性的な感じだが、恐らく女性であろう。胸など女性らしさがはっきり分かる箇所は目立たなかったが、身体付きが丸みを帯びていたからである。
そんな幻想的な空間と一体になっていたフルーネの元に、先程ダンスを踊っていた小鳥達が降りてきた。
チュッチュッとさえずりながら彼女の周りを飛び、そして一羽が頭の上に止まる。フルーネはハッ!としつつも、頭を動かさないように、小鳥が落ちないようにバランスを取った。実際は小鳥が落ちるという事はないのであるが。
そんな空間の変化に、目を閉じていた少女が気付き、瞳を開けた。
フルーネを見つける。
そして二人は目が合った。
フルーネの存在を認識した彼女の口元が少し緩んだように見えた。そして五十センチ程浮いていた身体を地面に効果させる。
降りると言うより落下と言う言葉がピッタリだったが、彼女は見事に着地し、フルーネに向き直る。
彼女の名はルカゼ。年齢は彼女の見かけ通り十四歳で女性である。瞳を開けたルカゼは、美人かどうかの意見は好みによって分かれるだろうが、端正な顔立ちをしている。ただし、かなりキツメの印象があった。性格もキツイだろうと予想が付く程にである。
そんなルカゼと目があったフルーネであったが、全く動じていなかった。むしろ何か素晴らしいものを見ているかのように瞳を輝かせていた。
十秒程の沈黙の後、ルカゼは視線を反らす。
「この辺りにも人が来るのか。」 
それは、ここが立ち入り禁止区域だという事に安心していたルカゼの後悔から出た言葉だった。
 

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