2006年11月25日

アルコ−ル依存症と肝硬変とうつ病の体験談(大学2年生)

 大学2年の時は酒と麻雀でやはりあけくれた。飲みながら毎晩徹満をした。一升瓶に入ったワインを4合ぐらい毎日飲んでいた。ビンの処理が大変だった。ラ-メンを食べながらよく飲んだが、二日酔いや体調不良はなかった。献血での検査でも異常はなかった。自分は肝臓が人より強いと過信してしまった。365日酒を切らさず毎晩飲んだ。お金が無くなってくると樹氷に切り替えた。ただしアルコ-ル臭くて飲むのに抵抗をかんじながらそれでも飲んでいた。
 3年になるのに単位がたりなくやばいのに気づき、テスト前にとりあえず友達に本を借りて勉強はした。本代もアルコ−ルに変わっていた。お金が無くなると、ご飯をたいておにぎりを作りそれを売って金に換えた。また自販機の下に小銭が落ちているのもよく探した。意外とあるもんです。そ-やって酒代をかせいでは飲んでいた。
 実家から送ってくれる米や野菜、アパ−トの前の大家さんがつくっている野菜などで食事にはお金がかからなかった。たまの二日酔いには牛乳とトマトがよく効いた。一度お金がない時胃痙攣になり丸一日苦しんだ時があったが、それぐらいで風邪もひかなかった。こうして2年の時は飲みながら、昼夜逆転した麻雀の生活で明け暮れた。
 肝臓に障害はなかったが酒は必ず手元においておく生活になっていた。また酒主体に支配された生活になっていた。まだやめようとは思いもしなかった。

2006年11月21日

アルコ−ル依存しようと肝硬変の体験談(大学1年生−2)

 いよいよ大学での一人暮らしが始まりました。まず自炊するつもりでした。家計簿を付け生活費を抑えてきちっとした生活をしようと考えていました。ところが実際はご飯は炊いて味噌汁は作りましたが、後は100円の缶詰とキャベツ、そしてビ−ルの2Lの樽を毎日のように食べていました。後はカレ−と焼きそば、チャ−ハン、ポテトサラダ、これの繰り返し。ビ−ルは2lでしたが高くつくため、ワインの一升瓶を一日4合飲んでいました。
 学校にはほぼ毎日行かず、生協組織部に入ったため、夕方から酒が抜けてからそれに顔を出し、23:00ころまで色々活動していました。帰ってから徹満、友達との語り合いなどで毎日のように、ワインを飲みながら人生を語り合ったり、麻雀をしていました。朝日とともに床に就き、日没とともに活動開始といった具合の生活でした。
 アルコ−ルは毎日3〜4合、タバコ1箱吸っていました。昼夜逆転した生活が続きました。食事はいつものメニュウとラ−メンと卵でした。この時二日酔いは週に1回程度頭痛があったくらいでした。献血で血液検査をしていたので、この時はまだすべて正常値でした。二日酔いも朝牛乳1パック飲むか、トマトまるかじりすればなおりました。また体重は175cmで60kgとやせ気味でした。とにんく入学以来アルコ−ルをかかしたことはありませんでした。またアルコ−ル中心の買い物にすでになっていました。まず酒類を確保してから次にタバコ、そしてラ−メンという具合でした。おかげだバイトもしない生協の運営を中心とした麻雀中心の1年間でした。親からのしおくりをそんな形で使っていました。
 1年の夏に生協の店舗に宿直をもうけることになり、下宿で暑くて寝れなかったので、夜中生協の宿直したいる友達のところへ遊びに行きました。その時すでに飲んでいましたが、レッドを持っていきました。宿直で2人で飲みながら、眠くなってしまいアパ−トに帰る途中事故にあってしまい、下歯が7本折れてしまい、救急車で運ばれ近くの病院で縫われました。この時歯茎をぬわれましたが、とても痛かったのと、身体を大切にしなかったことを医者にひどくしかられたのを覚えています。その後愛知学院大学歯学部に転院し、そこの口腔外科で治療を受け、裂けた唇をもとにもどしてもらい、きれいに修復していただきました。この時1ヶ月唯一大学時代アルコ−ルを飲まなかった時です。退院後再試験を受けどうにか単位をとり、実家に帰って入れ歯をつくってもらいました。アルコ−ルによる不慮の事故でした。家族には自転車の無灯火で大学の坂道にあるゲイトに気づかずぶつかった事にしてましたが、鉄のゲ−トにノ−ブレ−キで激突し、まだ歯が折れただけで済み幸いでした。首の骨をぶつけていたら即死状態でした。それでも酒のせいにするのは嫌で無灯火で見えずぶつかったと言い張り、退院後もまた飲み始めました。
 その後彼女ができSEX日々が続き相変わらず飲み続けてしました。一緒にアパ−トで料理を作り飲んで、SEXの背院津が続きました。そのうちいつも酒ばかりのんでどこもつれていってくれないと言われ、酒とSEXしか考えていないのかと言われ、喧嘩別れをしましたが、こりずに相変わらず飲み続けていました。ワインの一升瓶が本当によくたまりました。お金が底をつくと樹氷を買ってしのいでいました。それでも献血の検査では異常ありませんでした。また二日酔いはあまりしませんでした。
 生協活動と事故とSEXと麻雀と酒にあけくれる毎日でした。すでにアルコ−ル依存症になっていたのですね。41歳になって振り返って初めて気づきました。
 大学時代の合コンや酒で人生を語るのはおおいにいいけど、依存症に陥りやすいので要注意が必要です。また事故にもあうのでとても危険です。ここですでに一度命を救われたようです。

2006年11月19日

アルコ−ル依存症と肝硬変の体験談(大学1年生−1)

 大学受験も終わり県外の日本福祉大学に合格して入学式まで時間と目標を失ってしまいました。頭のなかにあったのは、どうやって大学で彼女をみつけ童貞をすてるかだった。大学を選んだ理由は海に隣接し、大学指定のアパ−ト1DKが安く、授業料も私大では一番安いし、大学が名古屋市内から知多半島に移転したばかりで、何もかも新しく、青春を海辺で彼女とつくるのにはとてもいい環境だと考えました。また、それを夢見ながら、想像を膨らましながら、やめていたアルコ−ルにまた手が伸びてしまい、ワインを飲みながら入学式まで過ごしました。さすがに予備校時代水泳1kmと腹筋背筋、腕立てと身体を鍛えダイエットもしていたおかげで、二日酔いというものはありませんでした。また体力が有り余り、睡眠時間が4時間程度で十分な身体になっていました。合格発表から入学式までの約1ヶ月、毎晩ワインを飲んで過ごしていました。どれらい飲んだでしょう。毎晩3合くらいだろうか。お祝いでいただいたお金が皆この時からすでに酒代に消えていく習慣がついてしまいました。
 不思議と両親に対して罪悪感は全くありませんでした。また、父が合格のお祝いで親戚を呼んで祝賀会をしてくれて、皆からお酒を注いでもらい酔ったのを覚えています。公然と皆の前で飲めるようになったのもこのときからです。それと入学式の際日本酒でアパ−トで鍋で乾杯してくれました。
 高校時代鬱とアルコ−ルで成績ががた落ちて生きる屍のようになってしまい、この先どう生きていけばいいか考える事もできなかった状態から、兄の大学の楽しさの話から(実は鬱の真っ只中、宇奈月温泉の元湯の黒薙温泉の露天風呂に気が進まなかったけど、無理やり初雪の日トロッコ電車に乗せられて連れて行かれ、そこで勉強一筋で教員になった兄から、家で猛反対されている酒を露天風呂に入るとき、ワンカップ2本ずつかってくれて飲ましてくれて、それが心を開く要因になりました。私には兄のくちから出てくる言葉がどれも驚きと新鮮さで驚嘆させられました。)
 

2006年11月18日

アルコ−ル依存しようと肝硬変の体験談(高校生)

 中学校で飲酒を覚えてしまいました。心地よい陶酔感。世界が自分のために回っているような錯覚。とても気持ちがいいのと反面、飲みすぎるとものすごい吐き気、立てないくらいに辛く、長く、永遠に胃腸が調子悪く、吐いては水を飲みの繰り返しが発生するのも学習しましたが、自分である量以上飲むと制御できず、身体が飲みたくなくなるまで飲んでしまう、そんな飲み方をする癖がついてしましました。それが高校に行ってやはり高校総体などで自習や模擬試験のときなど学校でワインを1本あけていました。そして机で寝ていました。このころから成績が確実に落ち始めてしまい、家庭で両親と義理の母との問題で家庭がすさみ、とことん行き達磨のように落ちていきました。中学までは飲んではいましたが、自宅で毎日飲んでいたわけではないので、それなりに勉強もしていたので、成績が良かったので、学校での失態や夏休みの失態などいわれなかったのかもしれません。
 高校2年生になり自然と授業についていけなくなり、毎晩続く祖母との関係をどうするかの家族会議で、祖母は気が狂い、真冬に家出して、寺の軒下で寝ていたり、遺族者年金を受け取っていたのでそれで温泉に長期湯治に行ったりしながら、家は商売していせいもあるのですが、家の嫁(母)の悪口やお金が盗まれるとか、家に一度もお金をだしたこともないのに、生活費をだしてなくなるとか近隣にでまをばらまくので、両親が大変悩み苦しんでいました。そして父はアルコ−ルでうっぷんをはらしていました。また、真冬に外で水をかぶったり、包丁を持ち出して死んでやると騒ぎ立てたり、殺されるといって警察を呼んだり、食事をとらずに閉じこもったりと異常な行動をしていました。でも私にしてみればいつもやさしいおば−ちゃんで、お小遣いをいつもくれるありがたい存在で、両親がきっと悪いにちがいないと決め付けていました。そして兄の結婚話がでてきて、そんな祖母のいる家に嫁を向かいいれる訳には行かないと、別れることになりました。そんなこともあってか高校のときにはまったく気力がなくなり、勉強はしなくなり、学校から帰ってくると父の日本酒を毎日ラッパ飲みで3〜5合飲んでいました。ビ−ルは3本飲んだりしていました。朝学校に行く前から飲んで行ったりしました。そのあとの体育のつらいこと。
 この毎日飲むことに気づいた両親にさんざん叱られましたが、なかなかやめられず、母が買い物で少し目を話した隙に日本酒を飲んでいましたが、それにも気づかれ、出かける際に酒のビンに線までひかれましたが、それでも飲んでしまい、あげくにわからないようにするため、水で薄めてかさをましたりしてごまかしたりしましたが、目をみられると、酔いがまわってくるととろんとした目になり、充血するためみやぶられました。何度もこんなことを繰り返しているうちに無気力になり、生きていること自体むなしくなってきました。
 叱られ何度も失敗をくりかえしているうちに、兄が大学の良さをさとしてくれました。半分が休みで単位さえとれば好きなことができる。日本一週や海外に旅行もいけるし、コンパで酒と女とたのしくできる。そんな楽しい話を聞いてから少しずつ、鬱で無気力だった自分に変化が現れ、酒を絶つことができ、1年間浪人しましたが、大学にも合格しました。この間1年半くらい酒は一度も飲まなかったし、水泳を毎日1km泳いで、腹筋背筋を150回、腕立て30回、読書を毎日2〜3冊読みふけりました。大学に行って酒と女と好きなように親から離れてできるのを夢見て頑張りました。動機はどうであれ、何かに集中し、興味がわくと飲酒欲求がわいてこないのが、今さらながらわかりました。だからこんな文章を書いて不眠症と飲酒欲求の対象をのがれるためにやっているんだと思います。
 この高校時代は酒を飲んで陶酔する魅力にとりつかれた依存症の初期だったと思います。ここですでに依存症が始まっていたのだときづきました。
 学校に通いながら朝5時に起きて飲みながら本を読み、帰ってきたら両親が仕事から帰ってくる前に酒を飲み、あじの干物や紅ズワイガニ(富山の館山育ちなのでよく夕方浜の人が売りに来ました)をつまみに、もらった小遣いで買って食べ、すぐ寝る習慣がついたのもこのころからかもしれません。体育が授業であったから体力があったので身体的に異常が出なかったのだと思います。浪人して一年間は酒から完全に切りはなれ、充実した唯一の飲まなかった青春の一年間でした。
 

アルコ−ル依存症と肝硬変までの酒歴と経験談

 そもそもアルコ−ルを口にしたのは小学校の3〜4年生頃、父と親戚関係が全部呑み助なのでお盆や正月などにみんなが集まったとき、ビ−ルを面白半分、好奇心から泡を舐める程度からはじまりました。
 中学2年の時に、面白さと好奇心と悪ぶりを見せて優越感にひたるため、学校にオロナミンCのビンに、ウイスキ−を入れて持っていって、友達と休憩時間に回しのみしたのが、依存症の原点です。悪はタバコをトイレで吸ってましたが、酒を学校で飲む人はいませんでした。私はタバコはたまにしか吸っていませんでしたが、ウイスキ−は家に帰ると父のジャンボのレッドのビンがあったので、毎日学校に持っていって2〜3人で180ccを飲みまわしているのが常でした。でもまだ酔っ払うとはどういう経験はありませんでした。
 そのうち学校の帰り道酒屋でウイスキ−のミニボトルを買うようになり、兄の影響でワインを1本などたまに買って、友達と学校で授業の自習時間のある日などよくもっていき、1本あけるというところまでエスカレ−トしていきました。そのころには酔いの気持ちよさと辛さもある程度わかるようになっていました。今思えば、そのときのお金は祖母から勉強代としょうして酒を買い、部活もせずとんでもないことをしていたと思います。ただ毎日飲むという常習性はまだありませんでした。ただ皆の気を引いたり、悪ぶってみたりするのが楽しくてやっいるじょうきょうでした。
 中3の夏休み一度ウイスキ−のレッド720mmを1本買ってきて、一瓶を初めて一気に飲んでしまい、10分後にはベットの上で倒れてしまい、朝起きたら布団のまわりがゲロだらけで起き上がれず、1日身体がしびれ動けなかったことを覚えています。入院して初めてしったんですが、大変危険で命を落とすところでした。少年の肝臓の処理能力と脳に与える影響、吐いた物がのどに詰まって窒息死するのが多いらしいですが、奇跡的に運よく二日酔いで済みました。この時両親からは何も言われなかったのは今でも不思議です。気づかなかったのか?言えなかったのか?どちらにしろ酒の二日酔いのしんどさと気持ち悪さには閉口しました。この後高校入試まじかまで一度もアルコ−ルは口にしませんでした(できなかった)。
 高校入試の前になると精神的に不安定になり、また悪ふざけがでてきて、二日酔いのしんどさも忘れてしまい、放課後職員室の隣の部屋にある湯沸し室にあったビ−ルを友達と盗んで屋上で数回のんだりしました。また、自習時間にワインボトル一気飲みして、酔ってしまい、歩く事ができず、ふらふらになり昼食の牛乳を口からだらしなくこぼしたり、うまく食べれず、記憶も飛んでしまいました。気づいたら机の上で放課後の授業の最中寝ているの気づきました。吐き気がひどくまわりに吐き散らしたらしく、異臭が漂っていたのを覚えています。また世話をしてくれた人もいたのを覚えています。トイレも階段もふらふらでやつとの思い出自宅にかえりついたのを覚えています。それから受験合格まで飲みませんでした。
 合格祝いで両親と親戚が食事をふるまってくれて、そのせきでビ−ルが公認ではじめて呑めました。ちょうどその日ワインを1本買って雪の下で冷やしておいて、食事の後の見直したのを覚えています。すでにこのときからアルコ−ル依存ができあがりつつあったのです。







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