2007年01月28日

さらば、わが愛 覇王別姫

チェン・カイコー監督作品 1993年香港
程蝶衣:レスリー・チャン
段小樓:チャン・フォンイー
菊仙:コン・リー

京劇『覇王別姫』を演じる二人の役者の愛憎を、あのラストエンペラー宣統帝溥儀が清朝皇帝の座を奪われ紫禁城を追放された直後から、日本軍の侵攻と抗日戦争、共産党政権樹立と文化大革命と、半世紀におよぶ激動の中国を背景に描いた物語。
自分を育てらなくなた娼婦の母に連れられ、孤児や貧しい家の子ばかりがいる京劇の養成所に入れられた少年(後の程蝶衣)は、そこでの辛い生活の中で自分を何かと庇ってくれる少年(後の段小樓)と親しくなる。厳しい修行を経て京劇役者となった二人は、段小樓の覇王項羽と女形程蝶衣の愛姫虞美人で『覇王別姫』を演じ、人気を得るようになった。
だが、段小樓が娼婦であった菊仙を妻に迎えることになり、常に寄添っていた二人の感情に亀裂が生じて来る。そして二人は、京劇役者としても激しい時代の変遷に翻弄され、紅衛兵の追及と菊仙の自殺により別々の道を歩むことになる。それから11年が過ぎ、四人組の追放によって世の中も落着いた頃、二人は久しぶりに『覇王別姫』を演じるのことになったが・・・。

以前から気になりつつ観そびれていたこの映画、コンギルを演じたイ・ジュンギさんも役作りの参考にしたというので、レンタルして観てみました。いつの間にか制作されてたから10年以上経ってたんですね・・・。

上でも時代背景を紹介していますが、1924年から1977年まで実に53年にも及ぶ物語です。こんな長い時間を描いた話だとは知らずに観たので、それに一番驚きました。年号もしっかり映画の中で紹介されいるので、歴史的背景が物語の重要な要素なのだという事がわかります。1924年は、辛亥革命で退位していた溥儀がクーデターにより紫禁城を追放された年で、1977年は四人組の追放の翌年です。

すでに『覇王別姫』を観ていた方は、『王の男』でこの映画を思い浮かべることもあったようですが、たしかに京劇の場面の他にも、主人公二人の生い立ちとか、舞台の上で男役と女役の相方であるとか、二人の関係性が物語の中心になっていることとか、色々連想される点がありました。私もこちらを先に観ていたら、『王の男』が『覇王別姫』から着想を得ている部分があるんじゃないかと感じたかもしれません。今となっては先に『覇王別姫』を観てなくて良かった、と思っています。

芸能を生業とする幼馴染の二人の男性の間にある、相手役として互いを必要とする強いつながりと、感情的な絆や愛憎、という似たモチーフを扱いながら、『覇王別姫』と『王の男』が描こうとしたものは、だいぶ違って見えました。そもそも時代も国も物語の中で流れた時間も違うので、違っていて当たり前なんですが、それにしては似たシチュエーションがあるので、比べても仕方ないのについ比べたくなるんだと思います。

子どもの頃の程蝶衣と段小樓を見ていたら、映画では描かれなかったチャンセンとコンギルの子ども時代も、あんな風に助け合って芸人修行時代を過ごしのかもしれない、とついつい考えながら観てしまいました。まだ少年だった程蝶衣が、その演技を賞賛された後、ひとりだけ劇団のパトロンである老人の部屋に呼ばれる場面があります。まあそいう意味で呼ばれたんですが、呼ばれた本人も、ともに演じたのに取り残された段小樓も、最初はその意味がわかっていませんでした。そんな場面でも、旅芸人の一座でのコンギルのことを思い浮かべました。そこに400年の時間の差はあまり感じませんでした。

でも時代背景ですごく違っているのは、程蝶衣や段小樓を翻弄していくのが、国家レベルの権力ではあるけど、直接的に彼らを追い詰めていくのは、自分の直ぐ側にいる権力に振り回された民衆や仲間だった事です。それが、『王の男』の場合は、暴君燕山君というとても判りやすい「王の権力」だったので、李朝の歴史的背景を全く知らない私にもとても理解しやすかったのだと思います。『覇王別姫』は、中国のあの50年を全く知らなかったら、判らないところもあると思いました。

『覇王別姫』では、主人公二人の関係をめぐる人間ドラマを描くと同時に、彼らの生き方に大きな影響を与えた中国の激動の50年を描くことが、物語の重要な部分でもあったように思います。でも『王の男』では、燕山君政権の時代にそこまでの意味はなくて、歴史上「暴君」というレッテルを貼られてきた燕山君を、今までとは違う角度から視ることで、一人の弱い人間でもあった「王」の姿を描くことに重点が置かれているようです。極端な話、権力を象徴する「王」なら誰でもよかったのかもしれないとも思いました。

『覇王別姫』が他者に受け入られない苦しみ、自分に忠実に生きることの困難さを物語っている、人生の深遠の無常のドラマなら、『王の男』は人にとって真の幸せとは何か、納得の行く生き方とは何かを問う、抵抗と希望の青春ドラマのように感じました。

イ・ジュンイク監督は、時代考証に忠実であることは求めなかった、というようなお話をさていましたが、それは実在の燕山君を描こうとはしていなかったからなのでしょう。そういえば、『覇王別姫』を観てから京劇の歴史についてネット検索したんですが、今のかたちの京劇が確立したのは18世紀清朝の時代らしいです。燕山君は16世紀の人、その時代の中国は清の前の明でした。その時代にチャンセンとコンギルが演じたような京劇は、まだ中国にもなかったことになります。『王の男』にとっての時代背景とは、そのくらいイメージ的なものなんだと思いました。

ところで、『覇王別姫』の出演者のことなど調べていたら、主演のレスリー・チャンさんて、2003年に亡くなられてたんですね。ちっとも知りませんでした。

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この記事へのコメント

1. Posted by サブラ   2007年01月28日 19:52
レスリー・チャンさんって確か自害されたのではなかったですか?
思うんですが、香港や韓国の方は才能がある方ほど短命なような気がしますね。
短命、というのとは違うかな。若くして自ら死を選ぶ方が多いということです。残念ですよね。
2. Posted by ヒトコ   2007年01月29日 02:09
そうなんです、自殺されたそうです。
亡くなったお年が今の自分に近いのもショックでした。
人前に出るお仕事で、才能のある方は、
色々と悩まれる事も多いのかもしれないですね。
本当に残念です。

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ヒトコ
40代パート主婦。2007年1月映画『王の男』を観て突然ハマり、ブログを始める事にしました。発言者"glassage"になってしまいますが、ハンドルネームは"ヒトコ"です。
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