2020年08月

2020年08月31日

SCARTS 1F コート 2020.8.22~9.22

石原吉郎の「水準原点」という作品のアニメーションが流れている。詩の詩の成り立ちというのであろうか、砂のようで波のような流れ。ときどき渦を巻く波のなかに文字が潜んでいるようで、波動であるものから点が生み出されるように、文字のつむぎが織りなすものが果たして詩であるのかは、ちょっと見ただけでは難しい。それでも字はひとつづつ浮き上がってくる。

 みなもとにあって 水は
 まさにそのかたちに集約する
 そのかたちにあって
 まさに物質をただすために
 水であるすべてを
 その位置へ集約するまぎれもない
 高さで そこが
 あるならば
 みなもとはふたたび
 北へ求めねばならぬ      「北方水準原点」

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もう一本は、環ROYのミュージックビデオ「ことの次第」を上映している。DNAの断片のようなものが、時として浮かび上がらせる文字、であろう一瞬すぎて。これは読み解くことは不可能であろうけれど。

▼写真集 ↓↓↓
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M0814gliding_flight at 23:22│コメント(0)文学展・研究会 │

2020年08月22日

Cafe&diningbar Lin 2020.8.10

Cafe&diningbar Lin で3周年を迎えてのコンサートが開かれました。当初屋外の予定でしたが、雨のため室内で距離をとってということに。
演者は扇柳トール氏と星直樹氏でお二人。そのユニット名は「星一徹」と聞いて、なんかものずごく突っ込みたい気分になった。
それで星氏はギター演奏なんです。で途中からブズーキに。扇柳氏はアイリッシュミュージックということで、最初はテイン・ホイッスルという小型の縦笛を演奏。これはなかなかに高音で繊細な感じです。それからおもむろに桶を片手にするのです。こちらがポーランというアイルランドのフレームドラムです。片側にのみ皮が貼られた手持ちの太鼓でバチで演奏をする。
ネットで調べるとバウラン(bodhrán)がもともとの名前で、アイルランド語の dh が w の発音であるので「バウロン」という方が正しいようではあります。意味としては、ゲール語の「bodhár(鈍い響き、耳の遠い人)」であるとか、まあ、なんじゃそりゃですけど。
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アイルランドの音楽は、クラッシックと違い楽譜がなく、生活の中から生まれてきたものとのことで、結構速いテンポでも演奏できるようです。それで面白かったのが、このポーラン(パウロン)は、最近までは単なる台所用品であったそうで、食べ物を乗せるとかパンを焼いたりするのに使っていたとか。あながち初見で桶だと思ったのは間違いなかったようです(笑)。
それが祭りの時なんかに打楽器として使っていたといいますから、日本でいう小皿叩いて”ちゃんちきおけさ”と似てきますね。これでCafe&diningbarのリンで、アイリッシュ! の謎が解けました?
後の方では音楽仲間のブライアン氏がフルートで加わってきた。とにかく堅苦しさがなく、聴きに来ている飲みに来ている方々の表情はとても柔らかい。次回はアイリッシュダンスをという声も聞こえた。
そして料理長と店長の挨拶。ついでに来場者挨拶みたいな流れになったもので、村田も恵庭の詩作品「ばんじり897渓谷」を朗読参加させていただきました。
Cafe&diningbar LINは現在、モーニング7:00-10:00、ランチ11:00-15:00、ディナー18:00-20:00で月曜定休ですが、不定休もありますので。ちなみに恵庭の「くんせいカレー」の元締めであります。


M0814gliding_flight at 18:32│コメント(0)イベント │

2020年08月15日

札幌市青少年科学館 2020.8.6-8.16

夏休み用の特別展が開かれている。今回はコロナ対策として手で触れるものはNGとしてある。
まずは錯視パネルのコーナー・見ているだけでこちらが揺れたり、絵柄が動いて見えたりのパネル図形の数々。
カメラ片手に、正面から見ると奇妙な角度のあるものが、特定の角度から写真を撮ると一枚の絵として見えるトリックアートの世界。
照明の位置で並んでいるグラスの水が透明であったり、濁って見えたりするシンプルなもの。
モノクロ写真がカラーに見えたり、お化けの口に注目しているとそのお化けの絵が消えてからも見える「補色残像」。
同じ色(例えば青)でも背景の色合いによって薄くも濃くも見える「ムンカー・ホワイト錯視」。線分の長さはみな同じ、なのに矢印が加わるとA=B=C=Dに見えない「ミュラー・リヤー錯視」など。動いている作品の横のパネルには、動かすための自作のモーターを買いに行ったとかの苦労話も書かれていて、読むと感心して、もっと錯覚してしまう効果が(?)あるのやら、ないのやら。
錯視動画のコーナーでは踊り子の写真が一枚、それが回転すると右回り?左回り? 最初の時は途中で回転が変わった。二回目はずっと同じで肌利回りだったんだけどなぁ~。
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変身立体と名付けられたコーナーでは、目の前には歪んで欠けた丸い形なのに鏡のなかでは星の形。お隣では、ダイヤモンドの形が4個並んでいるのに、鏡のなかではスペードにハートにクラブにダイヤ・って! なんだこれは!
こちらの特別展を出てからでも、合わせ鏡や万華鏡のなかだったりとさすがに科学館は面白いね。

〇写真集 ↓↓↓
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M0814gliding_flight at 15:45│コメント(0)美術・芸術展 │

2020年08月09日

レッドベリースタジオ前庭 2020.7.19

丹羽雅春氏は昼も夜もハイカイしておられるハイジンらしい…自作俳句は「花」近詠十句抄。”短気だがもう二十年菊作り”なかなかに男性の重い声で繰り返される言葉はそのまま、見聞きしているガーデンに染み込んでいく。
次いで宮野入恵美子氏は須賀敦子「ヒヤシンスの記憶」。色あせる青ざめたなのか、それならばピンクが良かったのか。持ち帰る季節の春にパリは人にあふれていたが、ここトリエステの地はどうか。同じ匂いがするその名前は希望。
村田譲氏は自作詩でまず「美薗通り二丁目」では最後に一輪、ひまわり咲かせて。そして作品「プロポーズ」は花ならば花束、花束と言えば、の二篇であった。
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苫小牧から参加の森れい氏。「さくら」遠のくほどに見つめられる、天に抱きとめられるとき。土の匂いや花粉に抱きとめられて、胸が。もう一篇「密約桜」、逢いたいと、逢う逢わぬの幻想を咲かせる一本の、だから呼ぶ。それを私は呼ぶその名で。
山内紀子氏三浦哲郎作「ふくろう」から花の題「ゴボウ」。そして「山椒」、会場にも山椒の、ひっそり咲いている、知らぬ長女は雑草と思い、これ抜いちゃうよと声を出す。見に行くと山椒、おお、これなんだ庭師の服に付着してきたものである。そして「花豆」を。
飛び入りの形で参加した、福士文浩氏は最近出版した詩集『光の箱』から「フラワーワゴン」を選択。主人公はロバ。見たことのない色の花を見つけ出しあなたの町に行くのかもしれないのです。


M0814gliding_flight at 08:27│コメント(0)朗読・ポエトリーリーディング │

2020年08月01日

レッドベリースタジオ前庭 2020.7.19

今回テーマは「花」ということでありました。
まず嘉藤師穂子氏が自作詩「百日紅」を。誰にも会わずに帰りそうないろはに、伊香保温泉。富岡工場での巡り会わせは百日紅、猿が滑るようこそここへ。ここ前橋は水が綺麗で、子どもが暗唱する縄文かるたの、あさきゆめみし裾野をおろし赤城山。私ではない人とでも人同志の巡りあう、偶然の、巡りあう赤い花の百日咲くから百日草、と言葉遊びの趣を交えゆったりの時間の始まりを告げて。
工藤ひろ子氏の小川未明作「野ばら」。大きな国と小さな国の国境にはそれぞれ一人づつの兵士が見張り役。老人と若者は仲良く時間を過ごしていたが、ふたつの国で戦争が始まると、若い兵士は遠くの戦場に向かい、老いた兵士は残る。戦争が終わったとの報告と野薔薇の枯れる夢に老兵士は国境を去った。オカリナの演奏が寂しく聞こえる朗読。
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坂本孝一氏は自作詩「花の向こうには」である。隠れているものは何であろう。アジサイのハコベの、季節に振りかえるものがない。見つけてほしい小さな希望、朝陽、そして来る年も目を輝かせる世界をみせるからと。
今回の主催である小樽の高橋明子氏。自作詩「朝顔」咲きましたねとの声、見かけないお年寄りであるが、咲かせるのは通りを歩く人、誰かが見ていてくれるから。「道路のどん詰まりの三宅さんの家」、そして三篇目の「不覚にも」は軽いタッチ、シャワーの最後に流してしまうその思いの一枚を。
田中瑞枝氏はキャサリン・マンスフィールド「カナリヤ」を。鳥かごの中の仲間。犬や猫ではなく、その歌声のなかには悲しみも混じっていたであろうこと。


M0814gliding_flight at 23:26│コメント(0)朗読・ポエトリーリーディング │