2021年11月13日

ドラマシアターども 2021.9下旬

札幌エルプラザで10月31日の開催された「第10回午後のポエジア」であるのだけれど、直接に多くの人が集まるのはよろしくなかろうということで、動画鑑賞会となった。それでその動画の収録が各地で行われることとなったのだ。そのひとつに参加です。
10月下旬、江別のどもに集まったのは、霜田千代麿、菅原みえ子、熊谷敬子、村田譲の各氏。
まずは霜田千代麿氏、ドアを開けて真っ暗なスタジオに入ってくる。椅子に座り、ズビグニェフ・ヘルベルト作品「我思う氏(パン・コギト)の終末論的予感」を腰を曲げ鞄から取り出す。そしてゆっくりと声を出し始める。我思う、パン・コギトの生涯においてどれほど多くの奇跡、輝きと転落・・・永遠を待つのかしかし、ない、ない、ない。彼は流刑の身の皇帝か。ない、ない、ない、思い出も何もない。忘却の道を進むために、天国行きのための選考委員会は正常でありつづけ、が我思う、パン・コギトは抵抗する。飢餓を、棘を、地上の尖った角度を、波の鞭を、感じ続け見つめる痛みの感覚。天国の勤務に不向きなものがいると誰が信じるであろうか! その絶叫を鞄に閉じ込めて立ち上がる。
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次いで菅原みえ子氏も、ズビグニェフ・ヘルベルト作品の3篇を声にする。まずは立ったままで作品「母とその息子」森のはずれ、母子の絆は固かった、しかし母が死んだとき。作品「母」巻いた毛糸が転がる、彼はもつれた姿で山を登り辿り着こうとする。甘い膝の玉座を目指して。差し伸べた手は闇の中に。それから椅子に腰かけ直して作品「おばあちゃん」を読み始める。長いドレスを着て、その膝の上に腰かける。全世界のことを話しかける。しかし彼女は出身のことは話さない、アルメニアの虐殺のこと、は。
村田譲 & 熊谷敬子組はアダム・ミツキェヴィチの叙事詩『パン・タデウシュ』を選択する。そのなかより、第三の書「大人のおふざけ」。さて、タデゥシュは、もっともですと言って話し始める。雲の形の自由さをポーランドに例えるが、穏やかな鳥の姿は、馬となり、船団ともなるのだ。その例えは誰の何に対応するものであろうか。そして伯爵とテリメーナの作り上げた愛と裏切りと。そこに鳴り響く鐘。終末の、それとも単にメシの時間を知らせるだけなのか。今回の作品は映画化されており、当然に日本語訳がある。だが、その訳が嫌いだということで、英語版からの私家訳なのです、まさに”おふざけ?”イエイエ大まじめです、WWW。
収録を担当したのは、田中茂と熊谷敬子の両氏である。


M0814gliding_flight at 12:17│コメント(3)朗読・ポエトリーリーディング │

この記事へのコメント

3. Posted by 安藤厚(北海道ポーランド文化協会   2021年11月17日 22:22
こちらは非公開、了解しました。
FBの方に再生リストのリンクを載せていただいたおかげで、視聴回数が30~50回ほど増えました。感謝。
2. Posted by M0814   2021年11月16日 20:46
安藤さん、いらっしゃいませ
こちらのコメントは公開ではないですからね?
1. Posted by 安藤厚(北海道ポーランド文化協会   2021年11月14日 21:15
5 朗読会「午後のポエジア」10(動画)は↓からご覧になれます。
https://www.youtube.com/playlist?list=PLBS8QnZswkMlc0J0mmND-FgEOlbpWUX-E

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