空中庭園な日々

「空への軌跡」別館 ―― 北海道の詩誌を中心に & 気になるニュース

『現代詩神戸』254

現代詩神戸『現代詩神戸』
編集・三宅武・永井ますみ・田中信爾(神戸市)

水こし町子作品「ままごと遊び」。子ども時代の思い出であるままごと。それがいつ終わるのかは予測のしようがない。しかし自分が大人になって子どもが出来れば、そのときには確実に思い出すのだ。きみえちゃん、さっちゃん、二人と別れたのは陽が沈んだからなんだが、こんなに遠くに来てしまうとは思わなかったのだろう。だからの行方不明。花びらを葉に乗せて、どうぞ。
永井ますみ作品「ままだいすき」。四歳児がパソコンの前、ママってどう打つのと婆ちゃんに聞く。お手紙はローマ字入力で、置手紙なのかメールなのか。就職口がなければ住んではいられぬ、本当は一人で気ままが好きなんだけれど、どこかで母ちゃんのことも思い出すのさ。日本列島にまで流れてくることを画策した歴史的な阿呆はどんな手紙を残したものか。子どもは子ども、親は親。自分は自分であるのだが、自分はさて親でありいつまで子どもか。
土屋宣子作品「テキーラ&ウオッカ」。うーむ、詩人は複雑に入り組んだカクテルを飲むものだとのお話である。が、そもそもテキーラにしたところでメキシコの竜舌蘭(サボテンではない)そのなかでもアガペ指定であり、アルコール度数も35度以上(ウォッカも度数は強い)。だから割るんじゃないでしょうかという気もする。ほとんどの酒は、例えば日本酒だって加水するし。発酵させるという時点で十分複雑と思われるのですが、ねぇ。作者はお酒は好きなのかなぁ〜って。

警官が黒人を射殺する自由の国

警官が黒人を射殺する理由、アメリカ社会の欺瞞を告発する

■今回の一冊■
「Between the World and Me」/筆者・Ta-Nehisi Coates/出版社・Spiegel & Grau
 当然のように黒人が警官に射殺されるアメリカ社会の欺瞞を告発する書だ。黒人のジャーナリストが自身の15歳の息子に語りかけるスタイルで書き上げた。黒人に生まれた以上、些細なことで警官に殺されるリスクがあるから気をつけるよう、息子に切々と訴える内容だ。黒人奴隷を酷使して経済的な繁栄の基礎を築いてきたアメリカでは、アメリカン・ドリームなど幻想だと戒める。
 黒人を虐げてきたアメリカの歴史に対する怨嗟、消えてなくならない黒人差別から目を背けるアメリカ社会に対する怒りに満ちた書だ。将来に甘い希望を持つことなく、自分の身を守るよう息子を教え諭す。息子にあてた手紙というスタイルを貫いており、現実との妥協や打開策を模索する姿勢をまったくみせない。

○「奴隷であった期間の方が、 自由の身になってからの時間よりも長い」
 人種差別というアメリカ社会の闇が浮き上がるだけで、まったく救いのない本だ。しかし、50週以上つまり1年以上にわたり、ニューヨーク・タイムスのベストセラーリスト(ノンフィクション単行本部門)にランクインを続ける超ベストセラーだ。
 本書の主張は次の一文に集約されるだろう。
 In America, it is traditional to destroy the black body―it is heritage.
 「アメリカでは昔から黒人の体を破壊する伝統が続いている―これは定めなのだ」
 この夏も、アメリカでは丸腰の黒人青年が警官に射殺される事件がいくつか起きた。本書の主張にならえば、アメリカは昔から黒人を殺し続けているし、これからも同じことが続くということだろう。筆者はだからこそ、自分の息子に気をつけろと次のように警告を発する。

 ・・・・the police departments of your country have been endowed with the authority to destroy your body. It does not matter if the destruction is the result of an unfortunate overreaction. It does not matter if it originates in a misunderstanding. It does not matter if the destruction springs from a foolish policy. Sell cigarettes without the proper authority and your body can be destroyed. Resent the people trying to entrap your body and it can be destroyed. Turn into a dark stairwell and your body can be destroyed. Destroyers will rarely be held accountable. Mostly they will receive pensions. And destruction is merely the superlative form of a dominion whose prerogatives include friskings, detainings, beatings, and humiliations. All of this is common to black people. And all of this is old for black people. No one is held responsible.
 「・・・・お前の国の警察は、お前の体を破壊する権限を与えられてきた。破壊が不運な過剰反応の結果なのかどうかは問題ではない。誤解から破壊が生じたのかどうかも関係ない。破壊が馬鹿げた政策のせいなのかどうかはどうでもいい。ちゃんと許可をとらずにタバコを売ると、お前の体は破壊されるかもしれない。お前の体を拘束しようとする人々に抗うと、お前の体は破壊されかねない。暗い階段に身を入れると、お前の体は破壊されうる。破壊者たちが責任を問われることはまれだろう。むしろ、破壊者たちはほとんどの場合、何事もなかったかのように勤め続け、退職した後は年金を受け取るだろう。また、破壊とは支配権の最上の様式にすぎない。支配権が持つ特権には、身体検査や拘留、殴打、辱しめることも含むのだ。黒人にとってこれらのことはすべて、当たり前のことだ。また、黒人にとって、これらのことはすべて昔からあることだ。誰も責任を問われないのだ」
 結局は、黒人の奴隷を利用して繁栄したアメリカにおいて、黒人差別がなくなるという楽観を筆者は持てないでいる。息子に呼びかける次の一文も印象に残る。
 Never forget that we were enslaved in this country longer than we have been free.
 「けして忘れるな。われわれはこの国で、奴隷であった期間の方が、自由の身になってからの時間よりも長いことを」
(中略)
○いまだ存在する深い断絶
 さらに、アメリカの豊かさは黒人奴隷たちの犠牲のうえに成り立っていると筆者は言い放つ。

 At the onset of the Civil War, our stolen bodies were worth four billion dollars, more than all of American industry, all of American railroads, workshops, and factories combined, and the prime product rendered by our stolen bodies―cotton―was America’s primary export. The richest men in America lived in the Mississippi River Valley, and they made their riches off our stolen bodies.
 「南北戦争が始まった当時、われわれ黒人の肉体は40億ドルの価値があった。アメリカの全産業を上回る価値があった。アメリカの鉄道や事業所、工場をすべて合算したものより価値があったのだ。そして、われわれの盗まれた肉体をつかって生み出された一級品であるコットンは、アメリカの主要輸出品だった。アメリカの最も裕福な人たちはミシシッピー・リバー・ヴァレーに住み、われわれ黒人の盗まれた肉体を元手に富を手にしたのだ」

 筆者は自分の息子に対して、明るい未来への期待などを語ったりはしない。血塗られたアメリカの歴史を直視し、丸腰の黒人が警官に射殺される事件が今でも相次ぐ現実を淡々と語りかける。あくまでも息子に語りかけるだけで、白人たちに反省や謝罪、改革を求めることはない。現実を現実として受け入れ息子に生き延びる術を伝えようとしている。
 こうした本がベストセラーとなることを、どう受け止めるべきなのだろうか。(後略)

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160831-00010001-wedge-int&pos=1
Wedge 8月31日(水)11時20分配信 (←出典

詩とエッセイ『千年樹』第67号

千年樹詩とエッセイ『千年樹』
編集:岡耕秋(長崎県諫早市)

岡耕秋作品「不知火」。不知火という言葉は有名であるが、これが九州の有明海や八代海の沿岸という地域限定の話とは知らなかった。夏場の漁火などによる光の屈折現象全般と思っていたのだ。さてこの詩誌も長崎であるし、成る程である。海という広大に向かい”私に燃えうつる”という表現が幻想的。
魚本藤子エッセイ「名詩鑑賞(九)」。安西均の作品「新しい刃」というのは髭剃りの話しであって、家庭内暴力のこととは全く違う。それでも五月蠅い親はやはりどこまでも親なのだが…。52歳のときの作品とのことだが、年齢が書かせる詩というのは、確かにある。そしてそれを捕らえることのできる作家とそうではない作家もまた居るわけだ。
木村淳子エッセイ「アナイス・ニン私論(八)」。アナイス・ニンが書く理由について。そもそも日記であったという。家族を捨てて逃げ出した父親への手紙として。生活の記録として。異国で退屈している弟たちへの物語として。幻想を交えた言葉たち。移民の母子家庭という現実からの逃避。別れたい父との再会を望むのは、取り戻したい生活と時間。自分の居場所。こうしたことからニンの作品の社会性を読み取っていく。また、フイクションへの三技法として、抽象化、象徴的表現、隠喩(メタファー)の活用を取り上げている。

貧乏人、らしさ

(前略)「貧困とはどのような状態を指すのか」「貧困であるかどうかを決めるのはいったい誰か、そしてその基準は?」という問題です。
◇その社会の「普通の暮らし」ができているかどうか
 「貧困」の言葉から何を想像するかは人それぞれですが、多くの人は、貧困とはものを食べられず、服も買えず、住むところにも困っているという状態をイメージするでしょう。
 このように、肉体・生命維持で精いっぱいの極限状況を「絶対的貧困」と呼びます。発展途上国で見られるタイプの貧困で、国連は、低所得、栄養不良、健康不良、教育の欠如など、とうてい人間らしく生きられない状態と定義しています。
 貧困について、特に欧州では、19世紀半ばから議論が始まりました。絶対的貧困は社会が対応しなければいけないという認識が広がり、20世紀に入ると、社会保障で貧困をなくす動きにつながりました。その意味では、先進諸国では絶対的貧困は解決された、とも言われています。
 1960年代になって、英国の社会学者ピーター・タウンゼントが「相対的剥奪」(Relative Deprivation)という概念を提唱しました。「最低限のものを食べられて、着る服があれば貧しくないのか、人間的な生活と言えるのか」と問題提起をしたのです。これが「相対的貧困」という概念です。
 タウンゼントはいくつかの「剥奪指標」を示しました。ちゃんと食事をしているか、外食をしているか、友人関係を維持しているか、習い事や教育にお金をかけているかといった指標です。
 冷蔵庫を持っているか、ホームパーティーを開いているか、という項目もありました。国によって違いますが、通常の人が享受しているこれらの指標がもし剥奪され、その社会の人間が考える「普通の暮らし」ができていなければ、その人は「相対的に貧困である」と考えられます。
 社会生活から剥奪されたものをとらえ、先進国の貧困、普通の暮らしを定義しようとしたわけです。そして、国民の半数から60〜70%ほどが実現している指標が欠けている場合、何らかの支援、所得補償が必要と判断されます。
 この概念は「貧困を再発見した」と言われました。欧州ではこうした議論が半世紀以上続き、貧困を巡る議論はすでに成熟しています。絶対的貧困と相対的貧困の混同は起きません。
◇「支援を受けたいなら貧乏人らしくしろ」は傲慢だ
 ところが、今回の貧困バッシングでは、女子生徒の1000円ランチがたたかれました。「貧困であることをアピールし、支援を求める高校生がランチに1000円もかけるとは何事か」という偏狭な批判です。貧困なのだから映画を見てはいけない、アニメグッズをそろえてはいけない、と求める批判者は、支援されるべき貧困を「絶対的貧困」と考えています。そして、「貧しい者は貧しくしていろ」という懲罰的態度を無自覚に相手にぶつけています。
 「貧乏人は貧乏人らしく」という目線は、貧者を「劣った者」と見なし、隔離した16世紀英国の貧者隔離思想に近いものです。
 昔の英国社会では貧困は罪でした。本人が怠惰で、なまけていて、努力する意思もないから貧しくなったのだと見なされました。貧困の「個人原因説」です。貧困者はムチで打ってでも働かせるべきだと考えられ、懲役にも近い形の収容所に送り込まれていたのです。
 日本の憲法第25条は、相対的貧困の考え方を先取りする形で、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」とうたっています。にもかかわらず、日本ではいまだに貧困バッシングが続いています。2012年の生活保護バッシングも同じ構図です。(後略)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160903-00000016-mai-soci
毎日新聞 9月3日(土)9時0分配信 (←出典

『弦』66

弦『弦』
編集発行:渡辺宗子(札幌市)

渡辺宗子作品「蜻蛉の落日」。さて、蜻蛉はトンボだろうかカゲロウだろうか。今は、一般的にカゲロウは蜉蝣と書くようであるし、日本では空を飛ぶ類をトンボと称して「蜻蛉」と言い慣らしているようなので、トンボと解釈しておく。だがどうも明るくない。随分と暗い感じがして、秋というだけの雰囲気といっていいものか・である。最終連でようやく”赤とんぼ”と出ては来るわけだが、トンボは古来、日本を指し示す秋津(アキツ)とも呼ばれている。となると日本全体の21世紀の不吉を読み込んでいるようにも感じられる。
金石稔エッセイ「少年少女のための愛唱詩篇〈番外篇・萩原恭次郎)」。『死刑宣告』の序、各行各自に独立せしめよ、急速なるテンポを一行にもたらしめよ、然して・・・という激しさ。自分を熱量とみて、生きることと、詩人であることを”欲情”と捕らえる。まあ、異論はない。ただ生きられないし、書けないだろうと思う。まさに、群衆の中にいるひとりの不在者。1925年という時期の「露臺より初夏街上を見る」は面白くもあるが、共有するつもりがまったく無いだろう。ゼロ記号の多様とみれば陳腐とさえ見えかねない、21世紀とはそういう時代なのだと改めて思うわけだ。
渡辺エッセイ「童話のほとり・プーくまのうた」。北極とは、発見するものだ。何ということだろう答えがここにある。

DVD『恵庭朗読会』

DVD恵庭朗読会DVD『恵庭朗読会』
永井ますみ・編集
山の街から・発行(神戸市)

当初は平日の夜に苫小牧集合とのことであったが、北海道の広さ(札幌と苫小牧は鉄道距離で約70キロ)で、交通の便、就業時間を考えると飲めるのは一時間以下かな・ということで、両駅のほぼ中間の恵庭へと会場を変更。最初はただの飲み会のはずが、急遽、飲み屋のワイワイガヤガヤ朗読会をしようということに。
世間話込みの朗読会の最初は、みど氏の作品「俺はブルーシート」。今という時代を覆ってみせる。どこか仕事柄のお話しという感じもするような内容。
神戸から来道した、永井ますみ氏の作品「道の真ん中でウンコが湯気立てて」は、あまりに料理が美味しくなりそうなタイトル。40年を遡り、ここという実感まで導いていく、とてもいい作品。
それを一気に洗い流すように雨の、村田譲氏作品「雨の冒険者たち2016 (または、酒の酩酊者たち ・ もしくは、酒場で朗読する輩たち ・ ひょっとすると、あんだん亭の珍客たち)」。タイトルも長いが朗読も長い。その場の空気に合わせての変奏曲。
最後に割りと短めであった、ちえ氏作品「心の風景」は、どうも霊界通信との噂話もあるらしいのですが、そこに留まることそしてその理由とは何か。
当日のことはHP『空への軌跡』内「吟遊記」で紹介。ただ、飲み屋での朗読は、左右にお客さんがいるし壁があるしで、狭くて何処向いていいのか分んないのがネックでありました。ご利用は計画的にって本当に思います、わははははははは。

日本のアフリカ支援の意味

(前略)
○「日本は中国・アフリカ関係を挑発」・・・ とにかく、中国は先のTICAD6(第6回アフリカ開発会議)で日本が2018年までに官民300億ドル規模の対アフリカ投資を表明したことについて、非常に反感というか危機感を持っている。昨年12月にヨハネスブルクで開かれた中国・アフリカ協力フォーラムで中国は3年間で総額約600億ドルの支援を表明したから、それと比べると半分にすぎない少額であるにもかかわらず、その反応の激しさに驚く。
 中国外交部は定例記者会見上で次のように発言した。
 「遺憾なことは、TICADにおいて、日本は自分の意志をアフリカに押し付け、私利私欲を図り、中国・アフリカ関係を挑発しようとしている」
(中略)
 9・11事件以降の世界の変化として、中国の中華民族の復興、中東のイスラム原理主義の台頭、アフリカ・ラテンアメリカの資源ナショナリズムの台頭がある。いずれも行き過ぎたグローバリズムの逆流としてのナショナリズムの台頭といえるが、西側の普遍的価値観は中華民族の復興とイスラム原理主義の台頭については批判で一致し、アフリカ・ラテンアメリカの資源ナショナリズムは同情と支持を表明している。
 一方、中国はこの資源ナショナリズムと普遍的価値観とは対立の姿勢を示している。中国のナショナリズム、つまり中華民族の復興を実現するには、資源の対外依存度が今以上に高くなっていくということであり、アフリカの資源ナショナリズムと対立する形にならざるをえない。投資と占有開発でアフリカの資源を奪う従来のやり方を変更することは難しい。
 アフリカ諸国の政府自身は、今のところ中国との外交と援助姿勢を重視しており、中国にかなりの気の使いようだが、まがりなりにも選挙で大統領を選ぶ国家では、最終的には民意がものをいう。中国のやり方を新植民地主義と感じて抵抗感をもつ知識人や市民は増えていくだろうし、中国がやり方を変えないかぎり、対アフリカ投資はますます前途多難に陥るという見立てはだいたい間違いないのだ。
○「善意の日本」が中国への有効打に・・・ この事実を中国側は十分に認識しているのだが、発言上は、中国は「西側のライバル企業が中国脅威論や新植民地主義を喧伝して、中国企業の邪魔をしている」と言う。中国にすれば、かつてアフリカをさんざん食い物にした欧米諸国には言われたくない、という思いもあるだろう。
 だがアフリカに植民地を持ったこともない「善意の日本」が、アフリカの資源ナショナリズムを尊重しつつ、きめ細かい開発や投資に乗り出せば、額は少なくとも、これは確かに現地市民の対中感情を相対的にさらに悪化させることになるだろう。中国にしてみれば脅威を感じて当然だ。経済リターンを得るという点では、かなり難しいが、日本の目的は中国への牽制であり、国連におけるアフリカ諸国の支持を得ることだとすれば、それは多少なりとも効果があるはずである。少なくとも、中国がここまで警戒心をむき出すということは、日本のこの一手に効果があるとみているということである。
 アフリカは中国の一帯一路(陸のシルクロードと海のシルクロードの外交・経済一体化構想)戦略の海のシルクロードの終着点という意味で、中華秩序圏拡大(中華民族の復興)戦略の鍵となる土地。日本はこの中国の思惑に対し、インド洋から太平洋にかけて海洋安全保障にアフリカを組み込むことで中国を牽制、南シナ海からインド洋にかけての開放性を守りたい。それは尖閣諸島を含む東シナ海を中国の覇権から守ることにもつながる。
 日本にしては珍しく、明確な戦略と視野をもった外交ではないか。困難はあろうが、うまくいくことを願っている。

http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/218009/090500062/?P=1 (←出典
中国新聞趣聞〜チャイナ・ゴシップス 2016年9月7日(水)

『北海道詩人』No.141

北海道詩人『北海道詩人』
発行所:北海道詩人協会
事務局:坂本孝一(札幌市)

2016年度の定期総会が札幌アスペンホテルで開催され、20名の理事が選出された。互選により会長に若宮明彦氏が選出、副会長に岩木誠一郎氏が再任、瀬戸正昭氏が新任となった。2015年の事業報告と2016年の事業計画と予算案の承認がなされた。また第53回の北海道詩人協会賞には、笹井のぶこ詩集『夏の謀り』が受賞となり賞の贈呈式が行われた際に、詩集より作品「骨の記憶」「鋏」のニ篇が朗読、紹介された。また選評が掲載されている。
イベントとしては、さっぽろ自由学校「遊」の「キャンドルポエム・ささやかナイト」や小樽詩話会が1200回の例会を記念し朗読会が行われたこと。山猫座朗読ライブで6周年記念に「山猫座版・卒塔婆小町」が演じられたこと。第三回「北海道横超忌」では下関から北川透氏を講師に招いたことなどが紹介されている。
今回は写真を多用し、総会・詩人祭のメモリアルとして一ページを割いている。
今年度の「北の詩祭」は10月の第5週となる、29日(土)に13時〈午後1時〉から、札幌市教育文化会館で開催とのことである。

『小樽詩話会』no.596

小樽詩話会『小樽詩話会』
発行者:十和田梓恭子(小樽市)

高橋明子作品「ふ・ふ・ふ」。ステッカーと切手を間違えたとの郵便局のお詫びのシール、郵便番号別住所選別マシーンは、それなりに不便である様で、結局は手作業になる。その小さなところにホッとするのは、まあ、分るような気もするし…。取り敢えず平和だということでもあろうかなぁ。
井上共子作品「戦後何年目?」。その時代を生きるということは、時代を選ぶことができない以上大変なことではあろう。戦中派の母親の”戦後”がそろそろ病室で終わりそうだという。しかし私たちには続くのだ。そもそも戦後というが、それはイランイラク戦争のことなのか、もしくはアフガン戦争、これからはISテロを指すのかもしれないのだ。終わったと思えることは幸せであるが、伝えることとは全く違うわけである。
根深昌博作品「リアルタイム」。少子高齢化という問題をポジティブに受け止めているのだろうか。まあ、すでに問題化していることに関しては、悩むよりは解決策の方が重要であろう。その意味での4連。ただ、ラストが個人的過ぎて(私的には)やや不満が残るところではありますが。

韓国軍・偽りの歴史

 韓国で「戦争の英雄」の戦果が偽物だったとの証言が飛び出し、物議をかもしている。朝鮮戦争勃発時の1950年に、火炎瓶を手に命がけで北朝鮮軍戦車を破壊したとして「国の英雄」に認定されていた小隊長が、実は戦わずに敵前逃亡していたというのだ。
○実は逃げていた ・・・ 焦点となっているのは“英雄”のシム・イル小隊長。その「功績」は1950年6月に始まった朝鮮戦争でのものだ。開戦当初は戦車をほとんど持たない韓国軍に対し、北朝鮮が大量のソ連製T−34戦車で攻勢をかけたことから、韓国軍にとっては敵戦車の破壊が最重要課題だった。当時韓国にあった対戦車砲や小口径のバズーカ砲(無反動砲)では歯が立たず、韓国軍は総崩れした。この窮地に立ち向かったのがシム氏だ、というのが定説だった。
 韓国KBSラジオ(電子版)などによると、シム氏は開戦当日の6月25日、北朝鮮と国境を接する韓国北東部の江原道にある春川市で、北朝鮮の「戦車型自走砲」10台あまりを発見。対戦車砲部隊の小隊長だったシム氏は砲撃を開始するものの、命中した弾はすべて戦車の装甲にはじかれた。そこで、5人でチームを組んで手榴弾と火炎瓶で肉迫攻撃を行い、3台を撃破した−というのが、伝えられてきた「韓国の歴史」だった。軍と国民の鑑として、かつては教科書にも載った英雄で、いまも公園や陸軍学校に銅像が立っているという。
○ところが、こんな英雄譚は全て嘘だったとの証言が今年6月中旬に明らかにされた。 ・・・ 朝鮮日報(電子版)によると、証言したのは当時、シム氏と同じ第7連隊の隷下にあった第1大隊で中隊長だったイデ・ヨン予備役陸軍准将(91)だ。イデ氏は当時、シム小隊長が戦車の攻撃を受けて逃走したのを、自分の布陣する高地から見ていたという。「後退するのは仕方ないとしても、自分の部隊の大砲を置き去りにして逃げたことは問題だった」。シム氏の上司にあたる中隊長は責任を問い、小隊長だったシム氏は閑職の連絡員とされた。
○情けが思わぬ方向へ ・・・ その後シム氏は作戦中に敵の攻撃で戦死したが、問題はこの後に始まった。
 シム氏の親が軍部隊を尋ね、他の兄弟も戦死したと嘆き悲んだところ、連隊長は同情し「勲章をやろう」と約束したのだ。
 副官はシム氏の敵前逃亡を知っていて反対したが、新任の連隊長は1939年の日本軍のノモンハンの戦いを例に出し、肉迫攻撃で戦車を破壊することは不可能ではないとしたうえで、「息子を失ったのだから勲章くらい渡してやれ」と怒鳴って反論を封じた。こうしてシム氏に1951年10月「太極武功勲章」が授与された。
 ここまでなら、「うそも方便」と言えなくもないのだが、後に国防部の役人が軍の記録を整理中に、シム氏の受章理由を見て「すごい英雄を発見した」と雑誌に紹介。もはや誰も「嘘でした」とは言い出せなくなってしまった。
 イデ氏は当時の真相を知る関係者と話し合い「シム氏の両親が亡くなったあとで本当のことを話そう」と約束したが、シム氏の母は2005年に100歳で死去。その時、軍側の関係者はイデ氏を除く全員が死去していた。「最終的には私に責任がある」として、イデ氏は「事実」を打ち明けたというのだ。
 背景には、朝鮮戦争の休戦から現在に至るまで、北朝鮮と韓国で続くプロパガンダ合戦がある。朝鮮戦争時に国連軍総司令官だったマシュー・リッジウェイ将軍が「韓国軍の態度だけが私の悩みだった。中国軍は韓国軍部隊を次々と敗走させ、そのたび韓国軍は補充困難で高価な多数の(米国供与の)装備を放棄した」と自著で呆れるほど敵前逃亡が繰り返された韓国軍。休戦後に政府と軍を再建し、北朝鮮と対峙するうえで、勇敢に戦った英雄が必要だったのだ。それが例え「作られた英雄」であっても。こんな“架空戦記”は、韓国では珍しくない。(後略)

http://www.sankei.com/west/news/160803/wst1608030006-n1.html (←出典
戦争の英雄などいなかった…韓国軍「偽りの歴史」 教科書に載るヒーロー、実は逃亡兵

『猫の事務所通信』no.96-98

猫の事務所『猫の事務所通信』
発行所:猫の事務所・高橋方
(小樽市)

猫と人間の幸せと共生を願うミニコミ誌。no.96では版画家の佐藤国男氏の函館にある山猫工房の訪問のこと。「九条の会おたるネット」の活動報告。現在の政治家のアキレタ行為の羅列一覧。メアリー・ランバート監督の「猫と映画」の紹介。
no.97、6月のイベント高山美香の映画人形展と映画上映会の紹介。政治参加への少ないことへの言及。あとりゑ・クレールギャラリーでの映画鑑賞会のこと。九条の会おたるネットの署名活動、HPが出来たことの連絡。お便り紹介と四コマ漫画。
no.98、先月号で紹介していた高山美香の映画人形展のこと。変な猫と面白い猫の写真集。お薦めの本の紹介。九条の会おたるネットでTシャツの販売開始のこと。
まあ、色々とコーナーも作っているし、あちこちに猫の写真が載っているしで、まあ、猫好きならいいのかな?―と思ってしまいます。ほぼ一カ月に1回の発行で進んでいるようではありますが。

正しい”断り方”

しつこい人をあきらめさせる! 正しい「断り方」
(前略)
 このように断られたら、もう諦めるしかないという「断り方」です。この「断り方」をすれば、しつこい営業のみならず、ねちっこく交際を迫ってくる男性(もしくは女性)、イヤな仕事を押し付けてくる上司……などをぴしゃっと撃退することができます。その「断り方」とは?  以下3つのポイントを気を付けるだけです。
●「理由」を言わない
●「受け言葉」を言わない
● 無関心・無表情(顔も言葉も)
 最も重要なことは、断る「理由」を言わないことです。
(中略) 
 相手に「断る理由」を言うことで、その理由を説明しなければならないシチュエーションに追い込まれます。そして、その「理由」に抵触しない提案をされると、ドンドン身動きができなくなっていきます。 営業に対してお客様が断るケースでも同じです。「高い」と理由を言うと、「それならこの価格帯の商品ならいかがですか?」と応酬話法で返されます。「他の会社と取引している」と断っても、「その取引先よりも良い条件を提示しますから」と逆提案されます。  理由を言ってすぐに引き下がる相手なら、しつこい人ではありません。悩む必要はないはずです。悩ましいのは、どんな理由を言って断っても、そう簡単に諦めない相手です。
 2つ目の「受け言葉を言わない」というのは、相手からの提案や誘いを聞いたとき、「ええっと」とか「そうですね」とか「30分かァ……」などと、受けて発する言葉のことです。とっさに出てきてしまうものですが、これさえも口にしないほうが良いでしょう。
 つまり、上記2点を守りながら、3つ目の「無関心・無表情」でレスポンスする
男:「明日の夜、ちょっと時間ないかな? 30分ぐらいでいいんだけど」
女:「時間ないです」
男:「え? 何か他に用事があるの?」
女:「時間ないです」
男:「30分でいいんだから」
女:「時間ないです」
男:「来週ならどうかな? 月曜日なんかどう?」
女:「時間ないです」
男:「水曜日は? 木曜日とかはどう?」
女:「時間ないです」
男:「ひょっとして週末なら、時間がとれるとか?」
女:「時間ないです」
男:「……」
女:「……」
男:「あ、そう……。じゃあ、いいよ」

 もちろん、この「断り方」は相手を不機嫌にさせます。相手の気分なんてどうでもいい。関係がない。という場合に使う「断り方」ですから、これでいいのです。  1度や2度しか会わない相手なら、このように「つれない」態度をとっても、そう問題はないでしょう。しかしよく知っている相手なら、もちろん気を付けるべきです。ただ、気を付けるのは「日ごろの態度」であって、断るときは、このままでよいのです。
(中略)
 断る理由を、感情的に、つらつらと並べ立てると、しつこい相手は、さらに食い下がってきます。「なんだと? 俺だってやりたくやってるわけじゃないんだよ。議事録ぐらい書いてくれたっていいじゃないか。そんなに議事録を書くのが面倒なのかよ」と、ずれた論点で応酬してくるかもしれず、よけいに話がややこしくなります。
 相手の話をいったん受けて、理由をアレコレ言っていると、しつこい相手は「もう少し押せば何とかなるな」と期待してしまうものです。断る側は期待させるようなことを言っているつもりはないのに、元来しつこい人は「勘違い野郎」ですから、そんなのお構いなし。相手に期待を寄せてしまうのです。ですから、隙があれば、あの手この手を使って説得しようとします。そして期待をしているわけですから断られると「逆ギレ」しやすくなります。
 ぴしゃりと断ることで、かえって相手に逆ギレされそうだと思う人もいるでしょう。しかし逆なのです。もしもこのような断り方でも逆ギレする人がいるなら、きちんと受け答えして、いろいろな理由を並び立てて断ってもキレるでしょうから、結局は同じなのです。しつこい相手には、後腐れないようにしょっぱい対応が必要ですね。いわゆる「塩対応」と言われる姿勢です。

http://bylines.news.yahoo.co.jp/yokoyamanobuhiro/20151025-00050801/
しつこい人をあきらめさせる! 正しい「断り方」を営業コンサルタントが教えます。(←出典

『辻井喬論』

辻井喬論『辻井喬論』
中村不二夫・著(土曜美術出版販売)2016.8.31

とにかく辻井喬という作家は、むしろ”西武の親方”堤清二としての方向性で有名過ぎて、であるから実業家の道楽としてでしかない、我々の興味のあり方。逆にその野次馬根性だけは人一倍である。
であるからそのことを”はじめに”で筆者の中村氏は述べる。「辻井喬の実相に迫ることは、現代詩を読むことと等価で…」と、二重性、それは生まれた時からビデオに撮られている秘密のなさという現実があるからかもしれない。
現代は”詩だけを評価してください”などとは言えないのだろう。(まあ、私的には関係ないと思っているけれど)評価というのは常に異なるところから始まるわけであるのだ。
その意味で珪呂了諭屮好僖ぁ廚砲△襯泪ぅ離螢謄4兇覆匹篭縮がある。当然のように江呂痢屮札哨麒顕修寮洪蝓廚蓮個人と作品とという面ではおかしくもある。
歴史という史実によってのみで、あり得た世界。そして自分という個人を晒していくしかない作品の筆者は、何と言っていいのか困りつつも書くしかない。なにせ書かない作者ということを私は、認めることはできない以上は…。

ワンセグとNHK受信料

ワンセグ携帯所有者はNHK受信料不要、さいたま地裁判決

 埼玉県朝霞市の大橋昌信市議(NHKから国民を守る党)が、テレビを設置せず、ワンセグ機能付きの携帯電話を所有しているだけで、NHKの放送受信料を支払う必要があるかどうかの確認を求めていた裁判で、さいたま地裁は8月26日、受信料を払う必要はないとする判決を下した。
 裁判では、「受信設備を設置した者」に受信契約の義務があると記した「放送法64条1項」の解釈などが争われていた。大橋市議は、携帯電話のワンセグは「設置」ではなく、「携帯」だと主張。対するNHKは「設置」とは「受信設備を使用できる状態に置くこと」と反論していた。
 判決文では、マルチメディア放送(サービスが終了したNOTTVなど)の定義を定めた放送法2条14号で「設置」と「携帯」が分けられていることから、ワンセグも「設置」とするNHKの主張を「文理解釈上、相当の無理がある」とした。
 判決後、大橋市議は「多くの国民が疑問に思っていたことなので、主張が認められて喜ばしい。NHKには間違って契約させられていた方に真摯に対応していただきたい」と話している。
 
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160826-00005038-bengocom-soci
弁護士ドットコム 8月26日(金)13時50分配信 (←出典

 NHKの実にインチキな言い回しが暴かれた。まあ、NHKが上告するかどうかであるけどな…と思っていたら、朝日新聞デジタル 9月2日(金)16時41分配信 で― さいたま地裁が8月、ワンセグ放送を受信できる携帯電話を持っているだけではNHKの受信料を支払う「義務はない」と判断したことについて、高市早苗総務相は2日の閣議後記者会見で「携帯受信機も受信契約締結義務の対象と考えている」と述べた。―との報道だ。だったらNHKを国営化して税金で賄えばいいだろが! 本当に腹立つことだ!

『暮尾淳詩集』

暮尾淳詩集『暮尾淳詩集』
暮尾淳・著(思潮社)2016.7.25.

筆者は札幌生まれで詩誌「小樽詩話会」にも参加している。1978年詩集『めし屋のみ屋のある風景』からの「恋唄抄1」という作品を冒頭に持ち込む。それは喪失感ということから書き連ねているのであろうという印象を受ける。「雨」の擬音を聞くと、耳を貫いていく音がそのままに伝わるが、暗い風景だ。88年『ほねくだきうた』、このタイトルには驚いた。この詩集の「家族ふらの旅」にあるパガラーンという音は落雷の様でもあるが、デフェンス・アーミイの演習の模様。私の居住地は恵庭であり、陸上自衛隊の演習では雲が低く垂れこめているほどに響いてくるものである。
詩集『雨言葉』の掲載作品「雨言葉」はこの詩集の表紙を飾る言葉である。すたすたすた、たんたんたん、ぺったぺった、どんどんどん、さて私はどんな足音を立てて生きているだろう。筆者は一人かみしめてその居場所に震えているのだと。「ビリケン」という通天閣の奇妙な神様なのかな、昨年会ってはきたが、このビリケンさんに頼むのか? (ううむ好みの問題であろう・好きにしなさい)
詩集『地球の上で』の作品「コンドームの行方」に書かれているのは絵画、宗教、思想の行方であろう。また、作品「初なときがおれにも」を読むと、このタイトルが”約束”ではないところに、この筆者の意識が表れているのであろうかと、思ったりするのだ。考えさせられる作品が多い。
WORLD ALARM

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