空中庭園な日々

「空への軌跡」別館 ―― 北海道の詩誌を中心に & 気になるニュース

詩・エッセイ『蒼原』100

蒼原詩・エッセイ『蒼原』
編集発行:根岸安三、村林ひろ子(岩見沢市)

今回の『蒼原』は30周年記念号ということで、詩作品では初出もあれば、前号までの再録、元同人の招待作品と色々である。冒頭には今までのコトが記されている。
村林ひろ子エッセイ「蒼原の足跡1・2」。少人数のグループ構成で進めてきたこと、新同人の歓迎会、新聞掲載や評のことなどが思い返され、それは他の詩誌にも繋がる自分という思いでもあるな、と感じる。
せっかくなので詩作品に関しては初出のなかから、根岸安三作品「どんど焼き」。一連の最初に”八万分の一の影”とあるのだが、んんん何だろう。一年365日、一日三回食事をすると75歳で82125回にはなるのだが。日々の積み重ねということでしょうかね。一年の最初のそして正月最後の行事といえるどんど焼きの火にあたり、焼いた団子を食べれば一年無病息災と言われているようだ。
高橋ゆか作品「夜のバス」。路線バスという、まさに日常の中のしかも鮨詰め状態を書いてみるというのは、なかなか出会えないものだ。しかし路線バスはまったく、その路線から外れないでいるということが求められるわけである。その意味では高度成長期などというお化けに育てられた世代は、今現代に対応できないでいるのだろうとも思うのだ。
編集雑記によると、今後打ち合わせ会をもって今号で『蒼原』は終刊ということになりそうである。

『坂道』第12号

坂道『坂道』
代表:ささきひろし(さいたま市)

曽根よし子作品「旅」。”貴女”との旅であるわけだが、それは誰のことかと思えば、娘のことなんだね。どうも男親としては、息子に何か感じるものがあるかというと難しい。家を継ぐだのということは、職業が固定化している時代のことだし…。しかし女性は外国に嫁に行く娘に、さようならを言うのですね。
米田かずみ作品「それでも信じて」。おだやか、ゆるやかというモノを手放してしまったのは、いつのことかといえば、きっと資本主義なんてものに手を染めたときであろうと、私は勝手に思ってはいる。だからここでいうモノは何となく分るのだが、その分だけ無理っぽい気もしてしまうのですね。
秋田芳子作品「鬼の居場所」。鬼がいる…鬼はいるのか、作るのか、成るものなのか。ふむ、と思いつつ自分を見つめる気になっていく、のであろう。
ささきひろし作品「心の故郷」。明治の津軽海峡を渡ってきた祖先、というのはやはり自分の親のことであろうね。どうも私的には転校が多すぎて、この地にという気になかなかなれないわけで、それでも故郷は北海道であるとまでは思っているのですが。

豪州の次期潜水艦売り込み失敗

 豪州のマルコム・ターンブル首相は4月26日に、オーストラリア海軍の次期潜水艦12隻の共同開発・建造をフランスと行うと発表。競争上は日本の「そうりゅう」型が優位と見られていた。しかしオーストラリアの最大輸出先は中国で、もし日本の潜水艦を採用すると、反中国同盟に加わろうとしているとの誤解を中国側に持たせるからではないか・・・との考察。
 (前略)安倍首相はアボット前首相と親密で、オーストラリアを「准同盟国」と見なし、防衛協力を進めて共に中国に対抗しようとした。潜水艦の共同建造はその「目玉」とも言うべきものだった。
 だがオーストラリアの国益を考えれば、主要輸出品目の鉄鉱石と石炭を大量に購入してくれる中国に日本が対抗姿勢を示し、「中国包囲網」を作ろうとしているかに見える状況の中、日本と軍事協力関係を強めて中国との関係が損なわれては迷惑千万だったろう。オーストラリアを訪れる年間100万人の中国人観光客も人口2400万人の国にとり軽視できない。
 日本では「中国経済の低迷」が強調されるが、昨年の中国の輸出が、欧州の不況などの影響で2.9%減だったのに対し、輸入は原油価格などの低下で14.2%も減ったから、中国は空前の貿易黒字5930億ドル(昨年末のレートで約71兆円)を記録した。GDPの伸びも6.9%に下がったとはいえ、日本の0.47%、アメリカの2.34%などと比較すれば大変な急成長で、今後も暫くは6%台の成長を続けそうだ。
 中国のGDPはすでに日本の2.76倍に達しているから、オーストラリアが中国を最有望な市場と見て、良好な関係を保とうとするのは当然と考えるしかない。(後略) 
●日本だけが突出している「中国嫌い」
 アメリカの有力な世論調査機関「ピュー・リサーチセンター」は世界40ヵ国で4万5435人に中国への好感を持つか否かを聞いた結果を2015年6月に発表したが、オーストラリアでは「イエス」が57%、「ノー」が33%だった。アメリカでは「イエス」が38%、「ノー」が54%、韓国では「イエス」が61%、「ノー」が37%、フィリピンでは「イエス」が54%、「ノー」が43%だった。40ヵ国の中間値は「イエス」が55%、「ノー」が34%だった。ところが日本では「イエス」はわずか9%で「ノー」が89%だから、日本人の中国嫌いは世界で突出している。
 日本では嫌中派が圧倒的に多いから、つい他国もそうか、と思い、オーストラリア、韓国、フィリピンなどと連携して「中国包囲網」を結成しようという妄想に陥るのだろうが、各国の経済の利害と国民感情から見て、日本は一人踊りをする結果になるだろう。
 (中略) アメリカと中国は南シナ海の人工島問題で対立しているかに見えるが、他方で両国海軍は2015年11月に初の大西洋(フロリダ沖)での共同訓練を行ったり、今年4月には米第7艦隊旗艦「ブルーリッヂ」が南シナ海に面する中国の軍港湛江と上海に入港、中国南海艦隊の艦と通信・救難訓練を行うなど交歓に努めている。米中の経済関係は双方にとり死活的な重要性を持つから、おたがい決定的対立は避けたいのだ。(後略)

http://diamond.jp/articles/-/91436?
DIAMOND online「日本の中国嫌いが徒に?潜水艦売り込み失敗の真相」2016.5.19

『北海道と京都とその界隈』創刊

その界隈『北海道と京都とその界隈』
発行:畠山尚デザイン制作室(札幌市)

北海道と京都は、人気があって観光客が多いという共通点を持っている。そこで一緒に京都好きの北海道人が始めましたの創刊号。ということだが、表2が北海道のマルセイバターサンドと京都の阿闍梨餅というもので、一見よく分らないタブロイド版である(笑)。
人物紹介では京都の酒器・今宵堂を経営する上原連、梨恵夫妻を取り上げている。「うちのお客は酒器が好きなのではなくて、酒好きばかりだから、お客の要望で器を作る」ということ。だから”おちょこやさん”ということらしい。これは楽しいかもしれん。
北海道の人物紹介では、カメラマンの酒井広司氏。「そこに立つもの」の作品を何点か掲載しつつ、その思いも描かれている。ちなみに私は、表4の音別町のただのぼっこ(北海道弁で棒のこと)の写真が一番好きである。
周辺では、朝ごはんを取り上げ、北海道の野菜に昆布に、その器の紹介。また、発行人のデザインがいくつか載っている、そのなかでは私的には”馬”が好きかな。

別冊『樹しずく』

樹しずく別冊『樹しずく』
発行:木雫舎・福島瑞穂(札幌市)

なんでかいきなりの別冊とのことだ。まあ、基本的には個人誌という位置づけなので、どうということではないのであろうけれども、と勝手に推察する4月20日号である。
冒頭にエッセイ「わたしの二・二六事件」。派閥抗争の煽りを受けて朝日新聞社の襲撃の際に近隣に勤めていたようであるが、その当たりを出来るだけ目一杯事件簿に仕立て上げていただけると、時代を知らない世代でも、分りやすく面白かったのではないかと思うのですが、如何でしょうか?
作品「廃園の薔薇」。青騎士とはなんであろうか。サントリーが新開発した紫っぽいアオバラはまだ、そんなに出回っていない気はするのだが。ところで、廃園となった場合にはそこの薔薇は放置されるのであろうね。そして次に買い取り手が現れるまでは、手入れなどされもしないが、そのままに咲いていられるのであるよね。そのことが一番心配です。

やりがい・という死語

経済番組「ガイアの夜明け」(テレビ東京系)の公式アカウントが炎上した理由につき・・・以下ままで・・・

外資系金融機関、大手商社を退職してでもやりたいこと
 番組公式アカウントは2016年3月22日、
 「良い給与に、安定した生活...。そんなものは『後回し』という人が、増えてきているんだそうです。『社会の役に立ちたい』という思いで仕事を探す人たち。働くことを通じて、一体なにを掴もうとしているのでしょうか。今夜のガイアは、人生『やりがい』探しの旅。あなたも改めて、考えてみませんか?」とツイートした。同日夜に放送される番組の単なる内容紹介だが、とりわけ冒頭部分が反発を招いたようで、
 「そんな奴いねぇよ」「良い給料に安定した生活欲しい人の方が多いに決まってる」「やりがい探しなんて後回しにしろ」といったリプライが集中。ちょっとした「炎上」状態となった。
(中略) それはツイートを見て「やりがい搾取」を思い出す人が多かったからかも知れない。企業が「自己実現」や「やりがい」という言葉だけをぶら下げ、労働者に長時間労働させる仕組みを作り、労働内容に見合った正当な代価を支払わない状況、それが「やりがい搾取」だ。労働社会学ではすでに重要な議論のテーマで、ブラック企業や賃金適正化の文脈から批判されることが多い。
 今回番組が特集したのは「高収入の安定した職を捨てて社会のために起業した若者」であり、「やりがい搾取」の事例に当てはまらない。だが、いつもは新興企業も含めた成功した経営者の出演が多いためか、最初のツイートを含め、多くのネットユーザーには、「やりがい搾取」の推奨と誤解されてしまったようなのだ。
(中略) 所得格差やブラック企業的な雇用への疲弊感から、「やりがい」という言葉は、もはやサラリーマンの働くモチベーションにつながらない――。そんな時代を象徴する一断面だった。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160323-00000002-jct-soci
J-CASTニュース 3月23日(水)18時14分配信 (←出典

詩集『返信』

返信詩集『返信』
高橋明子・著(緑鯨社)2016.4.30

作品「怒っている」。親子ほどに年の違う姉の私とテレビっ子である妹ととは、喧嘩になりそうでいてあまりならないであろうな。そうでいて気に入る気にくわないという感情は残る。残っていながら、いつか和解するであろうことも分かっている。そんな家族という関係、だから怒っていてもいいのだ。
作品「きんぴらごぼうの匂い」。それは道場さんのお宅のことだとすぐに分ってしまう。なんという親しい間柄のご近所さんであろう。すでに絶滅危惧種に指定されていいほどの、羨ましくもある近さだ。
作品「石畳」。アスファルトではないらしいのだ。おそらくはこの一区画の話であろうとも、ネオンに邪魔されないほどの星を感じられる位置にいる。その古さというのか、そのエリアを保つ苦労をしてきたということなのであろう。カタコト音を鳴らしながら、法事の後のスーツケースを曳く。
作品「歯医者で」。サンダルに素足なんて通常は無理。話に聞いた横丁というものかもしれない。馴染みの場所であり、昔の怪我の後に触れる場所であり、あ〜んと口を開けつつ、感じる人生の区画であるのだ。
基本的に日常の些細な事々であるのだが、そこには住み続けるというひとつの意志があり、それを実現し続ける行動があるというべきなのだろう。

トランプの・お手本 

トランプには「お手本」がいて、それはベネズエラのチャベス。しかしその手法はかなり危険であるという警告です。(前略)
○ポビュリスト共通の手法・・・
 政治学者が「ポビュリスト(大衆迎合主義者)」と呼ぶ者たちは、「われわれと彼ら」を、善悪という道徳的基準で分けたがる。チャベスがかつてベネズエラで強く訴え、バーニー・サンダースがウォール街を批判する際によく使う主張は、「善い」人々に対して「悪い」エリートが陰謀を企てているというものだ。これはまた、メキシコ人の米国流入を防ぐ巨大な壁を作ろう、とトランプが主張したように、市民を外国人と敵対させるものにもなり得る。
 ポビュリストは選挙戦略として、政治や社会を分裂させるようなレトリックを用いる。不安を抱く有権者の恐怖や怒りを煽り立て、自分の支持に回る人を増やそうとするのだ。ポピュリストがライバルに排除すべき敵だとのレッテルを貼ると、熱狂的な支持者は、暴力に訴えるお墨付きを得たと思い込む可能性がある。
 チャベスとトランプはいずれも、注目を引くレトリックを好んで使い、公的機関や法律をあからさまに無視する。チャベスは1998年、不況の中でアウトサイダーから大統領に選出された。ベネズエラでは中間層の減少に伴い、1970-90年代にかけて貧困率が25%から65%へと上昇。この深刻な社会の混乱により、1960年代以降に政権を担ってきた2大政党制への批判が強まったのだ。チャベスは選挙で選ばれた大統領に対するクーデターに1992年に失敗したにもかかわらず、堕落したエリートから支配をもぎ取り、人々に還元するとの公約を掲げて運動を続けた。トランプも同じく、アウトサイダーには好都合な時期に、億万長者のセレブとして米国政治の舞台に登場した。8年間にわたる不況を経て、人口の大部分が、景気回復の恩恵にあずかれず所得格差に苦しめられていることに依然として憤慨していた。失業の主因は中国人やメキシコ人、そして移民によるものだとするトランプの主張を、彼らは受け入れた。チャベスが分かりやすいスケープゴートとして米国を名指ししたのとまったく同様に、トランプは選挙活動開始時の演説で政治家を非難した。「彼らが米国を再び良くすることはない。彼らはロビイスト、株主、さらには特定の利益によって、完全にコントロールされているのだ」と。チャベスは2013年に死亡するまでの15年間、このポピュリスト戦略を活用して政権を保った。彼は闘争を通じて抜本的な変革を追求し、大統領としての自分に権力を集中させ、敵対する者を排除・抑圧した。
○「救世主」にすがる代償・・・
 彼が残したものは、ばらばらになった与党と批判を強める野党の狭間で国家が直面している機能不全だ。石油に依存する経済システムも腐敗している。ハイパーインフレの弊害は甚大で、記録的に増加する殺人の問題は手付かずのままだ。トランプはライバルを「敗者」や「バカ」だと嘲笑し、支持者にも同様に礼節や他人への尊敬を放棄するよう勧める。事実をでっち上げ、最高の指導者だと自称する彼は、政治のノウハウや、具体的な根拠に基づく政策決定を信じていない。政治を担う人々が有権者との対話などを怠っていると認識されたときに、チャベスやトランプのようなアウトサイダーは力を持ち始める。一見救世主のようなこうした輩に有権者が無制限な政治的権力を与えてしまうと、利己的なリーダーの気まぐれに振り回されるという、権力集中のリスクを背負う羽目になるのだ。

http://toyokeizai.net/articles/-/112337?utm_source=yahoo&utm_medium=http&utm_campaign=link_back&utm_content=related
東洋経済 ONLINE 2016.4.5(←出典

『小樽詩話会』592号

小樽詩話会『小樽詩話会』
世話人:十和田梓恭子(小樽市)

下川敬明作品「不在と永遠に関する走り書き」。一連では数学の定理のようなことを言い、二連では異性を相手の口説き文句であるかのように言い募る、そして文字を書き記すということへの言及であったことを解き明かすわけだが、すごい自己愛にまみれている様でもある。そんなに言い切って良いのかぁ〜と妙な心配をしてしまうのですが。え、ああ当然にこの作品の読者に対してですよ、共感ですよ共感! わははははは。
吉田加代子作品「帰り道の 夜空は」。書かれていることはよく分る。子どもというのはいくつになっても、親にとっての子どもであるわけで、鬱陶しく思われようとも仕方がないのであろうと思いつつ、このレシートの読み方にどんな作為を持ち込むのかを考えると、そこは笑える気がする。であればこそ2015年でない方がいい気がします。
八木明美作品「オカダンゴムシ」。いい感じ、人間の一生とあんまり変わらないのだろうね、と思ってしまうわけだ。少なくとも環境に対して何らかの役に立っているのであれば、ずっと有用であるのだから。
嘉藤師穂子作品「スロウスロウスロウ―メイクアップ」。彼女という女の化粧の話であるのだが、そのうちに葉を重ねる樹木のようにも見えてくる。であって我々の周囲に自然と呼べるものなど、一切ない。植樹から始めれば、すべてが人工物でありスクリーンの内側。多分、地球という会場がいつか咳をするまでの短さ。であろうとも、そこまで見るにはチャンネルを変える必要があるのだから、気付かぬ振りは続くのだろう。

『こだま』48号

こだま『こだま』
発行:松尾美成、保坂登志子(千葉市流山市)

日本の子ども達を中心に世界中の子ども達との輪を広げようとする『こだま』。やなぎだはなか(小1)「わたしのたからもの」、こおりをテーマに”輝こう”なんておそらく中学生以上であれば考えられないであろうね。フランスではなかなか、身の回りのことを気にしているようだ。クロエ「無題」、赤ちゃんが生まれることで一番大変なのは、お婆ちゃんが来てTVのチャンネル争いが勃発することだそうだ。
佐久市立野沢小学校六年の作品となると、こういう風に書きなさいと教えられるのだろうね。まあ、リフレインは手法としては悪くないんだけれど、どこか教え方を間違えてないでしょうかと言いたくなる。やはり私的には小学校低学年が一番いいなぁ〜(笑)。荒木義貴(小1)「ちきゅう」、地球は力持ちだそうだ、だって何百人もいるのに…そうだねえ、友達百人できるといいねぇ。高橋勇大朗(小1)「ふでばこ」、この家に住んでいるのは誰だろう、鉛筆と消しゴムと、そのうちに定規とコンパスが加わるのだろうね。ねッ可愛いでしょ(笑)。
韓国のベ ク チョア(小4)「雨の降る日」、お母さんという存在のありがたさと鬱陶しさを、きちっと言葉にできている。台湾の張庭芸(四乙)「夏の音」、なんとロックンロールが出てくる、まあ、よく知らないジャンルで困るんだが、台風の音、浴室、アイス売りと様々なところで聞き分けているのがすごい。ところで四乙って、四年生相当かな?

『錨地』no.65

錨地『錨地』no.65
発行:錨地詩会・入谷寿一(苫小牧市)

中津淳子作品「化石を掘る」。宇宙自身がその胎内という内側を従えようとするのは当然と思えるし、であるからの逆説的な”生きることを強いられる”というのも面白い。そうでありつつ人類滅亡後の最終連、異世界人が化石を掘るというのは、そこまでの発想重視がいきなり実現可能性な未来となるのだが、人類滅亡後の化石探しに如何なる共感を得ようとしているのであろう…。まあ、広大無辺なスケール感は好きですけれど。
笹原実穂子作品「母」。第一連でせっかく”もう死んでもいいわ”と母親が言ってるのであれば、そのようにしてあげればいいのに・とは思ったりする。輸血をするとかしないとか、とにかく覚悟のないのは困るわけで、ただただ死を引き延ばして苦しめる結果になってしまうのだ。割り切るといいつつ命の問題は複雑ではある。しかし取り上げる以上は、この辺りの時代の問題として、もう少し切り口がほしい気はするのです。
入谷寿一作品「ない ない ない」。車がなければ、飲み会もない、約束を忘れて、時計に、鍵に、キャッシュカード、この辺りは私の家にも色々ある。このところ当方では、妻が妖精が住み着いているのだと言い張って(小鬼ではないらしい)いる。そのうちに鬼の自分もなくなるのであろうから、まあいいか。

韓国と慰安婦問題の解決と

 慰安婦問題に関する「最終的かつ不可逆的な解決」で合意した12月28日の日韓外相会談についての、おさらいをしてみましょう・・・・・(略) 韓国の尹炳世外相との会談から一夜明けた29日午前、岸田文雄外相は東京都内のホテルで静養中の安倍首相を訪ね、会談の成果や反応などを報告した。 「大変ご苦労さまでした。韓国外相に『最終的、不可逆的な解決を確認』と言わせたのは大きい」 安倍首相は岸田氏をこうねぎらい、合意事項について「韓国が約束を実行することをきちんと見ていく」よう指示した。韓国の歴代大統領はこれまで、何度も慰安婦問題を政治問題化しないと述べておきながら、政権運営に行き詰まると反日カードとして利用してきたことは、日本側はうんざりするほど分かっている。
 「今回は韓国外相がテレビカメラの前で不可逆的と述べ、それを米国が評価するというプロセスを踏んだ。今まで韓国が動かしてきたゴールポストを固定化していくということだ」 こう周囲に語る安倍首相は、日本政府はこれまでの轍を踏んではいないと次のように強調する。  「ここまでやった上で約束を破ったら、韓国は国際社会の一員として終わる」 慰安婦募集の強制性を認めながら問題解決に結びつかなかった「河野洋平官房長官談話」や、元慰安婦に償い金を支給したアジア女性基金の時とは異なり、今回は国際社会に注視されていたからだ。また、外務省高官も「これまでは韓国側が自分で『最終的』と言ったことはなかった」と前例との違いを強調する。
(中略) また、もう一つ日韓関係改善に動く理由があった。東シナ海や南シナ海で膨張路線を隠さない中国の存在と、それに傾斜する韓国の現状だ。 「慰安婦問題を引きずることが、東アジアの安全保障上、日韓両国にとってマイナスになっている。その状況を変えたい」
(中略) 安倍首相は周囲にこう漏らしており、官邸筋も「日中韓の関係を変え、韓国を日本対中韓から日韓対中国の関係に引きずり込む目的があった」と語る。 安倍首相は周囲にこう語り、岸田文雄外相も28日の外相会談後、記者団に同様の認識を示している。しかし、韓国外務省は29日、こうした認識を「事実無根」と否定した。 日韓合意を一夜にして反故にするような行動だが、政府関係者は「国内向けの発言だろう」と受け止めつつ、こう総括した。 「慰安婦問題の行方を国際社会が見ている。最後は韓国次第だ」

http://www.iza.ne.jp/kiji/politics/news/151231/plt15123111090004-n1.html?obtp_src=www.iza.ne.jp
【検証「慰安婦」日韓合意】 2015.12.31 11:09 (←出典

 まあ、合意というものも結構曖昧ではあるのだが、日本と韓国はお互いが地政学上は中国に連帯しない限り対抗などできないのだ。ソフトな中国時代以外は、喧嘩している暇などないんだが、ね。

『葵生川玲詩集』

葵生川詩集『葵生川玲詩集』
葵生川玲・著(土曜美術社出版販売)
2016.3.31

1975年の『ないないづくしの詩』の作品「ほどほどの人生」であるが、32歳のときということだ。それで一気に墓場までを思うというのに、ちょっと戸惑ったという感想が最初にあった。割り切っているというか、ほどほどでしかないという自分を見つめるのは、その年代の自分を思い返して、そうだったかなぁ〜という以外に言葉がなかったのである。
作品「背番号論」。これはいつの間にか成立してしまった現代のマイナンバー制度だが、以前には国民総背番号制度とか言われて、そのときは大反対の嵐だった気はするんだが、時代なのかねぇ。
まずは葵生川氏の初期の作品を読めて良かった。とくに第一詩集というのは、その本人の起点でもあろうから、注目は一番し易くはあるのだ。
ところで、年譜というものは色々と時代背景とかを映し出してくるものだが、ついつい自分の現年齢の57歳以降を読んでしまう。細かく細かくどんな風に社会と絡むのかということを考え、やはり嫁という存在が次第次第に大きくなっていくものなんだろうか、と思ったりするのです。

やさしさ・の濫用

 仲間内にだけは優しいと評判の、日本での”謝罪”とはなんだろうか。その謝罪に先んじようと女子中学生誘拐監禁事件の容疑者が通っていた千葉大学は何を心配しているのか…ということについて。

(前略)さほど悪くなくても誰もが深々と頭を下げてばかりです。そのことによって、問題の究明から離れてしまうことにも繋がることもあります。
 ショーンKさんの謝罪は、まさにその典型でしょう。涙ながらの謝罪とそれにともなう全番組からの自主的な降板は、テレビ朝日やフジテレビの報道の責任を回避させました。ショーンさんに同情的な世論も、もはやそれを追求する向きにありません。そこでは世論と呼ばれる感情的な「やさしさ」が優先され、理性的な判断はなされていません。これこそが、“一発レッド社会”の最大の特徴です。そこでは、感情や情緒ばかりが優先されます。とくに目立つのは、被害者への「やさしさ」です。それは、重大事件に対する反応で必ず見受けられます。加害者の人権を少しでも考えようとすると、必ず飛んでくる紋切り型の言葉があります。
●「自分の子どもが殺されても、そんなことが言えるのか!」 ・・・
 私もこの言葉を投げかけられたことが幾度かありますが、その発言者の多くは普通のひとびとです。成人を迎えたばかりの若者、子を持つ親、孫のいるお年寄り等々、どこにでもいる善良そうな方々です。そのひとたちが、被害者側に同情しながら感情をむき出しにしてそう言ってくるのです。  しかし、この言葉にはふたつの問題が隠されています。(中略)ひとつは、映画監督の森達也さんが著書『「自分の子どもが殺されても同じことが言えるのか」と叫ぶ人に訊きたい』(2013年/ダイヤモンド社)でも指摘したように、「加害者の人権」と「被害者の人権」が対立する概念だと捉えられていることです。同じ人間である以上、加害者も被害者も同じ人権であることは当然です。  もうひとつは、自分の子どもが加害者になることの想像力が完全に欠落していることです。彼らの想像力は極めて限定的で、エスパーかのごとく被害者の気持ちだけを代弁します。子どもを持つ以上、自分の子どもが加害者になる可能性もゼロでないにもかかわらず。  しかし、そうした場面では被害者を思いやる「やさしさ」だけが優先されて、それ以外の思考を停止してしまうのです。それは、「やさしさ」という感情に高い価値があると信じているからでもあるでしょう。
●「ほんとはこわい『やさしさ社会』」・・・
 「やさしさ」は、日本社会において暴力的な言動を正当化する大義にもなります。ネットで起きる炎上事件も、その根底には渦巻くのが「やさしさ」であるケースは珍しくありません。 (中略)たとえば、先進国のほとんどで廃止されつつある死刑制度が、日本では存置されているだけでなく80%を超える高い支持をされるのも、「やさしさ」と無関係ではないのでしょう。被害者への「やさしさ」が、加害者に対する死刑(合法的殺人)を正当化しているのです。
●減点法社会に積まれた死屍累々・・・
 “一発レッド社会”の真の恐怖は、こうしたネット社会を介した“炎上”の積み重ねによって成立しています。そこでは、ちょっとしたミスが命取りになります。ミスによって生じた小さな傷口を、集団が思いっきり開いて再起不能にするのが“一発レッド社会”です。なかには、意図的にミスを見つけて炎上させる存在もいるでしょう。  こうしたとき炎上に加担するほとんどのひとは、自分たちが被害者になることを想定していません。彼らは、決して自分がミスをしない自信があるわけでもありません。そもそもミスをしない人間はこの世にいないからです。多くのひとは「やさしさ」を大義に、あるいは鬱憤晴らしとして炎上に加担します。日々どこかのだれかに向かって、ひとびとはブーメランを投げ放っています。
 (中略)つまり“一発レッド社会”とは、誰かが幸せになれる社会ではありません。誰もが不幸にならないように神経質になっている社会です。プラスになることは難しく、誰もがマイナスを回避することで精一杯です。そこには、すでに引きずり下ろされたひとびとの死屍累々が折り重なっています。  そんな“一発レッド社会”でギスギスしているひとたちに対し、「もっとやさしくしよう」と言っても空振りに終わります。なぜなら、ここまで見てきたように、「やさしさ」こそがこの絶望的な社会を作ってきたからです。多くのひとは、自分自身の「やさしさ」に過大な自信を持っています。その「やさしさ」が怖ろしいまでの集団暴力に変転し、自分に突きつけられる可能性があることも知らずに。(後略)

http://bylines.news.yahoo.co.jp/soichiromatsutani/20160407-00056263/
2016年4月7日 5時30分配信 (←出典

『欅』第3号

欅『欅』
編集発行:なべくらますみ(狛江市)

齋藤嘉美作品「風呂敷」。日本古来の万能の風呂敷。しかし昔は名前を染め抜いていたのですかね、贅沢なものだったんでしょうか。まあ、被って暗幕ではなく頭巾にするとか、人形の布団にすると、遊びの部分の日常にあるのは分る気はします。
福田寿子作品「地上と遥かそとで」。街の内部というものが、常にスクラップアンドビルトというのはよく現されていると思ったのです。けれど、遥か地球の外部という宇宙のデブリというところにまで、及ぶのは頭では分るんですけれど、どうも三連目の独立した形式になると、繋がりが切れているような感じが(私的には)してしまうのですけど、如何なものでしょう。
なべくらますみ作品「闖入者」。パスポートを持たない身にマレーシアといわれても、行ったことはないので、リアルな印象というものはないのだ。そうでありつつ、猿がテラスに現れるというのはなかなかのもの。旅行の醍醐味のひとつであろうけれど、人間と比べても相当に大型と言っていいのだろうから、それは混乱しますよね。
WORLD ALARM

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