空中庭園な日々

「空への軌跡」別館 ―― 北海道の詩誌を中心に & 気になるニュース

『現代詩神戸』253

現代詩神戸『現代詩神戸』
編集:三宅武、永井ますみ、田中信爾(神戸市)

張華作品「桜に耳があったかな」。タイトルからするとかなり不条理な作品かと思ったのだが、まあ、恋の話のようだ。恋は密のように甘く、紅茶に砂糖かケーキだろう。再びの春の桜の花びらで、その花びらが耳の重みで散るということまでは分る気はする。が、島は国であるとして、さて一瞬を重ねる国というのは思いのことを言っているのだろうか。桜のもとで何を語ったのであろう。
永井ますみ作品「那覇公園スケッチ(新都心公園)」。”おもろ”は沖縄では思いの意味であるそうだ。巫女たちにしか伝えられない門外不出の歌。そんな土地がアメリカの軍の用地になる過去を、現在までの時間を述べ繋ぐということを。戦中戦後の本州に住む、日本でありながら日本ではないような沖縄の如何なる地政学的理由があろうとも、知らぬ振りして過ごすなら、全てを忘れてしまえばよいのだとの逆説的主張を。
土屋宣子エッセイ「不眠よ よろしく」。不眠というのは、その当人にしかわからないものだ。であるからその納得も対応も、本人だけが知っていればよいというのも、分る話だ。医師の暴言も説得も、同じことではあるとは言えるのだろう。

自由貿易の是非・米国

(前略)動きの激しい米国経済においては、毎月およそ500万の就職口が生まれては消えていく。(中略)彼らのほとんどは、失業したか、働くのを完全にやめてしまったのである(多くの人は後者を選んだ)。就職をあきらめた人の多くは障害者給付金を請求した。現在、25〜64歳の米国人の5%がこの手当を受給している。
○主な大統領候補はみな自由貿易に背を向ける・・・ 研究成果によって不安が高まったため、「貿易」は今回の米国大統領選において試金石となる問題になっている。(後略)
○自由貿易がもたらすデメリットは偏って存在する・・・ 自由貿易の支持者たちは、貿易が自由化されれば大多数が恩恵を受けるものの一部には損失を被る人がいることを、いつの時代も理解していた。(中略)自由貿易が米国にもたらす損失は、想定されていた以上に特定の層に集中し、しかも影響が長引くということだ。その大半は、中国が猛スピードで台頭してきたことによる。世界のモノの輸出に占める中国の割合は1991年には2%だったが、2013年までに19%へと急増した。中国の台頭が引き起こしたこのショックは、米国経済における断層線もまた露わにした。労働者たちは以前に比べ、転職や他州への移住をしたがらなくなった。持ち家の所有率が上がっていることが理由の一つと考えられる。地域が衰退しても人々はそこに留まる。活力のある地域は価格が高すぎて手が出せないのかもしれない。どんな説明をつけるにしろ、自由貿易は一部の場所に大きな犠牲を負わせる可能性がある。
○自由貿易は米国民から購買力を奪う・・・ こうした懸念への対応として最悪なのは、トランプ氏が大々的に謳っている保守主義の姿勢だ。中国から流れ込む安価な輸入製品――衣服、靴、家具、玩具、電子製品など――の波は、低所得層の購買力を大きく押し上げた。また、低所得者たちが買うことのできる品の種類も増やした。カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)とコロンビア大学の経済学者たちが、米国が貿易に門戸を閉ざした場合の影響を試算している。それによると、米国の中位所得層は購買力の29%を失う。さらに、最貧困層は実に62%を失うという。彼らが買うものは輸入品に偏っているからだ。加えて、豊かになった中国市場が輸出業者にもたらす恩恵について考えてほしい。世界の市場をまたにかけた競争や、消費者向けの製品(米アップル製のiPhoneなど)に使用する安価な材料が米国内のイノベーションを誘発し、米国の設計者の生産性を上昇させる。これらを考慮すれば、自由貿易を支持する論調に抵抗するのは難しい。
○失業者向け支援を拡充せよ・・・ (中略)ドイツは欧州における屈指の製造大国だ。中国の競争力の向上と東欧諸国の欧州連合(EU)加盟という2つのショックをうまく吸収してきた。その理由の一つとして、労働者のスキルを常に向上させることができる徒弟制度の存在がある。(中略)保護主義者は昔のやり方に戻りたがっている。だが、変化に備えて労働者たちを訓練しつつ、自由貿易がもたらす永久的な利益を得るほうがよっぽど賢明である。

http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/15/224217/040600073/?n_cid=nbpnbo_mlp
The Economist 2016年4月7日(木) (←出典

詩誌『花』第66号

花詩誌『花』第66号
発行人:菊田守(東京都中野区)

山田隆昭作品「越前・三国」。真夏の旅行の記録なのだが、まあ、店員のいない店先で仮にお金を後払いしようとも、それは窃盗になるのだが、そう思っただけでは罪にはならない。しかしここで主人公は、盗もうかと考え思うことで反省に入るというのが不思議ではあるが、そっちかいとも思えるのが笑える。タイトルが三国とのことだから、越中、越後と続くのであろうか。
鹿野剛作品「指 合唱コンクール」。指揮の経験はないが、どのようにタクトを振るのであろうかと考えると、どうしていいのか迷うわけだ。であって、この指こそがすべてに自由であり、成すべきことを成すわけだろう。
下川敬明作品「歌詞に棲むひと」。詩を書く人間が、文字というよりも声に出すをメインにする。詩は確かにリズムが必要であろうし、その意味でメロディがないと困る。が、”わたしはうた”とまで、言い切るのはそれほどの覚悟が必要だと思う、強いなぁ〜。
書評に菊田守詩集「『日本昆虫詩集』を読む―ふたつの散文詩を中心に」と題して、相沢正一郎氏が書いている。ふたつの散文詩に共通するのは、亡くなった母の影があるという。言われるとそういう気にもなるわけであり、読み方というものは実に様々で、こういう意味合いでの合評会ということを考えると他の人の意見というものは勉強になる。

被災地で暴走するマスコミ

(前略)
○スイスから来た救援隊もびっくり! 被災地で傍若無人に振る舞う日本のマスコミ・・・ (略)かの国(スイス)は、国境なき記者団の「報道の自由ランキング」でもそこそこ上位につけるほど、メディアの自由は確保されている。が、人命救助を優先すべき現場で、レポーターが「ご覧ください、今にも崩れそうな建物です。あぁ!危ない!」なんてプロレス中継のような報道をする「自由」は認めていないというわけだ。(後略) 
○絶大な“金力”を誇り 殿様取材を繰り広げる在京キー局・・・ (略)テレビの場合は特に露骨だが、キー局と系列の地方局は明確に「上下関係」があるためだ。(中略)彼らの読者・視聴者というのは、「被災者以外の全国民」なので、被災地のどこそこの小学校で水が足りていないなどの情報では「数字」がとれないのだ。だから、遠く離れた人々にも巨大地震を「体感」できるよう「被害」取材に重きを置く。かくして、雲仙の火砕流のように「大災害らしい絵」を求める取材競争が繰り広げられるのだ
○「修羅場が撮れてナンボ」 被害ばかりを追いかけ回す・・・ (略)実際、兵庫県・復興10年委員会が編纂した『阪神・淡路大震災 復興10年総括検証・提言報告』のなかでも以下のような問題が指摘されている。
《大きな批判のひとつに、「被害の大きな火災や倒壊の場面ばかりを報道している」があった。神戸市長田区の菅原市場や鷹取東地区の火災や芦屋市西部、中央地区の激しい家屋の倒壊現場が、テレビで繰り返し報道されているではないか。その繰り返し放送は被災地にとってなんの役に立つのだ、もう分かりきったことを何度も放送するよりも、避難生活に役立つ情報を報道すべきだ、ということだ》
 このような「被害リピート」の報道姿勢が、現在多発しているマスコミと被災者の「トラブル」を産む本質だ。
 ガソリンスタンドの列に割り込んだ関テレの取材クルーは、甚大な被害が出た益城町の現場に急行するために焦っていた。これはつまり、目の前に並ぶ被災者より、「被害」を知りたい大阪の視聴者を優先したと言える。
 自分の弁当を無邪気にツィートした毎日放送のアナウンサーもそうだ。彼には「被災者の視点」というものがゴッソリ抜け落ちているわけだが、これも彼が自分のフォロワー、つまり大阪の視聴者のことしか頭になかったと考えれば筋が通る。(後略) 
○大被害が収まれば撤収・絵にならない「復興」は報じない・・・ (略)「報道」ほど旧態依然とした世界はないからだ。原稿作成や撮影・中継の技術が格段に進歩をしたところで、「取材」というきわめて属人的なノウハウは結局のところ、先輩から後輩へという古典的なOJTのなかでしか受け継がれない。つまり、他業種のようなイノベーションが期待できない世界なのだ。
 こういう閉鎖的で硬直した世界では、「上」の掲げた目標に「下」は固執するしかない。日航機墜落事故のスクープこそが「理想」と考える世代がまだまだ多く残っている組織では当然、現場にあのようなインパクトのある衝撃映像を求める。「下」は黙ってそれに従うよりない。
 そういう「報道ムラ」の論理をなによりも優先する人々が、一般人と混じってのんびりとガソリンの給油待ちなどできるわけがない。ましてや、各局が土砂崩れ現場から中継している最中である。つまり、被災地にいるマスコミの非常識な振る舞いというのは、個々のモラル云々の問題というより、マスコミという業界の構造的問題によるところが大きいのだ。(後略)

http://diamond.jp/articles/-/90362?utm_source=daily&utm_medium=email&utm_campaign=doleditor
DIAMOND online「マスコミが被災地で繰り返し暴走するのはなぜか」2016年4月27日(←出典

季刊『ココア共和国』vol.19

ココア共和国季刊『ココア共和国』
著者:秋亜綺羅(仙台市)

招待作品がとても充実しているのが、特徴である詩誌。中家菜津子作品「筆箱」。詩と短歌の組合せである。私は短歌はよく知らないのだが、風景の見える作品がいいと思う。最後の二篇が書くということをテーマにして、特に好きだ。
浦歌無子作品「頭のなかではねる単音」。冒頭の二行が色合いを見せている、そのグラデーションを作りながら、螺旋階段に持ち込むというのは、なかなか面白い。まあ、アルファベットといいつつKしかないんだけれど、これは誰のことかな。最後の三行もグラデーションを繰り返すことで”青”に戻っていく。秋亜綺羅氏もチョーお薦めだけのことはあると思える。
橋本シオン小特集「デストロイしている」。一番目の作品”ネオンが死ね”という始まりが、きちんと今の都市的なイメージを作っているので、不安定さが興味の形になっていく。なかなかこういうパターンは難しいものであることだ。
秋亜綺羅エッセイ「1200字のひとりごと 銑ァ廖ビル新聞というものに掲載しているものをここに再掲載して紹介している。 屮泪ぅ淵鵐弌璽ードがまだです」などを読むと、成る程、考え方というものは色々であって他の人の考え方に触れるのは、実に興味深いものだろう。

舛添問題の法律と公益と

 (前略) 「不適切ではあるが、違法性はない」という結論に納得している国民はいないが、この「不適切」という言葉にこそ、今回の舛添問題の本質がある。仮に舛添氏に違法性がなかったとしても、不適切であるという点で、「都知事不適格」で辞任すべきなのである。なぜか。それは、知事や総理大臣といった行政のトップのあるべき姿が、違法性のありなしと関係がないからだ。
 もちろん、違法な行為はそれだけで論外だが、違法でなければ何をしても良いというものではない。そしてこれは、単なる庶民感情の話でもない。そもそも行政というものは「公益」が仕事なのだから、その行政の長である都知事にも、公益の視点と姿勢が求められる。そして、公益というものは、「法律の範囲を超えたところ」に存在しているものなのだ。
「法律に違反していなければ、何をやってもいいのか?」ということに関しては、かつて日本でも大ブームを巻き起こしたハーバード大学のマイケル・サンデル教授も提起していた問題だ。サンデル教授は、その著書『それをお金で買いますか?市場主義の限界』において、「違法性がないからといって、何でもかんでも売ったり買ったりしていいのか?」と問うている。例えば、アフリカのある国では、金さえ払えば絶滅危惧種であるクロサイを撃ち殺す権利を買うことができるという。これはその国においては合法だが、それは正しいことなのか、という問題提起だ。
 今回の舛添氏の問題もまさに正義の話、つまり何が正しいことなのか、という話である。仮に(佐々木弁護士らが報告したように)政治資金で家族と温泉旅行に行くことに違法性がないとしても、それは政治家として正しいことなのか、という議論だ。問われていることは、政治家として正しいかどうかの話であり、それは都知事になる前のことかどうかは関係ない。
 行政の長に法律を超えた正しさを求めることも、単なる庶民感情ではない。世界的なトレンドである「社会的責任」の話である。近年、企業に対しても、社会的責任を求める流れはますます強まっているが、この「企業の社会的責任」、つまりCSRとは、そもそも「法律の範囲を超えたところで、社会的責任を果たそう」という精神のものだ。したがって、違法性がなくても不適切であれば、CSR的にはNGである。
 例えば、日本のメーカーが途上国の工場に部品や製品を発注したとして、その工場が児童労働を行っていたとする。この場合、日本のメーカーを罰する法律は日本にはない。つまり合法だ。しかし、それは企業として正しいことなのか。いまのCSR的な考え方ではもちろん正しくない。
 また日本では、「コンプライアンス」をCSRの範疇で考えている企業もまだまだ多いようだが、CSRとコンプライアンスは全くの別物だ。コンプライアンスは法律を守っていることが要件だが、CSRとは「企業が自発的に、正しい行いをやること」なので、その意味でも「違法性がないが不適切」なことは不適格なのだ。今回の舛添問題を企業に例えて言えば、コンプライアンス的にはOKだが、CSRとしてはNGではないのか、という問題である。
 都知事の問題にCSRは関係ないと思う人もいるかもしれないが、そうではない。そもそもCSRとは、行政の力だけでは解決できない社会問題を企業の力で解決しよう、というところから出発したものだ。したがって、CSRの遂行には企業と行政の連携が重要になる。そもそもの成り立ちからして、行政はCSRと深く結びついているのだ。
 だから近年、行政は世界的にCSRとの関係性を深めている。その一例が、行政による「CSR調達」で、これはCSRをちゃんとやっていない企業には、行政の事業への入札ができなくするという制度だ。ヨーロッパでは欧州員会がはっきりとこの方向性を打ち出しているし、日本でも地方行政の間でこの動きが広まっている。
 東京都の場合、CSR調達も含め、CSRに対する取り組みに目立った動きがないようだが、世界に誇る一流の都市をめざすなら、東京都はもっとCSRというものに対して深く関わっていくべきだ。そうでなければ、東京という都市が世界からリスペクトされない。(後略)

http://diamond.jp/articles/-/92970
DIAMOND online ・第158回 2016年6月14日 (←出典

『小樽詩話会』593号

小樽詩話会『小樽詩話会』
発行者:十和田梓恭子(小樽市)

下田修一作品「旬を歩いて」。”坂に住む人は”で始まるのだが、坂の町というものは色々な発見をするものだ。千年の友のように語らいながらも、もう、見かけなくなる。去年の枝にとまるアカゲラは昨年と同じ個体なのか、というところで、付喪神の話になっていくのだろう。世界が開く場面。
本田初美作品「詩集よ眠れ」。さても内容としてはよく詐欺的な話です。新聞広告掲載に数十万円の支出をする必要は人それぞれと、私も思う。が、向こうの営業さんの”あの詩集を眠らせていいのか?”に対しては、”いいんだ”と答えるのは、断り方としてはアリだ。が、確かに自らの言葉も詩集も後世に残ることなどないにしても、では何を残し伝えることを続けるべきなのか・となんかモヤモヤ。
萩原貢作品「無聊の記(木のこと)」。一連目の三行目”街の上に海のひろがる…”の一文は、坂の町に住んだことがないと出てこない。風景があるということは、その一部に自分も埋め込まれているのだと思える。
村田譲作品「四角い玉子」。芝居のことにかこつけて、書くことについての、変なこととかを。なんだか最終連のカッコはいるか、いらないかという声も聞こえそうだけどね。はみ出すものははみ出るものだし、ね。

『海の詩集』

海の詩集『海の詩集』
若宮明彦・佐相憲一・編
(コールサック社)2016.5.26

海をテーマとしたアンソロジーである。北海道、東北、関東関西、九州の詩人たちの一篇から五篇程度の作品が並んでいる。
若宮明彦序文は「潮風のローマンス」と題したもの。日本という島国を取り囲む四つの海と海流。それにしても海の大きさはその塩辛さを舐めなければ分りはしない。であるから著者も、知りたければ海に来い、海岸の漂着物を見つけてみろ。そこに時間と空間と言葉が流れ着いているかもしれないと…。
堤寛治作品「ニシン」。北海道というか厚岸なんだが、ニシンはとにかく御殿が建つほどの素晴らしいものであったわけだ。今となれば、北千島を回る船団など、夢を見る様な話で、つい箸も止まってしまう。
永井ますみ作品「風船島奇譚」。プラスチックの白い箱、島だと思えば風船のようで、島の中央の窪みから水を汲みあげるのだがめっぽううまい。見上げる満点の星空からの見入る不思議な声がする。どちらが内でどこからが外側であるのか、位置を自在に変換するからの、奇譚かな。
石川啓作品「海辺のモノローグ」。寄せては返すリズムに乗って波はやってくる。なかなか楽しいのだが、やや説教臭い感じがするのが、難点かなと勝手に思ってみたりする。
この作品集は、物故23名の作品も同時掲載で、こうした切り口であればこその普段読まない作品に出合う、吃驚箱的な感じのアンソロジーの面白さ。中原中也「月夜の浜辺」ボタンねえ、漂着物かただの落とし物か、読者の側が勝手に解釈できる楽しさがある。

『RIVIERE』146

RIVIERE『RIVIERE』
発行:横田英子(堺市)

永井ますみ作品「絆を結んでも」。古典の世界である中大兄皇子の妃であるが、夫と父と義理の弟という権力争いの場で、親子であるとかないとか、所詮は内部の話だ。外部に出しさえしなければよい問題だろう。血縁でさえあればこそ血で血を洗うのだ。まあ、歴史ってそういうことではあるのだが、男女で結構捕らえ方が違うものであると、改めて自覚する。
谷本州子作品「暮らしの周辺」。配膳サービスとか、バス路線の廃止とか、どこまでも町内という限定区域の魚屋であればこその気配りだ。翻ってみれば、成長期には新規のアパートとかマンションとかを全然無視していた。自分の町内会だけよければ、それ以上の発展などに目をつむってしまったのだという時代背景の裏返しでもあるわけだ。
正岡洋夫作品「上町線に乗って」。地方都市というものの雰囲気は出ているのだろう。ここまで密着した生活エリアというものは、本州的な感じはする。北海道ってもう少し広い。しかしラストの星の話となると、夜が人生の終わりのような構成にもとれる印象を受けた。
河井洋さん追悼特集が組まれており、2月の大阪での偲ぶ会のことなどが書かれている。

安保ただ乗り論・の誤解

 米大統領選に名乗りを上げているドナルド・トランプ氏は、在日米軍基地を撤退すると「日本の安保タダ乗り論」を展開中だが、それが大間違いであると、安倍首相は(4月)4日の米紙ウォール・ストリート・ジャーナル(電子版)のインタビュー記事で反論とのことだ。

(前略)トランプ発言には、2つの点で米国の一般市民が持つ誤解(日本にも当てはまるが)を表している。
 1つは在日米軍が日本防衛のために存在しているという誤解だ。
 この誤解は、日米安保に寄生する「ジャパン・ハンドラー」と呼ばれる一派(とそれに追随する日本人)により伝播され、「常識」となってしまった観があるが、事実と異なる。
 実際、在日米軍の主要部隊である在日米海兵隊の第三海兵遠征軍は、そのホームページで自らの任務を「アメリカ太平洋軍司令官に前方駐留・展開兵力を提供することで、平時活動や安全保障協力活動を行い、有事や緊急事態への対応を支援し、戦域および国家の戦略を支援する既存の作戦計画を迅速に遂行できる態勢を整えています」と説明しており、日本防衛などは任務として全く触れていない。
 そもそも在日米軍は米太平洋軍司令官の指揮下で、その担当区域(東は米本土西海岸から西はインド西部国境まで、北は北極から南は南極まで)全般に展開されるために、前進基地として日本に駐留しているに過ぎないためだ。この理由から在日軍司令官には指揮権がなく、在日米基地の管理業務が任務なのである。
 もう1つが、米軍の日本駐留にかかる経費が米国の一方的な持ち出しだとする誤解だ。この誤解は、いわゆる「安保ただ乗り論」という主張となって、米国では過去何度も繰り返されてきた。
 実際は、在日米軍基地の維持費は米本土より安上がりなのである。この事実は、米国防総省が既に明らかにしているのだが、我が国政府もメディアもすっかり忘れ去っているので、この機会に改めて紹介しよう。
 冷戦崩壊後、米軍の海外プレゼンスに対する米議会や世論からの懐疑論がくすぶる中で、米国防総省がアジア・太平洋の地域安全保障戦略についてまとめた報告書「東アジア・太平洋地域に対する米国家安全保障戦略」(1995年2月)(注1)を公表している。
 同報告書では、「同盟国との経費分担計画のおかげで、我が軍を米本土に置いておくより前方展開を維持している方が米納税者にとって実際には安く付く」(報告書24頁)といずれの同盟国に対する「安保ただ乗り論」も否定すると共に、日本については「断然日本は、あらゆる同盟国の中で最も気前の良い受入国支援を提供している」(同25頁)と評価しているのだ。
 同報告書が「最も気前の良い」と評価する通り、米軍の駐留を受け入れている諸外国の中で日本の負担は突出している。
 現在、米軍駐留経費全体における負担割合で韓国約40%、ドイツ約33%、イタリア約41%といずれも半分に満たない中で、日本は74.5%も負担しているのだ(注2)。なお日本がこのような高負担となっているのは、日米地位協定では米国が本来負担すべき経費をいわゆる「思いやり予算」で肩代わりしているためである。
 こうした事実を知るのは、日本同様に米国でも一部の専門家だけで、一般市民は知るよしもないであろう。また米国の一般市民は、日本が在日米軍のために無料で国土を貸し、「思いやり予算」まで支払っていることなど思いもよらないであろうから、トランプ氏の発言に拍手喝采するのも仕方がないと言える。
 このような事態を招いたのも、日本政府が在日米軍の実態と日本の貢献の事実について米国民に知らしめることを怠ってきたためと指摘できよう。

(注1)「US Security Strategy for the East Asia-Pacific Region」(1995年2月 Department of Defense Office of International Security Affairs)
(注2)2015年10月26日に開催された財務省「財政制度等審議会」分科会での審議資料。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160419-00010001-socra-pol
ニュースソクラ 4月19日(火)14時0分配信 (←出典

 トランプ氏の外交音痴力、並びに日本政府の国民への説明不足というか怠慢がはっきりわかる点で重要ではないでしょうか…。調べないやつが悪いということになるわけだけど…。

http://www.nids.go.jp/publication/east-asian/ (参照)
「米国の東アジア安全保障政策」防衛省防衛研究所

詩集『茜色の空の下で』

iritani詩集『茜色の空の下で』
入谷寿一・著(土曜美術社出版販売)2016.4.15

作品「油蝉の鳴く日」。ソ連の侵入、敗戦濃厚の中でも殴る軍隊という日本に見限り逃げる兵士は、しかし逃げ切れるはずもない狭い国土のなか、鳴き続ける油蝉。悲しく馬鹿げた時代の真夏。
作品「茜色の空の下で」。この投下がなければ日本は本土決戦などという下らない選択をしたのか、どうかは分らないのだが。空を赤く焦がして、一本立ちし続ける大入道雲の姿。今だから分ると言える愚かしさは、その途中で止めることは、誰であろうとも出来ないのかもしれないのだ。であるがこれからを止められる可能性はあるのだ。
作品「傷痕」。右中指欠損、火傷、鋏で、馬でつけられた様々な傷跡。体にも心にも残り、幾分の時間の経過が、51年の時を刻んだことを教えても、それは戦火の付けた亡霊なのだ。
作品「反省書」。裏切りとは、誰の誰に対する裏切りなのか。昼と夜を使い分けるベトコンの、そのなかにあるのは自分への正当化。誰にも言われる筋合いはないのかもしれないが、誰かを泣かしもすることがある。それを知っているのであれば、その前に何かをしなければならなかったのだ。文章は所詮文章である。
全体構成は一部「朱い海」と二部「黄色い道」に分かれているのだが、一貫して第二次世界大戦の話である。また、時系列に並べられていて、非常に具体的な描写が多い。戦後に残すために書いた作品集。

北方領土が戻らない理由

○「北方領土が帰ってくる」と本気で信じる人はいるのだろうか?
 ロシア南部のソチで5月6日(日本時間7日未明)日露首脳会談が行われた。報道によれば。安倍首相は領土問題について「今までの思考にとらわれず、新しいアプローチで交渉していく」と述べたとのことだ。 だが、交渉しても北方領土は帰ってこない。その理由は次の3つである。
  第一は、北方領土はロシアにとっては貴重な生活可能地帯であり手放せないためである。
  第二は、両首脳の政治力は既に減退しており領土問題を解決する政治力を持たないためである。
 第三には、どのような結果になっても両国民は納得しないためである。
■唯一の居住可能地域… 北方領土はロシアにとって貴重なため手放せない。サハリンから東では唯一の生活可能な地域であるためだ。北方領土には、農耕が可能であり安定した海上輸送が確保できる利点がある。意外かもしれないが極東ロシアで農耕可能な地域は少ない。(中略)低緯度であり日照時間が長く、比較的温暖な気候により本格的な農業ができるためだ。漁場も近いため食料には困らない。そのような地域は沿海州南部と樺太南部と北方領土しかない。また、冬季に海上輸送ができる点でも居住地域としての北方領土の利点である。(中略)国後島の古釜布や択捉島の単冠湾は太平洋側に面しており、流氷に閉じ込められない。つまり冬でも津軽海峡を経由しナホトカとの海上交通が確保できるのである。その生活環境の優位は人口密度でも如実に現れている。 ロシアは極東部に広大な領土を擁しているが、居住可能な地域は極めて狭い。これは沿海州から東になると顕著である。人口密度はそれを如実に表している。アムール河口から東の各州は1平方キロに0.1-0.7人程度しか居住していない。 だが、北方領土は違う。これはロシア統計で北方四島を含むサハリン州の人口密度が5.7人であることからも理解できるだろう。そのような貴重な島をロシアは手放せないのである。
■両首脳の政治力低下… (前略)プーチンは就任から2014年まで絶大な支持を得てきた。これは原油価格の高止まりによる経済成長と生活水準の改善によるものである。また、ウクライナ問題もそれを支えた。ロシア人の目からすれば「領土を取り返した」功績も大きいものがあった。 だがその原油とウクライナ情勢の変化が、プーチンを不利な立場い追い込んだ。 原油価格は低迷し、引きづられる形で天然ガスもスポット価格を見れば記録的安値となっている。これは一次資源に依存したロシア経済の足を引っ張るものであり、地域によっては深刻な問題(モノグラード経済)も生まれている。 また、ウクライナ問題に端を発する西側の経済制裁もロシア経済を圧迫している。(以下略)
■両国民は納得しない… 最後が国民感情の問題である。日本人が北方領土を自国領土と信じているように、ロシア人も「南クリル」を自国領土と信じている。(中略) 四島返還はロシア人を激昂させるものであり、それを許したプーチン体制を倒すだろう。 実際にソ連崩壊直後であっても、ロシアは日本経済援助との引き換えとして北方領土「売却」を進めることができなかった。それをすれば「金で領土を売った」と政府が打倒されるためだ。 逆に、北方領土放棄は日本人を激怒させるものとなる。安倍首相がそれを決めれば、政権はその日のうちに打倒されるだろう。(以下略)
■結局はリップサービス… 以上が北方領土問題が解決しない理由である。この状況で「今までの思考にとらわれず、新しいアプローチで交渉していく」(安倍首相)は日本国民向けのリップサービスにすぎない。(以下略)

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160507-00010002-jindepth-int
Japan In-depth 5月7日(土)20時16分配信 (←出典

『弦』65

弦『弦』
編集発行:渡辺宗子(札幌市)

渡辺宗子作品「スカラベ」。古代エジプトの話の中には必ずと言っていいほどに登場するスカラベ。大地を甦らせる豊穣の名称。重ね上げたのはピラミッドの高さと言ってもいいだろう。最終連にある”原子力世紀の擬音”というのが、評価の分かれ道かもしれないが、私などはなかなかタイトルにしてみたいと思いつつ出来かねている、うらやましい限りである。
金石稔エッセイ「少年少女のための愛唱詩篇-4-」。さて、62号(2015.5.1発行)から続くのだが、一年経つと何の話かが怪しくなってくる。承前と言われても…アリス?ミミクリ…って何だっけ。さて前号を探して、ようやく藤原安紀子詩集だったかと、日本語でありながら言葉の相転移らしきものがあるとして、さらには吉増剛造作品となる。んん、一話完結にしていただけると嬉しいのですが。
渡辺エッセイ「童話のほとり・プーくまのうた」。カンガとルーの親子を追い出そうとの目論見をコブタがルーと入れ替わることで、実行に移すのだが、なかなか母は強ということか。逆上するのはコブタの方である。まあ、クリストファーロビンの存在が大きいようだ。ひと悶着の後はなんとかカンガとルーの親子は森の住人になれたようだしね。

独 STAP現象の確認に成功

 今年3月10日、ドイツの名門大学、ハイデルベルク大学の研究グループがSTAP関連の論文を発表した。論文タイトルは『Modified STAP conditions facilitate bivalent fate decision between pluripotency and apoptosis in Jurkat T-lymphocytes(邦訳:修正STAP条件によって、JurkatT細胞の運命が多能性と細胞死の間で二極分化する)』である。
 (中略)
 わかりやすく解説すると、以下のようになる。 <小保方氏が発見したSTAP現象を、がん細胞の一種であるJurkatT細胞を用いて再現実験を試みた。同細胞に対しては、小保方氏がネイチャーで発表した細胞に酸性ストレスをかける方法ではうまくいかなかったため、独自に修正した酸性ストレスをかける方法を試してみたところ、細胞が多能性(体のどんな細胞になれる能力)を示す反応を確認した。それと同時に細胞が死んでしまう現象も確認されたので、何が細胞の運命を分けているのかを探っていきたい>
●がん細胞の分野で研究の価値大
 今回の論文で多能性を確認したAP染色陽性細胞は、小保方氏らのSTAP論文でも発現が確認されている多能性マーカーのひとつである。細胞が酸性ストレスによって多能性を示すという反応は、まさに小保方氏が発見したSTAP現象そのものだ。
 世界的に活躍する国際ジャーナリストで、自身もニューヨーク医科大学で基礎医学を学び医療問題に関するリポートも多い大野和基氏は、同論文を次のように評価している。
「STAP現象の論文は撤回されたが、少なくともがん細胞の分野ではまだまだ研究の価値がある、ということだ。細胞の多能性に対する酸性 pH の効果は、がん生物学(がん幹細胞も含む)の分野では、注目されるトピックであり、STAP細胞が、がん細胞ではできた可能性があることを、このハイデルベルク大学の論文は示している。
 また、この研究者らの実験では、小保方氏が確認した多能性を示すOCT4の発現を変えることができなかったようだが、異なる結果として、De Los Angelesほかが、STAPプロトコルのような、強いストレスでOCT4の発現が増加した例を紹介している。
 ともあれ、『ネイチャー』のSTAP論文撤回後、海外の大学、しかもハイデルベルク大学においてSTAP現象を確認する実験が行われたことは注目すべきことである。
 がん細胞の一種であるJurkatT細胞に対して、小保方氏が行った方法ではうまくいかなかった理由について、ある生物学の専門家は次のように分かりやすく説明してくれた。
「細胞の種類によってストレス反応に違いがあることも一因と考えられます。小保方氏はがん細胞以外の細胞を使っていたため、ストレスをかけるpHの違いが出ても不思議ではありません。
 また、培養系の実験では、緩衝材の違いはもちろん、試薬のロット(製造日)差によっても結果が違ってくるというのは周知の事実ですし、シャーレのメーカーによっても結果に違いが出ることがあるほどです。それほど微妙な調整が必要な世界であり、プロトコル(手順)通りにやっても同じ結果が得られないことは普通です。
 ハイデルベルク大学の研究グループは試行錯誤の結果、独自にSTAP現象を確認する方法を見いだされたのではないでしょうか」
 日本国内では、マスコミによる異常な偏向報道によって、完全に葬り去られたように印象づけられたSTAP現象だが、そのような先入観もない海外の大学によって再現実験が試みられた事実は大きい。(以下略)

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160514-00010004-bjournal-soci
Business Journal 5月14日(土)6時1分配信 (←出典
 ネイチャーのSTAP論文の撤回理由は「STAP現象」の否定ではなかった。マスコミは美人研究者という取り上げ方。結局は理研も早稲田大もまともな確認をしなかったということ。本当にマスコミっていらないんじゃないの?

詩集『あなたという名の物語』

坂上詩集『あなたという名の物語』
坂上博一・著(文芸社)2015.4.15

作品「泣ける場所はありますか」。最初にこうしたタイトルがあると、詩集全体を悲しみというものの感性でその中心に据えるつもりなのかなとの第一印象。
作品「料理の心」。男性の筆者で料理を”餌”としてではなく、食べてもらう感情であると捕らえる人は珍しいと思える。ちょっと吃驚? あ〜、差別的な意味合いはないです。私も料理はするんですが、はっきり嫁には不評ですが、美味しいかどうかは結構別なものと思っている(?)ので、えーと、すみません。
作品「鬼ごっこ」。何に追われているのか、絶対に逃げ切れないとするならば、その正体は死であろう。多分ここがスタート地点だ。
作品「あやかし達の生きる道」。スナックあやかし、どんな店であるのかがかなり気になる。内装を含めて、是非是非ここのメニューを見せてほしいのだ。この作品が一番好きかな。
童謡詩「シロクマの赤ちゃん」「ゆびさきチョン」などが掲載されている。可愛らしいとは思うのだが、いきなり脈絡なく出てくる。そして最後の作品が詩集のタイトルである「あなたという名の物語」で終わる。この構成を見る限り、筆者にとり詩集というものは何が出てくるか分からない”おもちゃ箱”であると考えている気がするが、そうなると出だしとの誤差が気になるのですが、どう? 
あとは文章が横組みであるのだが、特段に英文とか数式とかを使わないのであれば、縦組みの方が私的には読み易いです。作品全体は短詩でありひとつひとつは優しい感情と言葉で綴られている。
WORLD ALARM

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