EXODUSExodus / エクソドゥス
ポーランド国立民族合唱舞踊団「シロンクス」

箱に小麦粉なのか砂なのか、こぼし落とす女。閉じた蓋のうえに腰を掛け、そこへまた二人が座るが話もせずもたれあうように揺れている。あるいは床にトランクを置き枕にして眠る男という不安定なプロローグ。
タイトルの「エクソドゥス」は旧約聖書の出エジプト。だがモーセがいない。女が足元に置く箱が、モーセの十戒を収めたアーク(聖櫃)なのだろうか、それが失われたということか? 残った者たちの踊りの影は異様に大きく、倒れ起きあがる姿は天を求めるようだ。
「エクソドゥス」には、大勢の人の移動との意味もある。振付師ミハウ・ズプコフ氏は 1920年のシベリアからポーランドの孤児を日本赤十字が救済した話から着想を得たという。
当時のポーランドでは実効支配するロシアへの反乱が頻発していた。政治犯とされての流刑、あるいは第一次大戦による流民となり15万から20万人がシベリアにいた。作品冒頭のトランクの男は捕まった政治犯、もたれ合う男女は流民の家族なのだろう。さて、1917年ロシア革命での内戦が飛び火しシベリアでは多数の凍死、病死、餓死者が出ていた。脱出を図った600人のポーランド人の婦女子を乗せた列車が燃料不足で立ち往生し、全員が凍死という悲惨な事件も起きる。
見かねたウラジオストク在住のポーランド人たちが「救済委員会」を立ち上げ、ロシア革命政府を警戒してシベリア出兵していたアメリカ、イギリス、フランス、イタリアの各国に働きかけるが、革命軍を止めようがないと分かり撤退する。その時点で駐留していたのは日本だけであり、代表は 1920(大正9)年外務省を訪れる。「罪のない子どもだけでも救ってほしい」との嘆願に、来日して17日後に日本政府は救出を決断する。
救援活動の中心は日本赤十字が担い、出兵中の陸軍が支援する。要請された月から翌年にかけ計5回で375名。2回目の要請の 1922年は、日本もシベリア撤退が決定しており急を要しながら3度に分け390人をそれぞれ迎え入れた。年長で16歳、年少者は1歳。靴もない子が多く大半が栄養失調であった。
このことが報道されると、子ども好きの国民性なのか、寄付が続々と集まった。ポーランドへの帰国の船が用意されたが、親を失っていたときに優しく接してくれた看護師らと別れがたい子どもが続出し「アリガト」を繰り返しながら「君が代」を歌って別れを告げた。独立を回復していたポーランドへと帰国した子どもらは、感謝を忘れないために「極東青年会」を設立し、日ポ友好に尽くしている。
今回の作品では、どの時点までをモチーフにしたのかは分からないが、後半場面ではハレルヤ唱が響き渡る。
日本赤十字の NEWS オンライン版 2020年2月号には“恩返し”と題し、1995年「阪神淡路大震災」の被災児童60人がポーランドに招待されたときの記事が掲載されている。まさに友好ということは手を指し伸ばすことから生まれるということであろう。

参照(いずれもweb から)
・「Vol.10 ポーランド孤児救済」日本赤十字社、展示紹介コラム、2011/7/1
・「100 年前のシベリアからの救出劇! 765人のポーランド孤児と日本人の奇跡の物語」辻明人、日本文化の入口マガジン和楽 web、2020/5/21
(北海道ポーランド文化協会会報「POLE」102号(2021.2)より転記)