『坂道』
発行:ささきひろし(さいたま市)
巻頭詩に震災十周年特別企画として新川和江作品が載る。「わたしがいる、と」。すべてが波にさらわれたとしても、私がいる。一個の身体があるということを叫んでください、と。
ささきひろしエッセイ「ファミリーヒストリー」。亡き父の回顧録をまとめたとある。天井裏から日記とはライトノベルのようではあるのだが、事実なのであろう。その父は、乗り込んだ戦艦が撃沈されても生き残る強運の持ち主であり、予科練の教官時代に、”死ね”ではなく”生き延びよ”と教えていたというのがなんだか不思議である。どうして他の教官はシネであるなかで、それを吃驚したというのだろう。ちょっと興味深い。同時に私は父に聞き損ねてしまっているのだ。
濱田美枝子エッセイ「表現世界の一端に触れて」。カメラマンであるロジャー・オダネルの作品に「焼き場に立つ少年」という一枚があり、その凄まじい張り詰めた姿の写真を見て、画家の増田常徳は、まったく違う虚脱と喪失の少年「喪失のヴェール」を描いた、と。
ヴィヴィアン・R・リーチ作品「コロナウイルスから人類への手紙」。タイトル通りの話であるが、つまりウイルスもまた地球上でしか生きられない生命体ということか。しかしガイア仮説を考えると、これでもなんだか優しく思えるから不思議だ。
発行:ささきひろし(さいたま市)
巻頭詩に震災十周年特別企画として新川和江作品が載る。「わたしがいる、と」。すべてが波にさらわれたとしても、私がいる。一個の身体があるということを叫んでください、と。
ささきひろしエッセイ「ファミリーヒストリー」。亡き父の回顧録をまとめたとある。天井裏から日記とはライトノベルのようではあるのだが、事実なのであろう。その父は、乗り込んだ戦艦が撃沈されても生き残る強運の持ち主であり、予科練の教官時代に、”死ね”ではなく”生き延びよ”と教えていたというのがなんだか不思議である。どうして他の教官はシネであるなかで、それを吃驚したというのだろう。ちょっと興味深い。同時に私は父に聞き損ねてしまっているのだ。
濱田美枝子エッセイ「表現世界の一端に触れて」。カメラマンであるロジャー・オダネルの作品に「焼き場に立つ少年」という一枚があり、その凄まじい張り詰めた姿の写真を見て、画家の増田常徳は、まったく違う虚脱と喪失の少年「喪失のヴェール」を描いた、と。
ヴィヴィアン・R・リーチ作品「コロナウイルスから人類への手紙」。タイトル通りの話であるが、つまりウイルスもまた地球上でしか生きられない生命体ということか。しかしガイア仮説を考えると、これでもなんだか優しく思えるから不思議だ。