空中庭園な日々

「空への軌跡」別館 ―― 北海道の詩誌を中心に & 気になるニュース

菅原みえ子

DVD 第10回午後のポエジア

午後のポエジアDVD『第10回 午後のポエジア』
北海道ポーランド文化協会

「第10回午後のポエジア」開催、札幌エルプラザで10月31日のこと。しかしコロナのことを考慮し、出演者を募集しての動画鑑賞会となった。
新井藤子 & ラファウ・ジェプカ 両氏による『ブロニシ・ピウスツキ〜遠い東の国で有名になったポーランド人の話』の紙芝居が始まる。次いで生誕100年記念として、スタニスワフ・レム著のSF作品『ソラリス』をAIが朗読する。
小笠原正明氏による生誕200年記念として、ツィプリアン・カミル・ノルヴィト作品「…永遠の勝利のあかつきに、灰の底ふかく/さんぜんたるダイヤモンドの残らんことを」の朗読。菅原みえ子氏は、ヘルベルト作品「母とその息子」他3篇を。氏間多伊子氏、スウォヴァツキ作品から「頌歌」、工藤正廣訳である。
村田譲 & 熊谷敬子の両氏はミツキェヴィチの叙事詩『パン・タデウシュ』を選択し、そのなかより、第三の書「大人のおふざけ」の私家訳です。長屋のり子氏は、シンボルスカ作品「可能性」と自作詩「凛として美しい詩人シンボルスカを仰いで」を版画をバックに声の出演。
霜田千代麿氏はヘルベルト作品「我思う氏(パン・コギト)の終末論的予感」を鞄から取り出す。ルブリンのボロネーズを披露したのは、北海道フォークダンス連合会です。
河村裕、河村明希カリナ & レナタ・シャレック各氏は、なんとミウォシュ訳の『Haiku 俳句』対訳付きです。ラファウ・ジェプカ氏はユリアン・トゥヴィム作品「蒸気機関車」を紙芝居風に見せ、擬音だけでも十分楽しい。エバ・コワルスカ氏、ヤン・ブジェフファ作品「野菜売り場で」を写真付きで紹介する。
ミハウ・マズル & 齋藤健太郎の両氏はハクショイ!とうるさいうるさい。だってJan Brzechwa 作品の「鼻炎」を選ぶのだもの仕方がないね! その後もヤホヴィッチ作品「病気の猫」、いやはや風邪などひかれませんように。佐藤レミリアちゃんは、Jan Brzechwa 作品「カブトムシ」とHymn Polski(ポーランド国歌)の二本立てにチャレンジです。次いでミコワイ、カタジーナちゃんふたりの唄は「クラクフっ子ひとり」というもので、作者不詳で18世紀末の童謡とのことですが、とにかく楽しそうなのが最高。
リリアナ・コワルスカ氏がピアノでショパンのワルツ第6番 変ニ長調を。オレーヤージュ・シルヴィア & 山本悠太朗両氏は『アンナ・シフィルチンスカ詩集』よりの選択。川本夢子氏はピアノ演奏、ドンブロフスキのマズルカ(国歌)など3曲を。そして数井バルバラ氏は「女は神さまの贈りもの」「それはどんな日だったか」などなどギターと唄で。
最後は「シロンスク」舞踊団 による最新版 2021『オラヴァ』の踊り。フォークダン文化の起源であるグラレダンスというもらしい、不思議な感じのする音楽。

詩誌『韻』第27号

韻詩誌『韻』
編集;齋藤たえ、菅原みえ子(岩見沢市)

齋藤たえ作品「エンディングノート」。テーマ”これからの私たち”の講演会に出席するか? なかなか個人の好みがあって即答しかねるが、オレなら行かない、具体性の欠片もない気がするのだ。が、筆者はお薦めだそうだ。ま、好みの問題です。で、死を前にしての演題であったそうで「いきいきと生きて逝くために」行ってきたとのことだ。活き活きするのはせっかくのきっかけであるのは間違いないだろう。そういえば自分は遺言状くらい書こうと思いつつ、未だに書いていないと思う次第・なんだかなぁ。
菅原みえ子「蝶結び」。大きくなりたいちいさい少女とちいさくなっていく老女というフレーズがいい。生に対して理解していない幼さと、生に対して無頓着な老婆は、とても似ている。このふたりがぼっちであり、蝶結びで結ばれているのは必然かもしれない。こういう感覚というのは、やはり女性の方が強いのであろうかなぁ?

『韻』vol.26

韻『韻』
編集:齋藤たえ、菅原みえ子(岩見沢市)

菅原みえ子作品「夢の領域」。夫婦のピエタ(pieta)というのは初めて聞いた。一般的なピエタはイタリア語で、聖母マリアがイエス・キリストの骸を抱いて悲しむ姿のことだ。であればここに夫婦とあるのは間違いということになる。しかし元々の語源はラテン語であり、ピエタス(pietas)という愛の概念であるという。ただそれは人間からの神に向けられる信仰心。超越的な概念であることから、家族といった部分に留まらずに、祖国とかもっと広い形。そうであって夢の領域と言われると、まあ、そういうことですか。父という愛があってもいいのだろう。固有名詞って難しいですね。最終連の、風紋と貌というのは、皴のことであろうからこれは納得。
齋藤たえ作品「屯田兵譚」1-3。基本的によく調べているのだろうと思う。こうしたテーマは実際に裏付け資料が曖昧だと、嬉しくはない。そうであってどうしても、資料の説明になってしまいがちなわけで、その辺りがどうなるかということでしょうね。場合によっては小説もどきになりかねないし。しかし『正雪紀』はどうなのかな、好みのわかれるところではあろう。

詩誌『韻』vol.25

inn詩誌『韻』
発行:菅原みえ子(岩見沢市)

齋藤たえ作品「二重マントを仕立てる人」。この前にある「二重マントを着る人」の続きとしてあるのだが、随分と古風な衣装であって、今時は漫画以外にはお目にかからないものだ。しかし祖父が着ていたその古風を現代の孫が羽織るのだが、そもそもは背広仕立て屋の初めてのオーダーである。それは義兄のためでもあったろうが、全てが一重に終わらないことで成立する作品であろう。
菅原みえ子作品「母を編む」。面白いタイトルだ。確かに本来編み物という作業の主体は母であるのだが、自分が母を思い出すときには幾春別という記憶の中から、そして実に都合のいいところばかりをあたかも教訓話として積み上げていくようなものだから。
ふじさわあい作品「紙ヒコーキ」。Yと言いつつ”祐”と呼んでいるのだから、統一した方がいい気はする。ところで孫という、責任のない状況こそが可愛らしさの源であると言われ続けてきている。しかし核家族で共働きとなると、爺婆に世話を頼むことが多くなってくるようで、(当然に政治が悪いのだけれど)いつまでも今までと同じとはなかなか難しくなってきているようですよ。

詩誌『韻』vol.24

韻詩誌『韻』vol.24
発行:菅原みえ子(岩見沢市)

菅原みえ子作品「いちにち日記」。亡くなった方への、しかし今日が誕生日である人への不思議なお祝いから話ははじまる。日記という形式にしたのは、何度も重複しながらの流れであるからだろうか。49年前のその人は二十歳で根室に居たのだという。納沙布、歯舞、月ヶ岡の道を。今日も流れるNHKラジオ体操の歌声。天気予報はいつものように今日のために放送されている。あなたを懐かしむ私もまた、岩見沢を離れ、遠い記憶の生まれ故郷である根室に、あなたとともにその日に帰る。そこから飛び出したようにまた、飛び出せるのであろうかと、私たちを迎えてくれるのか、と。
齋藤たえ作品「大型トラック」。隣にあるコンビニはみんなが寄るコンビニである。当然に交通量がある程度あって、大型トラックもその交差点を右折する。どこから出てくるのか分らないなかでの、ついうっかりに巻き込まれもする。私の何かを押しつぶして、私は転倒する。ブレーキ、大丈夫かとのよく分らない声、救急車のサイレン。私がそのときそのコンビニに寄ることさえなければ、何も問題は起こらなかったのだろう。精密検査の結果はシロ。ホッとして、何かが潰れたことを思い出すのだが。しかしタイトルが…なんか違和感があるのですが。好みと言えばそれまでですが。

詩誌『韻』vol.23

韻詩誌『韻』
発行:菅原みえ子(岩見沢市)

齋藤たえ作品「紐」。緊急入院して点滴まみれの夫から”丈夫な紐を持ってきてくれ”といわれて、自殺でもするのではないかと心配し躊躇する姿が笑える。そこでプレゼントされた可愛らしい柄のものを選んで持って行くのだが、人というのはそんなに簡単に死を選びはしないものですけどね。しぶといですよ・と、思いつつの心配ではある。
菅原みえ子作品「東京スケッチ」。さてスケッチなので、お気に入りの景観を。まずは白洲正子さまのメアリーポピンズ、パラソルでの新宿三丁目の交差点。春子さんのとびっきりの早変りは、裕次郎作品に出てくる某有名大学病院とのことで、ふわりと登場。そして中秋の名月は東京でも札幌でも変わることなく、雲さえなければ見られるものであるらしい。
あとがきに(あ)氏のコメントとして、8月に旭川文学資料館で開催された「第15回東北アジア・キリスト者文学会議」のことが書かれていた。私も参加したのだが、韓国からは30名の参加があった。どうやら、そこで韓国のご友人が出来たとのことで、封書が先日届いたとのご報告でありました。

詩集『足跡』

足跡『足跡』
菅原みえ子・著(かりん舎・刊)2015.5.10

全体は三章で構成されている。
作品「夢の滝」。冒頭の作品としては如何なものか。さてこの作品集には実は、詩集という表記がない。そしてタイトルが『足跡』となっている。つまり、人生とかに対して泡沫的な印象を持っていると推察するのだが、いきなりの夢落ちはどうでしょう。
作品「トトントトン ゴーロゴロ」。羊水に浮かぶ胎児の記憶であろうか。最初の最初に戻るのであろうところからの、通信だ。
作品「みどりご」は、1節と2節に分かれている。1節はキツネの話が出てくるが、基本は冬の地方という意味合いで捕らえることでいいのかな。2節に「緑ご」とあるが、赤、紫、桃と様々な色合いを用いる。春のイメージであろうか。意地悪キツネは”すっぱいぞ!”と耳打ちしてくるが。
作品「立入禁止」。生まれ故郷というものは、仕方のないもので、帰ってみようと何故だか思うものだ。帰ったとしても何も変わるわけでもないのだが、そう、そこはすでに”立入禁止”であるからだ。いい作品。
三章はモンゴル、キルギス、ネパール、ブータン、アイルランド、ロシア各国の、つまり旅先の生き方の話である。
さて表紙のデザインというものは私的には、かなり重視している。シンプルというのも一つの手法だが、やはり「詩集」とは書いてほしい。よく内容勝負だという方もいるのだが、その本を手にするまでは中身が何であるかは、読者には不明であるのだ。

詩誌『韻』vol.22

韻詩誌『韻』vol.22
発行:菅原みえ子(岩見沢市)

齋藤たえ作品「乗りかえ列車」。プラットホームでのヒトコマであり、それなりに面白い。しかし3連目の”神かくし”との表現。1番ホームの出来事を6番ホームで見ているのだが、”置いてけぼり”はないだろう。神隠しにあわなくてよかったですね、と言う場面なのか(笑)。
菅原みえ子作品「彷徨」。組織化されたものから抜け出すという幻想は割りと誰もが持つものであろう。そうであって、独自に歩んでいると確信している個人が、もしも咆哮するならば、誰に吠えるのだろうか。幻想が幻想を呼び込んでいる意味合いなのかなぁ。
ふじさわあい作品「この夏」。そこにあじさいが咲いており、墓に捧げるカタツムリは80歳というのは、なかなかのんびりとしたいい雰囲気ではないですかね。

詩誌『韻』vol.21

韻詩誌『韻』
発行:菅原みえ子(岩見沢市)

菅原みえ子作品「夢人」。実家はすでになく、であるから墓という、寺というところに縋るのであろうか。何らかの理由での父との確執が消えていく。母ではなく、父というのはあまり見かけない気がする。しかしタイトルに”夢”と付いてしまうと、如何様にも捕らえられるので、ちょっと考え物かもしれませんが。
ふじさわあい作品「ここにすむなら」。なかなか現実的なお話のようである。ここに住みたいと思うなら、金を出せという。なんというリアリティ。そう、理屈はいらん。金だ! 最終連の”白いライオン”がよく分かんないけど…。
齋藤たえ作品「私の母と娘」。北海道詩人協会の第5回「北の詩賞」第二席の優秀賞に入賞した。タイトルには工夫がほしい気もしますが、シンプルで真摯な作品です。

詩誌『韻』vol.20

韻詩誌『韻』
発行:菅原みえ子(岩見沢市)

ふじさわあい作品「鋏」。庭木の冬の囲いを解くために、荒縄に鋏をいれるという、その実たわいない話なのだが、北海道という地域性はそんなことに春の喜びを見出すのである。。他二篇、計三篇の作品があるのだが、どうも季節時間の配列が気になった。
齋藤たえ作品「母の白書」。老後の介護ということは、それが実の親であるほどに難しくなる。老老介護という現実に背を向けていたいし、実際は体力などの問題も孕むからだ。そうでありながら、その選択をしたのは自分であるということだけは、覚えておかねばならないのだ。
菅原みえ子作品「あッ さいてる」。奇妙なタイトルである。心臓の悪かった母の死、そしてその影が枕元にたったときの、不思議。それをおそらくは、川辺に咲く、母の好きであった花を見て思い出したのであろう。その瞬間、もしくは何度でも思い出すことは何度も命が巡ることとして。
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